はてなキーワード: ネットゲームとは
はしごたんの話じゃないけどさ、似たようなの。
それで毎日増田みたいにゲームとか、漫画とか、政治とか、歴史とか、アニメとか、学歴とか
くだらないこと駄弁ってたまに議論もどきみたいなことしてたのよね。
んで、ある時突然なんか新しいコテが来てさ、
やたら他のコテやら名無しやらに喧嘩売り始めたのね。
喧嘩内容の詳細はあんま覚えてないなぁ。話題が変わるたんびに新しい喧嘩はじまってたからな。
んで、そんなん散々繰り返した結果、彼は嫌われていったわけですよ。
まぁ、嫌われるわな。そりゃあね。嫌われますよ。学生が大半なスレだったしね。
その意味で彼は天才だったと思うよ。プライドの高い若者の神経逆撫ですることに関しては。
んでまぁ皆っていうか住民がね、言うわな。
「おまえ、おかしいよ」って。
当然、彼も負けじと言い返すわけです。
「お前らのほうがおかしいよ」って。
彼の結論ってのはどんな内容の喧嘩でも大抵根幹はおんなじで、
「お前らみたいに非モテ非コミュのオタクな変態ヤローなのがおかしいんだ。
リアルでは俺のが正しいんだ。だって、俺、友達いるし、彼女もいるし」
ってなカンジだったんですよ。三行でまとめれば。
住民側としては「そんで、なんでそんなリア充(笑)さんがこんなとこで駄弁ってるんですかw」
って言うしかないわけですよ。なんで、じゃあ進んでそんな頭おかしいやつらのコミュにいるんだって。
なんでスレ中から嫌われて、叩かれて、なお不快な思いまでしてここに居座るんだって。
そしたら「いや、不快じゃねーよ」ですって。
「だって、叩かれるのが楽しいからここにいるんだし」ですって。
それでようやく俺は理解したよね:
「叩かれるのを、嫌われるのを承知で物事を発言して快感を得る種類の人間がいる」ってことを。
彼らは本当は自分が正しいかどうかなんてどうでもいいんですよ。
自分たちの発言がどういう反応されるのか、というのもわかってるんですよ。ファジーにかもしれないけど。
叩く方も本当はわかってるんですよ。
「ああ、こいつはわかっててやってるんだな」って。
でも、その『馬鹿』や『キチガイ』を叩きたい、見下したいがためにあえてわからないふりをする。
本当に大っ嫌いならスルーするでしょ。普通に。
ここに互いの需要と供給が成り立ってる。
「悪役」がいて「正義の民衆」がそれを叩き潰す。
「悪役」は大抵ゴキブリみたいにしぶとい。
んで、それらは皆織り込み済みで、台本どおり。
みんな好きで叩いて好きで叩かれて。
本当はみんなが馬鹿なんじゃなくて
みんなが頭良いんですよ。
「わかっててやってるんですよ。そうですよ。わかってるんですよ。
じゃないと、こんな不毛でアホな行為、延々続けるわけないじゃないですか・・・」
でも、そんな基本的なことがわかってなかった俺が
なんだかとっても惨めに思えてきたNov。
http://anond.hatelabo.jp/20071107085350
その女友達から「まぢクリエイティブ。すごい自由なゲームだよ!君がやってるのとはワケが違うよ」と言われたとして。
いくらセカンドライフとはいえ、普段ネットゲーム自体、いやゲーム自体を毛嫌いしている女友達がここまで薦めてきたら、きっとやることになるだろう。企業まで参入する世界なのだから、なにかしら心にひっかかる素晴らしいものなのだろう、と。
そこで「まぢクリエイティブ」の言葉を信じ、期待度が高まった状態でセカンドライフとやらをやってみる。
ところが、残念ながら自分には合わなかったとする。
「ぶさいくなアバターも、自由度の高さも、ビジュアルも、何一つ共感出来ない。
普段”ゲーム”をやらない女友達のような人間には、薄っぺらい騙しのテクニックで感動させられたとしても、私のようなゲーム中毒者は騙せない。
セカンドライフは、普段ゲームをやらない人間向けの”ゲーム”…
(いや、ゲームと呼んでしまうこと自体、本当のゲームを侮辱することになるのだけど)
であって、私のようなゲーム中毒者がやってはいけないものだ」
と率直に感じたものだから、セカンドライフで感動した女友達に、「合わなかった」とだけ伝えたとする。
後になってネットでの評判を見て、あらかたの人は自分と同じ印象を持ったんだなぁと安心して、今度は、
「セカンドライフなんて始まる前に終わってる!」
と批難し始める。セカンドライフ(笑)なんて、電通の陰謀だ、と。
セカンドライフ(笑)をやって、「まぢでクリエイティブ」と言ってる年寄りは、電通に踊らされてる。バブルの弊害。
というように、セカンドライフを非難する人がいたとする。
なんで自分が理解できなかったからって、それをやって感動した人まで批難してしまうわけ?
