はてなキーワード: 成果物とは
今日受けたショック。
頭の回転は速いが短絡的、というか周辺の事情をあまり熟考しないタイプの同僚にぺらぺらと知ったかぶった説明を受けた後にだめ出しされたこと。彼のような人は俺の天敵だ。彼のような人が俺の持ち味であるじっくり考えることの価値を理解することはないだろう。何でそんなこと考えているんだとか、とろくさくてイライラするとか思うタイプであろう。
2つめ。
一生懸命やった成果物に先輩からダメだし。力振り絞ってやったのに。連絡しないでやったのは確かに悪かったが、それをいうなら先輩だって周りのメンバーに周知をしていないじゃないか。それを「勝手に変えたのはそっちだから直して」って。そりゃ直すけどさ。連絡不足の状況作っているのに自分も一枚かんでいるくせに。
3つめ。
真面目そうなあの人に彼氏がいることが判明したこと。勝手に期待していたのは俺であって、つまりいつものパターンで、そして勝手にショック受けたのだ。
それにしてもみんな特定の相手がいて。
この世の中、さみしいのは俺1人なのではないか。
>「努力すれば報われる」の罠
話は簡単だよな。
学生時代は、どんな馬鹿げた目標設定でも、その目標に対する姿勢=努力が評価されたけど。
###それでも高校くらいになれば、目標設定に対する評価が変わってくるはずだけどね
結果が評価に値しないのなら、努力は無意味な徒労で、それが批判されるのは当然。
「努力すれば報われる」と同時に「結果を出せ」とかも言われているはずだが、どうしてだかそっちは忘れちまう。
その挙句、自分に出来る範囲の「小さな目標」を設定して、それを達成できる程度の「小さな努力」をして、「評価して♪」とせがむ。
批判されると、努力なんか報われねぇじゃん、と拗ねる訳だが。
あなたの「目標」「結果」は、本当に評価に値しますか?
http://anond.hatelabo.jp/20081116133036 の新人君が、昔の自分にほんのちょっとだけかぶるところがあるなあと思ったので、空気を読まずにつらつらと自分語りをしてみる。
数年前、勤めていた職場が突然無くなったことがある。そのころ俺は、親元を離れて社会人として働き出してから一年経つかどうかの生きていくこと自体にわりと必死な頃で、不幸なことに金の蓄えが殆ど無い時期だった。そして来月からは収入が無くなってしまう。このサバイバルは思い起こすと稀有で貴重な体験だが、当時は社会に対して大きく失望し、ただただ途方に暮れるしかなかった。
当時は今にも勝る不景気、いわゆる就職氷河期の真っ只中で、普通の就職、転職市場に対して得も知れぬ失望感がある上に、仮に面接を受けて首尾よく採用となっても、給与がもらえる前に俺の貯蓄が底をつくかという状況だった。しかしなぜか危機感をそれほど持っていなかった俺は悠長に、そして高望みしつつ職探しを続け、程なくして予想通りに金の蓄えは無くなり、八方塞がりとなった。
もうどうしようもなくなったが、有り余る情けなさから親には相談できず、結果として友人に一ヶ月分ほど生活費の無心を受ける。半年以内に全額を返さないと小額訴訟を起こす、というエールを受けて俺はようやく職探しに本腰になった。
本腰にはなったが、とはいえすぐに金が必要だったので、さっさと働きだすことができる方法を選択せざるをえなかった。ネットで調べるうちに派遣会社というものが就労するには手っ取り早そうだということを知り、某社へ早々に登録、仕事を斡旋してもらうことにした。
フットワークの良い派遣会社だった。登録フォームから送った翌々日にはその会社の支店へ行き、営業担当を相手に色々と自分のできることをアピールした。パソコンはかなり得意だと伝えた。営業担当は「それならばすぐに仕事を紹介できますよ」と言った。実は当時の俺が得意だったことは、パソコンを扱う仕事をすることではなく、秋葉で買ったパーツでパソコン自体を組み立てることだったが、そこはあえて伝えないでおいた。
それから一週間ぐらい、俺はその営業担当に連れられて、名前を聞くだけでも萎縮してしまう超有名な会社の一室で顔合わせと称した面接を受けていた。面接相手は嫌味な男で、しきりに営業担当に対して前任者が辞めたことについての愚痴を言っていた。嫌な奴だと思ったが背に腹は変えられないので、みなぎるやる気を必死にアピールした。一瞬だけ俺は松岡修造のようだった。とにかく金が無いのですぐには辞めないという、自信を超えた確証があった。
そしてめでたく一つの仕事が与えられることになる。サーバの運用監視というものだった。
サーバの運用監視といっても、一般に言われるようなラックの立ち並ぶデータセンタの如きではなく、全国各地の拠点に配置されているタワー型のファイルサーバをリモート監視、保守するという特定の顧客に特化したものだった。正味なところトラブルは年に一度あるかないかだが、契約上どうしても監視を続けなくてはいけないそうだ。サーバ自体も相当古かったが、当分リプレースの予定も無いそうで、つまり数年は安定した身分が保証されている業務ということになる。やった、これで借金は返せる。俺の心は小躍りした。
で、肝心の仕事内容だが、これがまたベタベタのルーチンワークで驚いた。決まった時刻に決まった操作でサーバの正常動作を確認し、excel のワークシートを印刷したものに丸を付けていくだけの、まさしく刺身の上にタンポポを乗せるかのような仕事だった。ごくまれに腐食したタンポポが見つかったりもするが、そこは既に定められたフローで対処し、新しいものと交換すればよい。
個人としてどう動けるかどうか、そんなものは全く関係がない仕事で、歯車大募集という風情だ。前任者が退屈すぎて辞めたというのは容易に想像できた。ただ幸いなことに、当時の俺は個としての評価に価値観を見出すことはなく、どころかエンジニアとして大手の企業に潜り込めただけで世界が大きく開き、前職よりも自身が尊大になったと感じていたのだった。
最初の三ヶ月は充実していた。エンジニアという肩書きのもとに仕事をしているというだけで自分に酔うことができた時間だった。そして俺は excel 製のチェックシートに綺麗な丸を書くことばかりが早くなっていった。
俺の上司と言われる人間は、ひどく適当で放任だった。彼は当時まだ三十半ばであったが、既にこの大きな会社で、己の生涯を終えると決断しているが如きで、ルーチンワークの正確さと、仕事の合間を見てさりげなく、かつ頻繁に煙草を吸いに行く挙動と、後方を通る人影を警戒しつつのネットサーフィン技術については目を見張るものがあった。そんな彼を俺も見習い、業務中にいかにさりげなく 2ch を見るかを模索したものだった。
そんな彼の元で、俺は自由闊達に教育された。基本的に日常業務さえ過不足なくこなしていれば、あとは時間の使い方を制約されることもなかった。その日常業務と呼ばれるルーチンワーク自体は二時間足らずで終わるので、図らずも俺は一日に六時間もの自由な時間を与えられることになった。次第に 2ch を見ることにも飽きていった。
そして半年、とうとう持て余した暇を浪費できなくなった俺は、遊び半分でコードを書き始める。ネットの情報をもとに試行錯誤を経て、初めて作ったのは WEB ベースの監視チェックシートだった。そう、あの綺麗な丸をつけなきゃならないやつだ。定時になると決められた手順でサーバの稼動確認を行い、正常動作が確認できた時は勝手に丸が付くようにした。最初の一ヶ月ぐらいはこっそり運用し、いろいろと修正を加えて動作を安定させた。
さすがに印刷すると excel と少し体裁は変わるが、上司の彼はそれを好んで使ってくれた上に、顧客への提出フォーマットを変えることまで働きかけてくれた。のちのち彼に理由を聞いたが、「いや実は俺も丁度めんどくさいと思っていたところだった」と言ったときには笑ってしまったが。それ何年も続けてたくせにな!
ちなみにそのアプリケーションは、そりゃもちろんいま思うと酷い出来だったが、当時においては周囲になんとなく評価されたこともあって、一定の達成感をもたらしてくれた。それがきっかけでコードを書くっつうのが意外に楽しいことで、もしかしたらこれで飯を食うべきなのかな、なんて勘違いをしたり。
暫くして俺は退職することになる。まあその後のことは想像にお任せする。
で、ここから元増田に対しての話だけど、そういう尖った新人は変に縛らずに、もちろんやることはやった上での話なんだが、時間見つけて自由にさせてやりゃいいんじゃないかなと思う。組織的には難しいのは想像に易いので、いきなりじゃなくていいと思うんだ。例えば新人の考えるルーチンワーク改善案と、それを実現する成果物はどういうものかを論じるだけでも大きな前進だと思う。そうすりゃもしかしたら奴は、その成果物を勝手に作り出すかもしれないんだぜ。実現させるためにプライベートを割いて色々勉強しだすかもしれないんだぜ。そうして得た知識は、彼が増田に感じた恩義の分だけ戻ってくる。困ったときに助けてくれる存在になる可能性があるんだぜ。
個としての人格を殺してルーチンワークをさせることは組織としては簡単だが、死にたくないと主張している人格を殺す必要も無いだろうと思う。殺したが最後、血飛沫に塗れて掃除するのが大変なことになる。殺すぐらいなら活かしたほうが、お互いにとって良いことである可能性のほうが高いのは自明だろう。
最後に、自分の人生において、周囲が意図したかどうかは定かではないが、個を活かすことができる環境に偶然でも潜り込めたことを感謝したい。コードを書く機会と出会わなければ死は必定だった。それにしても、今もあのサーバは動いているのかな。
釣りなのかもしれないが、注文主からすれば素晴らしいのだろうが、あまりにお粗末だな。
だいたい、世界史や公民は未履修か?産業革命以後の労働者の問題、ストライキや労働組合などがなぜ発生したか知らないのか?
