はてなキーワード: 狭き門とは
3年前まで六本木のとあるクラブ(昔でいえばディスコね。キャバクラの方のクラブじゃないよ)で働いていた。
最初は営業後の掃除、そのうち酒作るようになって、最終的にはエントランスにて客の入場管理やった。
顔パス野郎の顔覚えるのマジ大変だったw
常時50人ぐらいの顔パス有名人がいるんだが全員の顔と名前と職業を覚えさせられた。
それから出入り禁止の客を弾くのも大変だった。
まあとにかく神経と脳みそをすり減らす大変な仕事だったがそのぶん金はいい。
大学生なのに時給2500円確保、月30万稼いでた。
兄弟3人いて俺が長男で家は貧乏だったのに20で大学入って、しかも国立落ちちゃったから申し訳なくて学費は全部自分で捻出してオカンの負担をできるだけ減らすために高額バイトやらなくちゃいけなかったんだけど、まあそんな俺の身の上話はどうでもいいや。
俺の先輩で時給7000円の人がいた。
そんだけ。
すげー楽。
店に頼み込んで俺もVIPウェイターやらせてもらいたかったけど、色々と実情を聞いてから、俺にはとても勤まらんと思って諦めた。後述するが学歴も足りなかったw
まず、クラブっていうのはドラッグ・SEX当たり前の人間の欲望丸出しの社交場なんだが、VIPは個室なのでさらにひどい。営業中のVIPルームは見たことないんだけどね。新人の頃に営業後のルーム掃除やってて、まあひどい。ヨーグルト入ったゴム、スマイルシートw、手錠ww、サプリメントらしき何かwww、あーいくら草生やしても足りないぐらい今思い起こすとひどい。あ、草もそういえば落ちてたw
グループ店のスタッフ飲み会で知り合った新宿の人は指が落ちてたことあったらしい。
本当かよwさすがに信じなかったが。
話それたから表題に戻す。
VIPルームに営業中に出入りできるのは、店でたったの2人しかいない。
オーナーと、専属ウェイター。雇われ店長です入れない。異常だよね。
何でそこまで厳しくするかっていうと、VIPルームは芸能人・政治家・スポーツ選手やらが中でお戯れてるから。ヨーグルトぶちまけたり涎たらしてキメてたり。そういう痴態を一般の従業員が見ちゃうと、すぐ話が外に漏れるので、なるべく人を入れないようにしてる。
で、VIP専属ウェイターになるには誓約書を書かされる。中で見たこと聞いたことはオーナー以外には一切他言無用。もし破ったら大変なことになりますよ、みたいな。で、親兄弟の居場所と彼女いる男はそいつの居場所まで店に預けないといけない。そこまでやる。さらに保険書かパスポートのどっちかを預けさせられる。怖えw
さらに、高学歴の大学生しか雇われない。東京だったらなんと東大・一ツ橋・有名医大オンリーw早慶ですらお呼びでない。なんでかっていうと東大ぐらいの学生ならくだらないことをマスコミやら余所に流して小銭で人生を棒に振ることがないからだと。マーチなおれ涙目wwww
でも下手すると命がナッシングー。ナッシングーwwwwそんな芸人さんいたよねそういえば。
この前捕まった何とかピー。よく来てた。でもVIPルームの中で何してるかは従業員誰も知らない。専属ウェイター以外はね。まあいろいろと卑猥で凄惨な現場だったことは容易に想像できる。もっと若い芸能人・有名人はうちのクラブよりもっとやばいところでヤバいことやってたんでしょう。六本木のMとか2chでもよく名前にあがってるけど、あれって全部推測だよね。VIP専属だったらもっと色んなこと知ってるはずだし、あんな所に書き込むメリットないし。
まあそういう職業の人もいるってこと。
そんだけ。
夢をあきらめないということ
http://anond.hatelabo.jp/20090615075411
を大変遅ればせながら読んだ。夢をあきらめない姿と嫌味ない文体で、ひねくれ者の俺でもすんなり読めたし、感動した。これだけブックマークされる理由がわかった気がした。
かくいう俺も、サッカーライターになりたくてスクールに通っている。彼のように俺もあきらめずにがんばれるだろうか。かなり狭き門へいどむことになるので、最近では毎日が不安で仕方がない。一度社会に出てすぐやめて、スクールに通うことになった。親にも迷惑をかけたし、その分プレッシャーもある。うつ病になりそうだったこんなときに、このエントリーに出会えたのは大きい。
