はてなキーワード: 文部科学省とは
細かい昇進とか給与体系は知らないけど、
ってのはどうなんだろうね。調べたら、小学校ではざっと4:1なので、「珍しい」までは行かないようだけど、元の構成比が構成比なのに。
以下データ
まあ、たしかにあれは一部であって、全部ではないよな。反省した。
ついでに、ちょっとデータを洗ってみる。
中国 71,277人(▲3,015人(▲4.1%)減)
『現場に駆けつけた中国人は当初の予定2000人を大きく超える4000人に達したという』という文も見えるけど、中国サイドのデータしかないな。
集まったのはすべて留学生だと仮定しても3??6%くらいか。
ところで、
この調査は平成15年度まで、文部科学省が実施していたが、平成16年4月に独立行政法人日本学生支援機構の設立に伴い、本機構に移管されたものである。平成15年度までの数値は文部科学省調べ。
ん? 独立行政法人・・・?
政府交付金 18,963,117,000
神戸大遺伝子組換え垂れ流しに関して、ネットには出ていない読売新聞記事4/11から
「教授に言われた」
「疑問を感じたが、教授から『どこでもやっている』と言われた」「文部科学省の調査が入る日は口封じのためか、『大学に来るな』と命じられた」。遺伝子組換え大腸菌などの違法な「垂れ流し」が発覚した神戸大学医学研究科の研究室。複数の所属メンバーは、ずさんな処理や教授による隠ぺい工作を生々しく証言した。これに対し、久野高義教授は「メンバーがいい加減な処理をしていたら、私の管理不行き届き」とし、自らの関与は否定。「私の研究室で扱う大腸菌はどれでも飲めるほど安全」と繰り返した。
久野研究室には現在、教官、中国人留学生、大学院生ら、計30人余りが在籍。情報伝達などにかかわる遺伝子を組み換えた大腸菌を使い、がんの原因解明や薬などの研究をしている。
「何年も前から、菌の培養液はフラスコなどから流しに直接捨てていた。ゼリー状の培地は『燃えるごみ用』の箱。そこに捨てろと久野教授から言われ、私自身の意識も薄かった」。OBの一人はそう振り返る。
複数の研究室メンバーによると、最近も状況は同じ。「菌の加熱処理に必要な耐熱袋がなく、滅菌しようにもできなかった。3月に誰かが文科省に通報した後、教授がどこかから耐熱袋を持ってきて突然、加熱処理を始めた。以前からやっていたように装うためか、デジカメで加熱処理の写真も撮影していた」という。
今月3日に文科省が調査に入る前日は「明日は絶対に来るな」と院生らに自宅待機を命じ、当日は教授と一部の研究員らだけが文科省職員に対応したという。
久野教授は10日、読売新聞の取材に対し、「少なくとも私自身は、適切に加熱処理していた。中には不適切な処理をした院生がいるかもしれないが、何を捨てたかまで確認できるはずがない」と語り、院生らが無断で違法な処理をしていた可能性を示唆した。
さらに「処理方法は、私が直接教えるわけではなく、研究室の先輩から教わるもの。年1回ずつ研究科の講習会もあった」と説明。「院生らの教育をさぼっていたのは事実。今後は厳しく再教育し、再発防止を徹底する」と述べた。
立ち入り調査時の"隠ぺい工作"の疑惑については「大学に来るなとは言っていない。時期的に就職活動などで院生が少なかっただけ」などと釈明した。
微量の垂れ流しならどこの大学でもやってますけどね。廃液処理なんてどこもいい加減なもの。発がん性物質を垂れ流しているところも多い。下水からも菌は検出されなかったし、環境への影響はないと言えますが、飲めるものなら飲んでみろと言いたくなりますね。
研究科の講習会?試薬の外部への持ち運びや総論的な話ばっかりでP1の扱いについては、大した説明もしていなかったくせに。はっきり言って意味のない講習会。
この教授、学部学生にはテストでよく落とす厳しい教授ということで知られています。で、自分は事件が起きたら逃げてるし。まぁ、57なんだからそろそろ引退でもいいんじゃないですか?
