本当に匿名なのかは分からないが、こういう場なので、あえてプライベートを書いてみようと思う。特に何がしたいわけではない。
さて、私は男だ。長男である。
父は厳格で、怒り出せば烈火のごとく怒り出す。
母は逆に優しく、甘く、父とは対称的な存在だった。
妹が二人いる。
ごくごく普通の家庭だ。
私は、力が好きだった。純粋な体力、腕力。
自分が力を誇示するということは、そういう目に見える力を使うことだった。
私は、思えば小学校のころから、奇妙なことを始めていたような記憶がある。
運命論を持ち出し始めた。「君がボールに当たったのは、はじめから決まっているよ」みたいなことを言っていた気がする。ことあるごとに妄想にふけり、アニメやマンガの世界に入ったり、「どうして自分はここにあるのか」とよく自問自答していた。
私は、小学校の頃からか、よく正夢を見るようになった。デジャヴュというやつだろうか。
初めは「あれ?」という感じであったのだが、いつしか「夢で見た」と感じるようになった。
ちなみに、今だに正夢は見る。毎日ではないが。
私はよくキレた。なぜかは分からない。だが、色々と気に入らなかったのだ。
私はよくはさみを投げた。よくよく考えると、危ない人間だが、当てる気はなかった。わざとあたらない様にはさみを投げていた記憶がある。
私は人を傷つけるのをよくためらった。どれだけ頭に血が上っても、人に手を上げることはなかった。威圧に留めるか、モノにあたった。おかげで、モノにあたるな、ものを大事にしろ、とよく言われた記憶がある。
私は、そういえば、人と違うな、と思ったことがあった。よくは分からない。だが、そう思った。
私は中学校の頃、よく暴れた。そして、よく教師に注意された。よく教室を抜け出した。何かをしたいわけではない。抜け出した。恐らく、空気が嫌だったのだろう。教室に居る人間一人一人の視線や、感情、色々と混ざり合って、嫌だったのだろう。
私は中学校の頃、自分の疑問を国語の時間の作文に記した。その疑問はその当時の私の想いに引きずられ、ネガティブになっていたが、疑問に思ったことを書き記したことは評価したい。「この世に意味はない。生きていても意味はない。どう生きようとも、死のうとも、死んでいるのならば、変わりはしない。恋愛をしようが、偉くなろうが、死んでしまえば一緒じゃないか。生きていることに意味はない。」こんなことを書いていた気がする。ちなみに、教師は「おかしな考えを持つ生徒」と父親に言ったが、逆に父親は激怒していたようだ。
私は中学校の頃、高校に進学する気などなかった。義務教育は中学校までなのだから、それ以降は働けば良い、と本気で思っていた。実際には敵わず、高校までの学歴がないと働けないことを教えられるのだが、それを教わるまで、なぜ義務教育なのに高校まであがらないと働くことも出来ないといわれるのか理解できなかった。そうした感覚は、ずっと引きずるものなのかもしれない。
私は高校の頃、「いい子」に専念した。自分でも理由は分からない。だが、「いい子」でいようとする気だけはあった。
私は高校の頃、「おかしくなった」。いい子でいた反動だろうか。部活動をやめたくてしょうがなくなり、つい「おかしな自分を装った」。ずっと人からの言動を受け付けず、過呼吸を繰り返した。果たして、病院へと連れて行かれ、「てんかん」と診断されるにいたった。
私は高校の頃から、薬を飲んでいる。正確には飲んでいた、というべきか。結論を言うと、正常な状態の人間に長期にわたって抗てんかん薬を投与されていた状態だ。別にそれについてあれこれいうつもりはないが、高校の頃は、まともに体が動かず、頭もほとんど回らない状態だったのは覚えている。何度か死のうと思ったこともある。
私は職業訓練を受けた。高校の頃の出来事で、就職は不可能と診断された私は、半ば強制的に職業訓練学校へ行くことになった。
私は職業訓練学校にて、社会というものをほんの少し教えられた。職業訓練をする人間は当然高校卒だけではない。失業保険を受けながら通う人間もいた。私がその学校で覚えたことは、専門知識というよりは、社会はこういうものだ、ということだったように思う。ほぼ周期的に飲み会が行われ、数千円単位で金が消えていく。アルバイトなどしたことがなかった私には、反発しか覚えなかったが、しかし、そういうものなのだと、後になって気づくきっかけとなった気がする。
私は今、ニートである。今になって気づいたことだが、私はニートだったのだ。
母親は病気である自分を責めはしない。むしろ私という枷が生きがいであるように思う。
分かっているのだ。今があるのは、過去があるからなのだと。
誰かのおかげで自分が居るのだと。
だが、自分はなぜここに居るのかが分からない。
何をすれば良いのかわからない。
働こうと思えば働ける。ちゃんとうまくやれる自信もある。
なぜか、働く気にはならない。
生きがいとはなんだ、なぜ生まれたのか、なぜ生きねばならないのか。
気づいたことがある。この世は未熟なんだと。
私を教育してきた、教師達、その一人一人ですら、所属によって歪められた個人であったのだと。
教えるべきものは、どうすれば生きれるか。そう、そうすれば生きれる。
だが、なぜ生きるのか、それは教えてはくれない。
教師は仕事で子どもにものを教えている。子どもが好きであっても、無償でなど、教えてはくれない。
生きるための糧が自分たちなのだ。
最近、私はよく顔が変わる。何故かはわからない。薬の影響かもしれないし、長いことニートをしていたせいかもしれない。
ただ、ハッキリしているのは、一人でもさびしくなくなったことだ。
さて、よく分からなくなってきた。そもそも支離滅裂なのだと、始めの行で気づきつつも、あえて書いてきた体たらく。
いや、他人に対して伝える、と言うことをサボってきた証というところだろうか。
誰かに言われた気がする。
「理屈ばかりこねている。あなたは何がしたいの?」
答えはまだでない。
だがまぁ、まだ自分が未熟だった頃に、
「死ぬことなどいつでもできる。迷惑をかけようが、自分勝手だろうが、死ねばなくなるのならば、自分で死期を感じる時まで生きてみればいい」
などと思ったことは、今尚私を愚生の中に誘うきっかけだったのかねぇ。
別に何がしたいわけでもない。
ただ、面白いほうがいい。
まるで有村のようにキモイ。