と、赤っぽくなってみる。
一番の問題は、人を労働者として扱いながら労働者の権利を与えない事。
現代社会においては、会社は個人を社員として雇うのが基本スタイルだ。
この時、資本や組織をもたない個人としての社員の力は弱い。弱者だ。
そこで、この弱者を保護するのが労働三法であり、それは労働基本権に基づく。
必要に応じて、能力の向上や安全のための教育、作業環境の整備、健康診断などを行なう事になっている。
つまり、会社は社員の面倒をみなさい、と言う事だ。いわゆる福利厚生だ。
偽装請負は、実際には社員として扱いながら、これらを受ける社員としての権利を認めないものだ。
リスク分散が図れると言うが、本来会社がもつべきリスクを社員に不当に転嫁しているに過ぎない。
社員の立場の弱さや目先の利益を利用して社員を、より責任の重く、立場の弱い個人事業主になるように唆しているに過ぎない。
多重派遣が禁止されているのも、いたずらに関わる会社を多くし、責任の所在や、社員の管理監督、つまり面倒をだれが見るべきかを曖昧にし、社員の立場を危うくするためである。
個人事業主と言うのは、自由競争の荒波を単身で受け、一番弱い立場になりやすい。
しかし、独占禁止法や、その他、歴史的に個人事業主の多い業界は、個別の法律で守られていたりする。
また、商店街は町内会の延長で団結を図ったり、商工会や業界団体として組合を設けたりしている。
しかし、ブルーカラー/ホワイトカラーとして労働者の権利の存在する労働者と、自由競争を原則とする市場に立つ個人事業主とでは、立場が違い過ぎる。
現在は規制により抑制されているが、規制がなくなれば移行し増大し、価格競争の名の元に価格が下がるだろう。
賃金ではないから最低賃金も残業代もない。成果物が完成しなければ支払わない。納期が遅れれば違約金。
やり過ぎれば公取委が動くだろうが、敷居は高い。
たしかに、個人事業主が増えるのは、悪い事ではないだろうが、自身が自由競争の世界にとびこむ、と言う自覚なしにつれていくべきではない。
そして、業界は業界として商習慣や制度や団体などの確立を目指し、個人事業主、つまりフリーランスの働きやすい環境の構築を目指すべきである。
現状では、労働力の流動性が悪いのかも知れない。しかし、安易に撤廃などできない。
しかし、それでも労使の関係がある限り、労働者の権利は守らなければならない。
流動性をあげるための施策や規制緩和を行なうなら、同時に労働者保護も行なわなければならない。
元請けの指揮命令系統で労働者として扱うなら、労働者の権利は保護されなければならない。
労働を求めるならば、その者には基本的人権として労働者の権利が存在する。
以下資料として
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2b_004.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E9%81%8B%E5%8B%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%A8%A9
最近「自重はダークサイド」などと言って調子にのっている、世間の厳しさも知らないガキが居る。
以前、自分自身がブログの成果物である、といったエントリを書きましたが
(http://d.hatena.ne.jp/happy_ryo/20080524#1211635624)
今現在のid:happy_ryoは存在しています。
http://d.hatena.ne.jp/happy_ryo/20081026#1225031786
そうid:happy_ryoお前だよ。
努力が認められた?
その他諸々含めて全部「お前が地方にいたから、周りからチヤホヤされてただけだろうが!」
今度東京に出てくるらしいが、東京ではお前の持ってる経歴なんて欠片も役に立たない。
今まで地方に居るからとチヤホヤしてくれた連中も興味を失って相手をしてくれなくなる。
おもちゃにされてるだけだよ、気付いて無いのか?
東京に来たら、その辺の底辺プログラマと同じ扱いうけて、ぼろ雑巾みたいになるまで働かされる。
今まで構ってくれた大先生達は興味を失って相手もしてくれない。
今、トイレに行きたいんだけど近くにセーブポイントがなくて困っています。
うんこもれそうでテンションあがってるからわけわからないことを書かせてくれないと困る。
主に、括約筋的な意味で。
でね、うんこって偉大だと思うわけ。最初食べ物なわけ。栄養。ニュートリション。
入り口から入ったライトサイドの結晶が出口から出るとダークサイドに堕ちてるわけ。
もうね、ルークもびっくり。アイアムユアファーザー。で穴に落ちてパイプの先で回収されて終了。
何の話だっけ。
エピソード7って出るの?
