はてなキーワード: 侮蔑とは
ファミ通の投稿コーナーや伊集院のラジオを聴いててオタクには優越感、
でも周りは同じクラスターを見るような目で扱う。
だからオタクを憎み、過剰に攻撃する。
「そんな彼らに素敵な名前を付けてあげたい」ずっとそう思っていた。
きっと彼らが一番嫌がるだろうから。
「仮性オタク」ってのはどうかな?って思った。
オタクに皮が被ってるの。
彼らがオタクを不用意にDisって来た場合のカウンターになる言葉。
「お前だって仮性オタクじゃないか!」そう切り返す。
周りにいた人間がその言葉の持つ侮蔑的ニュアンスに興味を示す。
「えっ何?仮性オタクって?」
きっと彼らが一番嫌がるシチュエーションだと思う。
オタクと同じ土俵に上がるのを恐れてるだろうから。
自分は恋愛から降りましたと威張りくさる非モテの多いこと多いこと。おまえは仙人かと。どんだけ立派なんだよ。
わざわざ理想と違う恋愛のために争いに参加して、女から一方的に順位を付けられるのが嫌なだけだろ。
普段から女に対しては厳しい評価を下しているからわかると思うが、恋愛市場における評価は残酷なほどシビアだからな。
ところがおまえらが降りたつもりでも生きている以上、女の視線に触れる以上、勝手に評価はつけられてしまうもんなんだよ。
恋愛は苦手だから他のことに打ち込む。多いに結構。努力して社会的に評価されれば恋愛の市場価値も上がる。
おまえらが降りようが降りまいが勝手に価格が決められて勝手に市場に並べられる。
そこから逃れることなど絶対にできないのだから、自分は恋愛から降りましたとか偉そうに語っても恥ずかしいだけだぜ。
非モテに対する侮蔑や嘲笑を甘んじて受けるだけの覚悟があるのならまだしも、
勝手に低い評価を下されてファビョっちゃうやつは結局その評価を気にしてるんだから全然降りれてないだろ。
2004年、自己責任論争を巻き起こしたイラクでの高遠菜穂子さんらの人質事件。あれからおよそ6年、日本人の中からイラク問題が忘れられていく中で、高遠さんは、ひっそりと、しかし絶えることなくイラクへの支援を続けてきた。アメリカ軍も撤退に向けて動き出す中で、イラクの治安はいまだ回復していない。 ブッシュの戦争への支持を真っ先に打ち出した日本。事件後の自らへの報道を思い出すといまだにトラウマで激しい不安に襲われるという高遠さん。しかし今、「日本人と向き合いたい」と考え、初めてカメラの前で自らの心のうちを明かした。 イラクの隣国ヨルダンを拠点に続けている彼女たち民間レベルの支援の現場を取材、また高遠さんへのロングインタビューで、人質事件、その後の6年、そしてなぜいまなお支援を続けるのか、その思いを聞く。
(NO.2856)
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei.html
日本では最近、メディアやインターネットで「売国」という激しい言葉が頻繁に目にする。売国奴、売国的、売国○○といった表現が、書店に並ぶ雑誌の表紙にも大書されていたりする。異なる意見は、「サヨク」のレッテルと共に排斥し、侮蔑するような言い回しも、ネットの世界ではしばしば見る。そのたびに、「非国民」「アカ」という言葉が衣を替えて蘇っているような気がする。
イラクにおける邦人人質事件の時には、政府に逆らった(そのうえ理屈を並べる生意気な)者は、国家の庇護を受けることも許されないかのような「憎悪の嵐」が巻き起こった。そうした風潮に異論を唱えようとすれば、自分に憎悪が向くのを覚悟しなければならない。「おかしいな」「なんかイヤだな」「ちょっと行き過ぎ」などと思いつつ、その言葉を飲み込んだ人はずいぶんいたはずだ。
このような状況で、「愛国心」が強化されたら、どうなるのだろうか。
少なくとも、「愛国心」の涵養を言う前に、「国」を「愛する」ことと、時の政府やリーダーの政策を支持・追従することはまったく別であるという合意が、国民の間にしっかり定着させる必要がある。そして、国や同胞への思い方は人によって違うという多様性を認める空気が醸成され、異論を持つ人たちの言論の自由や発言の場がきちんと守られていなければ、なんだかとても危ないことになりそうな気がして、心配でならない。
ここにぶら下げるべきかちょっと迷ったんだが。
なんつうかさ、「陵辱エロゲ叩き」は歪なんだよな。
自分たちは日々、見下し、侮蔑し、嘲笑し、忌避するが、そういう行為を「悪」とすることも無ければ、それを向けられる相手を思うことも無い。
にも拘らず、それを向けられているほうは、まるで聖人のような高潔さが求められ、そうでない事実すらも責められる。
お笑いだ。
戦争映画も見るし、暴力漫画も平気、物語上意味があるなら陵辱描写もOK。
キモイオタクは世の中のゴミで、一度そうした「普通の人」レールから外れると、ほぼ過去を消す勢いじゃないと復帰できない攻撃的排他性を持つ閉塞感にあふれた糞みたいな世の中だけど。
むしろある。ありまくる。
異性への憧れは果てしない。
が、非モテかつ二次オタという存在が世の中でどういう位置づけかを、痛いほど知っている。
いわゆる“恋愛市場”においては、その価値なぞ、まさしく“吹けば飛ぶような”ものだ。それを知っている。
だからこそ、知っているからこそ、たとえ三次でどうしようもないほど好きな人ができたとしても、
「こんな自分に好かれても、あの人には迷惑だろう」とか、
「自分に告白されたところで、そんなの彼女の人生においては汚点となるだろう」とか考える。
“じゃあ、もし向こうから好かれたら、告白されたらどうすんのさ?”
