はてなキーワード: 自己中心的とは
あなた、女の人?
男から見たら女の評価は基本、ネガティヴなんですよ。
これらがすべてポジティヴな意味に変換されるのは「女だから」なんですよ。
穴がなかったら、男の女に対する評価はものすごく厳しくなりますよ。
女の穴になんら意味をみいださないゲイは、だからすごく女の評価が低いわけで。
男が女に敬意ある振る舞いをとるのは、基本、穴目的ですよ。
http://www.earthfield.net/new/life.htm
◎なにも悪いことしてない人
自分以外の誰かのために一生懸命頑張って、自分を置き忘れていませんか?
自分にも価値を認めないと支えきれずに潰れてしまいます。
自分自身も周囲のものも大切にして、活かす道を探りましょう。
◎「いいひと」
自分のことを「普通、どちらかと言うといい人」と思っている人の中には、「どうでもいい」人がいます。様々なものを見捨ててしまっているが故に「気になることや問題はあまり何もありません。」と言います。
過渡期の現在、本当に良い人なら当たり障りのない人生は過ごしません。常に自分と周囲のための改善を図っていくことでしょう。時には困難もあるかもしれませんが、実りの多い人生となるでしょう。せっかく生まれてきたのですからライブを楽しみましょう。演る側にまわりましょう。
◎優しい?人
自分のことを「優しい」と評価する人のなかには、弱い人や易しい人もいます。気を使い、相手の強引さに負けやすく、自分の弱さの為に何かを譲ったり我慢をしたりする人です。
真の優しさとは強く、時には相手にも自分にも厳しいものです。 優しく、気高く、そして誇り高く在りなさい。
もう一踏ん張り、そしてもう一踏ん張り、譲らないことをトレーニングしましょう。
◎「頭ではわかっているんだけど・・・・」と言う人
理解が浅いか、深層では矛盾した考えを有しているか、思考と感覚や感情等との統合がとれていません。矛盾点がないかもう一度考え直しましょう。自分を棚上げせず、普遍性や立場が代わった場合等他のケースではどうか見直してみましょう。感情や感覚に合わせてみましょう。----自分では、あるいは周囲の人に聞いても、どうしても解決に繋がらなければ、本当は知らないのです。何かが根本的に間違っています。 諦めて、エネルギーワーク等をお受け下さい。
◎全てを許せと教えられた人
全てを許すなら、自分の素直な反応も許しましょう。怒るべき時には怒りましょう。
反応を止めることはエネルギ−の流れを止めることであり、無理を生じて破綻を来します。
自分の自然な反応を許さず他の「全てを許す」というのは「見放している」というのと同じことです。
自分という存在さえ見捨ててしまっています。自分を許さずに世界を許すことはできません。
自分の為に過去を赦し様々な未来を許可すると自分と世界が緩くなります。
◎「してもらうのが当然」の人
「してもらうのが当然」なら「してあげるのが当然」でなくてはなりません。
してあげるのを嫌がると流れが止まり運が尽きます。もらう以上にあげるぐらいが良好です。
◎同じを求める人
あなたと相手が同じになると流れが止まり、お互いの芽を摘むことになります。
活かすとは変異を認めることにあるのです。自分と異なる点も大事にしましょう。
◎傷ついた人
感情面で傷ついたり気に障るのは、そこに感情障壁があるからです。
あなたがバリアーを張っていて、そこに何かが触れたからなのです。
痛いだけのバリアーをはずしましょう。そうすると心の傷も一緒になくなります。
◎自信のない人
うつむかずに顎を引き、肩を張らずに胸を張りましょう。そして自分のできたことを思い出しましょう。
周囲の人のできたことばかり思い出される人は、そこにあなたのサポートがあったことを思い出しましょう。
自分が何者かを思い出したら、自分の望む方向に粘り強く進みましょう。
その歩む行為があなたの自信となります。
◎暗い人
人や何かのために行動して褒められたり成果が出ると明るくなります。
褒められないのは、
足りないか
相手を間違えているか
あなたの「人を測ったり責める気持ち」>「人に感謝や嬉しいの気持ち」だからです。
◎節操のない人
節操のない人は真実に届きません。尻軽にあちこち飛び歩いていると大事なものさえ見過ごしてしまいます。おいしそうなものばかりつまみ食いするのではなく、一つ一つをよく噛み締めましょう。そうすると人生が実りあるものとなります。
◎他人の応援ばかりする人
あなたと応援している相手との方向が同じとは限りません。むしろ人はそれぞれ別の存在です。
あなたにもできます! 自分のために自分の力を発揮しましょう。自分を応援しましょう。
◎他人のせいにする人
「あの人がこう言ったから。」等と自分の行動を他人のせいにする人は、その成果や喜びも自分のものとはできません。それでは奴隷「ひとでなし」と同じです。
やりたくないときは、断固「否!」を通しましょう。自分の意志でやりましょう。自分の責任でやりましょう。
自分のやる気でやった時に、達成感が生まれるのです。つまんない人生とサヨナラしましょう。
◎期待に沿えなかった人
期待に沿う必要はありません。期待は重石です。あなたに重石を載せるような人の言うことを聞く必要はありません。
あなたがやりたいだけできたなら、それでいいのです。
◎迷惑をかけてはいけないと教えられた人
迷惑はかかるものです。「迷惑をかけてはいけない」を厳密にすると生きていけません。そして「これぐらいなら許される」というものでもありません。ですからむしろ自分がどれだけ他の存在に迷惑をかけているのか意識して正確に測りましょう。同時に御返しについても測りましょう。その量が多いということは、自分を活かし他人を活かしているということです。
◎恩返しできなかった人
受け取ってもらえなかったり、いなくなってしまったり、そのとき自分に力が無かったり。悔やんでも悔やみ切れず自分を責めてしまう人は、恩を下に返しましょう。そうして人類は良い行為を続け増やしてきたのです。「私も昔してもらったから・・・」というあなたに助けられる人は、どれほど多いことでしょう。
◎どうしたらいいか判らない人
どうしたら良いかは、調べ、考え、尋ねれば分かります。その先は自身の実践と試行錯誤の繰り返しです。
「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とも云います。実践し、経験し、やり直しましょう。前進あるのみです。
◎気遣いの多い人
気遣いが多いのは、人や問題を深いところで捉えず、表面的に取り繕うことばかりを繰り返しているからです。
気遣いは、「人に嫌われたくない」「責められたくない」「仲間はずれ村八分にされたくない」という恐怖心から発しています。
恐怖心から発する行動に、愛はありません。愛は深く強く、障害をものともしない、すべてを生かす力です。
目を逸らさず人や問題を直視しましょう。根本的な問題解決を図りましょう。ときには手を出さず見守ることをトレーニングしましょう。
◎「気遣いがない!」と怒る人
自分の機嫌が悪いのを八つ当たりしていませんか? 本当は気遣いは必要ありません。
愛があれば良いのです。
◎自己中心的な人
自己中心的な人には中心がありません。自己の望みを知らず空洞の円の周囲をグルグル廻っています。そのため満足を知らず、感謝や助け合いの意味が解らないので怒り、勝手な振る舞いをします。
自分の望みや満足を問い直しましょう。作戦を捨てて一直線にそれに向かい、人のありがたさを知りましょう。適当な生き方なんて辞めてしまいましょう。
◎なぜか時間に遅れる人
できない約束やしたくない約束を重ねてきたのかもしれません。自分の中で「守らなくちゃいけない」と「縛られるのは嫌だ」がケンカしています。気遣いや「いい顔をしたい」等は捨てましょう。やりたいことだけ約束しましょう。そして約束は「しなくちゃいけない」義務ではなく、その時になったら「やってもいい」許可だと受け取りましょう。
