はてなキーワード: ももちとは
『田舎のメリット書けねーのかよバーカバーカ』的なブクマがあったので、自分で上の話つなげれや、と思ったが、根が親切なもんだから少しだけ書く。上をひっくり返して田舎のメリット書くと、他者からの承認にリソースを裂く必要が無い中で、少ないチャンス・出会いと丁寧に向き合える余裕を持ち、それを生かして生きていけるという所にある。人間の能力に限界がある限り、幸福は機会や情報の無限の拡大にあるのではなく、単に自分の手持ちの資源(自己の能力・人脈…etc)一切合財ひっくるめてそれを100%発揮できる環境にこそあると考えるべきだ。誰もが賛同する意見とは思わないが、ベンキョーできて都会の大学行って就職して30年ただ『チャンス』や『才能』の煌めく中を泳ぐだけだったという人生よりも、ベンキョー苦手で田舎に根を下ろして30年ひたすら大豆と向き合い豆腐を作り続けた人生の方が自分には遥かに面白い。もちろん天才的な能力を都会の激しい競争の中でさらに開花させて世界的な偉人になる人がいてももちろん良い。要は、上っ面やイメージじゃなく、本当に自分にとってベストな環境を誰もが素直に求められる社会になると良いと思った。
「選択が少ないほうがむしろ幸福度が高い」というのは同意。
ただ、都会に出てきたような奴でも地元コミュニティに溶け込む奴は決して少なくないんだが。
あとカンフル剤打って小規模農家を生きながらえさせる為に消費者にツケを回しているのが日本の農政だと思うのだけど、
「ベンキョー苦手でもいい」みたいに言ってる奴らがいるからダメなのかな、と思った。
この数日、都会/田舎論エントリをホッテントリにみかけるけど、GWだなーと思う。普段田舎のことなんて忘れてるだろ、お前ら。
そして、その論のどれもが「どっちが良い悪いじゃないし、オレは田舎も好きだけどね」と良いながら、最終的には「都会と、都会人である自分に対する自己肯定オナニー」にしかなってないのが気持ち悪い。公正に比較するなら、もっとちゃんと両者の立場に立つことが(たとえフリだけでも)必要でしょ。田舎のメリットも伝わってこない、そして都会のデメリットを過小に評価するようなエントリを読んで、それで納得できる人って、よほど鈍感でリテラシーの低い人か、厭でも田舎捨てたことを否定したくなくてずるずる都会にしがみついて食い物にされてる奴隷くらいじゃないのかと。ああ、そういう人が一杯いるから需要があるのか、ああいう記事は。
そんなわけで、田舎のメリットを語ろうかと思ったけど、長い話してもどうせ誰も聞かないから短いフレーズでいっとく。
・『チャンスが多い』って、宝くじ売り場が多ければ当たりやすいと思ってるのか?バカか?
・『出会いが多い』って、相手にとっての自分の重要性が低いこととバーターだろ、バカか?
…etc
資本主義は実は「成長」神話によりかかっている。資源も開拓地も人も、無限に拡大することを前提としている。すなわち「有限な地球上では限定的にしか正しくない」。
そのため、資本主義よりな意見は、大抵の場合同じ問題を抱えている。人間が無限に拡大し成長する存在ならば、「田舎<都会」という意見はおおむね正しい。でも「成長の可能性が有限である人間において、その説は限定的にしか正しくない」と私は主張したい。
『都会に出る若者』は、もう少し減った方が日本のためには良い。
(追記)
『田舎のメリット書けねーのかよバーカバーカ』的なブクマがあったので、自分で上の話つなげれや、と思ったが、根が親切なもんだから少しだけ書く。上をひっくり返して田舎のメリット書くと、他者からの承認にリソースを裂く必要が無い中で、少ないチャンス・出会いと丁寧に向き合える余裕を持ち、それを生かして生きていけるという所にある。人間の能力に限界がある限り、幸福は機会や情報の無限の拡大にあるのではなく、単に自分の手持ちの資源(自己の能力・人脈…etc)一切合財ひっくるめてそれを100%発揮できる環境にこそあると考えるべきだ。誰もが賛同する意見とは思わないが、ベンキョーできて都会の大学行って就職して30年ただ『チャンス』や『才能』の煌めく中を泳ぐだけだったという人生よりも、ベンキョー苦手で田舎に根を下ろして30年ひたすら大豆と向き合い豆腐を作り続けた人生の方が自分には遥かに面白い。もちろん天才的な能力を都会の激しい競争の中でさらに開花させて世界的な偉人になる人がいてももちろん良い。要は、上っ面やイメージじゃなく、本当に自分にとってベストな環境を誰もが素直に求められる社会になると良いと思った。
俺は、はてなが出来た頃からはてなをやっている。7年目くらいか?
その頃からはてなは非モテが多かった。顔ぶれは随分変わったが、やっていることは大して変わりない。
俺ももちろん非モテだ。当時流行ってたテキストサイトの影響もあって、クリスマスは徹夜で更新し続けたり、オープンしたばかりのメイド喫茶でオフ会したり、それなりに楽しい非モテライフだった。
当時の仲間うちの平均年齢は、30歳弱くらい。今思うと、みんな余裕だった。非モテって言ってもたまたま今彼女がいないだけで、イケメンの人もいたし、高年収の人もいた。なんだかんだ言ってもそのうち結婚できるんじゃね?って思ってた。実際、その後結婚して、ネットから疎遠になっていった人もいる。「○○君って、もっとオシャレすれば絶対モテるのに」なんて言われていい気になりながら、「いや俺はさくらたんしか興味ないし」とかふざけた答えを返していた。
で、久しぶりにオフ会に行ったら、当たり前だけど当時30歳だった奴ら、今は30代後半だ。イケメンはハゲデブになり、高年収はリーマンショックでリストラされていた。もともとキモヲタだった人は、もっとキモヲタになっていた。当時姫扱いされてた女の子は、どう見ても生活に疲れたおばさんだった。
昔は、対抗文化を共有するための合言葉だったこれらの言葉が、急に現実味を帯びてきた。自虐ネタで笑う余裕がなくなっていた。リアルに一生独身で童貞のまま孤独死するんじゃね?という悲壮感がぷんぷん臭って、とてもじゃないけど昔みたいに「この非モテが」とお互いに笑い合える雰囲気じゃなかった。
これがお前らの末路だ。
非モテのお前ら、ハゲデブヲタ童貞で孤独死する覚悟が本当にあるのか?
