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2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

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 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

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 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

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ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

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 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

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 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html


 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

2008-09-19

[]

俺はまだ本気出してないだけ

虫歯になって慌てて歯磨き

鰯の頭も信心から

1000勝した千代の富士に次の目標は何ですか、と聞いた

千代の富士はこう答えた

1001勝です

「よく禁煙に成功しましたね」

「いえ、次のタバコを吸うまでの間隔が普通の人よりとても長いだけです」

俺は勇者になりたかった!

だが魔王がいなかった!

お前には魔王がいる!

魔王がいてお前は幸せだ!

Living well is the best revenge

優雅な生活が最高の復讐である

もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。

マルクス・アウレリウス 自省録

我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。

モンテーニュ

男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。

三島由紀夫

「第一の性」より

人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。

ヘンリーデイビッドソロー

人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、

「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、

「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです

志ん生

強くなければ生きていけない

優しくなければ生きる資格がな

マーロウの名台詞

今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで

徳永英明

過去未来復讐する」

ドラマケイゾク

英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、

勇敢に、品位を持って自然な形で人生に参加する人のことを言うのです。

人の小さい過失をいちいちとがめないこと。

人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。

人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。

この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。

この時代の通貨時間

司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」

相武紗季おもちゃです」

浜田雅功「えっ!おもちゃっ」

相武紗季普通おもちゃです。」

浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」

美しく誤解して結婚し、正しく理解して離婚する

明日の希望のために、今日の屈辱に耐えるのが男だ。

沖田十三

チンコがイカくさいんじゃなくてイカがチンコくさいんだよ

若いときは知ってるフリをしたがる

歳をとると知らないフリをしたがる

金は集めるより散じるが難し

安田善次郎

生きる時間は変えられない

生き方は変えられる

ランディパウシュ

未来は知りえず過去は変えられない

人を呪わば穴二つ

スナフキン語録

1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。

 今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。

 テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?

