はてなキーワード: 資質とは
別にがっぽり稼げなくてもいい、せめて黒字にしたい、
って音楽屋もいっぱいいると思うんだけど、
そういうのも「つまんないやつ」に括られるんだろうか。
生活において音楽が占める割合が多いほど、金銭の享受は重要になってくる。
これは才能というより個人の特性の問題。
(評価されるかも別問題、別の不確定要素が多すぎる)、
他の収入を確保する手段が少ないと、ある時点で人間力というか、
人を惹きつける力の存在は無視できなくなる。
(無いと、無形財である『芸』を金銭に変えることは難しい)
まぁ坂本教授クラスだと、過去の稼ぎと今ぽつぽつ取ってる仕事で十分生きていけるだろうけどさ。
それって、昔っからだよね……
なかなか面白い子だね。
まあGTDを広義に考えればそう言えないこともないかな(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/Getting_Things_Done
しかしまあ、それよりはキミに必要なのは、人生の目標設定に関する問題だろうねえ。
まずそれから考えたほうがいいかな。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP282JP282&q=%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%9b%ae%e6%a8%99%e8%a8%ad%e5%ae%9a
うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それを中心に考えれば、すべての可能性を書き出す必要はないんじゃないか。
また、社会はどんどん変化していくものだ。たとえば携帯電話も、今はブイブイ言わせていても、30年後はもうみんな、一種のテレパシーみたいなもので通信してるかもしれない。
今、じゃなくて20年後くらいを想像するのがいいかもね。
まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
あと、ドラゴン桜を読むといい。受験術中心だけど、人生哲学みたいなものもけっこう深い。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B002DEKF88/ref=sr_1_2_olp?s=gateway&ie=UTF8&qid=1285157004&sr=8-2&condition=used
全巻買っても8,050円。金ないなら参考書と言って親に買ってもらえ。息子の将来かかってるなら安いもんだ。
マインドマップ作成とドラゴン桜全巻読了、両方やってもせいぜい2週間程度ですむ。
あと、自分が何に向いてるか、自分で自分の事はよくわからないものだ。
まずは親に聞いてみたら?自分の小さい頃は、どんな子だったか。
「どんな仕事についてほしいか」は、親の古い頭の願望が入るから聞いてはいけない。
あくまで、どんな子だったか、だけを聞くこと。それを聞いて、「この子は」どんな仕事に向いているかを考える。
あと、身近な友達、自分をよく知ってる奴に聞いてみる。
そいつらは親バイアスがかかってないから、ズバリ「俺はどんな仕事が向いてると思う?」と聞けばいい。
これからの時代、どんな仕事が有利、とか考えても、自分の資質や性格に合ってなきゃ、結局続かないよ。
自分の性格、性質、を中央に考えて、他人に対してどのような価値を生むことができるのか、
それを基本にするといい。
そうだね。孫正義も
登りたい山を決める これで人生の半分が決まる
と言っている。
http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-40.html
でも、人生は思ったより長い。
間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
KDDIは、12月1日付けで同社の田中孝司専務が社長に昇格し、小野寺正社長兼会長は社長職を退き、会長に専任するとプレスリリースを発表したという。
http://www.kddi.com/corporate/news_release/2010/0910a/index.html
近年、Docomo、KDDIがSoftbankに対して守勢に回っているのは(印象的な部分は確かに大きいが)一定の事実だ。
その理由は、いくつかあるだろうが、決定的な理由はただ一つだと私は思う。それは両企業とも「トップが無能だ」ということだ。
Docomoの山田隆持社長、KDDIの小野寺正社長、Softbankの孫正義社長の経歴を比較してみよう。
社長 | Docomo 山田隆持 | KDDI 小野寺正 | Softbank 孫正義 |
年齢 | 62歳(1948年生) | 62歳(1948年生) | 53歳(1957年生) |
