「相対論」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 相対論とは

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012213238

ピタゴラスの定理とか生き残ってるでしょ

超ひもとかがウソだった、という話にはなるかもしれないけど、現象論としてのニュートン法則とか相対論や場の量子論とかが消えることは無いと思う。

DNAが実は存在しなかった、とかいう話にもまぁなんねーだろ。

2010-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20100731153825

相対論量子力学って、相対論量子力学(クラインゴルドン方程式とかディラック方程式とか)のこと?それとも相対論量子力学ってこと?

微分積分」の次に群論が来るのも奇妙だし、その次に何故か相対論量子力学とやらが来るのも変だよね。

知識の順序がぐちゃぐちゃ。群論の前に集合と位相とかから入るべきだし、相対論量子力学の前に正準形式の解析力学を理解するべきだよね。

ほんとに理解してるのか?なんかwikipediaからそれっぽい言葉を良くわからずに引っ張ってきただけのような印象を受ける。

あとむしろ社会人なら数理統計とか非線形系とかを少しは勉強するべきだよね。

その辺はわかってるのか?

英語はやっぱTOEIC900程度じゃどうにもならんし、最低限その程度はやるべきだと思う。

2010-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20100731013229

こういうのを見ると、「英語ができる」とみなすレベルが高すぎるように思う。高いレベルを目指すこと自体は別にいいんだが、英語ばかりに限定するような風潮になってるのがよくない。その熱意を他の分野でも発揮してほしいもんだと思う。挨拶程度の読み書きできるくせに「日本教育では英語は身につかない(キリッ」といいつつ、微分積分群論とか相対論量子力学もろくに理解してなかったり、税金労働法の知識もほとんどなかったりするし。なんだかんだいっても英語はできない状態というのが可視化されやすいんだろうか。英語以外の分野についても低脳であることを自覚し「もっと教育しろ」「その程度では社会人としてやっていけない」と叫んでほしいもんだが。

2010-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20100627080121

元増田です。どうもありがとうございます。

文化相対論主義に基づけば答えは出ています。「鯨喰ってもいいし、女性器切除も禁止されるべきではない」です。ポストモダン哲学倫理学がこの結論を支持します。

なるほど、文化相対論主義についてWebで見てみた限りにおいてはそのようです。

ポストモダンについてはよくわからないのですが、ポストモダンは「グローバルに『正しい』ことは(ほとんど)存在しない」と帰結するという理解で正しいでしょうか?そうすると、捕鯨のみならず、たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」みたいな問題についても「ほとんど全ての文化において人を殺してはならないとされているから、グローバルにも殺してはいけないように見えているだけだ」という結論になる?誤解していたら指摘してもらえるとありがたいです。

そしてポストモダン哲学倫理学は同時に「倫理的に正しくないない主張だから取り下げるべき」とは主張しません。捕鯨問題をはじめとする文化衝突は、結局政治によるパワーゲーム論理で勝負がつく、倫理が無力な問題と思っていればいいでしょう。

「正しい」ことをもって問題を解決できたらもっと楽でしたね。

http://anond.hatelabo.jp/20100627073228

文化相対論主義に基づけば答えは出ています。

「鯨喰ってもいいし、女性器切除も禁止されるべきではない」です。

ポストモダン哲学倫理学がこの結論を支持します。

ただ、鯨禁止論には感情論が多く含まれている以上、論理による「説得」は必ずしも有効ではありません。

そしてポストモダン哲学倫理学は同時に「倫理的に正しくないない主張だから取り下げるべき」とは主張しません。捕鯨問題をはじめとする文化衝突は、結局政治によるパワーゲーム論理で勝負がつく、倫理が無力な問題と思っていればいいでしょう。

私は日本クジラを食べることは禁止されるべきではないと思う。

しかしながら「捕鯨日本の文化だから禁止されるべきではないのだ」という主張では

なかなか人を納得させられるものではないと思う。

なんでこんなことを考え始めたかというと、Wikipedia女性器切除に関する

記事を読んだからなのだ (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%99%A8%E5%88%87%E9%99%A4)。

国際社会において、特に1970年代頃から著しい女性虐待であるとして非難の声が強くあがっていた。対する当事国では、そうしたプレッシャーは自国の文化を否定するものとして、文化相対論的論議がおこった。しかしながら昨今では国際的世論アフリカ内からの廃絶の声とが手を取り合った動きが活発化しはじめている。

「これは文化なのですから、他の国から禁止される筋合いはないのです」という論理だと

女性器切除もバンバンやってくださいという結論になるが、本当にそれで良いのか?(問:それで良くないとすれば、それはなんで?)