告発者も告発者。正義感うんぬんではなくて単に教授をつぶしたかっただけらしいですね。自らのワガママで他のメンバーを巻き込んで自爆テロを起こすなんて最悪です。せめて大学のコンプライアンス室に通報してから文科省にチクれって話ですよ。おかげで新入生を含む20人以上の院生が次の研究室を求めてさまよっている始末。見ていてあまりにかわいそうです。
教育基本法の第一条には【教育の目的】として「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とある。この文面からわかることは、教育の目指すものは人格の完成であること、そしてかなり包括的なプロセスであることの2点だ。
人格の完成においては知識の伸張(知育)だけでは教育とはいえない。頭でっかちの人間をつくることは教育の目的ではなく、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)を包括的に行うことが、教育の真の目的だ。それらを兼ね備えて始めて人格は完成する。彼らは必要な資質をもった理想的な「社会の形成者」となり、社会を理想の方向へと進めて行く。
すなわち、教育とは理想の社会と構成員を作り出すプロセスなのだ。そしてそのプロセスは社会から教育へ、教育から社会への順に、無限のループを繰り返す。「理想の人格者によって構成された社会こそが理想の社会だ」という考え方。これがその無限ループに与えられた、たった一つの命題である。
問題は、「理想の社会」と「理想の人格」が変化するということだ。そしてその変化と同時に、教育のプロセスもカウンターをもって方向転換(あるいは反転)する。以下にその例を挙げる。
1970 年代までの慢性的に教師不足な社会が「でもしか先生」をうみ(社会から教育へ)、その弊害として校内暴力が多発した(教育から社会へ)。指導能力の低い教師たちには、生徒の暴走を食い止めることは不可能だったからである。この時期は、生徒のそのパワーを身体の伸長(体育)に向ける方法が多くとられ、その中で道徳の伸張(徳育)、知識の伸張(知育)を行うというプロセスが行われていた(例:スクールウォーズ)。
その後1980 年代に入り、「荒れた学校」へのカウンターとして、もしくは均一で効率的な労働力を求める社会の要請で、管理教育が再徹底された(社会から教育へ)。その後、管理教育の弊害として、はみ出すことを嫌う没個性社会、管理教育に伴う知識の詰め込み、学歴偏重社会が形作られた(教育から社会へ)。知識の伸張(知育)に特化したこの教育は、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)をないがしろにした。この時期、社会では小学生の体力低下や犯罪の低年齢化といった社会問題が話題となった。
それに対して、文部省(現文部科学省)がはなったカウンターが「ゆとり教育」である(社会から教育へ)。知識偏重を見直し、多様性、主体性をもつ豊かな人間性とたくましさ、すなわち「生きる力」を育むことを目的とした。しかし結果は周知の通り、利己主義社会、学力低下が起きた(教育から社会へ)。主体性を自己主張、わがままと履き違えてしまい、道徳の伸張(徳育)が不完全にしか行われなかったことに原因がある。しかし学力低下については、学力偏重教育を批判して方向転換したのだから、知識の低下を嘆くのはおかしい。もともとが社会の要請によって行われたものである。授業科目を減らせば学力が低下するのは至極当たり前の結果であって、単純に批判することは出来ない。
ゆとり教育の失敗は、知識の伸張(知育)を犠牲にはしたが、その対価となる道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)政策を徹底できなかったことだ。生徒達は週休2 日制によって、学校のなかで社会性を学ぶチャンスを毎週一日分捨ててきた。その結果得たものはなんだろうか。「見た目はいいが機能性は低い」まるで国会議員のような、まるで週休2日制のような人間だけであった。理想の人格者になるために足りないものは、道徳の伸張(徳育)、身体の伸長(体育)だったはすが、知識の伸張(知育)まで足りなくなってしまった。それゆえ現在は教育のための包括的なプロセスは不完全にしか機能していない。愛国心についての議論もよい。しかし、今やらなければならないことは、教育の目的の再確認と今現在足りないものについての議論なのだ。
教育方針が時代によって変わるのは仕方のないことなのかも知れない。それをここまで書いてきた。しかし、私にはどうしても許せないことがある。
私の妹はど真ん中の「ゆとり教育」世代である。彼女はたまにつぶやく。
「わたしゆとり世代やねん。あほばっかりの世代やねん。」
ただ普通に生きていただけなのに、社会からは「理想的な社会の形成者」たりえない、失敗した世代だとレッテルを貼られてしまった。そんな彼女の言葉に潜む絶望がわかるか?彼女が失ったプライド、ゆとり世代の劣等感をどうしてくれるのだ。
