俺は成人して就職してしばらく頑張ってたんだけど、
ある時二次障害を発症して家を出られませんみたいな状況に陥ってから、治療の過程で色々検査をしてADHDとアスペを併発していますねと診断された。
それ自体は、ああ、やっぱり俺はおかしかったのか。と割と素直に受け止めて、それならそれで親からもらった顔や体の特徴みたいなものだし、
そこでゴネても何も変わらないからあるもので何とかやっていかないと仕方ないよねと考えて、自分でも症状について調べたり、自分用の対策を考えて試したりするようにしている。
まあ、うまくハマる方法を見つけるまでは劇的に変化があったりはなかなかしないし、いい変化があってもそれを継続するのは難しいので、
なんだかんだと仕事をクビになりそうだったりならなさそうだったりしながらどうにか日々を凌いでいる感じだ。
ともあれ、自分でも色々と情報を探していたわけだけれど、診断された当初は、とりあえず最近話題の成人の発達障害だとか、発達障害そのものの記述ばかり読んでいた。
本も数冊読んだけれど、ネットの方がやっぱり手軽なので手の空いたときにふらふらと検索している。
そして最近になって、発達障害児関連の情報に割と有用なものが多いことに気付いた。
最初は内心「そうは言っても、もう俺成人してるしな……」と思いつつ読んでいたのだけれど、
「こういう部分が理解しづらくてつまづくことがあるので、その場合はこうやって教えていくと理解しやすいかも」といった記述を読んで、
そういうことだったの!?それでいいの!?と驚いたり腑に落ちたりすることが、とても多かったのだ。
そこには、幼少期にいくら言い聞かせられても、なぜそうしなければならないのかピンとこなかったようなことについて、
「それならそうと初めから言ってくれればよかったのにー」と言いたくなるような、すんなりと頭に入ってきて自然に受け止められる言葉の数々が並んでいた。
このことから考えると、どうやら自分の発達レベルが幼児レベルで早々につまづいていて、
なんとなく腑に落ちないまま表面上だけ誤魔化してきたけど、実際の理解はそのままそこで止まっていたということらしい。
30歳近くなって、自分の発達レベルがところどころ幼児レベルだと思い知らされるのは正直なかなかクるものがあるが、現実なんだから仕方ない。
というか、いくつかの情報を得たときの目の前のモヤが晴れていくような感覚がショックすぎたので、60や70になる前に気付いただけいいじゃないかと開き直って考えている。
この調子で目から鱗がボロボロ落ちていくようだと、俺は自分でも気付いてないだけでまだまだたくさん取りこぼしてきているのだろう。
現在直面している不都合の直接的な解決策ではないけれど、そういった問題が起こる根本の原因として、
どうやら自分はここでつまづいていたようだ、ということが段々わかってくるので随分と助かっている。
というわけで、似た様な状況で、なんとかしたいなーと「発達障害 成人」とかでググってみても「あー、あるある」以上のものがあまりみつからない人は、
発達障害児向けの療育の事例について具体的に書いている記事に触れてみると、俺のように思いがけない発見があるかもしれない。
それにしても、何度かあった療育を受けるチャンスを、親が「ウチの子はまだマシでそこまでする必要はない」と判断せずにいれば、
人生のもっと早い段階でこういったことに気付けて習得できていたかもしれないなというのは、少しだけ口惜しい。
(追記)
でも誘導とかしたいわけじゃないし、既に長いし、というか正直ちょっと恥ずかしいし……と思っていたのだけれど、
ブコメでも例がないとイメージしづらいという指摘をもらったので、やっぱり一番強烈だったやつを一つだけ追記しておく。
「衝動性が強くルールが守れない子にルールを守る大切さを理解させるには、
衝動を抑えてルールを守ることが、結果的に自分の利益になる。と利益を強調して伝えてみます。」
こんな一文を読んで、誇張ではなく涙があふれてきた。
うわー!なるほど!なるほど!!確かに考えてみれば利益になる!なってる!うわぁ!そう言われるとめっちゃルール守りたい!!もうルール守る!俺がんばる!!
と泣きながら机をバンバン叩きそうになったけど、夜中だったからハッとなって机を叩くのをギリギリで我慢した。
先生、俺衝動を抑えられたよ……!こうすることで階下の住人からヘイトを集めることが回避できるんだね……!不利益を受けないという利益を!!
いい年したおっさんが何言ってんだとか、そう考えないとルールも守れないのかよ……と引かれるかもしれないが、
俺のようなタイプは本当に「こんなレベルのこと」が「わかってない」まま大人になってしまっている可能性があるのだ、恐ろしいことに。
それまで自分にとって法律も含めた他者との間のルールというものは、
「なぜか押し付けられて守らないとやたら怒られるから、しょうがないのでよくわかんないけどなるべく守っとくもの」
でしかなくて、言ってしまえばなにかと我慢を強いられる障害であり敵だった。
ああしろこうしろ。あれはするなこれはするな。本当に窮屈で仕方ない。世紀末はよこい。でも、ルールは別に敵じゃなかった。
(中には完全に制約をかける側だけに有利で、制約を受ける側にとって純粋に"敵"なルールも世の中にあるとは思うけど、そういう力関係の不平等さえなければキレてよさそうな案件は一旦おいておく。)
「とにかくルールを守れ!」「ルールとはそういうものだ!」「みんな守っている!」「なぜルールを守れないんだ!」
(怒鳴られる度に、思い出せませんでした!とか、守る意味がわからないからです!と正直に返事をしていたのはいつだったか……)
というようなことだけを何度も何度も言われたから、まあ世の中的にはそんなものなんかな?よくわかんねーな。みんな我慢して守ってるのすげーな、謎だわー。とだけ思って、
なんだったらルール違反を咎められない範囲でギリギリを突いたり、想定外のことをするのに血道を上げる感じで生きてきた。
そうやって、ルールや制約によって我慢を強いられるストレスと、ルールを守れなかった時の不利益ばかりに注目していたけれど、
ルールを守ることで自分にどんないい影響があるかとか、ルールを守ることで何らかのメリットが享受できるとか、そんな視点では一度も考えたことがなかったことにこの一文で気付かされた。
そうか、ルールはルールだから守るとかじゃなくて、内心自分のためってモチベーションでも、ルールを守っていいんだ!!
翌日から俺は、自分の意志に反することをルールに強制されたときに、そのルールを守ることのメリットについて考えられるようになった。
30代なのに色々と自覚していて、偉いなと思う。 良く分からないうちに、誤魔化しながら、結婚もして、子供も出来たのに、40才を超えてからヒッキーになったわ。 元増田っちは、自助...
残念だがそれは顕著な発達障害だ 子供向けだからと甘く見て自分が絶対有利で安全でルールを守ってあげるそれ子供向けだから大人の自分はらくらくこなせるよという スタンスでないと...
こいつぁ、他人にレッテルを貼って見下げてないと心の均衡を保てない増田だ。 精神的にキツキツでらめぇもう何も考えられないよぅってことで、 まともな思考能力も残ってないっぽい...
わかるなあ。