はてなキーワード: 混沌とは
小さい頃に親や兄弟と遊んだ記憶がない。俺の中では家庭という存在すら人間が抽象的な家族という糸で繋がっているに過ぎない脆弱でまた抽象的な存在に過ぎなかった。そしていきなり保育所というすでに完成された社会性を持つ環境に放り出され、そこに君臨していたイリーガルな存在―未就学児にいつもボコボコにされていた記憶しかない。
ある日は保育所に行きたくないと泣き喚き、親や周囲に迷惑を掛けたが、結局自分の意思は伝わらないまま終わった。
元凶は保育所、イリーガルな存在である未就学児にあったのではない。家庭にあったのだ。しかしそれすら気付かぬまま時間だけが過ぎていった。
ポジティブな面を持ち合わせていない俺の性格は一層歪んだ。俺を暴行した奴には今でも死ねば良いのにと本気で思う。
しかしこの頃唯一学んだ事がある。人類には人間未満の奴が混じっているという事だ。
親が仕事の都合で引っ越す事になり、一度俺の周囲はリセットされた。田舎だったが、周囲は小さい人間ながらも優しく接してくれた。暫くするとその人達とも親しくなりやんちゃな良くいる悪餓鬼として育った。
何が他人の迷惑になり何が他人の迷惑にならないかを分別できたし、子供だからまだ可愛げのある悪戯に励んでいた。大人達はそれで赦し、同時に満足し、俺も他人に認められやっとのびのびと生活する場を見出す事ができた。
この頃の自分の写真を見ると今とは似ても似つかない充実した顔付きをしている。どこからどう見てもまともな人間だ。
義務教育が始まった。簡単なものだったが学校では当然疲労もある。家庭はそれ程落ち着いたものではなかった。というよりアイデンティティを認めてくれる様な場所ではなかったので、居場所が無く常に癒される事もなかった。毎日宿題は意図的にやらずに放置し、耐えた今日は忘れ明日が来るのを恐怖した。その為内申は悪かった。
友達はいなくなった。心身共に余裕の無い人間に友達という存在が維持できるはずがない。
6年間、いろいろな事があったが全て水の泡だ。何ら俺の人間形成に役立ったものはない。毎日が作業の繰り返し。逃げたくなる時も当然あったが子供に一時的な逃避以外の選択肢はなく、意思表示すら許されず、貴重な時間は金へ変換される事もなく消滅していった。
本来ならば楽しいはずの遠足や修学旅行にも全く参加しなかった。俺にとっては体力を消費して楽しむだけの余裕は無く苦痛以外の何物でもなかったし、これらが与えられた許容される逃避行動の内の最たるチャンスだったからだ。
小学校高学年の頃の自分の写真と就学前の写真を比べると、顔付きに大分差ができている事に気付く。表情筋は弛み、口呼吸になり、目はどこを見ているのか分からなくなり、眉は「自分は哀れな人間です」と外部に漏らしているかのようだった。馬鹿だ。
相変わらず家庭でのキャパシティは小さい一方、学校での負担が増える。
運動部への入部は強制だった。
己の所在が分からなくなる。いや、元々無かったのかもしれないが、それを自分の中で肯定するのが怖かった。
ただ一点評価できる所がある。偽善だ。
俺は肯定する事によって他者を自ずと否定する事になるのではないかと恐怖したのだ。
ただ何もしない、動く事もままならない、それだけがその肯定/否定という行為から逃れられる方法だった。
授業中、公の場で侮辱され泣いた。様々な理由が心の中で混沌とし、涙する事が耐え切れなくなったからだ。
なぜ俺だけがこんな目に。
みなは充実しているのに。
なぜ俺だけが差別される。
みなは楽しくしているのに。
なぜ俺だけがこんなにも貧相なのか。
みなは恵まれているのに。
なぜ俺だけが気付いてもらえない。
こんなにも哀れならどれだけつらいか分かるだろう。
しかし誰にもこの気持ちは言えず、不登校になった。
中学自体の偏差値は高かったため、同級生に会わないようにするためには高校は底偏差値を選ばざるを得なかった。
この頃から親からくすねた金でPCや参考書を買い漁り独学で数学とプログラミングをやり始めるようになる。罪悪感はあった。同時に今までこんな俺を放置し続けた親に対する怒りもあった。だからある程度技量が上がるまでこの癖は直らなかった。本当は親に対する怒りではないのに、今までの環境に対する怒りなのに、その対象は人間の集合体という実体を持たない存在なのに親に対する怒りに勝手に置換していた。親もその集合体の一員だったから?今思えば全て自分の甘えに過ぎないと思う。乗り越えてこそ自分のアドバンテージになるものだと思うのに。
余談だが当時の参考書は辞典等が大半だったため、今でも役に立っている。
プロコンで賞を取る。が、そんな事親に言えるはずも無い。所詮人から盗んだ金で得たものだ。自分の熱中できる環境を得られ、更に客観的に評価してもらえ、虚空なものながら満足した。
高校を留年したり強制退学させられたりと転々とするが、結局辞める。
ニートです。毎日が楽しいなあ。これが人並みの生活だと言えるものなのか。
さっさと死にたい。
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清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20090203225559
と同じ感想だな。
自分から期待しておいて望む人がいないと勝手に落胆してる感想。
そもそもオタクに何を求めているかが良く分からないです。
>>面白いなと言える活動をしている人はオタクじゃないことが多い。
しかしここで元増田が言うオタクってアニオタとか芸能オタなんだろうか?
