はてなキーワード: 農作物とは
日本にお帰り。
イオンとか西友とか。ヨーカドーはどうだったか。大手は全部出来たよな。
で、銀行の口座指定しておけばいいだけの話じゃないか?
キャッシュカードとか色々あるからちょっと調べてみるといいよ。
ちなみに今一番有力なのはEdy、
NANACOというセブンイレブン独自のモノとか他にも色んなサービスブランドがあるけれど、
お財布携帯で言えば、クレジット機能メインのiDというドコモが広げてるサービスもある。
携帯落として乱用されないように注意。
結構こいつで支払い可能。電気屋は基本出来る。おしゃれな感じの雑貨屋でも出来る。
デビットのロゴがあまりにもシンプルで自己主張が少ないので目立たないけど町中見回すと普通にある。
自分の持ってるカードにデビット機能が着いている銀行かどうか、調べてみるとよいよ。
ただし難点が一つ。未だにデビットカードの機能がよく分かってないバイトの子とかが
サインさせようとする。笑いながらサインしてやればいいと思う。
外国みたいに小銭が欲しい分加算してデビットカードで会計して釣りの現金を貰うとか
そういう習慣も未だ根付いてない。
多分アメリカ行った時も現地の生活になじむのに時間がかかったと思うけど
2009年の母国の生活になじむのだって時間がかかるよ。と経験的に思う。
昔渡航生活してた俺の友達はもやしを自家栽培してたな。種だけ持って行って。
青臭くなるからあまり食べたくないとは言ってた。
農作物を越境させていいのかどうかの時点で悩む所だけれど。
インドの農村で市場を開拓し、成功したもう一つの事例ビジネスモデルを書く事にします。そもそもインドの農家は、農作物や穀物を収穫し公設市場という取引所で売買しなければなりませんでした。今は自由ですが結局売る場所がなく公設市場で取引する農家がほとんどです。その為、買い手の言い値になり安く買い叩かれているのが農村の現状です。
そこに目をつけた某企業が、農村の村役場みたいなところにパソコンを1台設置して、インターネットが使えるインフラを整えたのです。そうする事によって、直接企業が農家から平等な市場価格で買い取る方法を実行したのです。ネットには企業が提示した価格が毎日表示され、それを農家が毎日チェックし、公設市場と価格が比較できるようになり高価買取の方に売れるという選択ができるようになったのです。
このことで、農家の収入が1割~2割増加し企業の自社商品がより売れるようになりお互いハッピーになったのですが、パソコン設置の裏側で格闘が相当あったそうです。そもそも、ネットを農村に1台設置するとなると大変な作業です。衛生アンテナを使用し、停電のバッファーにソーラーパネルを設置するなど、かなり努力したと思います。ただ一つだけ、思ったより簡単に処理できた問題がありました。それはパソコンの使い方を教えることです。好奇心旺盛な農家たちは、初体験のわりに直ぐに習得したと言います。
それではここからが本題なのですが、なぜこんな回りくどいことを某企業はしたのでしょうか。結論から言いますと、農家の収入を上げて、農村に巨大ショッピングモールを建設し、高額な商品を買わせる為なのです。これは見事に的中しました。なんでも揃うショッピングモール。家電製品やバイク、車、生活必需品などなど、高額商品がガンガン売れていきました。
そんな繁盛したショッピングモール、少しディティールを説明します。それはというと、農家が収穫した作物などを買い取る取引所をショッピングモールの隣に設置し、お金の受取所をショッピングモール内に造ったのです。その為、大金を手にした瞬間に周囲は、購買意欲をかき立てられる商品が揃っていて購入していくわけです。
さて、このビジネスモデルいかがだろうか? 実はこの企業、他の国からもオファーがきているのです。アフリカから2ヶ国、アジアに1ヶ国、やり方は汚いように見えますが、貧困層とウィンウィンな関係になり、村が豊かになることは事実なので、他の国からも取り入れて欲しいとなるわけですね。
自分の地元は無個性っぽくはないと勝手に思ってたけど、捨象気味に列挙したらそうでもなかった。
和歌山市すげーんでねーの。
このエントリの目指すところは、北方謙三の水滸伝に出てくる王進の生き方だ。これはすごく魅力的な生活だ。雨が降れば書を読み、晴れたら畑を耕して作物を育てる。大体自分たちが食べる分を自分たちで育成して収穫し、生きて行く。誰もがこんな状態で満足できれば、争いなんて起こらないだろう。地球にも強烈なくらいに優しいエコだ。