もちろんのこと、そんなのはこれまで無かったし、これからも無い。
全くもって自意識過剰な想定だが、あったとしたら『なにかの気の迷いだから考え直してください』って言う。眼科に行くことをすすめるかもしれない。
最低な返しだとは思うが、自分の上位互換(こういう返しを考えないとか)なんて世に溢れているのだから。
といった具合で、もはや自分と恋愛との結び付きは途絶えてしまっている。
そう考え始めると、街中だろうがweb上だろうが、カップルを微笑ましく思え始めた。
「もげろ」「リア充爆発しろ」なんて意味がわからない。そんな嫉妬、精神上よろしくない。
縁側で茶をすする境地のごとく、「ああ若いっていいねぇ」と顔をほころばせるのがいい。
自分の隣には誰もいないが、誰かの隣に別の誰かがいて笑い合っているのを見るだけで、非常に気分がいい。
そういう意味で、新たな「三次への興味」ができた。憧れが別方向へシフトしたんだろう。
これを「ナルシスト乙」「抜いた直後か? 賢者タイム乙www」と侮蔑であっさりと片付けてもいいし、そうしなくてもいい。
【おわりに】
「んなの、人それぞれだろう」と言われたら、確かにその通り。
だけど十把一絡げに見られ、そしてしばしば嘲笑の対象となる、というのもまた傾向としてある。
だからこそ、こういう考えを残したかった。
非モテはある程度の侮蔑と嘲笑を甘んじて受けるべきだと思うのよ。
大概の非モテは「放っておいてくれよ俺たちは被害者なんだから」って責められるのを嫌うでしょう。
でもそれが本当に許される社会になったらそれはそれで問題もあると思うのよ。
非モテでいることが許されるなら「じゃあおれもいいや」って恋愛からリタイヤするやつが大勢出てくる。
今すでにちょっとそうなりつつある。
恋愛なんてリスクに対してリターンが見合わないことの方が多いからね。
だったら二次元の方がいいやって人、多いでしょう。
開き直って非モテのままでいい でもそれを他人から馬鹿にされるのは許せない
ってのはまあ素直な意見だとは思うけどその生き方を許容してくれるほど
世の中甘くはないんじゃないかな。
非モテはある程度の侮蔑と嘲笑を甘んじて受けるべきだと思うのよ。
大概の非モテは「放っておいてくれよ俺たちは被害者なんだから」って責められるのを嫌うでしょう。
でもそれが本当に許される社会になったらそれはそれで問題もあると思うのよ。
非モテでいることが許されるなら「じゃあおれもいいや」って恋愛からリタイヤするやつが大勢出てくる。
今すでにちょっとそうなりつつある。
恋愛なんてリスクに対してリターンが見合わないことの方が多いからね。
だったら二次元の方がいいやって人、多いでしょう。
開き直って非モテのままでいい でもそれを他人から馬鹿にされるのは許せない
ってのはまあ素直な意見だとは思うけどその生き方を許容してくれるほど
世の中甘くはないんじゃないかな。
よく中傷されてスルーしない人間に対して器が小さいと言われているのを見かけるが、
その度に思うことだが、スルー力と器の大きさは別だよなあ。器が大きいほどスルー力が高まりやすいことは事実だが、スルー力があるからと言って器が大きいとは限らない。
.