出せよルーカス。うんこのごとく。スターウォーズっていろいろな文化や技術が詰まってるよね。
宇宙人やメカのデザイン、CG,音楽、パロディ。ジェダイって時代劇からとってるんだぜ。ジダイ。
言語学的にも興味深くて、ジャージャーはジャマイカ人みたいな英語しゃべるし、
結構惑星ごとにしゃべる言葉の発音とかそろえて区別してんのな。
映画って、音楽、美術、演劇、ビジネス、学問とか諸々の人類の文化の結晶って気がする。
高度なテクニックが合わさって最終的に美しいハーモニーを奏でるというか、うんこもれそうというか。
何の話だっけ。
そうそう、うんこです。アウトプット。成果物。エクスポート。圧縮してファイルを送信。ゴミ箱へ。
でね、今うんこもれそうなんですよ。
そこで問いたい。お前らは、いつなんどき、どのようなうんこをするために生きているのかと。
毎日いろいろ食べるじゃん。で消化するじゃん。そのあとどんなうんこしたいの?
はてぶを眺めていて思うんですよ。毎日いろんな人がブクマしていい感じに良エントリが集まってる。
で、それを毎日何百ページか読むわけです。トイレで。iPhoneで。
それらを咀嚼して、俺も純度の高いエントリをかかなければって思ってブログの編集画面を呼び出すんだけどいい感じのテンションで書けない。もし書けたら、そしたら俺、いいうんこをしたことになると思うんですよね。
で、いつまでも閲覧してばっかで自分では何も書かないと、便秘になっちゃうよ!?どうしよう!!?コーラック200粒飲んでピンクの便を噴出しながら西へ飛べ!ああうんこもれそう。
ほら、映画とか好きじゃん俺。前評判の高い新作はたいてい公開一週間で見に行くし、Tsutaya discasで狩り放題プラン入ってるじゃない。いっぱい見てるわけ。そんでね、それらを咀嚼して、良質のうんこを出すべきだと思うわけ。俺も。
個人で映画作る予算とかないから、別のもの、たとえば文章だったりとか予算のかからなそうなうんこひねり出そうとかがんばってみてるわけ。象がどデカいうんこしてる動画みてたら、俺もうんこしなきゃいけない気になってくるっていうか。どこに出したらいいの。
音楽も結構聴くんだけど、それは初音ミクにうんこ出してもらったりしてるわけ。
ニコニコという名の便所に、俺の集めたうんこを凝縮して最後にミクの糞を乗っけてうpするわけ。
雌豚閣下とかニコニコアーティスト(笑)とか、結構いいうんこしてると思う。極太。ワールドイズマインとかTOTOもびっくりだね。
あとはなんだろうなー。あれだな。仕事(笑)とかも、他人のうんこの出し方研究して糧にする。
ああ、あいつはクラウチングスタイルなのかとか、そういうふうにうんこすればトイレも綺麗に保てるのねとか。あんまりアウトプット出せてないからもっときばっていく必要があるんだけども。
ライフハック(笑)とかn個の方法(笑)とかもうんこだと思うのよね。
「俺こういうふうにやってみたら大量に出たよ」とか。やり方共有すればみんなの役に立つじゃん。
きれいな公衆トイレマップ作ったりしてね。トレペの折り方とか共有したりしてね。
でなんの話だっけ。うんこ。
今まで俺はどんなうんこしてきたかなあって思うのよ。ちゃんと「今日のうんこメモ」、つけてる?
つけてないのよなー。たまにでかいの出るから、そんときは写メとって友達に見せたりするんだけど。
もうちょいアベレージっていうか平均値を上げてきたいし、コンスタントにでねえかと思う。
繊維足りてないのかな。乳酸菌とってるぅ?
で、なんだっけ。
映画の話か。ダークナイト二回見たよ。クリスチャンベール、デカイうんこ出しすぎじゃね?なんか老けてた。
老けてたといえば最近のスティーブジョブス、細くね?やばくね?うんこも細そうじゃね?Boom!