高卒資格獲得時年齢 | 18歳 | 18歳 | 17歳(飛び級) |
大卒資格獲得時年齢 | 22歳 | 22歳 | 22歳 |
最終学歴 | 工学修士 | 工学士 | 経営学士 |
留学経験 | なし | なし | あり(アメリカ) |
起業経験 | なし | なし | あり(22歳) |
経営陣参画時年齢 | 53歳 | 41歳 | 22歳 |
その役職 | 取締役設備部長 | 取締役(詳細不明) | 社長 |
代表権取得時年齢 | 59歳 | 52歳 | 22歳 |
その役職 | 副社長 | 副社長 | 社長 |
経営経験 | 9年間 | 21年間 | 31年間 |
代表経験 | 3年間 | 10年間 | 31年間 |
語学能力 | 日本語のみ | 日本語のみ | 日本語・韓国語・英語 |
山田社長・小野寺社長とも、学生時代に専門で学んだのは工学である。とはいえ、エンジニア出身でいながら山田社長・小野寺社長には、ケータイやネットを使いこなしているという印象を世間にまったく与えていない。世間は、彼らに対して、下手をしたら「らくらくホン」「簡単ケータイ」のユーザーではないのかぐらいの疑いの目を向けているだろう。そんな彼らがケータイやネットの未来について何を語っても、世間が耳を傾けることはありえない。逆に、twitterで自ら情報を発信し、iPadで仕事をこなすと公言し、テクノロジーに明るいという印象を世間に与えている孫社長の方こそが経営を専門に学んでいるのだ。
そして、年齢が一回り違う。山田社長・小野寺社長は既に60代。孫社長はまだ50代前半だ。気力・体力は明らかに孫社長に分がある。
では、10歳年上な分だけ、経営の経験が豊富かといえば、そうではない。山田社長・小野寺社長はエンジニアとして使い物にならなくなった40代、50代になってから、経営陣の下っ端に加わって経営を学び始めたにすぎない。経営の経験は、20代から社長を務めた孫社長の方が遙かに豊かなのだ。
その後、代表権を得るまでの10年、20年の間、山田社長・小野寺社長は、オンジョブトレーニングで、どのような経営を学んだというのだろうか。会議で周囲の顔色を見ながら当たり障りのない意見を言い、取引先とゴルフに興じたぐらいのことは最低限やったかもしれない。まぁ、同情の余地はある。今、クビになったら次の就職口が無いかもと不安と背中合わせの中年にできることは、その程度でしかない。ただ、その学びの内容は、20代で起業した孫社長のそれよりどの程度実践的だったのだろうか。
当然のことながら、山田社長・小野寺社長には、語学を専門で学んだ形跡も見られない。アメリカへの留学経験があり、少なくとも大学卒業程度の英語を読み・書き・聞き・話すことのできる孫社長に大きく見劣りする。携帯電話の国内市場が飽和する現在、打開の糸口を海外に求めなければならないが、山田社長・小野寺社長は、トップとして、どのように情報を集め、判断し、そして行動ができるのだろうか。
下っ端が翻訳などでお膳立てしてくれるのを辛抱強く待ち、ハンコがたくさん押される過程でスポイルされた情報を紙背からくみ取り、失言・減点を怖れて誰も発言しない経営会議に流れる空気を読んで判断するのは、非常に高度な能力が求められるものだ。山田社長・小野寺社長は、そういう意味で、日本でも(いや、世界でも)有数の能力をお持ちだろうと思う。
ただ、その能力は、ルパード・マードック(世界的メディア王)、スティーブ・ジョブス(アップル創業者)、ジェリー・ヤン(ヤフー創業者・米国留学経験あり)、ジャック・マー(アリババ創業者・中国にて英語講師経験あり)といった世界有数の企業経営者と個人的親交を結ぶようなことには、やろうと思っても役に立たない。思いつきすらしないだろう。
改めて繰り返そう。
DocomoとKDDIは、経営の素人をトップにしており、山田社長・小野寺社長の経営者としての資質は、孫社長に比較して劣等だ、ということだ。
これだけ明白なのに、株主たちはよく我慢している。逆に言えば、株主が良いといっているのだから、外野があれこれこれ言うことではなく、これで良いのかもしれない。
一方、「トップが経営の素人で、経営者として無能」というのは、多くの日本企業に蔓延している病だ。周りの会社もみんな似たような状況で、また注目度が低くて携帯電話会社のように、比較されにくいために目立たないだけだ。業績が右肩上がりだった時代は、ごまかせたが、これからは、そうはいかなくなるだろう。
危機に置かれている会社の、自分は無能だと自覚がある経営者は、即座に辞めるのが最良の処方箋だ。その際、必要なのは、ただ、年次・順送り人事の慣行を止め、無能な年寄りどもを道連れにするということだ。
一般的な日本企業では、通常はこうしている。
