はてなキーワード: 負債とは
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/091012/acd0910120913003-n1.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/091012/acd0910120913003-n1.htm
この記事とそのブコメが興味深かったのでちょっと書きます。
私は3級手帳を持っている精神障害者(と国の統計でカウントされている)です。
個人的には「障害者」表記が嫌だとは思いませんし、周囲でも嫌だと公言している人も見かけませんが、嫌な人も居ると思います。
しかし「障がい者」表記には反対です、漢字をひらがなに書き換えれば終わりでは意味がありません。
嫌な人が居るというのなら「障碍者」表記にすればいいのです。
常用漢字についても今まで何度か見直しがされてきましたし、碍の漢字だけルビを振るという運用も出来るはずです。
ただ、「障害者」表記に対する反応は身体・知的・精神の各障害者団体で違いがあるなという気がします。
各々の障害者団体の方針の違いというのは結構大きく、
例えば身体障害者向けの身体障害者手帳と知的障害者向けの療育手帳には顔写真が貼られていますが
精神障害者向けの精神障害者保健福祉手帳には顔写真が2006年まで貼られていませんでした。
これは全国精神障害者家族会連合会、略して全家連が手帳に顔写真を貼る事を拒否したからです。
これにより身体・知的の重い障害を持つ障害者に認められていたJR等交通機関の優遇措置が
本人確認が出来ないという理由で拒否され、現在も認められていません。
障害者と言っても身体・知的・精神で障害者団体が分かれていることがほとんどで、
障害者福祉の根拠法令も身体・知的・精神でそれぞれ別となっています。
私が不満なのは、ある障害者団体の意見が他の障害者の意見とかけ離れていることが多いことです。
先ほどの全家連も、当の障害者や障害者家族から批判されることが多かったですし
身体や知的の障害者団体が出す意見を見て、脱力させられることが何回もありました。
障害者皆が、「障害者」表記に反対・「障がい者」表記に賛成では無い事を知ってもらいたい、と思ってこれを書きました。
以下は上手く文章にまとめられず箇条書きです。
metabodepon 言葉狩りは不毛に思う。本当に身体障害者が障「がい」者と表記することで救われると考えているのだろうか?疑問に思う。障害者の生の声ならば従いたいが、「健常者」たる人権派の考えならば空々しく思う。
http://b.hatena.ne.jp/metabodepon/20091012#bookmark-16660120
saigami 産経 いや、「障害者」に関しては当事者が嫌だって声が結構あるんだけどね。表記に関して当事者が嫌だって言えば配慮するべきだと思うけど。3K新聞とか言われたら嫌でしょ?/「碍」は常用じゃないから使えないんじゃ?
生活保護を受けようとなぜしなかったのですかね的な発言。えーーー。
(してるよ何いっての…平野さん目が点になってたよ)
生活保護の窓口に行ったけど、「借金などの負債は」の質問に「なし」って答えちゃったんだよ。多重債務に陥っているにもかかわらず。
N:北原さんは生活費などのために、少なくとも150万円の借金をしていました。給料およそ14万円のほとんどを返済にあてていましたが、それでも足りず、ほかの消費者金融にも手を出すという、多重債務に陥っていったのです。
そして去年11月、アルバイト先に、借金の取り立ての電話がかかってくるようになりました。「同僚に迷惑をかけられない」。そう言い残し、店をやめました。
北原さんは、収入がまったくなくなってしまいました。しかし、その窮状を家族にも打ち明けることはありませんでした。
N:借金などの負債はあるか、という問いに対し、北原さんは「ない」と答えていました。
その継父にだまされ、10年以上前から消費者金融数社から私名義で借金。カードを取られ勝手に管理されていた。
その返済のためといいつつ、奴の思うまま毎月十数万もの金を毟られる。生活費だと言われてしまえばそれまで。従うしかなかった。
自分の給料の半分を家に入れる、美談のように聞こえることが地獄のような現実だった。
こっそり貯金しても、体よく言いくるめられむしり取られる。その繰り返し。
自活しようにも精神的な束縛が強く、今思えばなんで出て行かないのか不思議な状態。
だが、母親を人質に取られたようなもので、母親すらもマインドコントロールされてしまっている状況では、奴の言うがままになるしかなかった。
結婚したい人が現れても、そのたびにこの借金と家庭環境の話をすると目の前から消えていった。