以下略。
嫁とはかれこれ10年一緒に居る。
好きでも無い状態から一緒に暮らし始め、そのうち好きになった。
家事はそこそここなすが、ネットゲームやチャットに明け暮れる嫁。
仕事に明け暮れる俺。
生活改善を呼びかけてみたものの変わらなかった。
そんなこんなで10年。
さいきん好きな人が出来た。
これ恋?
嫁が別の男に抱かれようが特になにも思わない。
好きな人が他の男に手を握られるのを想像するだけでも胸が苦しい。
惰性で夫婦生活を送ってきた気がする。
これってよくないよな。
ふたりして何もせずただただ夫婦という状況に甘んじてた。
好きな子とは両思いになったみたいだけど、
この先どうなるかまったくわからない。
とりあえず嫁とは離婚しようかどうか悩んでる。
もし一人になっても、いまのままだらだら夫婦ごっこやってるよりはいいのかな。
追記:
子供いません。好きな子はもちろん未婚です。
インターネットとメールができてiPod使えたらそれでいいかななパソコンが買いたい時、いま市場に出回っているメジャーなPCはどれも完全にそのスペック(能力)を持て余している。その程度の使い方しかしない人で予算が10万程度の人は、大手電化製品店で8??10万ぐらいのよく聞いたことのあるメーカーのノートパソコンを買えば解決である。
しかし実はその程度のことをするPCは3??5万程度で買える。この価格で唯一買えないのは安心だ。
知り合いがパソコンを買うというのに今年は2回付き合い相談も何回か受けたが、みんなエンコードなどの作業すら知らない人だった。ひとりだけDVDをコピーしたいという要求があったけど、それも最近のDVDドライブの水準だと最初からクリアされている。
デジタル関係全般にあんまり詳しくない人はパソコンに対する漠然とした先入観でパソコン購入を難しいものと決め付けてしまっている感がある。その漠然とした先入観は10年ほど前実際にパソコンというものがとても複雑で敷居の高いものだったときに生まれたものだったと思う。
あの頃は実際パソコンにできることなんて限られていた。インターネット用とワードプロセッサー用で違うパソコンが紹介された。マックとウェインドウズの存在が大いに素人を混乱させていた。まだパソコンに詳しくなかった自分も「CDを聞くならマキントシュ」などという訳の分からない思い込みがあった。そういう感覚を正す出会いもなく今まで来ている人には今だパソコンというのはややこしいものだと思う。
これからの時代のパソコンは完全に力を持て余したまま先にすすむことになる。もうとっくにニーズを飛び越えてしまったのだ。パソコンでテレビをみるという生活スタイルを提案しているけど完全に苦肉の策だと思う。テレビ放送はテレビで見た方がいい。それは地上デジタル派放送が出てこようが何ら変わらないこと。これ以上いくら画質や景気が良くなろうとも消費者がテレビに使うお金はそこまで変わらないと思う。
どんな家電製品も一定の水準まで来てしまうと一番正しいのは使いやすさの研究をすること。
そういう意味でシャープや任天堂やアップルの新製品はいつもみててすげぇなと思う。使い勝手に直結するインターフェイスやソフトがどんどん成長していく。逆にソニーのPS3を見たとき画質に対して「なんぞこれ」と驚き、ソフトに対して「いらねーぞこれ」と漠然と思った。
時代の生む必然を知ることは情報さえ揃えれば案外難しくない。だけどその時代の人々が支持するものを作り出すのは容易じゃない。確固たる思想の先に運が手伝ってようやく生み出せるものだと思う。
自分なんか任天堂のスーパーファミコンを使ったサテラビュー(いまのネットゲームの先駆け)なんかは絶対に当たると思っていたし、同じくセガサターンのプレイステーションとのコンシュマー対決は絶対にセガが勝つと思っていた。セガサターンがVCDを再生できて尚且つムービーに強いハードだと思っていた。(結局サターンのムービー再生機能が強いというアドバンテージなんか、PSの環境で物を作ろうと考えた技術者たちの技術革新によって吹き飛ばされてしまうのだが)
とにかくいまの先端技術による表現力のインフレはすごいよねって話です。作る方も大変だこりゃ
【独女通信】大学生、高校生に熱をあげる独女-逆ロリ現象を検証する
