はてなキーワード: ほとんどとは
主観もいいところ。記憶というか、すべて思い込みのようなものですが。
僕が最初にはてなのアカウントを取って読書日記を始めたのは2003年の夏なのだが、「流行ってるな」と思ったからだった。その時期多くの書評系サイトが日記としてはてなを使い始めていたが、その理由としてはISBN記法によってつながれることが大きかったと思う。もともと書評系サイトなどをはじめる理由なんてのは本を読んでいるものどうしつながりたい、という欲求が先にあることが多いので、mixiができるまでの間は、それまで掲示板で行われていた馴れ合いがIDトラックバックとコメント欄でなされていた。mixiができたのち、SF系やミステリ系の馴れ合い関係はほとんどmixiに持ち込まれ、はてなダイアリーにおけるSF/ミステリ書評系サイトはストイックに感想を羅列するタイプになるか、フェードアウトするか、という感じになったような気がする。今はその歴史を繰り返すかのようにライトノベル系サイトの人が馴れ合っている印象が僕にはある。
はてな村的なもの(というか、当時はベータテスター)との読書系の接点は、少なくとも僕にとってはid:smoking186ただひとりだったと思う。書評系サイトでのはてなの流行はSF系の人が使っていたtDiaryからの流れもあるだろうが、とにかく個人的にはこのひとが「なんか有名っぽい」という印象を持った最初の人だと思う。ぼくにとってid:smoking186は清涼院流水の本を燃やした人であったわけだが、その人がなんか変なサービスでなんかやってる、それが僕とはてなの第一接触だった。ほとんど認識してなかったが、今振り返るとあとこのラインにはid:mutronixとかもいたような気もする。そんなこんなで読書系の馴れ合い関係がはてなに持ち込まれたわけだが、東浩紀の参入あたりで「なんか難しい話をしている人たち」が目につくようになってきた。たとえばISBNリンクをたどったり(読書系じゃなくても、本に触れることがあるのはいうまでもない)、↓のような企画が視界に入ってきたりして。
参考:http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20040419/1082356105
もうあんまりよく覚えてないが、そういう人たちのことを批評系とかなんか内輪の言葉では呼び合っていたような気がする。まあ今から覚えば、その辺がはてな村的なものとの接触だった。
悪い癖で面倒になってきたのでさっさとまとめる。そのあと一連のjituzonさん絡みのアレとか、田中さんとか、いろいろ接点はあったけど、やってるなー以上のものは感じなかった。はてなと読書系の蜜月の頂点はid:mmmichyやid:mhkの参入だったと思う。前述したようにmixiに馴れ合い関係が移行して、下火になった感じがしたんだけど、そこにはてブがやってきた。試しに使いはじめるとやってるなー、という距離感があった村のいろいろに、ダイレクトに接続できるようになった。そこでid:REV、id:mizunotori、id:FTTH(このひとはちょっと違うけど)、id:kaien(このひとも前々からいたけど)といったライトノベル系の人たちが村の住人としていついてる感じ。id:trivialみたいな例外的存在もいるけど。エロゲやマンガとの距離が近い分、村カルチャー(何それ)と絡みやすかったのかもしれない。
なんでこんな何にもならない文章を書いたのかというと、村のあれこれが語られてるのを見て、アンテナ登録数ではうえのほうにいるんだけど、ブクマではぜんぜん目立たない(けど古くからいる)SF/ミステリ読書系から見て、村がどんな感じだったか書き留めておきたかったので。次はハロプロ系の人が何か書いてくれるといいな。
俺の勝手な妄想だけど、江戸時代以前の庶民みたいな気持ちを持ってみたかったなぁ。
俺の妄想だけど、その頃はきっとさぁ、良い物だとかそんなものはほとんどなくて庶民に周ってなんかこないからさぁ心を中心に生活できたと思うんだ。
俺の妄想だけど、今じゃさぁ面白い興味を引くものが溢れちゃってさぁ、物質文化とでもいいますか、現代って現実主導みたいなところがあって、それがもう夢が無いっていうか。まぁ俺には辛いように思ったわけで。
俺の妄想だけど、昔は現実がただの基礎で、ありふれた言葉だけど心が豊かだったっつーか。ねぇ。今は物質主導でもう心なんかそれありきでさぁ。なんも無い俺は死にたくもなってくるよねぇ。
俺の勝手な妄想の昔の人みたいに生活してみたいけどさぁ、今じゃそれが難しくて死にたいなぁ。
今日の学歴話からもさぁ、思ったんだけど。学歴とかどこに勤めてるとか年収だとか凄い現実的な枠組みでもうなんか嫌になっちゃう。
イスラム教にでも改宗しようかなぁ。
むしろ「オタ親」というのは物凄い勢いで増えてると思う……ウチの兄貴とか……orz。
オタクだって、ライトなそれなら、それなりに結婚もするし子供も作るさ。で、子供という免罪符を得て堂々と萌えアニメを昼間から見てたりするのさ。
30年前には「オタク的趣味=なんとなく非社会的なこと」だという共通了解自体はあった。今はそんな「共通了解」自体が、ほとんどの分野でほぼ成立できてないよ。だから「一斉に減り始める」というのは期待できないと思う。
なぜなら、今オタク((趣味にのめりこんで云々の方じゃなくて、ふつうの人たちが使う、容姿が気持ち悪くて挙動が不審で、という侮蔑語の方の意味))を忌み嫌って、見下して、気持ち悪がってる素晴らしい人たちが結婚して子どもを産み、その子たちが若者社会に入ってくるのがその頃だから。
概ね団塊ジュニアから下の世代くらいの人(つまり今現在若者の人たち)には、オタクが若者社会のヒエラルキーの最下層でサンドバッグにされてる惨めな人たち、という認識が共有されてきてるように思う。結婚したり子どもつくったりできるような人たちは当然見下してる側がほとんど((稀にオタクも結婚するかもしれないけど、たぶん圧倒的に少数派だろう))なわけだから、自分の子どもがそうならないように必死になるんじゃないだろうか。
