はてなキーワード: 必然とは
二時間近く経っていた。 吐きそう。 きもちわるい。 内臓が重い。
思わずひきこもっていた部屋を出て、好きな音楽を聴いたりして、
くだらないテレビでわらいながら両親とどうでもいい話をしたり、
重圧しか感じないし、まだ不安は消えない
けど、これはこれでいい傾向なはずなんだ。そう言えよ誰か。
高校の時メンヘラってた頃から筆をとりはじめて、一二年狂ったように小説を書きまくった。
短編を一週間にひとつは書いた。三百枚だか四百枚の長編を書き上げた。
自分の肉を削っては丸めて、自分の血を吐いては塗り固めて、そうして無様に書き続けた。
幼稚で稚拙だったけれど、身内はこぞって賞賛してくれたし、涙を流したひとさえいた。
祈りながら書いた。海辺で砂のお城を建てるような、緻密な指先で。その城で暮らせるあの子を思い浮かべて。海抜数十メートルからの景色をまぶたの向こうに見やりながら。
オリジナルの文芸理論を組み上げて、誰でも小説が書けるシステムを構築した。 科学的に考証した設計図は、何よりもの安定剤となった。
これさえあれば、人の心をつかめる。だれかの心の中にいられる。 この城はじょうぶできれいだから、みんな安心して暮らせる。 みんなよろこんでくれる。
そう思い込んだ。 価値創造だと言いくるめた。 自分の身長ほどもない砂の城にしがみついた。 ひとりぼっち夕暮れの海。
つもりだった。 図に乗った。 しがみついたら、くずれ落ちた。 日は落ちていた。 なぜか震えている僕。 かじかんでキーボードがうてない。
受験勉強に追いつ追われつしてうまく合格してそれから半年以上経って、いま僕はなにも書けていない。
無い能力が枯渇したら自分の存在意義さえ否定されそうで……っていうのは、うそだ。
でも書くべきだし、書きたい。何より、自分の書いたものを僕自身が読みたい。超読みたい。
だからこうして、また苦しみはじめた。砂浜に、引き戻した。11月8日。つめたい指を 必死で もみほぐす。
音楽でも絵画でも、創作せざるを得ない人間が生み出した作品は 圧倒的 だ。
程度の差こそあれ方法論なんかより“作者を潰しかねないほどの必然”こそが傑作を生むのだ。
卑近な例で申し訳ないけれど、僕だって安定剤におんぶにだっこだった頃が一番活動的だった。
だから、 つまり、
こうして気分が悪くなってることは からだ が創作意欲に燃えはじめたって解釈していいはずだ。
他人を困らせたり迷惑を掛けたりしなければいい。それは十分学習した。なんなら体罰も再履修する。
そこさえ注意すれば、そろそろすごいものが作れるはず。 シンデレラ城だって夢じゃないのさ。
言い聞かせる。火を灯すように、指先をもむ。
ていうかそれを信じなきゃやってらんねえんだってば。
トムヨークは『病気と芸術を結びつけるのはアホだ』みたいなこと言ったしそれはそうだけど。
そういうのじゃなくて、一応 生みの苦しみ ←これでいいだろ?
彼女から連絡が薄くなったのとか友達がいろいろ勤しんで離れていくこととか他人への信じられなさとか臆病とか自己嫌悪とか駅のホームでなんとなく身を投げたくなることとかメールの来ない携帯電話をベッドにたたきつけたこととか正しさとか愛とか自分の中の暴力性とか卑怯さとかこんなやり場のない自己陶酔とか腐臭漂うナルシシズムとか癒しなのか慰めなのかわからない日々のオナニーとか不感症とか人格障害とか甘えとか足りない皮膚感覚とか愛とか = 生みの苦しみ
いいって言えよ誰か。誰か!