そりゃさ、一度の人生でmac,ipod,iphoneなんてでかいうんこ三つもしたら、腸も痛むわ。
でもまあ、この世に生を受けたならば、それなりのうんこ残すべきだと考えるわけ。
たまに恐竜のうんことか化石で発掘されるじゃん。それを目指したいよね。
ピラミッドとかも何千年も残るでっかい石のうんこだし、現代の中東ではドバイなんかもううんこまみれ。
いつ、どんなうんこすりゃいいのよ。
男は女みたいにでかい糞をして後世に残すことができないから、どういう糞するかが問題なわけですよ。
jkondoは京都にいい感じのうんこ残した。アメリカでもちょっと脱糞したみたいだけど、いったん流しちゃったみたい。
hankakueisuuでぐぐってでるブロガーもいい糞出してると思う。引きこもってても糞が世間に公開できる。いい時代だ。
ホリエモンとか結構溜め込みすぎて、「お前そんなに便秘なのずるくね?」とかいって脱糞させられてくさいメシ食ってたけど。
何の話だっけ。
ちょっとトイレいってくる。
ただいま。申し訳ないねなんだか。テンションあがっちゃって。
何の話だっけ?
うまくやる方法を考えてみた。
【目的】
社内でオープンソースのプロジェクトを行うことにより以下の4つの価値を生み出すことができる。
1.部門間におけるノウハウの共有
2.外部に公開した場合の宣伝効果
4.仕事そのものを作る効果
(4補足)
・新入社員の研修などが発生した場合に効果的に仕事を割り当てることができる。
・在宅勤務をせざる得ない状況における作業の割り当て。
【前提】
基本的に下記の事項を前提として考察を行う。
1.社内の人間であれば、誰でも参加できる。
2.途中で各人の任意のタイミングで抜けても、問題とならない。
3.社内の人間であれば、だれでもアクセス可能なWebサーバー上で情報を管理する。
ただし、必要に応じてアクセス制限をかけることができる。
インターネットに接続されている、Webサーバーは存在しているものとする。
4.各開発者は場所的、時間的に同じところにいないことを前提とする。
以上の前提より、下記の機能を有したWebサーバーの準備を行う。
1.構成管理機能
簡単にソースコードの取得、更新を行えるようにして、その履歴を残す。
2.Wiki
3.フォーラム
これにより、場所と時間にとらわれずに意見交換を行うことができる。
これにより、リリース時期の予測、作業の有無を効果的に確認できる。
5.テスト管理
これにより、リモート環境であってもリアルタイムにテストの進捗状況を確認できる。
案:TestLink
ReviewBoardの使用
http://blog.monospace.jp/2008/03/24/reviewboard_installation/
(※要調査)
7.フィードバックを受ける場
関係者のモチベーションを保つため、成果物に対して、フィードバックを受ける場を作成する。
案:社内のソーシャルブックマーク、アンケート機能
【効果的な手法】
その他、効果的な開発の進め方を考察する。
xUnitでテストコードを記述することにより以下の効果がある。
・修正後でも修正前と同じ動作するかどうかが、確認できる。
これにより、人の作成したコードでも修正を行いやすくなり、前提1、2の人の出入りに対応する。
自動ビルドを定期的に実行する。また、1のxUnitを使用して単体テストの失敗も監視する。
これにより、サーバー上にコンパイルが通らないソースコードや単体テストに失敗したコードの存在をチェックすることができる。
これは不特定の人間がかかわった場合に異常を検知するためである。
3.短期的なリリース
開発者のモチベーションを保つため、一定のめどがついた時点でα版という形でリリースを行う。
だめだまとまらん。
てか「議論ばかりで成果物が出ない!絶望した!」とか、「うp」「口だけ」と何が違うんだか。
凄い人ほどここに投下するまでもないと思うんだが。
問題は「Web上での安全性」を人質にとったように振舞っていることが受け入れられにくいのではないかとおもう。
リリース済みの段階で「教えてください。」「指摘してください。」、これがサービス公開前にソースを公開して指摘を受ける態度ならただの教えて君ではなく、成果物を自分で作って提示しての質問になる。
この人はリリース後にサービス公開しました!素人です!分かりません!たくさん作りました!連絡ください!お話しましょう!結局は簡単なチェックで穴が見つかって指摘される始末。
その程度の知識からはじめるなら他にも方法はいくらでもあるはず。サービスを持っています!という箔だけ欲しいとしか思っていないのでは?
