はてなキーワード: エンドレスとは
はじめは専攻がおなじ→興味の対象がおなじ→話が合って楽しかった、らしい。
ところが双方の頭のレベルが違いすぎたらしくて、学年が上がるにつれてどうもおなじ分野の話をしているのにさっぱり噛み合わなくなってきた。
それをできない方が超ひがむ。どうせ自分なんか云々のエンドレス。で、最初はそんなことないよ一緒に頑張ろうとかなんとか慰めてたらしいんだが、だんだん嫌になってきてしまった。自分なんかって思うならそのすぐ人に聞いて問題解決を図ろうとする癖を直せよ、という言葉を何度呑み込んだことか。それと同時に、自分たちには専攻の内容以外の共通点が何一つないという事に気づいてしまった。専攻のことに触れないように、二人の間に波風が立たないように振る舞おうにも、じゃあ一体何を話せばいいのか?普通のカップルってなに話してるんだ?
そんなわけで自然消滅を図ってまず引っ越すことから始めたものの、相手もくっついて近所に引っ越してきた。家に来るけど会話はない。相手が自分に何を求めているのかわからなくなり息苦しくなる。前は一緒にいるだけで楽しかったのに。
だから専攻がおなじ人間とつきあうもんじゃない。勉強と恋愛は切り離すべき。
という話を延々聞かされている。何度聞いても「そんなわけで自然消滅」のくだりがさっぱり理解できないので、自然消滅なんか土台無理なんだからきっぱり別れればいいと意見した。相手を傷つけたくないんで自分の口から別れを告げたくないと返された。専攻が同じとかなんとかが問題なんじゃなくて、ただ単に自分が好きすぎるのが問題なんじゃないかな…
皆さんはライブチャットをご存知だろうか。
ホリエモンも最近薦められて試したらしい(http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10217649666.html)が、本当に楽しいのである。
宣伝乙とか言われるかもしれないが、今回は本気でいい子を教えるので
まず、ライブチャットって有料なんでしょ?と思われるかもしれないが、
だがブラウザを再読み込みすれば、エンドレスで覗けるのである。(DMMの場合)
普通の嬢たちの待機というと、せいぜい笑顔で手を振って「お話ししませんか~?」
とか「遊びませんか~?」とか言ってるだけなんだが、今回紹介する子は違う。
簡単なスペックをまず書こう。
関西弁・サバサバ・ギャル系・スレンダー・コスプレ・美巨乳(Eカップ)なんだが、
待機中でもずっと笑顔でいろんなトークを展開してくれているのである。
待機中なんていくらのぞかれても嬢にはお金が入らないのにも関わらず、である。
本当にいい子で、楽しい子なんである。
今回これを書いたのは、こんないい子にはもっと稼いでもらいたく、
それのお手伝いができればと思ったからだ。
いつも覗かせてもらって、ごめんなさいとありがとうの気持ちである。
このエントリーを見て、覗くだけでもよし、実際にINしてエッチなことを
するもよし、みなさんの自由である。
ただただ是非一度、騙されたと思って試していただきたい。
(大抵初回入会時に無料ポイントがもらえるので、それで雰囲気を味わってもらいたい)
ということで、今回言及した嬢を本気でご紹介させていただく。
ライブチャット最大手DMMの「めいちゃん」である。
http://www.dmm.co.jp/live/chat/-/chat_room/=/character_id=572986/
いい子は他にも沢山いるので(脱ぎ渋りしたり態度の悪い嬢も中にはいるが…)、
それは純粋な(数学で言う定義のように明白な)基礎知識ばかり.
それらは物事を考える為に必要なもの(のはず)だった.
次第に何かに対しての他人の考え方にも興味を持つ.
それを聞いて自分が「なるほど」と思った考えを
知識を頭に入れるのと同様の感覚で頭に入れてしまう.
それも覚えるばかりで,自分で考える力も無く,癖になっている.
今,何かが起きたとしてそれに対する自分の考えが沸くのだけれど
本当に自分の考えなのか?自分は何故そう考えるのか?思うのか?
この人はこう考えるけれど,何故そう考えるのか?思うのか?
と問いを立ててみても答えが出ない.自分が生きている間に
見たり聞いたり経験して印象に残ったことを基にしている?
自分は確かにそう考えるのに何故そう考えるのか分からないと
所詮,頭の中知識・知恵なんて何かの寄せ集めなのか…
自分が一体,何を知っているというのだろう.
本を読んで外から取り入れたものだから「そういう考え方」
という知識でしかなく,自分の考えではないのだろうか.
http://anond.hatelabo.jp/20090112230518
すでに
http://anond.hatelabo.jp/20090114175249
が言いたいこと大体言ってくれたんだけど。
・土日の食事は100%作成してる
・平日の嫁と娘の食事の「ストック」を土日で仕込む
・嫁の土日外出時は、娘の面倒見る
・土日は娘を風呂入れる。
・平日の家事が回らないって言うから、家政婦雇う。
(平日は週3日は、会社泊まり。
これって増田妻側から見たら
・月火水木金の食事は全部自分(ストックなんてスーパーの惣菜程度の役にしか立たない)
・平日は娘を風呂に入れて食事させて
・仕事もあって、家事が回らないのに、増田は家政婦でごまかす(本人が協力してくれない)
・平日週に3日は寝るまで一人で娘の面倒(むしろ平日ずっと?どうせ増田は泊りじゃなくても残業しまくりだろうし)
・毎日娘の送り迎え(推測。共働きなら昼間はどこかに預けてるんだろ?)
・増田とは週に2日しか会えない(のに2週間に1回=4日に1回は求められる・・・身体目当て?ww)
フルタイム(9時-17時)の仕事でこれやってたら、増田妻の方が血反吐吐くだろ。
「社暦が相当違うので」ってことは、増田妻は社歴5年以上?
一人の裁量でも仕事が出来るようになってくる時期だし、責任ある仕事も任せられてるかもしれない。
それでも毎日定時で上がって育児を優先してるわけだろ?
