個人的には、校長の発言に非がまったく無いわけではないが、処罰の対象になるような事案ではないと思う。
以下、考察。
1、女性が子供を(平均して)二人未満しか産まない社会には重大な問題がある
3、女性が子供を二人以上生むことは、仕事でキャリアを積むこと以上に重要である
さて、以上の3つの主張のうち、どれがOKでどれがNGだと感じただろうか。
まず、1について異議のある人は、ほとんどいないと思う。
というか、1を否定してしまったら、少子化問題はまず間違いなく解決しない。
ところが、これが2になると、早くも抵抗を感じる人もいるのではないだろうか。
「何が重要なのかは個人の問題で、他人が指図するものではない」
そんな声が聞こえてきそうだ。
しかし、よく考えてみると2の主張は、1の主張を単に具体化しただけのものである。
論理的に考えて、1で示された問題(女性が子供を二人未満しか産まない社会)を解決する唯一の方法は、女性が子供を二人以上生むことである。
そして重大な問題を解決するための唯一の行動は、当然にして重要であるに違いない。
にも関わらず、多くの人は、感覚的に1はOKでも2はNGだと感じるのではないだろうか。
実際、ネット上に見られる批判意見の大部分は、2を問題視したものであるように思われる。
繰り返しになるが、1をOKだとして2をNGだとする意見は論理破綻している。
だから、今回の発言を問題と見るか否かの争点のひとつは、3から2を引いた残りの部分、つまり「仕事でキャリアを積むこと以上に」が適切だったかどうかに集約されるはずだ。
子供を二人以上生むことと、仕事でキャリアを積むことは、どちらが「社会」にとって重要か。
これは確かに校長の主観であって、実際には議論のある問題であろうから、発言が100%適切であったと擁護するのは難しい。
したがって、この点で校長の発言には一定の非があったと私は考える。
しかし、比較の問題である以上、どちらか一方が他方よりより重要であることは明らかだ。
そして、前者が後者よりも重要ではないと断言できる絶対的な根拠も存在しないだろう。
すなわち、校長の主張が完全に誤りであると断言できるような根拠もまた存在しないのである。
もうひとつの論点は、「社会」にとって重要な事柄を、「個人」の人生の指針として指導することの是非についてだ。
平たくいえば、「社会の役に立つ人になりなさい」と子供に教育することはOKなのかNGなのか、ということである。
おそらく、個人主義志向の人であればNGだと考えるであろうし、全体主義志向の人であればOKだと考えるはずだ。
ただ、個人の主張とは別にして、公人としての校長の責任という視点のみで考えるなら、この点について教育委員会は校長の非を問うことはできないと私は考える。
なぜなら日本では教育権の一部が国家にあると判例で認められており、実態としても、公教育の中で子どもたちに「国の役に立つ人になりなさい」という指導が当然のように行われてきているからだ(「道徳」の学習指導要領などを見れば、一目瞭然である)。
したがって、この点に関して校長の発言には非がなかったと私は考える。
前述のように、私は校長が「子供を二人以上生むこと」と「仕事でキャリアを積むこと」を比較して、前者の方が社会にとって重要であるという個人的意見を、あたかも絶対の真実であるかのように表明した点のみに問題があったと考えている。
また、校長の主張は根拠を欠いたものであったが、絶対に誤りだと否定できる根拠もまた存在していないと考える。
確かに校長の発言は正確性を欠いてはいたものの、そこに差別的な意図などは含まれておらず、またその他に問題と考えられるような主張も含まれていない。
以上の点から考えれば、少なくとも「辞職の勧告」などといった極めて重い懲戒処分を下すことは不適当であると私は考える。
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