はてなキーワード: 侮蔑とは
http://anond.hatelabo.jp/20090907225448
今まで他で聞いたことがないので、300人に1人もなるものなのか?と思ってググってみたら、たしかにそうらしい。
軽重はあるようだが、300人に1人なら、増田の中にも当然いるはずだ。
ペニスが小さいだとか包茎だとかなら、まだ(ネット上であれば)ネタにしやすいかもしれないが、
未だかつて尿道下裂の人の話を小耳に挟んだことはない(積極的に探したこともないが)。
尿道下裂で悩んでいる人のために、そして尿道下裂を知らない人(当然女性もだ)のために、
あくまで俺個人の例ではあるが、書き連ねてみよう。下世話な話もあるが、よかったら読んで欲しい。
酔っている(自分にではない、ビールにだ。夜中に飲んだのがまだ残っている)ので、多少読みづらい点があるかも知れないが、ご容赦を。
最初に付き合った彼女にでさえ、一部しか話していないことだ。
「おい、ちんちんみせろ」
当たり前のように言われ、当たり前のように見せていたので、特にこれと言った感情はない。
オヤジは尿道のあたりやら、むき出しの亀頭を見ては、納得したようなしてないような雰囲気だった。
今思えば、オヤジとしては自分の子どもが「尿道下裂」という得体の知れない病気であることは、
もしかしたら「こんな風に生んでしまって申し訳ない」という罪悪感と、
しかし「なんでこうなってしまったんだ」と認めたくない拒絶感を覚えていたのかもしれない。
ネットのない時代、情報もろくに集められずに不安で、不安で、不安でしかたがなかっただろう。
こう書くとすぐ差別だ云々いう奴が出てくるだろうが、俺と両親と、将来生まれるである俺の息子の問題である。
そこに差別はないと断言する。
同じく尿道下裂で悩む人をどうこう言うつもりはないし、その親を否定するつもりも皆無だ。
俺は両親を否定するつもりもない。ただ、自分の息子が尿道下裂であったら、それは申し訳ないと思う。
今は彼女がいないが、将来的に結婚する前に、ちゃんと彼女にも尿道下裂のことを説明し、息子に遺伝するかもしれないリスクを説明するつもりだ。
そして万一息子が尿道下裂だった場合は、オヤジがしてくれたように、息子に手術を受けさせようと思う。
話が横道にそれたが、尿道下裂のせいか、俺は子どものころから通常時でも亀頭が出ていた。
そのため、「むけた・むけない」の話が理解できなかった。
また、勃起したときには、下向き、横から見るとへの字型に勃起した。
だからマンガで勃起のシーンがあっても、「何故上部に盛り上がるのだろう?」と、いまいちピンとこなかった。
いくつかの性器への疑問と、風呂場でのオヤジとの「儀式」、そして夏休みに検査のために病院へ行く。
診察してもらったのは泌尿器科だった。
糖尿病の老人が多かったので、待合室にいるのはひどく恥ずかしかった。
一度だけ患者に「糖尿病?お若いのに大変ね」と言われたことがあり、違う、と思ってもうまく説明できないもどかしさがあった。
今ググって確認してみたら俺の症状は、尿道は尿道で存在し、その上でペニスの中ほどに尿道がもうひとつある「亀頭部下裂」だったようだ。
たしかに入院前くらいには、小便をする際に、勢いが強いときだと少し真ん中から洩れていた。
(「ニョウドウカレツ」という病名を受け入れるのに精一杯で、難しい用語は覚えていない。
漢字でさえ、ネットを始めてから改めてこれだったと思い出したくらいだ。)
また前述の通り、下向きに勃起し、
(外尿道口から包皮小体にかけて陰茎索といわれる結合組織束を伴うため、陰茎は腹側に弯曲するそうだ)、またペニスが短いという点がある。通常時で7センチ程度、勃起時で11センチ程度だ。
日本人男性のペニスの大きさは~などというが、そのサイズが通常時なのか勃起時なのかで非常に困る。
エロ本買う時は、完全に勃起している。短いから血が巡りやすいだけかもしれないが(笑)。
なお、元増田は胸が膨らむなど女性ホルモンの影響があったようだが、俺にはなかった。
元増田より軽度なのかもしれない。
亀頭は幼いころからむけていたので、「皮がむけたのがいつ」というのはないが、
陰毛が生えたのは遅く、中三~高一の頃だったと思う。
背は小さい方で、いじめられっ子だったので、そう言った点で多少「女々しい」のはあったかもしれないが、環境と性格的な部分に起因すると思う。