こんなものを書いてるエネルギーをどっかにちゃんと使用してればいいのに。
疲れていて、でも身の回りの人は心配させたくないから増田にこう書いて自分を癒す (汚いもの見せてごめんなさい)。
よかったら、今までの文章なんかぜんぶ無視して誰か僕に「おつかれさま!」と言ってください。みなさん迷惑かけてごめんなさい
冤罪押し付ける可能性あるから女は女性専用車両に乗れ、乗らない女は痴漢されても文句言うな。と言われるので、なんであえて女性専用車両に乗らないのかを書いてみます。
1.乗り換え不便
2.くさい
3.ヒールに踏まれる
4.痴漢なんかほとんどあわないし、あっても訴える気ない
大きいのは1ですね。
女性専用車両はたいてい最後か先頭の車両なんですが、これが乗り換えに死ぬほど不便。
社会人の皆さんはわかると思いますが、ラッシュアワーの駅の階段ってほんとアホほど混みます。階段の近くにとまる車両にいないと、乗り換えにかかる時間が10分くらい違ってきます。駅のホームについてから階段をおりきるまでに5分かかります。
というか東京の電車って長いので(上京した田舎ものは間違いなくビビる)、ラッシュアワーじゃなくても普通に時間かかります。どうして真ん中あたりの車両に比べて先頭や最後の車両がすいているのかというのを考えれば、あんまり便利な車両じゃないことは自明でしょう。
2.くさい。「香害」というやつです。
スタイリング剤だか香水だかわかりませんが、いろいろ混ざってて、とくに朝はツライです。
なんせ朝につけたばっかなので、「かおり」じゃなく「におい」なんです。
3.については、女性専用車両に限ったことではないんですが、私は実際に女性専用車両でヒールブーツに踏まれて、足の親指の爪が割れたことがあります。会社について見てみたら血まみれでした。トラウマかもしれません。
混んでる電車にヒールで乗るなよバカ女が。と思いました。たいていそういう女性は香害も撒き散らしています。死ねばいいのに。
化粧をきちんとして、髪をこげ茶に染めて整えて、膝丈はある長さのスカートを履いて、ちゃんとストッキングをはいていれば、まず痴漢に狙われることはありません。
ああいうのはミニスカートに生足の学生か、極端におとなしそうな(化粧とかほぼしてない感じの地味な)女性が狙われるものです。
自分が社会人になってから痴漢にあった経験を思い返すと、胸元のゆるい服を着ていたとか、ヒップラインがわかる薄手素材のスカートをはいていたとか、「いかにも男性を誘いそうな」格好をしていたときだけです。
会社に行くのにそんな格好をする必要はありませんから、必然的に、普通にしてれば社会人は痴漢にあわないです。
あと、たとえ痴漢されても訴える気ない、というのは、捕まえてたら会社に遅刻するからかまってられない、という心理です。
面倒そうだし、遅刻すると当然その分収入がマイナスになるので、やりません。
まぁさすがに挿入されそうになったとかいう次元なら訴えるかもしれませんけど、ナマ乳多少もまれたくらいなら、時間がもったいないほうが勝ちます。
最後に、女性専用車両に乗る動機というのにも少し触れておくと、比較的すいてるから。これだけ。
乗り換えに不便な先頭車両とか最後車両がすいてるのはあたりまえですし、しかも男性は乗れないんですから、すいてます。
事故で遅延とか起きてて、普通の車両には乗れなさそうなくらいの混みっぷりのときは、女性専用車両を使います。
女性専用車両の利用者は、みんなそうなんじゃないですかね。
別に痴漢を恐れてるわけじゃないとおもいますよ。おばちゃんとかおばあちゃんとか多いし。
痴漢被害を少なくしたい(痴漢冤罪を防ぎたい)というんであれば、女性専用車両じゃなくて、女子高生隔離車両でも作ったらいいんじゃないでしょうかね。
求めているものはコミュニケーションなんだろうと思う。
しかしながら、非コミュはコミュニケーションの恩恵を受けることは出来ない。むしろ、百害あって一利なし。薬にならない。毒にしかならない。だからこそ非コミュは必然的に一人の余興をネットに探すことになる……が、ネットでやるべき事かと非コミュであるが故に考える。一人でいいならローカルネットワークがある。非コミュがネットにもとめるものの大半はオフゲーや書籍やROMや配信動画閲覧で事足りる。
周りを見つつ、静かにしているのも楽しいかも知れない。
そう思った時期もあったが、やっぱり釈然としない。ネットをノートに、ネットをメモ帳にして、コメントなどただの字だと扱っていたときもある。画面の向こう側など考えたくもないから考えない頃もあった。非コミュがコミュニケーションを求めても仕方ないかなーとか思ってもいたが答えが出ない。自分だけ書きためていても面白くないからこうやってぶちまけることも多いが、ネットからコミュニケーション面のみを取り除いたら面白いようで面白くなくなるんだ。
ある人は言った。コミュニケーションのないネットに何があるんだ。
情報があるじゃないか。作業があるじゃないか。俺はそう返したし、実際にそうやって楽しんでいた。でも、釈然としない。たまに人付き合いのうまい奴が羨ましくなったりして自分もやってみて、予想通りの大失敗をしでかしたりするから目も当てられない。非コミュであるが故に、すぐさま一人の作業場に逃げ帰ったけれど、どれもこれもネットでするまでもないんじゃないかと思えてくる。思えてくるから、こうやった記事投稿も書きにくくなったりする。
俺はネットに何を求めているんだろう?
