はてなキーワード: パトロンとは
精神科に行くか、ひとつひとつ証拠を集めて、原爆や公害の時みたいに集団訴訟するかなんだよね。
前者の方が、考えなくていいし楽だし、やり方によっては障害者年金さえ貰えるし、現時点ではメリットも多い気もする。
精神科に通ってて、訴訟できる状況になればしゃしゃり出てくるのがいちばんオイシイだろう。
でも・・・誰もさきがけにならなければ、そういう訴訟に持っていける土壌さえできない。
活動が軌道に乗って、人が自動的に集まってくるようになるまでが、一番しんどい。
会社の設立だってそうなのだろうけど。
そして、大きな組織になるにつれ、中に「ノイズ」も入り込んでくる。それに程々に迎合しつつ、のまれないようにしなきゃいけない。
立ち位置を確保できるように、ある程度「力」(≒金、声の大きさ)のある人たちに根回しも必要。
それには、活動が彼らにとって何らかのメリットとなる形でないといけない。
真実を告発していく、という点と、パトロンさんたちのデメリットに齟齬が出てきたときに、どこまで譲れるか。
そんな矢面に立ちたくない、と生きていてある時。
世の中が作り変えられていったあとに、ある種の人たちにとってとても住みにくい世界が出来上がってしまうとする。
矢面に立たずにきたのだから。
出来上がってしまってからでは、遅い。
仕組みが出来上がってしまう前に叩かないと、その仕組みに負けてしまう。
なんかもう、私ですら気づくってことは、手遅れかもしれないと思う。
詰んだというか。
でも、力がありながら、立ち向かおうとしてくれている人を見ると、心強い。
国境を越えて、こんなことがあるまで知らなかったような大きな組織の人たちが動いているのを見ると、現代の戦争は何も目に見える武器を使ったものだけではないのだと思い知らされる。
でもま
一部の人たちを見てると、この人たちならされて仕方ないんでは。
とかたまに思う。
まさかその人たちの前では言えないけど。
いや、まさに問題はそこで、それで生活できないのだから人はそれをやらなくなるのですよ。
昔みたいなパトロン制があるわけでもないのでね。
表現者は、表現そのものを流通させることで糧を得ないといけない。
一人であれば、本業の傍ら細々と活動することも悪くはないし、生活をかけて闘うのも有りだろうとは思うが、複数となるとね。
昔ながらの伝統芸能とか、伝統工芸が無くなっていっているのは、生活できないからだし。
それが市場の自由競争の結果であるなら問題ないが、政府が規制することで無くなるのなら、事実上の表現規制と変わらない。
もちろん、そういった商業的な部分までを含んで「表現の自由」を叫ぶのはずれているとは思うけれどね。
そっち方面の表現者には切実な話だという感じ。
50年近くひとりで生きてきた私が、自分の家族を持ちたいと思った。
金もなく独り身の私がニナにできることといったら、配偶者ビザを与えることくらいだった。そのお礼と言ってニナは裸になったが、私が彼女を抱くことはなかった。ニナにしてみればこれはビジネスライクな契約だったのだろう。しかし私は対価としての体を拒むことで、そこにビジネスではない情を差し挟もうとしたのだ。それはニナにとって負担だったかもしれない。だが私はわずかでもニナに負い目を感じさせたかったのだ。
ニナは母国に家族がいた。親兄弟、祖父母、叔父叔母、従兄弟。あらゆる血縁が、中には血縁のないものまで、ニナの収入にぶらさがっていた。別にアジアの貧困を憂う気持ちはない。彼らがいたからこそ私はニナと出会い、法律上の夫、そして法律上の父になることができたのだから。