だから、いま幼児くらいの子どもたちを先頭に、その子たちが高校生から大学生になるあたりから、オタクの新規参入はどんどん減っていくんじゃないかと思う。いま若者でオタクの人たちの親って、団塊から若くてもバブル世代くらいだと思うけど、オタクは自分たちの若い頃は(今のような社会的なポジションとしては)存在しなかったから、なんだかんだ言ってオタクに寛容だと思う。この先はそうじゃなくなるんじゃないの、と。
俺の両親は「やりたいことがあるならそれをすればいい」と言った。
「君の考えを尊重する、だから君の考えを言ってみなさい」と言ってくれた。
俺は自分の志望大学を言った。
そうしたら、両親は「それはダメだ」と言うんだ。
理由を聞いても教えてくれない。
ただ「君は甘い」「君は世間知らずだ」って繰り返す。
世間知らずなのは分かってるよ。
だから俺は考えたんじゃないか。
どうやったら世間を知ることができるのか。
どうやったら生きていけるのか。
必死で考えたんだ。
両親は、俺がなにを言っても否定した。
俺が言うことを、全て「無理だ」と切って捨てた。
両親は、俺の夢も希望も、全て潰して、そして最後に、
「君には自分の考えはないみたいだから、私たちの言うことに従いなさい」と言った。
自分たちで俺の考えを消しておいて、まるで元から俺に考えがなかったかのように。
めちゃくちゃ悔しかったよ。
あれから三年経ったけど、いまでもこの文章を書きながら泣きそうになってる。
いまの俺は、三流私大に通いながら、将来のことなんてほとんど考えずに生きている。
これじゃダメだってわかってる。
でも何をすればいいのかわからない。
どうやって生きていけばいいのかわからない。
正直、死んでしまいたい。
あー、増田はいいな。
こういうのを書き捨てることができて。
そう、そうなんですよね。おっしゃるとおりです。自分で気づいてそう言っているか他人に言われているかの違いだと思うんですよ。
「女性は人を産む機械(のようなもの)だから産める時に生んで欲しい」
とか
とか割と普通に思ってるんじゃないかなって気もするんですよね。
何故なら彼らはマクロな視点で見ているから。きっと従業員のことを人間として考えているわけではないと思う。
ちょっと経営者になったつもりで考えて見ると、例えば2000人の従業員のいる会社で、毎日1000人はほとんど何にもしてないで働いてるが1000人しかいなかったら
「2000人も従業員が居るんだからそれに見合った働きをして欲しい」
「2000個の歯車があるのに動いてるのは1000個だけだ!」
と思うのは割と当然だと思うんですよね。
出産の問題だって仮に自分が大臣だったと考えてみると、低下していく出生率や、どんどん進む晩婚化の現状を見て、しかも周りからは出生率の低下をなんとかしろ、晩婚化を食い止めろって突き上げをくらっていたら
「出産できる時期は限られているんだから産める時にたくさん産んで欲しい」
って自分だって言ってしまうかもしれない。
ただその発言を受け止める我々は個人だからそういう風に言われるといかにも物として扱われている気がして不愉快になると思う。
だからどうすりゃいいのかって言うのは私の中で答えがでないけど、少なくともお互いに相手の言わんとしていることを読み取る努力をすることは大切なことだと思う。
今の社会、本能を呼び覚ます肉体的な危機感が少なくて、精神的なクライシスにばっかり遭遇するので、萎える萎える。肉体的危機感がほとんどないので、小さい萎えを「そんなこと!」と笑い飛ばせるバックグラウンドが足りない。精神的危機がそのままアイデンティティの危機になってしまう。ニートの増加ってそういうところにも要因が在るような気がする。現代社会は開き直れる為の後ろ盾が少ないのじゃなかろうか。
1回でもいいから、「やばい!死ぬかも!」という体験をするのはどうだろうか。もちろん、リスクが伴うわけだけれども、それでも、生きるということが、本質的に、精神的な部分ではなくて肉体的な領域に依存していることが実感できれば、精神的弱さが克服できるような気がするのだ。自傷行為もそういうところ関係あるような気がして仕方ない。
肉体感覚を取り戻すのが精神的安定に繋がる、ってのは本当だと思う。
今高熱を出していて、そんなことを思った。
松本「だいたい創作家になるにはどの分野でもそうでしょうが、最初は模倣からはじまりますね。」
記者「ええ。」
松本「ちっちゃいころ、模倣、応用、改良、発展。そして発展まででだいたい仕事をしている。しかし創作という恐ろしい壁がその前にたっている。創作という概念は世界で一人という個性の確立。そこにたどり着いたものだけがかろうじて生き残る。その創作の壁の前では若者たちの死屍累々とした屍がおりかさなるわけです。で、その創作の壁を乗り越えたのは創作家として、自立した創作家として名乗れる。そして自分ひとりのものを確立していく。それが創作の世界。そこまでたどり着くまでがどれほどすさまじいものか。何の保障もないんですよ。孤独で、ある意味で悲惨な戦いが続くわけです。」
記者「ええ。」
松本「それを乗り越えてはじめて自立した創作家という立場に自然になっていくわけですね。それをどうか理解してください。人間(?)だけの問題じゃない。」
記者「ええ。」
松本「で、今でもですよ。我々でも、キャリアとか過去のものにすがって生きるというわけにはいかないんですよ。全員対等です。」
記者「うーん。」
松本「きのう、登場したばっかりの若者と我々とも立場上はすべて対等なんです。序列なんてものは何もないですよ。なんにもないです。ですからいつ目の前に奈落が開いても、あのう、覚悟のうえなんですね。」
記者「うん。」
松本「そこをわかって下さいというのが我々の願いなんですね。創作に携わる者の。生みの苦しみというんですか。苦しみという生易しいもんじゃないです。いかに凄まじいものかですね。」
質問のテロップ「著作権の保護期間を50年から70年に延長するよう提唱していることについて」
松本「何のために書くかというのが創作の原点ですからね。その思いを貫いたまま、あのー、恩をしていただきたいわけですね。」
記者「うーん。」
松本「何のためにこれを書くか、それは全員が、絵でも音楽でも、あのう、マンガでも、何のためにっていうのが基本に必ずあるはずです。で、それが、あのー、薄れて奇妙な解釈の部分が出る可能性がありますよね、切れた場合に。
