はてなキーワード: OPとは
初めて増田に書くので色々と不手際があると思いますが、そこら辺は適当にスルーするか、律儀で真面目な方は
コメントなりなんなりでご指摘頂けると有難い、何せ「論理的思考」って奴が本当に苦手な人間なもので・・・
大目に見てやってくださいましm(_ _)m
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20090404/1238773291
この手のエントリは正直誰が先に書くのかなーと気になってたけど、案の定放映された直後に数日程度で書かれていて、
しかもちゃんと純粋に楽器を演奏する楽しさや誰かと共に音を奏でる幸せを知ってもらいたいという熱意がエントリに溢れていて、
それがとても嬉しかった。私のこのエントリはその補足にもならないかもだけど、まぁ増田ってことで書き殴らさせていただきます。
私は高校を卒業してもう10年近く経ちますが、私の経験からすると「軽音楽部に入部する」という行為ははっきりいってかなりの
ハードルがありました。学校によって上下関係がどうなのかは想像の範囲を超えませんが、まず最初に外見か楽器の腕前で先輩からの
評価が下って、人によっては場合によってい辛くなることが往々にしてありました。私の高校時代はそうでした。
何より「けいおん!」を視聴している方のほとんどが楽器に触ったことなどない方なのではと自分勝手な予測を立ててしまったり
します(ニコ動を見てると唯や澪のキャラクターとしての可愛さ、OP/EDの完成度にばかり目をくらばせている匂いがするので・・・)。
実際の軽音部というとかなり柄が悪い印象が先走りして、さらに自分が在学中の頃は後輩を無下に扱うような態度が蔓延っていた印象が
あって、そういう風潮はけっこうどこの学校でも存在していたのではないかと勝手に推測してしまいます(違ったらごめんなさい)。
そういう慣例が今はないこと願いつつ声を大にして伝えたいことがあるとするならば、
・楽器はいつ何歳になっても始められるし、上達することができる。
・今まで触ったことのない新しい楽器を触るだけでも人は幸せだと思える。
・そして誰かと共に演奏したときの一体感はどれだけ色んな見識を積んでも経験できないし、どんなアカデミックな知識や
そこから生まれる共通観念を理解しても、こういった経験をしなければまるで別種の感覚であることを絶対に知りえることは
できない。
ある程度演奏できるようになっても「上には上がいる」と自分を卑下していませんか?
貴方が好きな音楽を、他人の評価に影響を受けて尻込みしたり過小評価したりしていませんか?
「音」を「楽しむ」から音「楽」なのです。学問で「学」ではなく「楽」と書くものは音楽だけです。
その意味を理解できていますか?音楽がどれだけ人生を豊かにしてくれるか、そのことを軽視していませんか?
ここ数年で楽器も随分安価になりました。特に弦楽器は澪のようにレフティでも安価なものが手の届くようなものになりました。
どうか音楽を聴くだけでなく、音楽を演奏する立場に立つことの喜びを知ってもらいたいです。
唯が幼少時にカスタネットを叩く姿を思い出して、どんな楽器でも誰かと共に音を重ねる幸福感を味わってほしい。
そして何より、「けいおん!」の彼女たちのように常に喜怒哀楽をストレートにぶつけられる友人を見つけてほしい。
つまらない、めんどくさい、そう思わずに飛び込んでほしい。おっさんはそう思っています。
冗長な駄文、失礼致しました。
本日のテーマはアキシブ系。Perfume特集記事第1弾で「アキシブ系」という言葉を「萌えテクノ」と共に使いましたが、アキシブ系の方がどうやら頻繁に使われているようです。
アキシブ系でGoogle検索をして、アキシブ系がどのように捉えられているか調査してみました。Wikipediaとはてなには既に用語解説があります。
はてなの方では、僕の名前も出ていますね。僕は発案者でもなんでもないですが、ありがとう。
アキシブ系という定義については、人によって微妙に違いますが、乱暴な言い方をすれば、秋葉系とされるものと渋谷系とされるものがミックスしているものはアキシブ系とされる可能性があります。
では、秋葉系と渋谷系をステレオタイプ化し対比してみましょう。以下のようになります。
【秋葉系属性】←――――――――――――――→【渋谷系属性】
ヲタクカルチャー ポップカルチャー(おしゃれサブカルを含む)
(萌え系)アニメ・ヲタク (ヌーヴェルヴァーグ系)映画マニア