ニナには16歳になる娘がいた。名前はティナ。日本人とのハーフでありもちろん私生児だった。父親の行方は知れないらしい。手足が長く整った顔立ちのティナを見ると、おそらくティナの父親も容姿の整った男だったのだろう。ティナは案外に義理堅く、私のことをお父さんと呼んだ。若く美しい娘にそう呼ばれると、さえない自分が申し訳なくなる。ニナも40歳前だったが美しい女だった。若さとは違う魅力が年を重ねるごとに増していくように思えた。そんなふたりが働く「ルカルカ」はいつも客で賑わっていた。16歳のティナがそういった店で働くことはもちろん認められていないが、ティナは20歳と偽って働いていた。ニナとティナはまるで仲の良い姉妹のようだった。
私たちは婚姻後も一緒に暮らすことはなかった。ニナとティナはパトロンが与えたマンションに住んでおり、私の住むアパートを訪れることは滅多になかった。寂しくないと言ったら嘘になるだろう。嫉妬に身を焦がすことも少なくなかった。私は都合の良い男であることを自覚しながら、心のうちではそれに抵抗していたのだ。そんなときニナとティナは私のアパートにひょっこり顔を出す。「お父さん元気だった?」 それは水商売に身をおく人間特有の愛想の良さだった。それでも私は嬉しさを隠せなかった。私たちは家族なのだ。不遜にもそんなことを考えてしまうのだった。
孤独にさいなまれた夜、私はひとりチェリーパイを作る。私はそれをチェリーパイの夜と呼んでいた。菓子職人だった頃の記憶を呼び起こしながら黙々と作っていると、どうしようもない孤独が少しだけ和らぐような気がした。まだ腕は衰えていない。しかし私はもう菓子職人ではなかった。薄汚れた作業着、黒ずんだ爪、日焼けした肌、軋む身体、生気を失った目。今の私は限りなく底辺に近い場所で働いていた。憤りも諦めも通り越し、あらゆる感情が削ぎ落とされ、疲労だけを身体に積み重ねる毎日を過ごしていた。私はチェリーパイを1ピースだけ口に放り込むと、残り7ピースをそのままにして床についた。ひとりで始めてひとりで終わる。チェリーパイの夜とは、ありていに言えばそういうものだった。
しかし翌朝目覚めると、そこにはニナとティナがいた。私が寝ているうちに来たのだろう。よほど疲れていたのか、台所の床にそのまま寝転がっていた。ふとテーブルの上のチェリーパイを見ると6ピースに減っていた。背中を嫌な汗が伝った。
仕事場からその薬剤を持ち出すのは容易いことだった。耳かきひとさじで致死量のそれを、私はいつもチェリーパイの1ピースに混ぜ込んでいた。そしてロシアンルーレットの要領で皿をぐるりと回し、ひとつだけ口に放り込むのだ。確率8分の1の命をかけたルーレット。これは運試しだった。ただ私はいつも運が悪かった。運悪く生き残っていた。
ニナとティナは甘いものに目がなかった。特に私のチェリーパイは好物だと言ってくれた。時間は深夜、体重を気にする年頃のティナはきっと、ひとつのチェリーパイをニナと分け合ったのだろう。姉妹のようによく似たふたりは、床に寝転がったままぴくりとも動かない。もちろん寝ているわけではないだろう。そろそろ私は目の前の現実を受け入れなければならない。ふたりはもう死んでいる。チェリーパイの夜、私は生き残り、その代わり法律上の家族を失ったのだ。
それから何時間経っただろうか。今私の目の前では美味しそうなミートパイが焼きあがっていた。ひとりきりの部屋で私はミートパイを口に運ぶ。噛む度に口の中に肉汁があふれ、ほどよい塩気と豊かな甘みが広がっていく。そしてゆっくりとミートパイを飲み込んだとき、私たちはようやく本当の家族になれた気がした。
別の面からだが全面的に同意する。
ルネサンス当時はパトロンが大金持ちで良かったが、今はそれを一般人が少しずつ担うようになっている。
販売元は、それを分配する。
それで制作者が食える。
ニコ動などで同様の事態は見られるが、制作者によるダンピングは、回り回ってこの「一般人が少しずつ担うパトロン」という役割を麻痺させる。
なるほどプロならぬアマチュアのクリエイターは、お金じゃなくても賞賛をもって十分な報酬とするだろう。
アマチュアしかコンテンツを作れない世界、一般人がプロを支えない世界というのは、つまり、日本の周囲の国でアニメの商業的成功が見られないのと同様の状態であり、文化としての水準を保てなくなることと同義である。