◎憂鬱な人
あれもこれもと望み過ぎです。自己矛盾や嘘、言い訳や無理矢理がありますから、諦めましょう。
やれることからこつこつやって、自分の出来を愉しみましょう。
◎待ちくたびれた人
あなたは実際の時が来る前に想像しイメージトレーニングを行い、同時に生命エネルギーも使い果たしてしまいました。
エネルギーを使い果たした状態ではイメージ通りに行くはずがありません。
想像するのを止めましょう。その時間は何か他の愉しみに使いましょう。
現実世界の変化は多様ですから、「うまくやろう」という考えは捨てて、臨機応変に世界と自分の変化を楽しみましょう。
◎意地や見栄を張る人
意地や見栄を張るのは、立場を失うのが怖いからです。でもその立場は砂上の楼閣です。
維持するために出費がかさみ崩れ落ちてゆくでしょう。
本当に守りたい何かのために恐怖を乗り越え最適な立場に移りましょう。全てを失う前にカミングアウトしましょう。
◎プライドの高い人
いつも「あいつの方が上だ、悔しい。」「自分の方が上だ、ふふん。」「みんな、間違っているよ。」なんてやっていると疲れてきますし周囲の人も離れていきます。良いアドバイスももらえなくなりますし、アドバイスされると傷つけられたような気分になって真っ当に受け止められないでしょう。
本当は世界は開かれている協力関係にあります。横つながりの助け合いの世界です。
素直に「できないの。」「お願いね。」「ありがとう。」って言えるようになりましょう。
心を開きましょう。
◎プライドと自負心
プライド(pride)は「群れ」です。プライドの高い人は、時に周りの評価に振り回されます。
また、自負心の強い人は、自分で自分に負わせた重荷に耐えかね潰されることがあります。
目指すところは同じです。自分を大切に。周りも大切に。
◎優劣にこだわる人
こだわり過ぎると自分と相手との間に壁をつくり、自分を閉じ込め孤立させます。
囚われず視野を広く持って人それぞれ条件が異なることを知り、自分と相手お互い各々の「素敵!」を見い出しましょう。
◎一番になれば認められる、と思った人
できるかどうかと、他人が認めるかどうかは別です。例を挙げれば、歌が上手だからといって歌手になって有名になるとは限りません。他人が認めるとか有名になるというのは、その「一番」とか「できる」とは別のもので、努力の方向性が異なります。考え直しましょう。
◎他人が羨ましい人
あなたはその人の人生の素敵なシーンだけを見ています。
人はそのポジションにつく為に様々なものを支払い、いる為に条件を科しています。あなたにとってマイナスと思われるそれら全てを引き受ける覚悟があるか、自分に問うことです。そして覚悟があるならそれに向かって行動しましょう。
◎兄弟姉妹間の嫉妬について
親や兄弟姉妹と比べるのは辞めて全人類と較べなさい。兄弟姉妹がどうかではなく、自分の内側に答えを問いなさい。
その時あなたは独立した存在となれるでしょう。
◎父の教え
我が父は私にこう教えました。「ぼくは人生は円のようなものだと思う。生まれたところを中心に円を描き、その円から次の人がまた円を描く。」
父母を競争相手のように感じている人は、間違いです。そもそも発進点が違うからです。 どのような円を描くかが大事です。
◎二番目に多くある問題
セカンドはトップとよく比べられ、自分でも比べます。比べるときに、人は物や行動や他人の評価を物差しにすることがよくありますが、間違いです。物質化した結果を比べている限り、セカンドはオリジナルに成れません。大事なのは優れた結果を生み出した考え方です。セカンドやコピーであることを悩む人は先ず「比べる」ということを止めてみましょう。結果を真似て超えようとするのではなく、考え方を学び自分で練ってみましょう。
◎張り合う人
周りと同じでないと不安なくせに、横の人より優れていたいというのは、自己矛盾です。自分を見直し抜け出しましょう。
◎1番にしがみつく人の問題
「OOのトップ」とか「スーパーOO」とか呼ばれる人のなかには、そのポジションにしがみつこうとしている人がいます。このような人は後ろから迫ってくる人のことが気になって実力が発揮できません。ネガティブキャンペーンなど内部抗争に気をとられているうちに外圧に潰されます。今までのように前を向いて走りましょう。次を目指しましょう。身に合わなくなったポジションなぞ、置き去りにしましょう。
◎ひがんでいる人
ひがんでいる人は、心に壁があって目からも耳からもマイナスしか入りません。心にプラスが残りません。ですから、周囲の人がいくら褒めた言葉や仕草を与えても気持ちが通じません。結果として本人は「認められていない、認められたい」と思いますし、何かモノをもらったりしても「普段認められていないんだから、これぐらいもらっても当然よっ!」ぐらいに受け止めてしまって感謝が生じません。周囲の人にとっては「やりがいのない人」となります。
ゆがんだ目で見ても物事はまっすぐ視えません。「あいつばっかり良い目にあって」「自分ばっかり損をして」と感じる人の問題は本人にあります。先ず自分のひずみを直しましょう。見直しましょう。あなたの思っている以上に世界は正当にできています。
◎イライラしている人
あなたはエネルギ−と時間を浪費しています。疲れてイライラして周囲へ当たるのは、既にエネルギー不足を起こしているからです。良い仕事はできません。眠りましょう。
そして自分のエネルギーがどこで浪費されているのか検索しましょう。
◎諦めきれない人
「あきらめる」とは明らかであると知ることです。「諦めたけれど・・・」なんて「〜けれど」がつくようでは未練です。ちゃんと痛手を味わいましょう。
「もし〜だったら」などと逃げないで、その時点のあなたではどうしようもなかったと思い知りましょう。
何かを学んだら自分を許して時に任せることを知り、過去の事は澄ませて、今のあなたにできることをしましょう。
◎手放せない人
「さようなら。」も愛の表現のひとつです。あなたは知っています。
言い訳は止めましょう。あなたと相手のために勇敢に行動しましょう。
そのあとには、自由や平安、新しいチャンスが待っています。
◎完璧を求める人
「極める」という言葉があります。この世界は変化し続けています。ですから際(きわ)までは突き詰めることができますが、そこには行けません。行ったと思った瞬間にはそこが変化しているからです。完璧とはあり得ないことだと知っておくことです。
求めても得ることができないと知ることが差取りです。
◎コントロールしたい人
あなたと誰かは別存在です。ですから完全なコントロールは不可能です。あなたがコントロールしようとするほど相手は反発を感じます。あなたもその作業のために自由を失い、やがて破局します。
縛るものは縛られます。相手を自由にし、自分も自由に生きましょう。
◎すぐに見捨てる人
誰かを見捨てたり何かを見放すと、その時はスッキリ良い気分になります。でもそれは自分の可能性を捨てているのと同じです。いつかの可能性の為に見守りましょう。
◎過ぎてしまう人
時を過ぎると過放電を起こして「疲れた」で終わってしまいます。
◎すぐに助けを乞う人
人は自分ができたことに誇りや喜びを感じるのに、あなたはそのチャンスを逃しています。
自分でやってみましょう。もうちょっとがんばりましょう。壁を越えましょう。
するとだんだん楽しくなってきます。活きてるって感じます。
◎逃げてばかりいる人
問題の多くは自分が引き起こしています。自分からは逃げ切れません。観念して問題解決を図りましょう。
◎逃げることに罪悪感を感じる人
状況に危険を感じているなら、できるだけのことをしましょう。
できるだけのことをして、それでもどうしようもなかったら
あなた一人でも逃げましょう。共倒れや全滅だけは避けましょう。
振り返らずに安全圏へ全速力で進んで、そこからできることをしましょう。