それだけの力を育児に注いでる増田妻からしたら、育児放棄・家事放棄に見えても仕方ない。
少なくとも、増田は「家庭」と「妻」を守る努力をしてるようには見えないな。
読んでないけど『この漫画がすごい』とかによしながふみとか入ってるわけだし
オノナツメはbassoの別名義でBLやってるしNARUTO同人やってたし
ねむたいのに起きていたいという微妙な状況にかまけて
どっかにすでにそんな話題があったらすんません。
あるいはすでに一般紙に書いてたらすいません。
ついでにはてな的に求められてなさそうな内容ですいません。
でもさー、ゴラクとか男性向けエロ漫画誌より漫画として漫画話題として昇んないしさー
もしかしたら「オレはBLの頃から読んでたよ」とかちょっと優位に立てるかもしれませんよおくさん
というわけで本題。
スピリッツとかモーニング2の編集の人ははやくこのひとに普通の漫画を描かせたらいいとおもう
すでにBLである必要性があんまない。好きにやってんなあとおもいます。
■えすとえむ
オノナツメ系というか(内容的には真逆と言っても過言じゃないんだけど)、めいんりー外人しか出てなくて非常にスタイリッシュ
個人的には「エイジ・コールド・ブルー」が一番好きです。ロックっていうかコレたしかこんなバンド実在してたと記憶してんだけど誰だったっけ?
■阿仁谷ユイジ
ていうかエロティクス・エフにすでに描いてた(エロティクス・エフが一般紙かどうかは別として)
表情がエロくてとてもいい。
草間さかえさんとかユキムラさんとか鈴木ツタさんとか寿たらこさんはなんかBLに最適化されてしまった感じがある
ユキムラさんは長州ファイブ書いてるけども、どうしても読みたいって情熱はわかないごめん
BLもエロ漫画と同じで、その中のすごくおもしろい作品を探すのはちょっと大変というか費用対効果的につらいじゃんみたいな。
んで、じゃあどっから手ぇつけたらいいのよ、っていうと、amazonの評価が賛否両論なのを選んだらいいと思う。
ちょう高評価しかないのは、多分ラブあま胸キュンものなのでなにこれ状態になる可能性が高いようにおもう。
なんかほら、「ブラッドハーレーの馬車」の評価ってバラバラやん。それ思い出してもらえばわかる感じなんだけど。
たとえば蛇龍どくろ「エンドレスワールド」は1から5までいろいろ。
すっごいおもしろいかどうかは別として(色々と舌足らずなように思うんだ)、この話は作者にとって特別なのだろうと思わせるだけの熱量があんのね。少なくとも私はそう感じた。
ひるがえってヨネダコウ「どうしても触れたくない」
これはすごく高評価なんだけど、やっぱBLとして予定調和なんですよ。アマゾンで評価高かったなって記憶で買ってみたら、すでに買って読み終わってたぐらい記憶に残ってなかった。漫画はうまいとおもうんだけど、望まれたものを望まれた感じで書いてあるというか。そういう。ひっかかりがないので、多分BL的なときめきを求めてない人はそんなピンとこないんじゃないか的。
つまり、BL好きにとっての★ってのは、BLとしてどんぐらい安心感があるかってことなんですよ。甘く切ない恋の成就。そこんとこに多くの評価が存在する。
いやまあそれが悪いわけじゃないんだけど(漫画に何を求めるかなんて人それぞれだし、結局のところ娯楽なわけだから眉間に眉寄せながら読む必要なんてないわけで)、もうオチが見えてるのは漫画読みにとっては「あー」って感じになっちゃうとおもうんだ。です。よ。
なんで、★の数がわりと割れてて、熱狂的なコメントがついてるのは読んでみたらいいんじゃないかと思います。
後、東京漫画社マーブルコミックスは昔の快楽天みたいな感じなのでおすすめ。ハズレが少ないです。
じゃあねるわおやすー。
「実際には鳴ってない音を【現実の音】と誤認してしまうこと」
(例)
・なにもないところで会話してる人
・お湯沸かしてないのに「いやあああああああ 煮えるー煮える音がするーーーーわたしも煮込まれるんだわああああ」って言ってる人
↑文章にするとギャグですが、知り合いがこんなときがありました
だと思ってました。でも、本当は
「実際には鳴ってない音が聞こえること」
(例)
・声がするけど【頭の中でなってる音】だと認識しているのでスルーできる人
というか自分は「今日は頭の中で声がするなぁ課題あるのに集中できないよー」とか思ってる時点でもう幻聴持ちなんですね。
いつからかよく頭の中で、自分の名前を色んな知人が呼ぶ声がずーっとぐるぐるすることがあるんですが、「頭の中でする」って分かってるから「幻聴」だなんて認識全くありませんでした。
ちょっとショック。
というか、頭の中で曲が流れるくらいだったら、普通によくある現象ですよね。
あと
「オランダでの発見は、25人のうちの1人が規則的に声を聞いている事を示唆しています。」
っていう文章を読んで、「それしかいないのか・・・」とか思ってしまったんですけど、実際どうなんでしょう。
→こちらに修正して転載すた。http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081222/
1.池田さんがいいこと言っているかどうか、というのは分野による。
2.経済学系の記述はおそらくかなりまだ信頼性の高い記述がもおおい。というか、この分野はわたしがよく知らない。
4.哲学・倫理系の記述は、だめだめでもないけどそれほどよくもない。まあ、こんなもんか。
5.上司とするには、やめてほしい。この点については、池田氏とこれまで仕事で関わってきた諸氏からの情報で総合的に判断。私怨で人を困らせすぎる。暴れん坊。思い込みが激しい。
6.仕事人として付き合いたいかどうかはともかく、優秀な人ではあるだろう。
7.学者は間違ったことを言う、のは当然。間違ったことを言わない学者などいない。学問はそもそも常に仮説でしかない。学問とは、より妥当な議論を可能にする知識の継承、発展のフレームワークなのであって、間違ったことをいわないことが学問なのではない。
