はてなキーワード: 言語道断とは
http://d.hatena.ne.jp/FXMC/20090202/p1
まあ、そんなもんでしょう。ライトノベルサイト杯ってのは、つまるところ【ライトノベル論壇杯】なわけで。彼らはもともと中二病と内輪受けじみたネタが好きな人たちの集まりで、大手サイトの影響力がそれを加速したというだけのこと。
私のように「論壇外」のサイト主や、サイト持ちでない一般読者、さらにラノベ原作アニメだけ見てる人たちなんてのはまったく参加してない、論壇の方々による論壇のための賞で、これを一般化することは論壇の方々が主催してる限り不可能だ。全く真っ白な方が主催したとしても、それが受け入れられた時点で「論壇関係者」になってしまう。こうやって語っている私だって【親藩】【譜代】ではなく【外様】であるというだけで、この構造からは逃れられない。
これ、どうなんでしょうね。
自分は「論壇」の外にいるんだ、と言いたいなら、【外様】じゃなくて【公家】に喩えるべきじゃないか、と。
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ト、;;;;;;;;;;;;;;;` ` '' ー -- ‐ '' ";;;;;;;;;,:ィ;:;!
,';:``' ‐ョ 、 ,_ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; , - '"l;:;:;:;:l だまりゃ!麿は畏れ多くもわかつき女史にベストツンデレ賞を献上し
l;:;:;:;:;:;:;ミ ` ` '' ー -‐ '" ,リ;:;:;:l
l;:;:;:;:;:;:;:ゝ く三) (三シ `ヾ;:t、 女史から献本を賜った身じゃ!
fミ{;:;:;:;:f'´ , ---_,, _,ィ 、_,,ィ,.--、 };f }
l トl;:;:;:;:l 、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ l:l,/ すなわち女史の臣であって、id:kim-peaceの家来ではおじゃらん!
゙i,tヾ:;:;:! `ヽ 二ノ ト ` ‐''"´ l:l:f
ヽ`ー};:l ,r'、 ヽ リ_) その麿を差し置いてラノサイ杯を開催するとは言語道断!
`"^l:l ,/゙ー、 ,r'ヽ l
゙i ,ノ `'" 丶. ,' 今から「ライトノベル論壇」とレッテルを貼って、嫌みを言ってすぐ撤収するから
゙l、 ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉 } /
',ヽ ヘヾ'zェェェッ',シ' //ヽ 心しておじゃれ!!
} 丶、 ` ー--‐ '"'´,/ノ:.:.:ヽ
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,r'"^l ! ` ー‐;オ´:.:.:.:.:.:.:.:.:.,ノ ,}、
,. -ァ=く(:.:.:.l l //:.:.:.:.:.:., - '" ,/ ヽ、
, - '"´ / ,/`>'t、_」___,ィ'゙,ィ,.: -‐ '" ,. -‐ '" \
ここではAA記法が使えないみたいなので、きれいに表示されないのが残念です。
■ブックマーク : ぼくがコピペブログ管理人がきらいなよっつの理由 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/densokublog/archives/410841.html
僕はコピペブログが嫌いではないけど、一部のコピペブログ管理人が時折傍若無人な振る舞いをする事に憤りを感じることはある。(ZIPやら画像やら)
これって管理人個々の問題で、コピペブログ一まとめに語れる問題じゃないよなぁ。
元記事はコピペブログへの拒絶感から乱暴な内容になっている気もする。現状に問題が無いわけでないだろうから、こういう声は意義はあるだろうけど。
マスメディアとしてのコピペブログの影響力みたいなものにも引っかかるところがあるけど、自分の中でマスメディアの定義みたいなもんがイマイチ掴めないから保留。あとで考える。
政治を扱うから駄目なのでなく、一方的なのが問題だと思う。じゃあ一方的じゃないやり方って?良く分からなくなる。
■痛いニュース(ノ∀`):社民・福島みずほ氏 「死刑は言語道断!社会正義に反する!」…4人死刑に強く抗議http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1212587.html
ちょっと離れるけど、関連として、モリのアサガオレビュー。死刑制度を扱う漫画。
http://blog.livedoor.jp/captainsummer/archives/1208452.html
以下引用
まあ、内容が内容だけに、作者の思想がもろに出てきてしまう部分があって、それが賛否両論になったりするんだろうけど。それは仕方ないよな。
この作者の考え方に賛同するかどうかはともかくとして、こういう問題を扱っておいて、作者の考えがまったく見えないってのはあり得ないだろう。
あとは、これを土台に、読んだ人間が何を考えるかだ。
漫画作品と同じく、スレまとめも当然管理人の思想が出るだろう。それが問題とは思わない。
ちなみに僕は死刑制度については賛成なんだけど、積極的に賛成する気にはなれない。
■コピペブログ管理人をなんとも思わない理由 - ねたミシュランを作る人のネタ帳
http://d.hatena.ne.jp/netami/20090130/1233289300
ねたミシュランの人が「閲覧者の問題」としてるけど、ねたミシュランっていわばコピペブログの画像版だから、この問題意識の低さにはがっかりした。確かに閲覧者の問題はあるけど、管理人としての配慮が大事なんじゃないかと。
こういうの読むとさ、「貧乏な自分でいたい」と思うわ。少なくとも、金を持ってても女に前では徹底的に貧乏なフリをする。
それで来ない女はいいや。それで一人も来なければそれが自分の実力なんだし。
よく、「相手とじっくり付き合って、相性をわかってから結婚する」みたいなことを言うが、
女の言う「相性」って金持ってるかどうか見てるだけなんじゃないの?という疑問さえ湧いてくる。
この「金持ってる」が別のステータスに置き換わっても「○○を見てるだけなんじゃないの?」という気がする。
○○が「性格」でも、じっくり付き合って「性格」を評価されるのって、それは本当の自分じゃないという気がするんだ。
相手を楽しませることができる「道具」としての「性格」。それをこの男は保持してるかどうか。
つまり性格が変わってしまえばおしまい、そこまでということになる。
それだったらファーストインプレッションで「この人だ!」と決めた相手と行くとこまで行く方が「本当の自分」を評価されたというような気がする。
もちろん、より有利な男を選ぶことが女の基本的な性向であるなら、ファーストインプレッションで選ぶなどは言語道断で、絶対嫌だという反応が起こるのは間違いないとも思う。
ネットを見ていると非常に多くの人が現状を嘆き、憂い、悲しんでいる。モテない、就職できない、対人関係に悩んでいる。そういう人たちを見ると、何か力になれる事はないかと必死になって慰めの言葉を探したり、自分の経験から何かアドバイスできることはないかと推敲を重ねて文章を書いたりしていた。そういう人たちをどうにかして救えないものかと考えないではいられなかったのだ。しかし、この考えは間違いではないかという事を最近考えるようになった。
自分を顧みて自分は何ほどのものぞ、という事だ。高々ネット歴数年の自分のような凡人が、長年ネットに滞在する人々にアドバイスするなんて、釈迦に説法だ。もう議論なんて出尽くしている。定石、反論、オブジェクション、全部ご存知なのだ。知っていて、さらに嘆き、憂い、悲しんでおられるように素人目には見えるだけなのだ。
ネットで悩んでいるように見える人々のニーズの深遠など凡夫にわかるべくもないのだ。そのニーズとは、ただ共感して欲しいだけであったり、おっさんにアドバイスなどして欲しくないというものであったり、美少女からのみアドバイス募集中ということであったり、俺にアドバイスして良いのは東大のみということが前提条件であったり、いやむしろ偉そうにアドバイスする人を地球上から殲滅するのが目的であったり、そのニーズたるやわかろうはずも無い。
果たして自分は、全ての人のニーズを理解しているのかしらん、くらいのことは熟慮して、アドバイスすべきかどうかを吟味する必要がある。
いや、大体そういう人たちに対して、『嘆き、憂い、悲しんでいらっしゃると見ること』自体がおこがましいのだ。何らかの憐憫の情を感じている時点で、お前は何様だという事になる。彼らにとってみれば、そういう憐憫の情こそが、すでに押し付けであり、鬱陶しいものなのだ。
例えば、モテないという人を集めて、理想の国家を建設するという方法を考えてみよう。絶世の美女で性格が良い処女のみを集め、モテない人たちに配布するのだ。もちろん国家のために生まれてきた女の子は国で接収し、モテない男に配布するために英才教育を施す。条件に合う女性が少なくなれば諸外国から略奪するしかない。国民の男子がこれはどうみてもモテるだろという男に成長したら国外に追放するしかない。これはモテない男にとっては良い国かもしれないが女性にとっては言語道断の国だ。
仕事が無いという人には、仕事を与えるしかない。これはもう、武装蜂起して不正で私服を肥やす役人を廃し、適切な仕事のみを残し、企業を全て国営化するしかない。能力の無い人に不平が出ないよう、国民に等しく平等に仕事を与えなくてはならない。デスマーチと呼ばれる過酷な労働が無いよう、週休三日くらいにして給料は全員、年間1000万円。現在これ以上の給料をもらっている人から不満も出るだろうが、国民の5%にも満たないので、民主主義の観点からも無視して良い意見だ。ひょっとしたら給料が足りなくなるかもしれない。しょうがないので、国民の財産は全て没収しよう。給料を支払うので問題ないだろう。変に貯蓄するから景気が後退するのだ。これで、国民全てに遍く仕事が行き渡るはずだ。
あれ? これってどこかでみた事があるような。理想を掲げて世界を席巻して崩壊した社会主義とか、資本主義に飲み込まれつつある共産主義とかいうものでは?
もしくは、自由も無く、情報も厳しく制限され、インターネットなどもちろん無く、何かの拍子に一族郎党全て粛清される、村人同士が監視しあい、通報しあい、理想を夢見ながら働けど働けど暮らしが楽にならない、極貧に喘ぐ、小太りでメガネのチリチリパーマのおっさんとその一族だけが栄華を尽くすような社会。
今の日本にクーデターを起こしてそんな社会主義や共産主義や独裁政権を打ち立てて、喜ぶ人がいるのだろうか? 誰が救われるのだろうか?