チェックのウールシャツ(ブランド不明) ボーダーシャツ(Saint James)
宅八郎、森永卓郎、電車男 小西康陽、フリッパーズ、中田ヤスタカ
AKB48、時東ぁみ、桃井はるこ カヒミ・カリー、野宮真貴、野本カリヤ
秋葉系というのは、確かに秋葉原という街をで見かけそうな物や人です。しかしながら、渋谷系は音楽的ムーヴメントから始まっているので、必ずしも渋谷がメッカとは言えない物もあります。また、渋谷を闊歩する人たちの多くが渋谷系かと言われると、甚だ疑問ですらあります。
こうして比べてみると、一見、水と油、資本主義と共産主義のように秋葉系と渋谷系が相反しています。到底仲良く出来ないみたいな。しかしながら、実際のところはこうした完璧な属性でトータルコーディネイトしている人はそれほどいないでしょう。つまり両方の属性をパーツパーツでもっている人口は結構いるはずです。例えれば、音楽マニアだけれどメイド喫茶が好きだとか、アニメ・ヲタクだけれどボーダーシャツが好きとか。ボーダーと言えば、なんか楳図かずお先生が目に浮かびます。でも、先生は吉祥寺系ですね。
秋葉系も渋谷系もパラドックスに満ちており、従来の観念をぶち破る役割がアキシブ系にはあるのです。
アキシブ系に戻りましょう。先ず、アキシブ系現象の一つとしてあるのが、秋葉系(アニメ)と渋谷系(クオリティの高いポップス)の融合です。『AKSB~これがアキシブ系だ!~』は、正にそのコンセプトで選曲されたアルバムです。
01. Dimitri From Paris:Neko Mimi Mode(「月詠」OP曲)
02. ROUND TABLE feat. Nino:Let Me Be With You(「ちょびっツ」OP曲)
03. 山野裕子:ビーグル(「ココロ図書館」主題歌)produced by 宮川弾
04. 小川範子波のトリコになるように(「月詠」挿入歌)produced by 菊地成孔
05. 豊口めぐみ:人間だから(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 冨田恵一
06. 高浪敬太郎&Yama-K:かたことの恋(「ちょびっツ」挿入歌)
07. 鈴木さえ子 with TOMISIRO:Dear Friend(「ケロロ軍曹」挿入歌)
08. 桑島法子:la la maladie du sommeil(「ラーゼフォン」挿入歌)produced by 橋本一子
09. 田中理恵:瞳のトンネル(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 桜井鉄太郎
10. ROCKY CHACK:リトルグッバイ(「ゼーガペイン」ED曲)produced by 保刈久明
11. パール兄弟:明日はたぶん大丈夫(「N・H・Kにようこそ!」挿入歌)
12. OKINO, SHUNTARO:Cloud Age Symphony(「ラストエグザイル」OP曲)
13. 牧野由依:CESTREE(「ゼーガペイン」挿入歌)produced by かの香織
14. marianne Amplifier feat. yuka:Pressentiment triste(「月詠」ED曲)produced by 橋本由香利
15. 財津一郎&小倉優子:帰ってきたケロッ!とマーチ -READYMADE SERGENT ROCK- remixed by 小西康陽
例えば、小西康陽がリミックスした財津一郎&小倉優子の「帰ってきたケロッ!とマーチ」や高浪敬太郎&Yama-Kの「かたことの恋」といった渋谷系ど真ん中、言い換えればピチカート系もありますが、渋谷系には入らないけど、音楽マニアも納得のアーティストたちが自分自身でやる又はプロデュースなどの関わりを持ったアニソン集です。
僕自身、アニソンやしょこたんにはどちらかというと疎い方なんですが、アニソンって結構、いい曲あるんだと素直に感じました。このコンピではなんと3曲も収録されたTVアニメ『月詠(つくよみ)』からのサエキけんぞう=菊池成孔による小川範子の「波のトリコになるように」は、 2004年ということもあり、裏SPANK HAPPYとして楽しめます。
鈴木さえ子がやっていた「ケロロ軍曹」も、気になりながら買わずじまいだったのですが、「Dear Friend」とかNew Orderぽくて・・・(泣)。鈴木さえ子を知らない人がいるかもしれませんので、ちょっと説明。彼女はシネマ、フィルムス(リリースはお蔵入り)というバンドでドラマーとして活動、その後、ソロとしてテクノ~ニューウェイヴなエッセンスも交えて印象派アルバムをサントラも含めて5枚リリースしています。このコンピには収録されていませんが、「恋するシューティング☆スター」もお勧めです。