日本の、日本の作品の中で50年であれば、もう、切れるものがもの凄いたくさん出てきます。特に、私らの直接的のマンガ家という立場の。あのー、(聞き取りできない。)赤字にしたのいますから。石ノ森章太郎とは、同年、同月、同日生まれですよね。」
記者「ええ。」
松本「もう9年経っているんですよ。そしたら、あと47年でしょ。」
記者「うーん。」
松本「それが、どんなに恐ろしいことか。その息子さんや、その他これから長寿化の世界ですからね。」
記者「ええ。」
松本「あの、90歳、100歳になるころに元気だったとしたら。その前に切れたときが来たらどんな思い。オヤジ、一所懸命がんばったのに。そう思うと、なるわけですよ。」
記者「奥さんの存命中に切れる可能性もありますね。」
松本「場合によってはありますね。あります。女性のほうが長生きする長寿の例が多いですからね。だから、そういう場合もある。
やはり、それは何のために働くかというと、まずは自分の作品を創作物として読んでもらいたいから、必死に書くわけです。」
記者「ええ。」
松本「さらに生活をかけているわけです。一家の生活。」
記者「ええ。」
松本「家族の生活。あのー、それは利害関係とは違うわけです。」
記者「ええ。」
松本「みんな一所懸命、何のために働くんですか。その家族を養うためでしょ、まもるためでしょ。プライドを賭けた創作のために働くんですよ。その結果として生まれた副産物としての収入は、家族を養うために、その家を保つためにあるわけでしょ。物見さや、遊びに使うわけではない。
それが必要最低限、守られるように。その時間は長ければ長いほどハッピー。安心して、あの世へ旅立てるわけですよ。だから、そこら辺の精神的なものを少し考えてくれませんか。」
記者「気持ちの部分とか、そういう。」
松本「だから、賛否両論あるのも百も承知。で、否定する側の論理にも意味があるのはわかってる。わかっていますけど、物をかく人間としては、長くしてくださいというのが、切なる、切なるお願いなんです。願望なんです。
ただ、まだ過渡期でね、世界中が混乱している状況なんです。」
記者「はい。」
松本「徐々に徐々に落ち着いていくと思います。そんとき日本だけが50年だったらどうなると思います。もう、手も足も出ない。で、そういうこともあるので、とにかく70年にしといてくださいとね。
それでですね、うちはですね、そういう相談というか、ご本人の自由裁量に委ねられる部分を法的にきちんと残しといてもらえば、それにのっとって自分の自由意志で決めればいい。その、日本だけできちんと作っておけば。
で、なんにも言わない人は基本的に70年。それでいいと思う。
自分で書いたことのある人間は、まずほとんど99.99パーセント、70年と言うと。自分で書いたことある人間は。
それから、見る側だけの人間は、へえしゅつ(?)しただけのものは見たくないでしょ。後世の者でもね」
記者「ええ。」
松本「だから、なるべく原型を保てるままに。原作を逸脱しないために、70年というのはひとつの糧になるわけですね。その場合。防壁ですね。そういう創作の防御策としても70年というのは有効に作動する。だから、あのー、微妙な問題ですけどね。
あのー、生涯をかけて、なんというか全くの頼るものもない、孤独な作業を続けていく創作家の身にもなってくださいねと。その想いね。各人がその生涯をかけた想いというのをね、せめて70年残して欲しいというのがお願いなんです。」
第1話「空を自由に飛びたいな」は→http://anond.hatelabo.jp/20070128092423
「世界」が自分のものになる夢を見た。
俺は、八百屋の店番をしていて、客の前で「ジャイアン・リサイタル」という自らのあだ名を冠にしたライブを演じている。その時の俺は「世界はすべて俺ののもの」と確信しながら唄っているんだ。
目覚めると、夢精をしていた。
それが、俺の精通だった。
俺に思春期がやってくるのは、少し周りに比べると遅かったみたいだ。そんな暇がなかったのだ。俺にはやらなければならないことがたくさんあった。確かに静香という名の可憐な少女に見とれることはあったが、それはただ美しい絵画を見るのと変わらなかった。そんなことより、目の前ののび太をぶん殴ることが大切だった。
そのためにはクラスを支配しなければならなかった。
俺にとって興味があったのは「漢」として自分がどうなのか? という価値基準であって「男性」として女にどう見られるかなんてものは問題ではなかった。
だから、俺はつい最近まで、そのことに全然気付かなかったんだ。
磯野カツオにとって、一番の悦びは周りの人間達を自分の意のままに動かすことだった。
時には詭弁で、時には謀略をはかり、クラスを支配することが、何よりの快感だった。
そのために口から出てくる嘘も何の抵抗もなく吐き出していた。
例えばカツオにとって、女子と付き合うことは、恋や愛の類では決してなく、クラスメートから一目を置かれるためのステータスでしかなかった。だから自分の付き合うべき女は、クラス一番の美人である源静香でなければならなかった。
自分にとって、同級生達は見下すべき存在で、磯野カツオこそが、特別な存在なのだ。そう思っていたし、事実、今のクラスでそれは実現していた。
世界の中心は自分の足元にあり、そこを中心に世界は回っていた。
その象徴が、自分の誇りである、この巨大な性器だった。全長30センチに迫ろうかというそのモノが成長していくのと比例するように、自分のエリート意識は膨張していった。
自分には全てがある、そう信じた。
邪魔なものは排除する、溢れる知恵と肉体的な魅力によって。
俺はカツオとともにすごすのが楽しかった。
こいつは信用できる奴だ。俺が唯一認める「漢」だ。カツオだって、俺の事をそう思っているのだろう。こいつが何か行動する際は、必ず俺に相談をしてくれるし、面白いことが起こりそうな時は、俺に教えてくれて、誘ってくれる。
カツオと一緒にいれば、俺にとって何か面白いことがある、そう思っていた。
カツオは思案していた。
いつも自分に近寄ってくるこの男……ジャイアンこと剛田武の利用価値とその弊害について。
いつも番長風を吹かせるこの男は自分がクラスの中心につくために必要な人材であったことは事実だ。しかしながら、いまや、自分の自由を制限する存在でしかなくなりつつある。
なんとかしなければ。そう思った。
何か、この男の弱みはないか?
