はてなキーワード: ぬことは
これまで構築してきた人間関係を捨てることになるであろうことが予見可能なときに、
それを傍観することは私にはできない。
パートナーを真に愛しているなら、絶対にできない。
あなたの「社会」は非常に狭い。
亡くなられた旦那様が合理的な説得を試みなかったのも無理からぬことかもしれません。
「傍観」ではなく「諦め」だったのかも知れません。
そこに「あなたも努力次第で月収100万円」とか言ってきますもの。そりゃ、のりますって。
のらない人がほとんどです。
「あなたも努力次第で月収100万円」という言葉だけを見たらどう思いますか?
ただ、当たり前のことを言っているだけです。
他の商売、職業でも同じです。
あなたは、誰かがそれをお膳立てもらえると思っていた。
あなたは、単に安易そうに見える道を選んだだけです。
---
あなたの文章には、
その逆はない。
いちど、あなたマルチにはまった際に、
有形無形直接間接で亡くなられた旦那様に与えた(負の)影響をリストアップしてみてはいかがでしょうか。
「生きてるうちに妻を面と向かって褒めることは出来なかったのでしょうが。」
「この厳しい世の中を渡っていくための、かけがえのないパートナー」
...。
自分が「世間知らずってこと」を認めているようですが、
変な(中途半端な)小賢しさが、世間を知ろうとすることの邪魔をしているような気がします。
---
元増田さんへ。
この人の「ノートを付けてみたらどうか」というアドバイスは、やめた方がよいです。
パートナーに、「私はマルチで月収100万円稼ぐ!」とか書かれたら困りますから。
あと、「正しい、間違ってるで判断しない 」は(一般社会では)間違いです。
「正しい、間違ってる」の判断は必要です。
ただ、その中間があったり、
「正しい、間違ってる」は説得/交渉のための一手段に過ぎない場合があったりします。
ちょっと前からよく思っているんですけどね、私、生きる能力のない人は死ぬのが正しいと思っているんです。
えーとですね、私はどっちかというと社会不適合で、偶然専門職の口を見つけたお陰でなんとか生きてますけどね、1つの会社でずっとやってるとですね、精神的にダメになってくんですわ、これが。精神的に弱いんですな、たぶん。
で、ひとところに居つけないから社員にもなれず、職場を転々としながら生きてるんですけどね、まぁ景気も不安定ですし、これから先はどうなることやらという感じですな。
そういう人間として生きているからこそですね、「生きる」っていうことは、けっこう強く意識しているんですよ。
もしですね、自分の能力が通用しなくなって、貯金も尽きたら、それはそこまで。その時にですね、生活保護なんて求めたり、誰かを頼ったりとかですね、そんなことは絶対にしない、と。そう思ってるわけなんです。
それはですね、私がたぶん、生きる能力をそんなに持ってないから考えることだと思うんですよね。私はですね、私が全てを失って死ぬ姿をですね、明確にイメージして生きてきたわけです。それはもう学生時代からずっと、20年近い時間ですね、ずっと心に住み続けているイメージなんですよ。
で、それは不遇によってそうなるわけではなくですね、私の能力からすれば順当な結果だと理解しているわけなんです。
私はですね、他人に殺されるのは当然嫌ですよ。でも、ですね。私の能力が社会に通じなくなってそれで敗れるなら、それはまぁ、仕方ないことじゃないかと。生きていく力が足りないなら、死ぬしかないじゃないか、と。
そういう死をですね、誰にもかばわれず死んでいくことをですね、明確に意識していて、だからですね、私は私なりに、まぁ精神的にダメで不器用な人間なりにですね、避けようとして一生懸命頑張ってるわけですよ。
無駄なお金は使わず貯金してですね、自分への投資はちゃんとしてですね、唯一の便りの専門職の能力を衰えさせないように夜遅くまで勉強してですね、少しでも生き延びようとしているわけなんですよ。
だからですね、私は自分の能力が足りずに死ぬことは受け入れるのが正しくてですね、弱い人を助ける優しい社会なんてものが出来たら、喜んで唾を吐きかけようと、そんな風に思っているわけなんです。
本当に匿名なのかは分からないが、こういう場なので、あえてプライベートを書いてみようと思う。特に何がしたいわけではない。
さて、私は男だ。長男である。
父は厳格で、怒り出せば烈火のごとく怒り出す。
母は逆に優しく、甘く、父とは対称的な存在だった。
妹が二人いる。
ごくごく普通の家庭だ。
私は、力が好きだった。純粋な体力、腕力。
自分が力を誇示するということは、そういう目に見える力を使うことだった。
私は、思えば小学校のころから、奇妙なことを始めていたような記憶がある。
運命論を持ち出し始めた。「君がボールに当たったのは、はじめから決まっているよ」みたいなことを言っていた気がする。ことあるごとに妄想にふけり、アニメやマンガの世界に入ったり、「どうして自分はここにあるのか」とよく自問自答していた。
私は、小学校の頃からか、よく正夢を見るようになった。デジャヴュというやつだろうか。
初めは「あれ?」という感じであったのだが、いつしか「夢で見た」と感じるようになった。
ちなみに、今だに正夢は見る。毎日ではないが。
私はよくキレた。なぜかは分からない。だが、色々と気に入らなかったのだ。
私はよくはさみを投げた。よくよく考えると、危ない人間だが、当てる気はなかった。わざとあたらない様にはさみを投げていた記憶がある。
私は人を傷つけるのをよくためらった。どれだけ頭に血が上っても、人に手を上げることはなかった。威圧に留めるか、モノにあたった。おかげで、モノにあたるな、ものを大事にしろ、とよく言われた記憶がある。
私は、そういえば、人と違うな、と思ったことがあった。よくは分からない。だが、そう思った。