クーデターは極論としても、全ての人を救うなんて、方法が無いのだ。あるという方がどうにかしてる。アルファブロガーが「全ての人を救うたった一つの冴えたやり方」とか「人類遍くみんなを救う3つの方法」とか、釣り記事を書くくらいが関の山だろう。
むしろ、今の日本は社会主義や共産主義や独裁主義とかそういう世界に生きている人たちが、『三つの願い』を願って、それらを叶えてもらったような世界なのだ。
「字の読めない私に、情報(知識)を下さい。勉強をさせて下さい」
「働いた分だけでいいから、お金を下さい」
「自由を下さい」
今、世界に於いてこれだけの願いが叶っている国がどれだけあるのだろうか。
今の日本は、言わば一巡してきたような世界なのだ。モテない人を救うため、仕事が無い人を救うため、クーデターを起こして理想の社会の建設を目指したが、国がとんでもない方向に行ってしまい、民衆が民衆の力で民衆自身の願いを叶えたような社会なのだ。また一からクーデターから起こすような愚を犯せばいいのか。いや、すでに願いは叶えられているはずなのだ。
昔は賢人と呼ばれる為政者が国を治め、民を大事にしておけばそれで良かった。今は情報が溢れていて、誰もが賢人になれる。賢人になった民にはそれぞれの幸せがある。押し付けの幸せは幸せではない。
ネットの世界で悩んでいるように見える人は、すでに色々な選択をしている。今の日本では情報を得ようと思えば、いくらでも得られる。世界経済の知識の代わりにアイマス、法律の知識の代わりに初音ミク、雇用してくれる会社を探す代わりにエヴァンゲリオン、そういう形で常に情報を選択している。これはもう、すでに救われているのだ。
自由の名の元に、超ハッピーなのだ。つまらない仕事でストレスを溜めるよりも、萌えで脳内麻薬を分泌しまくっている方が数百倍は良い、と自ら選択しているのだ。そういう英断を尊重すべきだ。もうすでに救われている。アドバイスの必要は無い。全てわかっていらっしゃって、しかも選択を終えていらっしゃるのだ。
ネットで悩んでいるように見える人に対して、何かをしてあげようとか、こうすべきとアドバイスするとか、する必要はないし、しなかったからと言って気に病む必要は微塵も無い。
放っておいて良いのだ。
彼らを救う必要は無い。
2chで大ブームの
みたいな話について自分の理解。
・派遣はモノじゃない
スキルも無くすぐに補充できる労働力であり、しかも工場労働者などの末端派遣は不況時にはそもそも仕事が無い。
不況時に雇用を維持することが社会的責任とするのは厳しすぎる。
好況時に宣伝のために慈善事業をやる、くらいのもんだろ社会的責任って。
このご時世に、無駄に従業員にメシを食わせてやってるボランティア企業があれば尊敬するよ。
たぶんそのうち解雇される。
・内部留保を吐き出せ
内部留保はヘソクリではない。大事な資金。
せいぜい研究開発費に多めにまわすことくらいしかできないんじゃないのか。
派遣法事態は不備が多いのかもしれないし、これすら守ってない企業は言語道断で叩くべき。
でも派遣法が無くなったからって、正社員の雇用が生まれるかっていうとほんのちょっとしか生まれない。
個人的には派遣切りということで企業を叩いているマスコミが嫌いです。
こういうときに対処すべきはもっぱら政府の役目なのではないだろうか。
増税して所得の再分配を進めるということしかないんじゃないでしょうか。
ごく一部の資産家に富が集中して、国全体の数字としては豊かになったのだが、不幸な人間は増える。
この状況はどうやったら打破できるのだろう。
そもそも浅田とキムをやたらに(当人たちがしていないのにも関わらず)年と背格好が似ているからといってライバル視して煽るマスコミの論調が気に食わないのだが、もっと気に食わないのはいまだに「技術の浅田、表現力のキム」と日本のメディアが煽っていることだ。
そら確かに、技術力で上回る浅田に、表現力のあるキム、そして二人は同じくらいの背格好で、同い年!という構図はいかにも漫画チックで面白げだが、その面白げな演出のために事実を曲げるのは言語道断だろう。
浅田選手は実は(といってもフィギュアファンには常識だが)表現力も凄い。PCS(厳密には違うがかなりおおざっぱにいえば芸術点的なもの)の今季最高得点は浅田である。今回のGPF(グランプリファイナル)でも、なぜだか日本のマスコミはやたらに「ヨナがミスしたおかげで浅田が勝った、浅田はノーミスなのにキムよりちょっとだけしか上じゃなかった」「ノーミスだったら多大な表現力の差でヨナの方が勝つ」的なことにしたがっているのだが(これはもう、物凄く不思議だ。自国の選手がアウェーで優勝し、女子史上初の3A(トリプルアクセル)×2を決めてきたというのになぜこういう論調にしたがるのだろう。男子の小塚が初めてGPS(グランプリシリーズ)で台にあがったのに、ほぼスルーなのも気になるし、あれほどマスコミが煽ってきた4S(4回転サルコウ)を安藤がチャレンジし、DG(回転不足のこと)こそとられたものの着氷したというのに(個人的には安藤はもう4Sを目指さないほうがいいと思うが)スルーしているのも謎だ)、GPFでの二人のPCSの差はほとんどないのである。またヨナがミスして浅田はほとんどミスなかった、的構図も誤りであって、浅田はSP(ショートプログラム)でもFS(フリースケーティング)でも減点の非常に大きなミスをしている。ただそのミスは、減点が大きいわりに素人目にも、いや、荒川静香や伊藤みどりというプロにでさえもわからなかったようなものであるため一見目立たなかっただけだ(要はDGである。それに加え、FSでは、転倒そのものより、それによりコンビネーションジャンプが単独になってしまったことが痛かった。今のルールでは下手をすると転倒よりわずかなDGの方が痛いのだ)。素人が浅田の演技を見て「ノーミスなのに」と思うのはまあ仕方ないが、マスコミがそれでどうするのだろうか。
