はてなキーワード: 盂蘭盆とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tachibana-akira.com/2015/01/6712
これのブ米みると「日本の仏教がデタラメ」に違和感を持つ人がいるけど大乗非仏説すら知らないのか?
日本の仏教はほぼ大乗仏教でその経典は釈迦が死んでから数百年後にでっち上げられたもので原典と内容が全然違うというのが定説
代表的なのが夏のお盆のもとになってる盂蘭盆経で中国の祖先崇拝を仏教風の経典にしてるだけ
有名人が言ってもないことをでっちあげた新興宗教の書籍を嘲笑してる人達は釈迦が言ってもないことをでっちあげた伝統仏教の経典をありがたがるなんてことないよな?
まあもちろん中身が素晴らしいとか言うんだろうけどいくら中身がよかろうと釈迦の教えじゃないなら仏教は名乗るべきではないし
独自の宗派を立ち上げないのは高名な釈迦に乗っかっとけば布教しやすい(消防署のほうから来ました的な詐欺同然の有利誤認)ということでしかない
傾城の美女
践祚 せんそ
櫛比 しっぴ
折伏 しゃくぶく
不如意 ふにょい 生計の困難なこと
佞弁/佞辯 ねいべん 心がねじけていて口先の巧みなこと
金打 きんちょう かたい約束。誓い。
夷狄 いてき
西陬 せいすう 西の果て
日照雨・戯 そばえ
詫びる わびる
詫く あざむく
瘧 おこり
同衾 どうきん
紊乱 びんらん
誼 よしみ *喧嘩けんか
凱 かちどき
蒼氓 そうぼう
弄ぶ もてあそぶ 弄る いじる 弄る まさぐる
罪あるは斬る。怯懦なるは斬る。隊法を紊すは斬る。隊の名を瀆す者は斬る。
猖獗を極める・蔓延する・彌漫する
尿 ゆばり
筵 むしろ
膩 あぶら
項 うなじ
葦笛 あしぶえ、よしぶえ
糸瓜 へちま
鰐梨 あぼかど alligator pear
酸漿 ほおずき
鴇 とき
鵯 ひよどり
金糸雀 かなりあ
雪洞 ゆきどう せっとう、ぼんぼり、せつどう、ゆきあな
野衲 やのう、やどう
盂蘭盆 うらぼん
点綴 てんてい
羆 ひぐま
紙縒 こより
十露盤 そろばん
肋 あばら
蛞蝓 なめくじ
蟋蟀 こおろぎ
飛蝗 ばった、ひこう
鰍 甑 帳 骸 疹 匁 蹄 厩 蔀
鐙 樵 厨 廓 硲 瓢 葎 椛 櫓 蕨
死者を恐れるのはなんでなんだろうね。
異界の存在だと思っているからなのかな。それとも、死者という存在が恐れを撒き散らしているからなのかな。
もしかしたら、死をにおわしているからなのかもしれない。恐怖って、拒絶反応の一種かもしれないって思った。
人は何かしらの接点がないと存在を受け付けられないのかもしれないですね。
上の文で私が言いたかったのは、「自分が存在する世界」を受け入れてみてはどうか?ということ。
そうだね。その通りだ。私が世界の一部としてあることを認めることは、ありのままの世界を受け入れることだと思う。
あとね、私はべつに消えてしまいたいわけではないのですよ?ちょっと心配させてしまっただろうか。
ただ、ね。私は受け入れることに重きを置きたいと思っているのです。だからよくよく、中道的な立場に立ちたくなってしまうわけなのね。
当事者でもないのに端から片翼に傾向してしまうのって、いろいろなことを見落とす可能性があるでしょう?
もちろん、どんな立ち位置を取ろうが見落とすことはあるだろうけれど、私は真ん中が一番広く浅く物事を俯瞰できると思うのです。
それが、私のやりたい素直なスタイルだし、たぶん「ありのまま」に一番近いのだと思う。
……いや、でも初見で抱いた感情を一度押し留めて物事を把握しようと“努める”ことは、それ自体最早作為的な行為なのかもしれないな。
力を抜くのって、案外難しいことなのよね。
言葉を発することすら出来ないかも知れないから、
自分が存在している間にやりたいこともあるよね。
うん。だから私は、誰でもいいから、ある人にとっての何かになりたい。
本当は存在しているだけで成し得る願望なんだけれど、たぶんみんなが抱いていることだよね。
そして達成するのも、達成を確認するのも、極端に難しい願い。
考えられる手段は千差万別だ。基本的願望に忠実でありたいのですね、私は。
ちょっと話が戻るんだけど、
最初に元増田が「記録に残りたくない」って言ってたのは
これまでの話で出てきた言葉を使うなら
「自分が記号だけの存在として残るのが嫌」
っていうことなのかな。と思った。
記号だけじゃない自分を見つけて欲しい。
そういう気持ちならわかるような気がする。
あの時の気持ちは忘れてしまったけれど、かもしれないなあって思った。
それに今でも私という世界が、言葉や記号による切り取りを受けずに、そのまま誰かの小さな世界の一部になれたらいいなあって思ってる。
贅沢かな?野心的かな?拒絶する人もいるのかもしれない。
でも、私は私の在りようを認めたいと思うのです。
私にだけは謙虚であったり、尊大であったり、嘘を吐いたりはしたくないからね。
早いもので、八月になっちゃった。いい加減晴れろ。
個人的にだけれど、強すぎる陽光の下、陽炎だけが揺らめく沈黙の中には、なぜか死者の気配が漂っているような気がする。
気のせい?錯覚だろうか?いや、刻み込まれた感覚が叫んでいるような気がする。