めんどくさい努力を勧められる煩わしさを避けるために「俺三次元の女の子に興味ないし」と言ってるんじゃないか?
生ぬるい非モテコミュニティの中で余裕こいていられるのは今だけだぞ。
今はめんどくさいから後回しって思っていても、あと数年すると、本当に取り返しのつかないことになる。40歳過ぎてから「やっぱり結婚したい」と思っても、その時から努力し始めてももう遅いんだ。
それでもお前らは、「俺非モテだから」と言い続けますか?
小学生の頃から、数えきれないほど痴漢にあってきた。長距離電車通学だった中高生の時は、毎日(追記:と言っていいほど)痴漢にあっていた。
ここでは、どんな痴漢がいたか、記憶の限り書いてみようと思う。
本屋で本を取ろうとすると、横にきて、脇(胸?)のあたりに顔を近づけられる。腰をかがめて本を探しているようなフリをしているけど、明らかに顔がこっち向いてるし、近すぎる。
このタイプに出会ったのは数回。あと、横に立っている人が、自分のズボンのポケットに手を入れて、股間をまさぐってはぁはぁ言い出した。
私が腰をかがめて商品(文房具)を探していると、あからさまに制服のスカートの中をのぞきこんできた。逃げたらつけてきたので、相当逃げた。
後ろに立っている人の股間が明らかに盛り上がっていて、押し付けられているように感じるけど、満員電車のときは不可抗力の部分もあるので「あらまぁ」と思うくらい。もちろん明らかに意図的に腰をすりつけてくる人もいるけど。。
席に座っていると、腕を私の腕にかぶさるような感じ(つまり私の胸にあたる)で押し付け、すりつけてくる。肘で胸をむにゅむにゅ押される。
席に座っていると、横のおじさんが両手を自分の膝においているんだけど、だんだん小指をのばして私のひざをさわりはじめる。私が寝始める(怖くて寝たふり。満員電車だと席を立ち上がることもできない)と普通に手のひら全体でさわってくる。この人は中学1年生くらいだった私が「膝触るって痴漢なのかな・・・?私は嫌だけど、我慢できないことは無いし・・・」と思って我慢してしまったこともあって、しばらく毎朝私の横に座ってきた。
私は大きいカバンを持って通学していたので、席に座っている状態で、痴漢のカバンとわたしのカバンがくっつくと、私と痴漢の股〜膝の上はカバンで全く見えなくなる。そうすると、痴漢は腕をカバンの下を伝わせるようにして、私のももをさわり、抵抗しないとそのうちまたの間に手をつっこんでくる。このタイプの痴漢はかなり多かった。
一番すごかったのが、痴漢がジャンパーを着ていて、右腕はジャンパーから実はぬいている(左手で右手のそでの部分をおさえて、腕が通っているように見せている)。で、もちろん右手はジャンパーの下から出して、私のことをさわってくる。これは痴漢の知恵にびっくりした。ここまでしてさわるの!?みたいな。
上のと似ているけれど、車両の角にあたる席に座っているときに、横のおじさんが新聞で他の人には見えないようにして、ペニスを露出してきた。
最初はスカートのぎりぎりのラインあたりかスカートの上からさわさわ。ここで終わる人もいるけど、私があまり抵抗しないと、エスカレートする人が多かった。具体的には、スカートをまくりあげて、さわる。パンツの上からなでる。パンツの中に手を入れる。そういうことを傘のとっての部分でする人もいた。ちなみに後ろからそういうことをする人と、前からする人(私と向き合う形)と大体同じくらいの割合。パンツの中に手を入れられそうになる時はさすがに相手の足踏みつけたり手つねる等対策を講じるけれど、あまり懲りてくれない人もいる。いわゆる痴漢の中の人には、電車にのりこもうとする時点から、私の体が扉と座席の手すりの角の部分になるように追いやってくる人もいた。
手をつなごうとしてくる。
そのまんまだが、私の手をつかんで自分の股間を触らせる。
立っている痴漢がエッチな画像を自分の携帯の画面に表示させて、それを席に座っている私に無理矢理見せてくる。これはまぁ寝たフリをすれば問題ないけど、寝たフリをしていたら、いつの間にかその痴漢が横に座っていたことがあった。で、携帯の画面に「エッチしたことある?」「まんこぬれてるんでしょ?」「乳首は何色?」「僕とちょっと遊ばない?」みたいな感じの文章を表示させて、見せてくる。逃げたけどついてきたので、一所懸命逃げた(電車を乗り換えたりして)。が、このあとは本当に恐怖体験になってしまい、痴漢ではなくてレイプ未遂の話になってしまうので割愛。
満員電車の中で、私の上着の裾をそっとひっぱる誰かがいる。見るとお札が差し出されている。意味がわからず無視する。するとまた引っ張られる。お金が増えている。この繰り返し。最終的には諭吉さんが何枚か。「もしや援交を求められている・・・?」勘違いかもしれないけど、怖くて電車降りた。怖くて歩きながら泣いていたことを覚えている。
座席の角で、手すりにもたれかかって寝ていると、何か変な感じがする。目を薄く開いて横を見てみると、男性が股間を手すりに激しくすりつける又は手すりと手すりの間から押し出して私の顔にくっつけている。
これの似たタイプで、私が座席に座っていると、前に立っている人が、混雑した電車だとどうしてもくっつかんばかりにこちらに倒れかかってくる。不可抗力の人ももちろん多いが、明らかに不自然な感じで、股間を私の顔の本当に手前まで近づけようとする人もいた。
痴漢に関する議論が多いようなので、こんな痴漢が居るよ、という参考のために、なるべく私自身の気持ちとかは省いて書きました。
webには個人ニュースサイトというものがある。学生や社会人が個人で運営するニュースサイトだ。
有名なところでは楽画喜堂。カトゆー家断絶。まなめはうす。ゴルゴ31。かーずSP。
ここら辺が超がつくほどの有名サイトであり、アクセス数にばらつきはあると思うが、netを毎日数時間以上やるという人にとっては一度以上は訪れたことがある人も多いと思う。
それ以外にもおそらく数百以上の個人ニュースサイトが日本のおたく界隈にはあり、
これらのサイトは基本的にwebにある記事を羅列しているだけ(管理人によってはコメントを多く書いたりしている場合もあるが)のサイトである。
何時間もweb巡回してニュースを張っていく。それを毎日繰り返す。
その手間は一般的な人生を送るにはちょっと無視できないくらい高いコストだ。
話はいきなり変わるが経済学には「費用便益分析」という考え方がある。
例えを上げて説明すると、タバコを吸うという行為は健康を害するし、お金もかかる。まったく割に合わない、無意味な行為に思える。
しかし、多くの人がタバコを吸う。
つまり、お金をかけてまで健康を害するという「費用」よりも喫煙のメリットの方が高いと判断しているということだ。
自分はタバコを吸わないので喫煙のメリットを説明することが出来ないが、リラックスできるとか色々あるだろう。
では、メリットは?
