はてなキーワード: ロンハーとは
自分でもどうかと思うくらい感動した。そして、反省しはじめている。
自分は今、29歳、男。年収330万。来年結婚が決まっている。
淳には理想の奥さん像があり、その理想を手に入れるために、探し回り、アプローチしまくり、たくさんの人と付き合って、やっと見つけたのがあの奥さん。
もちろん金もってるから出来るってのもあると思うのだが、だけど、くそ忙しい中リゾートに旅行に行き、相手のためにやさしい言葉をかけ、プレゼントを渡し、親へ誠意をみせる。
当たり前のことかも知れないけど、これが俺には出来ていない、と気づいた。
なんとか時間を作って旅行に行くとか、無駄づかいせずにプレゼント買うとか、もっと簡単なことだと、やさしい言葉・感謝の言葉をかけるとか。
俺はなんて甘えてたんだ。反省。
と、同時に、自分の結婚相手に対しての不満が出てきてしまった。これまで不満があっても、まぁしゃぁないかとあきらめて、意見を言ったりすることはなかった。
考え方や趣味が違う事なんて山ほどある(もちろん合うところもたくさんある)が、その時に意見を言い合って、考えをすりあわせるってことをしてこなかった。
「このインゲン生煮えじゃん」
なんて言おうものなら、すぐに不機嫌になるだろう。
ロンハーで淳が奥さんがつくった料理に文句を言っていたときに奥さんは、
「あぁごめんなさい」
と、すぐに笑顔で反応していた。そこには不機嫌さなんて微塵も感じてこなかった。
こういうところに自分の結婚相手に対しての不満を感じ始めている。
どうするべきだろう。
意見や不満は言うべきなんだろうか。
それとも、これまで通りにするべきだろうか。
野球少年にとってプロ野球選手というのは神なのである。野球界には、たとえば「守護神」という言葉がある。「代打の神様」という言葉も。古くは、「神様、仏様、稲尾様」というのもあった。
今日は日本シリーズの第1戦だった。ふとつけたテレビのスポーツニュースで、ひどく悲しい場面を見た。
番組で、ロッテの成瀬のメールを紹介していた。インタビュー収録ではなくメールの紹介という時点で本当にプロ野球まわりは不景気なのだなぁと感じたのだけれど、あろうことか、成瀬のメールの最後にこんな文章があった。
「(番組の司会だったくりぃむしちゅーの)上田さん、ホームランを打たれない方法を教えてください」
最悪だと思った。日本シリーズの第1戦に出てくるピッチャーということは、日本最強を争うチームのエースということだ。そのエースが、芸人風情に「ホームランを打たれない方法」を伝授してもらおうというのである。
私は大人だから、それが番組を盛り上げるためのひとつのギミックであることは理解できる(それにしても面白くもなんともないが)。だが、野球少年たちはどうだろう。あれを見て、明日もキャッチボールの練習をしようと思うだろうか。子どもはそのまま受け取るよ。「上田は成瀬より野球がうまいのか、へんなの」と、そう受け取るよ。
この国のスポーツマスコミは、いつからプロ野球選手を尊敬しなくなったのだろう。スポーツの感動というやつを、そのまま伝えることをやめてしまったのだろう。試合やイベントににぎやかしでタレントを呼ぶのはいい。だが、冗談でも言っていいことと悪いことがあるはずだ。
成瀬は、全国の野球少年の夢を背負ったエースとして、この依頼を断らなければならなかった。テレビスタッフの依頼に対して、激怒しなければならなかった。プロ野球選手として飯を食っている限り、その場所には、真剣に練習をして、真剣に試合に臨んで、勝ち続けなければたどり着けないのだということを、明確に示すべきだと思う。
上田は、「とんでもない、冗談じゃない、あなたに教えることなどあるわけがない」と、真剣に否定しなければならなかったと思う。狼狽さえしなければならなかったと思う。スポーツマスコミとして飯を食っている限り、プロ野球選手の価値を貶めるような言動や態度は、意識的に排除していかなければならないと思う。スポーツが死ねばスポーツマスコミも死ぬ。それは上田自身の食い扶持を減らすことでもあるのだから。
テレビのスポーツマスコミはもうダメになる寸前だ。今日、はっきりとそう思った。現場がスポーツに尊敬を持っていないのだから、それを伝えられた視聴者がスポーツを尊敬できるわけがない。何もかも、バラエティに侵食されて、成瀬がどれだけすごい訓練と技術を持っているのか、誰も理解できなくなってしまっている。
