俺はさ、赤ん坊って苦手だな。中学生くらいから自覚して、ずっと大人になったいままで程度が上下したけれど苦手だ。
というのは自分の子供という特殊な例について考えてみたとき、本気で「俺の精神や遺伝子を後世に残すべきではない、この血脈は俺で断ち切るんだ」と思っていたんだな。理由は今は忘れたものも含めて色々あった。
それから、もしも将来自分に子供ができたと想像してみたら、その子が送る人生がかわいそうに思えてならなかった。こんなに人生は辛いのにわざわざ生まれてくるなんて、と。
そして、誕生させたのは自分なわけだ。だからその子供が抱えるだろう人生の苦しみの原因は俺が作ったことになって、それが罪深く思えた。
そうだ、思い出した。
少年時代、子供を作ると言うことが無限大に自分勝手で傲慢で我が儘な行為に思えたんだ。だって親になる人間が「子供が欲しい」ってもうけるんだぜ?俺にとっては完全なる自己中心的な行為だった。普通は行為するとき相手がいる場合は対話なり、リアクションなりの相互作用が少しはある。でも子作りにはそれが全くない。親の一存で決まる。しかも最大の動機は子供が欲しいという欲求であることがしばしばなのだ。
俺は傲慢であることや自己中心的であること忌避していたし、最大の罪のようにも考えていたから子供が親の自己中心的な欲求で生まれるのは受け入れがたかった。たとえ自分がそうやって生まれてきたのだとしても。
自分の子供に「私はどうして生まれてきたの」と問われたとき答えようが無いとも思っていたな、そういえば。
<また書き足す>