広告収入?net界で有名になれるという優越感? あるいはnetで得た情報を現実にフィードバックして、交友関係などを広めることが出来る?
それらももちろんあるだろう。
しかし、根底にあるのはおそらく人は(正確に言えばある一定の経済レベルの生活力があるひとは)情報を羅列しそれを他者と共有したい、という欲望があるんだと思う。
「まなめはうす」管理人はアクセス数があまりないようなマイナーなブログから多くネタを拾ってくる。
おそらく情報そのものよりも、彼自身が社会で働く中で埋もれてしまいがちな個人をフックアップしたい、という思いがあるんだろう。
「カトゆー家断絶」の管理人は逆だ。公式の情報を羅列することで逆説的にカトゆーという個人を消したがっているように見える。
自分は時々「カトゆー」というのがnet上で生きる生命体なんじゃないかと思うときすらある。
しかし何度も繰り返すがその欲望は情報を共有したい(暴力的に言えば自分の脳みそを見てもらいたい)というところから生まれているんだろう。
ニコニコ動画や、youtubeのようなデータ共有サービスが生まれる以前から個人ニュースサイトはあった。
個人でやるにはニュースサイト運営が限界だったので今でもそこに止どまっているが個人ニュースサイトの本質、根底には情報を共有したいという欲望から発しているのではないか。
netはきっと全ての情報を手に入れたい、技術的に可能ならあらゆる情報の共有をしたい(p2p的な意味ではない。つまり商業コンテンツの共有ではない、いやそれも絶対あるけど(笑))という欲望を人に与えているんだろう。
もしかしたらTumblr的なものがそれを可能にするかもね。
何故人は自分の知っている情報を人に知ってもらいたいか(共有したいか)ということを考えるには疲れてしまったので、また今度。
増田が女からある程度の信頼を得てるんだと誇りに思っておけば?
自分の周りで痴漢の被害なんて見聞きしたことない、そんなの都市伝説だよねと言ってる男もいるけど、逆説的に言えばそういう危ない男だと思われてるから聞かされてないんだよね。
あと、ほとんどの男には話さないけど自分を傷つけないだろうと信頼できる相手(彼氏とか)には被害を話せるという女子ももちろんいるから、「自分の彼女は性犯罪の被害にあったレアな存在」とか思ってる男もいるね。
付き合う相手みんなからそういう経験を聞かされて「そんなに被害にあってるわけないだろ」とか思ったりもするらしいけど、実際みんな被害にあってるんだから仕方がない。
被害にあった話を聞かされたら「そういう被害ってどのくらいの女性があってるんだろう」て話をふってみるといいと思うよ。多分「かなりの割合の女子が被害にあってると思う」という答えが誰からでも返ってくると思うから。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
もうお腹いっぱいかと思いますが、ここ数日の在日コリアンの増田エントリーに触発されたので、おいらもいっちょ書いてみます。
つれづれに書くからねー長くなるかもだよー。
国籍は韓国です。旦那は日本人です。子供はいません。兄弟はみんな既婚で、配偶者は全員日本人です。
両親は朝鮮学校に通いました。父は右寄りでも左寄りでもない感じで、母はクソ真面目の右寄り(?)です。両親はハングルペラペラ(これは大人になってから自発的に学びなおしたからで、朝鮮学校に通っていたからペラペラなわけではない)ですが、自分は数十個の単語を知ってるくらいです(主に親戚を呼ぶ時と挨拶程度)。
自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校(高校まで)に通い、日本人の友人に囲まれて青春を謳歌し、今は派遣社員として日本の企業で働いています。
親戚以外で在日の知り合いはいないです。帰化した親戚もいますが、みんな仲良くしてます。
通名(名字だけ。名前は1つかないス)を使ってますが、新しく知り合う人には割りと早い段階で在日であることを言ってます。なんでそうするかって、とーちゃんがそうしているからです。親のしていることを真似するもんなんだよね、子供って。在日だと告げることですごいイヤな思いをしたこともありませんでした。残念ながら私はお勉強は苦手だったので高校は上中下でいう下の県立バカ高校で、そこで知り合った友人ももちろんお勉強のレベルは同等。もちろん在日ってのがいまいちよくわかってない。「外人?スゲー。どこ生まれ?韓国語話してみて!!!」みたいな感じw
違うんだ、国籍が韓国なんだけど日本生まれ日本育ちでね、ハングルは話せないよ、っていうと「なんだ、じゃあ日本人じゃん…」って、なんでガッカリか、コラwww
こんな感じで良くも悪くも私が在日であることは興味をもたれなかったです。20歳になってからの市長選挙かなんかときには、おまえ誰に入れるの?○○さんよろしくね、みたいなこと言われたことあったなぁ。だからー選挙権ないからー!
