はてなキーワード: 文庫本とは
私が小学生の頃(私は大学生なのでゆとり世代に入るか?)はほとんど読まされなかった。
図書室では結構借りていたが、ドラえもんやら円谷怪獣など雑学系ばっかり借りていた記憶がある。
中学校の頃は、特に本は読まなかった。
高校の頃は、朝のHR前に文庫本より薄いブックレットみたいな本を貸し出していたな。
ただ、ほとんど読む人が居なかった。学年全体で見ても、クラスに数人程度いれば多い方だろう。
そんな生活のなかでも、大学に入ると、いろいろ読まなきゃいけない。
電車で通学する間に、文庫本や新書を読んで、講義で使用する専門書は図書館で眺めている。
読書環境(学校や家)がどれだけ成熟しているか、っていうのは人や家庭それぞれだろう。
まあ、学校に関して言えば、2007年頃に環境整備すべきっていうことも言われている。
cf. http://benesse.jp/blog/20070531/p3.html
与党が変わったことで、「健全な」教育のあり方も、徐々にてこ入れしていってもいいんじゃないだろうか。
とりあえず学びはつまらないものじゃないってことを植え付けていく。
実利には結びつかない学びもあるということを間接的にも植え付けていければ?
方策は知らないけど、電子書籍端末とかNintendo DS、携帯電話を学校に持ってきて、
あるいはそれらを学校で用意してでも良いが、それで読もうする試みをやれないだろうか。
え、教える側が本を知らない?
気分悪い。
バイト先での休憩室。
40代♂:Qさん→お調子者。
20代♀:Wちゃん→おとなしい。
60代♀:Fさん→仕事しないし、煩いし、居るだけで迷惑。
30代♀:私
この4人で居たのだがWちゃんが目を細めて携帯を見ていた。
私「Wちゃん目が悪いんだ?」
Q「老眼だからね(笑)」
私「いや、それ遠視ですから(笑)
じゃぁWちゃん1.5とかなの?」
W「そうですね、前は2.0とかありましたけど」
F「えー!!嘘ぉ!!ずるしてるんじゃない???」
一同スルー。
だれもFには話し振ってないし。
それでもFが話し続ける。
F「私、寝る前に文庫本読んでるんだけど最近小さい字見えなくてソレ用のメガネしてるの」
きっと他二人もソレこそただの老眼ですって思っていたに違いない。
さらに話し続けるF。
|д゚)
なんだろう、自分の半分の歳の私を同列に持っていくこの厚かましさ。
ほんとこの人とは関わりたくない。
でも仕事上仕方が無い。
人にはこうした方が効率が良いとか上から言うが
あなたのは時間短縮じゃなくてただの手抜きです。
そう言う割には帰る時間が近づくと時間を潰すためなのかたらたら仕事するし。
仕事残っててもきっちり帰るし。
ため息つきながら疲れたー疲れたーと連呼するならこの仕事やめれば良いのに。
サラリーマンの来る食堂にランチタイム働くには向いてないんです。
接客態度もなってないし。
あぁここに書いた半分でも言えたら楽になるのかな。
言ったら3倍以上になって返ってくるのは目に見えてるけどorz
静まり返った地下鉄の中ほど、ヘッドホォンから漏れ出す音楽が鬱陶しく思える場所はないと思う。
読んでいた文庫本から目を上げた僕は、向かい席にだらしなく座っていた青年をじろりと睨みつけた。
絶対に歩く時に踏みつけてしまうだろうダボダボのズボンに、意味など分かっていないだろう汚い英語がプリントされたTシャツ。
夏なのにニット帽を被っていた青年は、くちゃくちゃと不躾に口を開きながらガムを噛んでいる。
唐突に、彼のヘッドフォンを外して、耳元で「迷惑なんだ」と叱ってやりたくなった。隣の若い女性も居心地が悪そうに身体を縮めているのである。
ここはお前の部屋じゃないんだ!
