はてなキーワード: 調理師免許とは
ネットでこれらの主張が飛び交っていない日はないだろう。
まあ無理もない話だ。
他国の王族を侮辱したり、自社の利益のために自国を貶めるような
放送を流す私企業に対して「見なければいい」で済ますことはできない。
明らかに悪いことをしている個人や企業が罰せられない、
と言う状況は負の感情を生む。社会にとって負の遺産として積もり続ける。
このやりどころのない怒り、不公平感、無力感は、
それを許している法や政治、ひいては社会に対する不信につながっていく。
そのどうにもならない『こんなの絶対おかしいだろ!?』という叫びが
結果的に「フジテレビ潰れろ!」「放送免許を取り消せ!」という声になっている。
それを痛いほど理解した上で。
一歩引いて考えてみる。
「免許剥奪」の選択は現実味がない(むしろ倒産の方がよっぽど現実味がある)。
冷静に考えてみて、免許剥奪になるほどの放送内容というのはなかなか想像が難しい。
結局のところ、放送免許の剥奪というのは大なた過ぎて誰もふるえないのだ。
なので、いつも「現状維持(罰せられない)」という事態に陥っているのではないか。
もちろん、瞬間最大風速的には私自身もフジテレビに対して「滅びろ!」と思うし、
テレビ局はNHKと民放1局ぐらいで十分じゃないのか、とか思うこともある。
(故意かどうかは別にして)いつか問題を起こすことはあるだろう。
絶対に壊れない人工物がないのと同じで、人も企業も不祥事を必ず起こす。
大切なのは過ちに対して適切な懲罰を与え、当人に更正のチャンスを与えることだ。
では、どの程度の懲罰が適切なのだろうか。
「1週間の間、番組自体は放送して良いが(収益源となる)CMの放送は禁止する」というような処置だ。
これであればニュースや地震速報などの情報インフラとして公の放送としての役割を維持しつつ、
売り上げの減少という形でテレビ局に適切な教訓(レッスン)を与えることができる。
そして私たちは、テレビ局がきちんと律されていること、を自分たちの目で確認できる。
分かりやすいことは大切だ。
BPOが書面で注意や勧告をテレビ局に伝えたところで、多くの国民はそれを知ることはないし、
それがテレビ局にとって、同じ過ちを繰り返さないにしようという反省を促す力があるのか不明だからだ。
提供した料理で食中毒が発生すれば、その店は短期間営業ができなくなるが、
評判は下がるだろし、一部の常連客を失うかも知れない。
けれど更正するチャンスは与えられている。
番組スポンサーの商品への不買は結果的にはCM停止と近い効果があると思う。
けれど、私たちは苛立ちたいわけでもないし、デモや不買運動をしたいわけでもない。
同じ結果を生むなら、社会的なルールとしてスマートに解決されればいい。
衣食住どれをとってもルールがあり、完璧ではないにしてもそれなりに機能している。
放送事業者はどうしてこうも罰せられず更正の機会を与えられないのだろうか。
テレビ業界の人々は叱られずに育った温室栽培のお坊ちゃまのように、幼稚で頼りない。
それは国民にとってもちろん不幸だが、彼らにとっても良いことだとは思えない。
私たちはCMがないことで、テレビ局の不祥事が罰せられていることを知り、
溜飲を下げ、少し穏やかな気持ちで、そのテレビ局の更正を見守る。
8月の終わり。
高校時代の友達と集まって呑んだ。
一人は九州で電気工事の会社に、私は大阪でパソコンショップの店員、
もう一人は大阪の電気工事の会社に就職した後、続かずに辞めたが結局また別の電気工事の会社に落ち着いた。
久しぶりということで酒が凄くすすむ。
私達3人は3人とも電子科を卒業していて、普通ならば電気工事の会社(回線関連など)に就職して、
技師として生きて行くのだが、パソコンが大好きだった私は進路を決められず、
大手の電気工事の会社に就職したものの、パソコン関連の仕事の魅力を捨てきれず、
結局そちらを本業に変えた。だけど、この仕事って具体的な技術とか資格が何も無い。
Comptiaとか販売士とか、あまりとっても意味の無い資格ばかり。
私は最近とても不安だ。他の二人をみていると、どちらも高校時代に培った技術を生かしている。
この頃、私も電気技師になってパソコンは趣味にしとけば良かったような気がしてならない。
20代半ばの頃は、私も若かったので、
好きなパソコンを販売することで飯を食ったり、商品知識を生かして営業の人と話すのが楽しかった。
某オンラインゲームのオフ会で偶然知り合い、幸運にも恋人になってくれる女性ができた。
この人と残りの人生を過したい、こどもも欲しい、、
そんなことを考えていると、今の自分の仕事に自信を持てなくなってきた。
多くの人生の方向は決まっていたと思う。でもそれにあえて逆らった結果、
私は好きなパソコンを売る店員になった。そのことに後悔はないけど、
今思えばとても贅沢なことだったのかもしれない。
友達の2人も他に夢があったのかもしれない・・というかあったと思う。
一人は高校時代に調理師免許を取得しており、もう一人は一度会社を辞めてバンドマンをやってた。
でも、金銭的な理由や、親の病気、結婚など色んな理由で辞めてしまった。
そういうことを聞いていると、
ただ単に好きなことだけをやってきて、それを仕事にして、
実は先週、取引先の人と呑んでたら、いい話を戴いた。
それはプログラマの話だ。
高校の頃、一応C、JAVAを勉強して、20代前半ぐらいまで、自分なりにソフトを作って遊んでいた。
・・・だいたい1.5倍ぐらいの収入になるという。
でも、私はプログラマとは何か肌が合わない気がして仕事にしようとは思ったことが無かった。
だがこのままショップ店員を続けていていいことがあるんだろうか。
スーツを着ない、常に低姿勢な接客、街頭で大声をだして呼び込み。。
こういう親父の仕事をどう思うんだろう。
そして、いつかはおそらく大手量販店に吸収され、、
肩身の狭い立場に追いやられる。
こういうことを他の2人に打ち明けた。
すると、2人とも即答で、プログラマになれって言った。
どうやら、もう私の人生は、私一人の人生だけじゃないみたいだ。