教育の目的は、知育・徳育・体育の伸張による人格の完成にあると最初に述べた。ゆとりは馬鹿だと蔑む奴等。彼ら彼女らの劣等感を煽り、踏みにじって笑う奴等に言いたい。ゆとり世代だって立派な「社会の形成者」だ。馬鹿にするな。困っている子がいれば助けてあげる。泣いている子がいれば慰めてあげる。そう習ったはずだ。彼らの絶望に気付けないお前たちこそ、「徳育の足りない不完全な社会の形成者」だ。
完璧な人間はいない。ゆとり世代は不完全かもしれない。しかし、それをあざ笑う奴等だって、所詮は不完全なのだ。「ゆとり世代」。キャッチーなキーワードのせいで浮き上がってしまった世代。彼らを見下すことなんて、本当に下らないことなのだと気付いてほしいと思う。
相続税を高くして解決しようという根性が気に食わない。
例えば土地を相続した場合、その莫大な相続税が課せられる代わりにそれが払えなければ土地を売らなければならない。だが税金は待ってはくれない。
リートかなんかにして大きな資金をもってるところに土地を売り払ってビルを建てるよりほかない。
結局得をするのはそういう資本をもったところだけだ。
固定資産を受け取る代わりに税金を払わなければならないのだけど、払えるだろうか?
事業主後継者は不安に思う。
だとするとそれをあてにして個人事業主が事業をするのは困難だ。
小規模なところが事業を維持をするために掛かる税金が高すぎる。
日本の生産性が世界と比べても著しく低いのはここに端を発してはいないだろうか。
もともと固定資産税や相続税は大きな旧家や農家に対して土地を吐き出させるためにできた税率といっても過言じゃない。50年経った。土地移転は進んだだろうか?
農家は孫を戸籍上息子にしたりして相続税対策を相当練っている。
調べれば判るが駅近くにある小さなお寺が駅までの土地をまるっともっていたりする。
相続税?
資本がある程度あれば法人化できるし生前譲渡とか策を練らなくても財産移転はできる。
国会議員の資産等の公開が本当ならなぜ鳩山は40億、兄弟合計で80億も損できるほど資産を持っているのだろうか??
相続税なんかをあげたところで結局負担が増えるのは貧乏な対策も抜け道も探せない中流階級以下だ。
そもそも税金をあげて何につかっているのか?
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h20/h190911.htm
厚生労働省の22,160,406百万円の使い方を見直すだけで税金負担なんて相当変わる。
あと、再分配につかわれているとは思えない農林水産と国土交通の公共事業。
あとなにげにあちこちで予算食ってる文部科学省の体制を見直したらいい。
足りないからと税率変えるまえに、その事業ややってきたことが本当にタメになったのか、
もしくは将来的に投資にたる公益性があるのかはきちんと検証するべきなんじゃぬゎぃの?
制度を弄らなくても体制を変えるだけで十分だ。
君は出費がおいつかなくなったらといって今の職を辞めてもっと稼ぎのいい仕事付こうとするのかい?
職を変えるリスクの方が自分には大きいように思える。
初めて聞いた言葉なので調べてみた。気分が重くなる話だな。
集落を撤収する場合、杉林の大規模手入れは不要じゃないか?放棄して自然にゆっくり返したほうがいい。維持したところで、国産杉材の価格低下を維持するだけだ。価格が高くなって国際競争力が落ちるという話もあるだろうが、前門の狼、後門の虎だ。だったら、放棄したほうがいい。
とはいえ、完全放棄できないのがつらいところか、等高線にそって伐採して光を入れてやらないと、下草が伸びないんだよな。伐採した木を市場に出しても価格低下になるだけだから、その場に廃棄すればいいだろう。北海道を除くところでは比較的早く分解が進んで、下草の生育に循環して行くはず。
あと、放棄杉林の管理は何も林野庁に任せることはない。言っとくが彼らは花粉症と言う公害に責任のある部署だ。汚染者負担原則すらそっぽ向いている奴らに権益を残す理由はこれっぽっちもないし、そもそも自然に戻すのは文部科学省と労働環境省の仕事だ。林野庁は縮小でいいよ。
ところで鹿害なんて言われるが、やっぱり狼が必要なのかね。あまり気が進まないが。
こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。
本日のゲストは宗教や伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。
「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」
よろしくお願いします。
まず、もうイヴも終わりましてクリスマスに突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。
「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」
おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?
「ええ、おそろしいです」
それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。
「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」
日本が戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマスの商業化などと関係ございますでしょうか?
「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」
困ったこと、とはなんでしょうか。
「その前にこの映像をご覧下さい」
クリスマスー粉砕ー!
清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!
これはなんでしょうか。
「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモの映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」
笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。
「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」
まあたしかに、有名なところでインドや中国にもそのような思想はありますね。日本の新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。
「また、クリスマスは商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知は重要なのです」
クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。
「つぎに、この映像を見てください」
なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?
「いえ、今現在のアジアを日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」
宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。
「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」
これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。
「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」
幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。
「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」
じゅ、呪術?
「クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」
そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?
「目的は一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」
うわ?照明が消えましたね?
「文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」
誰ですかあなた方?警察?
「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!」
皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!
「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」
あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。
視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日もゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。
さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう。
そもそもゆとり教育がなんなのかって話しはWikipediaによくまとまっている。ゆとり乙とか言うやつは背景ぐらいつかんでるんだろうか。
1996年7月の第15期中央教育審議会第1次答申において、1970??80年代の団塊ジュニア世代頃の詰め込み教育、管理教育、受験戦争によって発生した校内暴力、いじめ、落ちこぼれ、勉強に追われる学生などにより、子供達の生活の現状にゆとりが無いことを指摘。その上でゆとりを持った教育環境においてゆとりのある教育活動が大切であり、仲間や教師と楽しく学びあいを行い、生きる力を身につけていくことが重要であると指摘した。この提言を受けて週5日制など「ゆとりの教育」が始まったとされている。具体的には週5日制に移行した2002年4月からいわゆる「ゆとり教育」が始まった。
そもそも校内暴力、いじめ、落ちこぼれ、勉強に追われる学生に対する対策として導入されたのがゆとり教育。その結果現在の教育現場はどうなったか。学級崩壊、加速するいじめ、ひろがる格差。電車に乗って遠くの塾に行き、必死で勉強をする小中学生。これが現実。
当然開始当初から学力低下への懸念はあった。勉強の時間が減るんだから、全体的に見てテストの点数が下がるのは当たり前だと思う。しかし、前述のような状況に対する非難ではなく、学力低下に対する非難をうけて方針転換する文科省はどうかしてると言わざるを得ない。非難する方もする方だが、される方もされる方だ。迷走する文科省のおかげでさらに現場は混乱するのだろう。
もうひとつ、今回各所で話題になっているPISAだが、文部科学省のページ((Home > 公表資料 > 統計情報 > PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査))によるとこういうテスト。
【調査の内容】より一部抜粋
PISA調査では、義務教育修了段階の15歳児が持っている知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかどうかを評価。
これって「楽しく学びあいを行い、生きる力を身につけて」いる学生ならきちんと答えられるはずではないだろうか。
ネット社会では「ゆとり」だから悪いと盲目的に非難される節があるが、何が悪かったのかを早急に考えるべきだ。もっと言うなら、ゆとり教育を受けたものを非難するぐらいなら、文科省のやりくちや、教師の怠慢のほうがよほど非難されるべきだ。
2007年9月10日、テレビ番組内で日本相撲協会批判を行った(日本相撲協会非難にうなづいただけ)、杉山邦博に対し、北の湖敏満名義で相撲取材証を没収した。この行為がマスコミに「言論統制」と非難され、東京相撲記者クラブからも抗議を受けた。「会友」ではなく「相撲評論家」の肩書きだったのが問題だったとして、12日になって措置は撤回し取材証は返還した。これからは「記者クラブに一任した上で」としたが、これからも同じような没収をする可能性にも触れたため、記者クラブとは溝が深まった。
2007年9月29日、時津風部屋での序ノ口力士が双津竜順一ら親方や兄弟子から集団リンチを受け死亡した事件を受け、文部科学省は北の湖敏満を呼びつけ事情説明をさせ、事件の真相究明や再発防止、類似事件の調査を指示した。北の湖敏満は渡海紀三朗文部科学大臣に対し「ご迷惑をおかけして申し訳ない」として謝罪した。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27623-storytopic-11.html
検定県民大会 歴史わい曲は許さない/結集し撤回への総意示そう 社説
声を上げる。このことがいかに重要か。教科書検定意見撤回を求める県民大会の大きなうねりは、県子ども会育成連絡協議会会長の怒りの電話に端を発する。県婦人連合会、PTA連合会がまず結束。連携の輪は県内はもちろん、県外まで異例の広がりを見せている。
そしてきょう、県民大会が開催される。実行委員会は当初5万人規模の参加を目標に掲げたが、歴史のわい曲を許さないという県民の決意は固く、目標を軽く超えるに違いない。
国・文部科学省は、大会をしっかり見てほしい。県民の怒りがどれほどのものか。歴史をゆがめることがいかに愚かなことか。
わたしたち県民がなぜ、こぞって反発しているのか。高校歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」記述から日本軍の強制・関与が削除・修正されたからだ。しかも、教科用図書検定調査審議会ではほとんど議論もなく、文科省の調査官が出した意見書に沿った内容で提言がなされた。さらに、審議会には沖縄戦を詳しく研究した専門家もいない。
沖縄戦当時、住民は米軍の捕虜になれば、女性は辱めを受け、男性は惨殺されるという情報を信じさせられ、恐怖を植え付けられていた。生き残る選択肢はなかったに等しい。
糸満市のカミントウ壕での「集団自決」から生き残った74歳の女性は証言する。壕内に砲弾が撃ち込まれたことで、入り口付近の日本兵2人が自決。直後、住民の「集団自決」が始まった。多くの家族が次々と手りゅう弾の信管を抜き、命を絶った。手りゅう弾を持っていたのは、家族の中に防衛隊として日本軍から渡されていた男たちがいたからだという。後は地獄のようなさまだ。「片目をえぐられた幼なじみ、内臓が出た人、足がもげて大声を上げて苦しんでいる少年」