中にいてできなかったことでも、外からならできるかもしれません。
◎思い出に浸ってばかりいる人
過去に存在を求める人に未来の席はありません。思い出にふけるのをやめましょう。
未来を視ましょう。今を生きましょう。
◎閉じこもって助けを求めない人
この世界は開放系で成り立っています。自分独りでできることには限界があります。
中でどうしてもできないことなら、外に助けを求めましょう。
閉じこもってフリーズしたりグルグル回っていても問題解決に繋がりません。
閉鎖系や物理的限界について学んだら、「有難う」って開放系に切り替えましょう。
◎守ろうとする人
「何か(だけ)を守ろう」とすればするほど、視線は内側を向き、閉じた壁は厚く狭くなり
外は敵だらけとなり、守ろうとしていたものさえ犠牲にして小さくすり潰していきます。
守ることは諦めましょう。閉じた円に先はありません。閉鎖系概念は生かすには矛盾なのです。
手放しましょう。開放系に切り替え、全てを活かす道を採りましょう。
◎「済みません。」しか言えない人
自分を閉ざした考え方のために「相手から奪っている自分」を感じて「済まない」と思うのですが、済まないでは澄みません。心に借金を重ねて濁っていきます。
借金してしまった分はとっとと返してしまいましょう。払いきれない分は「ご免なさい」と免じてもらいましょう。 自分を開いて「ありがとう。うれしいっ!」と感謝と共に元気エネルギ−を相手に上げましょう。
◎自分を責めてばかりいる人
「わたしのせいだ。」なんて自分を責めるだけでは問題解決になりません。また、できないことで自分を責めても仕方ありません。何故それが起きたのか客観的に考えましょう。自分と他人の責任を区別しましょう。再発防止の為に具体的に何が可能か列挙し行動しましょう。ニ度と同じ失敗はくり返さないと知れば、そのことは済まし、自分を澄ましましょう。
◎悪者探しをする人
誰かのせいにしても問題が解決するとは限りません。それが正当とも限りません。親兄弟や周囲の人のせいにしてもあなたは救われません。犯人捜しと問題解決は別です。自分を救うことも考えましょう。
◎「みんなが悪い」と言う人
最も悪いのは、あなたです。みんなに嫌われて当然です。他人のせいにばかりするのは止めましょう。不満タラタラ言いながら「自分にはできない」等の言い逃れをしたり弱者のフリをして助けを求めるのは止めて、自分で行動しましょう。
◎許せない人
本当に相手が悪いのでしょうか。問題の多くは自分が引き起こし、結果を受け止めたのも自分です。
同じことを許す人と許せない人がいます。「許せない」と感じるのは、感情のトラブルなのです。
考えた結果「許さない」という時は、自由や生存等を確保するという理由がついているはずです。何故許せないのか、何故そうなったのかを考えましょう。
◎復讐を考えている人
逆恨みは論外ですし、報復合戦は問題解決に繋がりません。しかし、理不尽なことをされたのでしたら、復讐は当然です。きっちり片をつけましょう。徹底的にやりましょう。
ただ、もっと賢いのはやられそうになった時にやることです。「正当防衛」なんて言葉もあります。そしてもっと良いのは、やられないことです。「君子危うきに近寄らず」と云います。
また、復讐を果たしたからといってあなたの喪失感や傷が癒えるとも限りません。ですから自分自身の救済も考えておいて下さい。何故それが起きたのかを考査して再発防止運動を行うのも良いでしょう。
◎いつも身構えている人
見境のないファイティングポーズは周囲の緊張を生み、無益な戦いを引き起こして共倒れの原因となります。戦うばかりが能ではありません。共存の道を探りましょう。自分が賢いことを証明しましょう。
◎闘わざるを得ない人
「殺るか殺られるか」という問題解決思考方法は難易度として易しいですが損害も大きなものになります。戦わずに済むが良いです。しかし闘わざるを得ない時は言い訳を考えずさっさと勝って終わらせましょう。
◎我慢している人
あなたの気持は漏れ出ています。溢れてしまっています。いくら笑顔をつくってみても口で何と言おうとも、気持は必ず伝わります。怒りを我慢しているのに周囲の人から「怒りっぽい人」と評価され、何も言っていないのに「言いたいことを言う人」「好き嫌いが激しい人」と言われるのは、全部ばれてしまっているからです。ばれてしまっているのに我慢する必要はありません。自分を出すことです。そして隠すのではなく何故隠さなければならないような自分なのかを考え、解決策を図ることです。
◎期待する人
期待とは自己表現欲求の他人への転嫁です。自分のやりたいことを自分でやり切っていないから欲求不満となって他人の肩に載るのです。
自分をやりましょう。自分でやりましょう。他人は別の存在で、期待通りになっても自分に真の満足感は来ないと知りましょう。自分で切りをつけましょう。
◎心配する人
あなたのネガティブなエネルギ−が状況を更に悪化させています。心配しても良い事はありません。現状を丸ごと承認し、改善のための自分の努力に意識を向けましょう。
◎八つ当たりする人
自分の大切なものを傷つけています。怒りを出してはならないと言っているのではありません。怒って当然の時はあります。その時に怒りましょう。その相手に怒りましょう。我慢しているから溜まって本来向かうべきではない方向に殺すエネルギーが向かうのです。出すべき時に出しましょう。
◎コントロールのために怒る人
怒りは時として相手をコントロールするために発せられます。怒った時は相手の生命エネルギーを得ていい気になるのですが、他人のエネルギーは長持ちせず、すぐイライラします。不当に怒られた側は次の誰かに八つ当たりするか、予防または反撃を考えるでしょう。他人に依存するのは止めましょう。自分の内側から生命をくみ上げましょう。自分で自分を活かしましょう。
◎「ありがとう」と言えない人
気の強い人や自尊心の強い人の中には、上手に「ありがとう」と言えない人がいます。
「ありがとう」と言うのが自分の欠点や過失を認めるような気がするらしいのですが、
「有り難い」というのは、人間の物理的限界を知りそれを認めることのできる心の強い人が感じる感情ですので、
恥ずかしがらずに素直に表現すると良いと思います。
◎感謝を受け取れない人
そのほうが相手も楽になります。「当然のことをしたまでだ。」なんて肩肘張らないで
あなたは意外にいいことをしたのです。自分のしたことの価値を認めて
相手と一緒によろこびましょう。するともっと一緒に楽しく生きられます。
◎「感謝の気持が通じない」と言う人
感謝は自分がしたら済むのです。感謝の見返りを求めるのはやめましょう。
◎感謝とは
ニコニコニコ。「うれしいな。」「よかったね。」「ありがとう。」など
何かをもらうから交換に感謝するのではありません。
もらっていることに気付くと出る良い気持ちが感謝です。"I am Lucky!!"ってね。
良い気がしない時は、手放してみましょう。なくなると価値がわかります。
◎わかってもらえない人
まず自分や相手の事を理解しましょう。自分の矛盾点を見つけて解除し、自分をスッキリさせましょう。
相手の許容性等も把握しましょう。そして明確な意志を伝えましょう。
◎「何を考えているか分らない人」
情報不足であったり思考能力が足りない可能性と、価値観や思考プロセスが異なっていてあなたの理解外の可能性があります。情報や考え方を伝えましょう。また、理解外を許しましょう。
◎誰とでも仲良くしたい人
無理があります。負荷があなたやあなたの大事な人にかかっています。大事な人とそうではない人を区別しましょう。
人は各々異なっています。全員に好かれるなんて不可能です。嫌な顔を隠しながらお付き合いするのは止めましょう。
群れていたからといって助かるとは限りません。大きな船でも沈む時は沈むのです。良い人とだけお付き合いしましょう。
◎なぜ、嫌いなんでしょう?