経緯は覚えていない。
手術の経過が分かるのも怖いので、全身麻酔をしてもらったが、手術後、もの凄い痛みで目が覚めたのを未だに覚えている。
それまでの入院生活がなんだったのかと思えるほどの、地獄のような痛み。
「明日になれば楽になる、楽になる」とひたすら念じていた。
手術前後に言われたのは、今後成長にともないペニスが大きくなるにつれ、下向きに勃起するためセックスがしづらい可能性があるということ、
手術後もペニスの真ん中から尿が激しく漏れるようだったら、再度手術する必要があるということだった。
一番気になったのが、「遺伝するか」。
当時は「遺伝はしない」と言われたが、ネットで見る限り、しないと断言できるわけではなさそうだ。
将来もし俺の息子が手術するようだったら、オヤジに相談しようと思う。
そして何十年越しになってしまうが、「手術を受けさせてくれてありがとう」と御礼を言いたい。
もうひとつの尿道からの、洩れは、まだ少しある。尿の排泄時に、雫が垂れる程度に。
いいのかどうかわからないが、あまり気にしないようにしている。
ただ、セックスは問題ない。
彼女には「子どもの頃ペニスの病気で手術した、下向きに勃起するが気にしないでくれ」と言ってから、セックスをした。
下向きに勃起するわ短小だわで、コンプレックスは強かったが、挿入はもちろんできたし、彼女もちゃんと感じてくれた。
その後の付き合いでも、つまらないケンカはしたが、セックスで問題になるようなことはなかった。
汚い話もすれば、風俗で遊んだこともあるが、特に何か言われたこともない。
相手もプロだから、わざわざ傷つくようなことを言わないのは当然だ(まれにそうでもないらしいが)。
だから、もしペニスが小さかったり、下向きに勃起したりする増田がいても、気にせず遊べばいい。
また女性の増田で、もし彼氏が下向きに勃起していたとしても、驚かないであげて欲しい。
下向きに勃起している=尿道下裂とは限らないと思う。そういう人もいると、受け止めてあげて欲しい。
難点としては、尿道を手術しているので、性感帯としては弱いし、痛くなりやすい程度だろうか。
風俗に行くときはアルコールが入ってからのことが多いせいもあるかもしれないが、勃起はするが射精しづらい。
そのため素股やフェラではいきづらいので、仕方なしに慣れた自分の手で処理することが多々ある
(ローションをつけていても、すぐ手コキも痛くなってしまう)。
思ったより長くなってしまったのでまとめよう。
鬱がわかりづらいように、病気や障害というと、どうしても目に見える範囲のものを思い浮かべてしまう。
だが目に見えない部分で、人には言えない部分で悩みを抱えている人もいる。
性器のことであれば、なおさら人には相談できない。
でもそういった人たちにも、極力コンプレックスなく、セックスを楽しんで欲しい。
それが(女性は嫌がるだろうが)風俗だろうと、彼女とのセックスだろうと。
言うまでもないが性欲は人間の三大本能と言われるくらいで、それを抑え付けたままにしようというのは、大変なストレスだ。
ペニスへのコンプレックスよりも、性欲の解消の方が重要で、とにかく人肌が恋しくて仕方がなかった。
女を抱かないと気が狂いそうだった。
そう言った意味で、風俗嬢には非常に感謝しているし、彼女らを侮蔑する言動は好まない。
敢えて人目にさらすことで、自信をつけたかったのもあるかもしれない。
いじめられっ子で下半身丸裸にされた経験もあり、余計下半身にはコンプレックスを持っていたが、おかげでだいぶ和らいだ。
露悪的すぎるくらいにあれこれ赤裸々に書いてしまったかもしれないが、こういったことは病院のサイトでは説明されていない。
重度の尿道下裂だとまた問題が違うかも知れないが、
俺の例を通して、尿道下裂の人やその他性器にコンプレックスを持ってる人が、少しでも楽になってもらえればと願っている。
なおWikipediaによると、
とのことである。
2000人に1人いるという半陰陽、インターセックスについては、六花 チヨのマンガ『IS~男でも女でもない性~』が素晴らしい。
丁寧な取材と温かい目で描かれた、笑って泣ける傑作だ。是非手にとって欲しい。
あ、まったくコンプレックスが解消されたわけではないので、短小乙とか言わないでくれよな!