まあとにかく、結論として、浅田は実は表現力もかなり優れたスケーターである。海外ではむしろ、技を褒める前に表現力の方を褒め称えられていたりする。浅田は、表現力もトップクラスの上、スピンやスパイラルやステップもレベルが高く、その上にジャンプの凄さ、またスタイルも抜群によく(フィギュアスケート選手として。この点はキム選手も同じ)、メンタル面も優れている、奇跡のような選手なのだ。
メンタル面の強さは凄い。今シーズン初めのフランス杯で、あれだけgdgdになっておきながらも、わずか2週間でジャンプの調子を整えてきたという凄さ。普通なら有り得ない。また昨シーズン足を引っ張ったロングエッジのルッツを、僅か1シーズンでしっかり矯正して来て、加点までもらえるほどのジャンプにして見せた凄さ。驚異的だ(ジュニア時代からずっとそういう癖だったものを矯正するのは勿論難しいことだ)。なんと苦手だったサルコウまで飛んでいる。
月曜日のとくダネというニュース番組で、こともあろうに「3Aを二度飛んだのに、結局ミスをしたヨナとたいして差がない!浅田は実力不足が否めない!その差はヨナの妖艶な表現力にある!」といった論調で報道がなされていたのだが……これには正直文字通り開いた口が塞がらなかった。何度も言うが、PCSはほぼ変わりない。というか、昨シーズンの世界選手権では浅田の方が上である。
キム選手は確かにトップレベルのスケーターでありそれには間違いないが、事実を捻じ曲げてまで、優勝した自国の選手を「実力不足」だと言うのは最早、何がしたいのか分からない。ピーコに至っては「二人の私服のファッションセンスに差がある」というような事を言い出し、アナウンサーは「二人のCM契約数の差」を話し出し、小倉はそれらにいちいち暗い顔をしては「真央ちゃんはまだ力が足り無い……」と嘆き……本当に何がしたいのか意味不明な番組であった。アウェーで自国の選手が優勝したのに何故かお通夜ムードである。
まあしかし、確かに浅田も重大なミスをしたとはいえ、女子史上初、伊藤みどりも成し遂げなかった3A×2を成し遂げた業績の割には点が伸びなかったのは事実である。表現力もいいというなら、一般視聴者にとっては更にわけがわからなくなることだろう。一体何がダメなのか?そこは2年くらい前から変わってきた今のフィギュア界の不可解なルールが関係しているのだが話すと長くなるので割愛する(キムヨナもジュニア時代からほとんどやっていることは変わりがないのに急に浅田に勝てるほどに点が伸びだしたのもルール改正と同時だ)。
あと日本のマスコミはやたらにGPSを重視し、まるで世界選手権と同格のように扱っているが、フィギュアスケート界では大会の格としては世界選手権>>>>GPSである。というかここまでGPSを盛り上げているのは日本と韓国くらいだ。別に盛り上げてくれるのはいいが、フィギュア選手の毎年の最終目標は常に世界選手権であり、GPSはその前座的役割、今季のプログラムの経験値を上げるような場である。今回など、浅田選手は相当に高難度なプログラムを入れているため、これはもう世界選手権で完成してくれれば御の字、といったところだった。正直フランスでの演技を見て、GPSはヤバいかなと思っていた(のだが、あの回復……驚異的だ)。あまり、全ての試合に勝つように煽るのもどうかと思う。国内大会で力を使い果たして世界大会でバテるのでは意味がないのと同じだ。
まあ、とはいえもうマスコミには必要以上に浅田をアイドル化してほしくない、安藤の二の舞にさせたくないという気持ちもあるのでそう着目されても困るのだが。浅田・中野の3Aや安藤の4Sは、本っ当に難しい技で、今のルール上はチャレンジしてもたいしたうまみはないばかりか、リスクばかりが伴う。大技煽りもマスコミにはやめてもらいたい。高橋の4回転2度や、小塚の4回転も同様である。特に安藤の4Sはもう煽らないで欲しい。今回まさかチャレンジしてくるとは思わなかったが、4Sとプロトコルに出て、DGだったものの着氷したのには驚いた。あれだけでもかなり凄いことなのだが、どうしてこういう時に限って取り上げないのだかな。まあ、これを期にもう安藤の4Sには注目しないのであれば、それはそれでいいのだが。安藤は4Sに固執せずとももともとレベルが高いのだから、点数的にも怪我的にもリスキーなだけでうまみのないあの技はもうやらないほうがいい。
完全に横なんだが、草食系男子というのはとりあえずおいといて
●彼女に細やかな気遣いができる。
●彼女だけを一途に愛することができる。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
●彼女の起承転結がない面白くない話を、うなずきながら聞くことができる。
●彼女がセクロスを拒んでも、「この子は昔セクロスで嫌な思いをしたことがあるのかもしれないな。何も言わずに優しく抱きしめてあげよう。」と、勃起したチンコを挿入できずとも我慢することができる。
女が求める…?像…?ときたまもてるためにはこういうことをしろといってる男性がいたりしますが、いつも疑問。なんか絶対裏がありそうだよなーと個人的には思ってしまう。
うーん…別になぁ。お互いに不快にならないためのもしくはどちらかが一方的に苦しんだりしないような当たり前の気遣いというのはあってしかるべきとは思いますが、細やかな?