私は中学校の頃、よく暴れた。そして、よく教師に注意された。よく教室を抜け出した。何かをしたいわけではない。抜け出した。恐らく、空気が嫌だったのだろう。教室に居る人間一人一人の視線や、感情、色々と混ざり合って、嫌だったのだろう。
私は中学校の頃、自分の疑問を国語の時間の作文に記した。その疑問はその当時の私の想いに引きずられ、ネガティブになっていたが、疑問に思ったことを書き記したことは評価したい。「この世に意味はない。生きていても意味はない。どう生きようとも、死のうとも、死んでいるのならば、変わりはしない。恋愛をしようが、偉くなろうが、死んでしまえば一緒じゃないか。生きていることに意味はない。」こんなことを書いていた気がする。ちなみに、教師は「おかしな考えを持つ生徒」と父親に言ったが、逆に父親は激怒していたようだ。
私は中学校の頃、高校に進学する気などなかった。義務教育は中学校までなのだから、それ以降は働けば良い、と本気で思っていた。実際には敵わず、高校までの学歴がないと働けないことを教えられるのだが、それを教わるまで、なぜ義務教育なのに高校まであがらないと働くことも出来ないといわれるのか理解できなかった。そうした感覚は、ずっと引きずるものなのかもしれない。
私は高校の頃、「いい子」に専念した。自分でも理由は分からない。だが、「いい子」でいようとする気だけはあった。
私は高校の頃、「おかしくなった」。いい子でいた反動だろうか。部活動をやめたくてしょうがなくなり、つい「おかしな自分を装った」。ずっと人からの言動を受け付けず、過呼吸を繰り返した。果たして、病院へと連れて行かれ、「てんかん」と診断されるにいたった。
私は高校の頃から、薬を飲んでいる。正確には飲んでいた、というべきか。結論を言うと、正常な状態の人間に長期にわたって抗てんかん薬を投与されていた状態だ。別にそれについてあれこれいうつもりはないが、高校の頃は、まともに体が動かず、頭もほとんど回らない状態だったのは覚えている。何度か死のうと思ったこともある。
私は職業訓練を受けた。高校の頃の出来事で、就職は不可能と診断された私は、半ば強制的に職業訓練学校へ行くことになった。
私は職業訓練学校にて、社会というものをほんの少し教えられた。職業訓練をする人間は当然高校卒だけではない。失業保険を受けながら通う人間もいた。私がその学校で覚えたことは、専門知識というよりは、社会はこういうものだ、ということだったように思う。ほぼ周期的に飲み会が行われ、数千円単位で金が消えていく。アルバイトなどしたことがなかった私には、反発しか覚えなかったが、しかし、そういうものなのだと、後になって気づくきっかけとなった気がする。
私は今、ニートである。今になって気づいたことだが、私はニートだったのだ。
母親は病気である自分を責めはしない。むしろ私という枷が生きがいであるように思う。
分かっているのだ。今があるのは、過去があるからなのだと。
誰かのおかげで自分が居るのだと。
だが、自分はなぜここに居るのかが分からない。
何をすれば良いのかわからない。
働こうと思えば働ける。ちゃんとうまくやれる自信もある。
なぜか、働く気にはならない。
生きがいとはなんだ、なぜ生まれたのか、なぜ生きねばならないのか。
気づいたことがある。この世は未熟なんだと。
私を教育してきた、教師達、その一人一人ですら、所属によって歪められた個人であったのだと。
教えるべきものは、どうすれば生きれるか。そう、そうすれば生きれる。
だが、なぜ生きるのか、それは教えてはくれない。
教師は仕事で子どもにものを教えている。子どもが好きであっても、無償でなど、教えてはくれない。
生きるための糧が自分たちなのだ。
最近、私はよく顔が変わる。何故かはわからない。薬の影響かもしれないし、長いことニートをしていたせいかもしれない。
ただ、ハッキリしているのは、一人でもさびしくなくなったことだ。
さて、よく分からなくなってきた。そもそも支離滅裂なのだと、始めの行で気づきつつも、あえて書いてきた体たらく。
いや、他人に対して伝える、と言うことをサボってきた証というところだろうか。
誰かに言われた気がする。
「理屈ばかりこねている。あなたは何がしたいの?」
答えはまだでない。
だがまぁ、まだ自分が未熟だった頃に、
「死ぬことなどいつでもできる。迷惑をかけようが、自分勝手だろうが、死ねばなくなるのならば、自分で死期を感じる時まで生きてみればいい」
などと思ったことは、今尚私を愚生の中に誘うきっかけだったのかねぇ。
別に何がしたいわけでもない。
ただ、面白いほうがいい。
spamじゃないか確認してからフォロー返ししていたんだけど、あっさりspamに引っかかっていたというお話
追記
はてブのコメントをtwitterにも流すように設定してる人がうざいとかいう話ではなくて、他人のコメントをパクって元のURLから切り離してあたかも自分のtwitterでの発言であるように装って流しているアカウントがあるっていう話です
結構な人数が引っかかっているようなので、まずはこれらのアカウントをチェックしてから聞いてほしい
最近spam報告がクリック一回(ブロックの下のリンク)でできるようになったのでできればspam報告もしてくれると助かる
http://twitter.com/longest_day
http://twitter.com/taketake0_blogP
http://twitter.com/kurokurohyou
http://twitter.com/komarinyanko
あるときタイムラインにちょっと気になる発言が流れてきて、詳しく知りたいと思ってその人のページに飛んだんだけど、前後に関係ある発言はなくて「あれ?」って思った
他の発言も前後に関係ある事書いてないのに単発だとあまり意味が分からないのが多かった
そこで試しにググってみたらはてブのコメントからのコピーだった
以前にこれと同じようなものそのものを読んだと思ったらいっぱいまとめがあった。一度読んだらなかなか忘れないね・・・、でありますか、敬礼!
