はてなキーワード: 成果物とは
炭鉱夫が仕事を失ったのは、効率的な掘削が実現できたからではない。
今だってそう、仕事を失ったのは生産性が向上したからじゃない、市場が冷え込んだから
その上で、昔だったら生活できた人も、いまは生活するのが難しい。
でも山谷なんかでは、昔ながらの低いレベルの生活を維持できている人がいるよ。
それは、そこがそう言う街だからだ。
そういう生活レベルが許容されているんだ。(是非の話はしない)
私が小さい頃は、子供は継ぎ接ぎの服を着ていて普通だったし、長屋暮らしの家庭も多かった。
次男は長男のお下がりをもらうのが当たり前だったし、ファミリーレストランは「贅沢」だった。
そのころの暮らしと同じ事をするなら、いまの物価でも、生活できる人は大勢居ると思うが?
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1260261764/627
627 :日出づる処の名無し:2009/12/19(土) 22:21:41 ID:83qBHCGB
918 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2009/12/19(土) 11:50:52 ID:UqSw3naQ
「それでこれからも飯が食えるのか?」
「誰得?どう得?いつ頃から得?そのために最小限やんなきゃなんないのは何?」
おかげで何とかここまで来た。
だから対自民攻撃点はただ1つ。
「これからどうしたいか見えない」
そりゃそうだ。リアリストには夢を語る必要も暇もないからな。
魚屋に来て「夢ください」
政治にはこれからも「安全に安心して生きるためには何が最適の方策か」
を考えてもらいたいもんだ。
「日本人が」だ。
そのためのツールとして「夢」語るのはご愛敬だが。
その苦心惨澹の成果物をたった3ヶ月で小突きまわしやがって。
将来、結婚して子どもが産まれて、定年退職して、その後病気かなにかで死ぬんだったら、ひとつ希望がある。
現代のモラル、日本の国民性など様々な観点から考えても、とてもじゃないが万人に受け入れられる物ではないと思うし、親類縁者にも理解されないかもしれない。
自分が死んだら、自分の遺体を解剖実習に使って欲しい。そして家族に見学してもらいたい。
若い医師の勉強になることは、社会の為になることであるのは勿論。
自分の肉体は、自分が生まれてから死ぬまでの成果物、そのものだ。隅々まで見て欲しい。
「スポーツしていたからここの筋肉が発達していたんだね」とか「お酒が好きだったから内蔵がこうなってるんだね」とか「これは○○の時の手術跡だ」とか。
最後の最後で全てを見て、記憶して欲しい。
酷かもしれないが大事な人には見て欲しい。
…人には言ってないが、理解してもらえないかな…
派遣先から切られて、次が決まるまでしばらく暇になりそうなので、見知らぬ人(学者)にアポとってインタビューをしたいとぼんやり考えている。
自分には些細な積年の疑問があるのでそれを晴らしたく思うのだが、一般的にいって引退した学者というものは昔話を見ず知らずの人間にするものだろうか?
疑問はある歴史的な事情をめぐるもので、そろそろ関係者が死にはじめるのでこの2年くらいが最後のチャンスだろう。cinii で調べたある学会誌の記事の日付は1960年代前半。
一応辿れそうな伝手はある。礼儀として著書を何冊か買って目を通し、バックグラウンドを調べ、そして質問を一番答えやすい形にして提示する。そして、質問以外に話が及んだとして、その言葉も極力拾う。
そこまではいいんだ。
私は社会人になって最初の9ヶ月間ジャーナリスト見習いだったけれど、もう十数年それとは無縁の仕事をしており、いまは一介の派遣社員で、胸を張って出せる名刺も何もない。あるのは積年の疑問と、その疑問が形をとるに至った自分なりのストーリーだけだ。
私はそれを聞いてどうしようというのだろう?ウェブでアクセス稼ぎが目的?どこかに記事を売り込む?