係長の中から優秀なものを課長に、課長の中から優秀なものを部長に、部長の中から優秀なものを取締役に、取締役の中から優秀なものを副社長に、自分が会長になったときに初めて副社長を社長に。
こんなことでは、本当に優秀な者をタイミングよく社長に就けることができない。経営トップとは、頭は固くなり、肉体はガタが来た年寄りの座るべき場所ではないはずだ。
優秀な人間をトップにつけるのに、もっとも効果がある劇薬はこうだ。
広く社会から経営陣を集めて、その中から、とびきり優秀な者を社長に就ける。
中間は、抜擢人事だ。
係長以下一般社員の中から優秀なものを課長に、課長以下一般社員の中から優秀なものを部長に、部長以下一般社員の中から優秀なものを取締役に。ただ、一般社員と取締役では、魚とイルカぐらい似て非なるものだというのが、この場合の問題ではある。
いずれにしても、何をもって優秀とするか、その判断基準と、目利きの能力が問われる。また、決断力や、反対を押し切る実行力も求められる。とはいえ、それは、本来、経営トップとして備えてなければならない能力の基本中の基本のはずだ。そして、孫社長という基準があるのだから、話は早い。孫社長と同程度優秀か、あるいは、それ以上優秀な人間をトップに据えればいいだけのことである。それは不可能なことか? じゃあ、孫社長は日本一、世界一の経営者なのか? DocomoもKDDIもこのまま孫社長に切り崩されるにまかせるだけか? 残された最後の切り札、監督官庁からの天下りを使って、政治家やお役人らとゴニョゴニョする以外に打つ手はないのか? あぁ、いや、これは、別に最後の切り札でもなんでもなかった。
欲していれば努力するはず
努力すれば結果がでるはず
すると
結果がでなかったのであれば努力しておらず
努力していないのであれば欲していなかったのだ
ということになる
さあもっと欲しよう
という思考法に限界がみえてきた。
人間、もてる欲には限りがある。
そこで「より欲する」以外の結果をだす方法を考えることにする。
「欲してない割りに努力する方法」か「努力してない割りに結果を出す方法」を考えればいいわけだが
後者はふつーに方法を吟味しようというだけの話しなので略(「欲しってない割りに努力する方法」を検討することも努力だよねとかいわない)。
「欲してない割りに努力する方法」を考える。
同じくらい欲してても努力量は人によって差がでる。
欲も含め、どんな要素が努力量を決めるか。
1動機
1-1報酬
1-1-1結果から得られる快
1-1-2過程から得られる快
1-2罰(報酬の裏返し)
2環境
3資質
3-1性格
3-2習慣
もっと細分化するつもりだったけど、まあこんなもんでいいや。
ネットでは在日差別ばかりが取り沙汰されるが、他にも同様の差別はあるんだよ。それに多くの人間は無意識に関わっているのであり、どれかをNOというならすべてにNOと言える態度が当然求められる。逆に言えば、これは差別だけどこっちは差別じゃない、というのは絶対にあってはならない。考え方の多様性は自己矛盾を保証するものではないからだ。
差別はたいていが各々のレベルで定義される閉じた共同体において、その構成員が予め備えているとされる資質(それは大抵が曖昧であるが、「ふつう」「常識」とするものが多い)を欠いた者に対して行われるケースが多い。
差別は、
などに分類されよう。差別とは「区別と序列」が前提にあるのは明白である。自分が他人と同じなのか、違うのか、また上なのか、下なのか、を認識してそれに見合った振る舞いをすることは、社会では必須のスキルである。
たとえば、自分と同じ共同体で、自分より上だ、と思う人には正の差別を、下だ、と思う人には負の差別を行う。しかしながら自分と異なる共同体の場合はそうとは限らない。人類が考える最大の共同体は、今のところ地球であるから、異なる国家を超えて評価されている人物は、人類、地球という枠組みで評価されていると言ってよい。逆に言えば、自分と思想が相容れない共同体の牽引者は、立場が上でも強烈に批難することがある、ということだ。
それに見合った振る舞い、というのは同調圧力と換言できる。共同体の中の役割を演じることで、共同体の他の人から承認されるのである。それをしないものは共同体内の自浄力によって排除されるだろう。これを村八分、いじめ、叩きという。
差別を糾弾したからと言って、逆差別の正当性が保障されるわけではないことを意識する必要がある。一度差別されたから、と差別し返すのは何も許された話ではなく、同じ穴の狢に身を落とすことにほかならないことを、理解する必要がある。
また、ネット上では多くの情報が行き交い、個人レベルでの情報処理能力が問われることになる。そこで、一部はレッテル貼りをすることで対象を矮小化し、処理しやすくしているようである。もちろんそれは処理された側からすれば不当なものにされる可能性が多くあることは言うまでもない。
まぁタイトルどおりなんだが...