脳内で叫ぶと、情けなさに嘆息が漏れ出しそうになった。歯がゆさを噛み締めながらも、再び文庫本に目を戻す。
打ち寄せる波のように入れ替わる乗客の雑踏に、しばしの間読書を中断せざるを余儀なくされた。
その流れが落ち着いてきた頃に、左端から杖を突いた老婆が歩いてくる。
目指しているのは、どうやら青年の左隣に空いた座席のようだ。
歩きづらそうだと思いながらも、僕は歩みの遅い老婆の姿を目で追っていた。
ああ、もうちょっとで座れる。そう安堵を覚えたときだ。ずかずかと息を巻いてやってきた中年女性が、どしんと席に腰を据えてしまった。
再び動き出す地下鉄。
振動に、心もとなさそうに立ち尽くす老婆の姿が哀れに思えた。同時に、胸の中で中年女性に対する憎悪が煮えたぎっていく。
誰がどう見ても、老婆が席に座ろうとしていたのは明らかだったのだ。
周囲に目を配らせてみれば、同じような思いを抱く人が厳しい視線を中年女性に投げかけている。
にも関わらず、彼女はせっせとハンカチで汗を拭い始めていた。視線には露ほども気が付いていない様子である。
行為を、僕は甚だ醜悪だと思った。
「あの、よかったらこの席座ってください」
どす黒い感情に包まれていたときだった。爽やかな声が響いた。ヘッドフォンの青年が席を立っていたのである。
突然の申し出に目を丸くしていた老婆は、やがて事態を飲み込むとにんまりと笑って御礼を言った。
ゆっくりと腰を据えた老婆の隣で、中年女性が大きく腰をずらしたのが見て取れる。
気分がよくなったところで、再び視線を文庫本へと移動させる。どういうわけか、耳の飛び込んでくるヒップホップの音楽が心地よく聞こえてきた。
こういう音楽も悪くないのかもしれない。
そう、調子よく思いながらも、僕は浮かぶ微笑をどうしても隠すことができなかった。
明々と照明に照らし出された車内では、青年以外の人物が優雅に座席に腰掛けていた。
http://anond.hatelabo.jp/20090621214329
今まで喜ばれたプレゼントをいくつか書き出してみました。手ごろなものばかりですが…。
専門店や伊勢丹のメンズ館などで、趣味と好みに合ったものを用途に応じていくつか選びます。クラシクス・ザ・スモール・ラグジュアリ(http://www.classics-the-small-luxury.com/)でオリジナルの刺繍やイニシャルを入れてもらうのもいいかも。
・4711
世界初のオーデコロン。ブランド名はナポレオン占領時代の番地にちなんでおり、ナポレオンも愛用したとか。歴史好きにはいいかも?シトラスを基調にしたさわやかな香り。
父がよく着るブランドで買いました。何枚かあげたうちの1枚はサイズ感とデザインがすごくお気に入りだそうです。
・文庫本
わたしも父も本が好きなのですが、自分では選ばないような本を、ジュンク堂からヴィレッジヴァンガードまで数軒回って、選びます。父の好きな作家、軽めの純文学、ネタ本とかいろいろ混ぜるのがコツ。参考までに、今まですすめた中で面白いと言ってたのは、向田和子『向田邦子の恋文』、恩田陸『六番目の小夜子』、酒見賢一『墨攻』、高野秀行『ワセダ三畳青春期』、糸井重里『言いまつがい』、ケンタロウや『365日たまごかけごはんの本』などの簡単なレシピ本、あといまはやりの太宰治の短編集です。
(http://www.yomiuri-tys.co.jp/jigyou/kibou.html)
これは誕生日用です。読売新聞のサービスで、記念日の新聞のコピーをラミネートして下敷きのようにしてくれます。一回しか使えないのが難点ですが…。
・入浴剤
バラエティショップなどで面白いものをセレクトして買っています。父が海外にいた頃は無印良品のヒノキなど和風のものを中心に選んでいました。
・手書きのカード
これは鉄板ですね。絶対添えたほうがいいです。書くことがないと思うかもしれませんが、意外と書けるものです。面白いカードがたくさん発売されています。
今年は事情で遅れてしまったのですが、国内の革メーカーの定期入れをプレゼントしようと思っています。喜んでくれるでしょうか。うちの父も、仕事で疲れているのと年も年なので、PCやDVDなど機械を扱ったり、新しいことを始めるのが難しいようです。(自分で買ったiPodは曲を入れることすらせずに放置していました…)わたしも絵を描きますし、時計や万年筆、アンティークなどが好きなのですが、やはり好みがあるので、プレゼントしてもらいたいかと言われると微妙です…。(気持ちはうれしいですけどね)