逆に「これされたらうれしいんだろ」「こういう細かいところに目が届く俺ってかっこいい」という意識が透けて見えると興ざめというか不快。気遣いって結局のところお互いに今二人が共有している空気というのの居心地よさを最大化するためにすることだから、こうだからこうなるなんてことはないし、そこに細やかとか細やかじゃないとかあるのかな。どっちかだけが気遣いしてて最大化されるのかな。しないよなぁ。
一途が何かは知らんが当たり前のことじゃないのかなぁ。いちいちあげることか。浮気は言語道断。
なぜ髪型限定なのかよくわからないけど、きづかなきゃーほめなきゃー!という態度は嫌だろう…というかいちいち髪切ったくらいであれこれいわれたいのかなぁ。失敗したときとかどうするんだ。やべー失敗したー絶対やべーと思ってるのに心にもない「それいいね!似合うよ!」
撲殺ですね。
え?ひたすらしゃべりたいの?そんなにしゃべりたいの?なんで?会話じゃなくね?演説がしたいの?そういうことなの?
これいつもなぞなんだけど、会話って適当な種放り込んでそこからありもしない芽をはやしたりとんでもない方向へ枝を伸ばしたり、突然切ってみてそこから何が生えてくるかその場の空気と流れに合わせて一意には定まらない不定形のものを共有するのが楽しいんじゃないのかなぁ。だからお互いがしゃべるし話題にこだわることもないし、どんどん話が変わって言っても突然戻っても結論があってもなくても起承転結があってもなくても楽しければそれでいいんじゃないのか。雑談ってそういうものじゃないのか。男女限らずだけど一方的にしゃべりたい欲がある人って不思議だなぁと思う。
これは当たり前。草食系とかなんとかじゃなくても労われと。軽い人ならほっとけと。苛々とかなくても毎回でなくても腹痛・貧血・低血圧・頭痛あたりはあるものだから、無理は出来ないししたくないし、トイレ行けないとかだいぶきついしな。いきたいときにトイレに行けること、冷えないこと、疲れないこと、すぐ座ったり休んだりできること、水分の摂取がいつでもできること程度の労わりでいいんだけど、わかってない人は多いよなー。大丈夫?ってきくことが労りじゃないですからね。
いやーいちいち昔嫌な思いをうんぬんかんぬんとか想像されたらやだわw単に気分が乗らないとか微妙に腹が痛くて裸になると波が来るかもとか、無駄毛の処理をしてきてないとか、下着が微妙だったやばいとかそういう理由かもしらんのでね。まぁそこらへんは臨機応変に対応したいものです。嫌って言ってるけど本当は…ということがあったりなかったりするから始末悪いよなーどうにかならないものかね。本当に嫌なときに迫られたら殺意沸くだろうけれど。まぁこの辺は難しいところですな。よくわからん。
[会話のショートカット ]http://anond.hatelabo.jp/20080909202108
上記のエントリーを読んでて思い出したんだけど、いまだに教育実習生は実習先で教師になるという嘘をつかされているのだろうか?
私が実習に行ったのが4年ほど前なのでそんな急激に変わっちゃいないだろうけどさ。
大体にしてなぜか実習生は実習先の学校から迷惑な存在と思われてるらしい。
忙しい仕事の合間に面倒みて、授業させて、そのフォローして、授業時間削って・・・そりゃ先生も大変だろう。
しかし「忙しいところをわざわざお前たちのために時間割いてやってんだからできるだけ迷惑かけるな」「これだけやってやるんだから教師にならないなんて言語道断」って空気を感じるのはいかがなものか。
これは実習先の学校からだけでなく、大学側の担当者たちからも一様に感じたし、実際言われたこともある。
だけどさあ、嘘ついてでも教師になるって言わなくちゃならんておかしくないか?
もっと広く見た方がいい。大学卒業して企業に就職して、やっぱり教師になりたいって人もいていいんじゃないか?