オープニングのDimitri from Parisは、フレンチハウスのパイオニア的存在DJ・ミュージシャンですが、彼自身、アニメヲタクとして有名です。そこだけとれば、彼は秋葉系パリジャンです。自身の曲「Love Love Mode」と声優の声のサンプリングで出来上がったのが、アニメ主題歌の「Neko Mimi Mode」です。一部では萌えラウンジと呼ばれているらしいです。
フランスは元々日本文化に対して好意的な国ですが、日本のアニメというのは一部のフランス人にとっては特別なもののようです。もう一つ忘れていけないのは、フランスはロリータ文化大国。フランスのロリータ歌手と言えば、ウィスパー・ヴォイス!このコンピにも、フランス語タイトルのロリータ・ヴォイスの歌が2曲ありますね。桑島法子の「la la maladie du sommeil」とmarianne Amplifier feat. yukaの「Pressentiment triste」(こちらは前述の『月詠』から)です。後者は完全にフランス語で歌い上げています。フレンチ秋葉系なるものを提唱する人もいますが、まさにどんぴしゃです。フレンチ→カヒミー・カリー→渋谷系ですから、これはアキシブ系になります。
今後のAKSBのリリースもありそうな予感なので、期待したい思います。
アニメ絡みのアキシブ系をもう少し紹介しましょう。美水かがみの『らき☆すた』(Lucky Starの意味)は4コマ漫画ですが、それが原作となって、テレビアニメやDSゲームが作られています。典型的な萌えアニメと言っていいでしょう。4人のキャラクターがそれぞれソロ・シングル(キャラソンと言う)を同時発売しています。その中の柊つかさ(実際歌っているのは福原香織)の『らき☆すたキャラソン(3)』に収録の「寝・逃・げてリセット!」は、Perfumeやcapsuleっぽい出来上がりなんです。ゲーム音楽における「ふたりのもじぴったん」と共に、アニソンにおける「寝・逃・げてリセット!」を、Perfumeファンはチェックしてください。ジャケはかなりキツイけど。他の曲は普通のアニソンに聴こえるのが残念ですが・・・
後、忘れてはいけないのが、中田ヤスタカが手がけたアニソンです。「capsule cuteness culture」で既に書いてしまいましたが、こちらもアキシブ系と言えるでしょう。嘉陽愛子の方が可愛いと思いますが、井上麻里奈の「ビューティフル・ストーリー」は、中田ヤスタカ仕事としてのクオリティーを感じます。
侮れないアニソン。
先日、Amazon.ukで注文してた攻殻機動隊のDVDボックスがやっと届きました。
早速MacBookで見ると、音楽のテンポ早かったり、声優さんの声が高いような気がします。
それで、ググってみるとPAL早回しという現象があることが分かりました。
WindowsではPAL TruSpeed機能のあるWinDVDなら再生できると分かったけど、mac関係の情報は見つけられませんでした。
それで、vlcならうまく再生できるかと思って何回か聞き比べてたら、だんだん耳が麻痺してきて、たしかに最初にOPを見た時は違和感があったんですが、今ではあんまり感じません。
MacBookで再生してもPAL早回しという現象は起こるんでしょうか。
起こるとしたら、解決法はありませんか。
もう自分の耳が信じられません。
なぜか急にスコープドッグの(というかAT全般の)レンズターレットが気になって調べてみた。
大きい順に精密照準、標準レンズ、暗視だと思っていたのだが、検索してみると標準ズーム、精密照準、広角だった。あの印象的なOPでズームアップしているのは標準ズームだったらしい。過去20年間俺の中ではあれは精密照準だったのだが。というか精密照準って何に使うんだよ。ATが微小な目標を狙撃したのなんて見たことないぞ。そして、一番小さいあのレンズは暗視ではなく広角だった。言われてみると広角は必要だし、形状的にあれが合理的でもある。
幻獣辞典の序文で、ボルヘスは、「むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」と書いたが、俺は今その喜びをかみしめているところだ。
自分が全面的に間違っていたことに気がつくのって辛いね。
きょうはしゅごキャラのはなしをします!!