それとも鉄とか軍事オタ?
それともそうした分類の無い混沌としたものなんだろうか。
私は大学のそうしたサークル知らないし、文芸同人で過ごしてきたのでかっちり分けたがるのかもしれないけど。
>>話がつまらなくて、自分で面白いものを発掘したり意見を言ったりする能力がなく、視野も狭くて排他的で何の行動もしてなくてダラダラとアニメを見ているだけって感じです。
もともとそうですよ。
そしてその中に入ってみて初めてそう言う人と付き合う意味があるのか無いのか、を理解できると思うのですが。
これで同人とかやってると何がしかやりたい事に進む人たちなのでしょうけど。
そのようなものに、望みをかけてきた事をよくわかってよかったですね。
>>2000年代はオタクの年だったと言うことができるけど、既に凋落は見え始めていて確実に2010年代はオタクの年ではなくなるだろうなと思いました。
それこそ外部からの視点でしかないなあ、と思います。
いわゆるオタクには、というか=わたしの主観ではオタクが躍進することも凋落する事も無いと思います。
それらはすべて外部の人たちが利用するかしないかで変わります。
躍進=尻馬に乗る奴が多い/凋落=その分野の尻馬に乗る奴が少なくなる
すべてはこれだけだと思うのですがね。
http://anond.hatelabo.jp/20090124031616
http://anond.hatelabo.jp/20090124195912
単純に元増田の料理に興味があって、友達として扱われていたんだろうと思う。
ハグもキスも手を繋ぐのもセックスもスキンシップだしそれをどうとらえるかは価値観の違いかもしれない。
フランスではキスは挨拶だし、NYのクラブでは男同士でも挨拶で体をぶつけるようなハグ(厳密には違うかも?)をする。
それは異国の話というには、日本人は海外で生活したりして価値観が混沌とし過ぎたように思う。
「肌が触れ合うようなコミュニケーションは恋人としかできない。」というのを日本人の共通認識とするのはもう難しいかもしれない。地方はわからないけど、東京だと外国人と付き合っている人もたくさんいるし。
俺も30代になってからしないけど、20代のときは女の子友達と挨拶でハグしたり、フレンチキス(ほっぺをあわせて口でちゅって言うやつ)したりしてた。それは「久しぶりに会えてうれしいよ。元気にしてたー?」みたいなことを言うのにお辞儀をしながら言うよりハグしながらの方がより気持ちと行動がリンクしている感覚があったから。まあ、周りに外国人が多くて先にそっちとしていたら同じ場にいるのに日本人の女の子とだけしないのは、逆にその子を差別というか区別しているようで、違和感があったからしていたら、その子しかいないときに今度は外国人がいないときは挨拶が違うのもの変なのでその子とはハグ&キスが会ったときの挨拶になった。今度はその子が日本人の友達といるときに会うとやはりまたハグ&キスをする。その子の友達にも腕を広げて「はじめましてー」とかやると向こうも「イエーイ」とか言ってのってくる。で、次その子の友達が別の友達といるときに会うと(ry
シチュエーションとしてはバーとかでの飲み友達が多いが、その中には学校の友達や仕事の同僚もよく一緒に行っていたので含まれていた。
それはそれで挨拶として感情がよりストレートにのってると感じる人同志はやればいいんだと思う。
ハグするときに決して無理にしてはいけない。相手を抱きしめられる距離に挨拶の言葉を発しながらスッと入って腕を拡げて待つ。最後の抱きしめは相手がハグに応える用意があることを確認してからする。
もしその中に元増田のようにハグ&キスとかは。。。。と言う人がいたら傷ついていたのかもしれない。
こっからはセックスについて書くから伝えきれるか自分の文章力に自信がないけど、書いてみようと思う。
伝えたいことは「友達とセックスする人もいる。そういう価値観もある」ということ。
それを「あちらの世界」と呼ぶのもありだろう。自分は違うと言うのもありだろう。アホだのキモイだの言うのもOK。
しかし、これを読んだら「理解できない」とは言って欲しくない。
なぜならば、理解できるようわかりやすく伝える努力をするので。
よろしくお願いします。
セックスについても価値観でしょう。お互いフリーで避妊して責任取れる男女であればスキンシップの延長にセックスがあってもいいと思う。恋人か友達か付き合うかどうかとかはまた別問題で、スキンシップのひとつの形としてセックスをとらえるはいいことだと思う。
すごく気が合う女友達がいるとしよう。話をしても酒を飲んでも楽しい、趣味も合う、感動したり心が揺さぶられることもいくつも共有している。男でも女でもこんな人とめぐり逢えるのが人生の醍醐味だとあなたは感じているとしよう。しかし、性格も似ているため、お互いを知りすぎているために結婚してもうまくいかないだろうとお互いに思っている。よって付き合うこともしない。でもお互いにフリーで誰にも迷惑をかけないのであればセックスしてもいいかもって思いませんか?