8.a.自分のよく知らないことについては発言せず妥当性が高いと思われることについてしか発言しない口数が少ないが誠実な学者と、b.自分のよく知らないことであっても果敢に思考し、学問間のネットワーキングを図り、啓蒙することに価値を見いだす学者 という二種類の学者がいるのだとすれば、池田さんは後者(b)の部類に属する。(a)の部類の学者が嫌いな人もいれば、(b)の部類の学者が嫌いな人もいる。(b)の途を選び取った学者は、しばしば間違いを言う。しかし、そのことの是非は、「学者」の発言が社会的にどのように扱われるのかという文脈形成も込みで考えられなければならない。「学者A」の発言が即座に、社会的影響力を与え、間違いが甚大な被害を与える可能性をある場合には、(a)のような発言が推奨されるかもしれない。全国放送のTVカメラの前で、軽々しいことを言う学者は非難されてしかるべきである。しかし、「学者B」の発言が、リテラシーのある程度高い相手に向けて、「学者が常に正しいことをいうわけではない」ことを前提にしているようなコミュニケーションが成り立つ場合には、(b)のような態度が推奨されるかもしれない。池田氏のブログの影響力はかつて、リテラシーがある程度まで高い層に限定して書かれていた。しかし、有名になるにつれて、その影響力は変化しつつある。よって、(b)のような態度を諸手を挙げて推奨するわけにもいかない。しかし、(b)の立ち位置を担う学者のポジションをまったく評価しない、というのはありえない。
上記「8」は次のように言い換えることも可能である。
上記の記述は多少よく書きすぎている、との意見はもちろん一定以上、妥当である。
間違いをしばしば発言するインテリは、そのような態度をとる自分をしばしば「今コレが間違いであるという以上に、発言していくこと自体の意味が裏に何かある」という別の合理性を担保している場合が多い。たとえば、コンスタティヴな価値に対する、パフォーマティヴな態度を称揚するといった合理性は代表的なもの。池田さんの基準がいかなるものであるかについては、わたしはあまり池田ウォチャーでもないので正確にはわからないし、評価できない。が、しかし、個別の発言の妥当性以外のなんらかの合理性を彼自身の中では担保しながらしゃべっていることはほぼ確かだと思う。
ただし、そういった別の合理性が持ち出されるすぎると、個別の発言における「今言っていることのことが正しいかどうか」ということに対するチェックが甘くなる、という現象はしばしば起きる。学者の発言について、個別の発言の妥当性の高さだけが、学者を評価する基準だという思い込みは、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。だが、学者の発言が、非学者層の発言と同程度に妥当性の低い発言を連発してもよいという基準もまた、知のシステムの多様性・効率性を著しく阻害する。
両者のバランスをどこでとるか、ということは難しい。
池田さんが何をしたいのかは知らない。なので、池田さんの考える、個々の発言とは別の水準の合理性が何なのかがわからない限り、池田さんを評価しようとおもったとき、「とりあえず」個別の発言の妥当性という基準を適用することには一定の合理性がある。だが、その合理性が合理性の一部でしかないことを考えるべきである。それは「とりあえず」の一部の評価の合理性でしかない。
*この「追記」の記述は、東浩紀と、東批判者たちについても同様に適用可能。ただ、東さんは明確に自らの価値をアジェンダ・セッティングという行為の中に見つけているとは思われるので、池田さんと比べると、「担保すべきだと考えている別の合理性」の水準が理解しやすい人だという印象はある。
fromはてぶ
「なんで支持者も不支持者も、人格や人間性で主張の妥当性を判断しようとするのか。「人」を信頼してはいけない。面倒でも個々の主張についていちいち信用すべきか否かを検討すべき」
もちろん、それも一つの合理的な態度だとは思う。しかし、「人」や「組織」をある程度まで、使い勝手のいい単位だとしておかないと成り立たないところもやっぱりある。
たとえば、わたしがよく知ってるor考えていることであれば、そのことについて「××さんが言った」「○○さんが言った」ではなく、主張の内容レベルでの判断はもちろん可能だし、できる。そういうときには「人」という単位はほとんど機能しない。単に主張Aを言っている人がいて、主張Bを言った人がいた、という程度の意味合いしかない。
しかし、わたしが全く知らないことをはじめて知ろうと思ったら、まずは「人」「組織」「定評のある本」に対してある程度まで高い信頼を置いて、そこから情報を得るというのはとても効率的で、合理的な行動になってしまう。それは、わたしにとっては検討しようのないことなので、「人」や「組織」や「定評のある本」を採用するしかない。不案内な分野の入門書を読むときに、「ハーバード大学の教授で、全般に頭良さそうな人が書いている最新の本」と、「三流大学教授の、いまひとつ何を言っているかわからない10年前の本」で対立している主張があり、わたし自身に、その対立を検討するための十分な情報がないのであれば、「へぇ、対立する議論もあるんだなぁ」というぐらいに思いはする。でも、とりあえずはハーバード大学教授の言っていることのほうが「たぶん、こっちのほうが妥当なんだろうな。よくわかんないけど」という形で、ある程度、組織とか評判を信じてしまうよね。
我々は、出会った知識の全てを検討するだけの無限な時間などは与えられていないので、誰がよりよいことをいってそうか、どの本が最も定評のある本か、ということは、「より、まっとうそうな知」を得ていくための効率性にかかわることになる。はじめて仕入れるたぐいの知識が、いままでの自分の経験上/知識の上で整合性があるかどうか、ぐらいのことは考えられるけれども、分野が遠くなれば遠くなるほど、「とりあえず、たぶん、この人の言うことはかなりの度合いでレベルが高いはず」という情報はとても役に立つ。教える-学ぶ関係においては、そういう「権威」がもっている効率性の問題は避けて通れない。