誰かとの触れあいなら欲しいと思うけれど、何かしら失敗がないかと怖くなる。だったらない方がいいのかなーと思うけれど、もやもや。情報の固まりみたいなものとか延々と読み物を読むとかも楽しいけれど、なんだか、延々と終わりの見えないワイドショーばかりを見ている気分になる。それも、コンビニで売っている週刊誌の劣化版。誰のことかも分からないような話題でどこもかしこも盛り上がっている。気色悪い。気持ち悪い。吐き気がする。
で、やめればいいけれど、何が俺をネットにやらせるのか分からない。
ネットの中なんてからっぽだとおもう。何もない。コミュニケーションをはぎ取ったら終わりのないワイドショーくらいしかない。
そう思うときはいつも勝手にプラグを抜いているからいいんだけれど、でも、俺は何がしたかったのかなーと思う。毎日毎日無駄な時間費やしているわけでもなし。何か意義があるんじゃないかと思ってやっている。ジャンクに面白いことを言う奴を探しまくっていただけなようにも思うし、案外そうじゃないのかも知れない。暇つぶしにやっていただけなら、まあ、それはそれでいい。激しく気持ち悪いが。
どうせ、明日もやることがなく何も考えずにつなぐんだろう。せめて何か目標作ってからやりたい。何か作りたいけど何も思い浮かばない。
誠実・厳格に生きて成果を上げ、高い評価を得るほどの人生を歩んでも、やっぱり誠実・厳格ではない誰かの奔放な人生が魅力的に見えるのかな、と思った。でもきっとその奔放の人だって、老境ではもっと規律ある人生もよかったなんて思うんじゃないか。
誰でも、ときに誤魔化しや逃避したりしながらも、だいたい一生懸命生きているよね。そうである限り、僕らの人生って最終的にはあたかもそれが必然であるかのように決着する(?)。ならば、違う人生もあり得たと思ってもしょうがないんだけど、そう思ってしまうのもまた、人間なのか。
数日前かそこらに高名な経営学者が95歳で書いた詩を紹介する記事があって、僕はその人のことを全くと言っていいほど知らないけどそこから勝手に想像して思ったこと。
なんかもう、ワケ分からん。まず、スポーツ好きな人が分からん。
野球好きのおっさんは自分がひいきする球団の試合見て一喜一憂するし、キッズどもは、通過儀礼のように野球チーム入って、坊主にして、練習に励んじゃう。
そんで、文集に○○選手のようなプロになってお母さんにラクさせたいとか言う。
それ、100%言わされてるやん。サッカーにしろ、他の陸上にしろ水上にしろ、何であんなにファンは熱くなれるのかわからない。
カッコイイと思うのはイメージの刷り込みでしょ。
へえへえ、私は競争本能が薄れた弱者ですね。君たちは思うさま、私を睨みつけ、嘲笑し、勝ち誇り、情けをかけなさい。とにかく、なぜそんな全世界中がスポーツに熱くなれちゃうのか。
スポーツは戦争の代わりだ。全然健全じゃないのに、なぜ「僕たちスポーツ観戦をたしなむ善良な市民です」みたいな顔するのか。
なぜそんな、競争させて優劣付けたがるのか。
確かに、一番熱くなれるエンターテイメントなのかもしれない。
確かに競争がないとシラける。みんなでお手手つないでゴールするリレーでは、本当の平和を体現できているとは言い難い。
その子ども達は次の日からテストで優劣を決められ、偏差値で人間性を決めつけられる。そうなのだ。確かに社会に生きる上で競争は必然だ。
え?本当に?ほんとに生きることって競争なの?競争しない社会は不可能なの?競争が必要な社会を作ってるから、オリンピックみたいなのに熱くなれちゃう人も出てくるんじゃないの?
競争させて得するのは誰?感動を共有できた気になってる観衆?いや違う。得するのはカネを得る人間、主催者側だ。
平和とかきれいごとぬかしてんのも主催者。(「平和」なんて、選手が戦ってる最中に考えてるワケがない。全てエライさん同士のご都合。)
当然、私と同じ、スポーツなんぞどうでもいい派の石原都知事はどうでもいいスポーツ予算を削り上げる。「どおでもええんじゃ、スポーツなんぞとっとと廃れろ!」
と言ったかどうかは知らんが、
石原都知事個人にとってスポーツはどうでも良かった。しかし「東京都」という視点に立ってみれば、オリンピックほどおいしい話はない。
もし東京がオリンピック開催地になれば、苦しい借金を一括返済、それどころかあまった利益で毎日遊んで暮らせる!
このオイシさに気づくや否や、早速、石原都知事は地域活性化計画をでっち上げ、オリンピック招致を開始。
ところがこれに民衆は怒る。「なんだい、さんざんスポーツ予算削ってたくせに!あいつ絶対私腹を肥やそうとしてるだけだろ!都市開発なんて、一体どこの東京都民が望んだんだ!」
で、結局土地も向いてない、という直訴が通じたのか、招致は失敗に終わった。
路線指定されているのは活動場所の問題。あとは時間厳守の制約があるから。
たとえば千葉Aに登録したけど、茨城Aに駆り出されるとかがあるんだ。
俺、埼玉とか神奈川もいったよ。事情は業種の問題。仕分けとかやろうとしたら大変な事になった。
必然的に高い路線を使わないと「時間的に間に合わない」からそこを使ってと言われる。高速鉄道使わないと無理とかもざら。
で、千葉って一部の路線が破格に高くなるから、下手に遠征を行うと「ギャラより交通費が高ぇ!」ってなる。
もちろん、給与は登録した場所に取りにいけって事。
他の場所でも試したことがあるけど、色々と問題があって「いけねえよ!」って思ったこともある。田舎の方が悲惨かも。
あとは、あれか。
路線使えば時間的に間に合うと解釈された場合は容赦なく仕事を采配される。
「かね、ほしいよな? やるよな?」って感じ。産廃廃棄を回されてバックレたやつの尻ぬぐいされた奴とかもいたよ。
うまい仕事を見つかるとみんな群がるから、あぶれたやつほどろくでもないのを回されると。ブラックも真っ青じゃないかと思った。
GPSはないけど、定時連絡をしないとペナルティが来る。ばっくれるやつがいるから。