しかし2年前、今度こそ本気で結婚したい人が現れた。この人を逃したら、本当に自分の人生は終わるかもしれない。そこまで考え、彼女に正直に話した。
受け入れてくれた。本当にすべてを受け入れてくれた。
ただし、このままの状況を続けることは猛反対され、自分の人生をしっかり取り戻してくれたら一緒になりたい、とまで言ってくれた。
涙が出た。
実際、返済のための負担は想像以上に厳しく、給料の大半が返済に回る。そんなことでは二人のこれからの人生が台無しになる。
そこで、借金はすべて自分で管理することを宣言した。あーだこーだ言っていたが、こんどばかりは引かなかった。
私の決意が伝わったのか、しぶしぶながらもカードをすべて出してきた。
負債額を合計したら死にそうになった。600万越えていた。
自己破産するしかないか…と思ったが、弁護士に相談して任意整理を行なうことにした。
ここまで借金がふくれあがった経緯を説明したら「実は良くある話なんですよ」とのこと。とたんに泣いた。これまでの人生、本当に無駄だったと思った。
任意整理開始。過払い金がかなりあったとのことで、最終的な債務は5分の1程度になった。そんなに減ったというのが驚いた。ここ最近の消費者金融の凋落は本当なんだと思った。返済として月々13万ずつ弁護士事務所経由で支払っていった。
そんな中、無事に彼女と結婚できた。最高に幸せな瞬間だった。こんな自分が、こんな幸せを味わえるとは思ってもみなかった。
そして先々月。
弁護士事務所から「完済しました」との連絡。一瞬何を言っているのかわからなかった。
あれだけあった借金を、すべて払い終わったという。
力が抜けた。何とも言いようのない虚脱感を感じたが、反面肩の荷が下りた思いもした。
一時は死ぬことも考えたけど、手を尽くしてやるべきことをやれば、必ず報われると信じられるようになった。
今は、返済に支払っていた金額と同じ額を毎月貯金している。家を買うのも夢ではなくなった。現実はきびしいだろうけど。
こんな自分を支え続けてくれた妻に、最大級の感謝をしたい。ほんとうにありがとう。
迷惑かけた分以上に、恩返しをしていきたい。
一部識者によると日本の国債のデフォルトは単なる可能性ではなく、だんだん現実味をおびている。日本を救うことはできるのか?
多くの投資家にとってそのような悲観的なシナリオはばかげていると感じられるかもしれない。しかし日本の経済は1990年以降、ずっと低迷している。(中略)それ以降、日本政府は巨額の景気刺激策を実施した。そしてそれが巨大な構造的財政赤字をつくり上げた。日本の国家負債はGDPの217%であり(上の表参照)、アメリカの81.2%、G20の72.5%より大きい。今後40年の間に日本の人口は20%減少し、就業年齢の人口は41%も減少すると予想されている。
もちろん、日本が深刻な問題に直面するだろうという議論には反論もたくさんある。日本の負債比率は高いが、その95%は円建てであり、国内での借金である。日本の貯蓄水準は高いので、アメリカのように中国や日本人のお世話になることはない。また日本の債券の多くは日本政府の機関や政府関連の投資主体によって保有されているので債務は二重に勘定(double count)されている。
日本の10年債の金利は1.3%に過ぎない(アメリカは3.4%)ので利払い負担は比較的小さい。リチャード・カッツによれば日本の利払い負担額は現在過去20年で最低となっている。
カッツによると「弱気筋はアルマゲドンのシナリオを唱えているが、日本が急激に危機に陥る可能性は低い。日本は1兆ドルの外貨準備があるし、貿易収支も黒字を保っている。」
しかし日本が改革できる可能性に関しては疑問の声を挟む向きもある。ハーバード大学ケネディー・スクールのウイリアム・オーバーホルトは日本のデフォルトは単なる可能性ではなく、だんだん現実味をおびつつあるとしている。彼によると「日本の負債は今後も増加することが運命づけられている。なぜなら年金の積み立て不足や市町村の財政破綻の面倒を国がみなくてはならないことは確実だからだ。」
「日本は投資家のセンチメントがこれまでの落ち着いたものから急激に悲観へと転ずる転換点にどんどん接近している。日本国債は世界経済の歴史で最大級のバブルだったということが判明する羽目になりかねない。」
ゴールドマン・サックスの山川氏は最近のレポートの中で日本の国債の金利が名目GDP成長率に比べて恒常的に高くなるリスクに警鐘を鳴らしている。これは雪だるま式に政府の利払い負担が増える結果になりかねない。民主党の景気刺激策の影響もあって日本の財政赤字はGDPの10%を超える状態が向こう3年くらい続く可能性もある。「これが財政破綻につながるリスクもある」とゴールドマンのレポートは書いている。