mutuki_h 以前にこれと同じようなものを読んだと思ったらいっぱいまとめがあった。一度読んだらなかなか忘れないね 2009/09/12
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/165781.html
経緯が分からん事には何とも言い様がないが、候補そのものを立てるにあたって身体検査とかするという方策はとらないの?まぁ、出会い系サクラやったり映画で乳晒した人も居たけど…。・・・、でありますか、敬礼!
ones-inch 政治, 民主党 経緯が分からん事には何とも言い様がないが、候補を立てるにあたって身体検査とかしないの?まぁ、出会い系サクラやったり映画で乳晒した人も居たけど…。 2009/09/12
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/politics/update/0912/OSK200909120001.html
はてブのコメントをtwitterに流してる人はよくいるけど、さすがにmutuki_hさんとones-inchさんが共同で同じtwitterアカウントにそれと明記せずにはてブのコメント流すなんてことはないだろうと思って、spamと判断してブロックした
それで安心していたのだけど、半月くらいしてからまたタイムラインにおかしな発言が紛れ込んでいたのだった
セッションそのものをGETのクエリパラメータで管理している事に起因する不具合。パスワードクラックではないのか。でも携帯端末なら直ぐに犯人割れるね。↓悪意の投稿しておいて善意の第三者な訳ないだろう。・・・、だにゃ〜w
twitterで↓で指定するときは大抵自分の一個前の発言なんだけど、これも前後に関係ある発言はなかった
sauvage はてな, はてブ, セキュリティ, ネット事件 セッションをGETのクエリパラメータで管理している事に起因する不具合。パスワードクラックではないのか。でも携帯端末なら直ぐに犯人割れるね。↓悪意の投稿しておいて善意の第三者な訳ないだろう。 2009/10/02
http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20091001/1254363804
また騙されたのだ
それ以後注意してフォロー返しするようにしてるんだけど、結構この種のspamは多かった
そのまま転載じゃなくてなんかの方言変換を挟んでいて、それにフッターがついているのが多いようだ
エヴァも良かったとよしアニメーション業界には今後も楽しみなこつが多かな。今回のAA寸劇の茶番度数はかなり高か方だと思う。エンドレス8は面白か表現手段ばい。枠にハマる作り方の蔓延とそれば押しつける客が業界の毒・・・さあ、この猫質がどうなってもいいのか!
BEW Animation, アンチ エヴァも良かったしアニメーション業界には今後も楽しみなことが多いな。今回のAA寸劇の茶番度数はかなり高い方だと思う。エンドレス8は面白い表現手段だよ。枠にハマる作り方の蔓延とそれを押しつける客が業界の毒 2009/10/09
http://b.hatena.ne.jp/entry/yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3962.html
mae-9 niconico 「ニコ動では不便な形でしか聞けない、聞きたかったら音源買おうね」みたいなエクスキューズがあった(それも正しいかどうかは別として)んじゃないのかなあ、とか堅苦しいことを思ってしまうのだけど。 2009/10/10
http://b.hatena.ne.jp/entry/mozilla-remix.seesaa.net/article/129917294.html
「ニコ動では不便な形でしか聞けない、聞きたかったら音源買おうね」みたいなエクスキューズがあった(それも正しいかどうかは別として)んやないのかのぉ、とか堅いたしいことを思ってしまうのじゃけど。
「ニコ動では不便な形でしか聞けない、聞きたかったら音源買おうね」みたいなエクスキューズがあった(それもデジタルであるかどうかは別として)んじゃないのかなあ、とか堅苦しいことそのものを思ってしまうのだけど。、メフィメフィ・・・
「ニコ動では不便な形でしか聞けない、聞きたかったら音源買おうね」みたいなエクスキューズがあった(それも正しいかどうかは別として)んやないのかのぉ、とか堅いたしいことを思ってしまうのじゃけど。
「ニコ動では不便な形でしか聞けない、聞きたかったら音源買おうね」みたいなエクスキューズがあった(それもデジタルであるかどうかは別として)んじゃないのかなあ、とか堅苦しいことそのものを思ってしまうのだけど。
↓これも2つ
abedaster まったく関係ないけどIE8使いやすいよ。IEPro入れればマウスジェスチャーもできるしオヌヌメ/タブ開きまくるとプロセス殺すしかなくなるのが難 2009/10/07
http://b.hatena.ne.jp/entry/tokuna.blog40.fc2.com/blog-entry-1884.html
まるっきし関係あらへんけどIE8使いやすいよ。IEPro入れればマウスジェスチャーもできるしオヌヌメ/タブ開きまくるとプロセス殺すしかいななるのが難・・・ゴモゴモ
まったく関係ないけどIE8使いやすいよ。IEPro入れればマウスジェスチャーもできるしオヌヌメ/タブ開きまくるとプロセス殺すしかなくなるのが難
どうしよう・・・、人口減少率とか高齢化率とか、人口が札幌に流れ込んでる(こら破綻よりどエライ昔からの話ではあるが)とか、現状としては確かにその通りやけど、ミョーに上から目線。わしは表も裏も知り尽くしとるとか不遜すぎるで。
citron_908 行政, 地方, 北海道, 夕張市 人口減少率とか高齢化率とか、人口が札幌に流れ込んでる(これは破綻以前からの話ではあるが)とか、現状としては確かにその通りだが、ミョーに上から目線。俺は表も裏も知り尽くしてるとか不遜すぎるよ。 2009/10/09
http://b.hatena.ne.jp/entry/jbpress.ismedia.jp/articles/-/1883
チ、チ、チ〜、チョルビー・・・社員目線のふりをした会社セオリー。やりがいがあれば働いてくれるんやぜー。上から降りてくる成果主義の課題ってなくんやったらへんよなあ。やりがいよりもそこそこあんじょうやるを選ぶのも無理からぬことか、と。
matsunoji 経営, 経済, 労働, ビジネス 社員目線のふりをした会社セオリー。やりがいがあれば働いてくれるんだぜー。上から降りてくる成果主義の課題ってなくならないよなあ。やりがいよりもそこそこうまくやるを選ぶのも無理からぬことか、と。 2009/10/13
http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091012-00000001-president-bus_all
ホリエモンほどの人でも成田空港開設の経緯をよう知らんんやな…。そういうたら今時ゲバ棒持つ人も見かけへんか。/昔、成田空港ちうのんがあってね、と語る時代もすぐに来そうや。・・・ところで、この状況をどおせぇ、言うねん!