そんなことを日々考えながらすごしていた時、ふいにそれを見つけてしまった。
それは、ジャイアンがぶらさげているモノであった。豆粒にも似たそれは彼の大きなお腹にほとんど隠れて見えないほどだった。
「粗チン」というにも値しない。
これを利用しよう。それには女の協力者が必要だ。カツオはクラスメートを思い浮かべた。
則巻アラレがいい。
彼女を使おう。カツオはジャイアンを落としいれ、名実ともにただ一人のクラスの中心になるために綿密な計画を練り始めた。
「僕は新世界の神となる」
続き。
ぼくは彼女からの好意らしきものを感じていて、何となくそれを避けていたのだった。そういえば。ぼくはそれをすっかり忘れていて、「仲のよかった女の子」という枠でのみで記憶していた。いやまあ、それも間違いではないのだけれど。
あるいは。好意らしきものというのも後付で捏造された記憶なのかもしれない。でも、思い返すと、一緒に映画を観にいったり、一緒に出かけたり、飲み会のときはいつも二人で話していたり、そういえば携帯電話を持ち始めたきっかけも彼女だった。もしこれが友人から聞いた話であれば、「絶対お前に気があるって」位のことは言いそうだな。うん。
前にも書いたとおり、そのころの携帯電話には同じキャリア間でショートメッセージを送る機能しかなくて、それもオプションのサービスで別途契約する必要があった。ぼくに携帯電話を持たせることに成功した彼女は、今度はこのショートメッセージのサービスの開始を迫った。というのは大げさすぎるか。でも、かわいい女の子に「えー、○○君にメッセージ送れないの?」なんて言われて逆らえる男はほとんどいないんじゃないだろうか。もちろんぼくにも無理だ。
ぼくは昼ご飯を食べているその場で(彼女とはいつも一緒に昼ごはんを食べていた。もちろん、二人っきりではないけれど)電話をして、ショートメッセージを使えるようにした。彼女は「無理言ってごめんね」なんていってたけど、その割にはとても嬉しそうだった。そうして、ぼくたちは休みの日にもちょくちょくメッセージのやり取りをするようになった。
ぼくが長期出張に行ったのは、入社して半年のことだった。わざわざ出張に行くのだから忙しかったのだろうと思う。その頃のことはあまり覚えていない。彼女からの一通だけのメールはちょうどその頃の日付が入っている。彼女が会社のアドレスあてではなく、ショートメッセージでもなく、あえて個人のメールアドレスに宛ててメールを出したのか、ちょっと分かるような気もするのだけど、確かめるすべはない。
(続く)
あるある大事典のデータねつ造問題で、「テレビなんてそんなものなんだ、そもそもあるある大事典なんかを信じている方がおかしい」などという論調をよく見かけるが、そんなことを言って”賢そうに見られたい”馬鹿を見るといらいらする。「テレビなんか全てトンデモ(嘘)として楽しめ」という言葉も、同じようにいらいらする。
テレビに信頼を求めて何が悪い?
テレビから流れる情報を盲目的に信じてしまうのはまずい、という主張は理解できる。あらゆる情報に対して、常に批判的な目を持っていることは大切で、嘘に気づく力も大切だ。しかしテレビが嘘ばっかりでできているとあきらめてしまうことはもっとまずい。それはテレビの嘘を許していることに他ならない。テレビが嘘を流し続ける状態で、日本はよくなるだろうか?テレビから流れる情報が常に信じられる状態と、ほとんど信じられない状態で、どちらの方が世界がよくなるだろうか?
