先程、下記の記事を見た。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49798
紹介されている本は未読で、この記事も流し読みした程度なのですが、
自分は今日が人生さいごの日だったら、何をするかなあ、と考えたので、書く。
あさ目が覚めて、これが最後の1日だったら、
外にお出かけしても良い程度、鏡を見て、じぶんでいいねーと思える程度に、
シュッと(化粧もして)整えた、さっぱりと気持ちの良い格好をする。
部屋やPC内にに見られて困るようなものはないので、このへんはそのままでいい。
各種アカウント類は整理しといた方がよいだろうか?ID開放のため。でもめんどうだなあ・・・まあそんなにないし、いいか。
それから、お出かけする。
本は、夏目漱石「草枕」と、、、あとジッドの「狭き門」とか、それともアラマタ大辞典とかにしようか。重いか。
助手席にはお気に入りの・・・相棒のぬいぐるみを乗せて、出かける。
私はとてもとても好きなので、どこまでも行っちゃいそう。
シンガポールのボタニックガーデンのようなところがいいなあ
まあここはシンガポールじゃないので、
土日になると家族連れでにぎわう系の公園の、気持ち良い木陰を探す。
気候がわるかったら、広い図書館か、お気に入りのカフェでもいい。
気分によって適当に海まで行ってもいい。
そうやってふらふら好きにしたら、夜は
すべてが準備されるようなところで過ごしたいので、良いホテルに泊まります。
満室なら残念です。
携帯電話はおいていくつもりなので、いきあたりばったりで
泊まれるところにとまる。
もしもその日の終わりにバタリと息の根が止まってしまうなら、ホテルはナシ。
どこか誰もしらない場所で、つまり猫が死ぬときにふっと姿を消して死にざまを見せないように死ぬのが一番理想なので
よいところを探して山へ分け入って分け入って、そっと山の肥やしになりたいなあ。
その場合は車はおいて単身そういう場所を探さないといけないので、
事前にいろいろ調べないといけない。たいへんだな。
きっと葬式などをあげたいだろう。
となるとやっぱり身体はわかるところに用意しておかないといけない。
しかし、最後に家族のもとへは赴きたくない…ひとり穏やに過ごしたい…
そうして、そうっと、すぅっと、消滅したいのですが、人間は社会的生物なので、なかなかそうはいかないようです。
あと、ありがたいことに、愛すべき友人たちもいるのですが、
彼ら・彼女らの幸福は、基本的にはいまから死ぬわたくし以外のものがもたらすであろうから
別のここで何か最後に一手かかわりを持とうとする必要はないと考えまして、
連絡などはせずそっと早くに忘れてもらうのがいいよなあ、と思うのだった。
と一通り考えてわかったことは、やはりというか、なんというか、
私が求めているのは、穏やかにひとりでそ・・・っと何もせず何もおこさず関わらず
わたしにはわたしがいれば完結して満足してしまうところがあるのだった。
実際には今日私は死なないし、私のことを好きな家族をぽいっとするほど薄情にもなれないので、
漫然としごとをして漫然と好きな本をながめて漫然と人の面倒をみて漫然と生きるのであった。