だが、こういう生活に魅力を感じていても、なかなか踏み込みきれない不安が二つある。
まず一点は、自分たちの生活を脅かされる可能性だ。農作物が計画的に大規模に略奪される事が多くなった昨今、そういう略奪の被害を受けないとも限らない。自分たちが食べる分だけ作っていると言う事は、裏を返せばそれが無くなった時は死ぬという事だ。台風やその他の気象条件によって不作の可能性もある。農業はギャンブルだという言葉もあるらしい。うまく行っている時は良いのだが、うまく行かなかった時はあっさり死ぬ可能性がある。狩りや漁なども併用して生きていける環境が欲しいところだ。
もう一点の不安は、家族がいる場合だ。自分だけ好きな生活をして死んで行くなら本望であり、何の悔いも無い。一点目の不安も自分ひとりだけならどうでも良いのである。だがしかし、家族がいて、自分以外の人が死にそうになる場合、非常に辛い。今の生活を捨て、農業をするとなると、今の環境よりある程度田舎で暮らさなければならないだろう。自分以外の人が、急病や急な出産の場面に遭遇した場合、どうすればいいのか。高度な医療施設の多い都会であれば、危険な状態に陥っても助かる確率は田舎よりも高いだろう。自分と生活をともにして農業をするという選択をしたばっかりに、家族が生命の危険にさらされる、そういう可能性も出てくるのだ。
自分が生きて行くだけで他に何も望まない生活を始めたとしても、家族や仲間の生命に対する未練はなかなか捨て切れるものではない。
かなり魅力的な生活ではあるが、それ相応の覚悟がこの生活には必要になってくるだろうと思う。
いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。でも昔好きだった男のことも繰り返し思い出してしまう。思い出したってどうにかなるわけじゃない。やりなおせるわけでも、連絡がとれるわけでもない。いまの相手を蔑ろにしたいわけでも、いまの相手と別れたいわけでもない。でも、思い出してしまう。ああ、あの子は元気にしているのかな、と、いらぬ心配をしてしまう。なんでだろうね。なんで、思い出してしまうのだろう。
いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。だけどバランスを失うほど夢中にはなれない。いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。だけど手のかかるあの子ほど熱心になることはない。それはやっぱり、バカな子ほどかわいいと思う親心と一緒で、できの悪いあの子と、特に何の手もかからない大人のあの人とを天秤にかけて、面倒が多い方にばかり着目しているせいなんだろうか。手間をかけた分だけかわいいと思う、動物園の飼育係か、農業に従事する方の農作物に対する愛情と同じ心理状態にあるんだろうか。
自分の気持ちが分からない。だけど、あのときより少し大人になって一つだけ分かったことがある。それは、正しさがどこにも存在しないってこと。本当のこととか、正しいこととか、信頼できることとか、根拠にしてもいいことなんてどこにもないってこと。私が本当は誰を好きかなんて問いに正解はないってこと。だから私はずるい答えを用意する。「どっちも好きだよ」と、まるで不倫相手と妻の間で板挟みになる気の弱い卑怯な男みたいに。「どっちも好きだよ」どっちのことも大切だ。そう思う心の裏側に、少しも薄汚いものがないといったら嘘になる。
結局、自分のことを大切にしてくれる相手を確保しながら、自分が大切にしたい相手のことを勝手に思っているこの状況は、不誠実なのではないか。実際の行動が伴わぬだけで、不倫や浮気とそう変わらないのではないか。そういう自責の念は、ある。結局、自分がかわいいだけなんじゃないか。結局、一人になるのが嫌なだけなんじゃないか。分からない。正しいことなどどこにもないし、正しい答えというのは、自分がそれと信じただけのものでしかないのだから、答えを求めることをやめた。それでも、理由を探してしまう。なんで、思い出してしまうんだろう。
安全性や美味しさで付加価値を与えるにしても、高いものは普通に需要が少ない
それでも輸出するんだってんなら、他国産のやつと差別化を図るために大々的に差別化を図ってイメージ戦略を推し進めなきゃいけない
それをするだけの地力やメリット(対コスト)が農業関係者にあるかと言われれば、まぁないんじゃないかなぁ?