というのもスルー力は個別力だから。馬鹿って言われてスルー出来ても、お前の娘ブサイクって言われたらスルー出来なかったりする。個々の不快な事柄に対して慣れてるかの問題。
あと、スルー力はその場での表面的な心の反応の問題に過ぎず、深層心理的にはスルーできずに後になって悔しさ・怒りがこみ上げてくることも多い。
それに加えて、スルー力は単純に麻痺しているだけのこともあり、それは器の大きさを意味しない。
また、スルーせず現実と向き合うのもまた、器の大きさである場合がある。
こうした点から言って、スルーできたからって人間的な器が大きいことには何ら繋がらない。ここでは最後の二点を少し考えてみよう。
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よく考えれば分かることだが、スルーできることの1つの良くない場合として、侮蔑的な言葉が侮蔑的だと感じる感性が麻痺しているというものがある。
例えば、死ねと言われて傷つかない人間は、他人に平気で死ねと言えてしまうのではないか。よく考えてみてほしい。中傷されて傷つかないということは、
文脈的に傷つくにあたらないとみなしてる可能性もあるが、その言葉を気軽なものとして捉えている可能性もある。死ねという言葉を気軽なものとして捉えているならば、
他人に対して死ねと言うのにも他の人よりもためらいが無いと予想される。実際に言うかは別としてもし言おうとした場合の話だよ。
今のはごく一例だけど、世間ではそういう気軽に残酷な言葉を捉えている人間が、時として強い人間扱いされている。それは違うよなあと思う。
それは強いのではなくて麻痺してるだけ。麻痺してたら物事を深みをもって感じられないから、たとえ見かけは強い影響力を与えているように見えても、
ある意味では物事を動かすのが下手であり、強いとは言えないと思う。だから、麻痺による強さは、欠陥ある見せかけの強さ。
世間で言うスルー力は、麻痺による強さである場合が少なくなく、器に入れずに済ませているわけだから、器の大きさとは別だろう。
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それから、スルー出来ないから器が小さい面だけでなく、スルーして見てみぬふりするから器が小さい面もある。
ただの中傷はスルーすべきだが、建設的な批判はスルーすべきではない。表面的には中傷に見えても、建設的ととれる可能性もある。そんな場合に、スルーせずに真っ正面から
向き合えるというのもまた、器の大きさなんだよ。それなのに、スルーしろスルーしろと言われるのは、自分が建設的中傷と向き合いたくないからではないか。
なぜなら、今オタク((趣味にのめりこんで云々の方じゃなくて、ふつうの人たちが使う、容姿が気持ち悪くて挙動が不審で、という侮蔑語の方の意味))を忌み嫌って、見下して、気持ち悪がってる素晴らしい人たちが結婚して子どもを産み、その子たちが若者社会に入ってくるのがその頃だから。
概ね団塊ジュニアから下の世代くらいの人(つまり今現在若者の人たち)には、オタクが若者社会のヒエラルキーの最下層でサンドバッグにされてる惨めな人たち、という認識が共有されてきてるように思う。結婚したり子どもつくったりできるような人たちは当然見下してる側がほとんど((稀にオタクも結婚するかもしれないけど、たぶん圧倒的に少数派だろう))なわけだから、自分の子どもがそうならないように必死になるんじゃないだろうか。
だから、いま幼児くらいの子どもたちを先頭に、その子たちが高校生から大学生になるあたりから、オタクの新規参入はどんどん減っていくんじゃないかと思う。いま若者でオタクの人たちの親って、団塊から若くてもバブル世代くらいだと思うけど、オタクは自分たちの若い頃は(今のような社会的なポジションとしては)存在しなかったから、なんだかんだ言ってオタクに寛容だと思う。この先はそうじゃなくなるんじゃないの、と。
twitterである晩目に飛び込んできた会話。
以下はコピー。 @wakusei2nd @d_nak 実現したら「日本を代表するメンヘル女子ハンター」から「日本を代表するメンヘル女子ハンター(博士号持ち)」に