ばっくれたばあいは違約金の支払いが待っている。遅刻・早退扱い判定も結構きつかった。
手取りが薄っぺらくてもやらなきゃいけないやつはきついだろう。
集団や種に対しての淘汰は、遺伝子(遺伝子群かもわからんが)に対する淘汰の結果として表れる、と私は理解しているよ。
なぜ遺伝子(や遺伝子群)かといえば、それが恐らく淘汰圧のかかる最小単位だから。
だって結局、その善意って自分或いは自分の属するものを優位へ導くためのものに過ぎない。善意によってそれ以上の見返りを得ず、損をするならば、必然的に淘汰される。もちろん、期待値的なものや保険的なものもあるので、ある善意によって必ず得をするわけではないだろうけど。
ただ、私が前記事で「他者」の範囲を述べていなかったのは落ち度があったように思う。血縁者は近しい存在なので、それに対する施しは遺伝子的な利益も非常に大きく、見かけ上大きな損失を払ってでも行う価値が存在しうるので。
ほぼ必然的に従妹等の親類となるけれど(略)、これは両家関係を巻き込む大問題になりかねないから、非常に危険。ちょっと縁談仄めかしただけで家ごと疎遠になってしまったし……
端的に、「俺に女をよこせ」と言っているようにしか聞こえませんが。
恋愛や結婚は、二人のコミュによって成立する。二人いなければならないし、いたとしても一方通行では成立しない。
職場によっては、まず出逢いそのものが無い。女性率5%しかも殆どどっかの主婦なんて職場はごまんとある。職場内独身率9割など、ざらだ。
誰かに紹介されたとしても、話が出来ない。(私の場合)同僚とは仕事一般の話くらいしか出来ない。まして今迄まともに話したことの無い女性相手では、話が続くわけがない。我々の日常の雑談……Fujitsuの基盤がどうだとかH8の使い勝手がどうだとか話したところで、そんな話で盛り上がれるのは同業者くらいであり、通常、まず何を話してるのかさえ理解されないのは目に見えてる。
そうなると残るは昔話や何やらで盛り上がれる人ということで、ほぼ必然的に従妹等の親類となるけれど(女友達なんていたことあるわけがないどころか、嫌悪以外の感情を同窓生の女性から聞いたことがあった憶えがない)、これは両家関係を巻き込む大問題になりかねないから、非常に危険。ちょっと縁談仄めかしただけで家ごと疎遠になってしまったし……場合によっては出奔しなければならないので、さすがにそこまで勇気のある人はほとんどいないだろう。
今にして思えば、全てが後手後手すぎたんだとは思う。一般的な服飾美的感覚も金銭感覚も時間感覚も女心も無いわけで、もはや何処から手を付けて良いかさえわからない状態で、職場は殆ど独身者なのであてにならないし、たまに茶々を入れてくる昔の友人も、いまでは進みすぎていて逆に参考にならないし。たぶん小学生の男女のやり取りからやり直す必要性があるのだと思うけど、さすがにもう手遅れっぽい気がするし。
そもそも、見えない相手のためにシャドーボクシングよろしくどうこうするのが、何か違う気がする。
だいぶ前ですが、mixiが株式を上場するのと前後して急激に路線を変更した。テレビ番組が「低学歴」「社会不満層」「下流」と括られる人々に向けて作られ、その質や番組作りのモラルが問われるご時勢ですけども(その最たるものが安上がりなだけが取柄のバラエティ番組とか、パチンコのCMとか、茶番なだけの報道合戦やみのもんたの舌禍ですね)、mixiも携帯認証を認め、年齢制限を緩和し大量にそういう括りで見られる人々を、ただ集めた。集めたはいいがフォローしたり啓蒙することを怠ってきた。肝心のインフラや雇用が未整備で都市型スラムが生成されてしまうのと同じような過程を踏んでしまったんですよね。つまり、大量のライトユーザと若年層が増えることで、全体の質が下がる。それにつけこんだ業者や犯罪も増える。結果的に生活環境はひどくなり、人は減り、世間からも糾弾され最後は存在自体が忘れられるか葬られる。いまじゃマイミク以外に積極的に足跡踏んでくるヤツはMLMとFX勧誘してくる業者かその信者、頭も尻も軽そうなネーチャンの援助募集と相場が決まってますからね。「足跡帳」ってわざわざ作ってあげてるのにただ踏みに来るだけ。この人たちは日本語が不自由なんでしょうか?でも携帯をいじれるくらいの知能はあるようですね(笑)で、そういう連中がガキを相手に営業活動してる。事務局も規約で謳ってるくせに取り締まろうとしないですし。いったいなんのための規約だよ、と灰皿を無闇に叩きつけたくなります(苦笑)
大阪市における弱者救済のための社会政策が、結果的に西成の生活保護率の異常な高さとそれによる市の財政危機を生み出し、さらにはそういう人々をエサにピンハネで懐を肥やす手配師。暴動を煽るプロ市民に麻薬を路上で売るヤクザ。mixiって例えたらそういう場所なんですよいま(苦笑)
「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」で有名な割れ窓理論*3というものがありますけども、そっくり当てはまる気がしますね、いまのmixiって。
「誰が見てもすぐ理解できる」
「みんなが参加できる」
それがこの体たらくです。必然的にもっともレベルの低いヤツを基準にしなきゃならないでしょ?それってテレビが衰退した事例と似てませんか?積極的に情報発信する人間がますます減り、ただ受け身なだけの人間が増え続ける。で、登録制ですもんねいま(まだ?)。招待制なくなって。
せめてmixiだけはそうなってほしくなかったですけども。そういうテレビを好んで観る層が大半を占めてしまったいま、それを望むのは贅沢なのかもしれませんね。