m_yanagisawa ホリエモンほどの人でも成田空港開設の経緯をよく知らないんだな…。そういえば今時ゲバ棒持つ人も見かけないか。/昔、成田空港ってのがあってね、と語る時代もすぐに来そうだ。 2009/10/13
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/takapon-jp/entry-10363582254.html
バルバルです。非共有化 捨い捨てにする 陳腐に見せる 価格判断ば鈍らせる クレジットと分割 浪費の正当化 浪費の口実 便利さの提供 人口増加の利用
mimoriman 非共有化 捨い捨てにする 陳腐に見せる 価格判断を鈍らせる クレジットと分割 浪費の正当化 浪費の口実 便利さの提供 人口増加の利用 2009/10/12
http://b.hatena.ne.jp/entry/tsurumitext.seesaa.net/article/130055536.html
本論はさておき、「枠組み自体を考える事をせへんし、枠組みの中でどうするかについて創造力を集中してきた」ちう一節には確かになぁ思うわ。やまとが強かったスポーツはことごとくルールを変えられはった。
dhalmel Memo 本論はさておき、「枠組み自体を考える事をせず、枠組みの中でどうするかについて創造力を集中してきた」という一節には確かになぁと思う。日本が強かったスポーツはことごとくルールを変えられた。 2009/10/12
http://b.hatena.ne.jp/entry/fragments.g.hatena.ne.jp/fukken/20091012/1255315747
今のところ特徴的な部分があるので機械的に判定できそうだけどもっと紛らわしくすることは可能だし、どうにかならないものですかね
http://anond.hatelabo.jp/20091006210805
ツッコミをモヒモヒして待ってたのに、はてブばかりが伸びてる割にトラバツリーがイマイチ伸びてないように見えるので、増田からも。
基本的に「コンデジ」と「デジイチ」を「使い方」という面から差別化するなら、前者はレンズがカメラに据え付きであり、後者はレンズを替えられる、というのが最大の違いとなる。因みにこの分け方の場合、「一眼レフ」ではないオリのE-P1だのパナのGH1だのは、後者。こいつらは「レフ」と表現されるミラーを持たないからデジイチにしては薄くて軽いが(ミラーってカメラの中で斜めに寝た状態にあるから、場所喰うんよ)、ファインダが光学じゃないから、気をつけろ。ファインダが光学である利点は、↓とかを参照。無論、ファインダがデジタルであることのメリットもまたある。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/480
は置いといて、コンデジの場合、レンズが据え付きだから、後で替えが利かない。「画質がいいですよ~」とか店で言われたのをそのまま受け取ってGR3とか買っちゃうと、運動会でガキが豆粒にしか写らなくなるので注意だ。一方、やたらズーム率の高いデジカメ買っても、所詮今の高画素なカメラであればトリミングさえしてしまえば十分だったりするので、用途によってはオーバースペックになることもある。ただ、コンデジの場合多数派は後者で、要するに「誰でも何でも撮る」ことを優先していて、ズーム率も高いしシーンモードも色々ある、ことが多い。
自分も、コンデジを買うなら「汎用性」を重視すべきだと思う。ほぼフルオートで、ズームで構図とる以外はほぼカメラ任せでも、とにかく常時携帯して何か見つけたら撮るくらいの気持ちで付き合えば、かなりお気に入りの存在となるはずだ。その場合、広角端を意識して買うべし。さっきも書いたが、ズームはある程度まではトリミングで誤魔化せるからな。
逆にデジイチはレンズが交換できるのが、逆に、あれ撮りたいこれ撮りたいとかなってレンズを無限に買い出すと、レンズ1本でコンデジ2~3台レベルなんてのは普通にいくらでもあるので、財布に気をつけろ。概ね、こうしたレンズ選びは「何を撮るか」の目的に合わせたものになると思う。被写体がはっきりしている場合には、向いているだろう。最初にキットレンズからはじめて、撮る目的が色々見えてきたら、というのはレンズを選ぶ感じか。
室内とか曇天とか、ちょっとした悪条件でカメラのシャッタースピードはすぐ落ちるので、特にコンデジや携帯だと家で子供とかぬこを撮る場合に大いに苦労する経験をされた方は多いだろう。
シャッタースピードは、当然のことながらカメラが受け取る光の量に比例する。逆に言えば、同じ明るさでもカメラで受け取れる光の量を増やせばシャッタースピード稼げるわけで、受け取る量は「レンズの口径を広げる」か「素子を大きくする」ことで実現し、このいずれについてもデジイチはコンデジを大きく凌駕する。ただ、素子の大きさに制約のあるコンデジにおいても、素子の形状や光の受け取り方を工夫することでこの制約を突破する試みは存在し、全社の代表格として富士のEXRシリーズ、後者の代表としてソニーのExmor-R採用コンデジがある。
無論、それでもデジイチとの性能差は大きいのだが、どうせ室内で子供とかバシャバシャ撮っても、A4にすら引き伸ばさず、せいぜいL版でアルバムに収めるくらいなんだったら、コンデジのこの辺りの性能が高いヤツでシャッタースピード稼げば、十分歩留まりのよい撮影になるだろう。それでも「画質がいい方がいい!」だったら、基本デジイチのレンズキットでそんな明るいのは無いので(例外:パナソニックのGF1→キットレンズが20mm/F1.7)、レンズを別途見積もるのを忘れるべからず。