第一子妊娠のときに妊娠初期から生後1年以上、つまり2年間ぐらいSEXしなかった。
胸を揉むことすら「子宮がうんぬん」「乳腺がうんぬん」で揉めないという状態。
もともとそれほど性欲が強い方ではないけれど、さすがに2年間おっぱいもめないのはツライ。
で、妻には第二子妊娠したら風俗に行ってみる。と公言してあった。
単なる性欲処理として、また好奇心として行ってみたいということは理解してもらっていると思う。
妻からは「病気をもらわないように」「私も興味があるから報告して」と。
若い娘のあそこって超綺麗。舐めまくってきた。
ハコヘルにも行ってみた。
ギャルっぽい娘がめっちゃ攻めてくる。なんだか征服感。
これなら月イチぐらいで通おうかなと思ってる。
で、この体験をつわりでオエオエ言っている妻に言えるわけもないわけで...
同じような経験をしたことのある人と話しをしたいけど、自分の友人から妻にも伝わる可能性があるわけで...
そんなわけで増田に書いてみたわけで...
id:shioaji84kcal
id:minazuki6
id:sagonohashi
「興味があるから報告して」が本心じゃないとか強がりとか気づかいだというのは、確かにそうかもしれないと思う。
この話をしたのは第二子のための子作り期間中だったので、つわりでツラそうな今現在は言う気はなくなったんだ。
でも話をした以上、いつかは「実は妊娠中、ホテヘルで痴漢ごっこしてきたよ。変態さんになった気分で楽しかった。」
みたいな話をしてもいいんじゃないかとも思ってる。
だって妻との会話では
俺:風俗に行く→妻:同意→俺:実行
妻:報告して→俺:未実行
なわけで、報告しない方が罪なのでは?!とも思うわけ。
だから、よくある「風俗行ったのがバレちゃって怒られた」っていう体験談じゃなくて
「風俗行くのを同意された上で、行って報告したら○○○した」っていう体験談を聞きたいんだ。
id:toaruR
id:klaftwerk
誰かと体験を共有したいんだよ。PINKちゃんねるとかのスレだと風俗通いし倒している猛者しかいないから、増田に書いてみたわけで。
id:twift
了解。今度読んでみる。ありがと。
id:pukiuki
お互いの浮気感については話しあってあるし、風俗については明確に同意されてるんだぜ。(言葉だけかもしれないが少なくとも言葉だけでは)
id:metalbabble
まぁ、そこまで極論するつもりはないよ。というか妻を性欲解消の対象とは見てないんだな。
妻とは仲良くしたいんだ。一緒に旅行したり、子育て悩んだり、そういう中のひとつとしてSEXが含まれてる。
だからお互いに体調がいいときにゆっくりと時間をかけて楽しんでSEXするわけ。
だからどっちかが我慢してどっちかの性欲を処理するなんて考えてないよ。
だから普段はオナニーするわけだけど、たまにはおっぱい揉みたいでしょ?