こんなすごいやつがいるなんて、とおれは必死になってこれを書いた人をさがした。少しでも自分のこれからに役に立つ部分があるんじゃないかと思いながら。そしてある記事を見つけた。
footballnetが掲載されたメディア
http://footballnet.sakura.ne.jp/2005/07/footballnet-1/
ここにナンバーに載ったと書いてある。出ている号も彼がいっている時期に近い。とりあえずなんとかしてバックナンバーを手に入れて確認してみようと思う。記事は2002年からしかないのだが、ほかのエントリーで昔のやつが消えたとか書いてあったので、このブログ主なんだと期待しているんだが、どうだろうか。
ブクマコメにもあった、本人です的ブログはほぼ更新されていないが、リンクになぜかfootballnetとあるし、かなり濃厚だと思っている。ナンバーを手に入れて確認したら、彼とコンタクトして実際にあってみたいと思ってる。会ってくれるかな。。
「年収が600万ある30才以下」(正確には30-40代の女性に対するアンケートだから、30-40代だな)の女が超希少だと分かってるなら、そういう女性=未就学児を抱えて在宅で300万も稼げるような女性=超希少なんだから、そこに入らない=ほとんどの女たちが、妊娠出産子育て期に働けない(満足な収入が得られない)と言うのは当たり前なんじゃないの?
そういう立場になれるのがよっぽど恵まれてるだけなのに、なぜなれない方が「甘ったれてる」ことになるのか。
しかもそんだけ恵まれた立場になれるには(たかだか年収600万という、男にとってはそれほどハードル高くない状況なのに)女にとっては本人の自助努力だけじゃ大抵どうにもならなくてもともと育った家庭環境とか容姿とか能力とか生まれた年とかそれこそ付き合う男の度量とか夫の親の度量とかもろもろ揃わないといけないわけだが。(だから希少)
産休育休がまともにとれないような会社に勤めてる女性はなんで転職しないの?てそもそもまともにとれる職場が少なくて狭き門だから仕方なく今のところに甘んじてる女が多いってだけでさ。女に対する雇用環境はとても厳しい。女の平均年収が男の6割って別にパートの女とフルタイムの男を比べてるんじゃなくてフルタイム同士で比べてその割合なんだぜ。
この4月から5月に掛けて募集している学振に応募しましょう。
当たるともれなく職歴&給料&研究費がもらえます。しかも3年間!
採用率10から20%程度の狭き門だが、応募するメリットは大きいぞ。
分野にもよるけど、査読付き論文は年1、2本は書きましょう。国内の発表は年4回は行きましょう。
学会・企業・大学のイベントに積極的に参加し発言するなりして、コネクションを作りましょう。
飲みに誘われたら必ず付いて行きましょう。
3年間このような就職活動を続け、やっと常勤のポストの"書類選考"に残ることができます。
ポストが無いなら大学研究員、大学非常勤、研究所勤め、ポスドクなどになってしまいますが、
例えそうなったとしても、これも「運」だと思って諦めてください。
女はなにかあったら専業主婦になればいいからいいよな
とか言い出す人がいるけど
どんだけ物事を安易且つ短絡的に見てんのって感じだ。
そんな簡単なもんじゃないぜよ……
女の身にリアルになってみれば(変な幻想とかなくして)すぐわかるんだけどね不思議だね
大体からしてこの言葉には二つの裏前提があって、
1)専業主婦は楽
2)女なら誰でも思い立ったらすぐ専業主婦になれる
これが既におかしい。
全然楽じゃないよ…育児やりーの料理つくりーの掃除しーのていうか家の中のこと全部しーの
バカみたいに大変だよ
いまだにこんな事を思っていることに引くよ
そういう男はたいてい、ママ(笑)にご飯も作ってもらって家の手伝いもちっともせず育ってきたって奴が多い。そんなんでいっちょまえに語ろうってんだから片腹痛すぎる。ママに肩たたきの一つでもしてやってから口を開けよ。