ネトウヨが侮蔑されてるのは自民が負けたからというわけでもないし、少なくともニュー速では数年前から馬鹿にする風潮があった。「+へ帰れ」とかいって追い出そうとするレスもよくあったんだが、まとめサイトだけ見る人はいまだにねらー=ネトウヨというわら人形を叩きたいがために痛いニュースとかに必死にネガ米つけて憂さ晴らししてる。
以前にもその話題出たけど。
なんで処女厨が「厨」て言われてるか分かってる?
非処女のことを「中古」だの「肉便器」だの侮蔑表現で罵る人のことが「処女厨」って呼ばれてるんだよ。
増田にもいるじゃん。
最初に攻撃したのは処女厨の方なの。
自分が付き合うなら処女の方がいいな、とか好みの問題として言ってるぐらいの人ならこれまでもいたしそういう人は別に批判されてなかった。
それが行き過ぎて、自分が付き合う付き合わないに関わらず非処女は人として価値がないみたいな極論を言い始めたバカがいるから叩かれてんだよ。
マジレスすっと、お前が、非童貞の男にも、同じような事を思ってるかどうかで道は別れる。肉便器と言いたくなるのと同様、非童貞にもきたねぇ肉棒が!といいたくなるのかどうか。
要するに男女とも結婚前の性的行為はいけないのだという考えなのか
俺はいいけど女はだめという考えなのかっつーこと。
前者だと、これはもう宗教の問題になってくる。カトリックとか?ああいうのはいったほうが、マジでいいとおもう。日本はなんだかんだで仏教・神道の影響強いから、そういう思想はあんまメインじゃないから、変な目で見られる。潔癖症的な。
で後者だと、まあ色んな方面から嫌悪・侮蔑の対象になるのは分かるだろ?
問題は、処女厨はほとんど後者だと思われてるってこと(事実か否かはさておき)。お前が「いや、前者です」っていうんなら、マジでカトリックかなんかはいったほうがいいと思う。同じ考えの奴いっぱいいるわけだし、そこではむしろ褒められるわけだし、そういう考えの女がいるわけだから、相手も見つけやすいだろ。
そうすれば、自分の思想と会わない男女がいても、いちいち汚い罵倒語浴びせることもなく、「宗教の違いだからな」と割り切ることができるだろうし、心穏やかでいられると思うぞ。
実際ほとんど処女厨の信念って、宗教的だから、マジで入信を勧める。相性いいと思うぞ。でもカルト系はやめとけよ。やっぱカトリックとかその辺のメジャーでわりかしソフトなものにしておいたほうがいいと思う。
女性と付き合った経験のないまま大学卒業しそうな友人が、最近荒れて酒びたりになっている。
彼に言わせれば、「女性と付き合ったことがないから女性からも引かれるし、きっともう悪循環で彼女なんて出来ない」らしい。
よくネット上でもその手の言説を見るのだが、モテないのは本当に女性経験がないからなのだろうか? 女性経験のなさは、モテない原因となるのだろうか?