男と女だと最後にセックスで本当にわかりあえることって多いと思う。
体を許すことよりも心を許せる人と出会うことの方が人生で少ないと思うし、逆に心を許す仲であれば体もとなるのは自然の流れだという考えもありだと思います。
お互いを深く理解するためのものでもあります。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
まず、男女関係が焦点なんで、研修を受ける人の性別で見られるところが変わります。
本人が男
本人が女
グループディスカッションの主目的は、いろんな要素の混じった問題で、あえて綺麗じゃない問題(生命の危機、弱みに付け込んで性関係を要求、不貞などの要素の混じった問題)を出して、条件も示さずに混沌した状況の中から適切な論点を設定して合意に到達出来るかといったあたりかと思いますが、その他にチェックされてるポイントがあるよというお話でした。
本当にこんな人事がいてこんな研修が行われていると本気で信じる人がいると困るのでネタばらししときます。中の人は、人事ではなく事務系ですらなく、ただのエンジニアです。これを書いた目的は、
id:otsuneさんが吐きだす極論が某忘年会で話題(笑い)の種に。
某企業のギークの間では「極論ばかり言う人=オーツネみたいな人」と呼ぶとか。
話題になっていたその極論がこれ。
これはよい極論ですね。
はてなダイアリー新着 http://d.hatena.ne.jp/diarylist をチェックしないで「はてなムラ」とか書いてる人は、お気の毒さを宣伝してると思ってる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kkk6/20081227/1230329716
一度でいいから http://d.hatena.ne.jp/diarylist をチェックして「(いわゆる)はてなムラ」に該当するidがいつ出てくるのかを見りゃ観測範囲の狭さを自覚できるはず
もう4年ぐらい言い続けてるけど。新着日記一覧 http://d.hatena.ne.jp/diarylist をチェックもせずに「ダイアリーは○○だ」と言うのは観測範囲が狭すぎ。気の毒な人だと宣伝しすぎ
4年も言い続けているのですか。御苦労様としか言いようがありません。
一度でもいいから http://d.hatena.ne.jp/diarylist をざっと分析した上で「はてなダイアリーは○○だ」といえばいいのになぁ。観測範囲が狭い
いつも決まって同じ人がスター付けてますね。
この人も http://d.hatena.ne.jp/diarylist をチェックしてないな。そして「観測範囲の狭さが原因のひとつ」と書かずに大恥さらしてるな。頭脳が気の毒です
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://pub.studio15.jp/2008/11/18/2cher-dis-hatena/
studio15(小幡晋介)さんとは一悶着あったようですね。
一回りも年が離れた若者に容赦ない極論の嵐。
極論ギーク大賞は2008年もid:otsuneさんの手に渡りました。
おめでとうございます。
他の追随を許さない圧倒的な存在感。
いったい何年連続受賞なのでしょうか。
id:HolyGrailさんなど20代若手極論ギークの台頭もあり2009年は混沌とした戦いになることでしょう。
もうさー、結論なんて色んな増田がとっくに出してると思うんだ
好きだねー、君達
端的に、俺の好みを言ってしまおう。
タバコを吸わない・会話で「すごーい」って俺に対して安易に使わない・パチンコやらない・声重要。甲高くてキンキンしない・仕事中、すぐテンパってハァハァ言わない・デブレベルに太ってない・ヒゲが生えてるのは女性として論外・オープンオタじゃない
上記のが最低条件。ああ、上記の満たす女性に叩かれちゃうんだろうなぁ俺。さらに、髪は短い方が好きだなとか、俺と一緒に特撮の801とか児童向けアニメの801とかに夢中になれると会話が弾みそうだなとか、一緒にニンテンドーのゲームが楽しめたらいいなとか理想が入るけど、理想は実現しなくても惚れる時は惚れるわけだ。
問題は最低条件だ
そして、人によって最低条件なんて違うモンさ。人によっては