捕鯨女性器切除の違いは何かと問われれば、それは「被害を受けている人間がいるかいないか」というところだろうか。

では、「被害を受ける人間がいない限りにおいて、ある国の文化を別の国がとやかく言うことはできない」は

人を納得させられる論理だろうか。

うーん、ここから先に思考が進まない。倫理学の分野で捕鯨について何か議論があったりしないのかな。

2010-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20100521003531

相対論ってなに?

-(c^2 + f^2) * v^2 + 2vc^3 * f^2 - f^2 + c^2 = 0

までvの代数方程式にしたけど力学知らなさ過ぎて中止

http://anond.hatelabo.jp/20100520235744

v/c = f^2±1

となったが。

f>=1だから解2個ある。

相対論とか忘れたわ…。

2010-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20100508223553

ニュートン力学法則に従わない事象を説明するために相対論量子力学が出てきたわけで今後もそういうのが出てきてもおかしくない。

2009-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20091230053755

高校レベル物理じゃなければ空気抵抗やら流体やら相対論量子論とかもっと複雑な要素も考慮して学問やってるように経済学も限定合理性とか行動経済学とか群集心理も含めたもっと複雑な要素を学問として取り扱ってるわけで、単純なモデル初心者向けの入門であってそれが学問のすべてじゃないよ。というか心理学だって学問なわけでね。それに群集心理とかの複雑な要素と数学的な話も別物じゃないんだよ。先端の研究は複雑な要素を数式に落とし込むためにやってるようなもんだし。

2009-11-29

OD問題に憶う ---土方克法

就職博士 (OD) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした。昨年秋の札幌学会で、当地の若い人達OD問題のビラを配っていたが、内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった。筆者の大学では、1967年物理系の学科ができたが、教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい、もう空き定員はない。その後いろいろな方面から就職の照会があるが、ない袖は振れず、如何ともし難い。このようにして、われわれも事の重大さを数年来感じてきたが、何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう。素粒子関係では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く。この人達は本職ならざるアルバイトをしたり、周囲の庇護のもとに生活しているのであろう。現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない。しかし、たいていの人はODとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない。いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ、新聞種にもなるのだ。

筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて、小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく。愚妻もその1人であって、大学非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる。このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう。大学で勉学をするのは当然なことだが、最も熱心に勉学を続けた人のなれの果てがODではないか。筆者は時々愚妻に”子供ルンペンに仕立て上げるつもりか”と言う。しかし、大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで、あまり効果がない。

たしかに物理学若者の心を魅了するものをもっている。筆者の教壇からの経験をいうと、1年のクラスでは話が熱力学第2法則とか相対論のくだりになると、日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある。”私は物理学にだけは強い幻想をもっている”と言ったある全共闘学生を忘れることができない。”1次元振動子の理論はよくできすぎている”と溜息をついた学生もいた。同じ意味で、群論量子力学への応用とか、Dirac方程式などには何者にも替え難いBeautyがある。ところで本講座『現代物理学の基礎』の各巻を執筆される方々は、物理学をいかに美しく展開するかに薀蓄を傾けておられるであろう。そして多くの学生を魅了することであろうが、彼等に対してわれわれは責任を感ずべきではないだろうか。少なくとも彼等が物理学への興味を失うことなく、正常な姿で生活できるようにと願うのは自然の感情であろう。筆者は博士課程、とくに理論方面に進む希望学生に対しては、OD現実を説き、物理学の汚い半面を強調して、その夢を醒ますことをまず試みる。それにもかかわらず、素粒子とか生物物理を志す学生はあとを絶たないのである。

しかし、思ってもみるがよい。なぜOD問題が生じたのか。講座増を希望したのはわれわれである。教官定員が増え、万年助手が昇格し、研究室が活気を帯びたのも束の間、学生は年々入ってくる。これらの学生産業界には出てゆかない。そこで再び教官定員増を要求する。しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから、この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか。すなわち、非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある。