海外のHD機向けゲームが色々とローカライズされるようになって、初めて触れる人が多いのか知らんけど
「日本のゲーム会社は遅れてる」みたいなことホザく人が増えてきた。
日本とは違う進化を辿ったゲームに触れてカルチャーショックで頭おかしくなっちゃったり、
宗教戦争に加担していたりするんだろうけど、本質が見えてないよね。
はっきりいうと、日本のゲーム会社と海外のゲーム会社で決定的に違うのはプロジェクトに付く予算。それだけ。
才能の限界にたどり着く前に予算の限界が来ちゃって作り手がフルでがんばれる環境ができてない。
なぜそうなるかっていうと、HD機にユーザーが期待するゲーム(要はグラフィックがキレイでボリュームのあるゲーム)を
作るために必要な予算をかけちゃうと国内だけじゃペイするのが難しいっていう現実があるから。
もちろんぺいできてるソフトたちもあるけど、圧倒的にペイできてない方が多いよね。
国内だけでペイできるように作ろうとすると予算規模が縮小され、PS2でもいいんじゃねーの?みたいなゲームしか作れない。
でもわざわざHD機買っといてPS2みたいなソフトをやりたい人なんてそんなに居ないよね。
高い金払って新しいゲーム機買った以上はその性能を最大限まで生かしたゲームやりたいんだよ、誰でも。
作る側だってそういうの作りたいよね。
でも無理なんだ、商売だから。慈善事業じゃないから。
市場規模のデカイ海外は海外で、調子に乗って金かけすぎてヤバくなってるけどww
でもやっぱ市場規模がでかいってのはいいよね。ニッチ市場でも絶対数がある程度あるからペイ出来る場合もあるわけだし。
日本のHD機で冒険できるのはFFみたいにブランド確立できててどんな出来でも一定以上の売上見込めるソフトぐらい。
もしくは気前の良いパトロン見つけられた人たちぐらい。そんなの居ないけど。
FF13は賛否両論あるけど、安牌狙わずに冒険したってのもすごいし戦闘に緊張感を持たせるってのに成功してる感があっていいよね。
序盤はまぁ、アレだけど。
グダグダ余計なことも書いたけど、日本のゲーム会社は能力で劣っているわけじゃない。金と時間と余裕が無いだけだ。
でもそれをどうすれば得られるかはわからんね。景気が良くなれば多少はあぶく銭がゲーム業界にも回ってくるかな?
でもゲームに投資するぐらいなら他に投資した方がまだ回収の見込みあるよね。難しいねぇ。
だれか予算の壁を才能の壁の向こう側に蹴飛ばせるぐらいの金をゲーム業界につぎ込んでくれないかな?
まぁ、予算の壁を超えてもその先に文化の壁があって、なかなか簡単に海外でも売れるようなゲームが出来るわけじゃないんだけどね。
友人以上恋人未満な男がいる。
大学時代に知りあって
わたしは彼の才能にけっこー惚れてるんだ。
それなりに輝いて見えてた。
だからたまに飢えてるそいつにご馳走したりしてる。
まー、パトロンみたいなもんだよね。
夜、わたしの家に来て一緒にご飯食べて
一晩泊まって朝どっかに出て行く。それが週にニ、三回。
そのせいか、ぜんぜんハングリー精神がない。
こっから這い上がろうみたいな闘士が感じられない。
わたしのせいだ。わたしが彼の潰している。
先日、ちょっとした事件があった。
夜、彼と寝ているときに彼がわたしの身体を求めだした。
ここまで来るともう、「いい加減にしろ!」と言いたい。
心を鬼にして縁を切ろうかどうか、考え中。
音楽したけりゃ、やれよ、と。
一人で生きてく覚悟をして、どんなに孤独に苛まれても、自分の信じる音楽のためにこそ死ねよ。
誰に何を言われても我関せずで生きていけないなら、芸術なんか目指すなよ。やめちまえ。
ピアノが弾けないのがどうした?初見演奏なんて訓練じゃねえか。
自分の訓練が出来ないなら諦めろ。諦めて他の方法を探せ。芸大も音大も捨てて、それでも作曲すればいい。
死ぬ覚悟ってそういうもんだろ?