以下個人的な話ですが、父とわたしは就職の時に揉めて以来気まずい関係でした。でも父が途上国に単身赴任した時に、父の日や誕生日に小包やカードを送り続けていて、それがつらい時のなぐさめになったようでした。何かあるたびに本やプレゼントの感想を言っていました。わたしもプレゼントを通じて謎の存在だった父について知ることができましたし、父のことを気にかけるようになりました。今でも自分の買い物をしている時に「あ、これお父さんによさそう」と思ってつい買ってしまいます。アウトドア用タオル一枚でも「ウォーキングの時に使って」などと言って渡すと本当にうれしそうです。
余談ですが、うちの祖父母も、初任給で螺鈿細工の箸を買ってあげたし、敬老の日もかかさず贈り物をしているのに、いまだにはじめての遠足の時におこづかい500円の中から、おちょこと花瓶をプレゼントした時のことばかり言っています。(父母と祖父母に買ったらちょうど500円で、自分の分は買わなかったそうです…。子どもってけなげですね)この前なんか一週間前にあげた旅行のお土産を無視しておちょこの話をしていました。きっと年をとると時の流れとか、時系列と重要度とかが違ってくるんだと思います。悪気はないのです。
私は東京に出てきてそろそろ二ヶ月経とうかという田舎者のカスだ。
「ダンドリくん」や「流星課長」を読みシミュレーションしていた甲斐もあってか初めての電車通勤もだいぶ慣れてきた。
さて、本日都会の皆様に問いたいのは以下のような場合どうしてますか?という事。
座座座←座席 立私立←つり革
※座=座ってらっしゃる方、立=立ってる人、私=立ってボケーッと文庫本とか読んでる(アホヅラの田舎者)
車内はやや混みくらい、私の前に座っている御紳士様(御淑女様)が降りようとして立つというシチュエーション。
その時ほとんどの御紳士様(御淑女様)がなんの挨拶も無く私(や立っている他の人たち)にぶつかって降りていくのだ。
疑問に思ったので先日ある御紳士様を捕まえて「何故あなた様は私にぶつかってこられて黙ってらっしゃるのですか?発声をなさるのが困難でらっしゃるのですか?」
という趣旨の事を若干ラフにお伝えしたところ「すみませんすみません」とばかり言って話にならなかった。
なにか私が因縁付けたみたいな感じになってしまって不本意だったのだが、別にヤクザ様みたいに「すみません」ていう挨拶を要求してるわけじゃないんだ。
ただ「降ります」とか「おいそこどけ」でもいいよ。
こう私にぶつかってくるんなら何か声をかけてくれてもいいじゃない?と思うわけだ。それか声はなくともちょこっと手刀を切るとかさ。
皆様はこういう時どうしてますか?なにか声をかけてぶつかっていってますか?
聖書知らなくても楽しめるならそれで良いんじゃね?「ドストエフスキーはどんな気持ちでこれを書いたんだろう」とか「キリスト教圏の人はこれをどう読むんだろう」とか知りたいんじゃなければ。
ちなみに非キリスト教徒が聖書を紹介している本としては阿刀田高の「旧約聖書を知ってますか」と「新約聖書を知ってますか」がある。自分は旧約の方しか読んだことが無いけど、「一部は面白いが、一部はよー分からん。当時のユダヤ人は変なこと考えるな」みたいな感じで書かれていたので、増田には読みやすいんじゃないかな。薄い文庫本だから、すぐ読めると思う。
あと、「首を傾げる場面」は聖書とは関係なくてロシアの歴史や風俗に根ざす描写だったり、ロシア正教独特の考え方だったりするかもしれないから、聖書知識を得てもさほど理解は深まらないかも。
「小説を読んでいると頭よさそうに見えるけど、漫画を読んでる姿はそう見えない。」
もちろんこれはバカな話で、これに当てはまらない例なんてたくさんあるし、大体「頭がよさそう」と言うのがあほらしい。
ただ、失礼な話ではあるけど、それぞれの姿を見るとなんとなくこんな印象を受ける。何でだろうか。
どっちも内容はピンキリなのに、小説と漫画という、内容に関係ない分類でそういった差が生まれるのがどうもしっくりこない。
それで、最初に考えたのがページをめくる時間間隔。これは小説の方が漫画より長い。
この静止してる時間の長さと言うのが、頭がよさそうに見えるかどうかに大きく関わっているのではないか。
確かにペラペラめくってるよりは、じっと本に見入ってる姿の方が賢そうに見える。
次に、本の大きさや紙質も関係してるよなと思った。
これは根拠無いんだけど、文庫本サイズって、なんか「頭良く見えるサイズ」な気がする。
これが少し大きくなって新書や漫画の単行本サイズになると、それほどでもない。