独占したくないから知ったことは公開したい、金も目当てではない(そもそも金になるような内容ではない)、ただ売名といわれると否定しがたい。
困った。
たとえばそういうアーティクルを増田に投稿するってのはありなんだろうか。駄目な気がする。インタビューを受けた人に失礼にあたるような気がする。
結局、書いた記事をしばらく寝かせておいて、内容にふさわしい場に公開を打診するのがいい気がする。少なくとも個人ブログで公開して twitter でつぶやくなど愚の骨頂と思える。
追記:うん、正直がいちばんな気がしてきた。「これは個人的関心で調べていることで、なんらかの形で公表したいと思っていますが、いまのところ売名行為にならないような適切な公表方法が思い当たりませんし、そもそも公表に足るだけのはっきりした結論が出るとも限らないのですが」と断ってアポとってみよう。
トラバがいきなり3件もついててびっくりした。まずはありがとう。
松岡動画は好き。見てるとやる気が出てくる。でも翌日には忘れる。
自分にとってその方法の1つが「研究室に行くこと」だと思ってる。研究室に行けばとりあえず研究やらざるを得ないから。成果は上がらないけど。だから研究室行くのがつらいっていうダメループに陥ってる。
予測能力も足りてないと思うけれど、それ以上に行動力が足りてないと思う。卒業できない未来に怯えているくせに手が止まっているというのが現状。
教員のところに行って指導を仰ぐのが一番だと思うんだけど、行くのが怖い。とにかく忙しい人達なので自分のために時間割いて下さいとか怖ろしくて言えない。最低限成果物という名の手土産がないと行けない。実験開始遅れてるし指導教員は自分に興味なさそうだし卒研テーマ決めた教員は別の研究室だから尚更行き辛いし全員捕まりにくいしそもそも捕まえるためのアクション起こすのが怖くてもう嫌。どうしよう。「どうしようじゃねぇよやれよ」わかってる。口だけの「わかってる」はわかっているうちに入らないって言うよね。自分でもそう思う。わかった上で行動を起こすためにはどうしたらいいんだろう。やっぱり追い込むしかないのか。物理的に。
Eric Raymondのオープンソースのソフトウェア開発に関する有名な論文「伽藍とバザール」があるが,ソフトウェアってのは別にコンピュータプログラムに限らないわけで,例えば小説もソフトウェアだ.小説なんかは普通は一人の作家の創造性に大部分依存しているところがある.つまり,上記論文でいうところの「伽藍方式」で制作されている.
一方でLinuxに代表される,大人数で寄ってたかって制作するタイプの「バザール方式」では,意外なほど高品質なソフトウェアができるという経験則がある.これを小説にも応用できないか.
上記論文の解説にもこうある.
伽藍方式は村上龍が自分で村上龍の長編を書く方式、バザール方式は読書参加で村上龍の長編を書く方式。有象無象を集めて村上龍の小説を書かせた方が、村上龍一人が書くよりも優れた小説が書けると村上龍に言うようなものがこの論文。
では実際に優れた小説は書けるのか.バザール方式で書かれた小説はあるか.
もともと,出版の世界では作家の出してきた文章を編集者がチェックするというある種のコラボレーションの結果として成果物の品質が洗練されるところが大きかった.インターネットが出てきた結果,文章を公開するのはとにかく簡単になったが文章を真面目にチェックしてくれる第三者の欠如による品質の劣化は避けられない.
多人数で文章をつくりあげていく例はWikipediaをはじめとして色々あるような気はする(Wikipediaの記事が高品質かどうかは別として・・・).それを小説でやったというサイトやプロジェクトを知っていたら教えていただけないだろうか.
二次創作系の同人作品とかを見ていると,ネタさえあれば人は寄ってきそうではある.こういうのはSSを集積するサイトはあっても設定からして俺設定満載だったりでとにかく統一されていないので一つの作品にはならない.
少なくとも世界観の構築にはバザール方式は向きそうだ.第一に設定は多ければ多いほど良く,皆の思い付きを集積することによって世界観はより深化される.また,大勢が参加することにより設定の矛盾は即座にチェックされ修正される.