別の生き残り女性の体の中にはまだ弾の破片が4個残っている。「集団自決」で破裂した手りゅう弾のかけらだ。60年も前にあったらしいというあやふやな事ではない。女性の体にある破片は、恐ろしい事実をわたしたちに突き付けている。
もし、当時の住民が「米軍に見つかったら決して抵抗せず、捕虜になりなさい。生き残れるかもしれない」と教えられていたら、どれほどの人が死なずにすんだか。恐怖に駆られた肉親同士が「早く死ななければ」と殺し合うことなど決してなかった。
文科省側は、意見書を付すに当たり、沖縄の地を踏んで調査していない。あまりにもずさんだ。このような認識で、「集団自決」の実相をゆがめられてはたまらない。検定意見をまとめた文科省の責任はとてつもなく重い。
最終目的は記述復活
就任したばかりの渡海紀三朗文科相は県民大会について「どういう大会になるのか、どういう意見が出るのかを見極めて対応したい」と、これまでの文科相対応とは違う含みを持たせた発言をした。
しかし見極める必要はない。沖縄側の主張ははっきりしているからだ。県と41市町村議会すべてが抗議決議し、大会には41首長すべてが出席する。実行委員会には老若男女、農林漁業、企業など多方面にわたる22団体が加わり、一致して検定意見の撤回を求めているのだ。
それでも見極めたいというなら、ぜひ大会に参加して、じかに県民の訴えを聞き、意志の結集を肌で感じてほしい。「集団自決」から生き残ったお年寄りの苦痛に満ちた証言を聞いてほしい。
大会では「子供たちに、沖縄戦における『集団自決』が日本軍の関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝えること(中略)は我々に課せられた重大な責務である」と訴え「県民の総意として国に対して今回の教科書検定意見が撤回され、『集団自決』記述の回復が直ちに行われるよう」求める決議を採択する。
思想信条を超え結集する大会は、歴史に刻まれるものとなろう。県民はそれほどの決意を持っている。
確認しておきたいのは、わたしたち県民にとって、大会成功が目標の達成ではない。あくまで、日本軍強制の記述の復活、つまり検定意見の撤回が最終目標だ。大会は、文科省を動かす第一歩であり、撤回実現まで要求し続けたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070909114426
ある時間内にどれだけの内容を処理できるかで成績が決定され、学力格差が生まれる。
文部科学省の偉い人は
・学力格差が起こることに都合のいい人はこの流れを推し進める。「学力格差があるからこそ今のポジションにいるんだ。」っていう考え方。
・「みんないっしょに足並みそろえて勉強しようよ。」って考え、結果的に学習する内容を減らす方向にいきたいっていう考え方。
みたいに分かれると思う。
どちらにせよ、覚えることを増やしてしまうのは
そのために、必然的に数学も、物理も、化学も工学も進化しないといけない。結果的に、専門教育を受けるための下地である初等教育に負荷がどんどんかかる。
勉強せないかんのはどの時代でもいっしょだが、勉強してどんどん苦しくなるのは「科学技術による生活の利便性の向上」の代償だと思う。
被告のJASRACの主張も、判決も、カラオケ法理を前提にしているから、カラオケ法理を理解したほうが分かりやすいです。
カラオケ法理を詳しく知っているわけではないけど、自分が理解した範囲で書きます。
元にした資料は、文部科学省のページから。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/05072901/004-2.htm
カラオケ法理というのは、著作権の利用をしているのは誰かという、主体を考えるときの理論で、著作権の侵害を考えるときには、侵害者は誰かを考えるときの理論です。
著作権の侵害者は、一般には、複製や公衆送信をした人です。だけど、特定の場合には、サービスを提供した人が著作権の侵害者(主体)になります。このような、サービスを提供した人を著作権の侵害者とするための理論が、カラオケ法理です。
このカラオケ法理というのは、P2Pファイル交換サービスのファイルローグ事件のときにも適用されました。
ファイルローグ事件で、どんな条件を満たした場合にカラオケ法理が適用されたかというと、上記リンク先にも書いてあるとおり、
a)同サービス提供者の行為の内容・性質、
b)利用者のする送信可能化状態に対する同サービス提供者の管理・支配の程度、
等を総合斟酌して判断すべきとされました。
そして、今回の訴訟では、
ア 目的