理想的には、おおざっぱなクオリティ選別の効率性を機能させるために存在している権威や評判のようなシステムよりも、一つ一つの主張の妥当性を検討できるような態度に至れることのほうが望ましいのは言うまでもない。だけれども、わたしたちは、能力にも知識にも限界があって、そういうことができない。だから、権威や評判のシステムをわたしは利用するし、今後も利用し続ける。
http://anond.hatelabo.jp/20081223163942
クルーグマンの経済学受賞に関する記事なんだけど、ここからトラバ先をたどると経済学系blogでの池田氏への批判の主なものは見られるんじゃないかなあ。
だそうです。
まあ、山岸俊男風?にいえば「信頼」性はともかく、誰かが池田の発言に対しては必ずレビューをしているという意味での「安心」の対象としては機能しやすいとか言ういいいかたはできるかもなぁ。それがインターネットというもののよさというか。手間かかるけどね。
池田ファン扱いされた…なんという微妙な気分。これが池田効果か。
わたしはそれほど熱心な池田読者ではない、…と自分ではおもっています。
実際、エントリ100個も読んでないんじゃないかな。
上記の記事に対してid:lets_skeptic氏から、よいコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224
そもそも問題は「間違ったことを言う」ことなのだろうか?「畑違いの分野に言及する」ことなのだろうか?違うと思うのだ。
自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか?という知的誠実さ。求められているのは、そんな当たり前の誠実さじゃないんだろうか。
主張の信頼性は基本的に別問題です。といっても、誠実な人ならば「ろくに調べずにものを言っている」「無根拠の思いつきを言っている」「嘘をついている」という可能性は、不誠実な人に比べて相対的に低くなるので、関係がゼロだとは思いません。
議論の建て方として「誠実さ」という別の軸を立てられる、というのはいい指摘だと思う。インター・ディシプリナリだからと言って許されるわけでない。ただ、わがままを言えば「追記1」に書いた部分についても一応目を通していただければ幸い。追記1、はこういう批判に対する防御線として書いたわけだけれども、かえって問題の建て方を曖昧にしてしまったようで反省。「インターディシプリナリ志向であれば、誠実でなくとも許される」として、確かに読めてしまう。
で、発言の「誠実さ」と、個別の発言の「信頼性」が別問題であり、問題を分けて考えるべきだ、というのも、その通りだとおもう。(その点については、上にちょこっと書いた、山岸俊男氏の「安心」と「信頼」の区分にも通じる問題系である)
そして、その基準でもって池田さんを論じることは、意味があるだろうと思う。
ただ、もちろん、だからといって、先に挙げたわたしの、区分そのものが<一般的な区分として>まったく無意味なものだ、ということを認めるわけではない。また、<池田さんに対して>わたしが挙げた基準で判断をすることが適当か、という点については、いくつかの基準のうちの一つとしては、やはり適当だと思う。論じる基準が、一つである必要はない。論じるべきは、どの基準が最も正しいか、ではなく、、基準A「誠実さ」の問題と、基準B「学者としてのアプローチの違い」の問題と、どちらが池田さんを論じる上でより重要な問題とすべきか、ということになる。その点は、どっちなんだろうなぁ。前者かもしれない。
*
それと、lets_skeptic氏は知っている話だとは思うが、さらにやっかいな話をもう一点してフォローしておくと、パフォーマティヴな発言の「誠実さ」というのはとても評価がめんどくさい。
議論のための議論のように聞こえてしまったら恐縮だが、
たとえば、
1.「XXがよりよいことなので、みんなで××にコミットすべきだ」と発言があり、
2.XXがぜんぜんダメでぽしゃった
3.しかし、原因はXXがそもそもへぼかったからではなく、みんながXXにコミットしなかったことが原因である可能性がある。(つまり、みんなが××をしていれば、××はほんとうによりよいことだった)
というようなことがあったとする。
このとき、「XXがよりよい」と発言していた人は、「間違ったことを言った」とどこまで言えるだろうか。
もちろん、「現時点の観測からすると、結果的には間違っていた」といえる。その限りで詫びてもよい。
しかし、「現時点の観測からすると、間違っているように見えるかもしれないが、やっぱり私の言っていたことは正しい。みんながコミットしなかったことにこそ原因がある。だから、わたしは、一時的に、結果的に間違っているかもしれないが、××はただしい、と言い続けるし、そのことについては謝らない」という人がいたとして、その人の「誠実さ」とはどのように評価可能だろうか。
わたしの知っている人のうち、この手のパフォーマティヴな価値に言及しようというようなタイプの人、(ネガティヴな言い方をすれば、自己成就予言的な性質のある話をしている人)というのは、議論するとやっかい、つーか、めんどくさい、つーか、並大抵のことでは謝らない。この手の人々に対して、「誠実さ」とか言い出すと、話がズレることが多い。
データみせても、「いや、現時点でのそういう結果を出されても、それはぼくの言っていることの根本的な反論にはまったくなってなくて…」といわれて議論にならないことが多い。かなり理論的なところで闘う以外に手がない場合が多い。人によっては、理論的なところですら闘えないような話をする人も多い……。これが、「ムー大陸が~」とかって言うタイプの人だったら、「DQN乙」で終わってよい場合も多いけれど、、ガチインテリの人でもこういう話はけっこうやる。こうなると、どこまでが謝ったりする範囲で、どこまでが謝らなくていい範囲なのかが、遠目にみると混迷を極めているように見え、エンドレスに不毛な会話がなされる場合がけっこうある。
というわけで、結局何が言いたいのか、というと、
・「誠実さ」概念をめぐる指摘には同意するし、すばらしい指摘だとは思います。
・だけれども、「誠実さ」という変数だけで全部解決しようとしても、そこでもまた、ディスコミュニケーションは起こりうるのでは?