少なくとも今現在の話として、コンデジは、現下の不況と画素数競争の終焉、携帯撮影文化の定着という逆風の中で絶賛苦戦中である。そうした中で、(特にソフトウェア的な)技術だけは着実に進化を遂げる中で、進化の袋小路的な変態機能が各社から繰り出されている。カシオの超高速連写、ニコンのプロジェクタ内蔵、富士の3Dコンデジなど、言わば「ガジェット的」方向性が見出されるコンデジは多い。こうした機能に「釣られてみる」のも悪くは無いだろう。
一方、デジイチというか伝統的なカメラにおいては、伝統的な遊びとして、テレコンやワイコン、マクロレンズ、フィルタ(クロススクリーンでキラキラな夜景とか、NDフィルタで滝の流れを撮るとか)などによる様々な表現手法が存在する。こうした機材による撮影表現遊びは、ハマると愉しいだろうと思われ。
色々と違いを述べたが、最大の違いはここかも知れない。
コンデジはともかく、結構オート化している。高級なものはある程度マニュアル機能も充実しているが、そういうのはむしろ、デジイチを持ってる人が軽さや機動性を求めて購入するものだろう。
確かに、シーンの操作やズームなど、撮影者の意図は入力されるものだが、大きな方向性としてはプログラムシフトだの絞り優先だのシャッター優先だのよりは、カメラが「勝手に決めた」設定で撮影が行われ、カメラが「勝手に」補正し、時にはカメラが勝手に顔色まで認識してくれた上で、絵として記録される。AFやファインダの敏捷性も高くないので、タイミング的な意味でもある程度カメラに「引っ張られる」部分はあるだろう。というと何かコンデジ駄目じゃん的な印象はあるが、実際「カメラが決めてくれる」気持ちよさ、みたいなのは、確実にある。暗所などの弱点はあるが、記録としての歩留まりは確実に今のコンデジは確保してくれるだろう。
で、デジイチの方はというと、これも一部にはオート機能がオプション的に充実してたりはするものの、総じてはある程度以上「撮影者の意図」を反映する機材である。観光地とかで「シャッター押してください~」と声を掛けてデジイチを渡す人は、普通はいない。
絞りをコントロールしてボケを付けたり付けなかったりとか、わざとシャッター速度を最適からはずして流し撮りとかをしてみたりとか、ピントを被写体の目に合わせてみたりとか、色のバランスを変えてみるとか。こういう機能は、ある程度コンデジにもあることはあるが、制約が付いてるケースが大半である。言わば、コンデジが「メニューから選ぶ」もので、デジイチが「自分で組み合げる」もの。ただ、センスがなければ、機材がいくら良くてもヘボいものしか出来ないという意味で、間違いなく敷居は高く、挫折したら投資が無駄になるリスクもあろう。
そうは言っても、素子とレンズの質の高さでしか実現できない絵はあるので、金と目的があるなら、デジイチに挑んでみるのも良いかな、とは思われ。
117 :無党派さん:2009/10/05(月) 01:09:40 ID:WM/BHei3
まず自殺する人間がブログに再起を誓ったりわざわざ拉致被害者家族に手紙出してまで再起を誓って激励の手紙出したりしない。
第一死んだ時期もあの泥酔会見直後ならともかく今更落選して死ぬ理由も必要もない。
年齢的に若く簡単に病死する年齢じゃないし落選も若いからまだまだ再起の可能性あるんだから自殺なんか考えない。
何故か病死なのに検視でも行政解剖でも死因が特定できない。
病死ならスグに死因なんか特定できるはず。
まさにプロの殺し方。
橋龍が殺された時の不自然さや小渕急死の時の不自然さと重なる。
俺は小渕を殺した政治家を知ってるから余計疑う。
日テレがまるで自殺にしたいかのように中川が不眠症で眠れず通院し薬を服用しアルコールも飲んでたと誘導してたこと。
精神安定剤を口にした形跡はなかった。
酒飲んで精神安定剤を服用し中川が自殺したと持って行きたい日テレの動機は?
中川親父を殺したのがCIAだったことは今回と被る。
政治家達の淡々とした態度、まるで死ぬことを知ってたかのように、盟友麻生氏すら他人事だった謎。
今回はCIAかな。
清和会に聞けばよくわかる。
死ぬのは誰だってこわいよ。
年を取ると、死ぬことのリアリティが増すから
いろいろ具体的な想像をしちゃうのさ。
どっちかと言うとこわいのは「老い」の方だな。
その継父にだまされ、10年以上前から消費者金融数社から私名義で借金。カードを取られ勝手に管理されていた。
その返済のためといいつつ、奴の思うまま毎月十数万もの金を毟られる。生活費だと言われてしまえばそれまで。従うしかなかった。
自分の給料の半分を家に入れる、美談のように聞こえることが地獄のような現実だった。
こっそり貯金しても、体よく言いくるめられむしり取られる。その繰り返し。
自活しようにも精神的な束縛が強く、今思えばなんで出て行かないのか不思議な状態。
だが、母親を人質に取られたようなもので、母親すらもマインドコントロールされてしまっている状況では、奴の言うがままになるしかなかった。
結婚したい人が現れても、そのたびにこの借金と家庭環境の話をすると目の前から消えていった。
しかし2年前、今度こそ本気で結婚したい人が現れた。この人を逃したら、本当に自分の人生は終わるかもしれない。そこまで考え、彼女に正直に話した。
受け入れてくれた。本当にすべてを受け入れてくれた。
ただし、このままの状況を続けることは猛反対され、自分の人生をしっかり取り戻してくれたら一緒になりたい、とまで言ってくれた。
涙が出た。
実際、返済のための負担は想像以上に厳しく、給料の大半が返済に回る。そんなことでは二人のこれからの人生が台無しになる。
そこで、借金はすべて自分で管理することを宣言した。あーだこーだ言っていたが、こんどばかりは引かなかった。
私の決意が伝わったのか、しぶしぶながらもカードをすべて出してきた。
負債額を合計したら死にそうになった。600万越えていた。
自己破産するしかないか…と思ったが、弁護士に相談して任意整理を行なうことにした。
ここまで借金がふくれあがった経緯を説明したら「実は良くある話なんですよ」とのこと。とたんに泣いた。これまでの人生、本当に無駄だったと思った。