教師に見捨てられて死ぬって、何のためにだよ?自分のプライドを守るためか。さっぱりわかんねえ。
それとも、芸大でアカデミックなことを教わらないと作曲出来ないと思ってるのかな?
デッサン習わないと絵が描けないってのと一緒だな。
結局は他人に評価されたいだけだろ。芸大の作曲科なの!凄い!って言われたいだけか?
毎年作曲科を定員通り15人づつ卒業しているとして、果たして何人が作曲を生業に出来ているのか。
芸大出て、自分の作りたい音楽がそのまま認められて食ってる人間が何人いるのか。
大学なんてそんなもんだ。
芸大に行くことより、やりたいことやって生きてく方法を考えてみたらいい。
親のスネかじり続けて、女のヒモになって、パトロンにごますって、それでも好きな作曲を続ければいい。
作曲するためにだけ生きればいい。あらゆる物を食い散らかして、人に迷惑かけ倒して、それでも作曲すればいい。
私学の高校に雇われて教員やりながらせっせと作曲するってのも堅実な方法だな。
楽理科ならまだ何とかなるかもしれんもんな。それでも奇跡だな。
諦めがつくまでやりたいことやってれば、どこかで成功するかもしれないしな。
運良く誰かに認められるかもしれん。賞が取れたりするかもしれん。
それでも最後の最後は誰にも看取られること無く、楽譜を抱いて死ねかもしれん。
それでもいい、ってのが覚悟ってもんだろ。
ああ、そうそう。
俺の爺さんは日本音楽コンクールで入選2回、1位1回取ってるんだが、エンジニアだったよ。
休みの日にはグランドピアノをぐらぐら揺らす勢いで弾いていたそうだ。
爺さんが勉強に使ったであろうヒンデミットのスコアを持ってる。爺さんの朱書きがはいったスコアは迫力満点だ。
爺さんが1位を取った曲は交響曲。手書きのスコアが残ってる。出版されなかったし、演奏されたのも1,2回のことらしい。
それ以外にもスコアがたくさん。わかりやすい歌曲もあるが、難解な十二音音楽と思しき楽譜もある。
爺さんは家族を養って、それなりの遺産を残して死んだ。
幸せだったのか、不幸せだったのか、本当のところはわからない。
死ぬ間際までピアノを弾いていたそうだ。
そいつは中途半端な奴に触れないぐらいに熱くて冷たいんだよ。
>でも俺は彼女の親でもパトロンでもなく、パートナーなんだから、負担はフェアじゃないといけないと思う。
ある種の強者の理論。特に「いけないと思う」なんて考えがね。
家庭のために働いて超稼ぐ俺ゴイスー&感謝しろーて考え方が、もうダメだと思うよ。
彼女の言うことのほうが尤もな気が。
ま、好きでやってることだけで全て回ることはないけど。
俺と妻は共働きで、どちらも帰宅は遅め。(俺:23時くらい、妻:21時くらい *「9時」から修正)
子供はまだなし。
彼女は毎日の食事の準備、洗濯、ゴミ捨て。(ちなみに食事は、ケンカして彼女が怒っている時はナシ。俺は外食か自炊)
俺は風呂トイレ含む家全体の毎日の掃除片付け、力仕事、食器片付けとか。あと彼女が気が付かない所の家事全般。
妻は家事を彼女なりに、苦手なリに頑張ってくれてるんだが、根が雑で、汚れやホコリはあんまり気にしない。
俺は帰ってきて、部屋がちらかって汚れてるとガッカリしてしまう。(で、自分で掃除する。)
俺より早く帰ってきてるんだから、もう少しきっちりやっといてくれよと思ってしまう。
でも、食事の準備をまったりやりすぎたりで、他の家事にあまり手が回らないみたい。
