2009-03-16

自分が一体,何を知っているというのだろう

子供の頃から勉強して色々な知識を付けてきたけれど

それは純粋な(数学で言う定義のように明白な)基礎知識ばかり.

それらは物事を考える為に必要なもの(のはず)だった.

次第に何かに対しての他人の考え方にも興味を持つ.

それを聞いて自分が「なるほど」と思った考えを

知識を頭に入れるのと同様の感覚で頭に入れてしまう.

それも覚えるばかりで,自分考える力も無く,癖になっている.

今,何かが起きたとしてそれに対する自分の考えが沸くのだけれど

本当に自分の考えなのか?自分は何故そう考えるのか?思うのか?

この人はこう考えるけれど,何故そう考えるのか?思うのか?

と問いを立ててみても答えが出ない.自分が生きている間に

見たり聞いたり経験して印象に残ったことを基にしている?

自分は確かにそう考えるのに何故そう考えるのか分からないと

自分の頭の中が何かに支配されているような感覚に陥る.

所詮,頭の中知識・知恵なんて何かの寄せ集めなのか…

自分が一体,何を知っているというのだろう.

と言うと「無知の知」という言葉を思い出すのだけれど

その「無知の知」という考え方自体が自分の考えではなく,

本を読んで外から取り入れたものだから「そういう考え方」

という知識でしかなく,自分の考えではないのだろうか.

という自分の考えは,本当に自分の考えなのか?エンドレス

  • いずれ必要になるときが来る。 そのときになればどの勉強が重要で、どの勉強が重要でなかったかがわかる。 のだけれど、 そういう状態に陥るのは現在の教育の失敗だと思う。 目的...

  • そもそも我々の肉体からして、常に外から摂取した物質と入れ替わってるわけで(一ヶ月で全部入れ替わるだとか聞いたことがある)、「自分」なんて所詮そうした流れ行く何かの中に...

  • 『考え方』くらい自分で考えなさいよ。

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