2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。

 その気になれば、世界中でもね。

3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。

 ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、

 それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、

 かばんを持ち歩くよりも、ずっと楽しいね。

4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。

 すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。

 ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。

5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、

 ほんとにおそろしいことですね。

トーベ・ヤンソンムーミン谷の彗星」からの抜粋

昔から仏教では「足を知る」ていうんだ

あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが

『自滅』

だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ

駒田「とりあえずお疲れ」

悩むってのは余裕があるから

海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ

綾戸智恵

悩まない代わりに溺れて死んでます

ライオンに追われたウサギが、肉離れをしますか

オシム

肉離れをしたら喰われてしまうだけの話で、そんなウサギごろごろいる

肉離れを起こしたところをライオンに狙われたらたまったもんじゃないけどな

人生の大きさは悔しさの量で計るんだ

エリックホワイト

オシム

サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」

「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、

カジノに行くし競馬にもチャレンジしているよ。」

「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。

完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」

日本人システム論議が好きらしいが、システム保証でしかないことを理解したほうがいい。

システム奴隷になってはいけないのだ。」

「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」

「夢ばかり見て、その後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?」

勝てない見込みのほうが大きい戦に

あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる

「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。

それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル

「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、

恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。

それから愛に情けが加わって愛情になって、愛が抜け落ちてただの情になる。

終いには心も無くなってブルーになるんだ。皆もほどほどに恋愛しとけよ??」

俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ

俺に金はないが、有り余る時間若さがある。

うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

ガンジー

ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい

信じるものがすくわれるのは足元だけ

夜なのに僕が見るのは蒼井そら

福山雅治

メリークリトリス

「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」

チンコ出して街歩きたい」

「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」

「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」

生まれたてのハツカネズミのような奥ゆかしいチンコ」

陰毛は直毛です」

「俺はオナニー神様子供オナニー神マーラ・ダンコーン!!」

人生は全て次の二つから成り立っている。

したいけど、できない。 できるけど、したくない。

ゲーテ

この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。

ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。

資本論』第1巻第1章

柳田國男

「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、

われわれもそれを若い人に強いたのだが、

これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。

もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、

海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」

久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ

ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙

演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛モデルらしい)の死に様を聞く。

「Tell me how he died」

アメリカ兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。

「I'll tell you how he lived」

人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気

歌丸

銀座ホステスの格言

「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。

信用できるのはお金だけ

よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで

お金だけは信用できるって言葉は、間接的に

国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか

強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる

朝は希望をもって目覚め、昼は勤勉に働き、夜は感謝をもって眠る

自由と繁栄の弧/麻生 太郎

やっぱり一番悪いと思うのはアルコール

男性長寿世界一に認定されている宮崎県都城市今町の田鍋友時さん(113歳)

勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ

そんな訳には いかない いかさない

子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、

理路整然としたルールや整備された環境ではなく、

実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。

原田宗典

今日逃げたら

明日もっと大きな勇気が必要になる

生き残るためには自ら変わらなければいけない

小沢一郎

何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです

一歩退いて周りを見渡して御覧なさい

腹の立つ程の事ですか?

瀬戸内寂聴

2年前メリルリンチに勤めていた友達が「一生分稼いだからまた学生をやる」といっていた。

聞いちゃダメ

聞いて偉くなった人は誰もいない!

百恵ちゃん(山口百恵)は一回も聞きに来なかった!

萩本欽一

勝ちに不思議な勝ちあり

負けに不思議な負けなし

野村克也

女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ

そのうち背負う事になる

サシャ・ギトリ

離婚の動機ですって?

ありますとも、弁護士さん

私が結婚してるという事です

エミール・ポラック

結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った

今考えるとあの時食べておけばよかった

アーサー・ゴッドフリー

2008-07-31

歴史オタが非オタ彼女に近代日本の歴史を軽く紹介するための10人

via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の歴史オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない歴史世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本の歴史を紹介するために

見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に「明治天皇紀」を布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う近代以前の歴史は避けたい。

できれば明治維新、遡っても幕末期にとどめたい。

あと、いくら歴史的に基礎といっても基礎的すぎるものは避けたい。

歴史好きが国会図書館憲政資料室の文書群は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

歴史知識はいわゆる「その時歴史は動いた」的なものを除けば、山川日本史程度は読んでいる

歴史教養度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

明治天皇(睦仁、第122代天皇

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「明治以前」を濃縮しきっていて、「明治以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。天皇だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この伝説過多な人物について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の立憲君主的成長を彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

大久保利通(初代・第3・5代内務卿)、木戸孝允(第2代内務卿)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな薩長リーダー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

歴史オタとしては維新以後の木戸存在が“空気”にされていると思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

井上毅(第2代法制局長官

ある種の歴史法律オタが持ってる西洋法への憧憬と、ボアソナード監修のオタ的な考証へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも井上毅

天皇による国家統治権の正当性」を歴史性によって担保するという憲法義解

立憲主義」を体現するために宗教色を排除した教育勅語

の二つをはじめとして、オタ好きのする法を歴史にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

伊藤博文(初代・第3・8・10代内閣総理大臣

たぶんこれを見た彼女は「千円札の人」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この人物がその後暗殺されたこと、それが韓国では大人気になったこと、

韓国暗殺犯が実写テレビドラマになったけれど、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

岸信介(第56・57代内閣総理大臣

「やっぱり戦時経済国家総動員法だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは近衛文麿

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この人物にかける東条英機の思いが好きだから。

断腸の思い満州に渡って人脈築いた、っていう経歴が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「統制経済」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

産業合理化運動を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが

小林一三石橋湛山だったらきっちり自由経済にしてしまうだろうとも思う。

なのに、軍需次官に降格人事を自分でかけながらも無任所大臣に就任してしまう、というあたり、どうしても

「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ岸がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。戦後首相になった際の評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