「あの人とは付き合いたくない。」という人がいたとします。
その人があなたを傷つける人なら嫌いで当然です。でもそれ以外の理由なら、なぜかと自分に聞いてみる価値があります。
また、その人はあなただけを傷つけるのでしょうか? それとも誰にでもそのような態度をとるのでしょうか? もしあなただけに酷い態度をとるようなら、そこには何か理由がありそうです。周りの誰もがあなたを傷つける態度をとるなら、あなたに問題があるのかもしれません。
理由や問題を検索し、問題解決行動を採りましょう
◎「駄目」や「嫌い」の多い人
「嫌い」「駄目」が多い人はこの世界を楽しめません。その多くは思考制限による感情のトラブルです。産まれてから現在に至るまで家族や狭い社会からプログラミングされてきた結果です。自分で組み込んだものもあるでしょう。よく世界を観ましょう。世界は自由で様々な形で存在しています。自分の制限プログラミングをはずしましょう。
◎ジミー坊やと白ねずみの話
ジミー坊やは白ねずみと遊ぶのが大好きでした。優しいおじいさんも好きでした。
ところがある人が、坊やが白ねずみと遊ぶたびに坊やに電気ショックを加えました。
幾度か繰り返されるうちに坊やは白ねずみが嫌いになりました。それだけでなく坊やはおじいさんも嫌いになりました。
おじいさんの長く白いひげが白ねずみに似ていたからです。
ひどい話ですが、似たようなことは誰にでもありうる話です。
例えば、子供の頃苦手だった誰かと同じ名前の人に対して、別人だと解っているのに何故か緊張してしまう等も、このパターンです。
(実際は、本人が気づかない処で混同などが起きていることが多くあります。)
このような制限プログラミングをはずすお手伝いをアースフィールドでしています。
◎奪い過ぎている人
何でも見境なく「私が」「私に」と言う人は、他の誰かのチャンスを奪っているだけでなく、自分の本当に欲しいものさえ見失ったり得る機会を逸したりします。
人には容量があると知りましょう。手を引くことを学習しましょう。そうすると人生が綺麗に流れて、今まで知らなかった世界が広がってきます。苦労していたのが莫迦みたいに思えてきます。
◎信じて裏切られた人
「信じる」とは不安を紛らす等のために現状を思い込みにより認識することです。ですから信じた様にならなくても不思議ないのです。人は変化し言葉は完全ではありません。人や言葉を信じるのではなく自分の目や感覚を信じましょう。予想通りにならなければ自分が間違っていたのです。自分にチェックをかけ直しましょう。
◎言葉に囚われている人
言葉は事物やイメージを切り取ったものです。その切り取り方は人や状況により異なります。全く同じというのは有り得ないのです。切り取る対象自体が異なる場合もあります。言葉は完全ではないと知りなさい。そして人により状況により言い方や受け止め方を変えましょう。
◎相手に合わす為や支配のために会話する人
その関係は長続きせず、あなたは会話をするのが嫌になるでしょう。会話はエネルギ−の奪い合いの為にあるのではなく、何かを理解し伝えるためにあるのです。無理な会話を止め、知りたい時や教えたい時だけ言葉を使いましょう。
◎不安の裏返しでしゃべる人
物凄くよく喋る人のなかには、自分の不安を覆い隠そうとしている人もいます。内容に殆ど意味はありません。聞く側としては、真面目に言葉を受け止める必要はありません。
自分が不安で喋っていることに気が付いた人は、一人のときに何故何に不安を感じているのか考え、解消しましょう。
◎黙っている人
言葉は完全ではありませんが、言わないと通じないこともあります。言うべきことを言わないと状況はあなたの望まない方向に行くかもしれません。
言いましょう。何を言えば良いのかわからない時は、相手の言葉の意味を受け止められていない時です。
解るまでその場で問い質しましょう。
◎「見ザル言ワザル聞カザル」という人
ヒトのすることではありません。自分に関することは、ちゃんと見聞しましょう。言うべきことは言いましょう。自由と権利を取り戻しましょう。
◎言わずにやってしまう人
言わずに人の分まで何でもやってしまう人は、その人の行動するチャンスを奪っています。
問題点があるなら言いましょう。言っても伝わらなければ本人が気付くまで待ちましょう。
その間に、自分が何故それに不満を感じたのか自分の内側の答えも求めましょう。
言うばかりでしない人
あなたは自分の行動能力を失っていきます。自分のすべきことはしましょう。
誰がやっても良いことは手の空いている限り手を出しましょう。手を出して
自分の手で何かができると楽しくなり、あなたの行動能力もあがっていきます。
◎愚痴を言う人
「愚痴を言う」という行為は、相手から生命エネルギーを奪う行為です。
自分は気持よくなりますが、相手は疲れてしまいます。相手に縁を切られても仕方ありません。
また自分が気持よくなるのも一時だけです。問題解決しないので、すぐに不満が溜まり同じことを言いたくなります。
問題解決の為の行動を起こしましょう。愚痴を言わないのも解決法の1つです。
◎恩を仇で返す人
何かをしてもらったり教えてもらった時に、文句を言ったりけちをつけたり愚痴を言うなど礼を失する人は、やがて相手にされなくなります。
お礼だけ言いましょう。何か言ってしまいそうなら頭を下げるだけにしましょう。
ためになったり嬉しかったら感謝も捧げましょう。
◎恩を義理で返す人
恩返しは、感謝と「やりたい」気持でするものです。「半返しにしておくかぁ。」などと金額で測ったり義理で返す人は、恩返しではなく好意に対して取引で応じているのです。礼を失する行為はやめましょう。自分の気持を大切にしましょう。
自分の感覚や自由意思を尊重しましょう。あなたの道はあなたの足元にあります。
◎話を進められない人