在日であることを告げてひどく考えさせられたことが1度だけありました。20代はイギリスに留学してました。通っていた大学はいろんな国から学生がきていて、もちろん韓国からきた学生もいました。私は普段から在日であることを隠したりしてなかったので、同じ学生寮いた韓国人のピ(仮あだな)さんにも在日であることをいいました。それはそれは普段話すように軽いノリで。そしたら、在日はコリアンとは認めないし、本国(韓国)では嫌われてる、というような主旨のことを言われたんです。我々にひどいことをした日本に住んで暮らしている在日は裏切り者だ、ということらしいです。すごいショックでした。
私は父から、朝鮮人であることは恥ではない(誇りを持てとはちと違う)から隠すこたぁない、民族の結束は大事だし助けあうもんだ、と常々言われていました。民族の結束については実感なかったけど、自分が在日であることは特別というより話しのネタくらいの感覚で、隠すことではないと思ってました。もちろん、朝鮮半島が自分のルーツであることを否定もしてない。なので、コリアンと認めてもらえないことをどう処理していいいのかわかりませんでした。
ピさんの発言はあくまでも韓国にいる韓国人の一つの意見に過ぎないし、そう思っている人もいれば違う考え方をしている人もいるでしょう。ただ、事実としてこういう意見はあるという現実。まあ、ハングルも話さなければ朝鮮半島のことも知らないので当然なんですが。日本に住んでるからいけないのか。でも生まれたときから住んでるし、もっといえば日本に生まれることを選んだのは自分ではないし…。朝鮮学校に行かなかったからいけないのか?今から韓国に行けばいいの?ハングルを話せばいいの?韓国で生活をすれば受け入れてくれるの?でも私にとって韓国は外国だしなぁ。
この「コリアンとは認めない」発言で、私は自分が存在してはいけないのような気がしました。私は自分が在日であることをあまりにも軽く考えすぎていたのではないか。なんてバカな自分。もっと真剣に向き合わなくちゃダメなんじゃない?いわゆる、アイデンティティ・クライシスでした。
冷静になって考えると、頭の中が完全に日本的でハングルも話せない自分が「韓国人でーす」とか言ってもうさんくさいよな。確かに「おまえはコリアンじゃない!」って言いたくなる気持ちもわからないでもない。そんな自分はさておき、日本で朝鮮半島式のしきたりを守り続けているうちの両親・親戚も韓国人とは認めてもらえないのかしら。でも日本に住んでるから裏切り者なのかな。
イギリスで、ああ、これはいいなって思ったことがある。中国系(イギリス生まれ、イギリス育ち、英語・広東語)のイギリス人ポール(仮名)君に「君は何人?」って聞くと堂々と「イギリス人だよ」って言う。あたりまえなんだけど、堂々と言えるってことがすごいいいなって思ったの。日本にいて「何人?」って聞かれることは99%ないけど、外国にいると聞かれる機会が多い。そんなときなんて答えたらいいのかすごい迷うんだよね。韓国人ですっていうのはウソがないが、「あ、韓国語知ってるよ。アニョハセヨー」とか言われても笑ってごまかすしかない。でも、日本人ですって答えるとウソなわけじゃん。ウソ言ってるってことが自分の中でなんか気持ち悪いんだよね。かといって、初めて会う人に「韓国人ですが日本生まれで日本育ちで日本語しか」って長いじゃん。それトゥーマッチインフォメーションじゃん。今考えれば、聞いてる側は私の国籍じゃなくてどこに住んでるのかを聞いている場合がほとんどだろうから、日本から来ましたって言えば済んだ話なんだけどね。丁度ピさんの発言とかで敏感になってて、冷静になれてなかったね。
で、ポール。ポール君と普段の会話してると、話の内容によっては「自分はチャイニーズじゃん、そんで家では中華料理がうんぬんかんうん」とか「みてわかるじゃん、おれはチャイニーズだよw」みたいな発言もあるんだけど、国籍はどこかっていうと断然迷いなくイギリスなわけ。イギリスにはインドあたりからの移民もたくさんいるのですが、サリー着て見るからにインド人のおばちゃんもきっと堂々とイギリス人ですって言うと思う。サリー着てかなりお年を召したおばあさんがたとえカタコトの英語しか話せなくても国籍はイギリス。そっかぁ、国籍=民族じゃないんだね…っていうことを痛感したわけです。民族性を保持しつつ、在住する国の国籍を有するっていいなぁ。それなら自分は朝鮮系日本人っていう存在になれたらスゲーいい!と思ったわけ。
本名で帰化だ!それで丸く収まるよ!そんな話を母親にした。もっと賛成してくれると思ったのに、どうも反応がイマイチ。そもそも帰化することが納得できないらしい。おかーちゃん、帰化する=朝鮮を捨てるじゃないんだよ、私の国籍がどこでも私が朝鮮民族ってことは変わらないじゃん?って何度も説明したけど、やっぱり受け入れられないらしい。ちなみに、この人は朝鮮と韓国が別の国であるということさえも納得いかない人なのです。朝鮮半島は朝鮮民族の土地であり、もともと1つの国よ?ってな。それはさておき、帰化の話があんまり通じないから、国籍に頼る民族性なんてクソくらえだ、ばーか!みたいなこといってケンカになったこともある(しかもソウルの電車内でw)。
なんでおかーちゃんは頑なに帰化したくないのか?それの一つに教育の違いがあるんだろうと思った。朝鮮学校で何をどう学んだのかは知らないが、私が日本の学校で学んだこととは違うんだ。帰化することは民族を捨てるって思想なんだろう。最近は、自分は帰化しないが、あなた世代は日本人と結婚する人も多いから帰化するのも理解しないといけないと思う、にだんだん変わってきたようだ。でも内心は帰化に対する負の感情があるのがわかる。母親に帰化の話すると、なんともいえない怒りというか悲しみというか、非常に複雑な表情を見せるんだよね。親にそんな思いをさせるのかと思うと帰化は非常に躊躇する。
ま、ただでさえ帰化は時間と金がかかるし。ブクマコメを見てると、帰化の手続きが大変なんだって知らなかった人も多かったみたいですね~。そらそうか。昔はものすごいイジワルな面接官がいて、その面接でキレて帰化できなかったか途中で投げ出したかした人もいたとかいないとか聞くよ。今は随分改善されているらしいです。
とりあえず自分は帰化は今は見送り。両親がいなくなったら考えるかも。
ニュースをみててふと思ったことがある。もし自分がボランティア活動でアラブの国に行ったとして、誘拐されたら?日本人が誘拐されたときは日本政府の介入がありましたよね(具体的なことはわからないですが)。もし韓国籍の私がアラブで誘拐されたら韓国政府が介入する…んだよね?そんで無事に救出されたとしてどこに戻る?…日本に戻ったら韓国人は怒るよね?あたりまえだよな。でも日本政府が在日韓国人を助ける義理はないよね?もし助けたとしても、日本国民は納得いかないよね?じゃあどっちの政府も無視するかな?…されたとしても文句は言えないなぁ、この辺はどうなるんだろうなと疑問に思った。あ、私はボランティア活動してるわけでもないし、この先もその予定はないですよ。ただ、国籍が重要なときってあるんだよなって思ったのです。在日韓国人として日本に住んでいて不便も不自由もない(そりゃ役所関係ではコマゴマとありますけど、たいしたことない)のでこのままでオッケーみたいなところがあるんですが、そんな軽いノリで問題を先送りにしていいのかって思わなくもない。