20年近い景気の低迷とデフレの中で日本の人口は今後かなり激しい減少を見ると予想される。(上のグラフで赤を参照)
また、就業年齢の人口の減少は全体の人口の減少より早いペースになる。
日本は伝統的に移民政策に対して抵抗感をもっているので、人口減と相まってGDP成長をねん出するのはどんどん難しくなる。
「日本政府は競争力のある産業のプロモーターという役割から負け組産業の保護者という立場にかわりつつある。」
http://gaikokukabuhiroba.blogspot.com/2009/09/blog-post_27.html
日本航空の再建案で、不採算事業を切り離して分社化し、採算事業だけを集めた方を存続させて、不採算事業を集めた方は破産させて踏み倒すという話が出てきているらしい。
破産処理をすると、航空事業の継続が難しくなる、特に、空港の離発着権という最大の権益を現金化して負債に当ててでも支払えと言うのが、金を貸している側の理屈であり、場合によっては、離発着権が負債の対価として、ばらばらに分配される事になりかねない。すると、一つの航空会社としての存続は難しくなり、小さな航空会社が複数できるという形になって、国際線の運行が難しくなる場合もありえる。国際線は相手国があっての話であり、話し合いの余地が無い場合もある。少なくとも、日本の大使館がある場所へは、日本の航空会社の直行便か、相手国の航空会社の直行便がある事が望ましい。どちらも無くなってしまった場合には、領事館に格下げする等の手段も必要となる。
Bad Bank、Good Bankに切り分けて負債を処理するという話に発想を得たのかもしれないが、Bad Bankは負債を一時的に飛ばしておくだけで、その負債は、Good Bankの上げる収益で複数年という時間をかけて償還していくという仕掛けである。これ以上負債が増えないという前提がなければならない。
リスケジュールが、負債の飛ばしの本質なのだが、通常の事業会社においては、このような発想は成立しないというのが現実である。
そもそも、リスケジュールによって負債の返済が先送りになった時点で、追加の融資は全部止まるというのが、金融の世界の常識である。
それこそ日本の金融機関のように、預金につける利子は雀の涙の低金利横並びで、貸し金につける利息は制限一杯というぼったくり商売が認められていて、よほどの間抜けでない限り赤字になるわけが無いという楽な商売でも無い限り、負債の飛ばしによるリスケジュールが成功する可能性は限りなく低いということを金融機関は身にしみて理解している。
江戸時代の棄捐令が、結果的に旗本達を困窮に追いやったように、自由競争下においては、借金棒引きや踏み倒しは事業の破綻と同じ事になるのである。
従って、もし、Bad JAL、Good JAL方式が成立するとするならば、それは航空会社としての独占的地位をGood JALに付与し、自由競争を廃止するということになるであろう。
破綻によって人件費やレガシーコストを切り離すが、事業は継続できるようにするという、ムシの良い方法を探すということは、つまるところ労働者との約束だけを切り捨てる方法を探す事に等しく、前向きな努力とは言いがたい。
他の破綻した事業体と同様に、破綻処理を淡々と進める以外に筋を通す方法は無いし、立て直すのであれば、相応の実績のある経営者を投入しなければならないが、二社による寡占体制が続いた為に経営者としての人を得る事が出来ない。他の業界から大物を引っ張ってくるとしても、郵政民営化の見直しで、招いた経営者をたたき出した今の政権に協力する者はいないであろう。
ある老人が言った、「戦争中、お国のために死ねと言われた。国の再建のため働き生き延びた今、また若いものから死ねと言われる。体も自由に動かないのに、後期高齢者医療制度なんてもんができて、年金暮らしでカツカツの身の自分達からさらに金を払えという。老人いじめはもうやめてくれ」
ある若者が言った、「上の世代の連中が、自分たちに負債を全て押し付けて、自分達だけまんまと年功序列の甘い汁を吸ったり、年金をたっぷりもらったりしてる。なんで自分たちがたくさんいるあいつらのために働いて税金払わなきゃいけないんだ。どうせ自分らには年金なんてまわってこないのに」
ある男が言った、「結婚したくてもできないんだ不細工で負け組の俺には。女が金持ちとイケメンを望むから。大体、結婚したって俺たちはどうせ、妻と子のために馬車馬のように朝から晩までせっせと働いて、小遣いが月数万とかの扱いで、成長した子供からは『お父さんの靴下別に洗って』なんて疎まれて、妻からはセックスも拒まれて嫌がられる、そんな生活なんだろ。けっ、俺なんてどうせどうやったって幸せになれないんだ」