「考えてみます。」と話を持って帰った後、否定的な考えばかり浮かんだり二度三度と同じ相談をするようなら自分を疑ってみるべきです。誰かに相談して「考えてみます。」等で話を濁しているようでは、あなたの本気が疑われます。本気で問題解決したいなら具体的な部分までその場で話を詰めて、即行動しましょう。
◎愛想笑いをする人
自分に嘘をついています。口は笑っていても声や目は別のメッセージを伝えます。
他人に合わせて笑ったり怒ったりしていると自分の感情を見失います。
自分に正直になりましょう。心の底から笑えるようになりましょう。
◎愚痴をよく聞く人
あなたに愚痴を言うのは聞きそうな態度だからです。信頼しているからではありません。その人はあなたの悪口を別の人に言うでしょう。何の解決にもなりません。「私に愚痴を言わないで!」と硬く断りましょう。態度で示しましょう。改めれば問題解決法を考えてあげましょう。
◎相談される人
「何々についてはどうでしょう?」と聞いて、ふんふんと頷きながらよく人の話を聞く。
でも実行しないし変化もない。何度でも同じことについて聞く。
聞かれている側は最初は気持が好いのですが度重なると疲れてきます。
自分のアドバイスを再検討するか、相手を再評価するか、時期が来ています。
◎何でも疑ってかかる人
それは期待が裏切られるんじゃないかという恐怖心から来ます。人は時に自己存在さえ疑います。しかし自分まで否定すると何も分らなくなります。ベストは制限のない思考をベースとした体験を積み上げることです。疑うなら行動しないことです。じーっと見てるんです。そして何か「分かった!」と感じた時か欲求が自分の中から起きた時に、その分だけ行動します。余計なことはしません。その分だけです。そしてまた結果やら何やらをじーっと観察するんです。疑うだけでなく「確認」という結果を出していくんです。そうして繰り返しているとだんだん自分と世界のことが解ってきます。そうするとだんだん生きているのが楽しくなってきます。
◎「石橋を叩いて渡る」人
100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。
その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。
石橋とわかっているならさ
そうだねー。これでなんで女性優遇とか言われてるのかさっぱりだぜ!
むしろ男性優遇……いや優遇とか生易しいモンじゃないわな。男性中心社会。基本男性や、まだまだこの世の中は。特に日本は。
レディースデーだのなんだの、そんなんめっちゃミクロなどーでもいい問題だよ、こういう子育てやらなにやらにくらべれば。
男性中心主義の中でコメ三粒ほどの抵抗を見せている程度のもの。話になんね。
こんなチンケなもんで男性中心主義と相殺(それどころか優遇とか言ってるわけだけど)させられるんならいらんわ、んなもん。
たまったもんじゃないよ、男性中心主義であるだけでなく、その上なぜかそんな世で女性は楽している、優遇されている、と決め付けられているという二重苦。勘弁してくれ。せめて単なる男性中心主義社会くらいであってくれよ。とほほ。
しかしこんな中でも女性の自殺率は低い(まあ他国に比べりゃ高いが)しなんだかんだ長生きするしたり「生まれ変わっても女性で」とかいったりするってーのは、いやはや、私以外の女性、すごいわあんたら。ホント。特にオバチャン。
結局男性が最近(最近に限った話でもなく昔からそういうバカはいたっちゃいたが)女ズルいとかいうのって、そもそも今まで男がずーーっと優遇されまくりな位置にあって、「優遇されない」とかいう経験がなかったから、それにいま初めてぶちあたってわめいてるだけな気がする。女性って逆にちょっとくらいの理不尽でもあまり騒がないけど、それって生まれたときからその程度の理不尽に何度もあってきているからだと思う。でもその強さが逆にあだになってる気もすんだよなー。変に強いもんだから、かなりの苦しみであっても黙って耐えちゃってて、反面今までぬるま湯につかりきってきた男たちが、初めて「差別される」だとか「優遇されない(されないってだけ)」「甘い汁をなぜかすえない」ってことにさらされて、いちいちギャースカピースカ騒いでる。で、なんか、後者の方が苦しいんだみたいなことになってる。言ったモン勝ちやな、世の中。だからもっといった方がいいんだ。でもいわないんだよなー女って。黙って耐えるんだよなぁ。言えばいいのに。まあ言うと男にうるさい甘えるなとか言われるからなんだろうけどさ。それでも耐える。すごいなほんと、あんたらすごいわ。もうちょっと女は愚痴吐くべき。日常レベルの愚痴なんかじゃなくてもっと根源的な愚痴を。そしてもうちょっとわがままになるべき。今の女って、あまりに我を滅しているよ。日常レベルのチンケなわがままで満足するんじゃなくてもっと根源的に意図的にわがままになるべき。っていうと勘違いする奴がいそうだがそういうアホな奴はどの道分からんわな。
本音を表に出さない君のような人には恋人なんてできない。
できるわけがない。
「途中で相手が違和感を覚えるようだ。」
それは、君のことを好きになる『うつっぽい人』や『変な人』だけですか?
普通の友人は自分(=君)に違和感を持っていないとでも言いたいの?
文章中の発言の数々を見て思うのは、君は単なる自己中心的でわがままな人だから、タイトルでも自称している『あまのじゃく』じゃないよね。
毎日、相手の都合のいいように、元気で明るく優しい良い子で居続けなければならないのだろうか。
(中略)
「この人は落ち込んでる自分にどう接するだろうか」と考えながら異性を見ることがある。
(中略)
いつも元気だから好き、と言ってくれる人の事は好きになれない。
(中略)
だから、誰かに好かれたいと思うけど、自分を好きになる人は、なにか勘違いをしてるのではないかと思う。
このような発言を君自身が客観的に見てどう思いますか?
途中で違和感を覚えませんか?
