2017-06-08

察しのいい女

1

「起きろーー!」

 

娘の声に促されて1階に降りると、

夫が朝食を用意してくれていた。

十八番スフレオムレツに、

ベーコンレタストマトトースト

目覚まし代わりに

淹れたてのコーヒーをすする。

今日休みなんだっけ?」

「そ。ぽっかりスケジュールが空いてね。

ま、いーかって。ジム行くことにした」

 

スポーツバッグを抱えて玄関を出て、

ジムへ向かう道……、から

途中で逸れて駅へ。

跨線橋階段から最も遠い位置電車を待ち、

人もまばらな車両に乗り込んで、

ポーチを取り出す。

車内で化粧するという行為を、

昔は全く理解できなかったけれど、

今は、その理由の一つだけは分かるようになった。

 

太陽から隔絶された数時間を先輩と過ごし、

駅ビル寿司屋へ。

カウンターに並んで座り、

刺身つまみビールグラスを傾けながら、

先輩の変わらぬ……少し変わったかな?……横顔を見て、

人生面白いと、改めて思う。

 

先輩と夫とは、大学からの友人で、

私との出会いも同時。

2人でペアになって、私をサークル勧誘したときだ。

積極的アプローチしてきた夫とは対照的に、

先輩はそのときも、その後も、

一歩引いた位置にいた。

何事も控えめで真面目で、

友情を何よりも大事にする先輩に、

形にならない感情を抱いてはいたが、

私は分かりやす好意を向けてくれる夫を選んだ。

 

 

2

二年前。

「アイツのことで、内緒で、ちょっと話したいことが」

そんなふうに誘っておきながら、

幾度かの催促にも言葉を濁す先輩に疑念を感じ、

バーを出た後、その汗ばんだ手が、

探るように、私の手に触れたことで

ますます強まったが、

そのとき不意に、先輩の態度と、

私がかねてより持っていたいくつかの疑問とに対し、

その全てに回答を与えてくれる、一つの仮説を思い付いた。

 

友情大事にする先輩が夫を裏切ろうとするのは、夫への友情を失ったから。

夫を見限ったのは、夫が見限られることをしたから。

見限られることとは、私が漠然と感じていた、女の影。

話そうとしたのは、その核心的な証拠

話せなかったのは、決定的なトリガーを引くことへのためらい。

そして、先輩が昔から私に向けていた、感情のありか。

なるほど。

 

「これは面白いことになりました」

つい口をついた、場違いな私の言葉に、戸惑い、慌てて引っ込めようとする、

その汗ばんだ手を、強く握り返した。

(そういうのって、もっとずっと早い方がよかったと思いますよ、先輩。

でも、奥さまや息子さんのこと、いいんですか?

ま、いいんでしょうし、いいんですけど)

  

  

3

スーパーサーモンの切り身とほうれんそう

その他少々の野菜

牛乳ベーコンを購入して帰宅

娘はまだ友だちとの買い物を楽しんでいるのだろう。

夫もどこかへ出掛けたようだ。

テレビの音声を聞きながら

夕ご飯の下ごしらえをしているうちに、

娘と夫が次々に帰ってきた。

 

食後、娘が買ってきた服を、

ファッションショーのように

次々に着替えて見せてくれる。

その姿を見ていたら、

昨日、衣装合わせをしたカップルの、

華やかで美しく、それでいて

明るくて気さくな女性のことを思い出した。

男性会社の後輩だといっていた。

彼は職場でさぞうらやましがられていることだろう。

 

夫も娘も早々に入浴し、自分の部屋に引っ込んでいった。

私は一人キッチン食器を洗い、

ひとしきりリビングを片付け、お風呂場へ。

入浴後、浴室の床と排水口を軽く流し、

起きたらすぐ干せるようにと、

2人が脱ぎ捨てた衣類に、私のものを合わせて

洗濯機に入れようとしたら、洗濯槽に水が張られていた。

私は少しだけ考えてから、それを排水し、

リビングの端に立て掛けていたスポーツバッグの中から

れいに折りたたまれていたウェアを取り出して、

ほかの衣類ともども洗濯機に放り込んで予約ボタンを押した。

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