本件サーバにおける複製は,音源データのバックアップなどとして,ファイルを単に保存すること自体に意味がある
のではなく,原告の提供する本件サービスの手順の一環として,最終的な携帯電話での音源データの利用に向けたものであり,……携帯電話にダウンロードが可能な形のサイト(本件サーバのストレージ)に音源データをアップロードし,本件サーバでこれを蔵置する複製行為は,本件サービスにおいて,極めて重要なプロセスと位置付けられる。
イ 行為の内容
説明図4において本件サーバに管理著作物が複製されることは,当事者間に争いがない。
ウ 本件サーバの役割
本件サーバは,本件サービスにおけるこのような目的を実現するため,原告が所有し,管理して,維持運営する専用サーバであって,それ以外の役割を担うものではない。
エ ユーザの役割
個々の3G2ファイルの蔵置について,その操作の端緒として,インターネットを経由したユーザの行為が観念できるとしても,ここでの蔵置による複製行為は,専ら,原告の管理下にある本件サーバにおいて,行われるものである。
オ 有償性
原告の提供する本件サービスは,前記1(1)認定のとおり,ベータ版での試用では,月額料金が当面無料とされているが,当初から,有料化と機能の拡張が予定されていた。
と裁判官は認定しました。
このことにより、本件訴訟では、カラオケ法理が適用されたのです。
で、増田さんが書かれた、
サービス上の仕組みがここで定義する管理著作物以外のアップロードを不可とする仕組みではなく、管理著作物以外のデータの配信が可能であるという事は、自由な内容のコンテンツをアップロードできる掲示板や一般のストレージサービスと本件は同じであるという事になりかねないんじゃないのかな。
は、自由な内容のコンテンツをアップロードできる掲示板や一般のストレージサービスが、上記した内容・性質から考えると、音楽著作物の複製のためのサービスではないので、カラオケ法理が適用され難いと思います。
また、
殆どの掲示板や一般のストレージサービスにアップロードされるコンテンツの複製権及び公衆送信権はアップロードしたユーザにあり、アップロードの過程や内容に全く関与する立場にない管理者がこれらのコンテンツの複製権及び公衆送信権を持てない
管理者がアップロードの過程や内容に全く関与する立場にないのであれば、カラオケ法理は適用され難く、この点で本件訴訟とは異なるのではないでしょうか。
さらに、
アップロードされるコンテンツが(結果として)JASRACの管理著作物ばかりであるとして、しかしこの判決に則るのならば配信サービスを提供する場合にアップロードされたファイルに対して許諾を受けなければいけない事に変わりは無く
カラオケ法理が適用されるなら、許諾を受けなければいけないでしょうね。本件では、原告は、被告のJASRACから許諾の申し出があったのでサービスを停止して、本件訴訟でJASRACには差止請求権がないことを確認しようとしました。
カラオケ法理が適用されない掲示板等であれば、許諾を受ける必要は無いでしょう。
>>・最近近隣諸国が危なそうなので、防備はきちんと固めて欲しいと思っている
固めて欲しいとは思うが具体的にどうやって?
海自を固める前に海上保安庁がもうちょっと権限と攻撃力を与えるとかからやった方がよいと思う。
>>・上に関連して、憲法が変わっても別にいいと思っている
気持ちはわかるけど個人的にはイヤ。
憲法かえなくてもやっていけるところからやってほしい。
>> ・韓国には殆ど興味がないが、中国との領海問題や日本海の汚染問題には関心がある
>> ・上に関連して、中国よりは米国と仲良くした方がいいんじゃないかと思っている
国境や領海が接していたら中韓と同じかそれ以上なことになってたかもね。
>> ・君が代・日の丸問題を見ると、いいじゃん国歌くらい歌えば、と思う
そういう言い方だと、いいじゃん国歌くらい歌わなくても、と言いたくなる。
君が代はそんなに嫌いじゃないし、歌うのにやぶさかではないけど、
問題が大きくなってるので歌いにくいなあ、とは思う。
> ・君が代不起立で処罰は右傾化だ云々、と見ると、公務員なんだし仕方ないんじゃないかね、と思う
どっちもどっち。どっちも醜い。でもここまでこじれるとどうすりゃいいのか端で見ててもわからなくなる。
でも文部科学省も強制はしないと言って導入したのに実質強制してるってのがちょっと気に食わない。
> ・フェミの問題は地雷が多いから近づかない様にしている
フェミはウヨとは関係ないと思う。
> ・外国人参政権の必要性は理解出来ない
理解できない。
言いたいことは分からんでもない。
ただ、少し気になる点がいくつかあったので指摘させてもらいたい。
かつ流出させたのが文部科学省管轄の某機関なので、事の重大さは計り知れないものであった。
と書いてあるが、本当だろうか?みんな釣られたのではないか?