さらに大きくなって雑誌とかハードカバーとかになっても、しっくりこない。
かといって豆本とか小事典みたいに小さければいいかというと、それも違う。
文庫本のサイズってのは、情報が丁度いい具合に詰め込まれているように見えるんだろうか。
あと、全体として小説の方が漫画より紙質いい気がする。これはあんまり関係ないか。見えないし。
カバーの有無もあるかな。カバーしてあると何の本か分からないし。難しい顔して読んでたらそりゃあ賢そうにも見えるか。
何でこんなこと考えたのか。自分が本を読む側だったらこんなのどうでもいいんだけど、自分が本を読んでいる人を見る側だったら、絵になる人を見るとほわーっとするので、それは何でだろうなあ、って感じだろうか。
私が田舎の出身で 田舎の中学でほどほどの高校だったからなのか?とも思わないでもないが、
むしろ江戸に入ったくらいからはほとんどやってないような記憶だ。
これは私だけなのか?少数派なのかな。
というのも、大人になってから突然、幕末にはまった。
きっかけは竜馬がゆく。 あまりにも面白い彼の生きざまに心を奪われた。
そのあと 逆の立場である新撰組について読み、手を組むことになる長州の人たちのものを読んだりしている。
そしてその辺を埋めていくと今度は日本の近代史が気になってくるわけだ。
どうしてあんな戦争をすることになったのか、について。
あんなにがんばって明治維新が起きて、どういう経緯で戦争になって、そもそもほんとに勝てると思っていたのかとか、戦後のあまりの変わりっぷりとか。いろいろについて。
で、気になってきたらふと気がついたわけだ。歴史の教科書にはどうやって載ってるんだっけ?と。
残念ながら卒業してもう●年もたつので自分の教科書などあるわけもなく。
なんとなくうすらぼんやりと「教科書にはどう書いてあって、で、他の本だとどう書いてあるんだろうなぁ」と気になってしょうがない。
そういえば、学生時代から歴史の教科書は文庫本の気分でひまつぶしに読んだりしてたなぁ。
あーっ。読みたい。歴史の本。
スタバが居心地がいいから好きという意見を聞くんだけど、むしろ喫茶店の中だと居心地が悪いほうだと思うのは俺だけですか?
俺は比較的図太いから長居できるけども。
まず、スタバのテーブルは狭い、しかも丸テーブルは使いにくい。
椅子は硬いし、そりゃあソファはすわり心地はいいけれども、人がウジャウジャいる中でソファって落ち着けないんですが。
道端にソファとかあっても座りにくいでしょ?それと同じ感覚。
あと、ガラス張りで外から丸見えだし、店内のついたても少ないし、いろいろと視線を感じちゃうよ。
すっとろい癖に馴れ馴れしい店員も謎だ。
注文を山彦みたいに連呼する意味がわからない。
けなしっぱなしなんでいい点も上げてみると、テイクアウトして座席の横においておくにはピッタリのメニューだと思う。
ドリンクは一番小さなサイズで頼んでも比較的量が多いし、容器が縦長だから容量の割りにスペースは取らない。
フードも小ぶりでスペースをとらない。
しかし、便利な場所にあるのはスタバだ。
映画の上映までの待ちや、買い物に疲れたときについふらっと入れる場所にあるのはスタバだ。
そしたら文庫本くらい広げちゃうけどさ。←なんだかんだいって荷物広げてるじゃないか俺。
いや、言いたいのは、なんでああいう場所でスタバが勝てるんだろうねと。
みんなイメージ戦略の勝利というけれども(商売は上手くいっていないから勝利っては言えんかもしれないけど)、それだけじゃ説明がつかない気がするんだよなぁ。
好きな事にすら集中できなくなった事の方が重大だ。
携帯も自分のパソコンなんぞも持っていなかった高校までの時分には、
暇さえあれば10分の休み時間にさえも図書館に入り浸り、行き帰りの電車の中でも
本を開いていたような性分だったもんだから、文庫本1冊ぐらいなら忙しくとも
2日あれば読破出来てしまっていたのに、今では数行読んだら他の事が気になって
パソコンに向かったり携帯をいじくったりしてしまうという体たらく。
今でもほら、読みかけの本を放り出して日記なんぞ書いている始末。
お陰で読んでいない本が溜まる一方だ。本だけでない、あれだけ好きだった
ゲームですらもう長い事触りもしていない。PCゲームも積みゲーが埃を被っている。
この集中力の低下、いったいどうすれば治るものか。
部屋を清潔にする方法ではなくあくまでも部屋を散らかさない方法。
散らかるってのは結局は部屋にある物をあるべき場所に配置できないから散らかる。