http://news.livedoor.com/article/detail/3269584/
はい、私は年上の独身女性と付き合ってます。
みんな記事に驚いてるみたいですが、こっちはやっと記事になったか、って感じです。
独女通信は見てるニュースサイトでよく取り上げられてたので、
目を通してたんですが、前からこのことが記事にならないのはちょっと不思議でした。
うちの周りでは当たり前っていうか、
一年くらい前から一つのナンパ方法として普通に話されてましたよ。
付き合う方法としては、携帯の某ネットゲームで話しかけて捕まえるって感じです。
これがけっこう簡単に捕まえられるので、一時期ちょっとしたブームでした。
狙うのはもちろん30代独身女なのですが、注意しなきゃいけないのは
きちんと自分を30代として登録してる人は捕まえられないってことです。
27歳、28歳ってプロフィールに出してる人が狙い目です。
こう表記する人は女としての意識を捨ててなく、かつ年下好きが多い気がします。
こちらの年齢は実際がどうであろうと、17歳とするのが定石です。
これより以下にすると途端に「子ども」として扱われ、異性として接近することは難しくなります。
17歳以下にすることで、ある種の人たちは食いつきますが
その層は数が少ない上に、一癖ある面倒くさい人たちが多く、
友人の報告によると、セックスを拒まれ「オナニーだけ鑑賞させてほしい」と求められたそうです。
あと、年齢だけでなく通ってる学校でも食いつきが違いますね。
私の通っているところは「優秀」かつ「オシャレ」なイメージを相手に与えるようでその名前を出すとやっぱり食いついてきます。
しかし、記事の反応で「独身女性が余った金で若い男を釣ってる」という受け止め方をしている人がいますが、それは誤解です。
私は実際に三人の女性と会ってますが、そのうち一人とは今も交際が続いてますが、皆さんあまり羽振りはよろしくないです。
今付き合ってる人が、たまにくれるお小遣いは5000円とか、少額です。
こちらの目的が金と身体なのは間違いないですが、年下好きの独身女性がお金持ちかっていうと、ちょっと違うかなって感じです。
私の場合は金よりも身体の比重が大きいですね。
年上女性を操っているという征服感も、けっこう気持ちいいです。あとは背徳感とスリルでしょうか。
ここで言うゲームってのはPCゲームではなくて家庭用ゲーム機の事を指すわけで、
王者ってことで調子乗ってたPS3が惨敗しているとか、負け組みだった任天堂がWIIでがんばってるってことで語るのもちょっと違う。
いや、違いはないんだけど、じゃ、ゲームってどうなの?って話。
そもそもの始まりはファミコンからまあ、他にもいろいろあったが、まあ、とりあえず家庭用ゲーム機という語り部としてふさわしいのはこいつだ。
当時ファミコンが店頭に並んでいた時代、ゲーム製作は金山堀りとおんなじだった、
ちっともうだつのあがらなかったどうしようもない大学生や専門学校生がはじき出されるように社会に出て、「どうする?俺就職できね、ゲームでも作る?」って具合にはじめることが出来たのが当時のファミコンゲームのソフト会社の製作環境。
マンション借りて、ちょっとした機材そろえて、全く初期投資がほとんどかかんなかった、で見返りはでかい、
制作費300万円くらいの今だったら誰も手をつけないような糞ゲーでも売れた、売れた、もう馬鹿みたいに売れた。
ファミコンソフトってだけでこんな馬鹿な話があるかってぐらい売れたんだから、そりゃ同業他社もどんどん参入してくることになるんだが。
んで、ファミコンソフトがいくらで売られていたか、大体7000千円??多くて10000円越えがふつーだった、もちろんこれは暴君任天堂のロイヤリティーが絡んでいたわけだけど、それでもユーザーはなけなしのお年玉で、いや、そのころは景気がよかったからか、まあ、とにかく売れたんだ、あの糞ゲーも、この糞ゲーも誰もそのソフトの価値がわからなかったし、そもそもゲーム自体ほとんどやったことかったから批評のやり様もない、また、買い比べをするにはいささか高すぎる。
だがそんな地上の楽園のような状態も長くは続かなかった、
そもそも、ゲーム会社とはゲームを作って売る商売である、幾数ヶ月かけてゲームを作り、それを売ってその利益でどうする?