だけど思うんだ。もしスポーツマスコミに復興があるとすれば、そのヒントはきっと、テレビバラエティの中にあるんじゃないかと。
ここ10年、バラエティ番組は字幕テロップに頼ってきた。「めちゃイケ」も「エンタ」も「ロンハー」も、面白いところを全部字幕で流す。視聴者にわかりやすさを提供し、より広い層にアピールする努力を重ねてきた。昨今のお笑いブームを牽引したのは、まちがいなくこの字幕テロップという工夫だったはずだ。
バラエティにはバラエティの、スポーツにはスポーツの面白さがある。だったらスポーツだって、その面白さをそのままわかりやすく伝える努力をすればいい。成瀬と上田の軽薄なカラミなんかより、もっと面白いことが野球の試合のなかで起こっていることは、現場だってわかってるはずだ。
各局のバラエティ班は、バラエティの面白さを伝えるために血の汗をかいて字幕テロップという武器を手に入れた。それにより、バラエティは隆盛した。現在のテレビのスポーツマスコミは、そのバラエティ班の努力によって知名度を得たタレントや芸人におんぶにだっこで、本来、自分たちが伝えなければいけないスポーツの魅力を表現する努力を怠っている。
かつて、日本シリーズやプロボクシング、プロレスは国民的関心事だった。それは、スポーツにしかない感動がそのまま伝えられていたからだ。スポーツマスコミが、「こいつらはすげえんだ」と言い続けていたからだ。今だって、オリンピックやワールドカップになれば、スポーツマスコミは節度と敬意を取り戻すことができる。確かに野球の人気は下がっているだろう。だけど、せめてスポーツマスコミの現場だけでも、「プロ野球の日本シリーズは神々の戦いなのだ」という主張を怠ってはいけない。建前でもいいから、それを怠ってほしくない。野球少年から、夢を奪ってほしくない。それは、夢を与える仕事や、夢を伝える仕事に就いた者たちの責務だと思う。
今日の現場スタッフは、想像してみてほしい。ワールドカップのあの試合の直後に駒野がくりぃむしちゅー上田に「PKを外さない方法を教えてください」と言ったら、どんなことが起こったか。
笑いたくて野球を見ている者はいない。野球にはみんな、別の感動を求めているはずだ。もう一度、自分たちの仕事が何を扱っているのか、見つめなおしてほしい。
ロンドンハーツ「実名アンケート! 芸人リアル好感度調査」(前編,後編)は今が旬のブラマヨとアンタッチャブル山崎が活躍して非常に面白かった。
番組はこんな感じ : http://www.tv-asahi.co.jp/londonhearts/contents/backnumber/cur/img/1_6.JPG
カメラは「アメトーーク」と同じロケ手法を使ったのかな。同じテレ朝の加持さんの番組だし。芸人のガヤや動きが漏らさず収められているので、実力のある芸人にとっては非常にやりやすそうだった。
その中で山崎がすっごいカブせまくってて、、すごい、もの凄い才能があるわ。。
「AAA → BBB、って何でやねん」 (やや乗り突っ込み気味)
「AAAでBBB、みたいな」 (バブル期は「AAA、みたいな」のみ)
■ホリケン
(前に出てくる)「AAA! → BBB! → CCC! → DDD! → EEE!」(後ろに下がる)
■ビートたけしの全盛期
AAA → BBB → CCCだ、この野郎!(肩をヒクっとさせる) / DDD → EEE → FFFだって、ふざけんな馬鹿!(肩をヒクっとさせる)/
AAA(笑) → BBB(爆笑) → CCC(淳振る) → DDD(笑) → EEE(DDDの被せ) → FFF(笑) → GGG → HHH(爆笑) → III → JJJ(笑) → KKK(笑) → LLL(笑) → MMM(LLLの被せ)(笑)
司会のロンブー淳がCCC以降に絡みながら話を引き出していく感じ。(笑)は笑いが起こり、(爆笑)は爆笑が起こった地点。
全盛期のたけしでも/の部分で一息入れてる感じがあるんだけど、山崎は「ブルドーザーみたいに持ってっちゃう(by東野)」。
東野は「さんまさんタイプ」って言ってたけど、こういうカブせ方を見てるとたけしタイプなのかも。