あと、豊作の際に破棄するのは利益を守るためであって、
たとえ加工食品を作るにしても、破棄した後で原材料の農作物をそれなりの値段で卸したほうが利益が上がるだろうに
昔は地産地消も多かったし、都市部への出荷も多かった。製造業にしても、窯業繊維業や造船鉄鋼にしても、さまざまな地方に製造拠点があった。それらの産業を支える沢山の会社があり、商店街があった。
それが、農作物は輸入が増え、製造拠点も海外に移り、町工場や商店街が消えて、海外製品やチェーン店、全国資本の大型店が進出してきた。
結果、地方での生産が落ち、消費の多い都市部からのお金の流入が減り、代わりに都市部への流出が増えてると思う。そういった、いわば貿易赤字が地方経済や財政を圧迫しているのではないか。
あと、結構大きい気がするのが、都市部へ進学する大学生の存在。授業料や生活費として都市部へ流れるお金というのは馬鹿にならない気がする。
じゃあ、どうすればいいのかと問われても分からない。
地方に産業を誘致できれば良いのだけれど、それで競争力を失ったら意味がない。日本の経済に悪影響を与えたら本末転倒になる。しかし、このままでは一極集中へ向かう。
どうしたものか。
かかる時間は同じくらいだと思っていただきたい。
ちなみに在来線は1時間に1本あるかないか。終電は23時で終わり。
バスは1日に2,3本。
過疎高齢化が進む中、一部の夢にあふれた若者が農耕に励んでおり、
田畑を売ろうとしないので、目新しい施設ができる予定もない。
天災は少なく、気候はほどよく温暖。
雪も1年に一度積もるかどうか、といったところ。
この地方だけは無事に出荷できたおかげで農家はウハウハしたらしい。
そんなところに建つ我が家は築25年、
山の麓だが、その山には果樹園があり、しっかりと根をはっているので
土砂崩れの心配もほとんどない。
私は一人娘なので、両親が亡くなると↑を相続することになる。
相続する頃には、おそらく売る気もなくなるくらいの価格になっているだろう。
こんな地方でリタイヤ後にのんびり過ごしたい、
という人はどのくらいいるだろうか。
もしもいたら、私は言いたい。
30過ぎの女ですが、結婚してください。
両親と私、弟二人は、昭和十年に移民団として南洋群島パラオ本島に行き、ここから私の人生が始まりました。
北海道から汽車で揺られ、横浜へ港から一週間の船旅で、小笠原諸島を通過する時は大シケで、全員が船酔いでぐったりして、ココール港に入港して下船し、旅館に落ち着き、二日後に連絡船で私たちの永住する朝日村へと三時間の旅で、ここから一時間歩いて草と小枝を切って前日区分した場所に着き、まわりを見渡すと大樹が多く、先ずは伐採から始め、そして草を刈り、住む所にバラックの小屋を建て、火をたける場所を作り、原始的な生活から始まる。
入植をして半年を過ぎる頃には、どうにか農作物が作れるようになり、パイナップル畑を作り、苗を植え、次々と入植者も入り開けてきて、パイナップル工場も出来る。野菜は波止場までかついで出荷をする。そのうちにリヤカを買い、運搬は楽になり、農家も安定をして、家畜を飼い堆肥を作り、私たちの住む住宅を建て、安定したのもつかの間で、昭和十八年、大東亜戦争が始まり、三月二十八日から三十日の三日間は大空襲で、ココールの町は火の海と化して、食糧及び燃料は壊滅状態で、これからが大変な生活で、内地からの定期船が入らず、自給自足で半年くらいまでは良かったのですが、その後は米が不足して、大人はどうにか我慢が出来るのですが、子どもたちが可哀想で見られず、毎日の空襲で農作業も思うように出来ず、結局は夜の仕事と変り、月夜は良いのですが、闇夜は手探りで作業を続けました。
ますます戦火も激しくなり、この最中に婦人と未成年は疎開で本国に引揚げることになり、私は十五歳で引揚げることが出来ずに残り、父は兵隊へ入隊をする。私は軍属として志願兵で入隊しました。この時に始めての体験、軍隊生活で親の有難さを痛感しました。夜は毛布の中で泣いた事が何度かわかりませんでした。