後藤新平(第34・39代内務大臣

今の若年層で『国家衛生原理』を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

蒋介石よりも前の段階で、台湾の統治とか統制とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの人物が東京市長で大正時代にいたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく歴史好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆる改軌論争でしか後藤を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

原敬(第19代内閣総理大臣

原の「政党政治」あるいは「護憲運動」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

選挙対策としての地元への利益誘導」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ田中角栄日本列島改造論』はストロー効果以外ではあり得なかったとも思う。

「箱物行政」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は原敬にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

東条英機(第40代総理大臣

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう統制派風味の軍人をこういうかたちで総理大臣にして、それが連合国に受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

昭和天皇裕仁、第124代天皇

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に昭和天皇を選んだ。

明治天皇から始まって昭和天皇で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、人間宣言以降の象徴天皇制の先駆けと

なった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。



山縣・桂・西園寺あたりも入れたかったが、無理だった。

というか、ネタとして何番煎じなんだろう

2007-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20070109073629

ウェブで長文書いて議論してるのを見ると  入れ子Ver.

いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。

はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。

どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。

知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォード日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。

ちなみにアメリカ訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。

損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり松下幸之助中内功ビックリな制度。

ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。

この手の訴訟の場合被告企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。

といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。

そんなことされたら困るよねー。

原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。

ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生商社出身)もやったことあるって言ってたよ。

んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話

2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。

世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発はてなFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。

しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールタイプな僕は思ってしまうわけですけども。

A4一枚分以上は紙で読みたい。

こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。

そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。

これってビジネスチャンスニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。

あ、ごめん妄想入った。

文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。

それこそ昨年末K-1みたいな。

お前2時間でいいじゃんみたいな。

ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。

ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。

まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。

そんな目で見ないでお願い。

それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生紫式部か。

終風日記極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。

挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。

切ないなぁ、ああ切ない。

大島弓子ばりに切ないよ。

伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。

大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。

昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。

あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。

なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。

しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。

非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。

あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。

PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。

しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。

皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。

ってかこれって物象化じゃないのか。

マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。

ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。

中二病といいたければ言うがいいさ。

でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。

さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。

どうせスルーされるんだろうなぁ。

2007-07-21

http://d.hatena.ne.jp/sen_1000/

西暦2026年日本にある奇妙な現象が起こった。出生率が激減したのだ。

もちろん、出生率の低下はつい最近に始まったことではない。前世紀半ば1970年ごろの、いわゆる第二次ベビーブーム以来日本出生率は一貫して下がり続けていた。だが、2026年に起こった出生率の低下はそれを凌ぎ、前年度の半数以下にまで落ち込んだのだった。だれもが首を傾げ、専門家市井ブロガーも、ありとあらゆる人がこの問題の分析を議論した。

21世紀情報化社会にあっても、丙午の女性は男を食い殺すほど強い、という迷信が健在なのだというトンチンカンな分析をする社会学者も居た。

この原因が分かったのはつい最近のことである。

O社というある小さな会社の出した女性ロボットが、その原因らしい。

そもそも、人間の基本的な欲求、適応度を上げると言う意味生物的に基礎的な欲求は、あるレベルを超えれば経済学で言う収穫逓減の状態を示す。水も空気食品も、あるいは快適な生活空間も人間の生存には無くてはならないが、ある一定以上を求めることは無い。もうおなかいっぱい、と言う状態が存在する。だが、男性の性的な欲求だけは例外であって、際限が無い。

三大欲求という言い方がある。食欲、睡眠欲、そして性欲を指すのだそうだ。このうち、食欲と睡眠欲は自身の存在を存続させる欲求、性欲は自身の存在を拡散させる欲求であると言い換えられる。では何故自身を存続させたいと思うのだろうか? それは、自身の存在を拡散させるため、自身の遺伝子コピーを広げるためであると言える。生物存在という目標のためだけに生物存在し、またその目標が無ければ生物自身も存在し得ない。果てしの無い自身の再生産のためだけに生物存在する。