処女で・美人で・体重90キロ以上は必須で・メガネ派で・髪はロングで・料理が上手
ってのを最低条件にしてる人もいるだろうさ
世の中、本当に色んな変な人がいるよ。最低条件なんて人それぞれだよ
その、○○って要素があったら恋仲にはなれんわぁ・・・っていう最低条件が人それぞれだっつー事を認められない了見が狭い人は僕は嫌いです
人によってはすごいぞ、男だったら恋人には絶対にできないとか、せめて人間じゃないと・・・とか言う変な男性がごまんといるんだから
何かと一般論持ち出したり物事にケチをつけて可能性を狭めるのが好きな人と、無限の可能性と混沌に理解がある人だったら
後者が好きだね俺は
社会から隔絶されていて、どこにも居場所のないキモいブサイクな若年男女(たまにおっさん、おばさんもいる)が自分自身のアイデンティティを必死に誇示しつつ、自分のことは棚に上げて社会的に見下せる相手(非正規雇用者とか派遣労働者とか低学歴とか)に対して侮蔑的な言葉や挑発的な言葉を投げつけることで自分たちの優位性を再確認しつつ、「非モテ」だの「非コミュ」だの「童貞」だの「(いい年こいた)処女」と言った自分たちのコンプレックスが刺激される言葉に対しては、顔を真っ赤にしながら暴力的な言葉を投げつけて反抗を試みるものの、最終的にはどうがんばってもリア充、コミュ強者には勝てないことを思い知らされ、自分の中にある悔しさと憎しみを増幅させていく混沌としたネットコミュニティ。
増田のトップページを初めて見た。個別の記事ははてブ等から見た事あったけど。何だか混沌
一週間前に何する気も起きなくなって身辺整理したり彼女と距離置こうとしたり多分大切だったサークルも辞めようとか考えたんだけど、ちょっと時間経つとそういうのも面倒でまただらだら距離持ったまま引き延ばしでいいやと。そこに落ち着いてしまいそう
音楽やっててライブに出る。演奏する曲は決まってるから悩まない。一生懸命やればいいだけ。でも曲間のMCで何を話せばいいか分からない。皆に何かを言いたいんだけど何も出てこない。出てきてもかっこつけた嘘とか自分を棚に上げた、まあ嘘か。言える事が何も無い。別に正しいことなら自分に言える資格があるかとかそんなん関係無いと思うんだけどさ。何だろうね。ああその人の為に何か伝えたいんじゃなくて自分をかっこよく見せたいから何か言いたい、ってのが発端だからなのか。あとやっぱ嘘吐きだし努力もしないもんな自分
最近まで書いていたはてなダイアリーを消してJUGEMでまた新垢取った。身近な人とのコミュニケーションを多分嫌がってる。でもネット介しての知らない誰かで良いからコミュニケーションを求めてる
何がしたいんだろうね自分。あんまり自信無い。誰かに何か出来る自分になりたいのか。会話したくてここに書いてみたり、女々しいんだろうけど情けないとはそんなに思ってない。自分が女々しい分女々しい人間に優しく出来るとか思ってる。笑われて当然のちっぽけな事なんだろうけど誇りに思ってるんじゃないかなそんな事。それについては恥ずかしくて大声で言えないけど
あーとさ。JUGEMの方には愚痴を書いてる。今までそんなの書いた事無かったのに。誰かのせいにして自分を正当化したいんだと思う。「自分だけでも自分を認めてあげたい」っていう気持ちなんだと思う。この感じ気持ち悪いな。他人を加害者に見立てて被害者振ってるんだと思う
気持ち悪い。でも良いやと思う。だらだら引き延ばし
遺伝子は確実に次代に受け継がれるわけじゃない。
リーダーとして本当にふさわしい人間がその地位を得ることを脅かす。
300年後に一度タイムスリップして、それを証明したいと思う。
●300年後にワープ●
荒廃した大地。一度放射能が拡がってしまった地球上は、前と同じ世界ではない。
そこで私は原始生活に戻った未来の人間たちを見た。徒党を組んで略奪をする人間たち。
図書館の残骸のような場所を発見した。歴史の書物を1冊手に取る。
◆2012年 世界同時不況による被害が深刻に。本格的な食糧難が明るみに。
◆2015年 米の値段が1キロ100万円に。
◆2020年 アメリカが食料を確保するため、植民地政策を始める。「食料同盟」と称し、侵略を始める。
◆2022年 EUがひとつの国となる。そのEUやロシアも、第一次産業に準じてる国に侵略を始める。
◆2030年 植民地の利権の問題で、ついにEUとロシアとアメリカの三国志時代に突入する。日本は「極東アメリカ」となる。
