https://qiita.com/okazuki/items/0c17a161a921847cd080
アプリが複雑になってくるとdevelopビルドとreleaseビルドで設定変えるとかするようになるじゃん
webpackでreleaseだけcompressするとかさ
それを実装に対してもやってるだけ
本当にそんだけ
グラマラスでもゴージャスでもクールでも○○美女でも○○イケメンでも○○女子でも○○男子でも服ヲタでもオシャレ小僧でも
呼称はなんでもいいのだけど、
とにかく 俺/私に注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して
なにか 俺/私にリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションして
・・・を 異性にも同性に対しても1日中精力的に行っており、仕事で関わるとにかくシンドイ。ひと昔前のウザいポップアップ広告みたい
いったい何が目的なのか理解し難かったが、自分自身がアートで、そのアートを認めて認めてを繰り返していると捉えればなんか納得がいった
彼・彼女らは同人お気持ち表明と同じく承認欲求を持て余しているのだ
まぁ「金くれるなら幾らでも拝むがそうじゃないなら1ミリもお前に興味ないよ」は揺るがないのだけど、ほんの少しだけ優しい気持ちになれそう
※ どうでもいいけど一般ウケを狙っていない系のギャルファッションがオタクにウケがいいのは、私に注目してリアクションしての人が少ないからでは?と思ったり(個人の感想です)
責任の定量化が行われないときに差別主義者とレッテルを貼っても責任は定量化されずに人格を否定することになる
修正されるべきは言動であるが、言動にたいしても差別主義者と人格を否定すると責任が定量されない
せめて差別的な発言をしたら1ドルでも1セントでももらって家が建つぜ的な話の領域に落とし込んだほうがわかりやすいのではとマイノリティとして思う
なんでですの?なんでですの?
なんで2回書くねんなんで2回書くねん。
ワイはマスクしてないけど聞き返されるやで
「世界はこういう場所なんだ」「頑張ったり希望を抱いたりしても無駄なんだ」
私がそういう心境に至るまでには何度かの失望があったと思います
何かあれば力を貸すと言ってくれた人に、実際困った場面では力になってもらえなかったとき
家族が急病で入院した際に、駆け付けるために目の前の仕事を託す相手が誰も居なかったとき
どうにかつなぎとめようと思っていた家族が、結局バラバラになってしまったとき
何の悪気もなく、時には心からの善意で、人々が私の背に多くの負担を重ねてきたとき
勇気を振り絞って伝えたことを、ろくに意に介してもらえなかったとき
どれもよくあることでしょう
だからこそ、「ああ世界というのはどうにもならない場所なのだ」と思い知らされる
たぶん私にはそれを読むのが辛いので、打ち明けていただいた内容に返事はできないと思います