ある女が言った、「女一人で結婚せず働き続けても世間の目は冷たいし、そもそもバリキャリでもない私には、まだまだ日本じゃそれも難しい。かといって結婚すれば、共働きだって大抵女が家事も育児もすることになる、その上姑までついてきて、精神的にボロボロになってる親や知り合いをたくさん見てきた。こうなったら一発逆転の玉の輿でも狙うしか、幸せになれる道なんてない。でもそれだって無理だって分かってる。どうせ幸せになんてなれないのよ」
あるサラリーマンが言った、「公務員はいいよな。あんな9時5時の仕事で、どうせ昼もタラタラ食って、要領も効率も悪いお役所仕事をヘラヘラしてれば安定した金がもらえるんだからな。不況でも安定して、いいご身分なこって」
ある公務員が言った、「公務員は安定してるだとか楽だとか言われるけどとんでもないよ。昔はどうだったか知らないが、今は公務員だって普通に激務さ、給料だって一部のエリートが凄いだけでスズメの涙。簡単にいいご身分だなんて言ってほしかないね、サラリーマンは常にマジョリティだけどこっちはいつも何かしら批判され続けるんだ」
あるワープアが言った、「俺たちは少ない給料で、パワハラに悩まされながら、毎晩終電逃す勢いで働いているってのに、生活保護を受け取ってる自称メンヘラは楽でいいよな全く。甘えるんじゃねえよ」
ある生活保護「本当は働きたいのにそれもままらない。甘えるなというが本当に精神病で毎日が辛く苦しい。病気のことを責められてもどうしようもない。骨折したなんて甘えるなと言われるようなものだ。ちゃんと社会に戻りたいが日本社会は一度ドロップアウトした人間に大変厳しいし、生活保護だって皆が思うほどもらえてなんかいない」
financial crisisからeconomic crisisへ。
腐敗したCDS(credit default swap)で大損をした金融機関の危機が、いよいよ、経済全体への危機へと広がり始めている。
CDSを買うということは、債務者の借金の連帯保証人になる事であり、債務者がdefaultしたら、債務者の代わりに、全額を被らなければならなくなる。危機以前の金融機関の羽振りが良かったのは、産業への融資が全然ダメであったが、双子の赤字の増加によって運用しなければならないお金が増える状況において、CDSという投資先を見つけたからであり、それに投資したがる新興国や産油国との間に入って手数料を稼げていたからである。
金融危機に対して、中央銀行が特融を出しまくって一時的に支え、会計基準を捻じ曲げて評価額の粉飾を認めて、損失の表面化を年間利益の中に押さえ込むことで、表面的には金融危機は沈静化していることになっている。アメリカでは、今年に入ってから、すでに92行の地方銀行が破綻しているが、政治的には、金融危機は沈静化している事になっているのである。
金融機関の危機が沈静化するということは、金融が引っ張っていた経済構造から金融の影響を取り除くという事でしかない。金融危機を沈静化したら、産業がダメで成長要因が無いという現実が表面化する事になる。この現実への対策は、産業を再興する事しかなく、その為の施策が望まれるのだが、遅々として進んでいない。
バブルの頃は、家屋の建築や担保余力を使った融資による消費といった要因があったので、それなりに仕事が発生したが、バブルが終わってしまったら、それらの要因が消え、労働力の過剰という現実だけが残る。賃金は低迷し、通貨が弱くなる事から輸入物資の価格は上昇し、スタグフレーションへと向かうことになる。しかも、金融機関が抱え込んだ莫大な負債は、毎年の納税額を0にして償却する事になり、金融機関からの納税額が大幅に減少するし、バブル期に良かった事業は軒並み左前になっており、このセクターからの納税も期待できない。財政出動をしたくても、歳入欠陥が確実視される状況では、赤字国債を発行して手当てをするくらいしか道が無いのだが、この赤字国債を買ってくれる経済的な余裕のある人は国内には無く、海外に買い手を求めるには、通貨が強くなる見込みが無ければならない。幾ら金利を引き上げても、それ以上に通貨の価値が下落していくのでは、利回りはマイナスになる。
輸入に頼らずにやっていける国家であれば、スタグフレーションの影響はかなり小さく出来るが、それでも、通貨の強弱と金利というパラメーターによって影響を受ける。輸入を必然とする国家においては、スタグフレーションに入ってしまうと、自立回復は難しくなる。日本はアメリカよりも条件が悪く、アメリカよりも早く、有効な手を打たなければならないのである。
[2009.9.15]
アメリカの医療費が世界で一番高額なのは他に産業が無い為である。自動車産業にしても軍需産業にしても、人員を削減する合理化でしか利益が発生させられない程技術革新がストップしている。
新規の工業は発生せず、労働者を吸収できるのは三次産業だけであるが、小売業や飲食業といった買い手が強くて価格競争が厳しいカテゴリーでは賃金の低迷が発生し、逆に医療や介護のような売り手が強いカテゴリーでは料金の高騰が発生する。