id:your
はじめて行ったんだもん。誰かに言いたいじゃん。
id:honjitsutosan
うん。それは全然問題ない。問題なのはそれによる育児放棄や借金であって、性に関してだけならむしろ推奨するね。
どうされたのが気持ちイイのか聞いて参考にしたいし、もし俺とSEXをするのが嫌になっても夫としてOKならお互いSEX相手は自由に探すことにすると思うよ。
「風俗行くのを同意された上で、行って報告したら○○○した」っていう体験談を聞きたいんだ。
あと「つわり・育児で大変なときに風俗言ったのを報告するなんてアホか」という批判がありますが、そんなタイミングでは言わないのでそこの心配にはおよびません。
あと、報告というのを詳細なものだと思って批判されている人も居ますが、内容のディテールを話すつもりはないですよ。
「あまりにもストレスたまったんで、風俗行ってみちゃったんだ。てへ。」ぐらいかな
id:steel_eel
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/059/p01.html
id:seenone
あなたの意見が一番まっとうだ。うん、コソコソ行くことにする。
id:migurin
すまん、本題と関係ない俺の意見を書いてしまった。現代日本の価値観だとインモラルらしい。
id:feita
揉むとドーパミンがどばっと出るから中毒になるんだよ。たぶんそういうことだ。
id:kairusyu
オナホはそれで代わりがきくが、おっぱいはやっぱり本物がよくないか?体温とか
id:yarukimedesu
すまぬ。
id:gebonasu30km
自分の妻がNTR大好きとは思えない、おそらく普通の人なので「本当に許す」ってわけにはいかないだろうね。
でも、報告してほしいと要求したのは妻なのです。
id:ajico_x
ちゃんと読んでないでしょ?脊髄反射で批判するのはよくないですよ。
一般化して申し訳ないけど男性だと思われる人は夫と妻両方の気持ちを考えた意見が多いけど
女性だと思われる人は妻側だけの気持ちの意見が多いな。なんでだろうか?
id:tokoroten999
「かまってあげれなくてごめん。風俗行ったの?楽しかった?よかったね♪」
岡崎市立図書館の事件と、それに対するネットの反応を見ていて思う。仮に自分があのソフトウェア制作会社の中の人で、当のプログラムの制作者だったとしたら、果たして正直に誤りを認めて公表することができていただろうか、と。
今回の件に限って言えば、私はWeb分野のプログラマだから、あのプログラムの設計が根本的に間違っていることを容易に理解できる。しかしもし会社の都合で全然知らない分野のプログラムを作ることになったとして、その分野における常識的な前提条件を見落としてしまったとしたら……同じような欠陥プログラムを作ってしまうかもしれない。
その欠陥が明るみに出た時、自分はどう対応するだろうか。少なくとも社内では正直に自分の誤りだと言うだろうが、取引先に対して、あるいは広く社会に対してはどうだろう。「ハードの性能が」「想定外のアクセスが」「攻撃を受けて」そんな言い訳を一切言わずに、こっそりと”闇改修”を行ったりせずに、全ては初歩的なミスだったと説明することができるだろうか。そうしたところで会社にとってプラスになることなど何もない、取引先の信頼は失うだろうしネット上では大いに叩かれるだろう、自分が職を失うかもしれないし会社の経営が傾くかもしれない。それでも言えるだろうか。猛反発する上司や同僚を説得し切ることができるだろうか。
できるとすれば、あるいはできないとすれば、何が理由だろうか。純粋な倫理観?良心の呵責?社会人としての責任?プロとしての自覚と覚悟?個人の資質によるものだろうか、あるいは社会的な制約の方が大きいだろうか。制度的にそれを可能にするインセンティブの設計は可能だろうか。
いやいやいや
他人事として考えるのがダメとお前が思うんなら何でそれから正しいと思う考えを示さないんだって言ってるんだよ。
件の記事は行政が駄目とかそういう単純な話じゃなくて、対策を議論する前の前提としてまず原因に対しての具体的なコンセンサスがとれていない事が問題っていう話なんだよ。
つまり有権者の問題意識がバラバラなのをまず整理しよう、で私は母子家庭の貧困が事件の要因として大きいと思うんだけど皆はどうなのって形でまず問題提起をする。
その議論の過程で個々の考える原因や子育てに関する考えを出しあってそれらを検討したり議論しながら合意形成していくってとこが肝。
なんでこういうプロセスが必要かって言うと具体的な政策なり対策を検討して行こうって段階になったときに「社会システムには問題ない、全ては母親の資質に依るところが原因で、対策を考える必要は無い」って意見が多かったりすると結局議論が後退するから。
要するに対策を考える前に地ならしをして、見通しを良くする作業をしてるってこと。
別にこういうのは何にでも当てはまる話、会社で新規開発プロジェクトを立ち上げる時もいきなり商品作るところから始めたりしないし、新商品の必要性を説いてる人を仕事してないって言って非難しないだろ?