はてな系サービスを使い始めてそこそこの時間が経ったので、イメージを書いてみる。
2ch界隈にしかいなかった頃は、2chはゴミためだと指摘されたり自分でも思ったりしつつも、そのぬるま湯が心地好く、余りよいことではないと思いつつもうろついていた。しかし今になって見てみると違う事に気付いた。2chにはクリエイティビティがある。またそこまでの能力が無い人でもテンプレ作成には協力したり、複雑化してきたらWiki化したりと、情報の再利用性を高める努力をする人が一定数居る。はてなと比べると何倍も生産的だ。ニコ動はクリエイティビティの塊+コメントだから触れなくてもいいだろう。それに対してはてダは、はてダが「口だけ」な件という記事があったがまさにその通りだ。
はてブも似たようなものだ。つかはてブってそれ自体が常にネットイナゴ状態で、上にも書いたように基本コメント一覧非表示でいいとおもう。
増田はもう救いようがない。ただでさえ2chと同じような痰壷なのに、改変するわ消去するわ。誰がタンを吐いたか分からないように出来てるだけでなく、その痰を吐いたこと自体を無かったことに出来るとか、完全に終わってる。呑み屋の戯れ言以下だ。
はてブなんかで、口を動かすより手を動かせ的なライフハックの記事に凄まじいブクマが付いてたりする割に、はてなコミュニティは本当に口しか動かしてない。理知的な割に評論しかしない人が多いからその空気に流されてしまうんだよな。こんなところにいたら自分も口しか動かさない人間になってしまう、いやなりかけていた、と思ったのでこれを書いてはてなから距離を置こうと思う。
この記事を自分の日記に書かずにここに書くのは私がヘタレだからだが、最低限、気付かれないように改変したり削除したりすることだけはしない。それが私なりの矜恃だ。
みんな、ちゃんと手を動かそうぜ。はてなだけで群れてたら本気で口だけになるぞ。気をつけろよ。じゃーな。
こと作曲家に絞ると「優秀」の判断基準はまるで違うものになるであろう。
みなが同じ事をやってそのなかで成果をあげるひとと、
誰もやっていないところで成果にたどり着くひとを同じ評価基準においてしまってはダメだ。
物理にしても、既に広く知られていることについて
「理解」がはやいひとと、喩え「理解」は遅くとも20年に一度の発見なりをできるひとは同じ評価をしてはならないはず。
自分の主張を曲げてしまうような人物はこの未踏の領域にはたどり着けない。
だから同じ方法を辿れない「企業経営」とか「ユーザーインターフェイス設計」などといった分野で自分を信じるひとがいたとしても不思議ではない。
もっといえばこのような人はその人物で優劣を判断されるのではなく成果物によって判断されるのだ。
人の優劣は個体そのもののパフォーマンスを評価する場合と、その個体が生み出した成果物により判断する二通りがある。つまりいるのは3種類の人間ではなく人物の評価は評価する側の人物に依存するものでしかない。
この人バカなんだろうか。
「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か - 過ぎ去ろうとしない過去
そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」
筆者がトリアージを理解してないせいで文中の人もトリアージを理解できてない。その誤った認識を前提にしているので結論も誤っているのは然りだが、その過程においても誤っている。
戦争がお好きなようなのでそのたとえでいえば、負けが確定しているにも関わらず、負けたら天皇が(あるいは国民、あるいは戦死者が)かわいそうだからという理由でだらだらと戦争を続けるようなものです。負けが決まった段階で降伏していれば戦死者はそこでゼロになりますし、手持ちの資源を復興や福祉にまわせたのに、なんとかしようと悪あがきした結果が神風特攻隊です。
快復の見込みがまったくない(例えば両手足が損壊し腹部を柱が貫通し出血を止めようがない、といったような)患者に投薬を続け医師をアサインしたところで、得られるものはその患者の満足だけですが、失うものは救える可能性があった患者の命です。
平時の大病院であれば見捨てるなど言語道断だとする意見にも一理ありますが、大災害時に平時の大病院と同等の対応をするべきだと主張するのは、気合を用いて竹槍でB29を落とせという指示と大差ありません。
では大災害時などの非常時にどうすればいいか、という考えのうちのひとつがトリアージです。全員を救うのは無理だ、なら可能な限り多くの人を救えるように手配すべきだ、という考えです。そのトリアージを「かわいそうだから」という理由で無責任に批判するのは、戦争に協力的でない人を「非国民」と罵るのとどう違いますかね。
あるいは、トリアージがダメなら他にどうすべきですかね。「かわいそう」と言って足を引っ張るだけならどんなバカにでもできます。
このトリアージという概念が戦争における技術的価値観から生じたものであり、トリアージはけしてその矛盾から逃れることは出来ないということは忘れてはなりません。
たとえば暗号学も戦争の必要によって爆発的に発展しましたが、今ではインターネットの基盤技術になっています。Amazonで買い物するたびにエニグマやそれ以前にまで思いを馳せるのは個人の自由ですが、現実にそんなことをするのは軍事オタクか暗号オタクが趣味的にやるくらいでしょう。
それを全体主義的に要請されても困ります。大多数のテクノロジーは再帰的にルーツをたどれますから、目覚まし時計で起こされたら、蛇口をひねって水を出したら、靴を履いたら、ドアを開けそれが自動的に閉まったら、施錠したら、その都度原始時代まで意識を飛ばすことになります。朝っぱらからウホウホするのはモンハンの中だけにしてください。
そういえばインターネット自体が軍事研究の成果物ですが、そんな血塗られた技術を使って四方山話をする気分はどうですか?