任意整理開始。過払い金がかなりあったとのことで、最終的な債務は5分の1程度になった。そんなに減ったというのが驚いた。ここ最近の消費者金融の凋落は本当なんだと思った。返済として月々13万ずつ弁護士事務所経由で支払っていった。
そんな中、無事に彼女と結婚できた。最高に幸せな瞬間だった。こんな自分が、こんな幸せを味わえるとは思ってもみなかった。
そして先々月。
弁護士事務所から「完済しました」との連絡。一瞬何を言っているのかわからなかった。
あれだけあった借金を、すべて払い終わったという。
力が抜けた。何とも言いようのない虚脱感を感じたが、反面肩の荷が下りた思いもした。
一時は死ぬことも考えたけど、手を尽くしてやるべきことをやれば、必ず報われると信じられるようになった。
今は、返済に支払っていた金額と同じ額を毎月貯金している。家を買うのも夢ではなくなった。現実はきびしいだろうけど。
こんな自分を支え続けてくれた妻に、最大級の感謝をしたい。ほんとうにありがとう。
迷惑かけた分以上に、恩返しをしていきたい。
輸出が重要な産業である国としては、国際的な競争で勝ち残っていくためには
企業としての効率化を推し進める必要がある。
もしも効率化をやめてしまえばたちまち輸出産業は競争に取り残されてしまうだろう。
競争に取り残されるだけであればいいのだが、我々には借金がある。
これらの借金は国の未来がより発展することを前提に借りることができている。
前提が破綻すれば借金を返さなくてはならないが、瞬時にすべての借金を返すだけの資力はない。
未来は選ばれていて選択の余地は非常に少ないんだ。
企業としての効率化の一環として、人々を切り捨てたり、給料が安くなったりすることは避けられない。
彼らと対等に戦うためにはこちらの人件費をぎりぎりまで抑える必要がある。
(どんなに人件費を抑えたところで厳しい戦いだが)
1人の若者がたくさんの老人を支えていかなくてはならない。
楽をすればいいんじゃないかな。
もちろん、みんながちょっとだけ仕事をしてあとは遊んで暮らせる社会はまだ到達してない。
けれど、100年前、200年前の生活水準と比べてみなよ。平均的にみて、生きるのはすさまじく楽になってるはずだ。少なくとも物理的には。ちょっとした病気で死ぬこともない。過労死と言われてるけど、過大な労働が遠因で死んで行った人は、昔の方が多いんじゃない? そして、身体的な理由で働けない人間の境遇はどんなものだった? 100年前に比べて、働ける人に支えてもらってる働けない人や、昔の労働環境では働けなかったけれど現代の労働環境では仕事がある、って人ははるかに多いと思うよ。
昔に比べりゃいい生活だから文句を言うな、って言ってるわけじゃないよ。むしろ改善したければどんどん文句を言うべきだ。そうしたら、みんなで工夫して改善されるかもしれない。おっと、「みんなで工夫して改善」=「経済成長」だったね。どうする? 経済成長を否定すると、今の水準で救えない病人を救えるように工夫することも否定することになるし、今仕事が無くて困っている人に、仕事がありすぎてさばききれない人の分を回すことも否定することになるよ。
もちろん、GDP成長率なんていうのは単なる指標、それもひどく不完全なものにしかすぎない。それに振り回されるのは本末転倒だ。GDP成長率が経済成長そのものなんじゃなくて、経済成長っていう氷山があって、そのほんの一角がGDPになって出てくる。その一角に振り回されて不幸になってる人はいるだろう。だからといって本体を否定しても何にもならない。だってその本体は、あなたの生活が乗っかってる土台なんだから。文句は振り回してる誰かの方に言わなきゃ。
http://anond.hatelabo.jp/20090918220903
割とウケて嬉しいです。
文脈がわかんねーよという人が結構いるようなので、そういう人向けに簡単に解説を用意しました(他の増田エントリで触れられたものは除外)
あれ?これってもしかして・・・「一度ハズしたネタをもう一度わかりやすく説明しているーー!!」(byすごいよ!マサルさん)
ええ、そういうことです。
良かったら戦車っ子の報われない現状についても学んでみてね!みてね!女子力に負けないぐらい面白いよ!多分。
いわゆる主力戦車(MBT)のメインのお仕事がこちら。敵の主力戦車とガチで殴り合い出来ることがとても重要。ところで、女子力の高い女性も時々、他の女子力の高い女性と殴り合いすることをメインのお仕事にされていることがあるのですが、そんなところで戦車らしくならなくても良いと思います。
側面からの攻撃を防ぐために車輪を覆うように取り付けられるプレート。スカートによる直接防御力を期待するというより、側面装甲板とスカートの間のスペースを空間装甲として利用する方がメインだそうな。スカートをはかない装甲系女子は最近少なくなりました。とはいえ、74式辺りは今もはいてないです(でもパンツじゃないからはずかしくないもん!)。
軍事的な文脈においては、主としてその国の軍隊の『戦い方』を規定する理念・基本原則のこと。政治・外交用語として用いられることもあります。女子力的な脈で読み替えると、自分固有の長所・短所に合わせたアピール方法・コミュニケーション方法の理念・基本原則のこと。これがないと生来の女子力が高くても中々幸せにはなれないような気もします。まあそれ、男も一緒なんですけど。
山の稜線に車体を隠しながら、砲塔だけ頭を出して敵を攻撃する手法のこと。敵側から見ると、ちょうど地面から砲塔だけがぴょこんと飛び出るかたちのため、一見するとトーチカのように見えます。74式以降の戦車は、ハイドロサスで車高をいじれるので、より稜線射撃がやりやすくなりました。たまに基地祭なんかにいくと、お客様にちゃんとお辞儀のできる、女子力の高い戦車たちに会えます。さあ、早く基地祭で装甲系女子を探す作業に戻るんだ。
