はてなキーワード: 比翼連理とは
私はかなり自他の境界が緩くなりやすく、自分が親友と位置づけた人に対して「自分と同じ環境に身を置いている人だ」と認識してしまいがちだ。自分と同じ環境というのはパートナーがおらず独り気ままにいることを指す。
小学校を出て以来、ほとんど異性のいない場にいたためそういう恋愛的なパートナーがいることを想像できなくなってしまったのだ。更に私は外見を飾るセンスもそれに対する興味もなく、自分磨きに金をかけないため=年齢であり、一生そういう人は現れないと信じている。「ねぇね、〇〇先輩って彼氏いるのかなぁ〜!」的な話をされてようやく「そうか、付き合っている人がいることもあるのか」という感じ。恋愛における共感ができないから自分と他人が同じ環境にあると考えてしまうのだと思う。
この思考特性が出るもう一つの要素が「ヲタクである」ことだ。自分がよく見るコンテンツでも、テレビっ子でインターネットの文化に染まっていない人にはイマイチ乗り切れない。ボカロとかVTuber、ネットミームをよくよくわかっていたり、自分の趣味があってのめり込んでいる人を見ると「お前は私だ!」になってしまう。推すと共におそらく私と共に独りを謳歌してくれというドロドロした何かが少量乗っかってしまうのだ。
最近はショッキングなニュースや新型感染症の憂鬱なニュースが多い中、その何気なく見ていた人の結婚報告が流れてきた。自分の世界を持って、優雅に気ままに生きている人だと勝手に思い込み、よく見ていたコンテンツの中の人だった。とても相思相愛で、比翼連理とか偕老同穴とかそういう言葉の合いそうな二人だった。それから今情緒がドロドロの私がいる。
まず、独りを愛し、趣味人として生きていた人が、心の拠り所を求めてしまったショック。支え合って生きることを選んだことへの衝撃。
そして、素敵な人には素敵な人との縁があり寄り添って生きる選択ができるということをまざまざと見せられた悲しみ。
私は結局一人でいることしかできなくて、それを趣味やら活動やらで埋めていた人間。だから感性や性格が美しくその一要素としての趣味がある人とは決定的に自分は違うんだということが見えてしまった。これは辛い。私、そこまで愛し愛される人とは絶対出会えない。
今回のこれで私は自分と同じようなヲタクを自分のコンプレックスに引きずり込んでいた訳だ。思春期か。ショックと同時に自分の思考の癖とか醜さが見えてしまった。
正直こういうときはまたヲタ活したらいいのだろうが、また同じことを繰り返す気がする。デジタルデトックスして本でも読むか。情けなさ過ぎて問わず語りしてしまった。