この料金の高騰に乗っかり、さらに吊り上げを行っているのがAIGに代表される保険会社と医療過誤裁判で懲罰的賠償金を請求して取り分を増やす弁護士業界である。
モノを作り人々の幸福に奉仕してお金を儲ける物作りがサブマリン特許や特許による市場の寡占や製造物責任による懲罰的賠償金といったチャレンジを阻害する法制度によって邪魔されており、人々は保険会社や弁護士といった他人の不幸につけこんで銭儲けをする商売や、投資銀行のような他人を騙して銭儲けをする商売に進むしかなくなる。
その結果、そういった"強欲なビジネス"に従事する人々を富ませる為に、末端の三次産業は訴訟コストや責任保険といった高コスト要因を背負わされ、現場で働く人々は貧困になるばかりとなっている。
第三次産業は一次産業や二次産業のおまけでしかなく、それに頼ると社会全体が貧しくなってしまうのである。
日本でも、医療や介護や保育といった福祉分野が雇用の受け皿になると主張している者が居るが、お互いがお互いにサービスしあう状態では縮小再生産になる。
誰の何と言う本かは忘れたが、島民全員が洗濯屋でお互いがお互いの洗濯物を洗う事で賃金を得ている島という設定があった。島民は皆、洗濯をして賃金を受け取り、洗濯物を出して代金を支払うことになる。島民は洗濯業以外の仕事をしてはならず、自分の洗濯物を自分で洗ってはならないというルールが存在するのが前提である。島民は、洗濯代を受け取り、生活費の分を消費し、残りで洗濯代を支払うことになる。
この場合、生活費の分だけ、非島民(外部)にお金が流出することになり、この島の経済を維持するにはヘリコプターで外部に流出する分のお金を毎日ばら撒かれなければならない。
結局、第三次産業が発生する付加価値とは、他の産業が生み出す富の総量を超える事は出来ないのである。"強欲なビジネス"がお金を集めると、末端の三次産業従事者は貧困にあえぐことになる。また、これは、通貨ごとに閉じた世界として考えられる。外部から投資を引っ張ってこれたとしても、その投資には金利や配当をつけなければならず、その負担は、その通貨を法貨としている国家が発生させた富によって賄われなければならない。さもないとネズミ講になってしまう。
医療保険制度の改革や金融機関の報酬制限によって、"強欲なビジネス"の牙を抜くプランに反対が多いのは、それだけでは縮小均衡になるからである。縮小均衡にしない為には、一次産業や二次産業において雇用を拡大する法制度の改革が必要であり、その青写真くらいは見せないと縮小均衡に対する反対は止まらないであろう。
自動車保険のように皆保険制度を実現できる筈だというが、自動車の場合は修理代の方が評価額よりも高くなったら修理せずに廃車にする。人間も、同じように治療を打ち切って安楽死させる事ができるのであれば、自動車保険のような丼勘定の保険制度設計でもやっていける。しかし丼勘定の保険制度で人間の生命を扱うのは根本的に無理がある。このために、民間の医療保険では、健康な人しか加入させないという条件をつけたり、加入時に申告の無かった既往症や虚偽の申告があった場合には保険を適用しないという条件を加える必要が発生する。
皆保険では、既往症や慢性病に対しても保険を適用しなければならず、丼勘定では破綻する。働けないほど重病であれば、医療費は保険が持ち、生活費は福祉が持つことになって、働かずに暮らしていける人が発生し、そういった社会的な富を発生させていない人を生かす為に、健康に気を配り、汗水流して働いている人が高額な税金を負担させられる歪んだ社会になってしまう。
つまり、丼勘定のままでは、誰かが、その人の社会的価値を判定し、安楽死を働きかける仕事をする羽目になる。それをやりたがる人は、いるだろうか?
これを防ぐ為に、私は、医療保険のローン化や、年金や失業給付や生活保護の口座化を提案している。
これらのプランでは、医療費や生活費の債務は家族(子孫)が背負う事になる。子孫がいない孤老世帯の死亡が発生しない限り、残高の未回収は発生しないという考え方であり、これ以上負債を増やしたくないという判断を下すのは、本人や債務を背負う家族(子孫)である。負債が大きくなりすぎると、結婚等で姻戚関係を結ぶと法定相続分の負債が降ってくるので、婚姻がまとまりにくくなる事が予想される。おのずと、自ら身を処するようになるという考え方でもある。社会福祉口座の債権債務に関しては相続放棄が出来ないという例外をつけるだけで、人々に自律的な行動を強いる事が可能なのである。
おれは死ぬのが怖いから、死ぬのが苦しくないなら嫌ではないという感覚が分からない。
死ぬ、というのは存在しなくなる、ということで、それはもの凄く恐ろしい。