「陣地防御」の対義語。固定的な陣地に頼らず、相手の攻撃に合わせて適時戦力を集中して逆襲・反撃を仕掛けるやり方。少ない戦力で効果的に防御を行うことが可能です。相手の出方を見て、戦力集中・逆襲するのはリアル女性力でも凄く大事な概念ではないかと思われます。男も一緒だけど(こればっかだな、おい)。
装甲板を傾けて配置することで、装甲の見かけの厚みを増やす設計技法。T-34などの戦車で広く採用されたが、戦車砲弾・装甲技術の発達に伴なって効果が薄くなったため、最近では利用価値が減少しています。女性も少しばかり傾き者の方が見かけ上の(人間的)厚みを増やせる気がするのですが、最近は男にウザがられて効果薄のようです。採用は計画的に。
日本の国土には戦車は不適であり、他の兵器に代替すべきである、との主張。論者には攻撃ヘリ・装輪車両などを称揚する者が多い。多くの場合、代替兵器に対する過剰な幻想・戦車に対する過剰な蔑視の念があることは、スイーツ・ビッチ嫌いのミソジニストとほとんど変わりません。2ch軍板などでは揶揄・おちょくりの対象としてゆるふわ愛され系です。
自衛隊のAFV設計に携わってきた技術者。主著に『戦後日本の戦車開発史』などがあります。みんなも買って読もう。光人NF文庫で大絶賛発売中。
Explosive Reactive Armor=爆発反応装甲の略語。携行型対戦車ロケットなどの成型炸薬弾に対し効果的。旧型戦車の改良・改造に使われることが多いです。反面、高速で飛来する徹甲弾にはあまり効果が望めない・被弾時に爆発で装甲プレートが飛散するために随伴歩兵に被害が出やすい・被弾で効果を失っていく、等の問題もあり、万能の装備ではありません。女性がするお化粧のようなものと理解して頂ければだいたいあってる。「おっ、そのERAいいね、近代化改装?」一度言ってみたいワードですが、第二の天安門事件が発生しないよう、くれぐれも注意が必要です。
読んで字のごとく、全方向からのRPG(いわゆる対戦車ロケット砲)による攻撃を防御できる能力のこと。イスラエルのメルカバ戦車は、市街地内での戦闘が多く、ゲリラが持つRPGの強い脅威に晒されるために、こうした防御能力が重視されたデザインになっています。女子達が作る同調圧力のRPGで形成されたキルゾーンをやり過ごすために、こうした防御能力を身に付けなければならぬのも無理からぬことと言えましょう。血で血を洗ってる場合か、早く停戦しろよ、という言葉は禁句です。女子力による憎悪の連鎖をどう終わらせるのか。国際社会のあり方が問われています(赤旗記事風締め)
全体として、90式子さんが自分の立ち位置をぼやいてるよ的なイメージで作りました。90式子さんももう今年で19歳。色々と悩みは尽きませんよね。そんな90式子さんのことがかわいくてかわいくてたまりません。みんなも愛してあげてね!90式子さん!
例えば民主党が高校までの学費無料政策を打ち出しているが、このことを
「学歴社会をそこまで認めるのか!」と批判する人、いるか?まぁどっかにはいるだろうが。
高校に行けないんだったら中卒で働けばいーじゃん、という時代じゃ、なくなるわけだ。
高校くらい出ておかないと社会に出て通用しない世の中になって、貧乏な家庭は中卒で働くという選択肢が
とれなくなった、という意見を、民主党=こんどの政権が認めるわけで。
社会をどう解釈するか、という個々人や各方面の解釈に対して、政府がどれを認めるか。
そういう時代になった。
あとバブル景気のときは
「職を選ばなければ、飢えて死ぬことはない」
という一般常識が形成されフリーターという層が社会に認められたが、
今じゃもう
運転手が死ぬことだっていっぱいあるでしょ
で、結局何も変わらずに死ぬことになったとしたらどうすんの?
武士ってよく分からない。
戦う人なのか単なる行政官なのか。
なつきさんの親戚には自衛官に警察官、消防士、救急と「公僕」が多い。
だけど、戦う、に関しては、
なつきさんちで語り継がれる戦いは「防衛」戦である。
拡大は商売によってなされた。
戦って名を上げ、領土を拡張するという武士のもう一側面はなつきさんちでは劣勢だ。
だから、東大→アメリカ留学という道で「名を上げる」ルートの評価は微妙な位置にある。
人工知能に注入されたのが、拡張を目指す知識欲なのは示唆的だ。
◆
その中でもっともそうした「縁」を体現するのはなつきの曾祖母だが、
この「縁」がくせ者だと思う。
戦うことと縁には考えればすぐ分かるように固有の緊張関係がある。
ゆえに平時には縁が強調され、
戦うは非常時に押し込められる。
だが、名を上げる、には「競争」が必須であるように、
戦うは非日常に封じ込め切れるものではない。
サマーウォーズを観ていての一番のひっかかりは、
曾祖母が掲げる「負けない(戦う)」と「つながり」の矛盾を映画が解ききれていない気がしたことだ。
縁にはレイヤーがいくつもある。
黒電話で活躍する曾祖母のネットワークは、平和と危機のコントラストの中では機能するが、
恒常的な闘争状態ではどうだろうか。
こうして、戦う、との矛盾が最小限の、
一致団結したつながりとして親族が浮かび上がる。
だが、親族には血による縦のラインとは別に、
婚姻によって拡大する側面も存在する。
この婚姻の困難を、主人公が引き受ける。
婿ドノは他人なのだ。
他人を親族に引き受けるために、曾祖母さえ約束(契約)の形をとらざるをえない。
◆
曾祖母は、負けない、と、つながりに加えて、
飢えない(食べる)も示すが、
これもうまく掘り下げられてる気はしなかった。
戦うと縁の矛盾は、婿ドノの困難に関しては、
戦ってる人はかっこいい!(恋愛)というモメントで解消されるのだけど、
それは、悪くはない。
でも、戦ってる人はかっこいい(cool!)って感じで、
戦いに必要な数が動員されるのは(分かっててもグッとくるだけに)なんだかなあ。
セカイ系?