本国にいる韓国人もさまざま、在日もさまざまです。私のようにちょっとおバカな在日だっているんです。一世、二世、三世でもかなり違うし、学校教育や家庭がどんな環境だったかで意識は違うと思う。みんなそれぞれに悩んだり悩まなかったりしてるはず。どっちが正しくて、どっちが間違ってるなんてことはないと思います。
それから、在日ってことで悩んでばっかりいたわけでもなくて、在日ゆえのおもしろい話とかもたくさんあるんですよ。ネットで公開できる話かどうかわからないので書けないですけどw
…ハゲるほど悩んだわけでもないですが、現時点では「場合によって韓国人でもあり、場合によっては日本人でもある」ということで自分の中で決着をつけ、今はのほほんと暮らしています。
5年後、10年後はどういうふうに変わっているかわかりませんけどね。
絵はナウシカですごく本物っぽいよくできた複製セル画だと思って買いました。実際複製セル画と売ってあった気がします。
・・・・でももしかして、と今更ながら思うのですが・・・・・
あれは本物だったんでしょうか?
おそらく複製で間違いないと思う。理由は以下の通り。
よって、本物ではないだろう。
ちなみにセル画は非常にもろいので、飾っておいたりするとすぐに劣化して酷いことになる。基本的に長く使うものではないし。なので色あせてぼろぼろになった謎の物体として捨てられた可能性もあるのでは。まぁ無責任な予想だけど。
ちなみに、スタジオジブリは、もののけ姫の途中以降はデジタル制作になっているので、本編使用セル画などない事に注意が必要。千と千尋の神隠しに使用されたセル画と名乗るものがあったが騙されてはいけない。また、近年のハイビジョン制作のアニメーションはまず間違いなくデジタル制作である。
とはいえ、デジタル制作のアニメーションは絶対にセル画がないかというとそうではない。本編使用などではなく、ごく希に、雑誌やポスターなど用に版権イラストと言って、優秀な原画家やキャラクターデザイン、作画監督、時には監督自ら描くイラストというものがある。これをデジタル制作が本格化するまえは、本編がデジタル制作なのに、セルで書く人がいるらしい。これが出回る事がある。また、チャリティーオークションなどのために、特別に書き下ろしたりすることもままあるようだ。
これらは当然一品もので、しかも静止画として美しくなるよう、普通の動画用セルに比べて段違いの精度がある。また製法も異なるらしい。たとえばトレスマシン(セルに線画を移す装置)を使うと、カーボンがわりと早く劣化してしまうので、長期保存が必要と言うことで手でトレスしていたりとかするようだ。
ただし、これら普通の本編使用のセル画より出回りにくい上に、出回ったとしても恐ろしい額になる事が多いらしい。
と、別に収集家でもないしちょっと昔聞きかじった程度の知識を披露してみる。
詳しい人による補足突っ込み等あればよろしく。
おまえの根拠など底が知れてるぜ、ってオレの指摘ももちろん根拠があるさ。
だがその説明はしない
説明したらまったく説得力のない根拠であることがバレちまうだろ?
アイドルのことよく知らないけど、少し語ってみる。
supercellの大躍進を見て、ふと思ったんだが、初音ミクを「アイドル」として捉えた場合、
今のアイドルでいうと、PerfumeとAKB48を2で割ると、ちょうど初音ミクになるのではないだろうか。
中田ヤスタカプロデュースになってからの人工的な「感情のない冷たい感じ」と「アイドルとしてのかわいらしさ」がウケた。
いうまでもこの人工的な「感情のない冷たい感じ」は、vocaloidである初音ミクの特徴でもある。
12月20日 - 『Twinkle Snow Powdery Snow』をネット配信限定でリリース。mora winで5日間連続売り上げ1位を記録した。この頃からファンの手で動画共有サイトYouTubeなどにPerfumeの動画が投稿され、大量に視聴される。
(まあ今の時代、動画系サイト、もしくは着メロを経由することでマイナーなミュージシャンがファン達の手によってメジャーへとなっていくものだが)。
初音ミクが出た後、Perfumeの曲を初音ミクに歌わせた動画が出てきたのも、
単純に初音ミク=テクノロジーの結晶と、テクノ系アイドルという親和性だけでなく、時代的にマッチした興味深いコラボだったといえる。
「会いに行けるアイドル」[2]をコンセプトに専用劇場でほとんど毎日公演を行っている。メディアを通した遠い存在だったアイドルを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していくアイドル・プロジェクトである。
と、「会いに行ける」=身近さと、「その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していく」というのがある。
ファン以外は誰が誰だかわからないアイドルたちの、ファンの集積が「AKB48のファン」となる。
それは様々な楽曲、様々なテイストのイラストで「プロデュース」された初音ミクのちょうど真逆だ。
一般人からは「AKB48という名前はわかるが、メンバーの名前がわからない」というある種の奇妙な匿名性を得ている。
結局ファン以外からすれば、得体の知れない集団となってしまい、おそらくこの奇妙な匿名性を維持したまま活動を終了するだろう。
ブランドとしての「AKB48」はあるが、ファンは自分が気に入った各メンバーを応援することで、結果的にAKB48を応援することになる。
初音ミクは公式イラストはあるものの、無数の楽曲・イラストによって、イメージが定まらないが、
逆にそこがプロデュースする方からすれば「自分色に染められる」魅力となり、
またファン(受け手)側からすれば、自分好みを初音ミクを選べることとなる。
また、初音ミクは当然ながらニコ動でのアップと、公式設定にはない「ネギ」を持つ、はちゅねの登場などの「成長」や、
自分が好きな動画を見ることで「再生数が伸びる」という「成長」や結果としてランキングに入るという「成長」がある。
また特徴的なのが、アイドル(与える側:高)-ファン(享受する側:低)という上下関係ではなく、
自分たちで初音ミクを歌わせ、イラストを描き、動画を作りと、自分たちがプロデュース(曲などを与える)することで、アイドルとの上下関係が逆になっている。