テレビは今でも最大の影響力を持って日本に君臨している。そのテレビが、有害な情報や嘘、役に立たない情報を流していると思ったら、それを見ているみんなに警告し続け、嘘を流し続けるテレビ局に怒り続けるべきだ。テレビにはこんな情報が流れていてほしい、みんながこんな情報に接していれば世の中はもっとよくなるのに、と思う、それ以外の情報が流れているなら、そのことに対して怒りを表すべきなのだ。
世界をよくするために。
「信じている方がおかしい」と言う人たちは、おそらく気づいたときにそのことに怒り、警告を発したこともあったのだろう。そしてその怒りをもってしても世界を変えられないことに対して、冷笑的に対処するしかなかったのだろう。だからといって、今怒っている人に対してそのことを非難するような行動は慎んだ方がいい。ここでは怒ることが正しいのだから。
「嘘として楽しめ」という奴はもっとたちが悪い。確かに「嘘か本当か分からないような手順で嘘をついて、見抜けた人だけが楽しむ」という遊技はとても楽しい。しかしそれはテレビでやることではない。明らかに、それを嘘と見抜けない人々が大量にいるのだ。ごく一部の頭のいい人だけが、”嫌な”楽しみかたのできる番組などを流して、世界がよくなっていくと思うか? だまされる人をフォローせずに、テレビでその遊技を楽しむべきだと思うか? 私は思わない。
私はテレビからは信頼できる情報だけが流れるべきだと思う。そのために今回の件では怒るべきだと思うし、少なくとも怒っている人に対して、その怒りをバカにするような反応はすべきではない。
昔、従業員70名くらいの会社に勤めていて、うち50名くらいが女性だった。それもほとんどが18歳-30歳って言う会社。だけど、それだけ人数がいても本当に好きになれる子っていないんだよね。だから、好きな子ができたら全力でアタックすべきだと思うんだよね。
好きになれる女の子と出会える確率、そしてその子と付き合える確率。どちらも非常に少ない確率。
俺なんかよりずっとイイやつに巡りあえるさ、とか、話せるだけで幸せ、とか納得してんじゃねーよ。その後後悔の旅に数年出ることを繰り返して、気がついたら恋愛ともう縁が無い年になって、それで自分の人生いいのかよ。恋とはエゴ。エゴの塊なんだよ。きれいなものじゃなくて、汚いモノ。だけど、汚いものにまみれることで手に入ることがある。自分の取るに足りない自尊心とかプライドとか、その後に手に入るかも知れない貴重なダイヤのためなら、投げ捨てた方がイイと思う。
現実の女性はエゴの塊とか、実際に付き合っても無いのに断定しないように。何でも、とりあえず一回体験して、それから判断下せよ。
恋愛って、自分の理性と感情の闘争だと思う。それは実際に体験しないと、経験しないと理解できないこと。本を読んで、頭で考えても理解できない。
どんなジャンルの話でも、もうだいたい先に書いてしまっている人がいるからなあ……
長い目で見れば、そのうち世代交代が起こるんじゃないかなーって思うんだけども。
で、新しい世代は、今の世代がやったような議論と同じようなことで、また議論を繰り返すんじゃないかと思う。
だってさ、非モテだのなんだのって、別に今に始まった話じゃないでしょ。それこそ何百年も前の人だって、恋愛で悩むような話の本を書いてたりするわけだし。じゃあ今の自分たちの世代がその当時の議論を追っているかっていうと、そういう訳じゃ無いもんね。
だから、新しい世代のブロガー(か、それに類する人たち)も、今の世代の議論なんて知らずに、似たような事で延々と議論を繰り返してるんじゃないかなーって気がする。多分1年後くらいでも、現在の議論なんてほとんどの人達には忘れ去られているんじゃない?
でも、確かに議論の舞台は変わるかもね。ブログじゃなくて、新しい形のコミュニケーションツールみたいなのが今後出てくるかもしれないし。
友達の女性とご飯を食べに行った。
ちょっと強いお酒を飲んでしまったのは失敗だったが、たのしい時間をすごさせてもらった。
教えてもらったお店はおいしかったし。
支払いは私のおごりである。
彼女とご飯を食べていると、いつも気になるのだが。
友達や上司、はたまたサークル(?)で知り合った人々とご飯をたべにいっているらしい。
ほとんどおごってもらうんだとか。
先日は、彼女の会社の関西地方の支店長に誘われて観光してきたとの事。
「なにもないよ??」と彼女は言うし、私もそうだろうと思っている。
気になるのは、
1.自分の稼ぎ以外でおいしいものを食べてそれでよいのだろうか。
2.おごってもらって、その人を楽しませているからよいという考え方もあるが、それはていのよいキャバクラ嬢ではないか。
3.彼女が結婚したときにその生活が続くのかということである。旦那に十分な稼ぎがあればよいがない場合生活レベルを下げるのは並大抵ではないだろう。
またそのうち誘いますけどね。でも男ってずるいな。
きっと、ここから見える風景なら、どこへでも手を伸ばせばすぐ飛んでいける。
例えば、僕は、勉強もできないし、スポーツも出来ないし、女の子ともうまく話せない。それどころか友だちだってほとんどいない。だから仮に僕はのび太と名乗ろう。こんな僕にはぴったりの名前じゃないか。そうだろ?
この屋上で風に吹かれながら、風景を眺めながら、やっぱり、すぐ飛んでいけるなんてことはないんだって気付いた。冷静になればそんなの当たり前だけど。
そんな無力感を抱きながら、僕はそこでズボンを下ろし、自慰にふける。
校庭で遊んでる奴らを見下ろしながら、高揚してるんだ。
お前らなんかここから見るとゴミに見える、なんて毒づきながらホントは羨ましいななんて思ったりしながら。そうしては握り締めたその手を激しく動かし、奴らにぶっかけようとした。けれども、のび太から発射されたものは、屋上の手すりの先を飛び越えただけで、そのまま屋上の床にこぼれ落ちた。
のび太はその残骸を見つめると、また遠くに目線をやった。目線の先には大きな海が広がっていた。振り返ると、高い山がそびえ立っていた。
のび太は、この空を飛んでその先に行ってみたいと思った。
今の自分の知らない世界はどんな風になっているのだろう。今の自分じゃない、新しい自分になれるんじゃないか?