まあ、自己成就予言的な話をするとき、それは社会科学者ではなく、批評家とか政治家とか呼ばれるたぐいのものになってしまう、という解釈もありうるんだろうけれど。政治的/批評的行為によって、理論の実証を目指してるんだ、という言い方もできるので、そういうことを言い始めると、社会科学における「科学的」と認められる発言の境界線はどこに引けるのか、ということになってくるので、わたしの手には扱いあぐねる。たぶん、科学哲学的にアツいところなのだろうけれど。そこらへんの話については、わたしはぜんぜん科学哲学についてフォローしているとは言えない人間なのでlets_skepticさんのような人から教えを請いたいぐらいの話です。
***
しかし、やっぱり、増田なんかで書くとどうしても脇の甘い書き方をガンガンとしてしまうなぁ。まあ、脇が甘くても、「たかが所詮は増田の記述」だと思われ、その程度によまれればいい、ということを期待してしまっている自分がいるから、そういう書き方になるのだろうけれども。
それと、トラックバック先のskeptic氏へのはてブコメント
「豹変できないからこそ君子と呼ばれないのだ。誤字や言い間違いレベルの些細なことですら、ちょっと謝って訂正して感謝する程度のことが出来ない人が多い/ただ、誠実な人に限って「当たり前」以上の誠実さで潰れる」
もまた、的を得た指摘だと思われる。
結局、誠実…というか、ノイズを気にせずになんでもかんでも答えずにはおけないような人は、たとて、どんなに頭がよく、<知にたいして>誠実な人であったとしても、ウェブ上で活動するのはかなり負担がかかる。すくなくとも、学際的なひろがりのある人とかだと、ウェブ上で何かやろうとすると、潰れやすい。それをまた、「議論に負けだ」のなんだのとはやしたてる連中も発生すると、ごっそりとやる気をなくす。その結果、ウェブ上で「ちょうどいいぐらいの」コミュニケーションのできるインテリというのは、一定度以上にノイズを気にしないでいられるタイプか、ノイズがそもそも生まれないような振る舞いでいられるタイプのインテリかということになる。実際には、ノイズが生まれないような振る舞いというのはそんなに簡単なことではない。はてブのコメントのうちの5%ぐらいには文脈ぶっとばして、一読して偉そうなことを言う人、というのがいる。はてブ以外に、ブログであってもいるけれども。
もちろん、「ノイズ」に類するようなどうでもいい話に対応する「誠実さ」と、重要な指摘に対して対応するような「誠実さ」は別種のものだ、というように理屈上の区分は付けるはできる。しかし、実質的に、外からの指摘に応答する当人にとって、指摘がノイズなのか重要な指摘なのかを判断する根拠は、曖昧であり、当人が、常に、「誠実に」悩み続けることによってしか、それらは区分できない。結果、在る一定以上まで有名になると、「誠実」な人であればあるほど、外部への応答コストの負担によって潰れることになる。
ちなみにわたしは、わたしが実名で発言しているところに100ブックマーク以上ぐらい付けられると、うれしい反面、だいぶむかむかしてくる。「はてブ/2chの連中は全く…!」とは思わないけれども、はてブや2chのようなアーキテクチャが出てくると「ウェブ上でどの程度、冒険した発言がOKか」「ウェブ上では、どの程度外からの指摘を気にしないメンタリティがいいのか」といったことに対する「望ましいありよう」の最適さが変わる。これはつまり、政治家が演説でくだらない発言しかしなくなる、ということに似ている。政治家がバカなのではなく、現行の世論システム/投票システムとの相性を考えたときに「望ましい程度の発言」というもののバランスがどこに落ち着くのか、ということだ。ウェブ上が、学者コミュニティとして機能するクローズドな空間(※学者の作法を全員が受け入れることによって成り立っている空間、という意味で。作法を受け入れる限りにおいてはもちろんオープンである)ではなく、現状のようなオープンな一つのプラットフォームになっている限りは、学者的な作法が、ウェブ上において必ずしも「ほどよい」ものとして機能するとは限らない。市場のシステムが、市場に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって均衡点のありようを変えるように、議論のシステムもまた、議論に課せられたルールやアーキテクチャいかんによって、その均衡点のありようを変える。学問というのは、その均衡点のありようを「知の継承、発展」にとっても最も効率的になるように目指し、調整がなされている議論のルール・システム体系のことだと思っている。ウェブが一つのプラットフォームとしてではなく、複数のプラットフォームを切り分けるような(たとえばSNS)システムとしての発展可能性をみせれば、学問の作法がより効率的になるプラットフォームとしても機能しうるだろうと思う。ただ、今のウェブという空間が生み出す、議論の均衡点は、おそらく、かなり傍若無人な人のほうがやりやすいぐらいになってしまっている。理想的には、もっと「誠実」であってほしいとは思う。しかし、「誠実」であることによって、評判を生み出し、注目を浴びやすいようなアーキテクチャにはなっていない。そのことが、池田さんをめぐる最も、面倒な問題なのかもしれない、と思う。
せっかくなので、ここ2年ほどのさくらインターネットiDC移転を中心に、わかる範囲ではてなサーバ変遷の歴史をまとめてみようと思う。
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> 59.106.108.69: f.hatena.ne.jp.
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> 221.186.129.147: search.hatena.ne.jp. > 59.106.108.74: a.hatena.ne.jp. > 59.106.108.75: r.hatena.ne.jp. > 59.106.108.76: ring.hatena.ne.jp.
< 125.206.202.83: d.hatena.ne.jp. < 221.186.129.146: d.hatena.ne.jp. < 221.186.146.29: d.hatena.ne.jp. < 61.196.246.67: d.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.77: d.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.97: d.hatena.com. > 59.106.108.97: hatena.com. > 59.106.108.97: m.hatena.com. > 59.106.108.97: m.hatena.ne.jp. > 59.106.108.97: s.hatena.com. > 59.106.108.97: s.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.80: d2.hatena.ne.jp.
d2.hatena.ne.jpで新しいコメント構造の実験を開始しました - はてなダイアリー日記
< 221.186.129.147: counter.hatena.ne.jp. < 221.186.129.147: search.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.81: counter.hatena.ne.jp. > 59.106.108.82: search.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.78: w.hatena.ne.jp. > 59.106.108.84: h.hatena.ne.jp. > 59.106.108.84: h.hatena.com. > 59.106.108.98: w.hatena.com.