ああ、やっぱそういう感覚の人のほうが多いのだろうか・・・。
個人的には、自分が死んで、誰の記憶からも消えればそれはとても幸せなことだと思う。
誤まり続けつつも良い事もたくさんありそれを積み上げてきた貴重ななものとして捕らえているか
はてまて、人の生き死になどどうでもいいことで世の中の全てが無価値なことと思っているか
っていうところが根本的に違うのだろう・・・・
死ぬ、というのは存在しなくなる、ということで、それはもの凄く恐ろしい。
上記のような感覚は、きっと人間が存続していく上で必要な感情なんだろうな・・・。
俺の場合だと、妹が結婚して、子供ができるとかできないとかいっているので、
まあ、俺はもういなくなっても問題なしと思ってたりする。
(で、その妹と話したら、私もあと何年生きれるかね・・・とか言ってたりする。
新婚なのに・・・)
とりあえず、生きて進んでいく意志がある人には、めげずにがんばってほしい。
やる気のない俺もとりあえず、働きにいってがんばるとする。
一通りレスを読んだけど、
増田はお兄さんの事が嫌いなんだろうなあと思った。
嫌いじゃなくても重圧には感じていそう。
そう思った根拠は
兄の置かれた境遇(と言動?)のせいで自分の心に平穏が訪れない、
って事柄を言葉を変えて何度も述べているから。
なんにせよこれはごく個人的な問題とその根っこなので
もう一度「なぜ自分は兄の事でこんなに苦しく感じているのか」
について自分の中で突き詰めて考える必要があるかと。
それとここから先は完璧に下衆の勘ぐりなんだけど、
もしかして恵まれていない兄の老後は自分が世話しないといけない、
とか思ってない?もしそうなら話は簡単で
将来の負債と感じる人物を疎ましがるのは筋の通った話ではある。
倫理的な事は別として。
彼氏が何から何まで一人で決めてしまう人だった。
具体的に言うと、
大学院に退学届けを出して、僻地の就職先を見つけたので働くよ、と報告があった。
研究はかなり熱心にしていたので、教授がどこかの大学に助手としてねじこんでやると言ってくれたけど
興味がないから断ったらしい。
将来のことは最後まで自分の納得いくよう選ぶべきだし、
飢えなければ職業に貴賤なし。
別についてきてとも求めない。
別れたいなら別れてくれていい。
=問題なし、というのがあっちの論法。
「こんな筈じゃなかった」「本当の俺は違う」とか一言も言わずに
淡々と、黙々と働く姿が目に浮かぶようだ。
人に頼らないけど、自分のやりたいように全部やりたい。
頭では「すばらしいなー」と思ってるが
本能が「終わりだなー」と思ってる。
なんか自分のウェットな女部分をつきつけられてる気がする
8/9追記
トラバどうもです
>ウェット部分をどうしてほしかったか
そういう大きな事はやる前に一度相談して、
私との事はこういう風に続けていくつもり、
(あるいは無理だから別れるつもり)と言って欲しかった。
何で学位を諦める事にしたのか。
お金を稼ぎたいのか。
都会に疲れたのか。
一生その仕事やるのか。
まだつきあいたいのか。
色んな事を話して欲しかった。
そういう相談とか折衷とか議論のすりあわせとかができない所に失望して
またこの年(二十代後半)になるとそういう所ももう直らないとも思うので、別れるか、と思った。
多分二番目の方は彼氏に考え方が近いのだと思う。
もちろん口出しはできないので、だからこそ
自発的に相手の立場を考えてくれなかった事にがっかりした。
「一緒にいたいならそっちが仕事やめなよ。僕はどっちでもいい」
と全部決まってから言うのは、あまりに思いやりがないと私は思う。
あと、妻子ある男がこうだったらかなーり父親失格だと思う。
結論、合わないみたい。
やっぱり私にできることはここで仕事を続ける事のようだ。
何かスッキリした。皆さんありがとう。
現状全ての記録を塗り替える勢いでJ1最下位街道まっしぐらな大分トリニータですが。連敗数とかいう以前に16節で14敗って何なの? 15位との勝ち点差12って何なの? (J2に)逝くの? と早くもお通夜ムードですが。
さてここでJ1とJ2の入会(昇格)基準を見ると、「債務超過だったらJ2に上がらせない」「J1昇格時には法人の財務状態をチェックする」的なことが謳われている。
http://www.j-league.or.jp/aboutj/j-club/
基本的には
『債務超過とは、総資産から総負債を引いた値(純資産)が、負であること』
なわけだが、ここでトリニータの財務を見る。今Jで公表されているのは2007年度の分なのだが、
http://www.j-league.or.jp/aboutj/jclub/2007-8/pdf/club2008.pdf
債務超過! まさに債務超過じゃないか!! しかも余所とは桁が違うぞ!