そういえば最近GREE真似て?mixiもついにあのアプリとかいうのを実装してしまいましたからね。質より量を、さらに促進しようという方針です。これはもうやばいなと。受け身でつまらない場所にしかもうなりませんよ。こないだも違法な動画アップでお騒がせな事件があった。西成の第○次暴動みたいに報道すらされなくなったらもう潰れますね。mixiはそういう場所なんだって認識されて。いや、もうされてるか(苦笑)もう続けていくのはやばいなとは思ってますけども、惰性でまだやめてません。どうせならその崩壊まで見届けてみたいという悪趣味な視点もありますしね。どんな事件でmixiが壊滅に追い込まれるのか(苦笑)
目的別にブログを複数持つのは、なかなか効果的な手段だと感じた。
意味合いが多少違うが、「身内には口外できない趣味」を持っているような例でも、それは有効と思われる。
同人誌描きなどは特にそうだと思うが、世間の価値判断基準からすれば口外するのをはばかられるようなジャンル――エロ絵・猥褻系(SM・猟奇・GLBT・女装など)・ドラッグなど薬物系・軍事系・その他――に係わる事をつづるブログの大半は、ざっと見た限りは匿名で綴られているものが多いように思える。
そして、それらブログの著者の大半が匿名・職業も非公開であるのは、ひとえに「社会的生命の喪失」を殊更に恐れることの裏返しにほかならない。
残念ではあるが、社会的に逸脱した趣味を持つ者たちは古来からも『カブキ者』として排除されるのが日本の社会というものである以上、ブログが浸透しつつある現在においてさえ、そういう者達が「日の当たる存在」になることが無いのは、一種の宿命なのかもしれない。
作家やミュージシャンなどはそうと聞くが、「定期的に喉元までゲロのようにこみ上げて来る(by大槻ケンヂ)」衝動を文字・音楽・絵画といった形で吐き出さずには生きていけないタイプの人たちというのは、確実に存在する。もちろん中には、そういった衝動を『芸術』にまでたからしめる事で、アーティストとして糧を得て生きていける者も居ることは居るだろうが、同時に大多数はそういった懊悩を抱えつつ他の手段で生計を立てざるを得ない。
また性的・その他「収入手段にはほぼなり得ない」ような妄想がふだんから頭から離れず、さりとてそれを忘れ切る事もできない者など、世間にはゴマンと存在する。そういった者の多くは、「こんな自分は、ひょっとしたら病気なんじゃないか」と自覚しつつ、そういった悩みを他者に不用意に語ったり・あるいは知られたりして、自分が周囲や社会から「好ましからざる性癖の者」として排除される事を恐れ、だが同時に「こんな自分を分かってほしい・できれば趣味の同じ者どうしで語り合いたい」といった欲求を持っているものである。
だいたい、一般人かどうかを問わず、職場・家庭・趣味などの各面で「外部に見せる顔」が違うのは、じつは当り前の話でもある。
特徴的な例で言えば、プロ野球選手の山本昌が趣味の世界では「ラジコンキング」であったり、本職が音楽・ゲーム製作のプロであるにもかかわらず『ニコニコ動画』へPV投稿を行なう、などの行動が挙げられる。
もっともこれらは、実名・顔バレが起きてもさほど差し支えは無いジャンルでの話だが、一方で「一般社会でも有名な声優がエロゲ・エロアニメに出演」などになると、オモテ側での商業活動に偏見を持たれる要因ともなりかねない以上、必然的に“隠す”方向に傾くのは多少は止むを得ない話ではある。
それにそもそも、日本の社会は歴史的に『ホンネとタテマエ』を使い分ける事で成り立ってきた経緯がある。公の活動はタテマエで回し、夜の居酒屋などではホンネを吐く。良い悪いの問題ではなく、『そういう“二階建て”文化』を我々は現在に至るまで営々と構築してきたわけで、そうなれば「日常では言えないホンネを、ブログでは開陳する」行動に走る欲望を、誰が止められるというのか。
しかしよくよく考えれば、こんな事を延々と増田に書いてる時点で、しょせんは俺も同じ穴のムジナなのだろう。
というわけで、少しだけ本音を言わせてもらうならば
という事です。わらい。
■今や一部で「新海誠」「秒速5センチメートル」「戻れない過去と今」な曲になってしまった?曲ですが
■これが「月とキャベツ」っつう山崎本人が出演した、彼女が死んだ男の話の映画だという事があまり知られていないようで残念。
■どちらかというと、自分の隠しNO1曲が十数年後に発掘ではなく新出の如く騒がれスタンダード曲になったのがアレなだけですがw
有線で流れたのを初めて聞いた時、忌野清志郎が歌ってるのかと思った。
(忌野清志郎がこんなバラード歌うのか!と変な感心をしたが、すぐに違うと知る。)
本屋で噂の男の子(女の子と別れた後も女の子が好きで趣味もその子と同じになってしまった子)が
元カノの好きなアーティストのCDを手にとっているのを横目で見ながら、
特徴的な声の放つフレーズにふと耳が傾き、即座に歌詞に惚れてしまった。
当時はネットなんて手段はないからCD屋行ってCD屋で掛かっているCDリリースラジオ?を聞き必死で歌い手を探した。
売れ出したスマップにセロリという曲を提供したこともあって、当時彼のアルバムを買った人は少なからずいると思う。
ちなみに当時のシングルジャケは見た目爽やか風味(当時曲如何係わらずアーティストの顔ジャケ多かった記憶が)
■一緒に過ごした子は死んでた訳で、もう今となっては二度と戻らない物になってしまった―
■という上にこの曲が生まれたことを考えると、秒速5センチメートルがああいう結末になったのも
■もう二度と戻らない人に対する想いを歌っているからこそあんなにも未練たらたらで
■何度も何度も振り返らずには居られないと。
■成就してしまったらこの歌は存在できなくなってしまうからね。
■・・・勿論現実であったならハッピーエンドで終わって欲しい話だが。
素直になりゃあよかったんですが、それが出来ないせいでこじらせて悪化させ
十数年後秒速5センチメートルが来たもんだから因縁ある歌です。
そんな当時勘違いした忌野清志郎さんも亡くなり、記憶にある駅のホームも高架線化され、踏み切りも無くなって、
それでも想いは残ると当時考えていたかどうか?