< 221.186.146.27: www.hatena.ne.jp. < 61.196.246.68: screenshot.hatena.ne.jp. < 125.206.202.66: map.hatena.ne.jp. < 125.206.202.66: i.hatena.ne.jp. < 125.206.202.66: graph.hatena.ne.jp. < 125.206.202.66: q.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.86: www.hatena.ne.jp. > 59.106.108.87: screenshot.hatena.ne.jp. > 59.106.108.88: map.hatena.ne.jp. > 59.106.108.89: i.hatena.ne.jp. > 59.106.108.92: graph.hatena.ne.jp. > 59.106.108.99: q.hatena.ne.jp.
< ???.???.???.???: auth.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.90: auth.hatena.ne.jp.
長いので省略
> 59.106.108.93: rokuro.hatelabo.jp.
> 59.106.108.102: k.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.103: favicon.hatena.ne.jp. > 59.106.108.105: img.b.hatena.ne.jp. > 59.106.108.106: bbeta.hatena.ne.jp.
> 59.106.108.93: bottle.hatelabo.jp. > 59.106.108.93: counting.hatelabo.jp. > 59.106.108.93: news.hatelabo.jp.
http://anond.hatelabo.jp/20081205004633
これを見たから書けるんだけど。
小さい頃からモテなかった。ルックスはブサイクとまでは言われない。とりあえず「普通」「印象ない」と言われる程度なので、それほど悪いものではない。背は低い。勉強だけは得意だったので大学は一流どころ。もちろん就職も一流どころ。おそらく、スペックだけじゃなくて+αの総合力でモテないのだと思う。「黙ってると普通なのに話すとキモイ」と言われたこともある。これは、高校大学の学生時代も、就職してからの20代でも(女って言われるほど男の条件見ないよね?と思わせられるが)変わらない。黙ってたら女は寄ってこないし、必死で話しかけてご機嫌取りをしようとするとキモイといわれる。そしていろんな理由のため、知り合う女性はみな彼女になるには至らない。
30過ぎて変わってきた。得意分野はインテリ層。彼女らは婚期が徐々に去っていき、にもかかわらず自分にふさわしい、既に結婚した友達に張り合える条件の良い男を求めている。ときどき「あなたにはかなわないな」と賞賛されることを望む。でも、自分より「下」な男は好まない。だから、自分の条件をことさら誇らずに「大したことはないんだけど」「もう30過ぎたらそういう過去の成果には意味あんまりないよね」と言っていればよい。お互い、とても意味を感じていることは分かっている。あと、金をそこそこ貯めているのも女の見栄本能をくすぐるらしい。からかわれながらも、大事にされる。「独身だからお互い貯まるよねー」と言われつつ、美味しいレストランで彼女のプライドを壊さない程度にちょっと多めに割り勘。こちらの奢りに彼女の抵抗がなくなったら自宅マンションに連れ込んでセクース。そんなプロセスを踏むことで、彼女たちがデキル女としての自尊心と自己評価をギブアップするきっかけになるようだ。
そんな私は恋愛に関する感覚が狂っている。条件のいい女を「乗り換える」のが好きだ。実際、今の彼女も、私に当時別の彼女がいたのを別れてもらい、付き合った。でも、手に入れると飽きてしまう。
手に入れた女には興味を失う。だから東大卒や元ミスなどハードルの高い女を「ハンティング」するのが好きになってしまった。たぶん、その人が「本当に」好きなんじゃないと思う。自分ではその時は情熱的になって追いかけているつもりだけど。彼女が自分の価値をどこまで叩き売るか、試してみたいのだ。我ながら寂しい人間だ。そして、ハンティングした女がどこまで自分に「降伏する」かもテストする。金銭、時間、地位、自分のプライドと天秤にかけさせる。そして自分を選ぶとようやく安心する。その繰り返し。エンドレス。そして新しいハンティングに移る。
http://www.makonako.com/mt/archives/2008/10/post_735.html
はてブで見つけた上の記事を読んで、いろいろと思ったので、長々と書くー。
自分の立場は以前、ゲームとか本とかいろいろ扱っているお店でバイトしてた、今はただのゲームライトユーザー。
お店は新品・中古両方を扱ってたー。
んで、引用とかメンドーなので省略して、よーするに、
『中古はメーカーにお金が入らないから、中古を買うユーザーは客じゃない!』
というようなことが書いてある。他にもいろいろ書いてあるけど、よーは、
ここで言いたいのだが、誰に儲けさせたいのか、ということ。中古を買うと、儲かるのはショップだ。あなたはショップのじじいに儲けさせたいだけなのか、と。作っているメーカーに対する感謝の意を形としてまったく表することなく、ショップのじじいやばばあを儲けさせたいのか、と。
ということが言いたいのだと思うのですよ、はい(引用してしまった)。
中古の売買は合法的だけど、ショップの野郎どもを儲けさせるのは、けしからん!
新品を売っても利益出るんだろ、新品だけ売れよ、この豚ども、とも聞こえてくる(空耳)。
たぶん、中古の買取価格と販売価格の差があまりにで、「ぼったくりじゃね?」と思ってるんだろう。
(たまーに、ほんとにヒドイのはある……バイトしてびっくりしたのある)。
だけども、バイトしていた経験からだと新品だけ売っていたらショップはツブれると思うわけです。
そもそもゲームの卸値って8掛けくらいでしょ。ハードだともっと。
すると大胆な値引きができないのですよ。amazonとかアホかと、ホント……。
ハードなんて偉い人が決めた店頭価格で売ってるのに、クレジットカードで購入されると
「店長! (手数料考えると)なぜか原価割ってます! 赤字ですよ、どーなってるんですか?」
とバイトの人間が心配するほどですよ、ええ。なんですか、この店は……いや原価がおかしい?
この問題ってどっちが先なのか新参の自分では分からんのですよ、
どなたか知っているエライ人がいたら教えて欲しいのですよ。
だから上記サイトで言われている新品価格の上乗せってのが、よく分からない。
とくにハードの性能が上がっている今時は開発費の高騰が問題なんでしょ。違うの?