戦争は激しくなるばかりで、私の立ちは兵事部で。伝令でした。空襲の合間に書く分隊に情報を届けるのですが、木のあるところは良いのですが、またま平野で空襲に出合い、何度か命拾いをしてきました。
その内に食糧の不足と共に栄養失調で亡くなる人が出始め、兵隊と一般の人と次々と亡くなり、いても立っても居られない気持ちでした。兵隊でも上官は米のご飯ですが、部下はご飯が当たらず、死ぬ兵隊などは米の飯を食いたいといわれた。言葉は、耳の奥にこびりついています。
食事の方も、兵隊はサツマイモの葉のオジヤに、サツマイモ、そして米つぶが数えるほどしか入ってなくて、お腹だけがふくれて、髪の毛は抜け、痩せて可哀想でした。又、夜はサツマイモ畑を荒らす人が多くなり、夜警で取締りが始まり、私も夜警に出たが、婦人と子どもたちは逃がしてやったことが記憶に残っております。
戦争は激しさを増して、引揚げたオフクロと弟たちの船が魚雷でやられたと聞いたので、あきらめていましたが、生きて帰りたい気持ちで一杯でした。
ある日、私と上官は、農民との集会の最中に空襲に合い、私とひざを合わせていて、討たれ戦死をしましたが、人間とは運、不運があると思いました。人間的に立派な方で、私を弟の様に可愛がってくれ、この時だけは替われるものであれば替わってあげたい気持ちでした。その後に来た上官も良い方で、私の面倒を良く見てくれ有難かったので、感謝で胸が一杯です。
その内に終戦となり、引揚げる時まで一緒で、食糧が不足をして、栄養のあるものは口に入らず、上官と山鳩を取って食べ、命をつなぐことが出来ました。私は人との出会いの運が良く、引揚げる時は別でしたが、本籍が増毛町で、父と一緒に帰り、父の妹を頼りに行くことが、常夏の所から北海道の真冬には勝てずにネコのようにまるくなり、一ヵ月後には死んだはずのオフクロ、弟妹、全員無事に再会できる事は、この上ない幸せでした。
この頃はニシンが大漁で、浜はごった返しで景気も良く、このまま世話になることは出来ず、私は一足先に赤平の炭鉱に居る伯父を頼って行く。すぐに採用してもらえなくて、組で働き、半年後に本採用になり、家族全員が来て生活をする。このときも食糧に苦しみ、買出しに農家に米を買いに行き、随分足を運びどうにか生き延びることが出来ました。
その後父と母、弟妹たちも来て、開拓農家を始めて開墾をして農業をする。私も日曜日には手伝いに行き、苦労した甲斐があり作物がとれ、希望がわきました。
炭鉱も景気が良く、父は二、三年辛抱をしてくれ、身の振り方を考えると言われましたが、とうとう定年まで勤務をし、人生の半分が過ぎ、昭和四十九年八月十三日の運搬事故では九死に一生を得たことは、生涯忘れることはできません。今考えると運が良かったと感激で一杯です。闘病生活を振り返り、リハビリーの苦しみは忘れることは出来ません。人の三倍も努力を続け、玉の脂汗を流したことが良くてどうにかもとの体に戻り、所信をして長生きをしていきたいと肝に命じている今日この頃です。
このように体験したことは、私にとってはプラスとなり、今後は日本は二度と繰り返してほしくない戦争を、息子を始め、孫、ヒコの代まで続けてほしいと願っております。
発酵、細菌学(納豆菌とかからの新素材の工業化、プラスティック分解など)
ここらへんをあげたのはね、聞きかじりだけど発酵については日本は相当のアドバンテージがあるっていうことからなんだ。実際新素材とかブレークスルーになりうる石油製品にかわりうるものができるとしたら、これぐらいしかないだろうという感じ。
なんせ10年後だから、今現在影も形もないものは商業にはなりえないだろうと思っとります。
原油が枯渇するとは思わないけど、日本が「原材料」として使えるほどには現状の価格は維持しないと予測してる。