あとすぐ専業主婦になれるとか何を根拠に言ってるのかちっとも分からん。それって女叩きするのに都合がいいからあんたらかってにそういう幻想見てるだけじゃん。で、なったとしても上でいったように非常に大変で、私個人の感覚でいえばむしろ仕事だけして家に金いれていればいいってほうが楽なくらい大変。専業主婦のほとんどはこれだよ。
「そんなことない、テレビとかでセレブマダムとやらが高い昼食食べたりしてる」とか「育児してない専業主婦だって」とか言い出すかもしれないけど、前者は単純に金持ちの家なだけでそんなもん稀中の稀で、勿論女なら誰でもなれるとかいう領域じゃなく選ばれたごく少数の女のみにしかなれないものだし、子供がいなくて且つ専業主婦なんてのも超まれすぎる。
そんなんな、女が男に「男はいいよね、いざとなったら野球でもやって生きていけばいいし」とか言うようなレベルだよ。プロ野球選手なんか東大より狭き門だろ!男が全員なれるわけじゃないだろ!ていうかほぼ皆なれないだろ!って言い返したくなるでしょ?それと同じだよ。
大体、専業主婦ってどうしてなるかって、ほとんどの場合、子供を育てるためにそうせざるを得ないからだよ。共働きだとなんだかんだ男は家事を女に押し付けてくるし育児なんて共働きでも当たり前のようにほとんど母親にやらせるじゃん。仕事もしーの家族分の家事もしーの育児もしーの、とかもうどんだけ。小児科の医師並にヤバい。そんなんだから仕事やめて専業せざるをえない。考えてみりゃ当たり前のことで、別に男が最初から半分やってりゃ、専業なんかなる必要ないんだもんよ。自分らでやってることじゃん。(っていうと俺はそういう男じゃないし、って突然男女話のときに個人例で逃げようとする奴がいるけど、最初に「女は」って個人色々な事情があるのをひとくくりにして男女話に持ち込んだのはそっちの方なのに、男に都合が悪くなるとそうやって「俺は違うし」って逃げる奴がいるってのはもうどういうわけなんだろう。それなら女側皆が「え?私は違うし」って言ったら終わりなんだけどね。でもそれを言えば「そうやって自分だけは違うと言い出す、女はこれだから」とか頭に何か湧いたようなことを言い出すし。こういう事を恥ずかしげもなく言ってのけるなんてプライドがあるのかないのか分からん…でもこれを言わせてるのはちっぽけなプライドを守るためなんだろうしなんかプライド守ろうとして崩れてる辺りが滑稽なんだが)
そういうところも考えずに好き勝手都合いいとこばっかみて、どんだけ甘えん坊なんだと。
こういう奴は結局女になったところでまたブチブチ言う。自分のせいじゃないっていいたいだけじゃん。カスみたいなプライド守って他者傷つけるって……、本当ろくな価値がない人間だよ。
コンセプトは、ニュースなんかで裁判の話が出たときに、そのことをきちんと理解して、
その内容を適切に評価する能力の涵養、です。
今回は前回の続き、上告からです。
さて、控訴してもダメだった場合、最高裁に上告する道が開けています。
誤った判決から当事者を救済するのが上告審というわけです。ビバ三審制度!
と言いたいところなんですが、上告審への道は非常に狭き門なのです。
ここ、超がつくほど大事です。あまりご存じないかと思われます。
要するに、基本的に最高裁は、法の解釈適用を誤った、とかしか判断しないのです。
事実認定は控訴審のものに尽きるので、そんな売買していない、とか
事件当日の夜俺はそこへは行ってない、なんていう主張は封じられることになります(例外はあります)。
なぜかというと、上告された事件全てに証拠調べ、とかやってられないからです。
なので、事実誤認の主張とかは基本的に全て門前払いです。
上告理由も、憲法違反の主張に限られるなど、厳しく制限されています。
もちろん、これではあんまりなので、重要な法律問題を含むものについては、
上告受理という制度を設けてこれを救済する手段を設けています。。
なので、最高裁で闘いたい、と言う場合には、違憲だという主張を無理やり構成するか、
この上告受理をしてもらうお願い(上告受理申立て)をするしかありません。
下手な鉄砲ではないですが、両方やることが多いみたいです。
なお、民事の上告の場合は、控訴までに払った印紙のうえに、さらに2倍の印紙代を上積みする必要があります!