この@wakusei2ndというidの人は、自己紹介欄を見たら、宇野常寛(批評家/編集者)と書いてあった。 私はずっと心療内科に通い、メンタルの病気でずっと悩んでいます。死にそうになったことも何度もあります。
メンヘル女子ハンターというのは、精神的な病を抱えている女子は、尻軽で精神が弱いからつけこみおとしやすいという意味と私は受け取りました。そうじゃないなら狩りだからおやじ狩りというように使われていた犯罪用語なのかもしれないが。
受け取る意味はそれぞれだが、とにかくこの人たちはメンヘル女子をハント(狩り)してるらしい。この不愉快な宇野という人と、「日本を代表するメンヘル女子ハンター」らしい中川大地という人の顔が見てみたいと思って検索したら、宇野という人の画像動画はすぐ見つかりました。恋愛や女子ハンターとか語っていいレベルの容姿じゃない。ルックス偏差値で言ったら30ぐらい。もし家に鏡がないのなら仕方ないけど。中川というハンターはどの程度の容姿なのか未だ不明。顔はともかく二人ともこんなに不愉快で差別的な言葉を使ってはしゃいでいるのだから、自称批評家、編集者でも頭も悪いのでしょう。もちろん、私もメンタルも頭も悪いが。
イケメンなら言っていいってわけじゃない。でもよくあの顔と洋服のセンスでメンヘル女子ハンターなんて差別的な言葉使えますね。心臓病女子ハンター、がん患者女子ハンター、知的障害者女子ハンターと同じようなニュアンスで非常に差別意識が出ている言葉だと自覚があってこの人はこの言葉を使っているのでしょうか?病気なんてなりたくてなったわけではないし、ましてネットで不特定多数に公開するということの影響力も理解できていない。
この醜悪な「日本を代表するメンヘル女子ハンター」から「日本を代表するメンヘル女子ハンター(博士号持ち)」にという会話は数日前の書き込みですが、自分も含むメンタルの病に悩む女性を公で馬鹿にされ侮蔑されたように感じて気分が悪くなりました。今も具合が悪いです。薬を処方してもらいカウンセリングで相談もしてきました。
宇野さんと中川さんという人が結婚していたり姉妹がいるのかしらないけど、自分の身内の女性にメンタルの病を抱えている人がいたらこんな蔑的なことを書けんの?批評家という職業なら、まず鏡で自分の顔と姿をチェックし、自分の言動の醜悪さに対する批評能力を身に付けたらいかがですか?ハント(狩り)をどういう意味で使っているのかしらないけど、女子として性的に食うという意味なら、あなたたちレベルの人に食われるメンヘル女子なんて何人いるんですか?
前に書いた「『労働組合』って一体なんなの?」(http://anond.hatelabo.jp/20091205012414)に賛否両方のコメントありがとう。
勉強になった。時間が経つにつれてコメントが穏やかになってくのが面白かった。
それはさておき、「労働条件を良くするために、足並み揃えて残業減らそう」という主張は理解できた。
で、それを実現するときにね、いまの組合みたいに頑張るのが良いのかな?というのも疑問としてある。
その他ちょぼちょぼした疑問もある。
雑駁な感じで、ちょっと違う感じの話になるので、別の日記で書いてみた。
昨年リーマン・ショックが起きた時に、いくつかの企業(特に製造業)では「原則として残業禁止!」となったよね。人件費削減のため。
それで、このときはね、みんなキチンと帰るよ。なんてたって上からの命令だから、課長も部長もしっかり帰らせる。
ここで仕事持ち帰られてサビ残になったら目も当てられないけど、そこは正に組合が目を光らせれば良い。
経営側に「人件費削減のために残業削減」というモチベーションを持たせて、組合はサビ残だけ目を光らせればいんじゃないのという気がしてる。
いま、組合と協議をしてもらうとね、年間360h超えだけじゃなくて、月間で40h超えの協議もあるけど、とにかく「もっと残業を減らすように」と課長は言われる。それで結局サビ残を選択するというのは本エントリーに書いた通り。
それで、もっと酷くなると「課長に協議してもらうのも悪いから、今日の残業つけなくて良いや」っていう人もいる。
「この『社畜』がああぁぁぁ!」という主張は解るけど(その辺、どうすんのさってのは次で書くけど)、ここはそもそも実質的な協議を止めればいんじゃないの。実際に残業した時間を事後申請にして、組合はそれをあっさりと通す。それによって兎に角サビ残をさせない。