信用ってのは、要するに社会があなたのアウトプットをどのくらい「当てにできるか」ってこと。
アウトプットの形は業種や役割によって千差万別だ。接客業なら毎日時間通り、シフト通りにその場にいるってことが重要だろう。チームワークならミーティングに確実にいること、コミュニケーションが継続的にとれること、なんてのが重要かもしれない。一方、個人作業で成果物のみが問題になる業務なら、普段何してたっていいから締切りまでに十分なクオリティのものを出せばいいってことになる。
社会の厳しさっていうのは、何であれ「社会があなたに期待しているアウトプット」を出しつづけることが求められてるってこと。あなたならこういうことが出来るはずだ、という目論見をもとにあなたに仕事が振られるわけだから。
あなたが、成果物のみが問題になる職業に進もうというなら、毎日きちんと定時に学校や職場に行く必要はない。そのかわり、求められた成果は必ず出しつづけないとだめだ。締切りに遅れてもだめだし、クオリティがプロとしての基準に達していないのもだめ。どんなに調子が悪くても、どんなに気分が乗らなくても、スランプに陥ってても、言い訳はできない。満足いくものが出せなければ、切られる=もう仕事が来なくなる、というだけ。
小説家、漫画家、俳優、スポーツ選手など、成果のみが問題になるような職業についていても、結果的に毎日きちんとしたスケジュールをこなしている人もたくさんいる(そうでない人もいるけど)。ある小説家は、書けても書けなくても、毎日何時から何時まではタイプライターの前に座る、と決めている。彼らは「毎日きちんとしているから」信用を得ているのじゃない。「確実に求められたアウトプットを出す」方法を模索した結果、「毎日きちんとスケジュールをこなす」ことが必要だという結論に達したわけだ。
「確実にアウトプットを出す」ためになら、どんなことでもする。その覚悟があるなら、好きなように生きていたって構わない。でもいざ、何でもしなくちゃならないって時になってしり込みしたら、「甘い」って言われることになる。それだけだ。
言いたいことはわかる。
自分はweb関係ではないので、そちら方面の常識には疎いのだが、(でもPGとかやってた)
いろいろ聞いてみたいのでコメントしてみる。
・1~10まで指示を出さないとやってくれない
指示出せばやってくれるならいいじゃん。扱いやすくて。
時間帯限定で契約しているのでなければ、即時性は捨ててもらったほうがいい。
昼間は別の仕事、夜は増田の仕事とかやってるかもしれないからだ。
そりゃそーだ!
・制作物に対する指摘をすると不機嫌になる
納得できる指摘なら不機嫌になられちゃ困るが、ピンきりだからなぁ。
たまにいいがかりとしか思えなかったり、実現不可能なレベルの話をする人とかいるし。
仕様として要求したことで問題があれば、不機嫌になられても言うしかない。
・契約外のことはどんな小さな事でもやらない(やるなら追加料金)
契約外だからやらないんであって、なにがなんでもやらないんじゃないんでしょ?
向こうから見たら「お金も払わないのに違うことをやらせようとしている」だよ。
・1の指示を10まで膨らませて提案する
相手にとって必要なことならいいけど、それ以外なら無駄になるよね。
値切られるのは見積もりの段階でだよね? 注文書もらった後で、仕様そのままで
検収金額下げられるとかだと下請法にひっかからないか?
相場より取れないのは成果物のレベルが低いから? 簡単な仕事だから?
罵倒するのは相手がおかしいからです。客は選ぼう。
・契約以上の事をしても評価されない
そりゃーそうだよ! 何のための契約なの!
お手伝いをたくさんしたからほめられた! レベルじゃないんだよ!
たとえば、この仕様を実現するのにAとBとCがいります、って言ってたところに、
良かれと思ってDをくっつけて、もしDで問題が起きたらどうなるの?
情報流出とか、ウィルス感染とか、そんなことになったとしたら?
相手にとっては「やった、タダでやってもらった! ラッキー」レベルです。
それでもまだやりますか?
意味がわからんね。
誰もトリッキーなコードやコードゴルフが絶対悪い滅すべきなんて言ってないし、
「遊び」や「芸」としてはそれなりにやられてるのを知らないのか。
そういうので競うためのサイトがあったり、
わざと難解に書いたコードでネタプレゼンやって賞賛されてたりするのに。
本当にそういう価値観に憧れてるんならそのくらい調べてきなよ。
てか、「可読性が高いコード」が賞賛されるのは「成果物としての」コードに関しての話だろ。
「プログラムを書くこと」ではなくて「プログラムを書いて何かを作り出すこと」を目的とした場合の価値基準だろ。
それに異を唱えたら「アホか現場の苦労を知れ」って言われるのは当然で、
それに対して「現場のことなんか一切興味がない」って返しは筋違いだろ。
あとね、「可読性の高いコード」を「愚直」とか言うのって、
「写実的な絵画など面白くもなんともない、ピカソを見ろ!あれこそが芸術だ!」って言ってるような感じがする。
ピカソ絵すげー上手いし写実的な絵も書けてこそのあの絵なんだけどなぁ、それで芸術語っちゃうんだ、みたいな。
最後に言っておくけど「トリッキーなコード」と「スパゲティーコード」は別物な。
「何故君たちは街中にゴミを撒くのを止めてしまったんだ!ゴミに復権を!」
「なにをふざけたことを言ってるんだ。誰が掃除してると思ってんだよ。」
「いや、僕が言ってるのは街を美しく飾る、利用価値のある、素敵なゴミの話であってですね…」
「それはゴミじゃねーだろ。」
会話や質問に主語がない(★★)
最初は「誰から、何の件で、何が、どうなってるって?」と聞いてあげる。
そんでぶーたれてもほっとけばよろしい。
質問を複数の人間に聞いている(★★★)
質問を聞いてから、他の人にも聞いている(★★★★★)
質問を聞く人を1人にしぼる。
全部についてしぼるのが難しければ、Xの件は増田、Yの件はA、みたいにしておく。
たとえば、Yの件で増田に質問したら、「おーい、A! Yの件で質問だって!」と振る。増田は回答しない。
会話や電話に横から入ってくる(★★)
あー、これは本当に間違ってる場合もなきにしもだから、なんともいえないけど、
無視したらだめなの?