誰も見ていないかもしれないが、一応。これ↓を書いた増田ですがブコメに補足。
http://anond.hatelabo.jp/20100802235251
事情がわからない方はこちらを先にみてほしい。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
y_arim anonymous, history, war いやだから改変元にしてもB・Cを以てAを免罪する論じゃなかったでしょうがよ。 2010/08/03
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20100802235251
いや、どうやったらそう読めるのか不思議でならないのだが。私の元増田はどう見てもネオナチの言い草にしか見えないはずで、それと同様にid:Chikirinの言い草は虐待親を免罪しているようにしか見えない。
なぜなら、
これだけ露骨にえこひいきをして、極めつけは題名が「誰が何をネグレクト?」だ。つまり、「親が子供をネグレクト」したという事実を意図的に相対化してごまかしている。
そして、ブコメの中にも、「誰も責められない」だの「父親の方が悪い」だの「誰でも追いつめられればこのぐらいのことはやる」だの、その手の暴論が余りにも多いではないか。冗談じゃない。実際に圧倒的大多数のシングルマザーはそんなことはやっていない。だいたい、育児放棄するにしても、保育園や警察署の前に放置するとか、もっとマシな方法はいくらでもあったはずだ。他人の子供を押しつけられた場合でもそのくらいのことはするだろうが。
まあよい、百万歩譲って福祉の行き届かない現状を批判しようと思ったのだとしてもよい。普段の過激自己責任思想との不整合も目をつぶろう。だが、そのために持ち出す例としてこれは最悪ではないか。赤ちゃんポストとか一家心中を持ち出すならまだしも、ネグレクトの中でも最も同情に値しないと言ってよいこの事件を持ち出す神経は心底理解できない。あるいは、どうしてもこの例を持ち出すにしてももっとやり方があるはずだ。たとえば、「懲罰的な戦後処理は再度の戦争を誘発しかねない」ということを主張したければ、どうしてもドイツの例を出さざるを得ないということはあるかもしれないし、「ヴェルサイユ体制の不備がナチスの温床になった」という主張は実際極論でもなんでもないが、ヴェルサイユ条約で締め付けられれば誰でもユダヤ人を殺しかねないなどとほざく馬鹿はネオナチだけだ。つまり、この事件を引き合いにああいう主張をすること自体がそのよこしまな意図を暴露しており、非難に値することだといえるのだ。
そんなことがわからない奴がはてなだけで数百人もいるなんて信じられない。
途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。
あなたは、
あなたの旦那さんは、
あなたの息子さんは、
戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?
父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質や努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?
多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。
支援するのは誰?
・旧敵国(賠償免除、借款)
・米国
でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。
(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる
(3)中立国が助ける
で、ないかぎりは、
(4)東方拡大により生存圏を確保する
しか、敗戦国に生きる道はありません。
・父親が貴族やユンカーではなく、
・政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、
・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、
「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?
違うのかな・・
「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代で帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?
“敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?
民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?
★★★
記録のための事件概要
・1914年7月、兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。
・1914年8月、国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争に突入
・1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。
・1921年の3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。
・7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。
・国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリスが調停を試みるが、国会が運営できず。
・1930年にヒンデンブルク(当時大統領)が議会に依存しない内閣の結成を命じる。
・1933年1月、軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)
・ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体で発見される。
・1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラーは自殺。
★★★
“ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、
この事件では、誰が何をホロコーストしたの?
★★★
この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成
彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。
監視?もちろんなしです。本当ですよ。
それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?
どうしてって…。彼は私の親友だったからです。
民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。
600万人のユダヤ人のご冥福をお祈りします。
言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供を虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。
まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。
そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿なはてな民よ、恥を知れ。
人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。
勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。
この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。
しかし自分の人生でメインな分野では被害者ごっこしちゃいけません
被害者は防御とか回避の戦術であって何かを築いたり達成したりするには向かない戦法です
なので
自分のど真ん中を被害者アイデンティティで埋めちゃって、結果人生腐らせてます
以上を踏まえまして
・才能が薄い分野
・興味が薄い分野
・報酬が薄い分野
ですね
やや相互に関連しているけどだいたいこんな感じ
例えば
生まれつき足が遅いほうで、
走ることに未練も無くて、
走りきっても達成感や賞金が期待出来ない
こういう場合は好みでかけっこを回避するという選択肢があるわけです
その時に
ただ「やめておきます」なんて芸の無いこと言うよりずっといい言い方は
「私は生まれつき膝の関節の異常で走ると障害が進むの
そんな私にかけっこを強制しようとはなんて無神経な…
と、こうです
こんなの嫌な奴だと思われるでしょうか?