何であるべき場所に配置できないかって言うと例えばゴミだったら細かいものを後で分別するのがめんどくせーなとか思っちゃって
ゴミ箱に入れなかったり(ゴミ分類が複雑すぎて全種類分でかいゴミ箱を用意するのはちょっときつい)。漫画を本棚から出したらそのまま出したきりにしたり。
ゴミ箱に即入れてあとでしっかり分別するのが苦じゃない人はそれでいい、漫画を読んだらすぐに棚に戻せる櫃はそれでいい。
そういうのをつい疎かにしちゃうって人はそれらを気楽に「仮」配置できるようにするのが一番。
というわけでビニール袋は専用のビニール袋入れを用意、割り箸は割り箸用のゴミ箱を用意、小さな不燃物は小さな不燃物用のゴミ箱を用意。机の上にでも置いておく。
でかいゴミ箱には大きなものだけを入れれば後での分別も簡単。
ビニール袋は再利用、割り箸はそのまま可燃物、不燃物は不燃物の袋に入れてでかいゴミと一緒にゴミ出し。
ゴミだけじゃなくて部屋を散らかしてるもの全部にそれぞれ気楽に入れられる場所を用意する。
CDで部屋が散らかるならCDを気軽に放り込める棚や箱を用意。文庫本も漫画も同じく。
気が向いたときにその箱に入ってるものを棚に移せばいいだけだから整理も簡単。
常にキチッと片付けていなくてもこんな感じでポケットになるような場所を用意しておくと部屋はとにかく散らかりにくい。
それでも散らかるときは散らかるけどね。
憂鬱な気分が続きすぎだと自覚した頃には、もう遅くて、気分転換に文庫本を読もうとしても字を追うことができないことに気付いた。読み始めようとしても、不安なことやストレスになることばかりが思い浮かんできて、全く文字を読めない。同じように、音楽を聴いていても、というか聴こうとしても、気がつくと一曲終わってるとか。
ただ一つの気休め、それは食べること。思考が停止するぐらい食べる。お腹がいっぱいになって憂鬱から開放されるその時間だけが楽しみ。そういうことなので、夜は寝付けないから毎晩お酒を飲んで寝る。このような生活が続いて、昨年の(数ヶ月の)うちに 20kg 弱も体重が増えた。
学業や恋愛、人間関係の悩みだけど、こういう性格になってしまったのはいつからだろうと悩んでいる。
書けばきりがないけど、総じて、死にたい。
中学の頃、クラスに成績はいいけど運動が全然できなくて、不細工な奴がいた。
不細工のうえに軽度のどもりがあるから、男子はバカにして、女子はキモがって、誰も近寄らなかった。
友達は他クラスに一人いて、そいつと話すときは声もテンションも高くて、これもまたキモかった。その友達がいないときは図書室で借りた文庫本読んでた。
何でこんなに詳しいかって、友達数人とヲチしてたから…
夏になってヲチに飽きた頃事件が起こった。そいつがクラスの一番か二番の可愛い子に告ったんだ。
俺とその可愛い子とは仲良くて、その子は彼氏が居たし(彼氏は俺の友達)、当然断って、
「告られた!ちょ??キモイ!死ぬ!」って言ってた。
俺もあいつ身の程知らずすぎwwwありえねえwwwうぜえwwwとか返して、
「てかあいつの顔、ダウン症っぽくね?」って言った。
そしたら4、5人で話してた全員がマジ大爆笑。
顔デカくて目が小さくて一重で、口がへの字だから、見れば見るほどダウン症児そっくりwww
そのときからあいつのあだなは「ダウン」に決定して、仲良かった奴とかがわざわざ
「おはよ??○○君。今日もいい天気ダウンだねwwwww」とか意味もなくダウンって言いにいったりして、
俺とかは見てて爆笑したりしてたwww
告られた子も彼氏と一緒に笑ってて、ダウンくん最高wwwって言ってた。
前々から思っていたがあの早川ポケットミステリと言うやつはなんなのだろう
不気味な表紙。やたら紙質の悪いページ。小口の黄色いインク
とても手に取ってもらおうとしている本では無い気がするのだが
紙の質を下げて単価を安くしたペーパーバックと言うにはそれほど安く無い
と言うか単価下げたいんなら表紙は無地でいいだろう。あの抽象的で不気味で所有欲の湧かない表紙にしているのはやはり何か意味があるのか
本を買うときは何も中身だけ買うわけじゃない。
現代の文庫本にも劣る紙質と無価値な表紙。さらにカバーすら付いていない。
正直あんなゴミに金を払う気にはなれないので、今まで一度もポケットミステリを買った事は無い。
というか手に取るのすら嫌なのでロクに読んだ事すら無い
正直あのレーベルが未だになくなっていない事に驚きだ
たっかいやつ!Libertouchとかいうやつ!これまじすごい!なにがすごいかってキーがむちゃくちゃ軽い!タイピングしやすい!