確かに、不良っぽい男性に惹かれる女性は一定数いるので、そのような女性は、経験の多い男性を魅力的とみなす。
また、相手に自分より優位に立って甘えさせてほしいと思う女性は、自分より相手の方が経験豊富であってほしいと思うだろう。
同じように、女性側が経験豊富なのに、相手が経験なしの場合は、(男性の方が性に積極的という幻想ゆえ)女性は引け目も感じる。また、自分がリードする立場に立たなければいけないということに、うんざりするかもしれない。
ある程度の年齢の童貞が引かれるというのは、女性でも、30なのに処女だったら引くとか言われるのと同じことだ。
ただ、男性の方が性に対して積極的という幻想というか、固定観念があるから、そのハードルとなる年齢が女性より低いんだろう。
とはいえ、全ての女性経験のない男性に対して言えるのかというと、そうでもないだろうと思う。
付き合いたくてものすごく彼女を作ることに熱心で、他の事は全然やってこなかったけれど、彼女が出来ませんでした、といえば、確かにちょっと引かれるかもしれない。
しかし、「彼女を作ることに興味を持っていなかったので、女性と付き合った経験はないけれど、君のことが好きになった」と言われた場合、そう悪い気はしないのではないか。
大体、対等な関係を求める女性や、性に対し保守的な女性は、「お互い初めて」であることを割と喜ぶ傾向にあるし、最初は気になっていなくても付き合ってみて彼氏が元カノと関係を持っていたことに嫉妬する人もいる。
実際、似たような話は何度か女友達から聞いたことがある。
また、2ちゃんねるの恋愛関係の板を見ると、「お互い処女童貞で付き合い始めた」ことがノロケとして成立していたり、元カノへの嫉妬をあらわにしている書き込みも多い。
もちろん、これらの例を持ってきて、世の人はみんなこうなんだ! という気はないが、逆に童貞=侮蔑の対象と皆が考えているというのも正しくないよ、と主張したい。
つまり、童貞であることは、恋愛する上で大した不利益にはならないのである。
そもそも、本気で女性経験がないせいで彼女が出来ないと思っているのなら、それを隠せばモテるはずではないのか。
私の友人の場合は、自分がモテないことを「女性経験がないこと」のせいにして、正面から向き合うことを避けている節もある。それは、「逃げ」である。
「もうモテなくてもいいや」と思う人は、存分に「俺は童貞だからモテないんだ!」と言えばいい。しかし、現状モテなくて、でもモテたいと思うならば、自分は何故モテないのか、童貞のせいにせず考えてみてはどうか。
忘れるように努力しても、やっぱり忘れられなかったことを引き摺っていたことに気づき、忘れるために遠くに離れたのに、遠くにきて益々自分の中ではきれいな記憶になってしまったりしていて困る。
煮え切らない関係を数年続けて、仕舞いはあっさり訪れ、お互いその頃は何かに忙殺されていて、疎遠になり、何かの行き違いが重なり重なりついに連絡が途絶えたり、よそよそしい関係になった。
連絡に対して応答がなくなったときは、それはそれは落ち込んだ。それでも、もとより自分の手に負えるような女ではないと思っており、荷が重いと感じていたので、多少は安心した。
顧みるに自分の煮え切らなさ過ぎる態度は相手からすれば不安だっただろうし、ときには侮蔑のように感じたかもしれないし、勿論相手に成り代わることは出来ないので、実際の所は分からないのだけれど、きっとだれもがそのように感じる筈。こっちはこっちで生活の忙しさと、自分とは大凡釣り合いの取れないような人と、仲が良いから先に進んでしまいそうなことに不安とかその他を感じながら過ごしていて、何でこうなってしまったのだろうと自問を繰り返していたりした。
そうこうするうちに僕らは互いに年を取り、多くの人が世間に対してある程度を示すべき時期が近づいてきていたっぽい。それはそれはそつのない人間に見えるので、てっきりもう適当な相手を捜して、ある種の通過儀礼を済ましているものと推測しているのだけど、こちらと致しましては知人関係にその様なことはついぞありませんでしたと言って回っているので、相手の消息は知れず、憶測だけが募る日々。連絡先もうっかりなくしてしまってさてどうしたものかと考える物の、一方でどうしたものかと逡巡する。
思えば連絡が途絶えたのも、ある程度は自分が望んだことなので仕方がないのかもしれない。どう考えても此彼の差は大きく、何で俺なんですか、意味分からないですとか、お前と付き合うのは俺ではないとか、もっとマシな男を選べよとか思っていて、毎回会う度、これが今生の別れだと思っていたりもした。
一方で、その後思い出す度に、もう一度同じ機会があれば今度はもう少し上手くやれるのにと思ったりもする。女というのは好きと言わせたい生き物だというけれど、今なら上手くその仕掛けに乗れそうだ。
何でそもそもそう思うかというと、やっぱりということになるんだけど、その辺はありがちな言葉、つまり、自分に素直になれなかったとか、気づかなかったとかそのようなものを充てておいて、なので自分でも思い残した所があるのでということになるんであろうなあ。こんな無趣味で無教養なののなにが気に入られたのかはしれないけど、そしてそれはまた別の話。
そして、会いたいと思えば思う程、会うべきではないという思いもあり、もはやどっちに転ぶか自分でも予想がつかない。唯一今の状況に収まっているのは、周りの人間に連絡先を訪ねないからで、恐らく知っていたら今更どっかで会う約束を取り付けてるのだろうなあ。