一昔前の話になるが、筆者が米国の某大学で、物理学科の学生1人1人に、学位を取ったらどこへ行くかを問うたところ、1人の例外もなく、"Industry" と答えたのに驚かされたことがある。学位を得て産業界に入れば指導的地位を約束されるそれに対して日本産業界は、修士を受け容れる体制はできたが、博士となると”固まりすぎて融通性がない”という理由で敬遠する。わが国の産業界はまだ博士を必要とするほど発達していないというのは一面のいいわけで、これも大学側に責任があると思う。米国大学では博士たるものは1つのテーマについて研究を仕上げると共に、年に何回か行われる試験によって物理学全般の知識についてチェックされる。また学部下級生の講義実験指導をする "Teaching Assistantship" の制度もひろくゆきわたっていて、これがどのくらい彼等の学問社会性を育てるのに役立っているかわからない。一方、日本博士課程では3年なり4年なりの間自分の専門に閉じこもり、社会とは隔絶して研究をしていればよい。このようにして彼等は”固まって”しまい、物理学の極めて狭い分野の専門家となるのである。われわれの世代も実はこのような道をたどったので、あるいは、物理学者社会に眼を奪われるのはもっての外、就職に頭を悩ますなど言語道断と言われる方もあるかもしれない。現に某大学学生就職に無関心であると非難された教授が、多分売り言葉に買い言葉であろうが、君達が大学院に入ったのは学問をするためか、就職をするためかと開きなおったそうである。たしかに就職など世俗のことにわずらわされることなく学問ができたらそれにこしたことはない。そこで筆者はこのような理想的な環境として、またOD問題の解決策として次のことを提案する。

それは宗教的教団に似たInstituteを作ることである。名づけて日本素粒子教団、生物物理教団等。この教団に属する人は、世間から僅かな喜捨を仰ぎ、粗衣粗食に甘んじ、妻帯の望みも絶ってひたすら学究生活をする。たまたま在家のわれわれも修業をしたければ年期を限り、なにがしかの費用を払って入団できる。このような教団は古代にもあったようだし、僧侶階級をみてもわかるように、比較的永続きし、しかもすばらしい業績を挙げうるものである。もしかするとOD問題は古代からあったのではあるまいか。

しかしODの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは、世間の人と混ざって生活し、積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない。その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる。われわれは実は手がなくて困っている。現に筆者は、1年・3年・4年・大学院と週10時間講義を持っているが、年々新たな講義をしようとすると並大抵のことではない。しかも、どの大学でもそうだが、1年生は大教室で講義を受けさせ、入学当初から大きな幻滅を与えている。この1年生への講義ほど、物理学者にとって大切なものはない。つまり受講生の大多数は、将来物理学を専攻しない学生であり、これらの学生教育こそ物理学社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである。物理学が正しい姿で社会に浸透すれば、物理学者の発言権も強まり、ひいてはわれわれの社会的地位の向上にもつながる。それなのにわれわれは、その教育に手を抜いている。少なくとも上級生の教育ほど力を入れていない。これは間違っていると思うが、人手が足りないから致し方ない。若しも教官の数が、学生数が現在のままで倍になり、昔のように少人数の講義ができたら、どんなに幸せであろう。さらに少数の学生が1人のTutorまたはAdviserの指導を受けるような制度でもよい(英国大学またはモスクワ大学のように)。そしてODを全国の大学に吸収するのである。しかし、これを実現するには、学生数に対して教官数を算定する政府の基準を改めさせ、さらにはその根本にある考え方を変えさせなければならない。これを行うだけの政治力物理学者基礎科学者)にはないものだろうか。 OD問題をこのままで放置し、破局的状況に持ちこんで、政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう。しかし筆者は歳のせいか、できるなら破局的状況は避けたいと思うのである。

(ひじかた・かつのり、電気通信大学物理工学科)

岩波講座 現代物理学の基礎、量子力学II(1972年付属の月報

2009-08-08

お、カルト

ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。

量子オーディオ

オーディオ新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンオーディオマニアに向けてこういうことを言った。

完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。

すなわち:

  • このオーディオシステムは音がよい状態と音が悪い状態が重ねあわさっている。
  • 部屋の扉を開けて音を聞いた瞬間に状態が収束して音のよさが決まる

これは明らかにおかしい。

オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている

しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。

これが有名なシュレーディンガーオーディオシステムというパラドックスだ。

相対論オーディオ効果

昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験

その後、1905年アインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。

音質の不完全性

数学者だったクルト・ゲーデルオーディオマニアだったことでも有名だ。

彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデル自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。