これらは全て、君が相手に触れることなく妄想していることです。
相手に対する主観的な評価や違和感は、全て自分自身が「そう思われたくない」という鏡です。
人間関係は、もっと単純に考えようよ。
趣味が合うとか、話してて面白いとか、尊敬できるとか。まずそこからだよ。
君が仮想的な相手に求めているのは何年も付き合ってきた親友ぐらいの、濃密な関係だよ。
そんな人がある日突然現れるわけがないし、性格の浮き沈みを汲み取って接しくれる人なんてこの世に数人いるかいないかだよ。
ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群じゃないけど、自分の脆弱な部分を理解してくれる人でないと嫌、というのは間違っている。
なによりも、
明るくて元気で優しい、いい子。
そう言われるのは正直嬉しいことだ。そしてそう思われるのも嬉しい。
というのであれば、そういう部分をきっかけにして自分へ興味を持ってくれる人と、
恋人候補としてではなく、もっと素直に人間関係を築いてみてはどうですか。
まず友人作りからはじめたほうがいいと思います。
anond:20080927031406 の君へ。
この世には二種類のタイプがいてね。
夢を見ている人間と、醒めている人間。この世にある諍いの九割は、この両サイドによる争いだと私は見ています。
夢を見ているってどういうことかってね、その夢見てる内容なんてどうでもいいんですよ。きれいな夢でなくてもいい。要は自分の内側、あるいは自分の閉じた世界に充足の種を見いだせる生活をしてるってことね。他人ってものに目がいっていないのが、こちらのタイプの根本的欠陥ですね。
逆に「醒めてしまった」人は、その閉じた世界から自ら、あるいは何らかの強制によって足を洗った人なんですね。
夢から覚めると、寒風吹きすさぶ場所にひとりで立っているってのがよく見えるんですが、人ってなかなかそんな状況に長くは耐えられないんですね。だから醒めた人はそっから必死で目をそらして、秩序を求める方向に走ります。ある価値観を共有するコミュニティに居場所を求め、そのなかの年功序列とか力関係とかに異様にこだわります。KY、なんてことばを多用するのはこちらのタイプ。彼らは身分不相応な行動をする自己中心的な野郎ども(←彼らの目から見て、ですよ?)を決して許しません。放っておけば、コミュニティは瓦解し、寒風吹きすさぶ荒野にひとり佇んでいる自分を発見「しなければならな」くなるからです。こちらのタイプの人が、どんなことがあっても決して口にしようとはしない本音ってのはこうですね。「なぜわたしだけがこんな思いをしなければいけない? おまえがこの現実を無視するのをわたしはこれ以上許すわけにはいかない。おまえも夢から覚めて、この肌を刺す冷たい風を味わえ!」。
前者のタイプにはお花畑に見える場所が、後者のタイプには地雷原に見える。
自分がつま先立ちで歩いている地雷原をスキップしながら歩いているヤツを見ると、例の言葉が飛んでくるわけです。
空気を読め、と。
ほんとうはそこにはお花畑も地雷原もなく、なんにもないんですけどね。
困ったもんですね。
一方では「重すぎ。女を軽く扱え」と言い、もう一方では「女に失礼だからモノ扱いすんな!」と言う。
二股やDV等、パートナーを邪険にしたり、モノ扱いしてるのはむしろモテ側の方だろう。少なくともリアルでは。
(そもそも、行為の是非を抜きにしても“ある程度の関係性”を作らなければ、それ自体実行のしようもないからだ)
モテ側にとっては、同じモテの実効性を持ったミソジニーより、非モテの妄想を書き殴っただけのミソジニーの方が
100万倍害悪に映るという事がここから良くわかる。
…いかん脱線した。とにかくミソジニー自体は良くない。それが非モテだろうとモテだろうと。
冒頭に戻る。
意中の子を丁重に扱うのも軽く扱うのもその時々で使い分けるべきであって、不変のものじゃない。
そのさじ加減をどうするのかは経験とそこから生まれる勘でしか身に付かない。
だから非モテは↑のようなネットもんたのダブスタなアドバイスを無視していい。好きにやればいい。
好きな子がいなくてもまず彼女ありきで動くのも別に悪くない。愛情が後から生まれて来るのであれば。
何故なら、お前達に偉そうに説教しているもんた連中も、実際は恋愛でみっともない鼻水や涙を垂れ流したり、
自己中心的な思い込みや行動をして悦に浸ったり、結果恥をかいたりした奴らが殆どで、
それを小奇麗な文章で自伝的に塗り固めているだけに過ぎないのだから。
だから結局、「自信がない」とか「怖い」ってのは単なる建前で、本当の理由はもっと自己中心的でとても口に出すのがはばかられるようなことじゃないかと思うんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20080817105113
嫌い、以上の事は言っていません。非常識、人間性がなってない、と思ってるといいたかっただけ。あーあー聞こえなーい、しらねー、と気にせず傍若無人に好き勝手原作をレイプする人がたくさんいて止めようがないのは百も承知。一言、人として間違ってる、礼節がなってないと言ってやりたかったから増田に書いただけ。まわりはオタクが沢山居て同人誌を書いている友人もいてコピーライト自分ってサインする人も沢山居て、そういう人には何を言っても無駄だけど、こうして増田に書いたら賛否もいっぱいいろんな人が応答してくれて、かなり満足ですよ。
ごめん、しつこいよね。でも反応帰って来たんで一つ聞きたい事が。正直最後にすごい爆弾を置いていってくれたと思う。カチンッと来た、釣りだったら拍手喝采だ。
常識、人間性とかを訴えているけれどやっぱり文脈上から見れば『俺がいやだから』って自己中心的な考えからの嫌悪感で皆の目に触れる所でケンカ売ってるようにしか見えない。もちろん黙認されてるのをいい事に好き勝ってやりやがってって貴方の意見もわかる。だがネットでやる必要はあった?僕は少なくとも貴方のこの日記に嫌悪感を覚えたし。貴方もそのつもりで書いたのでしょう。なんでリアルにその友達とやりあわないの?(聞きたいのはここね)
相手と面と向かって話さないでこんな所で毒吐いたって、何も解決しやしない。なにに満足したのか知らないが。友人が怖いのか知らないが。顔も知らない相手に不満ぶつけて不愉快にさせて、満足したって?『同人って他人の作品に乗っかって金儲けしてる奴がいるらしい』程度の知識の奴のほうがよっぽどよかった。同人やってる奴が身近にいるならそいつに聞けよ。気持ち悪いくらいに嫌いなんだろ?そう言ってやれよ。なんでそんな事するんだ非常識な!って。納得するしないはともかく答は出る。こんな所で腹の探り合いしてるよりずっと健全だ。何を言っても無駄?言えないんでしょ?辞めさせられる奴が身近にいるんならそいつを辞めさせてみろよ。そいつがどんなむかつく同人誌描いてるか、貴方が大好きな作品を汚してるのか知らないけど。それが全員だと思うなよ。(貴方の友人をその他大勢に重ねるなって事だよ)それとももうその友人とは腹割って話したの?ならそいつはなんて言ったの?パソコンを通して話してる以上、そいつが言った以上の答はここでは得られない。お互いを不愉快にさせるだけだ。それがしたかったんだってんなら真の根暗性悪だ。
嫌いとしか言ってない・・か・・・そうなのかも知れないな・・・。
君さ、自分の話を夢中でしだすと、
普段は出ない方言とか、押さえてる気持ち出てくるよねー
って先輩に言われましたが、
私もしかして、「するのは自分の話オンリー」って奴なのかな
なるべく人の話聞くようにして質問投げかけて聞く側に回るよう心がけてたんだけど、
なんかもうどちらにしろ凹む。自己中心的(仮)も夢中で自分の話をしてる私(仮)も凹む。
エキサイティングすると周りが見えなくなるってことだろうか?
…なんかもうそれにしたって凹む。
ていうか、それを言った先輩は、
同期には隠してる、微妙に子供っぽい部分を時々見せたりできてた相手だったので
この先遠慮すべきなのか、迷う。
…ていうかそりゃそうだよな、いくら年齢が一回り違ってたって、
先輩だって同じ人間なんだから、疲れたって顔見せたり、悩み相談しちゃいけないよな。
なんか安心しきってた自分にもだめだなーって思う。
頼っちゃいけないよな。ちゃんとしないと。
加藤君の偏屈な性格が反映された掲示板を軽々しく否定・評論するコメンテーターが最高に胸糞悪かった。
最近も、秋葉の事件と同じ構図で起こったとされる事件が毎日のようにニュースで流される。
そのような事件についてのコメントで必ず出てくるのが「責任転嫁」や「自己中心的」といった言葉だ。
コメンテーターは何を思ってそのようなことを持ち出すのか。
本当に責任転嫁していたら、転嫁して終わりだよ。本当に自己中心的だったら自殺するよ。自己中心的な考え方も責任転嫁もしきれないからよく分からないから爆発するんだよ。
結局、彼らのような事件を起こした人、もしくは起こすかもしれない人に何かしてあげられることはないかと思ってもね、第三者がどうやっても駄目なんだよ。マイナス思考の無限ループに陥っていることと、それを止めてあげるメリットがないから。
「劣等感を持っているという劣等感」という考え方を周囲がどうやって解決する? ここで、劣等感を疎外感や不安に置き換えてもいいだろう。どうやって助けてあげる?