(2008分のチーム公式の決算書があるが財務諸表のうち損益計算書しかウェブ上には載ってないので債務超過かどうかの判断はつかない。
http://www.oita-trinita.co.jp/pdf/2009/release0424.pdf
ただ、「累積の赤字幅が削減」と言っているものの累積赤字解消とは言ってなかったりする。
http://www.oita-trinita.co.jp/information.php?_mode=detail&id=3234 )
流石にJ2に降格するときに入会審査を適用するなんて話は聞いたこともないが、問題は次にJ1に昇格するとき。直接J1の基準に「債務超過があったら昇格させない」と書いているわけではないが、「経営面の昇格基準を満たしている」か否かの条件には当然「J2の経営面の昇格基準=債務超過の有無」が強く加味されるだろう。
もっとも、実際に審査するときの債務超過か否かの判定は少し甘めで
『([1]前期末の純資産)+([2]今期の収支見込み)+([3]今期中の増資)』
要するに前期末に債務超過でも今期(資本の増強・純利益の増加により)債務超過を脱する見込みが確実にあるなら構わないよ、ということになる。ただ、J2に落ちると通常は収入が減る上、トリニータの場合単純にバランスシートが脆弱ってんじゃなくて累積赤字が多額なのである。再昇格時に増資に応じる企業がどれだけあるだろうか。
J2に落ちたが最後、たとえチームそのものは再建できてもJ1には財務的な意味で戻れないかもしれない、それくらいトリニータはヤバいのである。
I owe youの短縮表記で、日本語では借用書となる。
いわゆる現金紙幣は中央銀行が発行する無利子無担保の借用書である。中央銀行に紙幣発行権を独占させるのは、政府が紙幣発行権を持つと、財政の健全性を無視した濫発を行う危険性が高いためである。この為、政府は利息がつく債券しか発行できないようにしてある。利息を上回る国益を実現できない無駄遣いはするなという、制度的な縛りがつけられているのである。
アメリカのカリフォルニア州で、州政府の資金がショートしている。通常は一覧払いの手形で政府の支払いは行われているのであるが、一覧払いでは、現金が足りなくなって不渡りになるという事で、3ヶ月後一覧払いの手形で支払うという話になっている。この政府発行の手形をIOUと表現している。
この手形には、借金であるのだから利子がつく。利子をつける事で、政府紙幣ではなく、紙幣発行権を侵害していないという建前が成立する。手形は裏書をする事で流通させられるから、実際は現金と同じなのだが、額面がばらばらだし、現金に換金できる時期が先なので流通性が低いとされ、現金ではないという事になる。
実務上は、この手形を受け取った業者が金融機関の口座に入れると、入れた日から換金できる日までの利息が天引きされた金額が、口座に融資される。手形についている利子と、手形担保融資で割り引かれる利息とが一致しており、かつ、手形が確実に落とされるのであれば、リスクは無い。
無いのだが、地方自治体が破綻した時に、手形はただの紙切れになり、手形担保融資は即時返済か新規担保の差し入れを要求される事になる。合衆国政府保証がつくという話であるが、その保証枠の範囲内で、足りるとは思えない。
金融機関は、通常、破綻しそうな企業には統一手形用紙の発行を絞り、その企業の資産を超える手形を発行できないようにするのだが、州政府発行のIOUの用紙は州政府が用意するので、絞りようがない。つまり、FRBが枠を作っても、やったもの勝ちで発行しまくるという、いわゆる手形による取り込み詐欺と同じ手口が可能になってしまうのである。負債を片っ端からIOU払いにした上で、破産し、米政府保証に押し付けて身軽になって財政再建というウルトラCが理屈の上では可能だったりするのである。
カリフォルニア州が取り込み詐欺まがいの事をやるとは思えないのだが、朝鮮系だか中国系だかの下院議員が選出されるくらいに移民が増えているという事から、"自由、正義、他者の尊重、市民としての責任"といった建国精神とはかけ離れた事が起きても不思議ではないのであった。
幼少期から家庭内で暴力に晒され続けていた、或る人。
成人しても家を出ることもなく、毒になる家族から逃れられていない。
「こうして欲しかったのに」という怒りはとうに消えてしまった。
彼らの要求には抵抗なく応じ、黙々と無感情に仕事を片付ける。
普段は社会人として真面目に働いているが、出世願望などは持たない。
周囲とコミュニケーションを図り、協調して仕事を進められる「いい人」。
業務上の任務を果し、効率化による業績の向上には尽力するが、
「他人に迷惑をかけないように」貯蓄はしているが、
義務を果すことのみが自分の使命であり、
その苦役から解放される死の時のみを心待ちにしている。
淋しいという感情がない。
「いい人」ゆえに何人かの友人はあるが、
心から信頼できる誰かが欲しいとは思わない。
他人の世話になると負債の重圧を感じるため、
出来るだけカネで解決できる関係だけで片付けようとする。
誰かに話を聞いて欲しいとも、ずっと側に居て欲しいとも思わない。
孤独に、心安らかに、誰にも迷惑をかけずにひっそりと消えたい。
いつになったら終るんだろう?
誰にも、何にも期待せず、ただじっと時が過ぎるのを待っている。
やりたい事、物欲、行きたい所、美味しい物、
何にも執着心を持つことができず、はた目にはまるで欲を捨てて
解脱してしまった人のようだが、しかし聖者とは似ても似つかない内心の冷淡さ。
慢性の鬱病なのか?