わたしはアニメのしゅごキャラがすごく!!好きなのですが、なかでもOPとEDの曲や映像が好きです。
(でも最近は起きられなくて見逃してばかりなのですが・・ファン失格です・・・)
そのなかでもとくにBuono!のロッタラロッタラという曲と映像が大大大好きです!!
このEDはすこし切ない感じがしますが、でも曲調や絵はとっても明るくってとっても印象に残ります♪
歌のはじまりの「今日の僕たちが大人んなってしまえば きっと見えてるものさえ見えなくなってしまう」という歌詞がすごく好きです!!
わたしにはこれが主人公のあむちゃんたちの、いつかはしゅごキャラたちが見えなくなってしまうという気持ちを歌ったものなのだと思えます。
歌に合わせた映像で、しゅごキャラたちが部屋で勉強中に居眠りをしているあむちゃんに大きな声や音を出しても、ぜんぜん気づかれない姿が
描かれているというのもその理由のひとつです。
アニメではドタバタ??楽しませてくれるのに、このEDではそういう楽しいことがいつかは終わってしまうのだということを教えているように
感じます。
その眠っているあむちゃんが見ている夢の中で、しゅごキャラたちとあむちゃんがいつもみたいに遊んでいる姿があって、わたしには、じつは、
しゅごキャラたちと楽しく遊んだりしている毎日って夢のなかのお話なんじゃないかなって思えました。
そぉ考えていたら、おもしろいなって思ったのは、このEDでしゅごキャラたちが大きな声をだしているのは、あむちゃんの見ている夢のなか
ではなくって、眠っているあむちゃんのいる現実だということです!!
だから、現実にもしゅごキャラはいるんだけど、あむちゃんはずっと夢のなかのしゅごキャラたちやみんなと遊んでばっかりで、そのことに
気がついていないってことなのかなぁ??と思いました。
このEDは、最後の最後でしゅごキャラたちの声(愛??)が眠っているあむちゃんにとどいて、あむちゃんの笑った寝顔が映し出されて終わります。
最後まであむちゃんは夢から覚めて現実のしゅごキャラたちに気づいたり笑いあったりはしないのです。。
すこし切ないですが、わたしにはたくさん考えることがあって、とってもいいEDだなって思いました。
あむちゃんはいつか夢からさめて、こんどは現実のしゅごキャラたちに出会うのかな?出会わないのかな?って考えたりします。
わたしは、このEDみたいに、出会えなくっても、あむちゃんにしゅごキャラたちの声や愛!!がとどくのはとってもいいなぁって思いました。
でも夢がいつものお話だったら、現実のしゅごキャラに出会うってどーいうことなんだろう??とも思ってしまいます。。
ちなみにこの曲は2番になると、大人になったり、恋人ができたりして、いままでは見えていなかったものが見えてくる、ということが歌われて
います。
成長することで、いままで見えていたものが見えなくなって、ぎゃくに今まで見えなかったものが見えてくる、ということがこの曲では歌われている
のだと思います!!