最近までのレッドカーペット的な短いお笑いの流行りが終わった今このタイミングで山崎に注目が集まってるってのが非常に面白い。そんでそれを迷わずすくい上げて放送してくれる番組もありがたい。
http://japan.techinsight.jp/2009/02/entagavitamin-kanou20090208.html
こうなると狩野かわいそう、という見方もできる路線から外れつつあるな。
スターにはなれないだろうしどうするんだ狩野。
「正直、今まで狩野英孝は嫌いだったけど、『50TA』を見て純粋な人だと好感が持てた。そして曲を聴いてすっかりファンになりました」
「5曲ともものすごくいい曲ですね。泣きながら聴きました」
泣きながら聴きました
さすがにないわー
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090209-458753.html
これはいい話。
http://anond.hatelabo.jp/20090204213106 が微妙にブクマされてたのでちょっと続けてみます。
まず、これは完全に自分の現時点での独断と偏見なのでアレなんですけど、でも先日の番組(ロンハーのドッキリ)に関して
ネット上で不快感や異論を唱えている方は多数見受けられますが、その割にオフラインでは全然見かけないんですね。
昨日から友人関係や会社であの番組が話題に上がっても、まあ「面白かった」「狩野がいい味出してた」的な感想に収束する。
で、その違いを考えた時に、これはもうミもフタもない話だけど、
『お前らの中で「自分はいい奴、良識のある奴アピール」するためにわざわざテレビを斜めからくさしてる奴はいないか?』と思ったこと。
ネットって表情や気分でのコミュニケーションが難しく、どうしても文字をこねて理屈っぽくなるから、そこで自己表現する材料として
「私はあんな番組、笑えないな」って言いたいだけちゃうんかと。「私は低俗な視聴者とはリテラシーが違うんですよ」したいだけじゃないんかと。
そんな良識って何かね、っていう。
後もうひとつ、あの番組から「悪意」を読み取って不快になる程度の偉そうなリテラシーって何かね、っていう。
これも私の勝手な感想に過ぎませんが、少なくとも私はあの番組からは終始、狩野という1人の芸人に対する愛が溢れていたように感じました。
あの男のキャラを、生き様を出演者やスタッフが愛してやまないから故に丁寧に仕掛けを積み重ねて、大舞台を用意して、見せ場を作って。
あれが「1人の男を悪意を持って貶めてやろう」という姿勢で作られているようには到底思いませんでした。
また、あれが貶める意味で放送された番組なら、本当に1人の芸人を笑うのではなく嗤う意味で作られた番組ならば、
なぜ私がオフで出会う人々はみんな「やっぱ狩野は憎めないわーw」的な、好意的な感想を言うのでしょうか。
「やっぱアイツマジで最低だわ。早く死ねよ」的な感想を言う人が居てもいいと思うのですが。
そもそもそんな意味で貶めたい芸人には舞台を用意しないでしょう。1枚2枚3マイケルの人のように誰からも嫌われたなら、それはただ居場所を静かに失うだけです。
そんな舞台を「イジメの助長だ」的な見方で批判する人って何なんだろう、っていう。
そんな事を綴りたいエントリの、ちょっと言葉足らずだった分の補足でした。
さらに妄想と言われると思うけど補足も補足:
さらに付け加えると、これも完全に独断ですがあの期間中、きっと狩野は「これはドッキリではないか」と考えたことも少なくなかったように思います。
いくら彼が純粋でバカでナルシストでも考える頭を持った人間です。絶対にその可能性はどこかで持ちながら戦っていたように思います。
そして、たとえドッキリであってもそれを台無しにしないよう、精一杯騙されていた(もちろん現実なら現実で嬉しいと思いながら)ように思います。
そう思えば、あの番組は1人の芸人とテレビの世界の、相当に見応えのある規模の騙し騙されあいであったのではないか、と。
もっと言えばダチョウ倶楽部が熱湯の上で「押すなよ、押すなよ!」ってやるアレの超超超豪華版だと。
アレを今更「押すなよって言ってる人を押すなんて可哀想!」なんて、無粋にも程があるだろ?っていう。そういう風に、私は見ていました。