そりゃ、ゲームを作るしかない。じゃまた作った、で、また次だ。
こんな感じで回っているのだから一本売れなかったらどうなる?
アウト・その会社は一気に資金難に陥ることになる。
でその会社の末路はどうなるのか、現在製作中の完成率70%のソフトを売りに出すのである、なぜか?
それしか売るものがないからだ、で完成率70%のソフトが売れるのか?
売れるわけがない、じゃあ次だ、次は45%だが仕方がない、スタッフには申し訳ないが死ぬ気で働いてもらうしかない。
このソフトが売れなければ、我が社は。。。。
会社ってものはそうそう現金を溜め込んでおけるわけもなく、他に事業でもしていない限り資金は次にまわされる、ゲーム会社は作ってはぼろ儲け、また作ってはぼろ儲けの連続だった黎明期と時代がうって変わったことに気づかなかった、そしていきなり訪れる、不作。
ネットゲームなんてなかったころの話だ。
こればっかりは天に雨乞いをしようともどうしようもない、多すぎるソフト会社の山は大量の売れ残りを生み、負債を抱え込んだ企業は次々にその命を絶っていった。
あれだけの作品があったのに、といわれたゲーム会社が1本や2本そこらの不作で潰れる、そんなことがざらにあった。
だが、まだゲーム業界の生命は絶たれていなかった、そのころは新規参入企業は死兵よりもはるかに多かったのである、
それもスーパーファミコンの中期になってくるとちょっと事情が変わってくる、どうやらユーザーは3日間徹夜で作ったようなゲームには見向きもしなくなった、それこそ指一本触れなくなったのだ、ユーザーもゲームの価値がわかってきた、面白いものとそうでないものがあって、面白いものだけ買えばいいと気がついたのだ。
じゃあ、そのころ何が売れていたのか?
開発に数ヶ月、しかも多くのスタッフを抱え、同人サークルではありえないようなクオリティを生み出す集団、すなわち大手ゲーム会社のソフトだった。
その傾向は高まるにつれて大手ゲーム製作会社はその規模をどんどんと拡大していく、そして戦争、その後、PSの時代が来る。
ま、大手ソフト開発会社が何をやっているかといえば結局規模の大きい綱渡りであることには変わりはない。
PSが何をしたのか?成長したソフト会社を味方につけたことが大きい、任天堂封建国家のロイヤリティま、年貢、を廃したのだ、これは多くのソフト会社が飛び乗った、だれもがそれが正しいと考えた、そしてその恩恵はユーザーにも訪れた、だれもが目を疑ったスーパーファミコンより明らかに高性能のソフトが5000円台で買える、そんなあほな、今までのはなんだったんだ?