でもって今日届いたんだけどよくよく考えたらほとんど2ちゃんとニコニコとSkypeでたいしてタイピングなんてしてなかったんだよね!
なんかもったいない気がするからここでただだらだらとタイピングしてLibertouchの快適さを味わってみるよ!
それにしてもこのキーボードやたらどっしりしてるよね!前に使ってたキーボードはDellのパソコン買ったら付いてきたやつなんだけど
あの省スペースっぽいキーボードと比べるともう全然段違いにでかくて重い!このずっしり感でタイピングに安定感が生まれるわけだね!
ていうかDellのキーボードは片方キーボードの爪がぶっ壊れてたからわざわざ文庫本使って段差つけてたんだ!それがいらなくなるってのも個人的にはかなりうれしいんだけどこれははっきりいってこのキーボードとは全然関係なかったね!
ふと道を歩いていて、
見えてしまったとする。
その場合、あなたはどれぐらいの
嬉しさを感じるだろうか。
それをお金であらわしてみたいと思う。
お金に換わるこの時代、
但し、パンチラが大好きな人も居る反面、
いるかもしれない。
熟女のそれが好きな人も居るかもしれない。
なので以下、あくまで自分を基準に割り出してみる。
まず前提として、「本人に頼んでパンチラを見せてもらう」
ことと全く違うことは強く言っておきたい。
それだと全く別のものになってしまうから。
ここで言いたいのは、「偶然に」見えてしまったパンチラの嬉しさは、
何円ぶんの喜びがあるか、という事に注意。
【その1】
100円玉を見つけた嬉しさと、
パンチラが見えた嬉しさを比べてみる。
【その2】
では大きく値段をあげて、
競馬で5000円当たった嬉しさと、
パンチラを比較してみる。
自分は5000円当たった方が嬉しい。
【その3】
1000円もらったときの嬉しさと比較してみる。
1000円の方に価値を見出す。
雑誌が2冊買えちゃうし。
【その4】
では500円玉を拾ったときの嬉しさと比べる。
文庫本なら1冊タダで貰える。
ものすごく判断に迷うが、
自分は500円の方がわずかに嬉しい。
パンチラは500円未満となる。
【その5】
250円だとどうか。
読みたかったジャンプを拾った、
もしくはポテチが2袋買える。
パンチラを選ぶこともある。
よって、パンチラは250円だ。
・・・以上の考察から、
250円の価値があることになる。
なかなか良い拾いものだ。
ただし、同じ日に連続で何度も見えてしまった場合などは、
250円→200円→150円・・・と
価値が下がってしまうだろう。
月会費5000円を払うと、
あなたは毎日ワクワクしながら会社に行けるのである。
この不況の世の中を活気付ける、
隙間ビジネスとして成り立つのではないか。
そんなわけないか。
でも料理好きではあるが、「料理がうまい」訳ではない。そこを間違えないで。
これはもう数をこなすしかないんじゃないかな。
でも、「見栄えも含めうまいものを作る」のを目指すんじゃなくて
「首をひねるような失敗作をしない」ところから。
まずは明らかな失敗作を作らないところから。それ以上は考えない。
2.会話がない
作るときに「ここにあの具が入ったらおいしいかな」とか、+αの工夫を考えながら。
それくらいしか思いつかないなあ…
3.副菜を作らない
困ったときはスーパーの惣菜コーナー。キンピラとかあると結構助かるよ。
自炊するからといって全て自炊でまかなう必要はない。面倒なところは省いちゃえ。余裕のあるときだけやればいい。
4.自分で買出しするので予想外の食品がない
予想外のものを買うとまず失敗する。メシマズスレの創作料理になりかねない。
まずは王道から。
5.食材の質がよくない
これは購入の時点で、だろうか。ちょっと対策が思いつかない。
6.レパートリーが少ないので飽きる
あと増田の家で重宝してる本は100文字レシピとビンボーdeli.がある。
後者は流通には無さそうだけど前者は文庫本なので(しかも最近続編も刊行された)割とオススメ。
米?それともおかずの質?