それで何が起こるかっていうとね、人件費の増大。いままでサビ残になってたのが顕在化してくるから。
そこで経営側に判断させればいい。「一斉残業禁止だ!」とか「人件費使う課長は間抜けだから降格にしよう」とか。
これで残業減るよ。
ただ「サビ残しろ!」というプレッシャーは増えるから、ここだけは組合は徹底して闘わないと駄目。
組合とか色んな人が頑張ってるなか恐縮だけどね、僕みたいなメンタリティの人は、サビ残やるよ。
「社畜!」「お前みたいな奴がいるから!」「労働ダンピングだ!」「法律違反だろ!」って言ってても良いけど、僕みたいのも労働者の独りだから、これを取り込んで一致団結して闘わないと労働条件の改善勝ち取れないよね。それで、どう啓蒙したら良いんだろう。
いま、良く言われてることは、なんかストンとこないんだよね。
コメント欄読んでて思ったのは
と言ったあたりの主張は、まあ理解できる。
だから組合もここを主張してね「みんなでやろうぜ!」というところでまとめて引っ張ってくんなら、まあ解る。解るのと賛同するのは違うけど。
ただ「我が社の労働条件を改善」で闘えるのはね「職場の多くの人が、自社の労働条件を改善する必要があると認識している」場合だね。
中小企業とかたくさんありそうだね。で、だいたいそういうところは組合がない。
組合があって、なおかつ「多くの人が、改善する必要がある」と思うような職場って、どれだけあるんだろう。
労働組合の組織率が年々下がってく状況を見ると、そんなにないんじゃないの。
必要な会社には組合がなくて、不必要な会社には組合が残ってるんじゃないの。
「日本全体の雇用環境を改善するために!」は、まあ、高邁な志は立派だなあとは思う。
そしてまず、そんなに高邁な志を持つなら、組合がなくて苦しんでる中小企業いって組合つくってやれよと思う。
まあ、それは置いといて主張だけを聞いた時に「そうか。僕の残業が誰かの雇用を奪ってるのか。残業やめなきゃ」とは直ちに思えない。
「雇用環境が悪化すると日本の社会情勢が悪くなって、それが巡り巡ってあなたに」って話だと思うけど、それをリアルに感じるには、もうちょっと勉強いるな。
そして直観的に感じるのは「僕が残業やめて生じた雇用で、中国やインドの人が雇われるんじゃね?」というところ。
「日本全体の雇用環境!」という大きなところに話を持ってくなら、そういうところも議論しないとだなと思う。
あと「社畜」って侮蔑的な意味で使ってるんだと思うけど、自分の現状が「社畜」なら「社畜」でいいよ。
仕事やってて楽しいし、楽しいことやってお金もらえてるわけだから。
逆に「仕事は面白くもないけど、9時から5時までの労働力提供して対価もらってるだけだからいいや」っていう人達は何て言うんだろう。
飼われてないから「野良畜」とか言うのかな。
でも逆に飼われてる感じもするよね。
(3) 詰まらない仕事をしてても同じ主張ができるのか?
仕事が詰まらなかったら同じ主張はしない。
転職する。
これだけネット上で肉便器だのなんだのつう言葉が溢れてる現状で、
性に対してうかつなこと言ったら「あいつらと同類」ってみなされるのも当然じゃないの?
まして、なんか前科あるみたいだし。
うかつな読み方で書かれてもいないことを読み取って、うかつに人を叩くような真似はいかがなものか、と思って書いたんだが。元の文章そのものがそこまでヘンではないだろう、という説明はすでにした。いったいどのあたりをして「うかつなこと言った」としているのだろう。
こういうののカウンターですぐ「女性の価値は体だけなんて書いてない」とか言うけど、「女性の価値は体が大部分を占める」と読み取れるような文脈だったから噛み付かれてるんだよ。本人ですらも「失態だった」と認める程度には間違って読み取れる書き方だったわけだよ。
ちゃんと本人が書き方を失敗したと認めた後はブクマでも叩きが減って、擁護が増えてるだろ。
「女性の価値は体が大部分を占める」と読み取れるような文脈? それはこの文章単体での、だろうか。であれば、そんな文脈などないだろう、という説明をすでにした。というより、元の「女性の価値が下がっている」からして、「どの程度下がったのか」を示す要素さえない。「大部分を占める」だとかいうのはどこをどう読み取れば出てくるのだろうか。ちなみに言えば、あの流れで本人が「書き方を失敗したと認めた」というのは当然だろうな、と思う。変な噛み付き方をしている人間が、まともに話を聞くとは思わないからだ。