この値下げは功を奏し、ゲーム業界はPS時代に突入することになる。
制作費がかさむのだ、それこそCGやMOVEが氾濫し、複雑なプログラミングを組み、職人一人がやっていたことを複数のさらに腕のたつ専門家が頭をひねらないと出来ない、とてもおいそれとゲームを作れるような環境ではなくなっていた。
じゃあ、販売価格を、NOだ、単価は上げることが出来ない、一度下がった単価はもはや二度と浮き上がることは無い、そんなことをすれば即あの世行きだ。
会議に会議を重ね、制作期間は長期間にわたり、制作費はかさみ、捨てられたゴミアイデアは山のように積みあがる、ゲーム会社はいつの間にか一流企業になっていて、とても失敗は出来ないからだになっていた、だ、だが、ゲームは、ゲームソフトは。
その寿命をさらに短くしていたのだった、これはゲームの値段が下がったからだ、ユーザーは余ったお金で何本もゲームを買うが新作ゲームではなく中古ソフトだった。一本のゲームが市場に存在する時間は無常にも半年を切っていた。
製作費はかさみ、制作期間は延びる、で、虎の子で出したソフトは3ヶ月の寿命しかない、ファミコン戦国時代を生き残った大手ソフト会社も悲鳴を上げる未曾有の事態が訪れることになった、現場は火を噴き、経営陣は再販業者を鬼の子のように憎み、誰もが天を仰いだ。
ようやく均衡状態になったのは何かが改善されたからではない、何のことはない、ゲーム会社がさらに減っただけのことだった。
そして、PS3、SONYは過ちを犯したのかもしれない、確かにこれ以上の制作費の高騰はソフト製作会社にとって負い目でしかない。
そしてユーザーは前には戻らない、いまさらファミコンなんかやらない、いまさら8ビットのゲームなんかやるわけが無い、ましてや金を払うとは到底思えない、じゃあ、前作より高クオリティなものを?無理だ、不可能だ、そのソフトが不発だったらどうするんだ?いったい我が社はどうすればいいんだ。
今はまだネットゲームとパチンコ・スロットで持っているけど、この先そんな綱渡りがいつまでも続くわけが無いじゃないか。
任天堂が突いてきたのはこの点だった、だったら、ユーザーがやったことのないことをやらせればいい、見たことないものを見せる必要は無い。ユーザーにコントローラー以外のものをもたせろ、CGなんぞどうでもいい、そんなものは犬に食わせるんだ。今までゲームに目を向けなかったものにゲームをやらせろ、それは必ずしもゲームである必要は無い、目の肥えたコアユーザーなど今では害でしかないでは無いか。
ゲームというのは他の業種と違う、安定収入が全く無い(ネトゲは別)、同じものを二度以上作ってはいけない、単発で数打てばというように大量のソフトを出し続けることも出来ない、ブランドほど頼りないものは無い。
一球入魂、これだけだ、今も昔も変わらない、売れ残ったゲームソフトはゴミにしかならない、そのソフトにいくら製作費がかかっていようと、いくら背作者が情熱を注ごうと、コアユーザーがいくら声を張り上げようとも。
もうひとつ、技術革新と共にゲームはあった、1から2に2から3に次世代作を出すごとにユーザーには感動があった、驚きがあった、新鮮さがあった。ユーザーの期待を裏切らなかったのは技術革新が共に寄り添っていたからだ。
だって、最初が0だったんだから当たり前の話だよ。
PS2の中盤になってそれがとまった、ぱったりとやんだ。
技術革新はユーザーに驚きをもたらさなくなった、ある一定以上の複雑さはユーザーの限界を超えた、ある一定以上の高画質はモニターと動体視力の限界を超えた。
この頃のユーザーは0から共に育ったユーザーとは打って変わってもう大分進んだ先からゲームに触れた世代だというのもある、もともと高画質の世界を見てきた世代だ、いまさらMOVEの華麗さに声を上げることは無い。
根っからのコアユーザーは童心に帰りたがった、子供の頃の感動を求めた、だが、その感動は「大人になった今でも、山でカブトムシを見つけて狂喜したい」というような理不尽なものでしかなかった。
その要求にこたえようとした一部のメーカーは幾つかのリメイクを画策し、苦心して過去のヒット作のリメイク版を出した、あほだ。
童心に帰りたいやつに新しく作り変えた物を見せてどうする?