かつ、ちらかってるのがあんまり気にならないそうだ。
俺は、収入も含めてお互いが家庭に提供するバリューがお互いイーブンじゃないと、フェアじゃないと思ってる。
俺は彼女の2倍以上稼いで、かつ家事もこなして家庭にに貢献しているんだから、
彼女にも同じ分の価値を家庭に提供して欲しいと思っている。つまり家事は俺よりかなり多くやってほしい。
俺が彼女と同じだけ家事をこなしてしまったら、全体で見たら俺の提供するバリューの方が圧倒的に多くなってしまう。
でも俺は彼女の親でもパトロンでもなく、パートナーなんだから、負担はフェアじゃないといけないと思う。
でも彼女にこれを言うと、
「私はそんなに稼いでと頼んでない。もっと低い収入の人でも全然いい。
あなたは自分が稼ぎたくて稼いでいるんだから収入や資産の差は関係ない。家事は平等に分担したい。
もし平等じゃないと思うんなら、あなたの収入の多い分やあなたの資産は自分だけのためにつかってくれてOK。
かつ、私はちらかってても気にならない。気になるほうが片付ければいい。
食事の準備はあなたのためだと思って頑張って作ってはいるけど、結局これも私がやりたくてやっていること。
おたがいやりたいことをやればいい。
だから私に、掃除しろあれしろと指図しないで。私はやりたい事しかやらない。」
と言ってくる。
なんかおかしくないか?といつも思ってしまう。
彼女の収入だけだときちんとは暮らしていけない(俺の収入だけであれば十分人並み以上の暮らしができる)から、
だから、俺は行き届かない家事に不満を感じ、それを自分でこなしつつ、「稼ぎたくて稼いでいるだけ」とか
言われつつ、収入はずっと維持し続けないといけない。稼ぎ続ける責任がある。
一方彼女は、その収入だけでは一家を支えられないんだから、彼女が働きたい、という点以外に働く必然性がない。
つまり趣味と同じ。
つまり、俺は収入に対して「責任」があるのに、彼女は家事も仕事も、やりたいからやる、やりたくない時はやらない、
ここもフェアじゃない。少なくとも収入に責任を持てないんだから、家事の方に責任を持ってほしい。
俺は、俺の家事分担や収入を感謝してくれて、家事をきっちりこなしてくれる女性を選ぶべきだったんだと思う。
俺は妻には、仕事はやってくれてもくれなくても、どっちでもいいという意見。
ただし帰りはあんまり夜遅くなってほしくない。俺より早く帰ってきていてほしい。
収入は俺だけでもなんとかする。人並み以上の暮らしは保証する。
ただただ家のことをきっちりやってほしい。
俺は結婚相手を間違えたんだろうか。
それとも俺の認識の方がおかしいんだろうか。
俺のアイデアを書けって、インターネット業界(笑)に絶望してる俺に、アイデアなんかあるわけないだろ?ww ただ、批判に聞こえたかもしれないけど、一応、応援してる。ところで金にする方法は後で考えろっつってるけど、これ趣味なの? だとしたらちょっと変わってくるとは思うが、そうでもないんだよな?
1000万もなくても、いい広告商品考えて、ターゲティングがしっかりされてれば、100万でも何とかなるよ。ただ、この不況の中で広告を入れてくれるクライアントがいるようなサイトを作れればの話な。
大手の出版社では難しいけどな。あと、雑誌自体が集稿落ちてる中で、わざわざ雑誌作らなくてもいいと思うが、そのあたりは事情があるのか?