駿台予備校(駿台予備学校)は、学校教育法の定める専修学校なのだから、文部科学省管轄だろう。嘘は言ってないと思う。
文部科学省管轄の某機関とかかれて、一瞬大学入試センターと誤認することはあっても、だったら『大学入試センター試験』と書くかなあ。
予備校が集めた受験生の自己採点結果が漏れただけである(だけではないが…)。それをあたかも「大学入試センターから流出した」と見せかけているのだが、この件についてコメントをしている人はほとんどいない。
うーん、見せかけているというのは少し大げさではないか。それに写真を見れば、流出させたのは予備校だとすぐに分かるから、だまされるという感じはしなかった。
それと、http://anond.hatelabo.jp/20070327013830の人もいっていることにも関係するが、
「批判的読み」「批判的読み」と口に出して言っていても、結局のところ「自分でもっと調べてみる」という行動をしていない人は、意外と多い。
と、
とを比較して、ある程度の真実を追究することが割に合わないと判断したとき、人は「自分でもっと調べてみる」ことをやめるのではないか。そして、あなたが追究する真実は、おそらく多くの人にとって割に合わないほどレベルが高いものなのかもしれない。
ある文章の読解だけが求められている状態なら、その文章について深く調べるべきだろうが、ある文章を読んでいる人が、必ずしもその文章を読む必然性があってその文章を読んでいるとは限らない。
「○○が言っていたから信じる」「情報源が○○だから信じない」というステレオタイプな考え方も、「自分はこの方法で自分で真実を追究するよりより少ないコストでより大きな利益を得てきた」という経験則に基づいた判断((正しいかどうかはともかく))がなされている結果なのだろう、と思う。
もっとも、"有名人の日記・ブログにも批判的読みをしなくてはならない事例"の著者さんは、人一倍真実の追究に熱心だからこそ、「他人に真実の追究によって発生するコストを負担させておいて、自分は真実を追究することによって得られる利益ばかりを得るような人」に対して、
「何かあるなら誰かがいってくれるだろう」という態度からは何も生まれない。
と批判したくもなるのかもしれない。
しかしある程度の真実を追究しないことによって発生するコストを被るのも、原則彼らなのだから、言いがかりでもつけてこない限り放っておけば良いのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/softether/20050114
もはや二年前のことになるが、ソフトイーサ株式会社社長登大遊氏が「大学入試 センター試験 データ流出の当事者は私です」と語った。この記事には
かつ流出させたのが文部科学省管轄の某機関なので、事の重大さは計り知れないものであった。
と書いてあるが、本当だろうか?みんな釣られたのではないか?
2005年に流出したのは駿台予備校がセンター試験後に受験生に学校や書店を経由して求める自己採点の情報である。駿台の「データネット」の情報が流出したに過ぎないのだから、文部科学省も大学入試センターも何の関係もない。氏のあげている画像もチェックしてほしい。
http://f.hatena.ne.jp/softether/20050115022912
予備校が集めた受験生の自己採点結果が漏れただけである(だけではないが…)。それをあたかも「大学入試センターから流出した」と見せかけているのだが、この件についてコメントをしている人はほとんどいない。駿台から流出したと読み取れない文章ではないが、「ああ予備校から流出したのか」と考えた人はほとんどいないだろう。予備校から流出したとわかった人も、「大学入試センターが予備校に配信した成績情報がもれたのか」などと考えた可能性だってある。つまりどこから何が漏れたのか、あやふや過ぎて逆にそれが事実無根の情報が流布される要因となってしまっているのだ。
おそらく氏は駿台のシステム「インターネット・選太君」を見てそのシステムに関心を持ちセキュリティホールを発見してのだろうが、そこに大学入試センターはまったく関与していない。
これは単なるひとつの例である。この例を通じて私が言いたいのは「有名人の日記に対しても批判的読みをしなければならない」ということだ。有名人の言っていること、語っていることがすべて正しいとは限らない。その認識がいつも正しいということは必ずない。ちなみに上の件をGoogleで検索すると、今さかんに「情報の取捨選択能力を」と唱えている人が「知らなかったけどこんなことあったんだ。文部科学省だめね」といっていて、非常にこっけいである。
もう2年前のことではあるが、しかし現在にも通用することなのではないか。「批判的読み」「批判的読み」と口に出して言っていても、結局のところ「自分でもっと調べてみる」という行動をしていない人は、意外と多い。「何かあるなら誰かがいってくれるだろう」という態度からは何も生まれない。
http://anond.hatelabo.jp/20070226154533
せっかく、学歴の枠を超えた成り上がり(?)を示した人が出たことですし。
教育の方向はまだ迷走(?)しているし。結局、どんな人物を作りたいのかさっぱり分からないまま、
走っている。創造的な人間と言っても、まず上(文部科学省)が創造的ではない。かつ、指令も創造的ではない。下(一人の先生ね)にどうしろと。
公学校でも私学校でない、第三の教育方法が、そろそろ現れてもいいのではないだろうか?そのルートが一般的になれば、オープンソースの彼みたいに、新しいことを目指す人が増えるのではないか?そうすれば、学歴も付帯的な要素でしかなくなって、今みたいな絶対学歴みたいなこと(もちろん親)を考える人も少なくなると思います。