「意地悪ばあさん」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 意地悪ばあさんとは

2024-01-23

anond:20240123163552

ギャンブル依存症精神科行ったら

精神科では打つ手なしやで。ワイらは薬で治せること以外どうにもならんから

という極めて当たり前のことを言われた思い出


精神科って本人の治療より

迷惑なおばさんでも精神科に行かせれば多分どうにかなるだろう」

「こいつはキチガイから精神科に放り込んで治療させるべき」

精神科受診させれば私(私達)の責任問題にならない。病気ということになれば本人の責任がはっきりす?」

って本人よりもその周りの人間社会が求めるものなんだよな。

そもそも意地悪ばあさん病気なのか、治療可能なのか?、仮に病気だとして本人がこまってないのに治療必要なのか、という当たり前の倫理問題よりも先に、

意地悪ばあさんって存在社会的に迷惑からどうにかなおして「普通」にさせろ」

という社会要望が先にあって精神科としてそれに答えて治療(もしくは治療のために努力したアリバイ作り)ようとするから治療していいのかどうか」って話になるんじゃない

2023-08-19

何で漫画アニメのお爺さんは語尾に『じゃ』をつけるのか

何で多くの爺キャラは、語尾に『じゃ』『じゃよ』をつけるのだろう。

私が知る限りは現実に語尾じゃ爺は見たことも聞いたこともない。

語尾じゃ爺キャラ昭和から存在していたので、戦前か戦中のご老人は語尾に『じゃ』をつけていたのだろうか。

由来は何だろう、老人だけ方言を話しているのはよく見かけるので、どこかの方言だろうか。

東京かもしくは、東京移住してきたのが特別多い地域方言可能性が大きいか

そもそもいつ頃から語尾じゃ爺は出てきたのだろう。

サザエさんとか出てきたかな…波平普通だった気がするが、意地悪ばあさんも話し方は普通だった、磯野家の裏のおじいちゃんとかどうだっただろう、思い出せない。

スネ夫のお母さんが話すザマスが遊郭言葉だったように、何かしらの由来はあると思うんだが、何なんだろうあれ。

2023-05-11

女はイージー、イージー、イジイジイジイジ、意地悪ばあさん

ばあばばばあばばばあばば婆さん

2020-06-07

結局、横山ノックが悪いと思う

もうすっかり、東京大阪知事が「とにかくテレビ知名度のある人」の人気投票みたくなっちゃった元凶は、間違い無くノックと、ノックを選んでしまった当時の大阪府民で間違いない。

なにしろ四半世紀前の話だし、ギリギリ選挙権はもってたけど関西に住んでなかったので、当時のリアル空気はよく知らないが、たしか前任者がお金にまつわる疑惑かなんかで出馬せず、事実上ノックvs自社さ(当時の連立与党)の一騎打ちだった選挙。で、なんとなく「既成の枠にとらわれない知事を」みたいなことで、当選したんだと思う。関東では「え?まじノックなの? 大阪大丈夫なんか」と言う反応が少なからずあったように記憶する。

で、「ノックありだったら、青島幸男でも無問題じゃん」とばかりに、直後に続いた知事選で、東京でも意地悪ばあさん(青島幸男)が知事になってしまった。

まあ、青島幸男場合は「都市博中止」という割とでっかい公約もあったけど。

(かつて、お台場で「東京都市博覧会」なるイベント企画されてたことを覚えてるのは、かなりのおっさんおばはんだろう。フジテレビは、それを見込んでお台場移転したのにハシゴを外されてしまい、その反動のようにやたら“お台場お台場!”と叫んでイベントとかやりまくっていた)

あの頃から東京大阪知事選は、ワイドショーを巻き込んだ人気投票選挙になってしまったのだと思う。橋下とか小池とか吉村とか、やたらテレビ話題提供することに長けた人でないと知事になれなくなってしまった。最近ではさらネット意識しなきゃいけないいけないから、もう政策とか二の次

もし、当時若気の至りノック投票した人がいたら、四半世紀の時を超えて深く反省してほしい。

2019-10-27

anond:20191027003259

原作読めば昭和そのままだよ

あと同作者の意地悪ばあさんのほうが毒がきつくて面白い

2017-10-13

anond:20171013062647

意地悪すぎて天国地獄も追い返された意地悪ばあさんに、なんてことを

2009-12-20

死亡記事専門記者が教える人生のレッスン6カ条

欧米新聞社では、死亡記事部を設けて日頃から著名人についての経歴などの情報を収集し、各著名人ごとに死亡記事の準備稿を作成してその死去に備えているのが一般的とのことで、当然死亡記事を専門に書く記者も存在するそうです。死亡記事の多くは、死因や享年などの具体的な情報だけを列挙した無味乾燥なものではなく、その人の人生を振り返り簡潔かつ文学的にまとめた職人芸のようなもので、時には「作品」と呼びたいような読み応えのある死亡記事も登場します。