おかずだったらそのおいしいおかずの中で何が一番好きだった?なるだけシンプルな奴で。
まずはそれを作ることを目標に。
8.何らかの悩みを抱えている
これは流石にパス。
9.季節感がない
きっちり3食食ってる?食間におなかすいてお菓子とかパンとか食べてない?
メシ時だけきっちり食うようにすると意外と落ちる。
11.生活が不規則
パス。でもカップラーメンとかに頼ってると割と簡単にブクっといくよ。
12.米をあまり炊かない
上に付随して。
最近は専用のごはん容器も売ってるしね。腹が空いてきたり、何か作るのが面倒なときはそれをチンして納豆ごはんとか。
13.食後のデザートと団欒がない
水出しの緑茶とコンビニとかで売ってる3本100円の団子で結構幸せになれます。煎餅でもいいな。あ、羊羹もいいなあ。
お茶はアイスであれば水出しのボトルがAmazonでも売ってる(こんなのとか)ので、これに茶葉と水を入れてほっとくだけ。
ホットは急須とかでどうぞ。面倒だったらティーバッグ。CP悪いけど。
14.将来への明るい展望がない
俺もないが旨いメシが食えた時は幸せ。
週に4日も1限から必須科目が入ってるのは何の嫌がらせかと履修登録時に思ったけど、今は感謝してる。
だってその時間に間に合う電車に乗ると、同じ人に会えるんだもん。
8時ちょっと過ぎの電車、始発駅だから発車まで扉が開けっ放しになってる。
あ、今日もあの人がいる。いつもと同じ三両目。
今日は濃い紫のインナーに白のパーカ、ノーダメージのデニムパンツとマットな黒い革の紐靴、黒のエディターズバッグを斜め掛けしてた。
だけどときどき、スーツを着てるのも見かける。リクルートじゃない、普通のサラリーマンが着るようなスーツ。
年齢的にはたぶん学生じゃないっぽいし、いつも同じ時間の電車に乗ってるって時点でやっぱりサラリーマンかな?
近づいてみるとすごく背が高いんだけど、ひょろっとしてるからそんなに大きく見えない。
いつも、帆布のカバーがかかった文庫本を読んでて、何読んでるのかすごく気になる。
一回ちらっと見えたのは、『宝石屋サンゴ????(なんか長い名前っぽいの。おぼえてない)の平穏ならざる物語と……』って言うの。開いてるページの左上に小さな字で書いてあった。
なんの本かわからないし、そもそも私、島本理生とか川上弘美とかの恋愛小説しか読まない。
行きたかった大学に合格したはいいけど、自分の高校からそこに進学するのは私一人だけで、通学時間がすごく苦痛だったんだけど・・・。
同じ駅から乗って、その人は私よりも遠い駅で降りるみたい。
同じ駅から乗るってことは、住んでるところも近いんだよね・・・嬉しいな。
彼女とかいるのかなー。
どうやったら喋れるんだろう。
僕はビートたけしが大好きで、著作は、絶版になったものまで探して読んでしまう。映画は、北野武監督作品では『その男、狂暴につき』しか見たことがないんだけど、近いうちに全部見ようと思っている。『オレたちひょうきん族』のビデオとか、『オールナイトニッポン』のテープも、どうにかして手に入れたい。
この間、こんな夢を見た。
ビートたけしがヤクザの組長で、僕がたけし組長の運転手、ということになっていた。一丁前に、ベンツ(ベタだけど、夢の中でも“ヤクザ=ベンツに乗る”ということになっている)なんか運転させてもらっている。たけし組長は黒いスーツにサングラス。後部座席に座っている。顔がルームミラーに映っていて、すごい迫力。映画『HANA??BI』のビートたけしだ。ちょっと怖いけど、かっこいい。なんだかうれしくて、自然に背筋がピンと張った。ていねいに運転しようと思った。
「おい、おまえ。暇だから、そこのコンビニで適当な文庫本、2,3冊買ってこい」