◆2031年 強大な三国に続き、第4国めを目指していた中国が、ロシアに統合される。中国は「アジアンロシア」という変な命名に。
◆2040年 中国・ロシアの力が強大に。やはり土地を持つところが強い。
◆2047年 アメリカとEUがロシアを倒す目的で一時的に手を結び、東西から攻撃。真冬のロシアで血の雨が降ったことから、「赤い雪戦争」と呼ばれる。
◆2050年 ロシアが核を使用。それに続き、アメリカとEUも核を使用。世界は核の放射能に包まれる。
このたくさんの巨大ビルのみが立ち並ぶ、荒廃した大地を見てその歴史の著者はこう記していた。
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「こんな数百年も残る巨大な建設物を腐るほど作らされ、暴動を起こさなかった20世紀の人たちはスゴい」
朝7時に起き、夜の22時まで残業をする。寿司詰めの電車に毎日揺られ、所定の労働場所へ赴く。たとえ風邪をひいてても、腰を痛めていても、所定の場所へ赴くサラリーマン。ピラミッドなんかとは比べ物にならない数の巨大な建設物を作るような労働が、普通にまかりとおってた社会だったのか。
そう、「奴隷」という言葉は無くなったが、「サラリーマン」という言葉に置き換えられた。人々の目はくらまされ、資本関係による合法的な奴隷システムが完成した。それは奴隷を奴隷と思わせず、そして社会をうまく機能させるための画期的なシステムだった。
そしてそのシステムの優れた点は主に2点ある。
まず、「奴隷からはいあがれる希望を持たせてやる」ということだった。基本的に奴隷の賃金は生活するのがやっとくらいに抑えられているのだが、「貯蓄で起業」や「宝クジで一発」など、奴隷からはいあがれる方法も少なからず残されているのだ。
2つめに、奴隷同士の中でヒエラルキーを作ってやることだった。奴隷の反乱を起こさせないために、カーストを作るのである。バイト→ハケン→イッパンサラリーマン→カチョー→ブチョーなどヒエラルキーを作り、奴隷間で管理させるのである。もちろん、「ハケン」もいつかは「ブチョー」を目指して・・・などとサクセスストーリーを抱くかもしれない。希望はあくまでも抱かせるのである。そしてサラリーマンの不満の矛先は資本家ではなく、目の前にいる自分のカースト前後へと向けられるのだ。
おそろしいシステムである。こんな過去では生きたくはない。果たしてこの放射能にまみれて荒廃した世界とどちらに居るのが幸せであるのか。
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http://anond.hatelabo.jp/20081029212342
元増田です、しつこくスミマセン!。id:b_say_soさんの記事読んで目から鱗だったもので。
http://goboubss.blog.shinobi.jp/Entry/603/
これ書いたらスッコミます。
小町読んで「私の母か!」と思いました。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/1028/210497.htm?o=0&p=0
母も美人で、近所の人に「あなたのお母さん美人ね」と言われて育ちました。小学校の時イケメン教師に「おまえ、本当にあの人の娘か?!」と冗談めかして言われたけど、あの時初めて心臓を抉られるような感覚を覚えました。母は、私の服を買いに行く時に哀しい顔をしました。「着られるものはサイズで限られるし、第一、太っているから何も似合わない」と。母に対し、非常に申し訳ない気持ちになりました。ごめん、可愛いお人形じゃなくて、と。
子供の頃から「みっともない」という理由で、日常的にダイエットもさせられたけど、お腹すいて隠れてお菓子買って食べてたから痩せなかった。そのせいもあって、食べ物と感情的なトラウマが混沌として、食べる事で何かに反発しているようなところがあり、大人になってからもどんどん太って行った。
就職活動しているときも、母に「会社は太ってる女は欲しがらないから痩せなさい」と言われたけど、太ったまま就職できて、心の中で中指立てたよ。恋愛に関しても、そうできれば良いのかもしれないけど、もう興味ないよ。