たまたまそうなったら「自分の意見がアイドルに届いた」と擬似的なプロデュース感覚を得るのと違い、
まさしく自分の手でアイドル自身をプロデュースできるのだ。それは「究極の応援方法」とも言える。
なんかグダグダになってきたのでまとめよう。
Perfumeの「冷たさ(=人工的な魅力)」と、AKB48の「応援できる」「自分で育てられる」部分を足して2で割ったら、
ちょうど初音ミクになるよね、という話。
今流行ってるアイドルを見ると、初音ミクがあまりにもピタっと当てはまっていて、興味深い。
初音ミクがよりメジャーになっていくのが、当然の流れに思える。
恐ろしいことに、まだミクは本気出してないのだ。きっと。
元彼も鞄を持たないタイプの人だった。財布をジーンズの後ろポケットに入れて、ケータイを前ポケットに入れて、それだけで移動するという人。男性にはそういうタイプの人がそれなりにいるので、ずいぶん身軽だなー程度に思っていた。
私はどちらかというとなぜか荷物が増えてしまう方で(化粧品は持ち歩かないタイプなのだが、なぜか荷物は多い)、いつもわりと大きめの鞄を持って、買い物をしたら全部そこに詰めて荷物はいつも一つ、せいぜいふたつに分ける程度である。これは今も変わらない。
身軽と言ってももちろん荷物が増えることもあるわけで、そういうとき彼はいつも私に「そのバッグに入れさせてよ」と言った。私は特に構わないと思ったのでいいよ、と答えることが多かった。彼は買い物好きだったから、買い物でどんどん荷物が増えていってしまうのだ。自分からすると小分けになった袋をたくさん持って歩くのは忘れる確率が増えるのでどうなんだろうなぁと思っていたのでむしろ喜んで鞄に入れてあげていたくらいだった。
そんなことが日常となっていくうちに彼の頭の中では、私=荷物を持ってくれる人になってしまったようで、買い物をした後の袋を全部私に押し付けてくるようになった。そのうち「持ってくれる?」とすらも言わなくなった。長い付き合いだったから、日常の中にまぎれて私もあまり気にしなかった。あまりにも重い時は断ったが、そうすると彼は不機嫌そうな顔をするのだった。
さらにそんなことが続いていくうちに、買い物以外の荷物も押し付けられるようになった。デジカメ入れてくれ、ちょっとノートパソコン持ってかなきゃいけないんだけど持ってくれ、そのうち持ってくれということもなくなり勝手に鞄に入れたり、私が愛用している自転車のかごの中にどさっと入れたりして当然というような顔をするようになった。たまに私が不機嫌になると、何で不機嫌になるのかと逆に不機嫌になるようになった。荷物が重いので疲れたからどこかでお茶しようというと、まだ自分は大丈夫だからいいでしょとすげなく却下し、日射病になりかけてふらふらしたりめまいがして動けなくなるまで買い物に付き合わされたりなどした。しかも動けなくなると何でもっと早く言わないのかとくどくどと説教すらした。
彼のことをかわいがっていた年配の方に私もかわいがられていたのだが、その人いわく「あいつは気がきかないからなぁ」だった。そうなのだろうかと納得しかねる思いでいたが、そうなんですよねと答えることしかできなかった。何そんなにたくさん持ってるの?と言われると、「これ半分くらい私のじゃないんですけどね」「……いやーもっと尻に敷いた方がいいよ。あいつガツンと言わないとわからないから」などという会話をしたりなどした。
どこで、そういうのはやめてほしいというべきだったのか、今でもよくわからない。最初はよかれとおもってやっていたことだった。それが少しずつ少しずつ彼があまえ、私がそれを諫めず、そしてエスカレートしていったのだった。確かに彼には問題があるだろう。だが、私に問題があるとすればどこだろうか。
そんなことを考えながらコンビニで買った品物を受け取ろうとしたら、彼が言った。
「まーたどうしてそう重い方持とうとするのかな!俺が重い方!肉まんでも持ってろ!」
難しく考えず、相手の意向を伺わなくても、自らどうしてほしいか言ってくれる彼は本当に優しいなと思った。
この日記は
2.自分の他者に対する考え
3.現ジャンルのファン層を見て思うこと
4.結論と質問
で、構成しております。すみません長いです。
自分は寂しがり屋です。
だから誰かが見ているという意識がないとブログを書くことができません。
1.自分の感情を吐き出せる
2.将来的に自己分析の源になる
自分は頭が良くないので、思い悩むと一つのことをひたすら考えてしまう。そういうときにアウトプットをすると、今の現状ラインが見えてきて、思考をひと段落させることができる。するとその次の段階を考えることができる。だからブログは貴重な場だと思っている。
運がよければ優しめなコメントがもらえる。でも別に毎回欲しいわけじゃないから、ブログは常にはてなとかミクシとかである必要はない。
自分が何を考え、何を喜び、何を嫌い、他者と何をし、その成果はどうだったか。
それらを考えることによって、自分意思や信念を客観的に理解できる。次同じようなことがおこったときは昔の自分はこう判断したが~から入れるから、時間的にも心情的にも楽。
また、他者とのかかわりを書くことによって、他者が自分を評価していたり、逆に評価しなかったりするポイントが見えてくる
そして1の利点から感情を吐き出していたのです。
ですから普通の人は本音と建前を日常で分けるのでしょうが、自分はわけていません。
そんなことをしては今の現状の把握ができなくなるし、今までは友人もそういう子だからと許容してくれていたからです。
そして今、サイトを作っています。
サイト管理人の日記は自分的にかなり好きなコンテンツなので、普通に作って、そのままそのブログにリンクをはろうとおもっていましたが、ふとそれでいいのかと考えたのでこの日記を書きました。
普通まず考えるのは、自分がその考えを第三者に知られて困るのかということですね。
自分としてはそんなにこまらない。間違えることは嫌だけれど恥ずかしくはないからです。
じゃぁ何が問題なの?っていうと
自分の言葉を信じてしまう第三者がでるかもしれないことが問題なのです。
自分は二次のサイトを運営しようと思っているわけですが、そのサイトにはジャンル的にみても当然中学高校生の訪問が多くなるのが見込まれています。
そんな感情豊かな時期の彼らに、自分のむき出しの感情が触れてしまうのです。
ぶっちゃけ自分は模範的で常識的で一般的な人の考えはもっていません。
成績がいいとか、大企業に就職しているとか、金持ちであるとか、いい彼氏彼女と付き合うとか、高学歴があるとか、ニートじゃないだとか、30超えて負け犬にならなかったとか、人生を生きていくうえで個人に付与できるアビリティはいろいろあるけど、そんなんどーでもいいとおもっています。
自分の人生における目標を楽しんで達成できたらそれでいいじゃん?