空を自由に飛びたいな。
初めてそれを目撃した時も、特別な驚きもなかったし、それほど嫌悪感もなかった。ああ、こんなところでもする人がいるんだな、という目の前の事実だけをそのまま言葉にしたような感想だけだった。
何故そういうふうに思ったのかと問われても、それは綾波レイが、そういう種類の人間だというそれだけのことだ。
ただ、この自分のテリトリーさえ犯されなければ、それだけで良かった。
綾波はいつも昼休みが始まるとすぐここに駆け上がった。立入禁止の屋上に続く扉を開けると、心地よい風が蒼い髪を揺らした。彼女はそのまま扉の隣にある梯子を使って、さらに上に登った。屋上の出入り口のために作られた、屋上のさらに、でっぱりの小部屋の小さな屋上。それが少女の居場所だった。
1畳ほどしかないそのスペースで横になって空を見上げると心が落ち着いてくるのだった。
あの日もそうやって空の雲の形に思いを馳せていた。突然、開くはずがない扉が開く音がした。
彼女は反射的に息を潜めながら、屋上を覗き込んだ。教師が私を探しに来たのか? 自分のテリトリーが失われてしまうのではないか、という不安で胸が張り裂けそうになった。しかし、そこにいたのは、少年だった。
少年は落ち着きなく辺りを見渡しながら、そこに座り込んで弁当を広げた。彼女はようやくホッとしてまた空を見上げた。自分の場所を侵すようなことはない、と思った。
しばらくして、また少年に目をやると、彼は立ち上がり、手すりに身を寄せながらまた落ち着かないような感じで辺りを視線を泳がせていた。
少女の胸は再び高鳴ったが、それはほんの一瞬の事で、少年が激しく手元を動かし始めた頃には、自然と口元に緩み、微笑んでしまった。彼女はその少年の後ろ姿をずっと見つめていた。少年は「あ、あ」と、僅かに声を上げると、お尻の両端がキュっとくぼむと今度は「ん……」と息を吐き出した。少年は手を動かすのをやめると、自分の足元をしばらく見つめたあと、腰まで落としたズボンのポケットの中のティッシュを不器用に探し回ったが、持っていなかったのかそれを諦め、尻を丸出しにしたまま弁当の置いてあるところまで戻り、それを包んでいたナプキンをはずすと、自分の股間をそれで拭いた。
それから綾波は、ここから見上げる空の風景を見るのと同じ心情で、少年のオナニーを眺めるようになった。少年はほぼ毎日やってきて、ほぼ毎日ズボンを下ろした。彼女もほぼ毎日、それを見ながら時に自分も自慰の真似事をしようとしたが、すぐにバカバカしくなってやめた。けれどもそれとは少し違う恍惚感を感じていた。
少年は大抵は立ったまま下を眺めながら、それをやるのが主だったが、時には横になったままだったり、座ったままだったり、あるいは、食事をしながらだったりもした。
そんな中、彼女が少し不満だったのは、彼の後ろ姿しか見ることが出来なかったことだ。別に彼の正面を、具体的に言えば性器自体を見たいという興味ではない。けれど、何か中途半端に秘密を握っているような、不安定な感じがして嫌だった。すべてを見ておきたい。そんな良く解らない勝手な想いが日を追うごとに募ってきていた。
その日ものび太はいつものように食事を摂ると、そのままぐったりと寝転がった。そしてそのまま空を見上げると、今まで感じたことのない感じがした。今までは周りの風景や、下に映る光景しか見ていなかったが、真上に広がる空を落ち着いて見上げたことはなかった。
仰向けのまま彼はズボンを下げ始めた。
綾波は久しぶりに胸の高鳴りを感じた。今までにない体勢で、少年のすべてが見えるアングルだった。初めての彼のその姿を見たときと同じ微笑みを浮かべた。
のび太は膝までズボンを下ろし、それを握り締めるとその手を動かし始めたが、少し物足りない感じがした。すると彼は何かを思いつき、ズボンを完全に脱ぐと、服も脱ぎ全裸になった。全裸になって一度、大の字に寝るとかつてない高揚感に包まれた。そして完全に勃起したものを激しく動かした。
綾波レイは思わず身を乗り出した。
その時。
のび太はその時、何があったかすぐに理解することが出来なかった。
彼女は自分の衝動を抑えることが出来なかったことを、すぐに激しく後悔した。
綾波は観念して、その場に立ち上がった。
のび太は呆然とその光景を見つめていた。金縛りにあったように全裸のまま動くことは出来なかった。今は自分が全裸であることに気を回せるほど冷静ではなかった。見上げた先のスカートが風に舞ったが、いつもなら、その奥を食い入るように凝視するはずの彼が、そこには見向きもせず、彼女の瞳だけしか目に入らなかった。視線をはずすと何か重大な何かが起きてしまうような気がしたのだ。
程なくして、綾波のほうから視線をはずした。すると、のび太を襲っていた金縛りも解けた。のび太は急に自分の今の姿が恥ずかしくなり慌てて手で隠した。
「どうするの?」
「え?」
「続ける? 服着る?」
というと、彼の服を手にした。
「あ、わ、ふ、フク、着る」
「そう」
彼女は少し落胆した感じがしたが、それを表情に出すことなく、そっと、服を手渡した。
のび太は慌てて服を身に着けた。綾波はその風景を見ながらまた少し微笑んだ。
「あ、あの、見て、見てたの?」
「ええ、ずっと」
「ず、ずっと? え! ずっと?」
「そう、ずっと」
彼女は悪戯っぽく口元を緩めた。
「な、なんで?」
「なんで? 貴方が急にここに来て、勝手にやってたからじゃない。私は前からここにいたのよ」
「じゃ、じゃあ、なにか……」
「なにか? 何か言えば良かったの? 私はどうすれば良かったの?」
彼女にそう問われて、のび太は返答に困った。確かにどう対処されれば良かったろう? そんな良い方法なんてないんだろう。のび太はしばらく考えた後、はっきりとした答えの出ないまま口を開いた。
「……笑ってくれれば」
「え?」
「笑えばいい……、と思うよ」
先にことわっとくけど、俺は法律に関してはさっぱりわからんよ。
で、ニュースの転載に関してなんだけど、((blogじゃなくてね))
例えば、ざっくり1年前あたりのニュースを見てみたんだけど、
この中で、
が見れなくなってる。
cnetやimpressあたりだと残ってるんだけど、一般向けの新聞社だと消されやすい印象。yahooとかもね。
そんなときに、全文転載してるblogがあると、元記事が見れて便利。
元記事が何で、どこからどこまでが元記事で、どこからがblog主の記事かがわかれば問題ないと思う。((法律上は知らないよ。)) ((Livedoor PJニュースの件はここが問題なのでは?))