で、父親の役割も大きいです。美人の母と結婚した父(しかも超エリート)ですから、ブスは嫌いなんですよ。だからブスな娘を持っているのが恥だったみたい。私の記憶では父親に「可愛い」と言われた事が一度も無い。そういう優しい目で見られた事が無い。「オマエなんか(ブス過ぎて)東南アジアにすら売り払えない」って酔っぱらった勢いで言われたり。せめて一番身近な異性である父親が「可愛い」と思ってくれたら、ここまで女性としての自信を喪失、男性不信にならなかったんじゃないかと。
毎日こんな状況じゃなかったし、親に愛されていたって確信はあるけど、たまに突きつけられたナイフが、今でも体内に残っている感覚はある。ま、普通に「生まれてごめんなさい」って思うわな。でも私は今、仕事に恵まれているし、友達(ただしイケメンは除く)も居るので、人間としての自信は勝ち取ったと思っている。自分の中の女性性だけがもぎ取られた状態です。
そのセガフレードの隣のマック3階は、さらに混沌としてるぞー。
などが時間帯によってぐるぐる入れ替わるという。
どう見ても20代の軽ホスト風、でもちゃんとビジネススーツ、でも髪とか盛り気味、の若造が一角に陣取って、そこに入れ代わり立ち替わり下っ端が来ては商品=たった今ビック/さくら/その他諸々で新規契約してきたばかりの携帯電話を置いていく、という。
で、その下っ端が、どう見てもみんな身なりはちゃんとしてるおっさんばっかなんだよ。店員風、リーマン風、自営業風、早期退職悠々自適風、いろいろ居るんだけど、みんな転売屋よりは上なの。
で「どうもー。買ってきましたー」とか言って、おっさんどもみんなそれなりに社会経験有るから、愛想良く話そうとするんだけど、ホスト風スーツは全然反応しないのw それこそ腕がカラフルな深夜コンビニ店員よりも下のテンションで。すげー見ててイラっとくる光景。
しかも話聞いてると、全員が常習というわけでもなさそうなんだよなー。バイト的というか。不思議不思議。
あ、転売というのは憶測です。でも他人にケータイ買ってこさせて、それを集めてるって、まぁまともな商売ではないよね。
TVとかで見て、馬鹿にしてたけど、あいつらノリが完全に部活だわ。熱い。
燃えてる2年生が「もっとここはこうしましょうよ!」「ちゃんと覚悟して入ってきてるの!?」みたいなで、新入りが説教されてシュンとなってて、最上級生は「あー? いいんじゃなーい。やってみればー?」って。まあ体育会系的な馬鹿さは非常に感じるが。さすがDQN。
あとね。春先のブーツの時期がツラい。
あいつら店内で脱ぐし、換気悪いしで3階がチーズ臭。
マニアにはたまらない。
僕にとっての学会とは。
物心ついたときから入っていたもの。
自分と親しい人達そのもの。
地区の座談会や、学生部のほのぼのした
会合のように、明日も頑張ろうと信仰を
深めるために正しく機能している姿。
人と人との信頼関係をぶち壊したり、
不幸になる人達が多くいるという姿。
しかもそれに本人が気付いていない姿。
学会に用意されている結論を鵜呑みにして
自分で考えることをやめてしまった人達。
人との信頼、つながりを大切にしながら
自分のやりたいことを貫いていく友達もいました。
人として、本当の意味で魅力的な友達に会えたことは
とても嬉しかった。一歩一歩前に進んでいく姿は
自分にとって刺激にもなった。
組織になっています。
という話がありますが、
グレーとしか言いようがありません。
すごく学生のことを思っているんだなぁという時と
たくさん自慢をしたり、とても愚痴っぽい発言を
繰り返したりすることもあります。
そんなこんなで、やっぱりあの組織文化の中に
友達や知り合いを引っ張り込んだり、選挙をお願いする
ということは、どんなに目的が崇高で正しいものであったとしても、
僕にはできません。
だから今は組織とも距離をおいてます。
ただ、やめたりとかはしないと思います。
僕は創価の中で生まれて、その庭で20年育ってきたから。
その人達との繋がりを無理に断ち切ろうとも思ってないです。
だから、これからも学会員。
だけど活動には協力しない。
そして、一生懸命生きていく。
人を信頼して、友達を大切にしながら生きていって
みんなで幸せになれれば、それが一番いいと思う。
2008年07月:iPhone発売、みんな多少背伸びして購入に至っている。
2008年08月:企業の経営陣が「iPhoneで何かビジネスできる?」と技術者に聞く
2008年10月:iPhoneアプリ混沌の時代。出せば売れる!