自分なりに見つけた答えは陳腐な代物で、
「とりあえず同じ空の下にいる訳だから、別れたって空みれば繋がれるぜ」
・・・笑われてもいいわ。
そうやって考えることで20代はまだ心を慰めてもいいと思うんだ。
好きあっても結ばれないっていう現実からほんのちょっとだけまだ夢を見てたい若者なのよさ。
■カラオケ合コンで熱唱されると引く歌NO1だと思う。普通に職場の飲み会でも空気氷点下にする公算大。
■しかも未練たらたらでキモイわと女に言われる可能性高し。
■逆に同窓会で歌うといいかもしれない。※ただし狙った子が居るに限る
OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、
知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。
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今はどうだろうか。
外に影響を与えたいとは考えにも上らない。仲間内にウケればそれで楽しい。
ここにいる価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいとだけ思っている。
パンツを大空に羽ばたかせながら、外を向いてニヤついてる日本人。
「日本に生まれて良かったw」
まさにどや顔。
内に篭もっていた日本オタクは、見知らぬ異国人にこれはすごいと言われた快感が忘れられない。
海外コミュニティに聞き耳を立て、海外の反応を貪り読み、海外向けに文化を編集して配信。主に動画をニコ動からYouTubeに。
YouTubeで外国人のふりをして、英語で日本を褒めそやし日本を愛しているとコメント。
俺が至らない夫なのは認めるが、いろいろ試行錯誤したうえで
この境地にいたったのだ。
書き方も悪かったけど、俺の場合、
夫婦ゲンカと何か買います、は直結してないよ。
夫婦ゲンカはぜったい起きちゃうの。避けられないの。
(嘘だと思ったら子どもつくって五年生活してごらんなさい)
このコメントは非常に深いと思います。私は夫婦生活5年程度ですが、今の調子でずっと同じことが続くならば同じような考えになっていく気がします。ただ、その中でも夫婦喧嘩をきっかけにしてでも、なんでもいいから、夫婦の仲を深めていきたいという想いはずっと持っています。でも、時々くじけそうになったりします・・・。
その境地に至っても(だからこそ?)、奥さんと一緒にずっとやっていこうと思っているわけですよね?
それはそれでありなのかもしれないと思うときもあります。ただまだその境地にいたるまでには時間があるので、もうちょっとあがいてみます・・・。
横だけど
今はともかく、昔は情報処理の中に簿記が含まれていた。情報処理といえば会計だったからというのもあるかもしれん。
長くやっていると、そういった他業種のシステム構築の下受けという仕事を受けることもあり、必然的にOJTで他の知識が身についていく。
なので、ベテランさんはそこそこ、横の業界の知識を知っていることも多い。
言い方変えると、ファイナンス系の知識がいないとファイナンス系のソフトの下請けがやりにくい。なにがしかの他業種の知識というのは身につくのだよ。
横だけど。
国債が全部国内で消化されている事から、このような発想が出てくるのであろう。国債が外国や外人投資家に買われている国家の場合を考慮できない視野の狭い田舎者がマクロ経済を語るばかりか、統治しようという時に、理解できない物を理解した振りをする為に、間違った主張をしているのだが、それを、誰も教えられないという点が、権力者に物を教えることの難しさと言える。
表題の主張にしても、では、国民が預貯金を消費し、不動産資産を換金した場合、そのお金はどこから出てくるのかという問題を出せば、たいていの人は自力で答えにたどり着ける筈である。答えにたどり着けないならば、政治や経済に関わるのはやめて、手に職をつけて身体を動かして稼ぐ仕事につくべきである。
お金はどこで作られているのかという問題がある。
造幣局で作られている紙幣や貨幣の総量は、市中に流通している量のおおよそ5%以下でしかない。残りの95%は、信用供給によって発生したお金である。
市中銀行は中央銀行に法定準備金を積む。この法定準備の9倍のお金を、貸し出しして良いという事になっている。預貯金として集めたお金の9割を貸し出しに回し、1割を法定準備にするというのではなく、10割を法定準備に出す。というのも、お金の大部分は、金融機関の口座の間を転々とし、現金として引き出される額はその一部でしかない。したがって、現金として動いているお金よりも、数値情報のままで動いているお金の方がはるかに多くなる。この、数値として動いているお金の総量が、預貯金額(現金資産)の9倍の融資残高となっているのである。
つまり、預かったお金の9割を融資に出して、金利を稼ぎ、その利子から利息を支払うという状態ではなく、預かったお金を全額無利子の法定準備に積み、法定準備の9倍のお金を書類上の融資に出して金利を稼ぐという状態になっているわけで、貸し出しと預け入れの利差は、ばかばかしいほどに広がっている。