彼は後に有名なゲーデル不完全性定理発表することになる。

すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。

オーディオ統計力学

日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。

このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニア市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。

もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。

このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者名前を取って、フェルミディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。

なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。

同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニア想像できなかったことからこの統計採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。

転機は90年代半ばに訪れた。自分意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニア尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験危険であるとして禁止されている。

やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。

2009-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20090521125647

何がいいたいのかわからんが、相対論では空間次元の他に時間次元ベクトル成分に入ってくるから(ミンコフスキー空間ベクトルな)、普通物理系と区別して(時間も含めた)空間成分(時空成分)の添え字にギリシャ文字を使う慣例になってるんだよ。

そういう意味でそれはむしろ特例であって相対論の外では常識じゃない。

2009-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20090321221626

民度が高くなれば自然社会主義的政策を選択するようになるのだ。

なぜなら、賢い国民であれば「経済的利益の追求」が「国民幸福」に寄与しないと気付くからである。

"民度"という曖昧な尺だけで批判するのは差別的だな。

相対論的、自虐的史観が好きな日本人には効果覿面な言葉だけど。

それに、「経済的利益の追求」が「国民幸福」に寄与しないとは言い切れるものでもない。

あなたが使っている「WWW」のシステムも大きくみれば資本主義によって発達した。

増田資本主義拝金主義だと勘違いしているようだ。

利益だけを追求する資本主義」。

この国がそんな社会ではないのは、

ヒルズの元社長企業戦略が肯定的に社会に受け入れられなかった現実を見れば明らかだ。

資本主義の反対が社会主義ではない。

時間軸を除いた経済活動はゼロサムゲーム」ではない

逆に考えれば簡単。ゼロサムゲームであるなら準備預金制度は必要なくなる。

食いきれない量の食料を持っているのが無意味というのは、

文字通りに受け取った場合は正しい。

例えば牛肉を食べる代わりにトウモロコシを食べるようにすれば、

コスト計算的には食糧問題は解決する。単純な世界なら。

でもそれが現実には不可能なのは目に見えてる。たとえ社会主義国家だとしても。

過剰生産したレタスを隣国に運ぶことさえ、腐ってしまってできないのに。

2009-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20090307035900

相対性理論は間違ってる厨も定期的に発生するよなww

特殊相対論中途半端にわかりやすいのがいけないんだろうなwww

2009-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20090213141320

ヒトを殴ってはいけない。したがって,あいつも殴ってはいけないし,俺を殴ってもいけない。

じゃなくて

あいつ殴られてやがんのプギャー。あ,俺を殴りやがったなこのやろう。

なんじゃないの。

大昔の笑い話で,英国植民者が原住民の蛮族に正義とは何かを尋ねたところ「自分が隣人の妻を奪うことは正しいが,隣人が自分の妻を奪うことは正しくない」と答えたって話がある。価値相対論とかコロニアリズムとかいろんな観点で突っ込める話だけど,そういう議論を置いておいてただこの「蛮族」の主張だけに耳を傾けた場合,なかなか否定しがたいものがないか。少なくとも無知ヴェールとか社会契約とかそういう前提を引っ張ってこないと論破できない。

2009-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20090203003332

昔は、天動説が証明することもなく当たり前でしょう、と言われていましたが、今では、地動説の方が一般的です。

よくこういう勘違いあるけど天動説でも千年以上実用に耐える天体運動予測ができてたわけで証明なしに正しいとされていたわけじゃない。観測結果に基づいて正しいとされていた。それに相対論的には絶対座標自体がないんだからどっちが中心でどっちが動いてるかなん解釈次第でこれに反証可能性なんかない。どちらが実用的か程度の話。