自分はにちゃんねるに書いたことはない。人並みに見る程度。
でも、うはwwwwとか芝生を生やしたりするよ。全然するよ。
たぶんネットゲームとかメッセンジャーとかIRCとかのせいだとおもうんだ。
すぐ流れるような場所においてはkwskみたいな記号としての言語が暗黙知としてあって、これが無いとうまく会話ができない。見てるとネトゲとかからながれてきた言語もvipとかは氾濫してるよね。
タッキーの話しをするのにスマップの説明までしなきゃいけないような知識差があったら、一行レスで会話なんてとてもできないもの。
増田はにちゃんねるよりも長文なのが優位差だとおもう。
あー今度はちゃんとPCでオンライン化やってくんねーかな。
無印の頃はまだあまり有名ではなかったかもしれないが、GUでなかなか売れたんじゃねーのか?
よくあるMMORPGとは違ってFFみたく既に世界観があるし、プレイしたことある人ならオンライン化した場合、一度はやろうかなぁとか思うハズだ。ユーザーの数の問題とかは大丈夫だろう。
画質とか操作方法なんかもそこらへんのネトゲと同じで(少なくとも自分は)OKだ。
HMDなぞ別にいらん。ちょっと使ってみたいってのはあるが(笑
だからネットゲームにしてもらえないでしょうか?バンダイさん、CC2さん。
月4000円でもやりますやります。アイテム課金だったら買います買います。
なんでそれ以外の現実に驚くほど『楽観的』で、ゲーム以外には努力を惜しむんだろう?
リアルのコミュニケーションを一切取らない、俗に言う、『半引きこもり』の奴もいるけど、
全く外界から断絶されているとすれば、心理的には誰とも交友がない状態では正常な精神でいられないと思う。
と言うことは、彼らはネットゲーム上での交友関係のみによって精神的充足を得ているということだろうか?
その上で重度の依存に陥ると言うことは、いいなればマズローの欲求5段階説の多くがゲーム上で満たされるということなのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070321155608
Aの話に戻そう。
でね、結婚相手と別れ話をして、Aと遊ぶようにしてた。ここ最近ずっと。
Aのキャラクターとどうこうしようとかじゃなくて、Aが好きだから。アホみたいに好きだから。
次のデートの約束も決まって浮かれてたよ。すごく楽しかった。
俺はこの世界でとても楽しんだし、Aにも楽しんで欲しい。
幸いAは人柄がいいので、誰とでもすぐに仲良くなれるとてもいい子だ。
男女かかわりなく好かれるタイプ。いろんな人が好くしてくれて、
「この世界を満喫できるだろうな、いつもいろんな人と楽しげに話してるし、沢山楽しんでくれー!」ってニコニコしながら思ってた。
でね、ある日溜まり場に行ったら、知らない人がAと仲良く話してるの。
いつもの調子で「遊びに行こう」って言ったら、いま????さんの知り合いと話してるからって断られて、ちょっとションボリ。
「まーいいかー、Aが楽しく遊べるならそれでいいよねー。たくさん遊べよー」って思ってた。
また後で声をかけようって引き下がったんだけど・・・・・・・・・
あの・・・・・・・・・
1時間後に声をかけたら、「結婚してって言われた。あの人と結婚してもいい?」っていきなり聞くのどうかと思います。
イヤデス。
「ゲームはゲーム。現実世界は現実世界」って思ってたはずなのに、嫉妬しちゃうことに気がついた。
きっとね、既にAとキチンと付き合っていれば許せたんだと思う。けど、微妙な関係の今、それが許せなかった。
なんで悲しいのか自分でもよくわからないけど、悲しいってわかった。
だから正直に、嫌だなって言ったよ。
そしたら「ゲームはゲームでしょ?気持ちとか入ってないもん」「現実で気持ち入っているのはXX(俺)だけだもん」って言うの。
でもね、現実でまだ付き合ってないの。気持ち入ってくれているのはすごく嬉しいけど、Aとの共通の時間はほとんどゲームの時間なの。
そこで他の人と仲良くしている姿をみたら、きっと嫉妬するって、わかってるの。
「男女関係なく仲良くしたいの!恋愛とかぬきで仲良く遊びたいんだもん」って言うの。
男女関係なく仲良くすることに反対してないよ。男女関係ないなら結婚しないでよって思うの。
結局「嫌ならしない」って言われてその日は終わり。
終わりといっても、俺は眠れなかった、一睡も出来なかった。
「Aにゲームの世界で楽しんで欲しいし、この世界は本当に楽しい。思いっきり遊んで欲しい」
「どうして嫌なんだろう。ゲームじゃないか」
「まだ付き合っているわけじゃないのに、なにこの彼氏気取り」
「俺が勝手に好きになって、彼女の邪魔をしているんじゃないか」
いろいろ考えながら朝を迎えた。
Aにはいろいろ楽しいことがあっていいじゃないか。枷になりたくないし、楽しむ邪魔もしたくない。
俺にとってAは何よりも優先することだけど、Aには楽しいことだけあればいいと思った。
この気持ちがAに伝わりさえすれば、好きにしてくれていいと思った。
俺は一番じゃなくていい。全て楽しんでください。たまには振り向いてねって。
そしたら、「男女関係なく遊びたいの」「しばられているみたい」ってどんどん言ってきて止らないの。
ちょっとまって、話しを聞いて。
「話すのがつらい」「話したくない」
と一方的に言われて、オフライン。
終わった。
ネットゲームと人間関係 「ゲームはゲーム。現実世界は現実世界」
そんな感じで仲良くしてたんだけどさ、ゲームの中では俺のキャラクタは別の人と結婚していて、その人とは結構仲良くしてたのね。
しました、別れ話。詳しく説明しました。結婚相手に。号泣されました。
もう話を切り出してから1週間以上たっているのに、まだ泣いてる。どうしよう。
別にその結婚相手のことが嫌いなわけじゃないのに、なんでこんなことになっているんだろう。
僕はコレを読んで、「何だよ、ゲームの中の結婚ってwそんなに重要な事じゃないだろw 別れるとか別れないとか、何の意味があるんだよw」と思った。
そして、ネトゲをしない人たちにとっては、「ゲーム内での結婚」が何を意味するのか全く理解出来ないので、「意味不明」「理解不能」「精神異常」「結婚すると何のメリットが?」みたいな考えを抱くだろう。
「結婚する気なの?」と尋ね、NOと答えられれば「じゃあいつか別れるつもりなんだ?」と尋ねまくっていた俺。
では、この人が、上記のネトゲ内結婚について、「その人と現実でも結婚する気なの?」「じゃあいつか別れるつもりなんだ?」と嫌味ではなく純粋に質問したとする。
すると、凄い違和感を感じないだろうか。何ていうか、それを聞くこと自体が間違っているような。
見方を変えると、これだけパラダイムが変わるんだなぁと、改めて思った一幕だった。
ほとんど毎日ログインしているようなヘビープレイヤー。もう数年やってる。
すごくレベルが高いわけじゃないけど、それなりに普通に遊べるキャラクタを使っている。
そのゲームの世界にはギルドとか溜まり場とかあって、大体仲間は同じようなところに座っていて、
夜になったらずっと雑談して、たまにみんなでモンスターを倒しに行ったりするような、そんな遊び方してる。
数ヶ月前にそこの溜まり場に、初心者プレイヤーA(♀)が仲間に入ったの。
初心者だから勝手がわからないだろうと思って、いろんな情報を教えたり、レベルあげに付き合ったりしてたわけ。
一緒に遊ぶうちに、仲良くなるよね。