問題は、この9倍の融資予算を元利をきっちり返してくれる人や法人に貸さなければならないという点にある。規制と許認可で企業活動を縛り上げて間接金融による護送船団方式をやっていた時代や、地価の右肩上がりがあった時代には、この仕組みはうまく動いていた。
配当性向が0%に限りなく近く、しかも懲罰的累進課税によって、企業の内部留保が十分に溜まって金融機関のお世話にならなくて良くなると、間接金融による護送船団方式はうまくいかなくなった。そこで、融資の先がマイホームへと向かうようになったのだが、今度は、地価の高騰からローンの期間が長くなり、労働者はローンを返す為に会社にしがみつかなければならなくなり、労使関係に歪みが出てきてしまった。過労死問題が出た後で、その反動で雇用の流動化が出てきたが、企業側の主張だけが通って低賃金の派遣労働ばかりになってしまった。
賃金水準の低下は、預貯金の減少を招き、法定準備を取り崩さなければならなくなる。法定準備を1割削ると、法定準備の9倍のお金を融資に出しているのだから、削った法定準備の10倍の金額を貸し剥がさなければならなくなる。賃金水準の低下から購買力の減少が発生するだけならまだしも、バランスシートの健全性を維持する為に貸し渋り・貸し剥がしをしなければならなくなり、デフレと不景気が同時に発生してしまったのであった。
預貯金額が減れば、必然的に融資予算も減少していくのだが、そうなると、内部留保が十分にある企業は良いが、それらの蓄積が無かったり薄かったりする中小企業は、資金ショートを起こしやすくなり、サラ金や商工ローンといった、筋の悪い金を利用しなければならなくなる。
所得の減少から購買力の低下になり、さらに、資金繰りの悪化とつながり、日本の産業構造だけでなく、社会構造も、かなりがたがたになってきている。
この状態は、国債を出してバラ撒きをやっても決して改善しない。自民党をぶっ壊すという小泉政権に対する300議席の支持も、その後の自民党の迷走に対する反発から、民主党へ投じられた300議席超の支持も、つまるところ、経済の行き詰まりに対する、国民からの請託である。しかし、民主党政権は、自民党の一番悪い時期の政権よりも酷いという事が徐々に明らかになってきている。
社会がまともであれば、母子加算や子供手当てといった政治的給付は必要ない。そんな制度が無ければやっていけないということは、社会が不健全であるという事に他ならない。
行政や司法や政治がでしゃばらない社会が健全な社会である。貧困が無いとか、犯罪が無いとか、援助交際が無いといった状態が健全な社会なのではない。それらは個人の問題であり、社会の問題ではない。それらが発生する原因を無くせないのが社会の問題である。汚職は個人の腐敗であり、汚職を摘発して関係した政治家を断罪できないのが社会の腐敗であるというのが、元ネタだったような気がするが、個別の問題に拘り、全体を見ないというのは、全体を見れないという能力の欠落をごまかす手段として利用される事が多い。
無能である事が判明したならば、速やかに席を空けるというのが、社会人として、世間に晒されている人としての、矜持ではないだろうか。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.10.13]
http://anond.hatelabo.jp/20090301034255
ボールを投げれば落ちてくる。それは必然だし、重力という理由もあるけど、(普遍的な)意味なんてない。
そこに「意味」が生まれるのは、それを見た人が、ボールの落ちた「意味」を勝手に想像して、勝手に納得するからだ。
生きるのだって同じだろ。
たまたま物凄い爆発で宇宙が出来て、銀河が出来て、太陽が出来て、地球に生き物が生まれて、その生き物の中の「人間」が言語を獲得して、勝手に後付けの「意味」とやらを考えてるだけで、絶対的な「意味」なんてあるわけないのは、ちょっと考えれば誰だってわかるだろうに。
それでもこうして増田でわざわざ書くってことは、「わかってても、やっぱり絶対的な意味が欲しくてたまらない」んだろうな。
俺もそうだけど。
「あまり使わないよな」、何て考えていて
ぼけっとしていたら三〇になった、そんな感じ。
PHSなんか必要でもないのに、みんな持ってたからってだけの理由で持ってて
使った事なんて数えるほどしかない時期もあったけど
別にケータイが好きでも嫌いでもなく、ただただ縁がなかったとしか表現できない状態だった。
少し前までは。
価値観がちょっと変わったかな。
・朝は大体かかってくる電話とかメールの音で目が覚めるようになった。
内容は、本当にどうでも良い内容ばかり。甘いモーニングコールみたいな物だったら嬉しいんだろうけど。
生活時間が一緒な人間が周りにいるのだからなのだから必然なのだろう。
結局そのままハンズフリーでおき支度を始める。
ただ鳴ってもいないのに、鳴った気がして起きることも(これは慣れるのだろうか?)
