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2006-11-08

 

生徒A「どうして答えだけじゃダメなの?」

教師「先生は過程が見たいのだよ」

生徒A「だってさ、どうする?」

生徒C「あたし過程はあってたけど答え間違ってたから部分点なかったけど」

生徒A「うーん。総合すると、答えがあっててかつ答案用紙てきとうに埋めときゃいいわけね」

生徒C「なんだ、結局答えがすべてなんじゃん。馬鹿らし」

生徒A「そりゃそうでしょ。マニュアル主義的には妥当態度だし」

生徒C「納得いかねー」

生徒A「だから、採点マニュアルにそう書いてあるんだよたぶん。答えがあってても他が空欄なら×とせよ、みたいな」

生徒C「あー納得」

生徒B「あ、そうか、現実忘れてアカデミックな方向に引きずられるからわけわかんなくなるだけか」

生徒A「そうそ。あたしたちにとっては点数がすべて。教師にとっては理由あるいは言い訳がすべて。理念なんてどうでもいいわけ

生徒C「なら攻略法もあるわ」

生徒B「国語なんか思いっきりそうだけど数学も例外じゃないのか。あーあ」

生徒A「学校教育する場所じゃなくて、教育したっていう既成事実をつくるための場所なのよ。勉強したいなら一人でしなさいってこと」

生徒C「そこまで極端なのはちょっと」

生徒B「でもこの学校のあの教師について考えたとき、その言い分は正しいと思うな。あたしたちがおかれてる状況を充分説明できてる」

生徒C「p⇒q? 日本語でいうと、えっと」

生徒A「あの教師にしてこの教育あり?」

生徒B「んーでも集合論的におかしくない? 教師は教育の部分集合でしょ?」

生徒A「教育現場ボトムアップでもないしね。たしかに因果律が不自然だ」

生徒C「じゃあ、こんな状況になった十分条件なんて定義できる? あの教師ってのは必要条件てことになるけど」

生徒B「うーん、マニュアル主義の功罪ってやつ?」

生徒A「あたしわかるよ」

生徒C「なに?」

生徒A「過程なんて毎回考えるの面倒だから、結果だけコピペしちゃおうって姿勢の帰結」

生徒B「なるほどねー。必要外のことに注力できるのは熱意あるアマチュアだけだし」

生徒A「職業教師になに幻想抱いてんだってこと」

生徒C「じゃあ国語数学以外もそうだね。教師が点を与えてもきちんと言い逃れできるだけの回答をすればいいわけだ」

生徒A「これ定理だね。正しいだけじゃほしいままにならない」

生徒B「対偶取ると、ほしいままにしたいなら正しさ以外にも目を向けよ、か」

生徒C「この場合、ほしいままってのは良い成績取ることだから、綺麗事に目を背けず、やるべきことをやらないと」

生徒A「てことで、この正答だけが書いてある答案に点数つけるにはどうすればいい?」

生徒B「論破すれば?」

生徒C「さっきの定理によれば、それ以外にも、たとえば教師の逃げ道が必要だよ」

生徒A「じゃあこうしよう。『この問題文には答えよとあるだけで、証明せよ、求めよ、といった過程に対する言及が見られない。にもかかわらず後になって過程も見せよとはどういうことか。これは問題文の不備か教師の恣意的な受け答えに過ぎない』ここまでが論破部分ね。んで『なのでいま私にこの問題を実際に解かせ、その過程を見ていてもらいたい。その上できちんと採点していただきたい』」

生徒B「それをあの教師にもわかる口調にしたら終わりだね」

生徒C「しっかし、ここまでしなきゃならんもんかね」

生徒A「仕方ないでしょ。あいつだって、答えコピペして成り上がってきたようなやつだし」

生徒C「まーね。それにしても過程の重要性を知らない人間はほんと疲れるわ」

生徒B「そりゃコピペは頭使わないから馬鹿でもできるし、それこそがコピペの有用性じゃない」

生徒A「ま、愚痴はこのくらいで。さっさと教育しにいこ」

 
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