それにそもそもメーカーってショップや問屋の発注を受けて、それで儲けているわけでしょ。
ユーザーが直接メーカーにお金を落としているとは違うわけでしょ(語弊ありまくり)。
本みたいに返本できないから、売れ残るとショップは困るわけでしょ。
地方弱小ショップは1本売れ残ると、2年、3年って在庫に残っちゃうわけでしょ。
薄利多売だからって強気で仕入れて失敗したり、次の仕入れに影響するからって、
無理して仕入れて不良在庫の山を築いてみたりと、ショップはしているわけでしょ。
なにしろゲームソフトって初動が勝負で長くて2週間がリミットなわけでしょ。
任天堂系ソフトみたいにファミ通のトップ10に長々と居座るソフトなんて、
ほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんとないわけでしょーーーー。
ギャンブルみたいな新品もちゃんと売ってるんだし、中古で儲けたっていいでしょーー。
と、ショップが言いたくなるのも分からないでもないでしょ、ねぇ……。
以上、上記サイトを読んで思ったことを長々と書いた。
あと、ついでだから日ごろ思ってたことをちょっと書く。
ホント、チラシの裏ですだよ。
いったん中古市場ってのが出来上がったんだし、もう無くせないでしょ。
これはもうメーカーだってそう思ってるから対策をいろいろしてるし。
(中古問題があるから、という理由だけじゃないだろうけど)
いわゆる廉価版の売り出し、予約・購入特典の充実、ダウンロード販売など。
それぞれ中古市場への影響について簡単に思ったことを以下に書くー。
それより安い廉価版が出ると、その価格に合わせるしかないから。
ショップとしては発注がかけられるから良い面も多いけど。
(というか発注しないと販促がカットされたりの危険が……ブルブル)
でも、わずかな可能性としては中古価格の値下がりが早まるかな。
特典目当てでゲームはすぐに売ってしまう場合とか。
何しろこれはファンに向けての意味合いが強いから。
単純なゲーム好きには訴求力がない気がする。
そもそもクロスメディア化の波が激しすぎてファンもショップも溺れている気がす…。
ダウンロード販売は新品・中古市場に大きな影響を与えると思う。
すでにパソコンゲーム(エロゲー)ではダウンロード販売が増えている。
そこでどんな影響が出ているのか、バイト先は取り扱いがなかったので、よく知らない。
で、コンシューマーの方でも、はじまりつつある(wiiウェアとかね)。
しかも旧作の再販といった感じではなくて、新作ソフトの発売も。
たとえば、PS3のソフト『サイレン』がダウンロードで先行販売されたし、
PSPのソフト『勇者のくせになまいきだor2』もパッケージ版と同時発売された。
それで注目したいのが価格設定。
『勇者のくせになまいきだor2』は2800円(パッケージ3980円)。
(店頭での価格はもっと下がるから『サイレン』はダウンロード版と価格は違わないと思う)
商品としてのゲームから、サービスとしてのゲームへ、というのが個人的な感覚。
すでにオンラインゲームとかあるから、するっと見過ごしそうになるけど、
コンシューマーゲームでの意味合いは「今のところ」見過ごせないほど大きいと思う。
5500円出してダウンロードしても、飽きたから『売る』ことはできない。
これって意外と大きな違いだと思うので、気になるところですだよ。
sofmapで調べたら『サイレン』は2600円(20日現在)で買取している。
あきて売ってしまおうという人は今なら2900円ぐらいで『サイレン』が遊べたことになる。
じゃぁ、売って違うソフト(新品・中古は問わず)を買う足しにして、飽きたら……
とエンドレスに続く可能性はある。
でも、ダウンロード版はこれができないでしょ。(ソフトのデータって売買……していいのか?)
『実験的』な販売にとどまっているけど、
このバランスが崩れるときに、ユーザーが気になる価格設定にすごーく影響が出るのだと思うわけです。
コンテンツそのものの価値とか、あーだ、こーだ、といわれたりするのかも……ないか。
(つーか、なぜ、sonyはこんな観測気球的な販売方法を打ち上げるんだろう。
もっとさきに過去の資産をダウンロード販売してくれよ。てかPS2が存命でできないだけか?
互換性があるのもないのもsonyの足を引っ張っている気がする……)
ほんと無駄に長くなってる。
簡単にまとめると、メーカーもショップもユーザーも自分たちが満足できるようあれこれ考えてます。
ショップが中古でぼろ儲けしてるというのは、ほかに儲けようがないからで、努力の結果の一つです。
ユーザーは「ぼったくるなよ」と怒らないで以前買おうと思って買わなかったソフトを中古で買ってみてください。
メーカーはかさばる無駄な特典をつけるよりも発売日にソフトを発売してください、できれば延期はやめてください。
ショップはとにかくたくさんの新品商品を仕入れて、とにかくたくさん売ってください。
そうすれば、地域にたくさんのゲームソフトが流れて、いずれ「これ買い取ってください」とお客さんが来店します。
(「お売りください」と標語のように言うのははばかられる……)
「ねぇ、ちょっと来て!」
聞けば、矢印のひき方がわからないらしい。
「こうやって、こうやるんだよ。(手本を見せる)」
「うん。」
「(マウスを渡して)もう一回やってごらん。」
「こうやって・・・こうやって・・・ありがとね。」
やれやれ、と思って自室のベッドに戻る。
が、二度寝を楽しもうとした頃に再び呼ばれる。
「ちょっとプリンタに紙詰まってないか見てみるね。」
「うん。」
無事プリントアウトできた。
目が覚めてしまったので、牛乳でも飲もうと冷蔵庫を物色しているとまた。
「ねぇねぇ、ちょっと来て!」
「はいはい。」
記憶力も衰えてきたため、同じことを聞かれることもあるがここは辛抱。
休日はいつもこんな感じだ。
教えてあげるのは苦ではないし、休日にがんばっている母の力になってやりたい。
が、もう少しどうにか母自身が出来るようにならないか。
というのも、その都度教えてばかりでは身についていない気がするからだ。
今はまだ
「ググれ」
のレベルには達していないので
「困ったときの右クリック」
を合言葉にやっている。
少しは呼び出し回数は減ったような気もするが
もっと何か他にいい案はないだろうか?