・NTTの回線では全く気にならなかったナンバーディスプレイ。知らない番号でも平気で出ていたけど今は無理。
最初数人にしか教えてくて、もちろんその人とだけなはずだったけど
番号はいつの間にか広まって、NTTの番号しか知らないはずの人からも普通にかかってきて何か少し怖かった。
大抵の知人を登録することで解決したが、未だに番号だけの表示はやだ。非通知なんて最悪だ。
これを今まで自分が平気でしてたと考えると、空恐ろしい。自分が普段持ち歩く物に侵入ってのが嫌なのではないかと思う。
おかげでNTTの方も見覚えのない番号は警戒するようになる始末。
・目の前の人を無視できるようになった。
無視という単語が適切かどうかは分からないけどこれが一番大きい。
例えばコンビニとかで電話しながら店員とやり取りしても回線の向こうの相手にそれを感づかれないそんな今まで無かった行動スキル。
又、目の前で会話している人がいても今の段階では電話側にインタラプトされたらそっちに意識を持って行かれる。
それまでの自分の中では今まで当たり前のように目の当たりにしてきた
少し嫌悪感を抱く行動だったけど、それが普通なんだと思えるようになった。
・走行中の電話は本当に危ないと思った。
でもみんな普通にやってるから、これもしばらくすれば慣れるのだろうか?
・結局大切な事は、メールでアポ取ってから行動するというスタイルが変わらなかった。
本当はもっとどこでもドアみたいなのを少し期待していけど
自分だけで見たらこっちのアドレスが携帯のそれになったぐらいの変化しかなかった。
一番期待していたのが期待はずれだった。
いつもイーモバ&PCって言うのもあるかも知れない。
・「又電話する」って言う話の切り上げ方を身につけた。
なんだか知らないけれどだらだらした会話になりがちなので。
・布団の中でネットが出来るって素晴らしい。
・何故か大の途中にかかってくる、電話してると大がしたくなる場合が多いと気づいた。
結構音に気を遣う。
マッタリとした休日の午後にiTunes Storeで適当にGeniusお勧め楽曲を覗いていたら・・・
とか変な感想しか出てこない。つーか全くレビューとして役立って無い。
・・・まぁ、情報元がコンピュータを扱える大前提のiTunes Storeだから必然的にアニソンに高い評価が下されるだけかも知れないが。
J-POP楽曲の中で「同じような曲しか出さないから完全にJ-POPは死滅した!」見たいな意見もあったりなかったりするけど、それはアニソンだって同じじゃ無いか?特に深夜アニメ系の楽曲は主要登場キャラクターの合唱とか十中八九決まり切ったお約束の同じような曲ばかりだろ?(ちなみに残り1割くらいが特定のアニソンの歌い手さん楽曲かな)
確かに中にはJ-POP並みに良くてFMラジオで普通に流れてもアニソンって気付かないくらい楽曲はあるけどさ、だからと言ってほぼ全てのJ-POP楽曲に対して無条件的に批判的意見書くのってどうよ?
(リスナー的な立場の意味での)音楽好きな身からしたらくだんねぇ事をレビューで書いてんじゃねーよと。そんなくだんねぇ低能な事書いてるから「これだからヲタクは」とか見下されるんだよ。
批評書く事自体は他の人が購入するか否かの判断基準の一つになるから良いんだが、自己満足の表現の場じゃねーんだよ。自己満足書きたきゃ増田にでも書いとけって(あるいはチラシの裏でも可)
誰だか知らんが世間的にJ-POPって言われる気になった楽曲買おうとしたらアニソンヲタと思われる事実無根の批判的レビューが大量に書かれててゲンナリしたさ!
批評書くなとは言わないが、せめてサンプルでも聴いて、お茶の1杯でも飲んで少し落ち着いてからレビュー書こうよ!今のままじゃキモヲタの独り善がりなチラシの裏コーナー状態だよ!
・・・と思った事を書き出して見たテスト。
「音」を「楽」しむって書いて「音楽」なんだから、まけぇこたぁいいんだよ!
アニソン含め同じような楽曲が多い世の中だけど、少なくとも誰かが楽しめてるんだからカッカしなさんな。
・・・時に、タイトルとは全く関係無いどうでも良い話だが、最近の気になるアニソンを数曲買っただけでGeniusのお勧め楽曲にアニソンが大量に表示されるようになったのは誰の陰謀だwしかもJ-POPにジャンル固定してもアニソン出るってどう言う事だよwww
http://anond.hatelabo.jp/20091009230501
↑の続き。というか、新たに思ったことの走書き。
物語内で起きるエピソードには必然性が不可欠。原因と結果にしてもそうだけれど、より魅力的な物語を完成させたいと思うのならば、なぜそのエピソードに巻き込まれる(引き起こす)のが登場人物なのかを補完しなくてはならない。
偶然物語の中心にいたというので造るのは難しい。あるいは突き抜ければ魅力となるかもしれないけれど、それでもやっぱり必然的な物語よりは難しい。
設定にも絶対的に理由をつけるべきだ。どうしてその家族構成にする必要があったのか、物語の観点で、登場人物の観点で考えるといいような気がする。