そういうことで、どうしたらいいかさっぱり分からないし、相手の迷惑もあるのでなんともしがたいのだけど、増田さんならどうするでしょうかという話です。
書き直してみる
昔のゲームの方が面白い派 と 今のゲームの方が面白い派 の二種類がいる。(もちろんどっちも好きだって人も嫌いだって人もいるって。この話はこの両者の相互理解不足についての話で、前者と後者って言うために最初に上げてるだけ)
前者は昔のゲームだけ知っている or 今のゲームも知っているが昔のゲームの方が面白い と言う人がこれに当てはまる。
後者は今のゲームだけ知っている or 昔のゲームも知っているが今のゲームの方が面白い と言う人がこれに当てはまる。
1.前者は昔の傑作だけ上げて昔のゲームの方が面白かったと言っている。(昔の糞ゲーや普通のゲームのことは話に出さないor忘れている。)
このため特に昔を知らないタイプの後者は「昔のゲームは全部面白かった。今のゲームはつまらないのが多い」のような言われ方をしているように感じてしまう。
前者が傑作だけを上げて話している前提が後者には伝わっていないから誤解を生んでいる。
これは後者も同様で、今のゲームの方が面白いとだけ言うと、前者はとにかく今のゲームが昔のゲームよりすべて面白いかのように受け取ってしまう。
2.前者は思い出補正を含めて昔のゲームの方が面白かったと言っている。
後者には思いで補正が掛かっていることが伝わっていないし、前者も思いで補正が掛かっていることが分かっていないこともある。
3.前者はゲームに対する新鮮さが薄れているため昔のゲームの方が面白かったと言っている。
思い出補正と同様前者と後者では同じゲームでも感じ方が変わる。
これも後者も同様で、つまり先にプレイしたゲームの印象が強く残っているという前提を抜きにして両者が会話をしてしまっている。
後者はこれを侮蔑的に受け取っているが、後者は絵が綺麗なことを否定しているわけではない点が伝わっていない。
制作にかかるコスト内の比率が絵に寄らざるを得ないために、システムにコストがかけられずバランスや操作性に不満の残るゲームが出てしまうことへの懸念として「そんなリスクがあるなら絵を綺麗にしないでいい。PSやSFC位で十分だ」と言っている。
(ただしこの問題は単純に「絵を綺麗にするために時間を使うのでシステムに手が回らない」事が原因ではない。内容が複雑になっている点やプログラムの高度化、細分化、開発人数の増加、教育不足も原因の一つ。また昔のゲームもバグは多くあったが今のようにネットが発達してもいないのでバグがあっても耳に入ってこなかった、今はバグが出るとネットで大騒ぎしているのでバグが多くなったような気がしているだけだったりもして、絵を昔の水準に戻すことで一概にシステムが良くなるかは分からない)
結局の所これも前者が昔のゲームにもバグがあったりシステムがいい加減なゲームがいっぱいあったことを忘れているのか思い出で美化してるのか、後者には伝えていない点が問題。
また、昔のゲームでなれている人は絵がドットでもなんてことはないが今のゲームから入った人は昔のドットで満足しきれないでもしかたない。
これはバーチャルボーイの失敗から明らかだし(カラーが当然の時代にモノクロには戻れなかった点が失敗原因の一つとされている)、一般的にも今携帯電話がなくなったら不便みたいな話と一緒。
5.前者はシリーズ最新作より過去の作品の方が良かったと言う。
これは思い出補正もあるし先にプレイしたゲームの印象が強く残っている点もあるが、シリーズに対する期待の仕方が違うという点がある。
過去のシリーズをプレイした人はプレイしていない人に比べて最新作に対する期待値が高くなる。(あのシリーズの最新作なのだからもっと面白いハズ! という期待)なので同じゲームをプレイしても期待が高すぎるとつまらなく感じるし、全作にあった良いシステムが改悪(たとえ改善でも)されると違和感を覚えて不満を感じることがある。またシリーズの雰囲気ががらりと変わるとそれを受け入れられないこともある(伝統のようなもの。この辺は老害と言われてもまぁ仕方ない)
ということで、前者は以上のような話をもって昔のゲームが面白いと言う方が相手に誤解を与えずに良いと思う。
それと、ろくに遊びもせず見もせず今のゲームはつまらないと言うのはダメだ。
上に書いたように昔のゲームが面白くて今のゲームがつまらないというのは前者自身の勘違いや補正もだいぶ入っているのだから。
これは若者に対して「最近の若いもんは」と言うような思考停止と同じこと。
また今のゲームの方が面白いと豪語して昔のゲームが面白いという人には問答無用で懐古厨と言うのも同じことだ。
少しはまとまったかな
中絶ゲームの件で、ようやく自分の中で合点がいったので、ぐぁっと書いてみる。
ロリコン野郎も痴漢野郎もレイプ野郎、そして中絶させるゲス野郎も、相手への同意がないんだよな。
それがどうしようもない気持ちの悪さの原因なんだ。
表現の自由とか云々とかじゃなくて、その行為の非対称性が人として許せないんだ。
もの凄くわかりやすい言葉で言えば、相手への思いやりがない。
オーケー、たいていのエロは相手への思いやりはないとも言える。
パンチラのどこに思いやりがある?