「かわいそう」の一言は、その全体主義にたいする、プリミティブな異議申し立てに他なりません。
単なる感傷に過ぎません。また、感情で動く人や集団とは話はできません。
「かわいそうだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」「だから助けるのが無理だっつってんだろ」「でも助けろ」「……それによって救える患者が救えなくなるがいいのか」「ダメだ」「じゃあどうすればいいんだ」「助けろ」
一点だけ、「助けるのが無理」という判断が間違っているかもしれないというリスクについて触れておきますと、何せ非常時ですから大地震が起きた現場でCTを撮るなどの悠長な検査はしていられません。必然的に誤診の確率は平時よりも高くなります。それによって、助かる可能性のある人が、助かる見込みがないと判断されて治療が受けられないことも起こり得ます。
しかしこの問題も戦略的にしか判断できません。八方丸く収めるのは無理です。(近視的に見て)より人道的な考えは、誤診の確率を減らすことです。すなわち、検診により時間を掛けることです。それによって、検診待ちのあいだに間に合わなくなる人が出てくるので助かる人数は減りますが、「かわいそう」といちゃもんつけられるリスクも低減します。これを押し進めて、トリアージをやめて全員に平等に治療を施せば、助かる人数は1桁2桁下がりますが、「かわいそう」と言われるリスクも最低にできます。
周りを見ると、どう見ても軽症の人は包帯だけ手渡されて、自分で頭に巻いています。どう見ても助からなさそうな人の周りで知人とおぼしき人が泣いていますが、そこに医師の姿は見当たりません。医師はいかにも仮設といった手術室で、両足を複雑骨折した人の執刀にあたっています。他の医師は注射器を渡して使用法を説明していましたが、それが終わると駆け足で他の負傷者のところへ行ってしまいました。
さて、この見捨てられた人が自分の友人や配偶者であった場合、誰でも抗議するかと思います。いかにトリアージを支持し、その効果を認めていたとしてもです。自分が医師であったなら、仕事をほっぽり出して友人なり配偶者なりの治療にあたるかもしれません。あるいは自分が重傷者なら、せめてちゃんと診断してくれ、痛み止めをくれ、などと思うかもしれません(意識があれば)。
これらはすべて、限られた薬、限られた医師を自分によこせという感情的な主張です。これがまかり通るような医療現場は果たしてあるべき姿、正しい姿でしょうか。いかに訴えられても、それによって助かる人が助からなくなるのであれば、現場の指揮者や担当者は訴えを退けるしかありません。実際の被害者が言うならまだしも、門外漢が「かわいそうだ」と現場の人間を責めるのは、いったいどういう了見なのか、ぜひとも聞かせていただきたいものです。
成果物を再利用したい気持ちは技術屋としてよくわかる。
俺が再利用するとして気を付けるだろう蓄膿症的チェックポイント。
とはいえ、どんなに面倒でもスクラッチから書いたほうがいいかもよ。元増田が開発したんだろ。「もう一度やるならこんな方法でやりたい」とかあるんじゃない?
個人ブログって評価できる物(事・人)が前提にないと流行らないと思うのですよ。
アクセス数の少ない日記ブログなんかはローカルで管理したほうが精神的に楽。建前だけの日記はmixiに書くべき。
技術メモ系ブログは自分の低能っぷりをアピールしてるだけ。こちらから情報を提供するだけで、情報共有には成り得ない。
だからメモなんだろうけど、こう悟ってしまうと初歩的な技術情報が書きづらい。Googleノートブックで充分。
愚痴やら恋愛やら泣き言は増田のが適しているかなと。IDを晒してのコメントは所詮建前。
そんなわけで、ブログってのは成果物の情報拡散目的でしか威力を発揮しないんで(今更だけど元々の利用目的はそんなだし)、成果物のないブログに価値はないなと。
価値のないブログを公開し続けるってのは、結局は自己満足なんだよね。で、いつの間にかブログを更新することが目的化しちゃってる。
そ、そ、仕事用のソースは芸術性なんてなくていいから可読性あげてくれっていう話。
酷いが極まって感動に似た感情を抱いたことはあるよ。
理解に苦しむからな。多分感動の度合いでいうと酷いほうが自分は感動する。
ソースを見ながらしばらく心奪われるよ!
もちろんね、綺麗でずばっと切れるロジックとかをみると感動することもあるよ。
感動とおりこして畏敬の念を抱くこともままある。
でもさ、それが芸術かっていうと違うんじゃね?