それに「日本が」という視点で考えた場合、石油や原油で日本がイニシアチブをとることはありえないだろうと……。
プラスティック製品で、従来の材料になんかを混ぜることによって計量化に成功したとかニュースがあったけど、できる努力はそういうところだとおもうんだ。
真面目なところはわからないんだけど、思いつきで口を出してみる。
ここらへんはつながる話だよね。それと、
ここらへんがつながったりするんじゃ?というのはSFの見すぎですかね。
でも、生体と機械のハイブリッドで、高効率だったり親和性が高かったりする人工器官とかマニピュレータとか、そんなのの産業とかがきたりしないかね。
ここらへんのつながり、ってののあるけれど、実際のところは超画期的なブレークスルーでもない限り難しいと思うんだ。
現状、石油のコストも使い勝手も良すぎて、そのおかげで産業も発展してる。バイオマスとか新エネルギが主流の一つになるには、その産業を支えている石油の枯渇とか、そういう惨事が起きないと移行できないんじゃないかな。でも、それって、ぶっちゃけ他産業の衰退を意味するんだけどね。
そういうことが起きない限りは、ブームがきて膠着してサブで維持ってパターンじゃないかな。
とかって、根拠はないんだけど。
なーなーなー。
ちょっと真面目に10年後に日本が先進国でありつづけるためにどの分野に力を入れなきゃいけないか考えないか?
あたまのいい増田くんの活躍に期待したい。
自分ひとりで考えてるとどうも先詰まりになっちゃって日本を諦めて他の国にいったほうがはやいんじゃないかとおもっちゃうんだ。
途上国が先進国に仲間入りすることにより、一時資源が今後も高どまりすることが予想される。
国内では資源や一時産業品が殆ど自給できない。
今後は運送費の高騰(通貨に対して)が予想される。
人件費がVISTA、VRISCsなどの海外と比べ差が無くなりつつある。
日本の経済発展を支えてきた中小製造業は後継者問題に揺れており、10年後にはさらに深刻になっていそう。
・発酵、細菌学(納豆菌とかからの新素材の工業化、プラスティック分解など)
・ロボット工学
・遺伝子工学(組み換えからの治療や農作物の品種改良の効率化など)
・再生医療(iPSとか)
・原子力
・情報工学
・金融工学
・次世代移動機器(車、飛行機など)
他に候補をあげるなり、これはない、とかこれは可能性があるとか宜しくたもれ!
アフタヌーンの実態はなんだろうね。
お店とかブランドによって違うからよくわからないや。
でも、アッサムみたいに名前が売れてる産地だったら「アッサム」で売ると思うんだ。
大抵アフタヌーンは安かったりするから、知名度のおちる産地じゃないかな。
ニルギリとか、キャンディとかそこらへんとか中国紅茶のブレンドかもしれない。
もっといえばそういう産地名すらまだないような地域のやつかもしれない。
ちなみにティーバックとかで使われてる茶葉(ダストいうんだけど)そこらへんはアフリカ産だったりする。
極端に不味いわけじゃないけど極端に安い。
ブレンドの内容も時節によってずいぶん違うんじゃないかな。
結局は茶葉も農作物なので、「安いけど美味しい茶葉みっけ!」ってなったら、
それをブレンドしてアフタヌーン!ってことでいいと思う。
ブレンドするのは単一の地域でやるより味の調整がしやすいとか、そういう理由らしい。
お題のヤツは・・・なんだろうね。
大体の人は、開発が終わった時点でそれに気づき
「へーそーなんだ便利だねえ」
で、別にそれがなかったからと言って充足しないわけではないと思う。
あと食物をそんなにいっぱい作っても価格が下がって交換できなくなって、奢侈品や便利なものの価値が上がって、それを作るのを生業にする人も出てきて、洗濯機や冷蔵庫や工芸品や自動車やはてなのシステムを作るのが生きていくために合理的になるわけだ。あなたもたぶん第一次産業以外の労働者だよね?
