違法薬物は主に脳に良くない影響を及ぼすから禁止されていると。
それはいい。
でもさ、違法薬物のもたらす効果で逆に脳の働きが良くなる人って、これだと救われなくね?
例えば覚醒剤。
このクスリはドーパミンを異常分泌させるって聞いたけど、
そうすると生まれつきドーパミンの欠乏で日常生活に支障が出ている人が摂取したら、
それまでの人生が嘘のように生活捗るってことでしょ?
一方、覚醒剤をやめられず、何度も何度も捕まっては再犯を繰り返し…って人がいっぱいいると。
そこまで踏まえた上で、あくまで仮定なんだけど、そういうやめられない人達は
覚醒剤摂ると人生捗るからやめられないんじゃねーの?って思うわけ。
よく、依存症はその人が依存に走る背景にあるものに切り込まなければ解決しないと言うけど、
だったらその人がクスリを知る前の自分に戻れないくらい、それまでの人生や日常生活で支障が出ていた現実にも
向き合わないとダメじゃね?っていう。
細田守監督といえば「時をかける少女」や「サマーウォーズ」で有名だし、
近年でも金曜ロードーショーで何度もリバイバルされたり、サブスクで定期的に見放題になるので知っている人も多いだろう。
私は細田守監督作品が好きだ、出会いは1999年の劇場映画「デジモンアドベンチャー」(20分映画)、
それに続く2000年の「ぼくらのウォーゲーム!」(40分映画)だ。
どちらも非常に短い上映時間にも関わらずそれを感じさせない魅力が多く、本当に大好きだ。
「サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム!」のセリフリメイクとして、デジモンアドベンチャーを見ていなかったひとにも勧められる高品質な映画として大変嬉しかったし、絶対に映画館で観続けてやるぞと思うようになった。
しかし、「おおかみこどもの雨と雪」を皮切りに、細田監督はスタジオ地図という独立スタジオを立ち上げて映画を作るようになったのだが、どうにも様子がおかしい。
様子がおかしいというのは語弊があるかもしれないが、なんだか「感動路線」や「国民的映画」というのを意図して作り出そうとしている印象を受けた。
そして「バケモノの子」「未来のミライ」といった映画を世に送り出したわけだけれど、クレジットを見ると「時をかける少女」〜「おおかみこどもの雨と雪」まで脚本を担当していた奥寺佐渡子氏の名が消え、細田守氏が直接脚本を書くようになっていた。
おそらく観た人の評判から「未来のミライ」のことはご存知の方も多いと思うが、その他も脚本の質としてはかなり低品質に思えた。
具体的には登場人物の感情曲線が支離滅裂で、動機と行動に一貫性がなにもない。
作りたい展開を作りたいように継ぎはぎしている。
そういった印象を受けた。
そして、満を辞して公開された「竜とそばかすの姫」は極力期待しないようにして公開日に劇場へ足を運んだ。
だが、自分は少しは期待していた、なぜなら舞台が「ネット上の仮想世界」ということで、原点回帰のような面が伺えたからだ。
独立後は自然派やファンタジーに寄った作品が多かったので、監督のオタク的心理を取り戻してくれると少しは期待してしまっていた。
しかしいざ観た内容は、「時をかける少女」と「サマーウォーズ」を足して薄く引き伸ばして再生産し、モヤモヤっとしたまま〆て終わりのような作品だった。
最後のスタッフロールで全国の日本テレビ各局番宣スタッフが長々と列記されている部分だけが色濃く脳裏に残っている。
もちろん、場面の絵作りとしては高品質なところもあるし、単純にミュージックビデオとして見ればそう悪くない場面もあることはあった。
しかし、それらを踏まえても、一本の映画として観た場合に違和感やモヤモヤばかりを劇場の外に持ち帰る脚本はいただけないなと思った。
「感動路線」「国民的映画」を目指しているそぶりは続いていたが、感情移入できるキャラクターも「観てよかった」「おもしろかった」と太鼓判を押せる要素も消え失せていた。
受け子の豚と、操ってる男との違いだねw
都合が悪くなると別の問題と
犯罪ぎもぢいい~! イグ~イグ~!
もちろん誹謗中傷してたのはお前らだぞ
事の経緯も分からないまま、勝手にシナリオ作り上げて叩いてたろ?
それに迷惑してたんだとよ生徒たちは
被害者自らそう言ってるのになんで認められないの?
死んでも謝れない病気かなんかなの?
さあ、どうする?
おばさんがやったことと同じでは