もちろん、敗訴すれば訴訟費用は全部水の泡です。
こういう酷に見える条件も、アホくさい事件を回されるのをおそれるためです。仕方ない。
代理人にそそのかされて、記念受験的にする上告もあるそうですから。
こういったリスクを考えて、上告するかしないかは慎重に行う必要があります。
話を簡単にするために無視しましたが、高裁が上告審となる場合や、
第一審から上告審にいきなり飛ぶ跳躍上告(刑事)・飛越上告(民事)なんていう制度もあります。
これらの場合はいろいろと性質が異なりますが、レアなケースなので省略しました。
先に述べたとおり、上告審は法律審であって、しかも上告理由が厳しく制限されています。
したがって、その審理は民事刑事を問わず、上告理由について法律上問題がないかという点にのみ行われます。
審理といっても、基本的に口頭弁論(代理人や弁護人が立ち会ってやるやりとり)は開かれません。
裁判官たちが、専門の調査官の報告を元に、ああでもないこうでもないと判決を書きます。
よく、最高裁が口頭弁論を開いたから判決が変わる可能性が高いというのはこれです。
もちろん、変える場合に開くのが必要なだけで、開いたからといって必ず変わるとは限りません。
上告審の判決については、控訴審とほぼ同様と思っていただいていいです。
細かい手続の違いは面倒なので省略します。
ひとことで言えば、民事でも、明白に理由がない場合を決定で棄却出来ることとしていて、
上告自体をあっさりと門前払いしやすくなっています。
上告審での破棄差し戻しは、控訴審に差し戻すこともあれば、第一審にまで差し戻すこともあります。
前回述べたとおり、差戻判決には拘束力があるので、差し戻された下級審裁判所はこれに従って裁判しなければなりません。
さて、上告審でもダメだった場合や、第一審や控訴審で上訴を断念すると判決は確定します。
それでもマズい事態に対応するために再審制度というものがあります。
よく死刑判決を受けた人がやっていますが、これは三審制度の例外をなすものです。
なにも刑事だけに限らず、民事でも再審制度は完備されています。
上告よりもさらに厳しい条件の下に、当事者の申立てにより認められます。
判決に対しては、控訴上告となりますが、決定や命令については別のルートが用意されています。
それが抗告制度です。
判決の審級に対応して、決定が出された場合の異議申し立てが抗告、それに対する不服が再抗告、
さらなる最高裁への不服申し立てが特別抗告(上告に近い)・許可抗告(上告受理申立てに近い)となります。
細かい話が多いのでこれくらいにしておきます。
ところで、上記に上げた再審については、地裁段階で決定により判断されるので、抗告で争うことになります。
再審の事件を見てみると、おそらく特別抗告が却下された、なんていうニュースになっているかと思いますよ。
※追記
日教組と品プリの事件で、東京高裁が抗告を棄却していましたね。
あれは、民事保全法上の仮処分の決定に対する不服なので抗告となります。
民事保全法も余裕があれば解説したいのですが、簡単に言うと、
今回は、契約を解除するのを、仮に無効にしておいて当日ホテルを使わせてもらい、
その後改めて裁判で契約の解除の無効を争うというために行ったものです。
上告するのは狭き門なので、上告と上告申立てという手段が用意されている。
確定しても再審で戦える。
決定には抗告で上訴出来る。
以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員は国民が、代議員制度で選ぶ。
国民主権で国民の権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。
キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年
38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙の伝統を引く感じです)
約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚が生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。
合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚が生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。
1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。
企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。
官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。
(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。
(1)マスコミや野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、
(3)説得的に説明し、調整するのが官僚の仕事であり商品です。
【上級公務員試験と入省年次】
上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。
成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション。
言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。
(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)
なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。