まず、私のようなひよっこが増田に突っ込み要素満載のエントリを設置。
↓
誰かが突っ込みに突っ込む。
↓
↓
さらにそれに・・・
かくしてエンドレスにすそ野は広がっていくのです。
エコ!
しかしどこかの誰かがどこかのミニブログでいってましたが、はてなの議論がアウフヘーベンしたっつー話を聞きません。
なんていうか、はてなの人って自分の意見ばっかり言って、まっとうな突っ込みが入っても非を認めない人が多いよね。
「いやーすみません。それは気がつかなかった!
じゃあ、それを踏まえてこの議論はここをこういう風に考え直したらどうなるかな?」
「ほうほう、そいつはおもしれーぜ!」
とかいう建設的な議論がないのね。決局おかざりをそぎおとすと
「おめーなにいってんだよ〇〇は××だよpgr」
「はぁ?ふざけんなおめー△△すらしらないくせに発言すんな」
自己主張と知識自慢とあおりと野次馬、決局2chとやってることがかわらんきがするとです。。。
まさにはじめから議論のための議論だけが繰り広げられている。あと釣り。
そんなはてなは毎日炎上してるようなもので、もうみんなまひしております。はてなは燃えているか。
最近ホッテントリも本当に読む価値のあるものはどこにうもれているやらわけわかめデス。
いーやとりあえずブクマしとこ!
エンドレステープ乙。頼むからあんたは自分を「国民の大多数」にしないでくれ。
仮にあんたの主張が「国民の大多数」の主張だとしても、
「(あんたの定義する)たいしたことのある人間は漏れなく入学可能で、(あんたの定義する)たいしたことのない人間は漏れなく入学不可能である」
それから「日本の大学生は勉強しない」というマスコミの受け売りをそのまま垂れ流さないで自分の目で見てから批判してくれ。一言だけいっておくと、理系の学生はかなり勉強させられていて、それゆえ余り学歴が意味を持たないし。一方で文系の学生には余り勉強しない奴も多い。ところが非コミュは理系の学生に多い。これだけでも、話があんたのわかりやすい図式に当てはまらないことがよくわかるだろう。
■ 乗車待ちの列がホームをふさいで邪魔。席の空いてる電車が到着するなら並んで順番に座るのは道理だけど、空席が非常に少ない駅の場合、先頭以外はホームを歩く人の通行をさまたげて混雑を助長している。
■しかも並んでしまうとその列しか見えなくなるので、空いているドアから乗ったりという機転が利かなくなって部分的に異常な混雑になったり電車の遅れの原因になったりする。
■電車から降りる側としても、自分の目的駅ではないけど後ろから降りる人を通すために一旦ホームに降りただけなのに、乗ろうと待っている列の遥か後方まで行って並び直すことになる。しかも再び乗った時にはまたドアのそばなので、次の駅でも降りるはめになって、乗る→後ろに並び直す→乗るのエンドレスでかなり面倒くさい。
■ドアとドアの間がすごいデッドスペースになっているので、そこに人が散らばればいい。どうしても並ぶならドアからまっすぐじゃなく蛇腹式にするとか。
■並ぶこととは関係ないが、優先席はドアのすぐ両サイド1〜2席にした方がいい。座る人の回転も速いし、席の必要な人が乗って来た時にすぐ気づく。ドアそばの人はすぐ降りるつもりでいることが多く、自分の席にあまり執着が無いので譲るという行動にでやすい。そもそも席が必要だからといって混雑している電車では優先席近くに行くこともままならないので、ドア左右が必ず優先になっている方が譲る方も譲られる方も気が楽では。
現彼氏とは大学時代から4年付き合っていて、いまだに大好きでラブなんだけれども、ここはちょっとだけどいやだなーというところをメモメモ
・舌がバカでマヨネーズ味とあまじょっぱいしょうゆ味がとにかく大好き
・安い居酒屋ばかりに連れて行こうとする
・「カウンターのお店は怖い」と言って、ちょっとこじゃれた店には入ろうとしない
・フェラが好きすぎて生理になると「じゃあ舐めて」とか言ってむしろ喜ぶ
・セックス中いかせよういかせようと思ってガンガンとあそこをかきまわしてくるけど、むしろ痛くて気持ちいいことは稀
・一緒に飲んでて私がよっぱらうとちょっとうれしそうなのに、私が別の人と飲んで酔って電話するとなんだか不機嫌
・私より給料が低いくせに「女の子なんだから結婚して仕事を辞めれば」とか平気で言う
・私のことが好きで「結婚しよう」とか言いまくってるくせに親には絶対に会わせようとしない
・仕事で合コンに行かなきゃならないこともありむしろ接待でちょうしんどいのにそれを分かってくれない
・怒るとその怒りが落ち着くまで一人でいようとするけどケンカした時に勝手に帰られると寂しいのでやめてほしい
・今の部屋に引っ越してきてから一口コンロで料理しにくいのに、失敗すると不機嫌になる
・大きな口をたたくくせに全然料理ができない
・「長男だから」とか言って遠いのにしょっちゅう実家に帰っている
・携帯電話のメールを見たがる(勝手には見ないけどよく「見せて」と言ってくる)
・男友達と2人で会うといい顔をしない
・勝手に部屋を片付け始めてものを捨てる
・自分もいろんなゲームするくせに、「風来のシレン」をやっている私を見て「こんなゲーム(※明確にクリアというものがないエンドレスなゲーム)やってる気が知れない、時間のムダ」とか平気で言う
・肌の手入れをしようとせず、いつもどこかがカサカサしている
・いつもうちに来るばかりで向こうの家にいこうとすると嫌がる
・海外旅行とか1度くらいは行きたいのにまったり系の国内旅行(牧場、温泉)に連れて行こうとする
・車に乗ると「あんた運転下手だから」と言って絶対に代わろうとしない
…でもすきだ!