天動説疑似科学として持ち出すような人をたまに見かけるが、教科書にあるから学校先生が言ってたから地動説が正しいとか思い込むことこそ非科学的なんだけどね。

2008-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20081203002433

いやー物理がブームになるくらい国民の平均的数学力が上がったら俺は嬉しいけどな。

まぁそんなことは絶対に有り得ないから心配しなくていいと思うw

しかし小学3年生で相対論理解したってホントかね。リーマン空間幾何学を自在に操れたりするのかね。だとしたら凹むね。超天才

2008-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20081102103359

英語だけを使う仕事自体めったとないじゃなかろうか。

翻訳通訳教員とかは日本語もできなきゃだめだろうし、翻訳通訳の分野によってはその分野の知識は必要。

量子力学だって半導体原子力関連の技術者なら必須、微分積分はあらゆる技術に関連してるが、その知識だけで技術者仕事してるというわけでもない。○○だけの知識を使う仕事なんかまずないはず。

専門知識がなくても英語を使う仕事というのは想像しやすいが、微分積分量子力学相対論想像つかないって事なんだろう。多くの人が毎日のように使ってるパソコンケータイはそういう知識を基に作られてるのに。

http://anond.hatelabo.jp/20081102032002

教育を受けた方は受けた方で、6年も勉強したのにって、勝手な高望みしたうえで勝手欲求不満に陥ってる。

結局のところ、外国語なんて必要に迫られたり好きだからって勉強するのが一番いいのであって、外国語との付き合い方はもっと柔軟になった方がいいとおもう。

これって別に英語に限ったことだけじゃなくて他の教科でも同じ事なのに、英語ができないことばかりクローズアップされる理由がなぞ。

理系じゃなければ微分積分すらろくにわかってない、わからなくても大丈夫みたいな風潮があったりするのに。英語以外ももっと高望みしろよといいたい。義務教育受けたのに何で量子力学相対論も理解できないんだって怒り狂うべき。

2008-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20081031222722

タイトルリンクを張った増田さんのコメントは、「君」という言葉コメントに出てくることから、書き手が元増田の私一人を相手に書いているように推測されるので、返答してみます。

http://anond.hatelabo.jp/20081031114504

http://anond.hatelabo.jp/20081031121513

http://anond.hatelabo.jp/20081031160755

以上を書いた元増田です。とりあえず、今の学年を言っておくと修士2年です。

他の専攻の内容知らないし、勉強しなかったの反省しているから、他分野の専攻の人の感情を害さないように気をつけて発言しているつもりなのですが・・・

結論から言うと、俺は物理をはじめ、他専攻を舐めていないし、むしろ、知らないから怖がってすらいます。

私が物理についてコメントしたのは、

情報科学は、物理以上に数学が必要な分野だと思う。

物理化学なら、数学ダメでも実験おもしろい成果が出せることもある。

これだけだと思います。

これは、理系全般に話を持っていこうとした人がいたので、「数学をどれぐらい使うかは専攻や研究室によって違うから、勝手理系全般に話を広げないでくれ」っていう背景で書きました。

別に、「情報数学使うけど、物理化学実験で成果が出るから数学使わなくていいなぁ」って言っているわけじゃなかったのですが、もう一回読み直してみましたが、どう見ても、そう読めますね。

ただ、物理化学をはじめ、どの分野でも、科学である以上、「数学をそこまで使わなくても実験結果がおもしろければ評価される研究がある」ことは事実だと思います。

物理化学なら、数学ダメでも実験おもしろい成果が出せることもある。

これは、何がいいたかったのかというと、「数学が全てってわけじゃないよね。実験やっている人は実験やっている人で、毎日深夜まで残って大変だよね」というように、実験やっている人に配慮したつもりだったのですが、今見ると、どう見てもそうは読めませんね。すみません。

数値解析も確率過程も物理で使いまくる(というか物理ルーツとさえ言える)し、情報幾何で出てくる幾何学の知識なんてたとえば一般相対論を学ぶのに必要な知識に比べたらたかが知れてるんだけど。

数値解析や確率過程を物理で使わない、と発言した覚えはありません。

情報幾何で出てくる幾何学の知識が、一般相対論を学ぶのに必要な知識に比べたらたかが知れている」

というのは、情報幾何も一般相対論もやったことがないので知りませんでした。

たとえば君、ホモロジー論わかる?ガロア理論わかる?関数解析わかる?この辺は数学科の3年後期レベルだけど、たぶん勉強したことないんじゃないの?