(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)
(2)国債の発行権を持つ。(主計局)
(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)
(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)
(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁)
以上5つで、国家のマネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。
他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。
信じられない位の、権限の集中です。
大蔵省の官僚は国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律の身分制度がある。
公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。
ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。
【予算委員会という場の機能】
最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。
質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣、首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民とマスコミへに対するガス抜きの場になっている。
▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配
ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。
次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。
次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行を退職した。
これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省の銀行支配には、恐怖権力が根にあった。
省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。
私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。
(ソースは明かせません)
▼銀行の3分類
銀行の頭取と頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在は金融庁)
大蔵権限の根は、銀行が破綻した時、国家が国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。
民間銀行が天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。
銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。
大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省が銀行の不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。
1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省は不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。
▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば
【ペイオフの裏】
2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。
【95年の大和銀行NY支店事件】
大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行が勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。
大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。
【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】
2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論とマスコミをバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。
信用金庫や地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。
米国の銀行でも、事実上のペイオフは金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。
【不良債権問題の早期解決】
小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行の自己資本と利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。
金融のシステミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。
政府資金注入は、金融庁、大蔵省、日銀の権益、天下り先の拡大です。国民の金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。
こうして、時代、時代の世論、マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。
以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。
誰も、言わないからです。
世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。
ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。
キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。
「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。
(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)
(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)
(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)
(3)地方分権
(5)郵政三事業の、公社化から民営化
(6)年金への401K導入
これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論・マスコミ・ガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。
現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。
(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略的技術者であると認識したほうがいい感じですね。
今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。
2000年12月、森内閣の閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。
民営化された特殊法人、公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員が官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人、公益法人の民営化をおこなうために、官僚との綱引きで政治的取引をした結果と言われていますね。
加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル化予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算を無駄だと言う人は、まだいない。
官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。
オタク中年化問題(汎適所属)
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/chunen_ota.htm
増田で影から書くようでホント申し訳ないが、この"オタク中年化現象"、問題でもなんでもないんでは?と思っている。この状況って、"オタク趣味"なるものが一般的に言われている"趣味"と同じレベルにまであがってきた、という望ましい事態なんでは?と思っている。
まず、一般的な趣味は一生続けられるもんだ。僕の祖父の趣味は盆栽。盆栽とはまたベタなおじいちゃんのための趣味である。しかし、ポイントは、祖父が盆栽をはじめたのは彼が10代??20代のころからである。当時は、とても盆栽が流行っていて、みんなで情報交換して楽しんでいたんだそうだ。その趣味を、ずーっと何十年も続けてきた(だんだん盆栽そのもののブームがすたれていって、下の世代が盆栽に興味がなくなっていっても)結果、盆栽が"おじいちゃんの趣味"と言われるようになったと。
このことから、"オタク趣味"も、若いころからはじめて、一生続くものである、というのはある意味当然の帰結、と言えなくもない。
次、
について。こんな人、他の趣味でも、たくさんいまっせ(まあいるとは書いてあるけど・・・)。僕の草野球でよく対戦する相手チーム(平均年齢20代中盤ぐらい)に、一人40超えたおっさんがいる。そのおっさんは甲子園にも出てて、プロに引っかかりそう、というところで引っかからず、社会人を数年続けて今ではその会社のリーマンという。彼とのみに行くと、ほとんど"たら""れば"の話ばっかりになる。あの時あのプレイができていれば、もう2cm背が高ければ、同世代にあのスター選手がいなければ、、、(自分はプロでやっていた)
というやつである。
スポーツなんて、肉体の才能がなけりゃそれで稼ぐことなんてできない。だから稼げないという時点ですぱっとあきらめりゃいいのに、まだこの有様である。そもそも、その道で稼ぐ、というのは狭き門である。"趣味"(厳しいがそのおっさんにとって野球は趣味である)にかまけて稼げるかもしれない(しれなかった)ことを悶々と考えてる暇があれば、自分で稼げるものを見出したほうが楽しいのに、とか僕は思うけどね。その意味で"バットを捨てろ!現実を見ろ!"である。
ちょっと話がずれた、要は、"オタク趣味"でモラトリアム、他にアイデンティティの対象を持たない人なんて、山ほどいていいはずだし、別にそれって他の趣味と一切変わらない、と思うんだけど。趣味で飯食うのは、何だって難しいさ。
あとね、それ以上に
いつまでもモラトリアムを続けているわけにはいかないのである。少なくとも、モラトリアムを続けることはだんだんに難しくなっていく