2008年11月:すごい便利なアプリ登場!クソアプリはどんどん淘汰される
2008年12月:スクエニが参入。Saga2移植、おっさんホイホイ。
2009年01月:東方とひぐらしとアイドルマスターと初音ミクが移植される、オタ層が流れてきて互いに潰しあう
2009年04月:iPhoneにIE搭載。と思ったらエイプリルフールネタだった。
2009年05月:iPhone2009登場。電池容量と重量が10%増えた。
2009年06月:iPhone360登場。画面が綺麗になる。時代はハイデフへ!
2009年07月:iPhone360エリート登場。画面の大きさが4倍に。
2009年08月:iPhoneVista登場。セキュリティの為、アプリ起動の度にパスワード入力が必要になる
via http://anond.hatelabo.jp/20080723220117
まあ、どのくらいの数の宇宙オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「アカではまったくないんだが、しかし自分のソ連趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないソ連宇宙開発の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ミール公社の歴史を紹介するために
見せるべき10機を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に宇宙開発を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、研究者が100人規模で亡くなる、といった過大な被害を伴うR-16は避けたい。
できれば生体サンプルの回収失敗、大きくても宇宙飛行士数名の死亡にとどめたい。
あと、いくら宇宙開発的に基礎といってもフォン・ブラウンのAシリーズを感じすぎるものは避けたい。
ゲーム好きが『テニス・フォー・トゥ(または無題)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
宇宙開発知識はいわゆる「アポロ13」的な映画を除けば、NHKドキュメンタリー程度は見ている
ツォルコフスキー度は低いが、頭はけっこうケロシン
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「開発競争の始まり」を濃縮しきっていて、「コロリョフ工場長」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。今もOLVとしてR-7シリーズ現役だし。
ただ、ここで「スプートニクショック」トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このイベントの背景について、どれだけさらりと、ナチス話にならずWW2すぎず、それでいて必要最小限の米ソの軍事バランスを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のLEO打ち上げ能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ソ連オタが考える一般人に受け入れられそうな宇宙ステーション(そう思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「15年運用のこのステーションは“第二世代”としていいと思うんだけど、率直に言ってトラブルどう?」って。
ある種の歴史オタが知っているトライ・アンド・エラーと、ライカ犬を使った生体実験へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも初期宇宙開発的な
「宇宙開発の混沌ぶり」を体現するコラブル・スプートニク1号(スプートニク4号/ボストーク1K)
「機密情報への対処」を体現するコラブル・スプートニク3号(スプートニク3号/ボストーク1K)
の二機をはじめとして、オタ好きのする失敗をシリーズにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「アポロ計画だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
グルシュコが新型ケロシンエンジン開発を断ったこと、そのためにN-1一段目(Aブロック)がエンジン30機のクラスタだったこと、
アメリカに先取りされて向こうは大人気になったこと、この計画がその後コロリョフの死によって頓挫したこと、
最終的に中止になったこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり宇宙は軍事のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ゼニット」「アルマース」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このレーザー宇宙要塞という壮大さが好きだから。
断腸の思いで軌道投入時に自壊、っていう結末が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
上層部の「開発局への中断命令」か伝達されない、ということへのがいかにもソ連的だなあと思えてしまうから。
ポリウスの自壊措置を俺自身は酷いとは思わないし、仕方ないだろうとは思うけれど、一方でこれが
国際情勢やソ連の財政次第ではきっちり軌道に入れて、SDI計画を完成させただろうとも思う。
なのに、アメリカへの外交を考えて即座に大気圏突入させて捨ててしまうものを作ってしまう、というあたり、どうしても
「秘密裏に作られていた超絶秘密兵器を捨てられないオタク」としては、たとえソ連がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。ブラン計画の関連と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でTKS見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
サリュート計画よりも前の段階で、ステーション建造とか巨大建造物打ち上げはこの宇宙船で下地作りができていたとも言えて、