わたしは、いまふしぎだと思っているいろいろなことを大人になっても恋人ができても、考えることをやめないで考えていきたいなーって
思っています。
でもそのころには、いまは考えられないことを考えているのかもしれません。
もしそうなってしまうのなら、それまでにたくさんふしぎなことで遊んでおきたいなって思います!!
それではっ!!あしたは起きられますよーに・・・。
おやすみなさい。
ふうむ。確かにだいぶ影響を受けていますね。血管などのシーンはこのあたりを参考にしたのでしょう。
それ以前にディスコっぽい雰囲気もパロディとしてふんだんに取り込んであるし、
まぁアニオタが怒る必要はないでしょ。
MadonnaのGet togetherのPVを作った人、またはその著作権を持ってる人は怒っていいと思うけど。
貴方のパクリだという言い分はまぁ言い方が悪い部分はあれど概ね間違っていないと思います。
が、DISCOTHEQUEの凄いと言われている部分は、あのダンスをアニメへとキレイに落とし込んでいるところであって、
DISCOTHEQUEを凄いと思っている人とは着眼点が全く違うと言っていいと思います。
作画アニメの良さに反応できないのも、CGをやってらっしゃるところから納得できるというものです。
それを気づけないままに馬鹿というのはやめた方がいいですよ。
DISCOTHEQUEを好きな人からすれば、「肝心なところが見えていない」といって苦笑されるだけです。
最近友人から勧められて(GONZOの本気を見た!とか言われた)ロザリオとバンパイアのOPを見たんだけどさ、「これあまりにもMadonnaのGet togetherのPVと酷似しすぎていない??」と思ったんだけど、調べてみたら誰もこれ指摘してなかったんで増田に書いてみる。
…うん、とりあえずこれを黙って見てほしい。これがMadonnaのGet together。2006年のプロモ。
http://www.youtube.com/watch?v=hM2PzHvpZNc
作っているのはLOGANっていう超有名な映像プロダクション会社。有名なところだとiPodのCMとかメタルギア・ソリッド4のOP映像とか製作してる。
次にこれがロザリオとバンパイア CAPU2のOP。これは2008年の後半に放送されて、たぶん今もキッズステーションで放送されている。作っているのはGONZOっていうアニメーション制作会社。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5102982
はい。どう見てもパクリです。本当にありがとうございました。
いや、別にどうと言うわけでもないけどさ、アニオタはもっとGONZOに怒っていいと思うよ。
「こんな見え透いたパクリをやるなんて恥ずかしくないのか!!俺らが何も知らないと思って馬鹿にしやがって!!!」とかさ。
そうかと思ってニコニコ見ると「衝撃が走った」とか「OPが神すぐる」とかそういう意見がずらっと並んでる。そりゃあ天下のLOGANをパクったら誰だって先進的になりますよ。本当に馬鹿な人達ですね。
まぁLOGANとかPsyopレベルの映像プロダクションになると、作った映像がよくGONZOとかの下位プロダクションにパクられてしまうことは結構多かったりして、その様は「一部のファッションデザイナーが生み出したデザインを上位ブランドがパクって自社の製品にして、それを下位のブランドがパクってしまう」ファッション業界のヒエラルキー構造とよく似てる。
だから一概に悪とは言えない部分もあるんだけど、それにしてもこのパクリ方は酷すぎる。もう少しバレないようにできなかったんだろうかと思うくらい盛大にパクっている。
「どうせこれアニオタ向けだからwwww アニオタはLOGANとか知らねーだろうし大丈夫だろwwwwwwww」
とか思ってるよ絶対。もうちょっとアニオタは怒った方がいいと思う。マジで。
追記
いくつかブクマでのコメントで気になった部分がありますので、答えていきたいと思います。
…????へ????何が言いたいのか意味が分かりません。
浜崎あゆみの歌詞盗作と今回の件は全くつながりませんし、自作自演を勝手に疑われてるのも謎過ぎて自分には読解できませんでした。読解できた方は解説お願いします。