まぁ、上記アビリティがあったほうが楽しいし、世間様は色眼鏡で見てくれるので、あったほうがいいとは思うのですが、心の中では無理するくらいならやんなくていいんじゃね?バレない程度に手抜けばいいんじゃね?っておもってる
それが悪だ!といわれても、別に自分にはそういう自分でも許してくれる心の優しいできた友達がたくさんいるので、第三者からどうみられようがかまわないです。
でもまぁ、こういう考え方を一般的なご家庭が望んでいるかというと、そうでもないよね
特に小中高までの学生には素直に育って、真面目に勉強をして欲しいと思う親が大半だと思う。
だってあの時代に積み重ねることのできるものって、能力的にも人間関係的にもかけがえのないものだからさ。
自分が親でもこの時代だけは、人の裏の顔とか、できないことをできないで許容する根性だとか、自分が生きているだけで他者を傷つける人間であるとか知って欲しくない。
別に知ってもいいけど、それはあくまで人から促されるものでなく、自分の感情や考えであって欲しい。
理想に燃えて欲しい。自分はできる人間であると、望まれて生きている人間だと、無意識に心のそこから思っていて欲しい、のですよ。
でもね、子供って大人が思っている以上に大人だってことも理解している。
だって保育園児だってちゃんと話せば理解する。それより年代が上の彼らが頭が悪いわけがない。
論理ができてないって思うのは大人だけで、彼らは彼らの論理で生きている。
だから本当に考えて出した答えなら間違いであるはずがないのです。
でも面倒だからか、考える喜びを知らないかは知らないが、他人に追従する考えを持つ子が多いのも確かだなぁとは思っています。
今のジャンルは特にそんな感じがするんだけど、某動画サイトでそのジャンルの人気動画のコメとか見てると
うp主マンセー、うp主の発言がすべてです、うp主と友達になりたいとか・・・
一介のファンの人ももちろんいると思うんだけど、中にはシンパ的な発言をしている人もいて、
第三者って時は笑ってたけど、実際にその情報発信者になろうとしてる今はマジ怖ぇぇぇー!(泣)
あ、↑の発言が全てシンパとは言わないよ。普通にいってる方もいるんだろう。
でも、あげたらジャンルばれるからいわないけど、動画特有コメとかみてると怖いよ。マジで。
ファンとシンパって特に結構ライン曖昧だしさ・・・。最初はそうでなくても何度も見てるとすりこみってのもあるしさ。
って書くと自分のサイトに自信があるかのように見えるけど、実はそうでもないのです。
客観的に見て自分の力がほか大勢の方に劣っているのは目に見えています。
もちろん多くの人に見てもらいたいって気持ちはあるけど、ファン層としてはあなたの作品がとても好き!って人が一人か二人いればそれで十分だと思ってるし、それを獲得するために日々努力したいと思ってる。趣味とはいえ評価されればやっぱりうれしいしね。
なんでこんな個人ブログ見てんの?え。管理人さんの考えや感覚が好きだからだよ!とかさ・・・。
なんだか迷走してしまってごめんなさい。でも今の感情を全部書かないと、自分も第三者もわからないこともあるかなと思って書きました。
あと、上ではファンとかシンパとかこえええとか言ってましたが、実際にそんな人ができたら、何億人といる世界の中で、こんなテキトーなサイトにきてくれて、こんなちっぽけな自分を好きになってくれたら、それはとてもありがたいことだとおもっています。ほんと。
個人的な今のところの結論は
・投稿する前にもう一度見直し、人を傷つけたり、負の感情を促したりする言葉がないか確認する
・発言に責任を持つ(一度投稿した記事は訂正はしても削除はしない)
・どうしても負の感情を書きたくなったらこういうところでさらす。(はてなは議論するブログだから、見てもいいか悪いかはわかってくれるだろ)
です。
でもほかの人の視点も知りたいので質問です。
もしもあなたがサイトの管理人で小中高生が見る可能性のあるブログを運営するとすればあなたならどうしますか?
または現在どのように運営していますか?
つたない文章をここまでよんでいただき本当にありがとうございました!
この間、数年ぶりにガンダムを見たんです。テレビで。たまたまつけたらやってたから、ちょっと見たんです。
俺は、20そこそこまでアニメ見てた。
自分で借りてまでは見なかったけど、友達がアニメビデオ(当時はまだDVDはなかった)借りてくるってんなら、その費用の一部を負担するぐらいはした。
なので、そこそこアニメとかは許容できるほうだと思ってた。
でも、そもそもビデオ予約とかしてまで何かを見ようと思わない人だったので、社会人になったらアニメ放映時間にテレビ前にいることもなくなったので、何年もアニメをみなくなったわけです。
「稚拙」
なんつーか、ほら、昔のアニメとかなんかの特番で見るとなんか稚拙に見えて「時代がかってるよねー、アハハ」なんてなるんだけど、いやいやいやいや。
同じです。
いや、たまたま見たガンダムだけで判断するなよって言われるだろうけど。うん。その気持ちもわかる。
でも、5年アニメ見ないでみなよ。たぶん、俺と同じ感想持つから。
感心することといったら、「あー、CGとかあたりまえになってるなー。ぱっと見は綺麗だなー」とかそれぐらい。「CGだからにゅるっとうごくなー」とか。
なんかねらってんのか、変なしゃべりかたする女キャラとかいるし。
人を悪く言えないさわやかくんが、アニメについて(そういうひとは大抵マンガっていうけど)「えっ? それ、子供向けでしょ? おもしろいの?」って真顔でいうのがわかるような気がしたわ。
ほんと、数年ぶりにアニメみると、アニメは子供のためのものだって思う。
彼女が今度はアメリカでインターンシップに1年間参加するらしいんです。
去年の夏までは1年間ヨーロッパに留学。そのときは会いにいったりもしました。
今回、また海外に行くという話を聞いてもうだめかなと思ったとき、彼女が言ったわけですよ。
別れようと、軽い気持ちで行きたいからと。
その瞬間ぶざまにいやだって言っていたわけですよ。
なぜだかわからないけど、向こうから別れを切り出されるとあきらめることができなくなったんです。
でももちろん向こうは納得しない。
「私は近くにいてくれる彼氏がいい。会ってデートしたいしエッチもしたい」
とか言うわけです。
もう、どう考えてみても別れるべきだと思うんですよね。
だけど、本当に別れてしまったら、今まで自分の生活の中で大切にしてた何かがなくなってしまいそうなんです。
「ある人(自分)ができたんだから、お前らもできるはずだ」っていうのは強者の論理なんだよ。
君のお父さんが社会の上層部とバイクつながりかなんかで友達になったからって、世の中の多くの底辺は上層部とのつながりなんて持てないんだよ。残念なから。
そりゃ中には持てる人もいるよ。その人にしたら「自分ができたんだからみんなできる。できないのは人間関係を広げる努力をしてないだけ」って思うだろうけど、現実はねえ。
逆に、上層部が下層につながりを持つのは簡単なんだよ。だから、人間関係を広げたければそれこそ上層部に行く方が率は高くなる。あくまで率の問題ね。そうでない人もいる。
でももちろん、「上層部との将来的なつながりを求めていい大学に」ってのを主目的にしちゃうと本末転倒というか、ギブアンドテイクメインの打算的な人間関係に陥ってしま。あくまでメインは勉強研究しにいくわけで。
一方その副産物としての「人間関係」っていうのはやっぱりでも無視できない大きさではあるんだよ。俺とお前は同期の桜。副産物の部分は無意識で、ってのが多くの場合の関係のあり方じゃないのかなあ。
ドラゴンボールの実写は、海外ドラマ「サブリナ」の男版みたいな1話完結のシチュエーションコメディードラマにすれば案外いけるかもしれない。と妄想してみた。
もちろん人によるだろうけど、
あと、女性の収入>男性の収入で、女性が多めに出す場合ももちろんあるだろうけど
その場合、男女逆のときより、「奢ってあげてる」感が強いと思うんだけどどうだろう。
男が奢る場合も「奢ってあげてる」感を内心かなり持ってることは多いと思う。
「こんだけ金出してやってるのにやらせてくれない」的発言はめずらしくないし、別れる時にレシートつきつけて今までお前に使った金返せってやる男の話とかも聞いたことあるし。
むしろ奢ってる女の「こんだけ金出してやってるのに○○してくれない」って発言は聞いたことないな。
養われる方が云々の話も、奢られるとはちょっと違うと思うけど、離婚の可能性も視野に入れて、自分の収入源を確保することを重視する女性の方が今は多いよ。
自分で嫁って言いたいけど、六十年代の学生運動やオウム事件(言うまでも無く、村上春樹は『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』の作者だ)を引いてこう言ってる。
一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が一九六〇年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大段上に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
あとは、文芸春秋を買うなり立ち読みするなりして確かめてくれ。
追記:
日本で受賞が報道されてから、パレスチナ問題について活動している人たちから問題提起があったのは、有意義なことだったと思いますよ。僕にももちろん言い分はありますが、どんなことだって賛否両論あって当然だし、たとえ僕が批判の矢面に立ったとしても、パレスチナで起きていることについてより多くの人が興味を持ってくれれば、それはそれで意味があります。大事な問題ですから。
ただ一方で、自分は安全地帯にいて正論を言い立てる人も少なくはなかったように思います。たしかに正論の積み重ねがある種の力を持つこともありますが、小説家の場合は違います。小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった。
いちおう、この引用のみを元手に批評するのはやめておくべきだ、とだけ言っておく。記事全体で一つの読み物として練られているタイプの文章だし、部分を切り出して「真の意図」やら「無意識の偏見」やらを「批評」するのはそぐわないように思う。既に、朝日の紹介記事に対して同種の「失敗」をしているエントリも散見することだし。
http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
あのさあ、例えばさあ、CDにする時点で「機械の音」じゃん。たくさんの人がすでに書いてるけど。
で、生ライブでもさあ、ボーカルの前においてあるのは何?マイクだよね?機械だよね?で、その機械がケーブル通してどこにつながってるかっつうとやっぱり機械なわけじゃん。PAのミキサー卓でオペして調整してスピーカーっつう機械から音を出すわけじゃない。楽器も同様ね。
DTMやミクとどう違うのっつう話ですよ。確かにあれ変な声だけど、その音が楽しい、て層ももちろんいるわけ。音楽なわけ。それを否定する権利は別に君には無いわけ。
君は何を問題にしてるの?まさかオペラ以外音楽じゃないとか言い出す気じゃないよね?
全然論点が見えてこないんだけどさ、何が結局主張したいことなの?