こんな人が充実した生を送るにはどうしたらいいんだろうか。
今の仕事(バイト)のみの1本だから精神的に苦しいわけで、オサーンがバイト先に居ても「会社が倒産、だったら思い切って興味のあった整体やトリマーにでもなろうかと資格の勉強中」
なんてケースなら周囲は奇異な目では見ないし、オサーン本人も心に余裕がある(夢目指して勉強中だし、バイト=自分の一生の仕事はコレなんだ、みじめだなって状況でなくなるので)
・・・つうかNOVAもウィークリーマンションも経営破綻したし、金融・製造・サービス、どの業界に居たって安泰じゃない時代、誰が何歳でリセットされて放り出されるか読めませんよ。
『生き残る生物とは、強さでも賢さでもなく変われる者であるーーーダーウィン』
の通り、コネでも縁故採用でもイチからでも、強くなくても賢くなくても気を入れ替えて変わりゃいいんです。
この会社に居た人たちは・・・今はどこで何してんだ?なんて企業いっぱいあるし。「諦めなくて良かった~!」があるから人生やめられない。
・・・と言いつつ、負債16兆で倒れたGMにはビビったけど。国有化っつったって年齢関係なく放り出される。
4世代で勤めてた家族とか居たらしいけど、何歳だろうと絶望したり苦悩したりせずにスパっと切って変われる奴だけ生き残る。
それに変わって勤め始めても、民間ならそこだって数年後はどうなるかわからない。
正社員だ肩書きだ、も、定年になれば全員引退です。明日以降の未来は白紙、あの時期があったからこそ今に活きて変わることができた。
起業して一代でのし上った人なんて地獄みたいな過去あるし。究極的には死ぬか・生きて前に進むかの2択しかない。『万事塞翁が馬』せっかくなら開き直りで楽しんでやる、これしかないかと。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
嫁の年齢で人生がどうこうって言うような思考回路を持ってしまった段階で、一生分の負債をかかえちゃってるんだろうな、この人。
「はやく結婚して子供をつくんなさい」 あいにく、そんなパートナーはいないんだぜ。
少し惨めな気持ちもあるが、結婚も子供も、そんな予定は今のところないことを伝える。するとどうだ。
「子供がいないと、将来面倒みてくれる人がいなくなって困るよ」
一瞬、「HA?」とは思ったが、哀しいけど、正論と言えば正論なんだろう。
人は一人で生きられないし、“孤独死”覚悟じゃなきゃ“生涯独身貴族”なんて希望はまかり通らない。
事実祖母は祖父が亡くなってから実家(父名義の新築)で同居、親父の扶養に入った。
経済的にも身体的にも面倒をみてもらっている立場だ。それ自体はなんてことはない普通のこと。
だが、前述の理由、祖母が言った言葉がやけに耳に引っ掛かった。というかムカついた。
ばあちゃんは、自分の老後の面倒をみて貰う為に親父を産んだのだろうか。
それとも、俺の将来を心配してくれてそんな風に言うの?
“利用”や、自分らの生活を“便利”にする為につくられ、産み落とされたものならば、
それは機械やシステム、コードやコンテンツの類となんら変わりはしない。
親が子に、育ててやった恩を返せ!って強要するつもりなら、子供はどうか産まないであげて欲しいと俺は思う。
初めからつくらないであげて欲しい。俺は俺の両親に、自分を産んでくれ、育ててくれたことの恩は感じている。
感じなければ俺も機械だ。でもそれはきっと“強要”されなかったから。負担を強いられたことがなかったから。
ただ自分の人生をまっとうするだけでいいって言ってくれたから。俺含め兄弟全員に。
子供をつくろうとする人は、自発的に、産み育ててくれた恩を返したい、せめて老後の面倒はちゃんと見てあげたい、
そういう風に子供にちゃんと思われる親であって欲しい。
責任も取れないくせにヤンチャして、その負債だけ次の世代に押し付ける、どこかの国の年金問題のような真似はしないで欲しい。
子供といえども人格はある。親自身が経済的に安定もしていないくせに、産む奴の気がしれないし、棄てる奴も殺す奴も、意味が分からないし知りたくもない。
仕方なかったんだよねーで済まされる問題じゃないし、擁護する方もされる方も第一級のバカだと思う。
いつかこんな俺にも子供は欲しい。兄貴の娘を見ても可愛く思えるし、愛情だって注げる、と、思う。
でも今の俺が感じる、こんなしょうもない世界には産まれて欲しくない。
しょうもない世界がしょうもなくなくなるように、今は自分に力を注ぐ。
立ち位置が変わって、“しょうもない世界”から“素晴らしい世界”に改めて俺自身の世界観が変わった時、
隣にパートナーさえいたのなら、両者合意の上で子供をつくり、産み、育てたいと思う。
恥ずかしいが、“素晴らしい世界へようこそ”って感じで迎えたいと思っている。
そして、自分が死ぬ最期に、産まれてよかった、産んでくれてありがとう、やっぱり楽しい世界だったぜパパ!
そういう言葉を最後に言ってもらいたいなー。俺の両親にもその言葉を届けられるよう、今はめいいっぱい楽しみたい。
___________あなたは、何の為に“子供”を産む?