見やすさからいうと、別ページになってた方がいいけど。魚拓とか使ってほしい。
otsuneさんのblogだと、リンクの横に_がついててキャッシュへのリンクになってるっぽいけど、公開してくれてないからキライだ><
あと、自動でウェブ魚拓とって、はてブの関連URLに登録してくれないかなぁ、誰か、それplaとか言いながら。
転載がほとんどでコメントが一言だけ、ってのもちょっといやだけど、
それよりも、はてダ使ってて、リンクにコメント一言とか、リンクだけってがひどいと思う。はてブ使えよ。
はてブの含む日記に載ってて、長いコメントがあるかなと思いながら見に行ったらリンクだけとか嫌過ぎる。
リンク先にどのくらいのコメントがあるかわかるようなの作ってくれないかなぁ、誰か、それgreとか言いながら。
しかし、著作権が存在しないことをたてにしたweb上での転載が横行すれば、独自性のあるブログを作ろうという野心を持ったブロガーが減少してしまわないか不安になる。現に、2chコピペブログやここはてな匿名ダイアリーにおいても、無断転載と思われる記事が結構多いのだ。無断転載をされた側は糾弾するすべがなく、無断転載をする側は何も考えずにブログのエントリやニュース記事を作製できてしまうことになる。これがネット上での議論をより質の低いものにすることは、目に見えている。よりよいネットでの議論を維持し再構築するためにも、「引用」を正しく用いてくださるよう、私から皆様にご協力をお願いしたい。
これに関しては、元記事へのリンクがある「転載」ではなくて、自分の記事としてコピーすることに問題があるんじゃないかな。
いわゆる「パクリ」ってやつですな。「剽窃」ってのもこのことか。
少なくとも、アホ理系青年の主張〜窓野マサミ☆アホージャーナル〜:ニュース記事転載系ブログサイトを読むと憎いし苦痛だ - livedoor Blog(ブログ)で言ってる「転載」とは違うと思う。
ま、そういう事なんだけどね。
で、なんで直さないかというと原因が特定されてなかったからじゃないかな?
バグフィクスでめんどくさい事の1つがバグの位置の特定なんだよな。どのくらい時間がかかるかわからないし、わからない時はわからない。生産的でもないから食手が伸びないんだよ。ま、私はパズルを解くみたいで好きだけど。
で、不具合カテゴリのやつはほとんどが同じ根をもってるっぽい。以下憶測なんだけど増田の投稿処理フロー。
ってながれかなと。で3番でアンカー文字列がキーワードだとキーワードリンク(2で作られたリンク)ではなくても書き換えちゃうと。たぶんそんな所かと思った。
あと、キーワードに記号が含まれているとうまくマッチしないで d.hatena.ne.jp を向いたキーワードリンクが残るとか、こけて500を返すとかも起こってるんじゃないかな。
で、対策としてはキーワードリンク生成時にあらかじめclass属性を付加して、それを3のキーワードリンク書き換え条件にすればよいんじゃないかと思った。
という推測をしたんですが、あってますでしょうか?>わんぱーく先生
そうそう、やっぱり
- <a>キーワード</a> - <a name="keyword>>キーワード</a>
ってのもありみたいで。
あと、まさかとは思うけど
http://anond.hatelabo.jp/20070127170633
ではトラックバックとんだりしないよねー。でも
- <span title="http://anond.hatelabo.jp/20060924031809">_</span>
はどうかなー?
と激しく思う。自分で読み返そうとも思わない。
だが毎日吐き出しておかないと気が滅入る。
ほとんどはどうでもいい情報だが、とは言えブログとかには書けないよね?
裏もない情報だもの。本人から聞くのもあるけど余計ね…、、
しょうがないので自分の中で消化して意味のわからなくなった文字列にして吐き出すんだけど
こういうときみんなどういう風に処理しているんだろう?
聞かなかったことにする?
http://anond.hatelabo.jp/20070127144404
2chのスレとかだと、あれこれ変えるなよ、みたいな人が多いっぽくね?
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20061115/1163576101
http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20070127/1169824810
↑この辺を読んで書きたくなったので書く。読んでない作品ばっかりなのにかなり適当言った。多分いろいろ間違ってるけど勘弁。
・ラノベ的なものはあるがあくまでティーンズ向けのジャンル小説
・ライトなSF、スペオペ、軽めのファンタジー、TRPGの小説版、アニメの脚本家が書いてる小説、ノベライズ、10代向けの伝奇小説、あと海外の翻訳モノ
・少女小説は、つーかコバルトはすでにかなり歴史があるので安定。恐ろしく軽い文体の恋愛・ミステリ・ファンタジー・伝奇・ホラー
・スレイヤーズ登場
・スレとあとフォーチュンクエストあたりの大ヒットが10代向けの文庫本レーベル群全体に影響を与える。逆に考えるとスレ・フォーチュンが当時のラノベの中核であり、また最初の純ライトノベルと言える
・スレイヤーズフォロアーがジャンル化。一番成功したのがオーフェン。その他ゴクドーとかはみだしバスターズとか捨てプリとかリアルバウトハイスクールとか?内容つーかスタイルと売られ方に特徴がある気が
・五代ゆうの活躍の余地がなくなる
・ど真ん中にいるのがデル戦、それに冴木忍とか前田珠子とか十二国記とか風の大陸とか
・あかほりさとる大活躍。非常にオタ向け。まだラノベの中核とは言えない
・この時点ではまだ“ライトなジャンル小説”も生き残ってる。全体としてラノベと言うよりヤングアダルト
・なんか世相が暗い。あとエヴァ
・富士見の勢いはいまだ衰えず
・コバルトも相変わらず安定
・電撃に古橋秀之登場。影響を受けた電撃の作家が俺設定バリバリになる。異能力モノがはやるきっかけにも?
・結局古橋自身は流行らなかったけどな。古橋秀之―成田良悟ラインを電撃硬派と呼びたい(オレが
・学園モノが流行るきっかけに
・あかほりラインをまぶらほ・阿智太郎が継承。女の子いっぱいコメディの地位が徐々に上昇し始める。
・ラノベと言う名称が成立
・ラノベ暗黒期
・富士見がフルメタあたりを除いて失速、電撃はまだ十分な力を持っていない
・ブギ+あかほりみたいな作品が多い。それかあかほりみたいな作品。あるいはキノっぽいの。
・ただ、ここで一度途切れたことで、逆に00年代後半に入って新鮮に受け止められるように
・スーパーファンタジー文庫とかプランニングハウスのファンタジーの森とか富士見のミニ文庫とか角川のおっきい奴とかが撃沈。徳間の中途半端な大きさの奴もほとんど出なくなる
・富士見ミステリー文庫。この段階ではまだいまいちウケない
・この時期ラノベってジャンルがどんどん自閉的になっていった気がすんだけど。どうよ?