男女の愛に関する悲劇の全ての源泉は、男女によって生物学的な適応度を高める方法が違うということに由来する。女性はいくら多くの男性関係を持ったとしても、直接には子供の数を増やせないが、男性は数多くの女性関係を持てば、原理的にはほぼ無限に多くの子供を持つことができる。それゆえ、自身の適応度を際限なしに高めることができる。だから、男性の性欲には限度がない。1000人、あるいは10000人と関係を持ったとしても、1001人目、10001人目の女性セックスできるだろう。

だが、一般的な水準の容姿と金銭と道徳観念を持った男性にはそんなことはできない。だから、売春が生まれ、ポルノが生まれた。英語で"the oldest profession"「最古の職業」と言えば、売春のことを指す。古くは版画やグーテンベルグの発明から映画に至るまで、あらゆるメディアにおいてポルノ存在した。ビデオデッキの規格戦争においてVHSが勝利したのも、その影にアダルトビデオがあったのは有名である。軍事的な目的のために開発されたインターネットを一般人に普及させたのもポルノサイトがあってのことだ。ありとあらゆる技術は、男性の性欲を満たすために使われてきた。人間経済活動は、男性の性欲に由来している。いや、そもそも言ってしまえば経済活動も含めたあらゆる人間の活動は、究極的に突き詰めれば、この男性の性欲の限度の無さに由来するのだ。人間無限の欲望も、背後にある原動力として性欲によっている。もし人間から性欲が無くなれば、あらゆる種類の人間の活動は全て無意味になる。

 たとえば、車は分かりやすいステータスシンボルであり、セックスアピールである。移動手段としては不相応なまでの高級車を持ち、ガソリン代、車検と不必要なまでのコストを掛けることは、生物学でいうハンディキャップ理論の表れであると言える。食欲を満たすという目的のためにはあまりに高級すぎる、人気のデートスポットであるフランス料理店。これも性的な欲求を含めなければ説明がつかない。動きにくく実用的でない服装や、映画や絵画といった美術ですら、究極的に突き詰めれば性欲に由来する。男性権力高収入を求める欲求が女性より強いのも、それが歴史的に女性を得る手段に直結していたからである。歴史を紐解いてみればいい。権力者独裁者はほぼ例外なく側室を持ち、多くの子を残している。アメリカの元大統領クリントンのように、権力者が複数の女性と性的関係を持つことが倫理的に許されないことになったのは、ごく近代のことでしかない。日本ですら、戦前までは政治家財界人愛人を持つことは当然のことであったし、社会通念的にも認められていた。明治天皇大正天皇ですら、嫡出子ではなく側室の子であった。「英雄色を好む」という言葉があるが、これは生物学的に見れば一種の逆転である。英雄と呼ばれる人間だけが好色なのではない。そうではなく、あくまで権力を得た人間は自身の欲求を実現する方法をも同時に得られるということでしかない。

しかし、人間婚姻という他生物には見られない独自の制度を持っている。世界中どこを見ても、結婚制度が存在しない社会存在しない。「交尾でオスの役割は終わり」という生物とは違い、どんな社会においても、人間男性は自身の妻や子供を養育する義務を持っている。(蛇足だが、人間男性が若い女性を好むのも、長期にわたって一人の女性と性的関係を築く婚姻制度によって生じたものである。その証拠に、交尾でオスの役割は終わりというチンパンジーの一種は出産育児経験のある中年のメスを好む。なぜならそのほうが自分の子供が生き延びられる確率が高いから)それゆえ、近代のテクノロジーが発達する以前の社会においては、自身の限度の無い性欲を満たせるのは、社会的に成功したごく少数の男性だけだった。付け加えて言うならば、有史以前、人間が貨幣を持つ前の狩猟採取社会においては、どうやら一夫多妻制度はまれであったらしいと言うことが分かっている。多くの皮肉屋の主張とは違い、資本主義の発達により貧富の差が生まれたことによって、多数の妻を養うことが可能になったようだ