こういう今のISSの原型がひっそりとこの時代に開発されていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくソ連好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるミール以後でしか宇宙ステーションを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
コロリョフの「夢」あるいは「メチータ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「月への旅行」的な目標が宇宙開発オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアメリカ版『レンジャー計画』はルナ計画以外ではあり得なかったとも思う。
「マルス」というアメリカの月ロケット計画が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの夢」の
源はジュール・ベルヌ「月世界旅行」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に月調査競争を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは中国だよなあ。長征墜落とか情報統制とか、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう中ロの有人衛星技術供与協定をこういうかたちで現実化して、その結果の発展を受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9機まではあっさり決まったんだけど10機目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にソユーズTMAを選んだ。
スプートニクから始まってソユーズTMAで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、今の有人宇宙船のスタンダードと
なった船でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10機目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
絶望、破壊、混沌、無情、苦労、困惑、羞恥心、幻覚、妄想、現実、自殺、落胆、失望、病気、憂鬱、疲労困憊、喧々囂々、存在価値、否定、殺人、迷惑、幻聴、死ね、これはひどい、邪魔、消えろ、失せろ、怨念、暴動、破壊衝動、自閉症、トリップ、羨望、願望、格差、負け組、クーデター、爆撃、放火、陳腐、強姦、切断、リストカット、出血多量、無惨、残酷、酷使、鬱病、メンヘラ、苦痛、罵倒、はてなブックマーク、誹謗中傷、破滅、ブログ、炎上、嫌儲、一般論、常識、空気を読め、誤解、曲解、自滅、虐待、虐殺、差別、幻想、暴力、戦争、貧困、オタク、中二病、自慰、幻滅、エロゲ、終末、未来、過去、現在、自分、馬鹿、アホ、デブ、変態、役立たず、死刑、抑圧、宗教、束縛、悪夢、罪悪感、犯罪、暴走、激痛、精神病、上から目線、自称評論家、はてな的なるもの、憎悪、無関心、不感症、殺人願望、ナイフ、遺体、自殺願望、神、末期症状、禁断症状、依存症、嘲笑、悪魔、無能、低脳、ブタ、愚民、下等生物、下衆、エリート、ニート、ワーキングプア、インターネット、社会のゴミ、生きる資格なし、ゆとり教育、荒らし、陰謀、嫌悪、憎しみ、苦しみ、上意下達、いじめ、登校拒否、学級崩壊、死ねばいいのに、害悪、汚物、若者、精神年齢、劣等感、卑下、被害妄想、自暴自棄、欲望、支配、秩序、正義、無価値、無謀、臆病、のけ者、排除、無知、粗末、倫理、ルール、偽善、自己中心的、偏愛、性癖、性格、自己否定、崩壊、人格、終わり
みなさん、それなりにうまくやっているように「見え」ますが、見えるだけです。
みなさん、脆弱なくせにそれなりに滑らかにうまくやっているように頑張っているのです。
できるなら、仲良くできる人間だけと会話したいです。目を合わせたいです。
できるなら、どんな話かたでも、話の内容でも理解してくれる人間だけと話をしたいのです。
なめらかに輪を構成しているようですが、ギリギリ輪になるような弱い繋がりしかありません。
私たちが含まれている世界は、とても意味不明で混沌としていて、無意味に無慈悲で強力です。
あなたが他人にみているのは、その影です。しかし、他人はあなたと同じ、脆弱な人間です。
あなたがその気になれば、簡単に傷つけることができますし、屠ることができます。
逆に、あなたと同じ人間ですので、道端の草や、空の月や、メス犬よりはコミュニケーションし易いでしょう。
空気を読めと強制してくるような人間は、自分の好みの空気でしか生きられない雑魚です。
安心して空気を奪ってやりましょう。窒息死させてやればいいのです。
キモイと聞こえるように言い放ってくる人間は、自分の理解不能なものを「キモイ」としか形容できない雑魚です。
でも、あなたが、輪に入りたいのなら、輪を構成する人間があなたと同じ雑魚であることを認めることです。
輪に入っても安心しきれず、常にびくびくと周囲を意識し、それでいて他者から離れられない雑魚だと認識することです。
どうです?なかなか、人間というやつは愛おしいでしょう?
こうして、他人に怯え、さらに強力な世界に怯え、私達は生きてきました。
大丈夫。あなたは弱いかもしれないけれど、あなた以外の人間だって、とても弱いのです。
安心して、傷つき傷つけ合いましょう。死ぬまで、そうしあいましょう。
まず、「○○さん、おはよう」です。声をかけましょう。
どちらかが傷つくかもしれませんが、とりあえず、傷つけあえる距離には、近づけるでしょう。
確かに正直、読み手への信頼はない。俺自身の文章能力にも信頼はない。
それは何度も誤読された事があるからだ。
誤読されることほどガックリくることはない。理解してくれたうえの反論と言うのは心地よくすらあるが、誤読された上に偉そうに反論している奴を見ると何とも言えない空しさや怒りがこみ上げてくる。「誤読してるくせに偉そうな事いってんじゃねえよ」という怒りや、「得意げになっているこいつにいちいちまた俺が説明してやらないといけないのか」というガックリ感。そして「また俺は伝わるように上手く書けなかったのか」という自分への失望。それらが混沌となってなんともいえない徒労感がある。
それを味わうのが俺は嫌だから、徹底してわかるように書く(ていうか書いてるつもりにすぎないのだが)。
でもそうすると今度はそれが鼻につくと嫌がられるみたいだが……
本当うまくいかないものだな。考えを理解してもらうというのは本当に難しいな。