・ファウスト系のひとが登場、注目を集める
・当時のラノベの中心であるところの上遠野が、ノベルスで小説を出す。電撃からの越境の発端?
・ラノベの評論家の人が増える。売上げは下がっても存在感はUP
・ハリポタ旋風
・電撃最強伝説
・おかげでベテランに活躍の余地が。新装版とか数年ぶりの新刊とかも出る
・以前からコバルトからの越境者はちょろちょろいたけど、今度は角川グループからの一般文芸への越境者が続出
・リアルフィクションて何?
・電撃の絵のついてないラノベがちょっと話題に
・フォア文庫とか青い鳥文庫とかの表紙のラノベ度がいつの間にかずいぶん上がってる。そりゃまあ昔からマンガ絵な表紙は多かったけどさ。ラノベがオタ・中二病中高生に走りすぎて失った、ライトかつまっとうな物語が多い。
・狼と香辛料登場。識者のひとから注目を集める
・ここのところラノベと言うジャンル全体が大きく、力強くなってってる印象
・『ミミズクと夜の王』ってどんな話だ?
・支倉凍砂の次回作は?(気が早い
・出せよ!買うから!あと龍盤七朝とタツモリの続きも!
・成田良悟とか須賀しのぶもなんかこう、もうちょっと面白いことやれそうじゃね?
・大西科学が正しいのは分かるけど売れるかって言うと微妙な気が。この辺の路線を意識した上で、またひとつ違うものを作れる人が出ないものか。大楽絢太とかは?
・電撃に森見登美彦引っ張ってこいよ。ハードカバーで。ええ?ムリ?じゃあしょうがないな……
・その他越境者の先生方、ええとあれだ、頑張れ!
http://anond.hatelabo.jp/20070126042646
僕の友人に、もの凄い方向音痴がいる。
彼女の場合、どれだけきちんと下調べをして、地図を手に持っていたとしても、目的地にたどり着けないという。
「どれくらい迷うもんなのか」という好奇心も手伝って、彼女に案内させて街を歩いたことがあるが、「どうしてここで迷えるんだ」というポイントでものの見事に迷っていた。そこが何度も訪れた事のある街だったのに、である。
そういう人にとって、下調べして得た地図などはほとんど役に立たないようだ。
下調べをしようが、案内板があろうが、「どうしてここで迷えるんだ」と思うような場面でも、迷う時は平気で迷う。
そんな時には「駅員さん」や「警察官」、あなたのような「周辺に詳しそうな人」に聞いて、具体的に「あちらの方向へ行く」と指差して教えてもらわないと、目的地にたどり着けない。
もちろん中には安易に人に聞けばいいと思っている人もいるだろう。でも、そうやってやむにやまれぬ事情からあなたに「助けを求めている」人もいる。
…と思っていると、もうほんの少しだけ穏やかな心持ちでいられはしないか。
いやかわいそうだよ。鼻の敏感な人がワキガだらけの職場に入っちゃったようなもんだ。
まさか手術しろと強制してまわるわけにもいかないし。
本人自覚なかったりするし。
「我慢してりゃそのうちクセになったりするよ。」
とか言われてヒスおこすような日々。
そりゃ嫌煙家にもなるわな。
嫌煙家になるまで追い詰められた人はほんとうにかわいそう。
http://anond.hatelabo.jp/20070126012513
同じようなやつ知ってる。創立記念日じゃなくて別の記念日だけど、
そいつ、毎回、会のある少し前から
「今日は僕の誕生日にこんな盛大な会を開いて頂いてありがとうございます」っておおげさに
ふれ回るもんだから、3年目くらいに連絡票に「記念日と●●君誕生祝いについて」って
書かれるようになって、5年目か6年目からは記念日の話がほとんどなくなっちゃった。
部長のあいさつより、そいつの乾杯の音頭の方が長いんだ、もう。
少なくともその会社にとって、その記念日の扱いってのはその程度のものだった、と同時に、
連呼ってのは影響力があるんだなと思った。
参考にはならないよな、たぶん。
http://anond.hatelabo.jp/20070126075812
「払いたくもない税金」を払ってるって人に多いよね、こういう意見って。
でも、ぼくもニートじゃないんで、普通に働いて給料稼いで税金払って年金払って健康保険払って、って、きみと同様なんだよね。そいでもって、もしかするときみと同様の価値観をかつては共有していたかもしれない。
でもそのときも今もぼくは他人のために自分が何かを犠牲にしているからといって、感謝を強いる、あるいは「すべきだ」などというようなまねはしないけど。自分の供出したお金を自殺する人に使われるのはもったいないって感覚はどうなのかな?自分で死ぬなんてのはよほどのことなんだな、って考えるのがまずは順当だと思うけど。甘えや現実逃避で自殺する歳でもないし、借金苦でなんてほどお金に困ってもいないよ。
ちなみに税金でまかなわれるのは救急車にまつわる費用だけで、あとは現金支払いなんだよね。身元不明者以外の救急救命に保険適用はほとんどないし。自費なんです。
問題は、きみの一言で傷ついたかもしれない人は多分少なくない、って認識がきみにはないんじゃないだろうか、ってことなんだけどね。あ、ぼくは大丈夫だから気にしないでね。
でもね、暴力で人を傷つけるのも言葉で人を傷つけるのも同じって、なんとなく良識者間のコンセンサスはあるけど、法律では後者の方が明らかに扱いが甘いのね。今のところ証明するのも難しいし。
さて、仕事しますか。