そうですね。そう思って、うまく現実と折り合いをつけている人だって、たくさんいますよ。僕は1980年生まれでここで言う"中年オタク"で最も若い部類だけど、ちゃーんと自分で手に職つけて、人並み以上に給料もらって、残業して深夜に帰ってからニコニコ動画を見てますよ。そしてまた会社に向かう。今日なんて、会社の同僚と、連休中にやったいろんな趣味の話をしたよ。ラグビーをやってるやつは試合に出てたし、サーフィンやってた奴は海に行きっぱなしだし、バンドやってた奴はライブイベントがあったし、僕はニコニコ動画と読破したマンガの話をしましたよ。ええ、それでいいじゃないですか。そんなもんですよオタク趣味なんて。
僕は思春期が終わったことなんてとっくに自覚してますよ。でもね、やっぱり子供のときに衝撃を受けたからきっと今度のエヴァの映画版は間違いなく見に行っちゃうわけですよ。それで何が悪いっていうんだ。三つ子の魂百まで。それがたまたまオタクだっただけ。
昔のオタクは、"オタク趣味"というものが、他の趣味よりもレベルが低いとみなされる環境下で、自分の趣味をひたかくしにせざるを得なかった結果、趣味を"趣味"として成り立たせることができず、廃棄してしまったんだろうと思う。その意味では、古いオタクの人のほうが、かわいそうだと思えなくもない。
まあいいや、なんかよく分からなくなったけど僕の言いたいことはタダひとつ。
オタク中年化は、オタクの地位が一歩上がって"他の趣味"と同レベルになるという記念すべきすばらしき事象だということだ!!!!
http://anond.hatelabo.jp/20070421195217
今のご時世、理論系でまっとうなポストに就くのは、たとえばフジテレビに入るより難しいよ。
興味が出てきたからやってみるってレベルじゃない。
で、ドクターに行って現実を知ってから就職しようとしても、既に人生オワタ\(^o^)/状態。
修士でも厳しいのに、博士でまともな企業に就職できるなんて思うな。
理論系の悲惨さは、実際に関係を持っている人にとっては常識だけど、外から見るとピンと来ないのかな。
「東大だとどこでもフリーパスでしょ。駄目でも推薦受ければいいんでしょ」とか言われるし…。
実験しない理論系なんてメーカーはどこも採ってくれないのにね。マッチングで落とされる。
数物系だとアクチュアリーやクオンツ目指す人も多いけど、みんながみんな受けるのに採用は極少数だから過当競争で狭き門。
mixiで同じ研究科のM2の友人が興味深い日記を書いてたから一部転載するよ。
就職担当教授との面談の予定が入っていたので行った。素晴らしかった。うちの大学の就職支援って素晴らしいよ。
ひたすら、僕が就活の現状を教授に報告して終わり。で、いくつか質問しても、「自分は何も判らんから」みたいな回答で終了。
終始、うまいこと行ったらいいねみたいに祈られるだけで終わった。
そういや研究科のガイダンスで「今年から研究科としての推薦はなくなりました。推薦については、担当教官に聞いてください」 と言われたな。
関係ないけど、(前述の友人とは別の)友人が文科省に内定したので、「オーバードクターやポスドクの現状どうにかしてよ」と言ってみたが、
彼は天下りにしか興味がないようだった。
自分も同類なんで他人のことは言えないか。
競争は、質の良い物を生み出すためには確かに必要だけど、既存の物に有利で、新しい物には不利。新しい物を認めさせるには膨大なエネルギーが必要なのである。
新しい物をより効率よく生み出すために、いったん競争というものを忘れなければならない。
ブレストと似てるかもしれない。
しかし徹頭徹尾、受け入れを無視するわけでなく、最終的に食べやすくデフォルメ・アレンジをしたものを、つまり入門を用意するのがコツである。
世の市民権を獲得してるか否かは単純に、入門があるか無しかの差である。
メジャーな物ほど、いくつかの入門が用意されているものだ。
狭き門は、ノイズや歪曲者、破壊者などを呼び入れないためには確かに必要であるが、今の情報ネットワーク化時勢では門を開け放すことを選ぶ覚悟がいる。
ただここで重要なのは門を開け放すタイミングであって、それを誤ると、用意した構造物を揺さぶられ、破壊され、無価値な物へと変質させられてしまう。
だから今、最も求められる(俺が重視する)力は、門を開け放したときに入ってくるノイズをいかにして制御するかということである。これは詰まるところリーダーシップを発揮することや、マネジメント力である。
この世界の人材は玉も瓦も一緒くたになっている。ものすごく能力が高い人間もいれば、本当に使いようがない人間もいるわけで、狭き門はこれらをふるいにかけるフィルターの役割をする。
ただ、このフィルターは完全ではなく、有能な人間も多くはじいてしまうし、無能な人間も多く引き入れてしまう。
全くフィルターしないよりかは随分マシという程度、ファイアウォールを有効にしたら少しはウィルスの被害に遭わなくなるだろうといった程度の物である。
かつての時代は、隠れた才能は完全に切り捨て、志願してきたある程度の質を持つ人間だけで聖域(コミュニティ)を作り、そこで自分らの技術・学術を発達・洗練させていけば良かった。そしてそれは必然的に専門性を生成する構造であり、専門外のことについては深く対応できないし、求められることもなかった。だが、時代は変わりつつある。
今現在、人々にはマルチの(複数の)分野での活躍が求められてつつある。それと同時に、今までフィルターされて弾かれてきた隠れた才能に着目・それを発掘することも行われるようになった。どっちが先でどっちが後か分からないが、この2つの兆候は密接に関係しているように思う。
インターネットが専門外の有能な人間を多の分野に引き込むようになってますますこの兆候は加速しているが、インターネットがここまで普及する以前から、この兆候の前兆となるものはあったように思う(というのも、俺が高校生だった90年代頃にすでに専門を問わず複数の分野で深く活動していた人がいたからである)。