でも足が遅い人間にかけっこを勧める人やそれを見てる人って
本当に無神経だったり、遅いのを見て優越感に浸りたい悪い根性だったりするんですよ
そういうってたいてい軽い気持ちや無意識です
そこを一撃で打ちのめし、怯えさせ、容易に近づけなくするのが「被害者」の構え
あなたの苦手な角度から攻められることが減り、
逆に優位から人に接するチャンスがぐっと増えます
積極的に捨てることにした分野ではどんどん被害者ぶりましょう
人生は全ての分野に注力できるほどの時間もエネルギーも与えられていません
要らない分野は即捨てて被害者ぶる、これは何より重要な激的ライフハックです
おさらいの注意点
・使いすぎない、あらゆる分野で被害者ぶることはしないこと
・ネトウヨしかいないような場では通用しないので使わないこと
まあそういうことだろうね。
何か違いが有るのかと気になって質問してみたんだが、結局は嬢個人の資質と相性だよね。
わかった。ヘルス2回にしよう。
ありがとう。
仮に今回発覚したケースが俺の時と同じ事情なら、よっぽど相手から嫌われてたんだろうね、その人。
提供者が故意にそういうレシートを混ぜ込んだとはちょっと考えにくいと思う。
個人的な妄想だが
こんな感じだと思う。つまり議員の事務方の能力に起因する事案じゃないかな。いわば鳩山の「故人献金」問題と同根で、「これバレたらやべえよなあ」的な要素を発見する、もしくは事前に想定・想像する能力が、議員の事務方に欠如している事に起因するもののように思う。
まあ、そういう人を事務方に雇っているというのも、その議員の資質をはかる指標の一つではあるんだけどね。仕事の出来る議員は人を見る目もシビアだし、その逆も又然り。
誤解を恐れずに言えば、女性は基本的に「子孫を生産する手段を有する」
そして人間は所詮哺乳類なので、子孫を直ぐに社会という名のジャングルに放り込むようなことはせず、自分の庇護下のもと育てる。
そしてそれにはコストがかかる。
そこで女性は「子孫を残すに相応しいオス」を無意識に選別し、それを後代に残すための審美眼を発揮し、男性に求める。
女性の役割は、
では一方で、男性の役割といえば、これはもう「女性に子孫生産の環境を提供する」というほかは無い。子孫は卵が先か鶏が先かというのではなく、器に水を注ぐようにしてできあがる有機化合物である。水を生成させるのに、安全上の手続きを無視するなら水素が先か酸素が先かというのは些事である。水素も酸素も必要なのだ。
男性は「子孫を残すに相応しいメス」をこちらは、ほぼ意識的に選別し、それを女性に求める。
男性の役割は、
これだけで、男女の子孫繁栄を目的とした関係は満足して構築されるが、現代社会はその関係を前提に築かれているわけではないので、要所々々で軋轢が生まれている。
まず、現代社会は、男女は社会的に平等であるという理念があり、それを追求することを強いている。結果、女性も労働環境に配備されるし、望んでその環境に進むこともできる。
ここで、労働環境を提供する立場にある国の機関、あるいは民間企業は女性の生物的な幸福の追求としての出産・育児の機会を提供する義務は持っていないことに留意する必要がある(しかし、それを望めばいつでも提供するのが理想でもある)
あくまで企業は「労働環境と、その労働に関する賃金の提供」を追求する立場であるため、男性社会であるし、そこで女性が勤める以上、企業の理念に調和した対応を求められる。企業が、生物的に満足する社会に適応させるならば、女性の職を男性と交換することも辞さない態度が求められるが、そうなってはいない。
現代社会ではそうではなく、妊娠したら一度休職し、そのあと育児を企業が満足する期間だけ当事者にさせた後に、復職させる方法が選択肢として取られる。女性が職場進出して、「女性にウケる狩場の提供」を企業が強いられるようになり、この構造はますます歪になってゆく。
また、結婚という制度も問題である。人間関係とは長期的に変化しやすいものである。従来の結婚は隣家の幼なじみと結婚というのも有り得ないシチュエーションではない。そういうご近所婚の堆積がムラ社会を形成、維持させていたのも事実である。そのため結婚ということ自体にお約束要素があった。つ