なるほど。
面白いが、音楽を批判する意見も出てくるので、アップルが乗ってくれるかな。あとは音楽業界からの出稿が多分難しい。
・コンシェルジュサービスサイト。旅行の全行程のチケット、及び予約を一つのサイトで取得する。
・近所づきあい.com 近所に住んでいる人たちだけのサイト
・小説家の練習帳 小説を書きたい人だけが集まる。pixivの小説版を目指す。
・共有ホワイトボード。複数人で一つの無限サイズのホワイトボードを共有する。pptの共有みたいなもの。みんながみている中でリアルタイムに変更できるppt
これはすでにある。なので、すでにあるものとどう差別化するかまでアイデアを出したほうがよさそう。
俺これすごく好き。(でも俺が好きなだけかもしれない)。国際試合とか、他の国の人の意見もリアルタイムで読めたら面白いよな。すぐ作ってくれ!
マジレスしても、翻訳の精度が高ければ、売り物になると思う。作って、色んなサイトに営業に行けばいいんじゃないか? 掲示板に限らなくていいと思う。海外のサイトにも売れるかもね。
オレが考えたものを批判するんじゃなくて、おまえのアイデアを書いてくれw
(って前にも言った気がするぞ)
あと、ニーズを言ってるんだから、金にする方法は後で考えろ。
月一千万PVとかあれば広告だけでも1人なら十分食っていける。
どこかの出版社の社長が、「よし、ネットの意見を参考にして毎月雑誌を出すぞ」と思えばいいだけ。
・音楽の感想のサイト。現行サイトは使えるものがない。itunesあたりと連携すれば金になるんじゃないか。
・コンシェルジュサービスサイト。旅行の全行程のチケット、及び予約を一つのサイトで取得する。
・近所づきあい.com 近所に住んでいる人たちだけのサイト
・小説家の練習帳 小説を書きたい人だけが集まる。pixivの小説版を目指す。
・完全自動翻訳掲示板。何を書いても参照しているアカウントの言語で表示される。
・共有ホワイトボード。複数人で一つの無限サイズのホワイトボードを共有する。pptの共有みたいなもの。みんながみている中でリアルタイムに変更できるppt
大衆から広く薄くインカムを獲得するのは早晩無理になるでしょうと。
ただパトロン方向に行くかと言えばそう言うものもあるけど
それなりに狭く、それなりのインカムを得る方向に行くのかなと思う。
(オペラとか歌舞伎とかある意味そうなってないかという気もする)
創作の可能性が広がる……かというのに対しては
必ずしもそうでもないと思う。結局のところ真に自由な創作できるのは
コストや社会的評価を度外視できる人だけであるのも事実だから。
ただ長いスパンで見るとどうなんだろうねぇ。
また揺り戻しが来る気もするんだよなぁ。
大衆の側に引きつけておこうという動きもいくつかある。
それはそれで仕方のないことでもあって。
妙に危機感を覚えるよりは増田は件の妹を
そんなに変な意見だとは思わなかった。
「最近の若者」は、著作権や著作隣接権は廃止でいいでしょ、という意見だと受け取りました。
大衆から対価を徴収する仕組みが成り立たなくなる可能性は高いけど、
一方で、パトロンを確保した人や自分が自分のパトロンになれる人(=他に収入源を持っている人)の創作活動の可能性は広がりそう。
本当に文化を殺すことになる?