情報の分野では、インターネットの普及により、専門外の有能な人間の参加が増えたことにより、ノイズも多く増えたがそれを補ってあまりある有益な情報も引き込まれるようになったのは今更言うまでもないだろう。
全ての分野は情報を持つ。そして情報は価値を持つ。いわば情報は一つの通貨である。そして多くの人がそれらを扱う環境が整えられたため、多くの人により扱いやすくなるように情報はフォーマットされることとなった。こうしてフォーマットされ扱いやすくなった情報は、より多くの人々に普及し、価値が高められていくようになる(ただし、ここで言う価値は有用性であり、希少性ではない。このことは後述する)。
だから、逆に言えば、情報にある程度の魅力(価値)があり、それがフォーマットされていたらそれは流通するのである。
こうして、今まではコミュニティだけで流通していた通貨が、一気に世界へと広がったのである。だがこのことによる弊害もある。
それはコミュニティだけで共有されていた情報が誰でも簡単に入手できることによって、その情報の神聖性(希少性)がなくなることである。
情報の価値には2つのパラメータがあって、一つは有用性、もう一つはレアリティである。これはトレカに喩えると分かり易い。コモンカードだけどめちゃくちゃ使えるカードもあれば、レアカードだが全く役立たずなカードもある。
特に一部の人しか知り得ない情報はいわばプレミアカードと言うことができる。
情報を門戸を広げてネットという大海原に放出することは、情報の有用性を高める代わりに、希少性を失うことを意味する。
かつてはプレミアカードを持っていた人間は賞賛された。それがたとえ使えないくずカードだったとしても。
そしてそのことによってそのカードの持ち主は自身の価値を高めることができた。
人々は、カードのシナジー(組み合わせることで効果が倍増する組み合わせ)やコンボを重視し始めた。
つまり自分のデッキに組み入れられるかどうか、そのカードをどうやって使うか、に価値を置き始めたのである。
こうなるとプレミアカードコレクターの人的価値が下がってしまう。彼らが取る行動は大きく3つ。
一つは何もせず、成り行きに任せる(あるいは問題意識を持たない)。
もう一つ漏洩を徹底防止してカードの希少性を維持すること。
三つめはそのままでは使えないカードを使える形に加工してから、それらを開放すること。つまり誰も考えつかなかった意外なコンボを提示したり、できる限り汎用性の高いカードを何とか発行することである。
お堅いと思っていた団体が急にフランクになった例を最近よく見る気がするが、こういうことが一つの理由だろう。
しかし将来的には遅かれ早かれ、多くの団体が三つめの手段を取らざるを得なくなると思う。
このような情報は流通を制限することで価値が高められているが、本来的な価値は少ない。そして価値の低い情報は駆逐されていく時代の兆候なので、団体には新たな価値を作り出し、社会に発信することが求められてくるからである。
そうなってくると、まやかしの希少性は徐々に意味を失い、経験に基づいた情報や、洗練の要る情報といった、よりその人の血肉となっている(オリジナリティがある)情報こそが希少性ある情報となるだろう。
インターネットというのは価値判断を大衆に委ね、まやかしの希少性を暴くという点でこれから役立っていくと思う。
しかしそうなると、今まで手に入れるのが困難だった情報を収集していた専門家はどうなるのか?
いったい何をもって情報収集をしている一般人と差別化を図ればいいのか?
複数の範囲を渡り歩く人々が増えてきた原因はここにあると思う。
苦労して新しい論や分析を発表しても、少しすると自分と同じ考えを言ったりしたりする素人がいる。
何も発表しないままだと時間とともにその人とその専門家との価値の差異が縮む。
だから専門家は、常に社会の流れを追って新しい論や考察を生み出し続けなければならない。新しい情報を常に発しなければならない。
みんながみんなそんな発想力とバイタリティを持ち合わせているだろうか?
もしそこに不安がある専門家は何をすればよいだろうか?
そこで複数の分野をカバーするわけである。
専門の分野を知ってる人がいる。
αの情報を知ってる人がいる。
でも専門の分野+αの取り合わせの情報を知ってる人はなかなかいない。
こうすることで自分の価値を高めているのではないだろうか。
また、社会現象がより複数の多岐の分野に渡ってきたお陰で、それを一つだけの専門性で切りにくくなってきたというのも考えられる。
「最前線で価値を生み出し続けることはできないけど、その人達と違って私はレパートリーが広いから庶民の要求に幅広く応えることができます」、といったところか。
自分の本来の分野では新しい価値を生むのは難しいけど、違う分野にて本来の分野のやり方で切るという方法で、新しい価値を生み出すというのも考えられる。新たな組み合わせ。シナジーを期待するのである。
あるいは価値観が多様になったため求められそうな情報は何でも漁るドラフト者もいることだろう。
ここは、多分野に渡るといえ、コンセプトを持ってコレクトをしないと情報の海に溺れてしまうだろうから注意が必要だ。
今までは専門がはっきりしない人は浮ついてると見なされ正当な評価をされにくかったが、これからの時代は複数の分野に渡って活動しているマルチ専門家がますます増えていくのではないかと私は考えている。みんながみんな興味関心を一つに絞りきれるとは思わないし、そんな人たちの複数の分野で活動できる環境が整いつつあるからだ。あるいは、この高度情報化による副産的な効果として、成り行きで専門外の領域に踏み込む機会も、より多くなっていくのでは、と感じている。
だからノイズ(=厨)は多かれど、有用な人を引き込もうとするならば、もっと入門を設けるべきなのだ。
一部では腐るほど入門を設けてる分野があるのに、他方で全くそれが整備されていないのはおかしなことだと思う。
※推敲途中です。