2016-02-13

ゲームを遊べ、現実破壊しろ

http://togetter.com/li/937461

子供ゲームに熱中して現実をおろそかにするというなら、破壊するべきは、ゲームではなく現実のほうだ。

ゲームは公平で平等だ。

老若男女誰にでも楽しめる。

性別宗教国籍も嗜好も思想も貧富も容姿障害も「コミュ力」も関係なく、ゲームは万人を受け入れて、同じステージで遊ばせてくれる。

ゲームは無作法を許す。

でも、根本的なルールは丁寧に順序立てて教えてくれる。

努力すれば必ず報われ、失敗しても攻略法を考えて何度でもやり直せる。

レベル難易度に応じた適切な課題を、飽きないようにたくさん工夫した形で、繰り返し与えてくれる。

ゲームは、子供を惹きつけるために、ほんのわずかな武器しかない。

さな画面、数個のボタン、限られたサウンド。

暴力権力強制力も怒鳴り声も使えない。

それでも子供の移り気な興味を惹いて、いくつもの難しいステージクリアしてもらおうと考え抜かれている。

どんな順序で何を見せていけば良いのか?

奥深いゲームルールをどう覚えてもらえば良いのか?

新しいアイテムスキルを使った時の喜びを、どうやって大きく感じてもらうか?

ゲーム破壊する「教育ママ」達。

ゲーム嫌悪する教育熱心なご両親方

現実」(と呼ばれる自分たちやらせたいこと)をかえりみないと嘆く多くの大人たち。

あなた達はゲームに敗北しているのだ。

ゲームの洗練された文化に。

その技術芸術に。

あなた達のように振り回す手足もなく、怒鳴る口もなく、電源を入れてもらえなければ無言でいつまでも待ち続ける。

そういう小さく無力な機械に敗北しているのだ。

大勢天才的なクリエイターが何千人月も掛けて真剣デザインした作品に対して、あなた達の暴力権力言葉や、描き出す貧相な世界が、惨めに敗北を喫しているのだ。

あなた達は、ゲームを作り上げたクリエイター達と同じくらい真剣に、子供のことを考えたのか?

本当の子供の目線で、どうすれば子供自分たちの考えた通りに興味を示し、覚え、身につけ、行動してくれるか、考えたのか?

子供には現実の辛さも教えないと……」

その現実の辛さを、なぜ我々は、セックスのやり方より先に子供に教えなければならないのか?

幼少期に染み込ませた「現実の辛さ」とやらで、我々は子供たちに何をやらせたいのか?

将軍様の号令の下、どこかの大陸出兵して女子供を皆殺しにする。

現実の辛さ」に耐えてそういうことができる人間を育てたい。

そういう話なら納得できる。

だが、もし、人間らしく生きる人間を作りたいなら

——多様な選択肢の中で、自分の適性と手持ちの武器に合わせて目標を選び、仲間と一緒に努力してクリアし、その成功を分かち合う。そういう人間を育てたいなら——

なぜ、破壊するのがゲームではなく現実であってはならないのか?

もし現実が、公正でも平等でもなく、やり直しが認められず、苦痛に満ち、わずかな楽しみもない場所であるなら。

現実が、理不尽ルールに満ち、納得できない気持ちごまかしながら、退屈で単調な日々をただ過ごしていく場所であるなら。

まれた人にだけ開かれていて、そうでない人の前には門戸を閉ざし、異なる人間を蔑んで、互いに触れ合うことを禁じる場所であるなら。

大きすぎる問題を前に、まともな知識もアイテムスキルも与えられずに、無力感に苛まれたまま押し潰されてゲームオーバーする場所であるのなら。

もし、現実が、そういう場所であるとしたら、なぜ、破壊するのが現実であってはならないのか?

なぜ我々は、現実の方を破壊して、ゲームのようにしようと考えないのか?

なぜ我々は、現実ゲームのように、寛容で公正なルールを備え、レベルに応じた適切なヒントと問題・適切な資源が与えられるようにしないのか?

なぜ現実を、誰にでも開かれ、どんな母語のどんな状態の人でもコミュニケーションが取れ、それぞれが役割を果たせるようにしないのか?

なぜ、何度かの失敗とやり直しを許し、いつでも好きな時に参加や離脱が可能なようにしないのか?

なぜ、たくさんの作品があり、多様な選択肢があり、自分の興味と能力に合わせて好きなステージジョブを選べるように、現実を彩り豊かにしないのか?

ゲームを遊び、ゲームから学ぼう。

そして、現実のほうを破壊しよう。

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