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2011-05-01

そろそろ面倒な輩が消えたと思うので

心おきなく言わせてもらうが、原発問題にかんしてバカが多発してたことをみんなはどう思ってるんだ?東電政府無能クズなのは当然として俺が言いたいのはデマ流す奴とか危険厨な。過度に原発について不安をかきたてて無知大衆を煽るクズが今回かなりいた。こういうこと言うと安全厨扱いされてこんな時に原発擁護するとか頭おかしいだろなんて言われて袋だたきにされる有様だった。俺はそういう構図を分かってたからハッキリもの申すのを控えて様子を見てたけど。なんでこうも人間っていうのは集まれば集まるほどバカになるのかね。三人寄れば文殊の知恵と言うが、三万人寄れば幼稚園児の知恵だよな。集合知とか笑っちゃうよ。Wikipediaは役に立つけど。「原発はだいぶ収束してきたね」と言おうものなら目くじら立てて必死に叩く奴が多数いてホント面倒な世の中だなと思ったよ。知識ある人がまじめに発言しようと思っても全てが安全厨と危険厨というドングリの背比べな低レベルな対立構図に回収されてしまう。ほんとにおかしな世の中。まだそういう人間がウロチョロしてないとも限らないから、「本当に知識がある人間なら今回のことで大丈夫だと分かるはず」とは言わないけど。御用学者のこともそうだしさまざまな利権からんでるから知識あっても嘘つく人が多数いた。でも内心では大丈夫だと思ってるから東京から逃げないんだよね。そんな簡単なロジックも分から不安に煽られてる人間情報リテラシーなさ過ぎる。いかにまじめに考えてる人間が少ないかが今回よく分かったよ。誰一人として利権とかプロパガンダとか抜きにまじめに誠実にこの問題を考えていない。学者でもほんの一握りだったね。カフェとかで周りの会話聞いててもそういう話がまじめな形で話されることは無かった。別に自慢するわけじゃないけど、知り合いに工学系の優れた人がいるわけ。知識と頭脳のある人間なのに原発のこともっと真剣に考えても良いと思ったな。

2010-06-05

ナイーブなエコとナイーブな反エコ

切込隊長ブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本人類未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。

なお、私は環境問題専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。

物理のセンスのない「エコ」活動

隊長曰く、

なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。

本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。

これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。

つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。

本来の「エコ」とは何か

では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコン冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。

要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー資源戦略の話であり、マクロ経済都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。

ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。

もう一つ、隊長の書いている

環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネル生産するのにまず二酸化炭素エネルギーロスがかかるっつーの。

はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。

ニューエイジ運動による「エコ」の簒奪

ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動経済成長科学技術物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。

答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教社会運動の産物なのだ。ダーウィン進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウム仏教原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。

少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ運動キモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。

おわりに

鳩山内閣エコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。

しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。

追記

誤植訂正。b:id:yoh596さんご指摘どうも。

2008-09-09

頼る人は頼られる人、頼られる人は頼る人

仕事をしていると、すぐに周囲の人に質問をしたり、「自分はこうするつもりなんだけど、あなたはどう思いますか?」と相談したりする人がいる。

そういう人は周囲の人から逆に質問をされたり、相談をもちかけられたりもするようだ。

そこまでいかなくても、「この間、教えてやったろww」みたいにいわれて使われたりする。

  

で、質問を受けて教えてあげたりする人って、何もかも全てを自分でやりたがるんじゃなくて、周囲に上手く仕事を割り振ったりしてる。

それこそ「この間、教えてやったろww」みたいにいって、人を使う。

 

つまり、頼る人は他者に頼られる。

そして、頼られる人は他者を頼る。

 

人とつながりながら仕事をしてるんだな。

 

かくいう自分は「自分のことはできるだけ自分で」みたいな信念で、人に質問する前にとりあえず自力で調べる。それで8割方は解決するし。

どうしても分からなかったり、悩んだりしたら人に聞くけど、でも、それは一過性のものだな。

そう考えると、自分は人とあまりつながらずに仕事をしているような気がする。

 

「三人よれば文殊知恵」というが、自分が悩んだり道に迷ったとき、2人もの人間が近寄ってきてくれるか。自分から2人もの人間に頼ることができるか。

 

ふと不安になった。

2008-02-25

三人寄れば公界(さんにんよればくがい)

人の口には戸は立てられぬ

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

三人寄れば文殊の知恵

Yahoo!辞書 - 三人寄れば公界

三人いる所で言ったり、したりしたことは、秘密にはできない

鼎談(ていだん)

三人集まれば、派閥が出来る。

人の小過を責めず、人の陰私をあばかず、人の旧悪をおもわず。

私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)

多体問題 - Wikipedia

古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星惑星が、万有引力相互作用し合う場合惑星運行の問題が挙げられる。太陽地球のような二体問題は厳密に解けるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解析的に解くことはできないとされる(限定された条件(制限三体問題など)では解が存在する)。

弘前大、一般相対論における三体問題の直線解の解析解を導出 | スラッシュドット・ジャパン サイエンス

連想ゲーム〜選挙〜不可能性定理〜三体問題 - 愛唱会きらくジャーナル - Yahoo!ブログ

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