id:o296
オマージュ部分が他の部分から浮いてる気がしました。
それは自分もそう思いました。どうせ切り取るならもうちょっとうまく昇華させろよ。みたいな。
id:hapze-23_45
言葉にするのは難しいんですが、
「なんでお前ら気づかないんだよ!!Madonnaだろ!有名だろ!!」とか、「もっと視野広げろよ!!」とか、そんな感じです。
id:higuchimasanori
それは確かにそう思います。カラオケでプロモとか見てみると明らかに影響を強く受けただろうなと思う作品がゴロゴロ出てきます。
ただ、なんか全体的な反応を見てみると、アニオタは身内には甘くなるのかなーとか思ってしまいます。
JPOPアーティストはよく「これ歌詞とかパクリじゃん(笑)これ聴いてる奴馬鹿じゃねーの?」とか言っているのに、自分のアニメのパクリを指摘されると「いや、これオマージュだから」って言ったりとか。意味がわかりません。
思うところがあったので書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20081215/p3
僕の実感としては、本格的にオタクがライト化というか、オタクじゃなかったオサレな人達がいっぱいオタク文化に参入して来ているんだなと本当に思うようになってきた。
記事では『ユリイカ』の初音ミク特集の記事から濱野智史(id:shamano)やテクノウチの発言を引用し、今までオタク文化に見向きもしなかった「オサレ」な人間たちがライトにオタク文化を消費し始めていると書いてある。この記事だけでなく色々な場所で言われ始めた言説だ。
このように言われていることに一抹の危機感を感じたので本記事を書くことにする。
タイトルで「ぬるオタ」と書いたのは正確には間違っている。要するに「オタク文化も消費するサブカル系の人間」のことだ。しかし、オタク文化にどっぷり浸かっているガチな人間からはそういう人間が「ぬるい」と捉えられるのは事実である。
まず、オタク文化をライトに消費する「オサレ」な層がいきなり現れたかというのは間違っている。急に出現したかのように感じるのは錯覚だ。
このように横断的に消費していく層というのはずっと以前からいる。急に出現したかのように感じるのはやっとそのような層の声がインターネットなどによってオタクにも届くようになっただけであり、または可視化しただけだ。これは「オタクはやめることができない」という勘違いにも言えることだが、今までオタクの歴史を紡いできたのがガチなオタクだけだったために、ライトに見える横断的な層というのが無視されてきたのだ。それによって近年、急に現れたかのように見える。だけど、ずっとずっと前からいたのだ。
例えば、クラブ系イベントを消費する層がオタク文化に流入してきたという風に書かれているが、テクノというのはかねてからオタク文化と親和性が高かった。
それはテクノポップの始祖・YMOの細野晴臣がゼビウスをサンプリングして『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を製作したように、特に日本においてはゲームミュージックが源流にある。あの中田ヤスタカだって渋谷系音楽からの影響は否定するがゲームミュージックは素直にリスペクトする。それほど大きな存在であり、ピコピコに魅入られて音楽キャリアがゲームミュージックから始まっている人間は多い。
それゆえ、オタク文化への親和性は高く、90年代初期においてもアニソンやアイドル歌謡をテクノリミックスして遊ぶことは当然のようにあった。
そうでなくてもテクノ界隈の人間は宅録という手法がオタク気質に合っているなどと言われりしてオタク的な人間が多い。日本最大のクラブイベント『WIRE』を主催する石野卓球は根本敬を語りガンダムをネタにしキャシャーンOPのカバーした。テクノ系音楽の輸入に貢献した人間からしてこうなのだから後に続くものは推して知るべしである。
イベントだけをとってもDENPAの前にはコスパが存在するし、ナードコアだって存在した。ニコニコ動画界隈で吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』をリミックスして遊ぶのが流行ったが、その十年も前に『レオパルドン』というアーティストがサンプリングのネタとして使用し『NO DISCO CITY』という楽曲を発表している。クラブでは既に吉幾三を聞いて踊り狂っていたのだ。
ここら辺の歴史が忘れられかけているのもすべて「語る人間の不足」が原因である。
もっと言おう。同じように言われるオタクとDQNが急接近しているというのも間違いである。今でこそまったく違う存在として認識されいてるがその原風景では学校内で異端視されるものとして同じであったし、ずっと親和性は高かった。
「ゲーセンは不良が行くところ」という言葉が参照される際、カツアゲなどがエピソードとして語られることが多いが不良がアーケードゲームに昂じていたことを忘れてはならない。それにオタクと同じように漫画を読み続けていたのも不良だったし、マイナーな洋楽に聞きほれてバンドを始めてしまうのも不良だった。不良はずっとサブカル的なものを消費してきたしオタクとは身体性は違っても嗜好性は近かった。
バンドマンには特撮オタクやアニメオタクが多く甲本ヒロトは大学生になっても特撮を見続けていたし、YBO2は『太陽の王子 ホルスの大冒険』をカバーした。
特にヤンキーというのは語る人間が不足しているので歴史はおろかその生態すら満足に語られていない。現役のヤンキーの言葉を丹念に聞き続けている岩橋健一郎という人間もいるが彼の活動がまともに耳を傾けられたことはない。
漫画だってずっとずっと広い層から読まれ続けていたんだ。大友克洋を代表とする漫画郡が「ニューウェーブ系」と言われてサブカル系の人間も消費していたし、ヤンキーには上條淳士がいたし、ギャルには岡崎京子がいた。
昨今のヤンキーとオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。
ぼくは眠っているとたまに、体はまったく動かないけど外の景色が見える(またテレビとかの音が聞こえる)という状態になることがある。これは一種の金縛りらしいけど、恐怖感はない(さらに言えば、このとき見えている外の景色、たいていは部屋、は実際に見えているわけではなく、寝る直前に見た映像が再生されている一種の夢らしい)。ぼくは恐怖をともなう金縛りにもよくなるのだけど、この場合、目は閉じたままで外の景色は見えないから、とにかく目を閉じたままでいればとくに問題はない(おそらく目を開くと、お化けとか、何か怖いと思っているものを見てしまうのだろう)。しかし、外の景色が見えているのに体が動かないという状態のほうはかなりつらい。いまぼくが寝ていることとか、これが金縛りの一種であることとか、見ている映像が、リアルだけど、夢であることとかを冷静に考えられるのだけど、なんだか息が苦しいからこのまま死ぬんじゃないかと不安になって(この意味ではお化けとかとは別の恐怖感がある)、なんとか体を動かそうとする(思う)けど何もできないのです(『マルコビッチの穴』のラストシーンはたぶんこんな感じだろう)。そんな感じで(頭の中で)五分くらいもがいていると、起き上がるような感覚とともに目が覚めて解放されます。起きれてというか、生きててよかったと思うけど、これは究極的にひどい悪夢だとも思う。悪夢の臨海というか。童夢くんのOPはCHA-CHA。
パッヘルベル「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」
(独: Kanon und Gigue in D-Dur für drei Violinen und Basso Continuo)
1曲目の「Canon in D major」はたぶんクラシックの中で一番有名な曲
バッハの「G線上のアリア」(Air on the G String)
the pillowsの6枚目アルバム「LITTLE BUSTERS」から。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのシングル。鋼の錬金術師のOP
消してえーリライトしてえー
だんだん俗っぽくなってるのは気のせいですか?
マルチ商法は罪深い。第一そもそもマルチなんて人間じゃない。その人間じゃないマルチを使って人間関係を金に換えようとするのがマルチ商法だ。マルチを学校に派遣し、その中で築いた人間関係を利用して、年端もいかない若い男に極めて高額であろう量産したマルチを買わせるなんてどう考えても悪徳商法だ。しかも送られてきたマルチは中古品。酷い。
まぁこれだけならゲームの中の出来事として許容もできよう。主人公も納得してるし。だがこれが現実世界に押し寄せてくるとなると話は別だ。ゲームの出来のよさをいいことにプレステ版を出すわテレビアニメはやるわ(しかも2回)PC版はリニューアルパッケージを出すわPSEとか言って全年齢版を出すわPS2版はTH2との同梱版しか販売しないわコミック版は高雄右京だとツボ付きやがってどうしてくれようCDだのアンソロだのどんだけでてやがんだ。おまけに「おでかけマルチ」だと!?P/ECEだと!?まさにマルチ商法。DL版はフリーだが、DL版だとOP/EDがないんだぞどうすんだ。どうせP/ECE本体ないとだめだし。ありえねえ。全部買ったがアンソロあたりはちょっと自信ない。あとコミケとかで何か落ちがあるかもしれん。畜生。マルチ商法め。
とにかくマルチ商法はひどいのだ。そしてマルチまがい商法に至っては、もう上で書いたような事をさらに推し進めたような形でもうヲタの金をとにかく吸いとることに特化している。マルチ商法がまだマシなんじゃないかと思うくらいに進化したマルチまがい商法は、しかしその中にハマった人間は幸福の中に沈んでいる。とにかくいろんなマルチまがいがあったが、最近ではエロゲどころかフツーのラノベあたりがマルチまがいな商売をしてきやがるから侮れない。それどころかラノベあたりだと、いいところまで進んどいて次が出なかったりしやがって下手にアニメ化した作品だと完結もまともにしてねえのにグッズだの抱き枕だのええい、完結させやがれ。だがハマっている間は幸福なのだ。ああ。もちろん俺も幸福だ。マルチは俺の嫁。とりあえずさっさとマルチを開発してほしいと思っていたが、もう面倒になったので大学は工学部に進学した。今は某企業でAIの研究をしている。マルチありがとう。
http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20080929/p1
たしかに2クール目に入って少しぐだぐだしていたけれど、最終回はマクロスにふさわしい歌+バトルで、久しぶりに録画したのを二回見た。
自分はテーマ主義者じゃないから、「伝えたかったこと」なんて別に気にしないけれど、「トライアングラー」の歌詞は三角関係を楽しんでいる歌詞のようにも感じる。
だから、「痛み」が知りたいのならば、true tearsやefやよっぽどnice boat.でも見るべきであり、あえてマクロスFを選択する必要はないかと。
それよりも気になったのは、true tearsの持ち上げ方。
確かに良アニメだったけれど、シリーズ構成に難があったのはお互いだと思う。
全13話中、10話にクライマックスを置きながら、11, 12話でぐだぐだして(おそらく何かのミスリードをねらったのかも知れないけれど)最終回にあるべきな、ある種のカタルシスを損なっていた気がする。
そして、ここが最も重要なんだけれど、true tearsのヒロインは3人だよ? 確かに空気だったことは認めざるを得ないけれど、OPに出てきた女の子は3人だよ? だから四角関係だよ? 愛ちゃんを忘れてない? ねえ?
心の澄んだ花を荒らしても探すなら
打ち切りを喰らったアニメ版ファイナルファンタジー、FF:アンリミテッドのOP、Over the FANTASYの一節である。
初めてこの歌詞を聞いたときどういう意味か理解できなかった。正確には理解するのを常識と良識と臆病さと卑怯さが阻止した。
JPOPとアニソンに自由平等博愛努力友情勝利ガッシボカスイーツなテーマの詩が多い中で、この詩は心の澄んだ花を荒すことによってこそ、真に平和な世界に生まれ変わることができると歌っている。この詩を聞いたとき、丁度他人を蹴落としてでも競争し、どんなにえげつない手段を使っても勝利しなければならない状況にあった自分がいた。そんな状況にいつつも、他人を抹殺することを躊躇していた優しくも優れてもいないただ臆病で卑怯なだけの自分に漆黒の殺意を芽生えさせてくれたのがこの歌だった。そしてこの歌は薄汚れた灰色の自分を、暗黒の勝負の谷底に突き落としてくれただけでなく、真に厳しいのは茨の道ではなくけがれを知らぬ無垢な花の道であることを教えてくれた。
そんな自分にとってフェータルだった歌をグーグル先生に聞いてみたら歌詞違ってた。「荒らしても探すなら」じゃなくて「嵐でも咲かせたら」だった。普通じゃん。普通のアニソンじゃん。俺の漆黒の殺意なんだったの。俺が葬ったあいつらなんだったの。