開発が終わると財の価値が下がるんだよ。だから新しい財を作らないといけない。遺伝子組み換え作物が出来たのもどんどん農作物の価値が下がったからより価値のある財を求めた結果なんだよ。
だから人間は自律運動する経済機械で、ここをブレイクスルーしないと環境のリソースを使い果たしちゃって自分たちのエントロピーで首を絞めることになるんだってば。それをどうするか、またそもそも前提となってる「経済機械はリソースを使い果たす可能性がある」って命題が真か偽か、ってのが環境問題の本質だろ?
どうやら府知事には橋下弁護士が出るらしい。阪大の教授を民主がかつぐらしいが、まあ、橋下弁護士で決まりだろ。
で、彼で大阪が良くなるかと?
いんや、変わらないだろ。ひょっとしたら府の役人の給料を下げるくらいはできるかも知れんけどさあ。
土光臨調以来の節約路線なんか取ったってむなしいものだ。
大阪も含めた地方の衰退というのはいくら知事ががんばったってなんともならんもんだ。
だって、地方の衰退は国の政策なんだもの。みんな小泉に拍手喝采してただろ?
あいつは最初からこうするつもりだったんだぜ?
今更「格差」「格差」とか騒いでる奴の脳を見てみたいもんだ。
そのまんま東が宮崎県さんの農作物や鶏肉なんかをアピールしてがんばってるじゃないか!と言う人もいるかも知れんけど、
国民の平均所得はここ数年ずっと下がりっぱなしだ。宮崎県産のものを買った分、他の支出を切り詰めてるだけで、その分どっかの
県が割りを食ってるだろう。
本当の意味で内需拡大に国が方針を転換しない限りは誰が知事になったって輸出業者が高笑いするだけだ。
橋下も言ってた「内需拡大とかいいながら結局公共事業しかしてないじゃないか」
そのとおりだ。その最大の理由は、癒着などではない、他にばら撒く(=内需拡大)手段がないからだ。
だから橋下よ。お前が内需拡大のいい手段を考えてくれ。
それができればお前は超一流だ。それができない場合は。。。
客「今リッターいくらですか?」
俺「税込み154円ですね」
客「えっ!? 他の店だと147円だったんですが……」
俺「(Yさんのところかな) すみません。当店では154円での御提供となっております」
客「うーん……。じゃあ、いいです」
俺「申し訳ございません。ご来店ありがとうございました」
なやり取りがあったもので、ちょっと思うところを書いてみたい。今の全国平均はリッターあたり約155円。ちょうどうちの単価と同じくらい。じゃあどういう店が安売りできるかというと、いくつかの要因が挙げられる。
1つ目は『セルフスタンド』。これは単純に人件費がかかってないぶん安い。下手したらフルとは10円以上の差が出る。ただ「軽自動車に軽油を入れちゃった」とかの話を聞く限り、あまり車に詳しくない人に勧めるのは若干の抵抗がある。特にこれからの季節は静電気に要注意。あとくわえたばこは周囲から自殺志願者だと間違われるからこれも厳禁。
2つ目は『オリジナルブランド(OB)店』。これはマークに捉われず安い物を買うということで平均して安い傾向にある……らしい。実はあまり自信がない。なぜならうちがOB店だから。安いといっても10円20円は、うちではちょっと考えられない。
3つ目は『直販店』。これはOB店とは真逆だけど、農作物と同じで産地直送のほうが単純に安いという考え。実際に安いし、価格競争では最も有利なポジション。けどY店は直販店じゃない。
4つ目は『油外だけで収益を出せる店』。赤字覚悟でガソリンを売っても収益を確保できるような店は、単純に安い。下手したら卸値より安く売ってる店もある。実はY店はこのタイプの店だったりする。けど、ある店が油外で収益を出せるかどうかなんて一般客はわからないから、結局のところ看板を見ながらの地道なリサーチということになっちゃうんだけどね。
じゃあここで計算を1つ。リサーチの結果他の店より7円安く買えたとすると1ヶ月あたり何円の差が出てくるか。だいたい毎月70リッターくらい使ってるとすると、7円×70リッター=490円……実はワンコイン未満の差だったりする。安いと思う人も高いと思う人もいるとおもうけど、その程度なんだよね。
ということで1円でも安くガソリンを買いたい人には、あえて値段に現れないサービスに注目して店を選んでもらいたいと伝えておく。
例えば一定量給油すると洗車の無料券がもらえるとかポイント貯めるといろんな景品が貰えるとか、そんな感じの値段には現れてこないサービスね。それで十分ワンコイン程度の元は取れるから。といってもこんな感じのサービスは色んな店がやってるから、じゃあどこにすれば良いかというと『窓拭きを丁寧に行ってくれる店』を自分は勧める。っていうかうちの店だけど。俺宣伝乙。
たとえワンコイン高くても、それ以上の誠意をもってお客様のお車を大切にいたします、というサービスステーションでバイトしてる増田からのメッセージでした。
ちなみにこの話は全てフィクションです。お粗末さまでした。
http://anond.hatelabo.jp/20070818135658
http://anond.hatelabo.jp/20070818141853
旧来型の貧乏
・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏。
生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。
部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。
あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。
その解決の道具がお金(土木系公共事業・ばら撒き行政)と教育。
田舎や貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。
でも、昔は学歴小学校卒非モテニートでも親の家業や農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由と結婚の自由はないけど。
それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。
『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。
新しい貧乏
・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏。
生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。
雇用の流動化、核家族化、少子高齢化、消費社会化による行き過ぎた個人主義、グローバリゼーションと自己責任。
ばら撒きしようにも、今の家族の単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金に限界が見えた。
だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。
繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺。自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業、労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。
ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会の商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ。工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物の価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。
それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者も高齢化。若い日雇い労働者はネカフェの個室に一人きり。
こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁や血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html
で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統や世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。
そういう前提が日本が消費社会化するにつれて変った。まず、日本の住宅に団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代のアメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事とオタク趣味、お母さんも仕事と女友達とお買い物、子供はモバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近の家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行。
そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁、血縁、義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。
これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。
だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。
ごめんねごめんね。他の増田ごめんね。
多分つまらないと思うけど、ちょっと楽しいからまだひっぱるね。
夕飯食い終わったあとぐらいは猫に戻るからごめんねごめんね。
米が水を使いすぎる効率の悪い作物だって?
稲作は降雨に依存するので、アジアには稲作のような耕作物の方があうんだよ。
そもそも麦やとんもころしを育てるには日本みたいな四季がある国じゃろくな生産量をあげられない。
麦やとうもろこしが何故米国や中米でつくられてるのか考えたことがあるかい?
少ない水で育つからじゃないよ。乾燥に強いからだ。
そもそも日本みたいに雨が多い気候じゃそだたない。
気温、日照量、問題はいろーんなものがある。
他の作物を選択すれば農作物生産があがるならとっくに切り替えてるよ。
それに現段階だって飢えてる国なんてやまほどあるだろ?
ウォーター・クライシス ??水は誰のものか??
http://www.nhk.or.jp/special/onair/050821.html
これか、これに触発されたのか。。
なんか、全部ソーラーパネルに切り替えればエネルギー問題解決じゃね?
というのと似てるな。