ないね。
視線の暴力ではある。手鏡で見ても捕まるし、盗撮したら立派な犯罪だ。
「あの子のパンチラ見た」ってのと、「あの子レイプした」「中絶させた」って比べたらすぐ分かるでしょ。
比べるまでもない。
同じセックスをするにしても、同意の上のセックスとレイプでも、
結局性欲を満たす行為であることにはかわりない。
まあこの辺はまたややこしくなるから、さらっとしか触れないが、
愛情の有無うんぬんもあるが、それ以上にお互いの合意があるかどうかが重要なんだ。
レイプは無理矢理やるからレイプだけど、中絶は同意がなきゃできないだろって?
中絶にしたって女性も否が応でもせざるを得ないからするんだろうが、
法律的な話は面倒だからはしょるが、胎児に人権があるなしにかかわらず、とりあえず同意はない。
ロリコンも同じで、性的な目で見られるという意味もわかっていないだろう相手を、そういう目で見るわけだ。
百歩譲ってもうそれは仕方がないともいえるが、
耳を舐めるのが大好き、二次元にしか興味がない、何でもいい。
でもその趣味嗜好に拒絶反応を示す人がいるってことは絶対忘れるなよ。
だから、大声で話すべきことじゃないんだ。
ゲームだから何でもしていいって?そういう問題じゃない。
ゲームをしたいって欲望の裏側には、現実があるって事を忘れるなよ。
「人を殺す」ってのはゲームではあまりにもありきたりになりすぎていて、
もはや刺激がないんだが(RPGで敵を倒す=殺さなきゃ先に進めない)、
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
ですよねえ?
改めて確認するまでもないことだと思うけど
最近なんかわかってない人を見かけた気がした。特に女性やモテる男性やに。
ダメでスケベでしつこくて振られてばっかりでアホで。
美点を見れば、性欲が強くモチベーションが明確で不屈の根性があって女性を純真に崇拝している
アタックしてはかなり酷く扱われるけど全然意に介さない、へこたれない。すごい笑顔。
あの漫画ブ男のイメージを無意識に踏襲してるらしき議論を未だに見かけます。
違うって。今時そんな人間いないって。
そもそも漫画ブ男はブ男であることを弁えずに積極的に恋愛アプローチをして
その自分で望んだレスポンスとしてノーをもらっている。レスポンスが辛かったら大人しくなればいいわけです。
そんな彼を「アホやなあ」といいつつも、顔は基準にせず認めてくれる男のグループもいる。
男のグループからも顔のレベルが低ければ承認を得られないことがあり
恋愛に関するアクティブな態度を一切示さなくても女子からノーのサインや侮蔑のサインをもらう。
まして少しでも興味のあるような素振りをしてしまえば大変です。「ギャー!キモい!」
そのような環境から出来上がる恋愛や女性に対するスタンスというのは
逃避的、薄い欲求、打たれ弱い、無表情、です。「ギャー、何考えてるか不明、犯罪者予備軍っぽい!」
それを表に出さない人、何か自己啓発的なイベントを経て抑えるようになった人、諦観で枯れて穏やかになった人は居ても
ブ男はみんな気持ち悪いミソジニーを心の底に持ってるんですよ。
だからネットで気持ち悪いミソジニー言論に触れて驚いてる人がとても不思議。
じゃあ、なんだと思ってたんだろうかと。
僕お得意の後だしジャンケン的話ですが。
自分には
「自分に時々湧き起こる『パートナーがほしい』という気持ちは、結局はほぼ『SEXがしたい』という劣情だろう」
という長年の疑念がありました。
「恋愛しない人間は変」という現代の風潮/イデオロギーも、「無思考すぎる」という意味で軽蔑していました。
つまるところ、「恋愛」など、性欲とイデオロギーの、醜悪極まりない結晶ではないだろうか。
では、
旺盛な性欲から解放され、恋愛に対する現代社会のイデオロギーの洗脳が解ければ、僕は「一人で生きていこう」と思うのだろ
うか?