今すぐでなくても、「教師になる可能性」の芽を育てよう、というスタンスで受け入れてくれよ、と思う。
太っているけれども、健康な人。痩せているけれども、不健康な人。
太っていて、痩せようと頑張る人。痩せているけれども、まだ太ってると思いこんでいる人。
日本には色々な女性が居ます。一緒に働いているアメリカ人とインド人はよく「日本の女性は不健康な位痩せてるね。痩せてて胸もないと可哀想になるね」と、言います。そんな人達の間にいる私はぽっちゃりなので外人には好評ですが、日本人には受けが悪いです。「生まれる国を間違えたね」と、アメリカンに励まされたりもします。
身長が165cmあるのにハイヒールを履いたりするので、満員電車で良く前に立った女性の頭を胸で押してしまう事もあります。その度に不快な顔でにらまれます。巨乳でも体重が40キロ代だったら「素敵」と、なりますが、50キロ代以上だったら「デブ」「醜い」と、なります。この国では、偽乳はありでも巨乳はなしです。
細くても足がちょっと太かったりするとデブと認定されます。服のサイズが上下ともSサイズでなければ駄目です。上下バラバラのサイズなんて言語道断です。それが美しいのです。
会社の女子あこがれの的になっている先輩は、ジムに通って割れる腹筋を手に入れた女性です。体脂肪率も有り得ない位な数字をはじき出しています。でも、その腹筋を見る度にボディビルダーを想像してしまう自分は、負け組です。
先日もテレビでお笑い芸人の人が「太っちゃったから、ダイエットしたの」と、話していました。その番組は毎週欠かさず見ているのですが、その女性が何時太ったか分かりませんでした。何時も彼女は棒のように細い手足と、ぺたんこの胴体をしていて、まるで人形。彼女は過酷なダイエットに成功して痩せたそうですが、太ってしまった体重が45キロで今は43キロで「普通に戻った」そうです。その話を聞いていたパーソナリティーの人も、痩せすぎとも言わずよかったねぇと、男性なのに言っていて、いつの間にかこの体重が普通になってしまったようです。まさに知らぬ間に。
でも、健康的で見た目もいい体重って何キロなんでしょうか。痩せようと悩んでいたら、会社のイタリアンが「最近イタリアでも、お母さん見たくなりたくないって女の子、みんなダイエットして、死んじゃう子もいっぱいだよ」と、過激なダイエットは止めろと言いましたが、やはりこの国で暮らして行くには痩せなければなりません。
服はSサイズ、またはMサイズの小さいの。Lなんか有り得ないという風潮の今。何処が太ももか分からない細い足に細い腕。骨の浮き出た胴体に小さなお尻で、小顔。胸はあればいいけれども、無くても美しい。それが今の日本。小学生もダイエットしていると、主婦になった友人にこの間言われました。なんでも小学生向け雑誌にダイエット特集が普通に載ってて、みんなそれを読んで痩せなきゃ!と、必死になるそうです。
「友達の誰かが2キロ落ちたって言うと、他の子は3キロ、4キロって痩せてって……クラスで太ってる子、ひとりしかいないわよ」時代は変わったようです。私が子供の頃は、肥満が健康児だったので、クラスの肥満児はちやほやされていましたが、今は違うんですね。
さて。簡単確実に細くなる方法ってないのかしら。ピザが日本から居なくなる日まで……ガリガリだらけになる日まで……がんばるっきゃないな。
あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。
あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。
たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。
そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。
一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学や宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者の主観以上の意味がない。
じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。
露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。
似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在もタブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。
で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。
つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーとバレンボイムの件などは、もはや当事者の主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁・将棋であろうと)にも似たようなことが言える。
ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望や三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエやFFや囲碁・将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。
そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。
俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。
何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感は倫理的判断の根拠にはならないぞ。
ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。
俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼと絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。
俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。
腹減ったのよりは切実じゃないけど、なんとなくイライラするというか、はき出したくなる。
自慰はあくまで一人でしてるだけ。
痴漢程度は同情できないこともないけど、レイプとかは言語道断。
いや、したくないかといわれれば、レイプ願望はないとはいわないけど、
しちゃダメでしょ。そのくらいのけじめは誰だってあります。
性欲は性欲。
できません。
スポーツひたすらしてれば性欲なくなる・・・なんて、スポーツ選手は性欲なくなりそうじゃんw
性欲を解消する道具としてしか女性を見ないってことはない。
個人的には性欲を抱くのも愛情の一種。相手を気持ちよくさせたいと思うから。
まあ僕はむっつりスケベなんで、みなさん見抜かれてると思いますよ。
てか、男女問わず、わかる奴にはわかるんじゃないでしょうか。
人によりけりだろうけど、彼女と面識ある奴には、彼女にしたこと話さない。
それは彼女に失礼だと思う。
まあ、「俺の彼女、バックからすると痛いとかいうんだけど」(てきとうな例えです)とか、
相談ならアリだけど。
大変品のない話だけど、そういうのが楽しくて、風俗には友人と行く。
個人的にはあれは二日にいっぺんでもキツいです。
毎日したい。
たんに欲求不満なだけですけど。
愛と性欲は別でしょう。
別に性欲に限らなくても、相手が求めてることをしてあげない、っていうのは、
相手にとっては愛情がないと思われても、場合によっては仕方がないのでは。
まあ、二週間にいっぺんでいいっていう彼氏を見つけるか、
自分が相手にあわせる、もしくは相手の希望との中間点をみつけるかのいずれかかと。
なんでアトピーじゃないって診断されたのか謎だなあ。
大人だからアトピーじゃないって理由は、20年くらい前の話で
アトピーに詳しくない皮膚科だと、間違った診断されてる可能性が大きい。
色素沈着はきれいに治したい。もとに戻るのだろうか...
