ファンのほとんどが、少なからず思い描いていたと思う。舞台化(これは実現しかけてた)、アニメ化、映画化、その他もろもろの華々しいメディア展開を。
ご存知の通り、それらは全て根こそぎさっぱり駄目になった。
原作マツキタツヤの卑劣極まりない性犯罪によって、大体の良識ある人が「まあ、そうなるよね」と言わざるを得ない形で。
私は作者と作品を切り離して考えられない。SNSの炎上や、ちょっとしたスキャンダルで騒ぎになった程度ならいざしらず、悪質な痴漢の書いた話なんか吐き気がするからもう要らない。
いい作品は世の中にいっぱいある。魅力的なキャラだっていくらでもいる。アクタージュにこだわる必要なんかない。
マツキタツヤに関しては、「取りうる全ての手段を以って償え」としか思っていない。出版社とか読者とか宇佐崎しろとかはどうでもいいから被害者のために全力で罪を償え。償ってからならどうなってもいいからまず償え。
アクタージュは原作マツキタツヤ、作画宇佐崎しろ、この2人の溢れ出る才能の結晶だった。
作画宇佐崎しろはアクタージュファンに向けてTwitterで意見表明をした。アクタージュの連載終了についてと、暴走するファンの言動への釘刺しだった。
それは非常にまともな内容だった。
多くのファンが「宇佐崎先生も辛いのに、こんな誠意に満ちた言葉ではっきりと言及してくれてありがたい」と言っていた。外野は事情もわからないまま「文筆家の原作者よりまともな文章書けるじゃん」と囃し立てた。集英社はろくにアナウンスもせず引用RTで適当に乗っかった。外野はそれを叩いた。
場外乱闘はあるけど、とにかく誰もが宇佐崎を褒め称える。全力で支えますと言っている。
だが、私はこう思う。
「そもそも宇佐崎しろがまともに漫画が描けてれば、ファンはこんなに絶望してなかったんだよ」
と。
宇佐崎しろは、(アクタージュを読んだことがなくて表紙だけ見たことある人なら誰もが抱く疑問があるだろうが、その通りに)顔面だけが上手い『絵描き』だ。
肩書きは漫画家ではあるが、宇佐崎の漫画を描くスキルはとうてい週刊少年ジャンプの連載陣レベルではない。
上手いのは基本的に顔面と髪だけだ。無機質でざっくりした背景は簡単に真っ白に飛ぶし、体付きでキャラ立てができるようなマンガ的な描きわけができるわけでもないし、ていうか顔もそんなに上手いか?
もちろん、私は宇佐崎の絵が大好きだ。漫画を楽しむ時に、絵の欠点なんて関係ない。宇佐崎の絵には、宇佐崎が描く人物には、それらを凌駕して有り余る魅力がある。それは大前提だ。
しかし、週刊少年ジャンプで作画だけを担当しているような漫画家は、だいたいにおいて凄まじく絵が上手い。その中にあって、宇佐崎の下手さは異色だ。
絵が下手だけど漫画が上手い、という期待は、宇佐崎に関してはできない。
アクタージュの全話のネームはマツキが切っていた。宇佐崎はストーリーはおろかセリフ一つ考えられないのではないだろうか。そう思わせる兆候はいろいろあった。
アクタージュの続編なんか望んでいない。
だが、アクタージュでついた読者を引き込むような作品を宇佐崎が作ってくれる、と期待できれば、アクタージュファンの気持ちはもう少し違ったはずだ。
アクタージュは2年以上連載していた。その中でファンが期待していた宇佐崎の成長はなかった。ほとんどのファンが好きになったのは痴漢の作った話、痴漢が考えたキャラ、痴漢が書き連ねたセリフだった。
アクタージュファンは知っている。自分たちが好きになったもの、その穢された作品の中できらめく「かつて自分たちが好きになった要素」を継いだ新しい作品を、絶対に宇佐崎は作ってくれない。事件とかマツキとかは関係なく、ただただ作る力がない。
きっと集英社は才能ある、ネームまで作れる原作者をまた見繕って宇佐崎につけてくれるだろう。
宇佐崎はそれを描くだろう。
良い作品が出来るかもしれない。私はまた夢中になるかもしれない。
けれど、そこにかつて好きだった漫画の影はない。
実は宇佐崎がものすごく漫画が描ける人で、アクタージュよりずっと面白くて読者の心を掴む漫画を描いてくれたら、こんな邪推は全てゴミクズだ。
でも、きっとそうではない。
言われて確かに、表紙全巻白背景のバストアップか顔アップだった
はい誹謗中傷 ネットだから匿名だと思っている奴がまだいるのですね