端的に言えば、あなたから見れば、「何もやっていないに等しい」ということだと思います。

一応、群の定義ぐらいはわかります。ホモロジーはやったことありません。

関数解析は、授業は一応聞いていましたが、理解してないし切ってしまったので、問題が解ける気がしません。

プラス物理生物化学やなどが必要になってくるけど,基本的に数学科並みに数学が必要。情報科学って一応応用数学だからね。

これを発言したのは私ではありません。

あんまり「俺は偉い」みたいなこと言わない方がいい。第一線の研究者学問の垣根なんて平気で踏み越えていくらでも勉強してる。はっきり言って君は並の量しか勉強してないし、それで「俺は数学科並に数学ができる」なんて言ったら馬鹿にされるだけだよ。

俺自身、学部時代は専門以外の時間数学ばかり勉強してたから、その辺は一応忠告しておくけど。

「俺は偉い」とか、「数学科並に数学ができる」なんて思ったことも言ったこともありません。

むしろ、「僕は数学ができない」と回りに言いまくってます。最初の書き込みを見ていただければ、「数学ができる人はいいなぁ、自分は数学ができなくて損をしているなぁ」というニュアンスで発言しているのが分かっていただけると思います。「君は並の量しか勉強してないし」は、そうだと思います。

自分は、数学勉強しても演習問題が解けない人です。

どの本にも、大抵、理解したかどうかをチェックするために、演習問題がついていますよね。あれが、解けないんです。

言っていることはわかるし、解答を見れば理解した気にはなれるのですが、演習問題が解けないんです。

「解けないってことは、本当に理解していないのだ」といわれてしまったら、それは、その通りだと思います。

結局、最終的に自分の専門にどう生かせるのかが、問題に出会った時に思い浮かばないと、学ぶ意味がないですよね。

学部のうちは、「この知識は、本当に将来使うのか?」ということに拘って知識を取捨選別してしまいました。

授業もそうやって選んでいたわけですし。当時は、なんとなく、「将来、時間があって必要なときに覚えればいい」みたいに思っていたのです。

実際に修士になってみて、激しく後悔しました。本当に専門以外のことを勉強する余裕がない。数学は、演習問題ぐらい解けるようにならないと、理解したことにはならないし、自分の専門にも応用できなくて勉強した甲斐がなくなってしまうのに、演習問題を解く時間がない。

学部のうちは、専門以外の勉強をちゃんとやっておくべきだったのだなぁ、と思っています。

http://anond.hatelabo.jp/20081031160755

応用数学屋から情報屋に転向した者だけど、やっぱり物理舐めすぎ。

数値解析も確率過程も物理で使いまくる(というか物理ルーツとさえ言える)し、情報幾何で出てくる幾何学の知識なんてたとえば一般相対論を学ぶのに必要な知識に比べたらたかが知れてるんだけど。

プラス物理生物化学やなどが必要になってくるけど,基本的に数学科並みに数学が必要。情報科学って一応応用数学だからね。

数学科も舐めすぎ。はっきり言って情報関係で必要な数学数学科の3年前期レベルまでで事足りる。要するに他の理系と変わらない。

たとえば君、ホモロジー論わかる?ガロア理論わかる?関数解析わかる?この辺は数学科の3年後期レベルだけど、たぶん勉強したことないんじゃないの?

あんまり「俺は偉い」みたいなこと言わない方がいい。第一線の研究者学問の垣根なんて平気で踏み越えていくらでも勉強してる。はっきり言って君は並の量しか勉強してないし、それで「俺は数学科並に数学ができる」なんて言ったら馬鹿にされるだけだよ。

俺自身、学部時代は専門以外の時間数学ばかり勉強してたから、その辺は一応忠告しておくけど。

2008-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20081010101432

量子力学はまだかなりイメージが通じる世界だと思うぞ。

状態ベクトルさえイメージできれば非相対論的場量子論くらいまではいける。

ただゲージ場とかの話になるとね…俺には数学とあまり区別がつかないね…。

2008-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20080917222845

何一つ的を射ていません。

一庶民としてはどこに行っても誰も支援する気にならないような研究と称するものに税金が使われるのは勘弁してほしいと切に願っております。

そんな研究税金は出ていないので心配する必要はないです。

どこからも金が出ないから講師で稼いだ自分の金で研究してる研究者も居るんです。

そして金がどこからも出ないからってその研究ナンセンスと言えるわけでもありません。

未だに物理学会相対論が間違ってるという誰からも相手にされない発表をしている人も居ます。

そんな人でも公に発表ができる事の意味を考えてください。

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