あるいみ技巧が駆使された形式美のコードも芸術にはなりうるけど、
コードはコードを見せることによって表現するものじゃないからな。
油絵とかでフェルメールが絵の具に貝殻混ぜたとしてもその過程を芸術とはいわないだろ。
コードはあくまで表現の過程でのただの手段じゃん。
もちろんね、ソースコンテストみたいに、ソースを見せ合うことが最終目的になっている場合、
そりゃ優秀な絵の具職人はその成果物(絵の具)が芸術にまで列せられていいかもしれないが、
普通の芸術家だったら、あくまで描きあげた物で勝負するんじゃないかな。
ま、いいものをつくるためにはディテイルにこだわらなきゃならんので、こだわるのもわかるんだけどね。
オレはソースそのものが知と実用性の混じり合った一つの芸術だと考える方なので、残念ながら自分の愛せない言語・・・特にPHPでは絶対やりたくない。
これをひらたくいっちゃうと、PHPに芸術性を感じないってことだとおもうんだけど、
で、水彩絵の具に芸術性を求めるのかよ・・・と思ったわけ。
オンザエッジに居たという消せない烙印には同情するよ。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50981635.html
善意に解釈すれば、その烙印に抗いたいばかりに「居た会社とその会社のやったことは切り分けろ」という無意識の叫びが目を曇らせて「成果物とその用法は切り分けろ」と言ってるんだろう。
包丁を殺人に使ったら、悪いのは殺人者であって包丁ではないって言うたとえもあるからな。だけど、非合法なピストルで殺人が行われたら、ピストルを売った奴も悪いのさ。
ぐじゃぐじゃもめてるが、結局「ならぬことはならぬのです」という言葉が蔑ろにされている風潮が露骨にでているだけなんだよな。品行方正より舌先三寸を重んじる奴ばかりだからな。
空気読学を作りたい。
人間関係を円滑にすすめるためのコミュニケーションの基礎として
学習&教育を行えば昨今のヒキコモリ、ニートやいじめなどの諸問題を
解決できるではないかと思う。
空気は千差万別で一定ではないがマイルストーンとして最初の成果物は
日常生活で使用でする範囲の「空気読辞書-日常-」を作成する。
困難を極めることが予想されるので優秀な空気読学者の登場が待たれる。
空気を読むと言う行為は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚に続く第六感である
この空気を読むという感覚を生物学、倫理学、医学や言語学などのさまざまな分野から
研究を行う国家級の研究所を設立する。また、空気読辞書の作成機関でもある。
小学生から空気を読むことにふれさせ、人格形成の基礎に役立てる。
難解だが愉快なスパゲッティコード
こないだこんなのがあったんだぜ?
というような話題話しにはできても、愉快だったためしは一度もない。
助けてくれ!というどう考えても死亡フラグのヘルプに駆けつけたことがある。
某メーカー子会社だ。コードスタイルを見るに多分以前はコボルとかをやっていた連中だと思う。
コードを見てこれほど唖然としたことはない。
言語は…なんだったかな…時代的にaspだったような気がする。
コードを見て泣いた。functionのひとつもありはしない。
一晩の徹夜の後、3000行あったコードは300行になっていた。
難読すぎてスパゲッティーを解いた結果がこれだ。
何か機能を盛り込み忘れたのではないのかと目をゴシゴシした。
10人ぐらいをつっこんで数十の主要なコードを直した。
目をごしごしして2日間の貫徹だ。
成果物はなぜかボリュームが減っていた。
普段だったら絶対に許されない修正方法だが、
緊急に緊急を要したためコードを見てからの説得はかなり強引だった。
ただのスパゲティは修正するのがムリだと判断したからだ。
このプロジェクトを進行した連中の無駄な努力をただ恨みながら。
自分のところのメンバーであんなコードを生み出されちゃ適わない。
他の協力会社にもずいぶん口うるさくいうようになった。
君が苦労して実装しているところは既に**が**で実装している。
こういうだけで相当数工数が稼げた。
部品にしておけばみんながそれを利用できるからだ。
1人で組み上げるならいくらトリッキーでも構わない。
2人以上でやるならルールを作れ。
話しはそれからだ。
ああ、やっと言いたいことはわかった。
しかしそういう問いの有効性もあるんだよ。
「なぜ働かなければいけない?」の解が「食うために仕方なく」。
もっと上位の理由を先行させたほうがレバレッジが高くなるってことさ。
「食うために仕方なく」レベルの意識で仕事してたら、その成果物は最低限のレベルにしかならんだろ。
「食うために仕方なく」を理由に働いてるような万年フリーターや万年平社員じゃ、
いつまでも「食うために仕方なく」を理由に働かなきゃならんだろうが、
もっとましな目的意識で働いてたら、「食うために仕方なく働く」を脱出するに足る資産形成が、
それなりのスピードで出来たりするんだよ。(100%できるわけじゃないけど)