これがもし、有名ブロガーが、「女にとって男がめんどくさい生き物なのは不変の事実。今は、男性の給料が下がり、女性も割と稼げる時代。だから男性の価値が下がっている」とか書いたら、それはそれで「男はATM扱いか」「男は抑圧されている」「女尊男卑」と騒ぎ出す輩がいるであろうことも想像つくだろ? 意図が違って読める書き方をしたら「変に噛み付くやつ」は絶対出てくるに決まってる。
>これに変に噛み付くやつがいる、というのがよくわからない。
本当にわからないんだったら、そのほうがおかしいと思うが。
「男はATM扱いか」? これは元の「男にとって~」のほうに置きなおせば「性欲を満たす対象か」ということになるだろうが、そんなものは「男が女性相手に性欲を満たすのはまあ当たり前でしょうね」ということなのでなんということはない。いま私がおかしいと言っているのは、「性欲を満たす『だけの』対象か」みたいなことを言っているやつがいることだ。別にそんな限定などされていないのに。念のために言えば、「性欲を満たす対象」には、例えば敬意だとか愛も感じることができる。だが、ATMには敬意や愛はまず持てないはずだ(ATMマニアでもなければ)。ATM扱い、とはつまり敬意も愛もない扱いのことであって、それでは怒るのも当然だろう。「大黒柱扱いです」とでも返せばよい。「男は抑圧されている」というのは私には意味が分からないのでパスするが、「女尊男卑」は、「まだ女性の稼ぎが男性に追いつききったわけですらありません」と言えば済む。要するに、「騒ぎ出す輩」の言うことなど大したこととは思えない。
それにしても、「絶対出てくるに決まってる」というのは、だからどうだというのだろう。今の構図を逆にすると、バカが出てくる。だから、今の構図でもバカが出てくるのは当たり前だ、とでもいうのだろうか。そんなもの、どちらのときもバカを批判すればよいと思うのだが。
言っておくが、過去の言とあわせて考えればこの文章は書いてあるそのままの意味ではない、むしろこれこれと読むべきであり、すなわち重大な女性蔑視となるのだ、とかいう読みをするのであればそれは構わない。バカはどんどん批判すればよいのだ、きちんとした根拠を持って。それができないやつこそが「変に噛み付くやつ」なのであって、そういうやつの存在は認識しても「わかってやる」つもりなぞ私にはない。理不尽に妻を侮蔑するような夫の存在なんて理解できない、というのと同じである。
何かイラっとすることがあっても、怒らずに自分の中で消化をする。
突発的に怒ること=相手を不快にすること
と自分の中で位置づけているからだ。
彼女を不快にしても何も楽しくないし、自分もイヤな思いするだけだ。
どちらにせよ自分がイヤな思いをするぐらいなら自分の中で自己完結させたほうがいいと思っている。
だから怒らない。
それに対して彼女は平気で怒るし、俺をよく「ダメなやつ」とか「使えないヤツ」とか言う。
まぁ褒めてくれたりもするんだが、相対的に侮蔑するような発言のほうが多いため記憶に残らない。
もちろん、怒られたときに反論せずに相手の言うことを全肯定して
相手にとても非がある場合以外、相手が多少悪かろうともたいがいは自分が悪いという結論に落ち着かせる。
反論しても相手のほうが口が達者なので言いくるめられるので怒られたことを真摯に受け止め反省する。
だから彼女の部屋に行って掃除をするのがもっぱら休日の過ごし方だ。
そんな彼女でもたまには共通の友人と飲みに行ったりもする。
でもそこで俺が帰り道に方向違うのに途中まで一緒に付いてって送っていったりすると
「こんなときだけ彼氏面しないで」とか言われたりして凹む。
あるとき、たまたま俺が「なんで俺たち付き合ってるのかね?」
彼女からは「めんどくさくないから付き合ってるんじゃない?」なんて言葉が出る始末。
こんなこといわれて、愛してるの言葉とかもないし、ましてや肉体関係もない。
俺が愛の言葉をささやいても「ふーん」とか「キモい」って感じで流される。
それに凹む。
そんなことで日々精神的にやられる日々。
じゃあ何で付き合ってるのか?
