2011-01-22

「一番」が受ける補正というチート

1 人間社会的生物である。集団の中にいることで安心や力を得る。つまり、集団は個人をエンパワメントする。

起業起業だといろいろ言う割にサラリーマンになる奴がこれほど多いのはなぜ? 人はなぜツレとつるむの? DQNはなぜ集団でウンコ座りなの? なんでヒキコモリは心を病むの? それは全部同じことで人間社会的生物からという答えに帰着する。

チンパンジーの生態を研究していたある学者「そもそも『一匹のチンパンジー』はチンパンジーはない」。「チンパンジー」のチンパンジー性は集団の中でしか見られなくて、一匹だと消えるということらしい。一匹だけ隔離したチンパンジーを観察すると、およそチンパンジーと思えないような行動しか示さないのだそうだ。

ゴリラも、群れの中で非常に複雑な社会をつくることで知られているが、人間ゴリラチンパンジーは、猿の仲間の中でも遺伝子的にきわめて近縁である人間社会もまた「驚くほど複雑」で、「そもそも『一人の人間』は人間はいえない」かもしれない。集団の中にいる人間は、ただ一人でいるときと違う「何かの力」を得ることができる。あるサイトに集う人間の数が一定量を超えると、そこに不思議な万能感が漂うこともよく知られている(増田であれ2ちゃんであれ)。

2 集団には序列が存在する(基準はいろいろあり得る)。序列を生み出す動機の一つは、1で得られるパワーである

さて、その集団の中には自然発生的に「序列」が生まれるが、これが生まれる理由は集団の生まれる理由と同じと考えるのが自然だ。つまり「集団」の中には、「集団」から得られる「力(あるいは恩恵)」を得やすいポジションとそうでないポジションがあり、そのポジションの奪い合いが「序列」という形で現れることになる、という感じ。たとえば、目に見える敵からじぶんを守ろうと思うと、「最前線」よりは「中心」にいる方が集団の恩恵が得られる。もちろん、だからといってみんなが「最前線」を避け「中心」を奪い合うと、集団は崩壊する。だから、集団を維持するために、たいていの集団は「『最前線』でがんばったものが『中心』にいけるのだ」というシステム(あるいはそういう幻想)をつくることになる。最前線犠牲だけを強いる集団は遠から崩壊する。前者は「出世システムのある会社後者はいじめの起こっている教室などだ。

3 任意の集団で「トップ」の得るパワーは「最下層」の得られるパワーとはケタ違いである。

同じような目的をもった集団は、複数存在する。従って集団にも序列が生まれる(たとえば「学校」の序列など)。上位集団Aのトップが得るパワーは、下位集団Bのトップが得るパワーより大きく、集団Aの下位が得るパワーは集団Bの下位が得るパワーより大きい。当然ながら、上位集団Aに属するために必要なコストも、下位集団Bに属するために必要なコストより大きい。

だが、下位集団Bの上位層と上位集団Aの下位層では、その関係が逆転するということも、非常に重要ポイントである。なぜそのようなことが起こるかというと、上で述べるように、上位層の得るパワーは等比的でなくケタ違いに(相乗的に)増大していくから。小さな会社の役員が得る満足感や能力や結果としての成長度合いは、大会社使い捨て層が得られる満足感、能力、成長を大きく凌駕することが多い。

「いや、そんなことはない、大会社からこそ、巨大なプロジェクトに関わったり、普通では会えない大物とのコネクションが生まれたりするのだ。『田舎学問より京の昼寝』ということわざもある。」という意見もあろう。確かにそう感じるときもあるだろうが、果たしてその「巨大プロジェクト」や「大物」から見たとき、どうなのか。「巨大プロジェクト」はその人がいなければ動かないのか? 「大物」はプロジェクト使い捨て要員の一人をいちいち覚えているのだろうか? そのような状態を優位に利用してそこから抜き出ることができる人は、単にもともとすごい能力をもっている人なのではないだろうか。京(都会)で昼寝してる人間と、田舎学問をしている人間。「田舎」にもチャンスがごろごろ転がっていて、「田舎」でも成長が期待できる、いや、情報化の結果「田舎」という概念自体が大きく変化しているのが現代という時代ではないだろうか。

孫さんとコネクトするために必要なのは大会社社員という身分よりも、たったひとつの興味深いつぶやきであったりするように。

4 結論

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ(小集団のトップであるのがよい、大きな集団の最下層となるよりは)」。

無理をして入った進学校でオチこぼれになるのと、無理なく入った下位校でトップクラスになってみんなにすごいすごい言われる状況と、どちらが人間の成長によい環境だろうか。集団のトップ(あるいは上位層)になることから得られるパワーは、本当にケタ違いに大きい。そのことの意味を、何度でもかみしめるべきだ。起業家起業しろしろ言うことの本当の意味はそこにある。分不相応に大きな集団の中で挫折しそうになってる人は、本当にもったいないと思う。その間違ったスケールメリットへの信仰を捨て、もう一度小さな集団の中に帰れば、あなたはまだまだ驚くほどの可能性があり、それを後押しする環境あなたを評価する人々がいて、輝ける賞賛に満ちた人生があるのに。

http://anond.hatelabo.jp/20110121111630

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん