「調理師免許」を含む日記 RSS

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2011-12-30

わりとまじめにフジテレビを更正させたい(願望)

フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」

ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。

フジテレビに対する嫌悪感はもはや一時的なものではなく、

ネットユーザ意識としてしっかりと根付いたと言っていい。

まあ無理もない話だ。

電波国民財産であり、その公共財排他的に占有して、

他国の王族侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような

放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。

明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、

と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。

その上、彼らは一方的に自分たちの正当性だけを述べる、

または報道しない自由とやらの自由で無視するのだから

ネットユーザに限らず、憎悪が蓄積されて当然であろう。

このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、

それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。

そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫び

結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。

それを痛いほど理解した上で。

一歩引いて考えてみる。

免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。

冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。

結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。

なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか

もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、

テレビ局NHK民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。

けれどテレビ局の数を減らしたところで、その少ないテレビ局

故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。

絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業不祥事を必ず起こす。

大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。

では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。

私は「短期間のCM放送禁止」が良いように思う。

例えば、今回のブータン国王夫妻への侮辱問題であれば、

「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。

これであればニュース地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、

売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。

そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。

分かりやすいことは大切だ。

BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、

それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。

提供した料理食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、

余程のことでない限り、調理師免許資格を剥奪はされない。

利用客は店が営業していないことで食中毒事実を知り、

評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。

けれど更正するチャンスは与えられている。

番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。

けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモ不買運動をしたいわけでもない。

同じ結果を生むなら、社会的ルールとしてスマートに解決されればいい。

衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。

放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。

テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。

それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。

私たちはCMがないことで、テレビ局不祥事が罰せられていることを知り、

溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。

そんなテレビとの関係があったらよいと思った、年の瀬

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228003600

面白いけど、いきなり起業するのは、スキー初心者ジャンプから飛ぶようなものだね

俺が思うにIT系はもう先がないよ

それよりも、料理人になるのはどうだろう

専門学校に通って調理師免許を取って

老人ホーム厨房係とかやってみたら?

2009-09-04

好きなことを仕事にするということ

8月の終わり。

高校時代の友達と集まって呑んだ。

一人は九州電気工事会社に、私は大阪パソコンショップの店員、

もう一人は大阪電気工事会社就職した後、続かずに辞めたが結局また別の電気工事会社に落ち着いた。

久しぶりということで酒が凄くすすむ。

私達3人は3人とも電子科卒業していて、普通ならば電気工事会社回線関連など)に就職して、

技師として生きて行くのだが、パソコンが大好きだった私は進路を決められず、

大手の電気工事会社就職したものの、パソコン関連の仕事の魅力を捨てきれず、

結局そちらを本業に変えた。だけど、この仕事って具体的な技術とか資格が何も無い。

Comptiaとか販売士とか、あまりとっても意味の無い資格ばかり。

私は最近とても不安だ。他の二人をみていると、どちらも高校時代に培った技術を生かしている。

この頃、私も電気技師になってパソコン趣味にしとけば良かったような気がしてならない。

20代半ばの頃は、私も若かったので、

好きなパソコンを販売することで飯を食ったり、商品知識を生かして営業の人と話すのが楽しかった。

要は、自分楽しいことだけを頭においてやってた訳だ。

でも最近、私は結婚意識しはじめた。

オンラインゲームオフ会で偶然知り合い、幸運にも恋人になってくれる女性ができた。

この人と残りの人生を過したい、こどもも欲しい、、

そんなことを考えていると、今の自分仕事に自信を持てなくなってきた。

良く考えてみると、私が高校電子科に入った時、

多くの人生の方向は決まっていたと思う。でもそれにあえて逆らった結果、

私は好きなパソコンを売る店員になった。そのことに後悔はないけど、

今思えばとても贅沢なことだったのかもしれない。

友達の2人も他に夢があったのかもしれない・・というかあったと思う。

一人は高校時代に調理師免許を取得しており、もう一人は一度会社を辞めてバンドマンをやってた。

でも、金銭的な理由や、親の病気結婚など色んな理由で辞めてしまった。

そういうことを聞いていると、

ただ単に好きなことだけをやってきて、それを仕事にして、

でもこれからが不安になってる私がクズに見えて恥かしかった。

実は先週、取引先の人と呑んでたら、いい話を戴いた。

それはプログラマの話だ。

高校の頃、一応C、JAVA勉強して、20代前半ぐらいまで、自分なりにソフトを作って遊んでいた。

派遣プログラマになれば、今のショップ店員より断然稼げる。

・・・だいたい1.5倍ぐらいの収入になるという。

でも、私はプログラマとは何か肌が合わない気がして仕事にしようとは思ったことが無かった。

だがこのままショップ店員を続けていていいことがあるんだろうか。

結婚して子供ができたら?

スーツを着ない、常に低姿勢な接客、街頭で大声をだして呼び込み。。

こういう親父の仕事をどう思うんだろう。

そして、いつかはおそらく大手量販店に吸収され、、

肩身の狭い立場に追いやられる。

こういうことを他の2人に打ち明けた。

すると、2人とも即答で、プログラマになれって言った。

どうやら、もう私の人生は、私一人の人生だけじゃないみたいだ。

人と一緒に生きるということは、結婚とは、自分人生を分け合って一つの人生にすることらしい。

婚姻届を出す日、プログラマとして新しい人生をはじめる日にしたい。

2007-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20070131010646

大学入学なんてたとえれば調理師免許をとるようなもん。

料理人として独立して店をだすのに調理師免許は要らないんだぜ。

実力もたいしたこと無いのに「調理師免許は持ってます」なんて言ったらバカにされるんだぜ。

まぁ20歳ぐらいの若さだったら、そのぐらいの狭い認識でも仕方が無いけど。

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