こと作曲家に絞ると「優秀」の判断基準はまるで違うものになるであろう。
みなが同じ事をやってそのなかで成果をあげるひとと、
誰もやっていないところで成果にたどり着くひとを同じ評価基準においてしまってはダメだ。
物理にしても、既に広く知られていることについて
「理解」がはやいひとと、喩え「理解」は遅くとも20年に一度の発見なりをできるひとは同じ評価をしてはならないはず。
自分の主張を曲げてしまうような人物はこの未踏の領域にはたどり着けない。
だから同じ方法を辿れない「企業経営」とか「ユーザーインターフェイス設計」などといった分野で自分を信じるひとがいたとしても不思議ではない。
もっといえばこのような人はその人物で優劣を判断されるのではなく成果物によって判断されるのだ。
人の優劣は個体そのもののパフォーマンスを評価する場合と、その個体が生み出した成果物により判断する二通りがある。つまりいるのは3種類の人間ではなく人物の評価は評価する側の人物に依存するものでしかない。
世の中には以下のような3種類の人間が存在する。 [1] すごく優秀な人 [2] それほど優秀ではないが優秀な人のことを理解できる人 [3] 優秀な人を理解できない人 音楽の場合、 [1] す...
例えば音楽でも演奏家と作曲家はまるで違う。 こと作曲家に絞ると「優秀」の判断基準はまるで違うものになるであろう。 みなが同じ事をやってそのなかで成果をあげるひとと、 誰も...
「優れた成果を出す人」みたいなのもまとめて「優秀な人」と表現してる。 駄目な人は優れた人や物を理解できないのに、一見その違いが見えにくい分野において勘違いするヤツが多い...