まずは乾燥とかを直さないとだめだよ。
その後は美白化粧品なんかを地道に使っていけば、軽減されると思う。
でも、なんで色素沈着しちゃったのかっていうのは、体質+それだけひどい症状がでてるからってことを理解すべき。
そこまで粉は吹いてないんだよね。
見るからに粉ふいてなくても、部屋には落ちてると思うよ。
単に乾燥肌でも、乾燥してるところをこすって、乾燥した皮膚がこぼれ落ちてる。
生活習慣とかも徹底的に見直して、根本から治したいと思ってるよ。
生活習慣なんかを直しても、一度健康な皮膚にしないことにはどうしようもない。
まずは一度健康な皮膚に直して、そのあと生活習慣や食生活、睡眠時間なんかを見直すべき。
ステが危険つーのも10年前の考えだし、
そんだけ心配なら最初はステ使って後からプロトピック軟膏に変えれば問題ない。
(最初はステ使った方がいい、ステは3か月とか長期塗らなきゃ副作用でない)
あほかー!!!! 今すぐ部屋キレイにしろよ。
死ぬの分かって毒食ってるようなもんだろうが。
あと普段石けんで顔洗ったりしてないだろうな。
目の周りはぬるま湯で優しく洗って、どうしても使いたいなら女性用の化粧石けんで弱酸性のにしておけ。ボディソープとか洗顔料は言語道断。
つーか失明の危機あるんだから、さっさと医者行ってくれ。
心配で仕方ない。
この人バカなんだろうか。
「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か - 過ぎ去ろうとしない過去
そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」
筆者がトリアージを理解してないせいで文中の人もトリアージを理解できてない。その誤った認識を前提にしているので結論も誤っているのは然りだが、その過程においても誤っている。
戦争がお好きなようなのでそのたとえでいえば、負けが確定しているにも関わらず、負けたら天皇が(あるいは国民、あるいは戦死者が)かわいそうだからという理由でだらだらと戦争を続けるようなものです。負けが決まった段階で降伏していれば戦死者はそこでゼロになりますし、手持ちの資源を復興や福祉にまわせたのに、なんとかしようと悪あがきした結果が神風特攻隊です。
快復の見込みがまったくない(例えば両手足が損壊し腹部を柱が貫通し出血を止めようがない、といったような)患者に投薬を続け医師をアサインしたところで、得られるものはその患者の満足だけですが、失うものは救える可能性があった患者の命です。
平時の大病院であれば見捨てるなど言語道断だとする意見にも一理ありますが、大災害時に平時の大病院と同等の対応をするべきだと主張するのは、気合を用いて竹槍でB29を落とせという指示と大差ありません。
では大災害時などの非常時にどうすればいいか、という考えのうちのひとつがトリアージです。全員を救うのは無理だ、なら可能な限り多くの人を救えるように手配すべきだ、という考えです。そのトリアージを「かわいそうだから」という理由で無責任に批判するのは、戦争に協力的でない人を「非国民」と罵るのとどう違いますかね。
あるいは、トリアージがダメなら他にどうすべきですかね。「かわいそう」と言って足を引っ張るだけならどんなバカにでもできます。
このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。
たとえば暗号学も戦争の必要によって爆発的に発展しましたが、今ではインターネットの基盤技術になっています。Amazonで買い物するたびにエニグマやそれ以前にまで思いを馳せるのは個人の自由ですが、現実にそんなことをするのは軍事オタクか暗号オタクが趣味的にやるくらいでしょう。
それを全体主義的に要請されても困ります。大多数のテクノロジーは再帰的にルーツをたどれますから、目覚まし時計で起こされたら、蛇口をひねって水を出したら、靴を履いたら、ドアを開けそれが自動的に閉まったら、施錠したら、その都度原始時代まで意識を飛ばすことになります。朝っぱらからウホウホするのはモンハンの中だけにしてください。
そういえばインターネット自体が軍事研究の成果物ですが、そんな血塗られた技術を使って四方山話をする気分はどうですか?
「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。
単なる感傷に過ぎません。また、感情で動く人や集団とは話はできません。
「かわいそうだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」「だから助けるのが無理だっつってんだろ」「でも助けろ」「……それによって救える患者が救えなくなるがいいのか」「ダメだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」
一点だけ、「助けるのが無理」という判断が間違っているかもしれないというリスクについて触れておきますと、何せ非常時ですから大地震が起きた現場でCTを撮るなどの悠長な検査はしていられません。必然的に誤診の確率は平時よりも高くなります。それによって、助かる可能性のある人が、助かる見込みがないと判断されて治療が受けられないことも起こり得ます。
しかしこの問題も戦略的にしか判断できません。八方丸く収めるのは無理です。(近視的に見て)より人道的な考えは、誤診の確率を減らすことです。すなわち、検診により時間を掛けることです。それによって、検診待ちのあいだに間に合わなくなる人が出てくるので助かる人数は減りますが、「かわいそう」といちゃもんつけられるリスクも低減します。これを押し進めて、トリアージをやめて全員に平等に治療を施せば、助かる人数は1桁2桁下がりますが、「かわいそう」と言われるリスクも最低にできます。
周りを見ると、どう見ても軽症の人は包帯だけ手渡されて、自分で頭に巻いています。どう見ても助からなさそうな人の周りで知人とおぼしき人が泣いていますが、そこに医師の姿は見当たりません。医師はいかにも仮設といった手術室で、両足を複雑骨折した人の執刀にあたっています。他の医師は注射器を渡して使用法を説明していましたが、それが終わると駆け足で他の負傷者のところへ行ってしまいました。
さて、この見捨てられた人が自分の友人や配偶者であった場合、誰でも抗議するかと思います。いかにトリアージを支持し、その効果を認めていたとしてもです。自分が医師であったなら、仕事をほっぽり出して友人なり配偶者なりの治療にあたるかもしれません。あるいは自分が重傷者なら、せめてちゃんと診断してくれ、痛み止めをくれ、などと思うかもしれません(意識があれば)。
これらはすべて、限られた薬、限られた医師を自分によこせという感情的な主張です。これがまかり通るような医療現場は果たしてあるべき姿、正しい姿でしょうか。いかに訴えられても、それによって助かる人が助からなくなるのであれば、現場の指揮者や担当者は訴えを退けるしかありません。実際の被害者が言うならまだしも、門外漢が「かわいそうだ」と現場の人間を責めるのは、いったいどういう了見なのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。
だからそれがおかしいという話をずっとしているのだよ。
まあ、チョコは気持ちなんだから、お返しをした方が相手も喜ぶとは思うけどね。
それは主義主張の問題だから、強制するのはおかしいだろうという話。
2倍3倍とか要求するのは言語道断。
http://www.asahi.com/business/update/0423/OSK200804230044.html
この記事って朝日新聞が初出なのね。
日本電産の永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。
ん?
