岡崎市立図書館の事件と、それに対するネットの反応を見ていて思う。仮に自分があのソフトウェア制作会社の中の人で、当のプログラムの制作者だったとしたら、果たして正直に誤りを認めて公表することができていただろうか、と。
今回の件に限って言えば、私はWeb分野のプログラマだから、あのプログラムの設計が根本的に間違っていることを容易に理解できる。しかしもし会社の都合で全然知らない分野のプログラムを作ることになったとして、その分野における常識的な前提条件を見落としてしまったとしたら……同じような欠陥プログラムを作ってしまうかもしれない。
その欠陥が明るみに出た時、自分はどう対応するだろうか。少なくとも社内では正直に自分の誤りだと言うだろうが、取引先に対して、あるいは広く社会に対してはどうだろう。「ハードの性能が」「想定外のアクセスが」「攻撃を受けて」そんな言い訳を一切言わずに、こっそりと”闇改修”を行ったりせずに、全ては初歩的なミスだったと説明することができるだろうか。そうしたところで会社にとってプラスになることなど何もない、取引先の信頼は失うだろうしネット上では大いに叩かれるだろう、自分が職を失うかもしれないし会社の経営が傾くかもしれない。それでも言えるだろうか。猛反発する上司や同僚を説得し切ることができるだろうか。
できるとすれば、あるいはできないとすれば、何が理由だろうか。純粋な倫理観?良心の呵責?社会人としての責任?プロとしての自覚と覚悟?個人の資質によるものだろうか、あるいは社会的な制約の方が大きいだろうか。制度的にそれを可能にするインセンティブの設計は可能だろうか。
保守料取ってるかどうか(これからも取り続けられるかどうか)じゃね?