まり、結婚ということ自体に将来のムラの存亡がかかっており、結婚そのものがある種、監視の役割もあっただろう(これは当事者に聞かないとわからないことでもあるが)
現代はそのようなことを気にする必要はない。都会に上京するのは跡取りに無関係な次男の役割でもない。結婚という要素が形骸化したまま保持されているのである。
先にも書いたように人間関係は長期的には変わりやすいもので、男性は直ぐに他の女性を子孫繁栄の欲求に忠実に探し始めるし、女性もまた今の相方以上に良くしてくれる相手を潜在的に探しているのである。
例えば石田純一は「不倫は文化」ということばを残したが、正にそのとおり。文明、摂理でもいい。人間は、生物的に忠実であるなら、結婚などしない方がよい。
じゃあ子供のことはほったらかしていいのか。
子供を満足に育て上げる余裕と資金があれば、いいのではないか。女性が男性の不倫に腹をたてるのは、先の女性の役割その3を満たされていないから起こったとしか言いようが無い。
じゃあ女性も密通してもいいのか。
子供を満足に育て上げるために必要なことなら、いいのではないか。その相手が、今の男性より社会的にも、生物的にも、満足させてくれるのなら、いいのではないか。
最近は、女性は社会的に年収の足りない多くの男性に満足せず、また、男性は生物的に容姿性格の面で多くの女性に満足していない。一部の結婚を望まない男性は女性に社会的労働を強いるが、生物的な労働は強いてほしくないようだ。また、一部の結婚を望む女性は、男性に社会的労働の質の向上を求め、生物的な労働の分担を求める傾向がある。これでは双方満足する、家族という名の、原初の社会は営めないだろう。もちろんそこに、現代社会との軋轢が関係あることも、予め指摘しておきたい。
暴力はやめてっ!!
取引が成立しないまま
互いに何も交換することがなく
互いに取引の利益を得られず
手持ちの財やサービスは生かせないまま陳腐化や老朽化をしていく
売れなかったら、売れるところまで、価格を下げるんです。
麻生一枝 | 『科学でわかる男と女の心と脳』 | (サイエンス・アイ新書) |
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によると、
ちゅうことなんだわ。みんな、すまんの。
右ページのグラフは、自己評価の平均点数と相手に求める資質の平均点数を示したものだ。自己評価が高い人は、相手にも高い点数を求めている。一方、自己評価が低い人は、相手にもあまり高い点数を求めていない。つまり、さまざまな面で自分をすぐれていると思っている人は、相手にも同じような優秀さを求め、自分にはあまりすぐれたところがないと思っている人は、相手にもさほどの優秀さを要求していないわけだ。この傾向は、男も女も同じである。おもしろいのは、女のほうが男より相手に高いものを要求している(女のグラフのほうが全体的に上のほうにある)ことだ。(同上)
これで、ヤンキーはヤンキーと結婚することと、カカの嫁はリアル令嬢であることが、説明つきますね。
あんあん。きゃんきゃん。
おりーぶ。
別に絵かきに限った話じゃないでしょ。
上のカースト狙ってるなら、それくらい変わらなきゃ無理ってのは間違ってないはずだけど
そう、これはすごいあってる。ダメな奴はダメな思想を持ってる。出来る奴は出来る思想を持ってる。
ある程度の物事を理解し、こなすにはある程度の資質と考えを持っていない人でないと無理なのだ。
物事を理解するにもレベルがいる。
ダメな奴は出来る奴と根本的な考え方と行動が違う。だから出来ない。
そんなのは当然だからレベルに低い人をふるいに掛けるのがあなたの場合は絵というだけでしょ?
別に人を見るより作品を見たり実績を見た方が正確な分析に適しているというだけ
逆に人自身を見ることに意味なんてあるのかね?結果が出ていて自分が全く予想もしない人種だったら見る価値がありそうだけど。
全く結果も出てないダメな奴の人を見ても仕方ないんじゃね?
それが真っ当じゃないとは全く思わない。