ましてや、あなたが偏屈な派遣社員と仕事をする正社員だとして、相手がが正社員だったら何が何でもいいところを探してやろうとか、教育してやろうとか思うだろうけど、派遣社員相手だと、そういうモチベーションがないわけだよ。
何となく生き方が分からない人っている。何となく友人関係が苦手な人っている。口下手な人もいる。
でも、お互い同じ会社で同じ立場のメンバーとして働くことで人と人のつながりを実感できる社会がそれをカバーしてきた。
ということを、また別のコメンテーターが言っていたので感心した。
「強烈な言葉を発するタイプの人間に、普通の人間が言葉で対抗できるか?」
私は、企業(1万人規模)で、社員の相談窓口をしていて、ものすごい憎悪を被害者を装ってぶつけてくる人たちに5名ほどであったことがあります。被害者を装って攻撃してくるところは味噌です。徹底的に被害者を装いながら、確実に相手にダメージを与えるような言葉(一般的には「言ってはいけないこと」や「人を傷つけるためだけにある言葉」)を言ってきます。
たぶん、カウンセリングや精神科の先生は、こういう人たちに頻繁に出会っていると思います。
慣れれば対処できると思いますが、いくら慣れても、その時は、憤り、ストレスがものすごく溜まります。
つっこんで話をしていくと、
・親との関係がうまく築けていなくて、感情をコントロールする方法がわからない人と、
・極端に自己中心的で、自分に実力がなくても人を傷つけることが上手ければ、そこそこ人生渡っていけると実感してしまっている人
に分かれます。
私の実感としては、こういう人たちは相手を「心神耗弱状態に追い込む」ぐらいのテクニックを持っているので、一般の人は、出来得る限り避けるしかないと思います。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080720/p2
読むと善意が受け取れなくなる
見えている善意は善意で受け取り、見えている悪意は悪意として遮断する。そして善意とだけ付き合う。それでいいのです。それだけでいいのです。そしてそれ以上のことはできません。疑えば疑うだけわからなくなる。であれば目に見える部分だけひとまず信用し、それを前提に生きていく方がラクです。頭を使いませんし、精神的負担もありません。
善意を受け取れないのは悲しいこと。
でもだからといってラクに生きるために考えるのをやめるって、すごく自己中心的な考えだと思う。
”読まない”ことは自分はラクかもしれないけど、相手はどうだろうね。
いまさらだが、大学生における準ひきこもり行動に関する考察に好き勝手コメントしてみる。
10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもない
それは問題だ。そんなにいるならなんとかしないと。
思うに、文章全体を読んで
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。
この点以外は、別にこんな人いてもいいんじゃないのと思う記述ばかりだ。別に、あんま喋らない、人間関係が不器用な人が、対人関係をあんま必要としない性質の仕事をしている分には全然問題無いと思う。実際過去にもいたし、過去に社会に出た人でいまの社会に現役で働いている人の中にも結構いる。そのまま寡黙な人として生きていけるような環境を用意したらいい。貴重な労働力だ。
ただし最近の大学生のシュウカツみたいなもんを経由させようとするとそこでつまづいてしまう。大学生は自分を売り込むようなシュウカツをするもんであるという習慣が、準ひきこもり層が本格的なひきこもりになるきっかけを作り、労働力の無駄を招いているのではないか。もはや大学生の全てにこの通過儀礼を経由させるのは現実的ではないと思う。通常のシュウカツをする学生とは待遇が異なることは許容しつつ、言われたことを真面目にやりさえすれば務まる性質の職場に大学側が送り込んだらどうだろう。
これらの人々は、自分で選んだり自分を売り込んだりといったことが出来ないだけで、エスカレーター式に送り込まれた先にはそれなりに適応出来るのではないか。そういった中でとりあえず職業生活のスタートを切ることが必要なのではないか。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
はてなを利用するに辺り、色々とお世話になった方との縁を切るべきか否か。
昔は若さゆえの過ちでオタク同士の仲間だったが、今は考え方の違いや嗜好の違いにより疎遠になり、たまにメッセンジャーなどで話しかけても無条件で喧嘩口調。
オフ会で会えば非常に自己中心的で欲求を満たす為ならお店で購入した商品を開封するのに居酒屋でハサミを借りる兵。
メッセンジャーのウイルスに感染したか、アカウントのIDが抜かれてる可能性があると言う事を伝えるにも「オレは大丈夫、絶対大丈夫!」と実害が出ているにも関わらず根拠の無い事を言ってくる…。
昔は、私だって馬鹿だったし、典型的なオタク君だったが、その頃から数年は経過して学生からごく普通のサラリーマンになり、遅ればせながら一般常識を身に付けた。
…当然、その方も私と同じく学生から社会人となり、会社の同僚や上司・仕事で接するお客様とのコミュニケーションを図る為にそれなりの常識と言うのを身に付けているはず…。
…単純に毛嫌いされてるだけなのか、今までは利用価値があったからそれっぽく振舞ってただけで価値が無くなったから捨てられたのか。
男ってなんで「どうせイケメン選ぶんだろ、女なんて幻滅した、氏ね」とか言う割に、その一方で女に「男って彼女よりセフレがいいとかセックスだけできりゃいいとか女なんて肉便器とかなんでそういうことばっか言うの?」って言われると開き直って「は?男はそういうもんだし。受け入れろよ。夢見てんな」とか言うの?それだったら女にも夢見るなよ、現実の女受け入れろよって話じゃない?
男って平気でそういうダブルスタンダードかます人多いよね。自己中っていうか。なんでそこまで呆れるほど自己中心的に生きられるんだろうって近頃驚く。罪悪感とか良心のかけらもないのかな?