「休みたいならやめればいい」なんていってなくね?
まあ、ハードワークをプッシュしているのはよくわかるけど、タイトルのようなことを言った訳じゃない。朝日新聞の記者が勝手に作っただけ。まさにアサヒった、ねつ造した。
もし言っているというならこの記者会見の全文のソースを提示してほしい。言っていたら信用する。
これに対して2ちゃんねるでは「また朝日か」というおなじみの書き込みであふれると思ったら、
「休みたいなら辞めろ」発言は言語道断! 日本労働組合総連合会の会長、日本電産社長を批判
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51181739.html
「朝日新聞が書いた『休みたいなら辞めろ』発言などしてない!」・・日本電産社長が反論
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51182360.html
を読んでもらえれば分かる通り、朝日新聞を全面支持。
誰も発言の信頼性に疑問を抱かず、批判しまくり。
中国や左寄りの発言でねつ造したときには「また朝日か」というくせにwwwwww
つまりは、別に2ちゃんねるの一部のユーザー(このくくりが正しい訳じゃないのは分かるけど)は「ねつ造が悪い」とかいう正義感にかられて「アサヒる」という造語を生み出した訳じゃなくて、自分が信じる主義主張に即しているか即していないかだけでしか判断してないってことになる。即していればねつ造しようが何しようがおk、グッジョブということになる。
そしてこのニュース。
http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html
「書き方は悪かったと反省しておりますが、私は幼児を0.5と数えたわけではありません」
とも釈明した。「証拠」としてブログの「コピー」を示したが、その部分が書き換えられていたため、「反省してない」としてネットユーザーのあいだで騒動がさらに拡大した。
つーか、ソースすらねつ造してバッシングの対象にしているしwwwww
ちゃねらーって自分が正義だと思っていれば何したってありだと思っているんですかね。
こういう事件が起こるたびにジョージ・オーウェルの「動物農場」という小説で(読んでいることを前提に話を進めるから知らない人は500円払って買って)、人間を農場から追い出したブタの指導者を支持して「四本脚はよい、二本脚は悪い」と言っていた羊たちが、ブタが独裁者となり、ついには人間のように二本足で歩き出すようになると「四本脚はよい、二本脚はもっとよい」と転向したことを思い出すんですよ。2ちゃんねらーもこの弱い羊と何ら変わらない、強いものの提灯を持っているだけにすぎなかったりするってことがわかる。マジで2ちゃんねらーは「動物農場」読んだ方がいいよ。
上記二つの事件に何かしらの問題性があることは認めるけど、事実をねじ曲げてまでバッシングすることは別問題。それを言っていたことを忘れてバッシングする側に回ろうとするなら、賢い為政者がその気になればどんな社会だって作れそうだよね。ナチズムも太平洋戦争も国民の圧倒的な支持によって成り立っていたものだし。なかなか賢い国民って生まれてこないんだな。
メーデーって、一般にはお休みの日なんですね。気がつかずに仕事してました。永守さん、おもしろいこというなぁと感心しちゃったわけだが、休みたきゃ、休暇をとればいいだけのこと。長期休暇だったら、精神科の医者に長期休暇の診断書を書いて貰えばいい。だいたい、6割くらいの給料はもらえるから残業で40−50万もらっていた場合、24万−30万は傷病手当でお金がもらえる。それを使えば、普段の生活程度はまかなえるし、ちょこっと蓄えがあったら旅行もできるし、ええんでないの。森永卓郎もこういって云る、「辞めるなきけん」。会社はおいしいところをしゃぶりくつしましょう。
「休みたいなら辞めろ」発言は言語道断! 連合会長、日本電産社長を批判
連合(日本労働組合総連合会)の高木剛会長は2008年4月26日、東京都内で開かれたメーデー中央大会で、「休みたいなら辞めればよい」と発言したとされる日本電産の永守重信社長を強く批判した。高木会長は「言語道断。労働基準法が雇用主に何を求めていると思っているのか」と、同社長の姿勢を非難。大会に出席していた舛添要一厚労相は「きちんと調査する」と応じた。