仕事のけじめがない(★★)
毎日朝にスケジュールの確認をして、定時までにこの成果物を出せって言えばいいんじゃないの?
「定時後は質問は受け付けません」でよさそうだけど。
自らを武装するため、創作という分野に足を踏み入れる人間が増加している。
以下にそういった人間の創作の原動力となる二つのゴミのような欲求を挙げる。
■承認欲求
「俺を見ろ!認めろ!敬え!存在を肯定しろ!」
創作活動は芸術であり、クリックゲーなどと違い人間的に高度で柔軟な思考を要求される極めて発展的な仕事である。
多少の反論を喰らっても、美術史という社会的多数派も認める歴史あるツールを用いての理論武装が可能。
また、より構ってもらうための強化パーツとして、多大な労苦と時間を費やして制作の腕を上げる行為が挙げられる。
これにより従来よりも多くの人間の好意、羨望、尊敬、ブクマ、嫉妬を集め、普段の社会生活では味わえない高揚感、承認感の獲得が可能になるなど、
高レベルになることやレアアイテムの所持によってギルド内での発言力が増すネトゲと共通点は多い。
しかし、そうして出力された成果物がこれといって何ら社会的に価値を持たないものであることもネトゲと共通する。
■自分語り
「お前等は何もわかってない。俺が○○制作という物事の最適解を示す。聞け。異論は受け付けない。」
既存のコンテンツにおよそ満足出来ず、○○とはこうあるべきだという脳内俺設定を膨大な時間を費やして外部にぶちまける行為。
多くの場合、それは毒にも薬にもならない有象無象として消費される。後に「黒歴史」という脳内記憶フォルダにブチ込まれ、
あの時バイトや資格勉強をしておくんだった……と痛恨極まる後悔、無力感に苛まれる。
大脳は物を作る際に生まれる脳内麻薬の味をはっきりと覚えており、
忘れた頃にまた新しく何かを語りたくなる悲劇に見舞われる。
http://anond.hatelabo.jp/20090403015444
複数の人間が協力してクリエイティビティを発揮して何かを完成させるということについて、彼ら二人はあまりよく理解していないようだ。
仮に優れたアイディアと優れた技術があってもそれだけでは何も生まれない、必ず二つの視点が必要である。
画期的なエンジンをもった新しい車であっても、タイヤは必ず必要である。たとえそれが凡庸なタイヤだとしても。
アイディアを実現可能な要素に分解し、また構成し直す、設計図、青写真を作る必要がある。技術とアイディアの間の大きな溝を埋める作業である。
このプロセスにおいて、アイディアは常に、技術的な裏付けがあり実現可能であるかを問いただされ、技術はプロダクト全体としての目的を達成するものかが問いただされる。
設計図、青写真を、やるべきことに分割し、時間と人間に割り当てる作業である。
しかるべき能力を持つ人間を連れてくる。道具、空間を用意する。
各人の個性を理解し、人が心地よく協力し合う空気作りをする、進捗を見張り時にはムチを振るう、といった事も含まれる場合がある。
はっきりいって優れたアイディアも、優れた技術も、優れたプロダクトマネジメントとプロジェクトマネジメントの前においては従属要素である。
もし、君たち二人のどちらもこれら2つのマネジメントの能力に目覚めないか、兼任するだけの余裕がないのであれば、それが出来る人間を連れてくるしか、事態を解決する方法はない。あるいは、兼任できる規模のものを目指すべきであろう。
やっかいなのは、これら2つともに教科書どおりにいくものでもないので、これまで結果を出したことがあるかどうかでしか能力の評価が出来ないところだ。
あえて言うとさらに3つめがある。