趣味がかぶるところあるし、結構彼女の言うことは的確だし、俺よりもいろいろ器用な面もあるし、そこまでスタイルはよくないけどお洒落にはハンパなく気を使うし
何気ないところで俺のほしいものや好きなものを買ってきてくれたりするし。いろんな意味で機転が利くし。
結局俺がベタ惚れなんですよ。なんだかんだ凹んだりイラついたりするけど。好きなんですよ。
恥ずかしいし、言ったりすると思いっきり罵倒されるから言葉にしないけど好きなんですよ。
でも、そのうちすれ違っちゃうのかなぁ…。
と
http://anond.hatelabo.jp/20091112234253
を読ませていただいたらいろいろと頭のなかがめぐったので
思いのたけを書きなぐってみた。
自分非モテで、なんか近さを感じたから吐露したくなったのかもしれない。
あー、やだやだ。
最初ははてなか小町辺りの記事がネタになってるのかとも思ったけれど、ちょっと調べてみても該当するっぽいのは見あたらなかった。
おそらくvipに9/24に立てられたこのスレッドが発端なんだろうけれど、このときはまだ普通の雑談スレだったみたい。vip+には8/15に立てられた同趣旨のもあるけれど盛り上がらないまま落ちている感じ。
そして同じく9/24、ν速に立ったスレはそれなりに盛り上がって、ここで例のAAが誕生している。これが凄い速度で広まっていったのは、少なくとも一部の、社会人ぐらいの年齢層の男性にはマジックテープ式に対する侮蔑心があったっつーことなんだろうかね。
一種のステータスシンボルなのかな。
遅くなってごめん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011030744=http://anond.hatelabo.jp/20091011033130です
http://anond.hatelabo.jp/20091011140528
気持ち悪い偽善、というのはわかるけれど、この考え方はそもそも他の生命の犠牲なしには生きていけないという事実に対して感じてしまった罪悪感を軽減させるためのものでしょう。
もとの罪悪感がないところで服用されると副作用がでちゃう薬のようなものだと思う。
菜食主義者とかに対して、侮蔑を振りまくような人達を想定していた。
個人的に罪悪感を感じてそれを低減させるためにそういう考え方をとっていて、他人を攻撃しない人のことは考えてなかった。
言われてみるとそういう人にはいちいち嫌悪感を感じないかも。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203011
横から悪いけど、そんなこと言い出したら、犬や猿を食べる民族だっているわけだからね。特に犬を食べる民族はすぐお隣にいるわけだが、君はそれを否定するわけか?
だいたい、知能が本当に重要なら、知能が相対的に高いとされる豚や牛よりも、相対的に低いとされる猫を食った方がいいということになる。でも、向こうの連中は「猫を食うのは野蛮人」だと思ってるわけで、そこでもまた破綻してるんだよ。
向こうの連中って誰?色々な意見を一まとめにして矛盾とか言ってもしょうがないよ。
俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
こっちはちゃんと私の意見への批判だね。
要するにこれは西洋風の信仰(人間は動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰(植物・動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。
いや自分は西洋人ではないんだけど、西洋風の発想と言われてもな。
東洋ってどこの東洋?まず前近代の日本は違う。伝統仏教的にも動物と植物は区別されてて、そのために(動物を殺さない植物だけ使った)精進料理なんてものができたわけだし、前近代の日本では仏教的な発想のせいで肉食は抑制されていたよ。
中国についてはちょっと調べてみないとわからない。インドについては伝統仏教的な考え方のルーツで、基本的に慈悲の対象として想定されるのは動物で、植物は例外的。イスラームも動物愛護的な発想がある(審判の日に、人間に殺された動物が自分の殺害の不当性等を、神の前で訴えると言うハディース)が、植物の権利って話は聞かない。
何がおぞましいのかよくわからない。西洋的だから?
罪を自覚すると言いながら、動物の苦痛を低減させることさえ厭う、自称「罪の意識」の方がおぞましい。一種の自慰行為だよね。
他人を見下すための「罪の意識」って何の役に立つの?
だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。お互いを尊重して口を挟まないことが重要。
でないと、ヒンドゥー教徒が「牛を食うな」とか、ムスリムが「豚を食うな」と言って介入してきてますます収拾がつかなくなるよ。
西洋と東洋の対立って話自体があなたの妄想だし、現実的にお互いに口を挟まないなんて事は不可能。
ヒンドゥーが聖なる動物について「牛を食うな」はともかく、ムスリムがただの宗教的禁忌に過ぎない「豚を食うな」を押し付けてくるなんてわけがないじゃん。
http://anond.hatelabo.jp/20091011163548
ベジタリアンがアウトともセーフとも言ってないよ。ベジタリアンにはその反論は無効だと言ってるだけで。
http://anond.hatelabo.jp/20091011203305
個人的にはベジタリアン叩きの方ばっかりよく見るんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20091011204130
自分を含むたいていの人にとって、DNAかどうかってあまり関係ないと思う。
人間と区別できない社会や精神を持った宇宙人と遭遇したとして、その宇宙人が遺伝を担う物質にDNAが使われてなかったとしても、その宇宙人を犬やネコより人間扱いするだろうさ。
http://anond.hatelabo.jp/20091011205224
http://anond.hatelabo.jp/20091011164125
これを読んで、思ったことをつらつらと。
まず、池田先生のネットに対する姿勢がよく表れている、この記事を引用させていただく。
ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアやWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。
前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。
端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。
刑事犯でもない人間を犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitterで罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。
2chの経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chのヘビーユーザーはIEやFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間のIDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。
これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶のねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。
ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。
2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。
なるほどなるほど、正論、と私は思う。
そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校や職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブのホッテントリに池田先生の自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。
話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。
それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。
匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名は正義か。そんなわけないだろう。
池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2chの煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行の煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。
そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。
何故なら罵倒してきた人間をクズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行の罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。
私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生は多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットのノイズなんだよ。そういうことなんですよ。
というわけで実名でも匿名でもネット空間を活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。
ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。
そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。
・一方通行で殴るのは卑怯
・だから匿名は卑怯
・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね
別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋でオヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。
正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け
嫌う必要がない。嫉妬では?
こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。
池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。
だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。
だから読者が多いんだと思うよ。
人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。
これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけた日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。
匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。
そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。
他愛も無い話が苦手すぎて会社員生活が苦痛だ。誰が誰と話してるかわからないような会話に食い付いていけない。きちんとフラれればちゃんと返すし会話をする心積もりもある。でも自分に対して投げかけられた言葉じゃないと「いや自分関係ないし」みたいな態度を取ってしまう。会話ってキャッチボールでしょ?ボールが自分に向かってきてないのに取って良いの?取って舌打ちとかされない?大丈夫?みたいな迷いがある。
っていうかまぁ全体的に必要のない会話(雑談ていうの?)が苦手で、営業の人とかが無駄な話(侮蔑してるわけじゃなくて)上手でぺらぺら喋ってるのを聞くと純粋に「どうしてそんなに喋れるの?」とうらやましく思ってしまう。そのためには会話に慣れることが大事なんだろうか?それともしゃべるネタや言い回しをたくさんストックしておくのが大事なんだろうか?
黙ってしまうのが悪いのはわかってるけど、どうして良いかわからずつい黙ってしまう。今夜も会社での飲み会…心おきなく話せる人は今回のメンツには居ないし、上司がオラオラ系なので萎縮してしまって余計しゃべれない悪寒。
気にしている/していない、とか成功/失敗とかじゃないんだよ。
元から書いてるけど「自己肯定感」の問題なんだ。日常的に内面を覆う「気分の問題」と言い換えてもいい。
それ以上でもそれ以下でもない。成功失敗とかいよいよ全く持って無関係。
「自信がある」という状態を「気にしている」とは言わないでしょ?
自信がある⇔普通⇔自信がない(これは「気にしている」と置き換えることもできるかも。ただし体育そのものではなく、「そのときの他者の視線(侮蔑)を」だけど)という話。レベル1⇔レベル2⇔レベル3としたとき、レベル1に「気にしている」を当てはめようとするからズレが出る。レベル1に当てはめるのは「その時の他者の視線(賞賛)に後押しされている」と言ったところか。
どんなに成功しようが、何兆円稼ごうが、自己肯定感が欠如してる人間は欠如してるんだよ。どんなに(大人になってから)他人から賞賛されようが、どんなにモテモテになろうが。
逆にどんなに失敗しようが底辺だろうが自信がある奴はある。道路工事とか行けばわかる(わかりにくいかな。この表現。そういうところで働いてるような奴ってことなんだけど)。
本当に手取り足取りレベルで細かーく書いてるよ。本来なら書くまでもなく一瞬で共有されるようなことを。
逆にふしぎだわ。同じ時代を生きてるととても信じられない。いい意味で。
もしかしてこの世のどこかにあなたみたいな健康な精神を育むユートピアがあるんだろうか?マジで思う。皮肉でもなんでもなく羨望として。
男が顔で女を選んでもたいして批判されないし、キチガイなんていわれもしないけど
女が男を顔で選ぶとなんでそこまで言われるんだろう。
この国は女の性欲をなかなか認めたがらないというけど、なんかこの問題も、そこに関連がある気がする。
要するに「女が男を選ぶ」ことが耐え難いんでしょ?
そうすると、なんのとりえもない自分が選ばれない(危険性がある)から。
女の自由意志を認めたがらないだけでしょ?
男が女を顔では決して選ばなくて、顔で選んだりしたら男コミュニティの中で侮蔑されるような空気があるだとか、そういう世界ならまだしも、自分たちはそれ以上に顔で平気で選んでおいて、自分達が選ばれる立場のときはそんな泣き言言うんじゃーね、そりゃ単に女の自由意思を認めたがらないだけでしょ、って。選ぶ立場だけにありたかったんだろうけど、残念でした。
ま、一応先進国にいる人間なんだからさー、いい加減脱して欲しいわ、そういう古臭い男根思想。
大体アンタ、整形なんてさ、モテるためにしたんだろうにw
だったらよかったじゃないの、成果が出てさw