サマーウォーズの中で訪れる危機は、
セカイ系でしょうがないって気にさせもするけど・・・
親族は中間項たりえてない気がする。
◆
映画の観始めに考えていたのは、
戦うと縁とかではなく、
エンドレスエイトが終わった時の実況のまとめスレはさらにすごい。
皆が、キター、っていうことは、確実に目眩がするぐらいの心の打ち震えをもたらす。
グッとくる。
映画の中の、コイ!、も同じな。
ただ、この量的な過剰さが「溢れる」ことによる感動は、
AAが崩れて、いくらスクロールしてもパチパチやキターが続くのはなかなか圧巻。
だけど、同じ理屈でいくと、
映画館のスクリーンにこの種の「過剰さ」による感動は向くのかという疑問がわく。
このグッとくる感じは、映画の「細部」がもたらす「豊かさ」とは違うと思う。
定義はしない方がよいだろうけど、
人はこの二者を別物として感じると思う。
記号としてのモノは溢れていても風景はない。
(細野さんらしい)
初め「家」に見えたものが増殖して「城」とか、あっと驚く瞬間はあるけど。
記号としてのモノの、数量的な過剰さ。
画面を「文字」が溢れて埋めるんだから。
戦う、と、つながり、と数量的なものを、
戦ってる人はかっこいいからつながる(恋愛&数量的なcool)以外で見せてほしかった。
見逃してるだけなら教えて。
◆
以下過剰書き的に
・アニメで横にパンするってすごくない?
受けるというかザッツザジャパニーズアニメ!って感じにもてはやされそう。
船て
・止めて、が世界の話と個人レベルをつないでて、セカイ系な感じ。
・公僕が、より大きなおおやけのためにルールを無視するあたりも好き。
・やっぱ、おばあちゃんが何を望んでるのか、
伝統か、負けないことか、勝利か、飢えないことか、つながりか、
明確でないことがダメなとこな気がする。
そのせいで、各人の心理が論理的でない。
そこを、グッとくる、「情」で押し流してる。
・ただ、曾祖母が「生きてる」こと、
人が生きて死ぬことの中には、
そんな矛盾とか織り込められてる気もするが、
半ば死んだ英雄、神話にしてしまっている気がした。
昨年度おおくの反対意見を押しきって強行された全国一斉学力テストが、はたしていかなる結果を生じたかを検討する慎重さを持つことなく、文部省は今年七月ふたたびテストをおこなう準備をすすめている。それは全教育の体系を国家権力に従属させようとする意図がますますあらわになって来たことである。
私たち日本文学協会は、前回の場合にも、教育の問題は一行政的見地から取り上げられるべきではなく、教師をはじめとする自由で民主的な国民的教育の場において推進されなければならぬことを主張して来た。
いったい学力とは何か、いかに伸ばされるべきかということは、子どもたちの自主的な判断力・活動力と、全国民の未来への望みの上に具体化されるはずのものである。一片の答案を、それも機械的にあらかじめ思考の範疇を限定した回答を選択するといった、受動的・偶然的そして知識偏重の結果のみを拠りどころとする学力の判定は、いかに子どもの未来をあやまるものであるかは明らかであろう。
私たちは日々の教室の現場で、教師の主体的な活動力が働くとき、子どもたちは生き生きと学力を伸ばすことを身をもって知っている。この方向こそが学力向上の唯一の進路である。
だから学力の問題は、学者・実践者がその総意をもって築き上げ、慎重に進められるべきものである。しかるにふたたび学力テストを強行しようとするのは、こうした国民の真の要求をいささかも取り入れず、行政権力を教育内容にまで介入させようとすることにほかならない。
私たちの態度はおのずと明らかである。今回の学力テストに反対し、その撤回に向かって働きかけ、もって未来の教育をその基盤から築いていこうとするものである。
どこまでも自由な時間、どこまでも青い空、入道雲、どこまでも続く線路、夏祭り、屋台、花火大会、プール、海、真っ黒に焼けた身体、かき氷、旅行、親戚一同の集まり、従兄弟たちとの再会、夏休みアニメフェスタ、いつになっても最後まで放送されないタッチ。
なんであんなに楽しかったんだろう。
その理由と大人の夏休みを満喫する方法について考えてみた。
義務教育のころは普段決められたパターンで生活している。厨二のころのぼくたちは盗んだバイクで走り出し、誰にも縛られたくない年頃。
だから、そういった枠組みから自由になる夏休みというのは「いつもと何か違う特別なことがある」と期待する。義務教育が終わり、自分の人生のスケジュールをある程度自分で決められるようになる(驚くべきことに、自分の人生は自分で決めているのだ!!嫌ならいつでも死ぬことが出来る!なんという親切設計!)と、普段の生活も自分自身で決めているので夏休みの特別感が薄れてしまう。
結果、夏休みのわくわく感が減るのではないだろうか。
もちろん、夏休みなんて取れない人も沢山いる訳だが、働く為だけに働くのはしんどいので、たまには息抜きしないと心が死んでしまう。そんな訳で、夏休み以外の期間は自分でフレームワークを作り、規則的に自分の中での決まりを守って生活する(ここをきっちりやるのが大切)。そうした中で短くても「夏休み」(と自分が決めた)自由な時間を確保出来れば、多少なりともあの時のわくわく感が味わえるのではないだろうか。
コツは「休みの期間のスケジュールを全て決めないで、ある程度の自由度を確保する」ことである