死亡記事部に配属された記者は、毎日のように死亡記事を執筆し数え切れないほどの人の死を見つめることにより物の見方や人生に対するスタンスも変わってくるのではないかと思われますが、配属3年半で800以上の死亡記事を執筆してきたボストングローブ紙の死亡記事専門記者Bryan Marquard氏によって、仕事を通じて得た人生の心得6つが明かされています。

詳細は以下から。

6 life lessons: from the dead - Boston.com

その1:人に優しくすること。

単純なことのようですが、「自分が死んだあと、人の記憶にどう残るか」という視点で「優しさ」について考える機会はなかなか無いのではないでしょうか?人生においてどんな偉業を達成した人でも、生前の人に対する接し方は、死後人々の記憶にどう残るかに大きく影響するとのことです。

その2:意地悪をしない。

死亡記事部に配属されて数カ月後にMarquard氏は非常に長生きした女性家族インタビューする機会があったのですが、成人した子どもの一人に「お母さんは天寿をまっとうされましたね」と話しかけると、「ああ。ボストンイタリアンだったからさ。ボストンイタリア系は殺しても死なないんだ」と切り返されたそうです。母を亡くしたばかりの子どもたちの言葉が通常予想されるような反応と違ったのは、どうやら生前お母さんがいわゆる「意地悪ばあさん」のような人となりだったためらしく、結果的に子どもたちのコメントの大部分は記事には引用されず、長い人生の割にとても短い死亡記事となってしまったそうです。

その3:長生きしたいなら、若いうちにリタイアすること。

親は人生の教訓を子に伝えたがるものですが、これもその一つで、Alfred Larkin Sr.氏が息子で元ボストングローブ編集長マイケル氏に伝えたもの。家族が集まった時にマイケル氏を脇へ引っ張り、「僕からのアドバイスは、可能な限り早くリタイアすることだ。この10年で、その前の50年分を全部合わせたより多く、楽しいことがあった」と伝えたそうです。Larkin氏は隠居生活を満喫し、92歳まで生きました。

その4:もしくは、生涯リタイアしないこと。

アーティストのPolly Thayer Starrさんは赤ん坊のころ、鉛筆を持てるようになるや否や絵を描きはじめ、緑内障と加齢黄斑変性により視力を失いつつあった80代のころにもまだ素晴らしい作品を描いていたとのこと。視力を失った後は、散歩中に友人たちが読み上げる詩を記憶し、常にクリエイティブであることにより、101年間の充実した人生を送ったそうです。Starrさんは彼女をかきたてる芸術情熱について、「天の猟犬(Hound of Heaven)なのよ。いつも追いかけてくるの」とスミソニアン協会のインタビューで笑い混じりに語ったそうです。

その5:金持ちである必要はない、家すら持たなくてもいい。

Harold Madison Jr.氏、通称「Mr. Butch」はボストン大学付近のKenmore Square一帯やハーバードビジネススクールを擁するAllstonのハーバード・アベニューで30年間にわたり路上生活をし、学生を中心とした数万人の人々に親しまれている有名人だったそうです。飲み過ぎて酔っぱらった時には少し怖がられてもいたようですが、ファンによりWikipediaに項目が作られたり、MySpaceにページが作られ、YouTube動画が投稿されるほどの人気者でした。2007年交通事故により56歳で亡くなった時には盛大に追悼パレードが行われたそうです。

その6:今、行動に移すこと。

「800人もの死亡記事を書いていると、山の上で一人黙想する仙人のように、人生を変えるような深い洞察を得られるのではないかと人々は考えます。人生における答えのない深い問いに対する回答が得られたということはありませんが、確かにある意味人生が変わったかもしれません」と語るMarquard氏。「死について頻繁に考えるおかげで、去年、もし自分が父と同じ寿命を持っているのなら、残りあと25年だということに気付きました。そのひらめきは、ボストン都市圏からバーモント州の小さな町へと引っ越すきっかけとなりました。ボストンへの通勤時間は長いですが、今住んでいる町が大好きです。前々からやりたいと思っていたことを、いつまでも後回しにすべきではありません。死亡記事記者として自信を持って言える教訓です」

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091220_memento_mori/

 
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