それと普段は平気で「女って○○」って一くくりにするくせに、いざ女に「男って○○」って言われると「男が全てそうとか思うな」とか言ってくる。でも「女って○○」っていってる男にはそういう批判はほとんどこない。きてもそれは女が言ってるだけ。でも「男って○○」って言うのには男も女も「男が全てそうとかいうな」って言ってくるし。
大体肉便器なんて言葉を普通に言えちゃう時点でどうなんだろ、って感じ。冗談でも引く。
携帯電話の充電器についてちょっとでも女が何か言おうものならスイーツ氏ねの大合唱。
でも同人取締りとかアニメについては自分の権利だけを守ろうと「権利者氏ね!」の大合唱。
一体どこまで自分勝手なのか。
絶望、破壊、混沌、無情、苦労、困惑、羞恥心、幻覚、妄想、現実、自殺、落胆、失望、病気、憂鬱、疲労困憊、喧々囂々、存在価値、否定、殺人、迷惑、幻聴、死ね、これはひどい、邪魔、消えろ、失せろ、怨念、暴動、破壊衝動、自閉症、トリップ、羨望、願望、格差、負け組、クーデター、爆撃、放火、陳腐、強姦、切断、リストカット、出血多量、無惨、残酷、酷使、鬱病、メンヘラ、苦痛、罵倒、はてなブックマーク、誹謗中傷、破滅、ブログ、炎上、嫌儲、一般論、常識、空気を読め、誤解、曲解、自滅、虐待、虐殺、差別、幻想、暴力、戦争、貧困、オタク、中二病、自慰、幻滅、エロゲ、終末、未来、過去、現在、自分、馬鹿、アホ、デブ、変態、役立たず、死刑、抑圧、宗教、束縛、悪夢、罪悪感、犯罪、暴走、激痛、精神病、上から目線、自称評論家、はてな的なるもの、憎悪、無関心、不感症、殺人願望、ナイフ、遺体、自殺願望、神、末期症状、禁断症状、依存症、嘲笑、悪魔、無能、低脳、ブタ、愚民、下等生物、下衆、エリート、ニート、ワーキングプア、インターネット、社会のゴミ、生きる資格なし、ゆとり教育、荒らし、陰謀、嫌悪、憎しみ、苦しみ、上意下達、いじめ、登校拒否、学級崩壊、死ねばいいのに、害悪、汚物、若者、精神年齢、劣等感、卑下、被害妄想、自暴自棄、欲望、支配、秩序、正義、無価値、無謀、臆病、のけ者、排除、無知、粗末、倫理、ルール、偽善、自己中心的、偏愛、性癖、性格、自己否定、崩壊、人格、終わり
以下は某全国紙の朝刊の人生相談コーナーに堂々と載っていた文章を一部機械的に改変(単語置換)したものです。
40歳代女性。夫と子ども2人の4人家族。夫はヒステリックになりやすく、怒ると手がつけられません。以前には殴られたり顔をひっかかれたりしたことも。
浮気や浪費をしたわけではありません。理由は「子どもが花粉症なのに窓を閉め忘れた」「子どもの受験に興味を示さない」「通勤のバス代を節約して歩いていた。そのことを夫に話していなかった」など。私の不注意や配慮のなさもありますが、つまらないことばかり。私は気が弱くトラブルが嫌い。面倒なので謝ってしまいます。すると「謝ればいいと思っている」とまた怒ります。
まじめに仕事をし、給料を渡しているのに小遣いすらもらえません。「結婚15年間の反省文を書け。忘れないよう毎日写せ」というので、1時間かけしぶしぶ写しています。子どもには「何で離婚しないの」といわれる始末。最近離婚を考えることも。正常な関係になるにはどうしたらいいですか。(千葉・Y子)
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夫がこれほどまでにいらだっているのは、あなたの煮え切らない生活態度がとことん嫌になったのではないですか。ただ夫の性格が悪いというのではありません。
殴られ、顔をひっかかれても、あなたは黙って耐えている。バス代を節約して歩いても、何をしても非難の対象になるのは、夫があなたの生き方について激しくいらだっているのです。トラブルを恐れ、怒り出した夫にとにかく謝ってしまうというのは、夫からすれば妻が自分の叫びをまったく理解していないということで、またいらだちは深くなります。
結婚15年の反省文を書かせ、それを毎日書き写せとは、過去を取り戻したいと願っているからです。
あなた自身が気の弱い性格を変える努力をしてみてはどうですか。夫を旅行に誘ったりして互いに理解し合う努力もしてみることです。
小さなことを積み重ねるしかありません。離婚するのは、むしろ簡単な解決法。
夫はあなたに変わってほしいと一生懸命訴えているのですから、その声をあなたが受け止めた時、二人は救われるのではないですか。
思わず「これはひどいミソジニー」「モラハラ」「DV」といった言葉が出てきたのではないでしょうか。私もその通りだと思います。こんな文章が全国紙に載るなんてこと自体信じられないんじゃないでしょうか。
しかし、これは現実に全国紙に載った文章とほとんど同じものなのです。この解答を書いた人も、広く名前の知られている人です。
そんなことがあるものかと思わず眉に唾をお付けになったでしょう。論より証拠、はい、こちらが元記事。
どうですか?「夫」と「妻」を入れ替えただけで、社会的にこの文章の妥当性が大きく変わってしまうということがおわかり頂けたんじゃないでしょうか。
というと、リベラルなはてな民の方々は「いや、読売なんて保守反動新聞で世の良識を評価されても」とおっしゃるんじゃないでしょうか。しかし、産経が片隅にトンデモ記事を載せていると、たちまち「これはひどい」「あたまがわるい」タグがブクマに飛び交い、誰かが批判エントリを挙げたりというのがこのところの日常茶飯事だったはず。それが今日に限っては奇妙なほどの静けさです。私がこの記事を書いた時点で、ブクマ数は僅か3(うちプライベート1)。これはいったいどういうことなのでしょうねえ?
残念ながら世の良識ってこんなものなんですよ。虐待される女性には理解が集まるようになりましたが、虐待される男性にはまだまだです。加藤容疑者の絶望も一部は理解できるのではないですか?絶望した帰結に自暴自棄になって起こした行動には全く賛成できなくとも、絶望すること自体に共感するのは自然なことだと思いますけどねえ。それも「身勝手」で「自己愛、自己中心的」な「ミソジニー」ということになってしまうのでしょうか。これはひどい保守とリベラルの野合ですね。
俺はさ、赤ん坊って苦手だな。中学生くらいから自覚して、ずっと大人になったいままで程度が上下したけれど苦手だ。
というのは自分の子供という特殊な例について考えてみたとき、本気で「俺の精神や遺伝子を後世に残すべきではない、この血脈は俺で断ち切るんだ」と思っていたんだな。理由は今は忘れたものも含めて色々あった。
それから、もしも将来自分に子供ができたと想像してみたら、その子が送る人生がかわいそうに思えてならなかった。こんなに人生は辛いのにわざわざ生まれてくるなんて、と。
そして、誕生させたのは自分なわけだ。だからその子供が抱えるだろう人生の苦しみの原因は俺が作ったことになって、それが罪深く思えた。
そうだ、思い出した。
少年時代、子供を作ると言うことが無限大に自分勝手で傲慢で我が儘な行為に思えたんだ。だって親になる人間が「子供が欲しい」ってもうけるんだぜ?俺にとっては完全なる自己中心的な行為だった。普通は行為するとき相手がいる場合は対話なり、リアクションなりの相互作用が少しはある。でも子作りにはそれが全くない。親の一存で決まる。しかも最大の動機は子供が欲しいという欲求であることがしばしばなのだ。
俺は傲慢であることや自己中心的であること忌避していたし、最大の罪のようにも考えていたから子供が親の自己中心的な欲求で生まれるのは受け入れがたかった。たとえ自分がそうやって生まれてきたのだとしても。
自分の子供に「私はどうして生まれてきたの」と問われたとき答えようが無いとも思っていたな、そういえば。
<また書き足す>