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2020-08-11

米津玄師さんを少し憎らしいと感じた話

米津玄師さんのSTRAY SHEEP Radioを聞いて改めて感じた寂しさと,少しの憎らしさについて書いていく.

私の感じている寂しさは例えるなら,大切な友人と少しずつ距離が離れて行って,その大切だった人とまた仲良くなれる夢を抱きながらも,そんな妄想現実にはもうやってこない悲しさのような寂しさのような,そんな感情だと思う.

そして,少しの憎らしさとはその大切だった人が他の人と楽しそうにしている姿を見かけたとき気持ちのようだと思う.

私は米津玄師さんのdioramaやYANKEEの時の楽曲がとても好きだった.この時代米津玄師さんも唯一無二で今聞いても魅力的な楽曲が多い.唯一無二だから代わりになるようなアーテイストジャンルが一つもない.そんな唯一無二のジャンル新曲を期待すると,当然ながら米津玄師さんの新しい楽曲を期待するしかない.けれど,そのジャンルの曲が新しく作られることはなかった.

YANKEEの次のアルバムBremenでは曲の雰囲気が変わり,どちらかというとシンプルな曲がとても増えた.dioramaやYANKEEの時の複雑で幻想的なジャンルの曲はなくなってしまった.この頃はまだ昔の曲調が戻ってくると信じていたし,実際昔の雰囲気を少し持った曲はその後ちらほら現れた.しかし,そんな期待とは裏腹に以前とは違うジャンルの新しい楽曲たちが生まれていった.

もう距離が離れてしまったと気づかされたのは「砂の惑星」が発表された時だった.「砂の惑星」は初音ミクマジカルミライ2017のテーマソングで,米津玄師さんがハチ名義で出した今のところ最後の曲だ.この曲自体は昔の雰囲気を携えていて,この曲を聞いたときは戻ってくると期待した.しかし,歌詞MVの内容をよく見てみると,これは恐らく昔との決別の意味が強いことが察せられた.これに気が付いたとき少し泣いた.

とうとう「砂の惑星」の時の気づき確信に変わり,現実を突きつけられる瞬間が訪れた.それはF / T RADIOの時だった.このRADIOの29分ごろに,「昔の米津玄師とかハチに帰ってきてほしいって思うファンの人もいるかもしれないけど,もう戻れないから」と言っていた.もうあの時代米津玄師というジャンル消滅して,今後新しい楽曲がそのジャンルに増えることはないんだと知った.なんだか寂しいような,悲しいような,憎らしいような気持ちがないまぜになったのをよく憶えている.

最後にSTRAY SHEEP Radioで感じた少しの憎らしさについて書いて終わろうと思う.STRAY SHEEP Radioの28分ごろから,「カムパネルラ」という楽曲について語るシーンがある.そこでは「このアルバムを作るうえで3年たっていて,その時間はとてつもないと感じた.その間に自分を好きだった人が通り過ぎて,いなくなってしまった人がいるだろうと考えた.自分のことを好きだった人達を覚えておきたいと思っていて,その人たちの為の贖罪祈りの曲になっていると思う.」と語っていた.この話を聞いて少しの憎らしさを感じたのは,ここで言う「通り過ぎて行った人達」は,恐らく「昔の米津玄師ハチが好きだった人達」ではないような気がして,忘れ去られた寂しさと憎らしさが混在した気持ちになった.私は同じ場所で佇んでいるだけだから,通り過ぎていく人たちと違って,ただただ置いて行かれる存在しかないんだろうなとそう感じた.

これだけ現実を突きつけられて,置いて行かれたとしても,米津玄師さんの新しい楽曲が出るとき一喜一憂するし,アルバムCDはなぜか全て揃って手元にある.多分これからもずっとこうなんだと思う.

この文章気持ちの整理と,ちょっとした意趣返しで他意はない.憎らしさや寂しさは愛ゆえに発生するものから

2020-01-02

anond:20200101052010

声を上げるのが大事なのはわかる。Bremenがポップすぎるとか言われたからamen作ったとか言ってたので

2016-05-26

米津玄師歌詞が前向きになって寂しい

音楽知識もないし歌詞解釈とか思い込みが入り過ぎて見当違いなことを言ってるかもしれない申し訳ないと最初予防線を張っておく。

米津玄師最初アルバム「diorama」は一口で言えば「後ろ向き」な作品が多いように感じる。例えば「blacksheep」の「素晴らしい一日始まる頃には夜に暮れる 過ぎ行く毎日 手を振ることすら忘れたまま 」や「何となく不安でさ 日に日に毎日は老いていく」といった歌詞ダウナーな曲調も相まって1日に対する諦観を感じさせる。他にも「恋と病熱」の「誰も嫌いたくないから ひたすら嫌いでいただけだ」「好きなことが少なくなり 嫌いなことが沢山増えた」という歌詞、「vivi」の男女の恋愛の別れを歌い、「さよならけが僕らの愛だ」と締める歌詞(pvだと異形の男と女の子だったが便宜的に)も対人関係に対しての諦めや遣る瀬無さを読み取れる様に思うし、「ディスコバルーン」の「何も知らない夢のまま 死んでいけたら幸せだ」という歌詞は激しい曲調も相まって破滅的な曲であるという印象を受ける。まあ主観だろ!といえばそれまでになってしまうのだが、これらの曲を聴いて「めっちゃ元気の出る曲!」となる人はあまりいないと思う。

因みに米津玄師以前の名義、「ハチ」として活動していた時の曲は後ろ向きな曲もなくは無かったが、ここまででは無かったという印象だ。「クオリア」という曲は孤独少女他者に認めてもらえる、自分認識して貰えるという幸せな結末が描かれているし、暗い中にも明るい希望が描かれた曲が多いイメージだ。多分初音ミクイメージに寄せているのもあるのだろう。

では最近米津玄師はどうなんだという話に移る。最新アルバムbremen」を聞くと大分「前向き」な曲が多くなったと思う。といっても完全に明るい訳ではなく、「絶望もあるけど前を向いていこう」といったようなことを描いているのが多い…と思う…。アルバムは数十曲入っているのに全ての曲をこの一言で当てはめることは余りにもあんまり表現ではあるが。多分当てはまらない曲もある。

例えば「アンビリーバーズ(あ、これ初出はシングルだった)」は「今は信じない 残酷未来なんて」「終わりにしようよ 後悔の歌は」「だから手をとって 僕らと行こうぜ ここではない遠くの方へ」と言ったように絶望認知しつつ、それでも諦めず未来へ行こうという前向きな歌詞で描かれている。また「ホープランド」では「謂れのない嘘や 穢れきったあの言葉に 惑わされないでおくれ それが世界の全てじゃない」「ソングフォーユー 僕らは初めましてじゃない 同じものを持って 遠く繋がってる」といった「聞き手希望を伝えようとする」姿勢が示されているように思える。

「diorama」と聴き比べると随分作風に変化が生じたように思う。最近米津玄師の曲は、辛い時に聞くと励まされる…そんな風に変化している。ある意味健康的になったとも言えるのかもしれない。

個人的に今の方面の曲もすこぶる好きではある。のだが、「blacksheep」「恋と病熱」の気怠い感じや「ディスコバルーン」の破滅的な曲がとても好きだったので、最近その方面の曲が聴けないというのが少しばかり残念なのである

寂しい…なんて随分自分勝手表現を使ってしまったが…まあ1ファンの見当違いな戯言である

 
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