この疑問に、そろそろ決着を着けなくてはなるまい。
僕は27歳にもなって、劣悪で程度の低いこの問題に、いまだにしばしば足をとられるのだ。
残ったのは旺盛な性欲でありました。
だから、僕はここ一年近く、「性欲を完全に満たすこと」に対する投資を惜しみませんでした。
僕の部屋は、この一年で大量のアイドルビデオとポルノビデオ(と大画面テレビ)、大量のエロ本にあふれ、
懐の余裕が許せばいつでも、風俗嬢にも僕の性欲を満たす手伝いを求めました。
それにあたって、インターネットという手段が非常に強力で有効だったこと、
(言うまでもなく、ブロードバンドは男性の下半身が普及の牽引力であった)
また、特にここ2,3年、射精産業に関わる女性の容姿とサービスの質は異常なまでに高いこと、
僕は、その恩恵を一身に受け、僕の性欲は完全に近く満たされて続けています。
しかし。
だからこそ。
ようやく今、100%の自信を持って結論を出せることがあります。
自分の心の隅で、小さく、しかし、ゆるぎない確かさを持って、この一年間結局消えることなく灯り続けてたこの気持ちを、
もう、
決して、
僕は否定することはありません。
俺は彼女がほしい! \(^▽^)/
普通は逆のような気もしますが、、、というか、単に個人差の問題かもしれませんが、、、
どうも困った。
例えば、2ちゃんねるのコピペなどを初めて目にすると、ほどんどの人が感心すると思う。
2ちゃんねる自体はともかく、コピペだけは本当に感心させられるものが多いからだ。
正直、何千個もありすぎて、いちいち例を挙げてられないが、例えばコレ。
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ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。 「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」 一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」 「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
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初めてコレを見たのは3年前くらい・・・?
その時は、
『なるほど~!!』(;゚∀゚)=3ムッハー
と、超、めっちゃ感銘を受けてもう、「よ~し!!やるぞ~~!!」的な気分になったのを覚えています。
が、そういった色々なコピペを追っていくと次第にコメント欄などで
『今どきこんな古いコピペに感心してるとか(笑)』
『見飽きた』
『似たようなの無かった?』
等というコメントが目立つようになってきたのを感じました。
この他にも本当に色々といいコピペがあるのですが、確かに自分も「なんか最近マンネリ、、、というか飽きた」という感じで、
「きっといい話なんだろうな~」としか感じられなくなってきてしまったわけですよ。
で、そこまで考えて、ふと思ったんですが、、、、
面白い、興味深い、といってくれる人も何人も居るけれど、
『いい加減、この話の持って行き方には飽きた』とか
『ま~た、奇をてらった文章の書き方しおって。ミエミエなんだよ!』とか
『最近話題偏ってない?同じような話ばっかりで読んでいても詰まらない』
とか思われてるんじゃないかな~と。
いや、実際思われているでしょう。
自分の文章レベルの限界に気づいたとき、はたして情報を発信するのをやめるべきか、続けるべきか。
さっと辞めるのも潔いと思うし、
そもそも個人の日記なのだから、駄文を垂れ流すのも侮蔑されるのも自由なわけで、
おめおめと生き恥をさらし続けるのも自由なわけだ。
書き続けている間に、そのうちまた自分の文章レベルも上がるかもしれないからだ。
【結論】
勝手にしろって話ですね。