自然と沢山話すようになって、メールを交換したりして、どんどん仲良くなっていった。
遊んでいるたびにAに興味がわいてきて「(現実世界でも)遊んでみたいなー」とお願いしてみたらOKを貰って遊ぶことになったんだけどさ、
実際遊んだらすげー楽しいの、可愛いの。仕草とか、話し方とかツボに入ったの。つい言っちゃったね、好きって。
会うまではただ友達、ゲームでもそれほど深い仲ではないし、遊べればそれでいいと思ってたのに。
自分でもびっくりするくらい好きになった。
その後も話したり、メールしたり、また遊びにいったりしているうちにどんどん気持ちが膨らんでいくのがわかるの。
あー、恋しちゃったなぁって。なんかもう中学生の恋みたいな感じ。アホか。
即気持ちを伝えて、わかってもらったつもりだし、そんなに嫌でもなさそう。
そんな感じで仲良くしてたんだけどさ、ゲームの中では俺のキャラクタは別の人と結婚していて、その人とは結構仲良くしてたのね。
擬似恋愛とでも説明したらいいのかな、ゲームの世界だけの結婚関係。
ゲームの中と現実世界での関係は違うし「ゲームはゲームだし、現実は現実。関係ない」ってAに説明したし、自分でもそうなんだろうって思ってた。
でもさ、ゲームの世界の恋人は現実世界の恋人じゃないけど、現実世界で好きな人はやっぱゲームの中でも好きだって気がついちゃったの。
現実世界!=ゲーム世界だって、現実世界>ゲーム世界だって知ってたけど、現実で好きな人がそこにいるといないのとでは、大違い。
Aの前じゃゲーム世界での結婚相手と仲良くしたくないし、みてもらいたくない。
「へー、会っているときはあんななのに、ゲームの世界じゃその子にそんなこというんだー」とか耐えられない。
しました、別れ話。詳しく説明しました。結婚相手に。号泣されました。
もう話を切り出してから1週間以上たっているのに、まだ泣いてる。どうしよう。
別にその結婚相手のことが嫌いなわけじゃないのに、なんでこんなことになっているんだろう。
ゲームはゲーム、現実は現実で割り切るんじゃなかったのか・・・と思いながら、うまく割り切れない自分が嫌。
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
自分の場合は逆の意味で格差っていうものがどーにもこーにも実感がない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話が。
年収300万時代とか聞くと「それで?」って思ってしまう。
だって自分の親も今の自分もそれ以下の収入だし、子供のころずっと自分は普通の中流家庭だと思ってた。生活が楽だったとは思わないけど、支援が必要だと思うほど苦しくはないし搾取されてると言う実感もない。ネットゲームや浪人生活が出来ないのが不幸だとも思わないし。
ワーキングプア特集とかでネットカフェで寝泊りとか子供が大学に行けないとか言うのもそれがどうしたのよと言う感じ。寝泊りできてるならたいした問題ではないし、大学進学率は今でも半分以下なんだからいけないくらいたいしたことじゃないだろって。この程度のことが悲惨な話であるかのように語られてるのにカルチャーショックを受けた。
ましてや丸山何とかをひっぱたきたいとかルサンチマン丸出しのを見るとドン引きする。そういう風なネガティブ思考だといくら金があっても俺より恵まれてる奴がいると妬み続けるままなんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
親が低年収の時点で、大学への進学はおろかネットゲーム云々という選択肢すらないんだ。
そういう貧困のスパイラルが存在するということを知らないだけなんだ。
だから次のような発言をする人間はこのまま同じ発言を繰り返すだろう。
反感を買うことを恐れないで言えば年収200万以下とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
貧困スパイラルの中にいる人にとっては、「何で?」も糞もない、気がついたときにはそのスパイラルの中にいるのだから。
この発言の主は、本当の貧困というものが自分の目の前にやってきたときにしか「何で?」の理由がわからないのかもしれない。
以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。
格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。
普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格。
インターネットが流行り、毎日チャットやネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催の就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活の結果、社員6000人くらいの大きな会社に就職。
4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。
流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人のラストスパートと就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。
毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915
まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見?
既得権ってなんだよ?実際にリアルタイムで生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会に貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?
この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手に大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。
たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学や心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。
なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。
かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。
これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境を言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。
リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。
下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家がダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家はほとんど居ないんだ。
…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。
また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在や未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。
こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。
俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。
よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会。
俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去にタイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロなデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。
早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉で洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。
こういうタイプの奴が中小企業に就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。
この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せな人生が送れると思ふ。
転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。
格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ、想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか
3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。
あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。
だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。
無知はオメーだ
過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。
「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか
機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナーや勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵やモチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。
世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間はネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。
完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近は社会的企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。
きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。
どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。
日本型経営は新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算
世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。
就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験と就職で努力しているのは効率いいな。
受験や就職で労力を払うというのは、普通の人生から考えて妥当なタイミングだろう。妥当なタイミングに妥当な努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。
頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。
がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事は椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。
こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会に貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会に貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。
家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。
最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。
[追記][これはひどい]
風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司の絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。
まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw
ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。
あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。
[ハテブ]
くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html
現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。
発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。
自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観が根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。
どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。
[手間を割いてくれた方へ返信]