「はい」
車を路肩に駐車して(なぜかコンビニの駐車場ではない)、小走りにコンビニに入って、急いで本を選んで、レジに持っていった。愛想のない店員が、レジを打っていた。動きもダラダラと面倒臭そうだし、あげく、文庫本の値札シールをはがすのに失敗して、本に汚いシールの跡をつけた。それなのにまったく表情を変えず、気に留める様子もなく、そのまま袋に入れようとしている。あんな汚い本を持っていったら、たけし組長に怒られる。もしかしたら殺されるかも…。
「馬鹿!おまえ、なにしてんだよ!シールの跡、汚ねえだろ!」僕は今、運転手とはいえども、ヤクザの一員なんだから、躊躇せず、すんなり文句が言えた。「なんとか言えよ!」
「あー」店員は相変わらずの無表情で、「あーすいません」
かなり頭にきたけど、外にはたけし組長を待たせている。モタモタできないし、相手にするのをやめた。
「覚えてろよ!」
コンビニを出て、車に戻って、
「組長、聞いてくださいよぉ。コンビニの店員のやつが…」
と事情を説明すると、たけし組長は、
「よし。今晩、やるぞ」
かっこよかった。
その夜、数台のベンツで、そのコンビニの前に乗り付けた。店員を脅しつけて、全員縛り上げて、店を締め切った。なぜだかわからないけど、そのコンビニの奥のほうには、畳敷きで床の間のついた和室があって、宴会用の長いテーブルまで置いてあった。売っている商品も魚の切り身とかが多くて、コンビニというよりもスーパーの食料品売り場のようだ。
店の商品を使って料理の準備をし、いや、気がついたらもう準備されていて、たぶん組員であろうスーツ姿の人たちが20人くらい席についていた。よく見ればそれはたけし軍団で、見たことのある顔ばかりだ。すぐに宴会らしきものがはじまった。
何時間かが過ぎて、宴会がほどよく盛り上がってきたころ、突然、警察が踏み込んできた。みんな、蜘蛛の子を散らすようにパーッと逃げた。オレも逃げなきゃ、と思ったけど、なぜか逃げ方がわからなくてオロオロしていた。その時、グレート義太夫が、裸に白いブリーフ一枚という姿で、両腕を上げて、「ワーッ!」と言いながら、窓から庭(なぜかコンビニに庭がある)へ逃げていった。それを見て僕は、なるほど、あんな風に逃げればいいんだ、と思って、義太夫さんのあとを追おうとしたんだけど、いくら探しても靴がない。そんな非常時に、なぜ靴を探そうとしたのかわからないけど、靴を置いて逃げることがやけに心残りで、ギリギリまで探していた。だけど、どうしても見つからなくて、仕方がないから裸足で庭へ出て、走って逃げた。
そこでいきなり場面が切りかわって、僕は車の助手席に乗っていた。車を運転しているのは、なぜかうちの母。場面はかわっても、なにかから逃げていることに変わりはないようで、山の中の峠道を、すごいスピードで走っている。なにしろすごいスピードだから、カーブにさしかかるたびに対向車線に飛び出して、もう、本当に危ない。タイヤがキーキー鳴っている。
「かあちゃん落ち着けよ!線からはみ出るなよ!」
何度も叫ぶんだけど、母はまったく気にも留めない様子で、表情は真剣そのものだ。それは、“事故を起こさないように気をつけている”真剣さではなくて、“ 絶対トップに立ってやる!”という真剣さだ。と言っても、他に走っている車はいないようだし、わけがわからない。
どういうわけか、対向車線を走っているのは車ではなくて競馬馬で、しかも5,6頭が横に並んで走っている。道路はきちんと舗装されているのに、なぜか土ぼこりが舞っていた。
夢にはまだ続きがあったような気がしたけど、すっかり忘れてしまった。なんだ、これは。別にどうでもいいんだけど…。