かなりの変化が起きるだろうけど、違う方向に発展するだけで生き続けるでしょ。死なないでしょ。
個人的には、その変化が良くないことなのかどうかは自明ではないように思う。
(現時点では、多くの人がそれは「良くない」と思っているから、著作権制度が整備されているのは存じているけど。)
http://anond.hatelabo.jp/20090222224732
のブクコメを読んでいて長年疑問に思っていた思いがようやく氷解した。どうして自分が今までいわゆる「大学人」に対して反感のような思いを抱いてきたのかが。
彼らは「大学は学問の場である」っていうドグマに囚われすぎていて、「何か学問らしきこと」さえやっていればそれでおkと思っちゃている節があるんだ。まるっきり眼が社会に向いていないのよ。まるで日本の「なんとか道」の考えそのまま。
「物理学道」や「数学道」、はたまた最も社会と繋がっていなければいけない筈の経済学ですら「経済学道」に昇華させてしまう。頭の中で勝手な世界を作り上げて、現実とかけ離れた美しい学問の世界があるものだと妄信している。「道」は辛い修行を経なくてはいけないから、人生を楽しむという発想はまったくない。
「我々の国では、Joy of Life (生きる喜び)を何よりも大切にし、それがすべての価値の基準になっている。それを僕らはJoie de vieと言うのだが、それがこの日本に来てからこの国には全くないのではないかと、僕はいぶかしく思ってきた。」「街を歩いている人も、電車の中の人も、生気がなく、何かを楽しんでいるようには到底見えない」「それはどうなんだ、ホントのことを教えてくれ」(http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090222/1235270656)。
研究は「道」なので、当然生活のすべてをささげなくてはいけない。
「道」だから大学、大学院という教育サービスの受け手(要はお客さん)である学生に対して、「学問は自分で掴み取るものだ」なんて厚顔無恥な台詞が平気で出てくるし(http://d.hatena.ne.jp/mfurubayashi/20090227)、学生を自分の弟子か何かと勘違いしてしまう。「道」なので、学生が学位を取ったら当然師匠である自分には謝礼を支払うべきだと考えるし、それを恥ずかしいことだとすら思わない(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200902040233.html)。
自分の研究室に在籍していた人間のことを「弟子」なんて言葉で言うのは、日本人だけ。恥ずかしいからやめような、それ。講演などで、「私は海外のなんとか大学のなんとか学の権威のなんとか教授の弟子でありまして」なんていうのは、聞いているこちらが赤面してしまうよ......。
社会を見ていないから、研究は当然「役に立たない」。むしろ役に立たないことを何かの誇りのように考えている節すらある。企業がドクターの学生を嫌がるもの当たり前の話。「一生懸命お勉強しましたねー。んで、君何が出来るの?」って聞かれても、何も出来ないんだもん。それを指摘されると真っ赤な顔をしてファラデーを引用する。
「生まれたばかりの赤ん坊がなんの役に立つのでしょうか?」
そうだね。未来がどうなるのかはわからないよね。でも、多分君の研究はうちの和室にある畳の目の数と同じくらい、どうでもいいことなんだよ、社会にとって。君の口から出るファラデーの台詞は、今ある現実に少しでも影響を与えたくて、散々苦しんだ末に出てきたものじゃないんだよね。君は自分でもよく意味の分かっていない偉大なファラデーの台詞に甘えているだけなんだよ。
研究に莫大な国からのお金が出ているのは、それが社会に対して有用であるからなのに、成果を還元する気がない。というよりも、還元できる成果がない。先の見えない研究を延々と繰り返すだけ。何の戦略もないし、思想もない。なのに、武士と同じで、食わせてもらって当然と考えているんだ。
アメリカでは修士以上の学生に対しては、生活できるだけの収入が保障されるけれど、日本の学生にはそんなもの払う必要はない。弟子ですから。向こうでは大学がきちんと産業とコミットできていて、研究が真に意味のあるものになっているから、修士であろうがなんだろうが、きちんと収入を手にすることが出来る。博士号をとった人間が、きちんと成果を社会に還元しているので、いい流れが生まれている。就職もきちんとできるし、学歴が高ければ高いほど、よりよいポジションを得ることが出来る。
日本では弟子が就職活動をしようものなら、「師匠」が必死に邪魔をする。研究のほとんどをろくな審査能力のない国というパトロンに頼っているので、学生を企業に送り込むことが出来ない。一度教授になると、いつまでたっても大学という唯一の居場所にしがみ付く。そして、そういう人間しか大学に残れないから、負の連鎖が続きますます大学は陰湿でヒステリックな場所になっていく。騙されてドクターに進んでしまった学生は、すぐに自分の現状に気がついて愕然とする。必死に就職活動しても、ほぼ間違いなく修士の学生よりよい条件で職を得ることはない。
まともな人間はある程度割り切って、あっという間に就職するか、海外の大学院に行ってしまう。
何十年たっても、大学は常に変わらない。