だが、大容量のインターネット回線と、テレイグジスタンスバーチャルリアリティ、そして人型ロボット研究男性の際限の無い欲求を満たすことを可能にした。

月々数千円も出せば、海の向こうの幼い少女からディスプレイの中にしか存在しなかった理想の美少女まで、ありとあらゆる女性とのバーチャルな性行為が楽しめるのだ。お互いの性器に装着したネットワーク対応の性器具と、データグローブボディースーツ、そしてヘッドマウントディスプレイによって、その場に存在するような臨場感を持って、バーチャルセックスを体験させるサービスが提供されていった。インターネットサービスは、地理的な障壁や囲い込みがないため、常に、全世界が競争相手であるし、容易に相手のイノベーションを取り込めるので、リアルでは考えられないほどのすさまじい速度で進化していくのが常だが、ネット経由の売春も、その例外ではなかった。

そして、流れが決定的になったのは、前年に発売された女性ロボットだった。

ちょっとした高級車を買うくらいのお金を出せば、文字通り女性を所有することができるのだ。しかも、現実女性と違って妊娠することも浮気をすることも歳をとることもない。なにより、飽きて捨てたとしても何一つ文句を言わない。

しかも、簡易ではあったが会話もでき、(ちぐはぐな受け答えが、逆に幼さを感じさせるとして喜ぶ男性も居るようだ)食事や掃除と言った家事をすることもできた。妻を持ちたくない、または持てない男性にとっては正に福音であった。

いや、もてない男性だけではない。中間層の普通に交際相手が居る男性にとっても救いであった。彼らは常に女性のご機嫌を伺い、足代わりに使われ、食事を奢らされてまで、不確実なセックスにありつくことに疲れ果てていたのだ。彼らにとっても、女性アンドロイドの登場は救済であった。何も要求せず、見返りの無い愛を注いでくれる、いつまでも無垢な女性。有史以来の男性永遠の理想の体現であった。

だがしかし、その後不可解な面白い現象が起きた。一体何が起きたのか?

数年間のうちに、出生率がV字回復したのだ。ちょうどそれは、60年前の丙午の翌年に起きた出生率の回復のようだった。

例え人形であっても、女性と生活を共にする以上、身だしなみを整え、生活習慣もきちんとしなければならないという男性が多少は増えたのだ。現代の情報化社会の中で、不当に抑圧され、自己肯定感を失っていた若い男性が、たとえそれがロボットであっても、全面的に肯定されることで自信をとりもどしたのだ。不当にワガママ女性に対しては、いつでもアンドロイドに戻れる、ということをほのめかし、恋愛において男性女性と対等な立場で渡り合えるようになったのも大きい。

そして、性欲は人間の本質的な欲求であるが、それと同じくらい、子供を持ちたい、家族を持ちたいという欲求も本質的なものであるらしかった。擬似恋愛という一種のカンフル剤で人間性を取り戻した男性が、次々に現実恋愛結婚へと戻っていったのだった。

しかし、再び恋愛市場の中に戻っていったのは、男性全体から見ればごく一部でしかない。彼らはもとから女性に相手にされるだけの財産なり顔なりを持っていた幸運な男性なのだとも言える。大部分の男性は、そのまま「戻ってこなかった」 なにせ、どれほどのキモメンであろうと、振られる事はありえないのだ。大部分の男性は、理想の彼女と一緒に、自閉的な生活を送るようになった。それでも彼らは満足しているようである。

こうして今や、少数の結婚市場に復帰した男性と、大多数の「降りた」男性たち、そして、理想の彼女との競争に晒される女性だけが残った。出生率が回復したと言っても、日本出生率は世界最低レベルを走り続けている。どうやら経団連は、労働力不足を補うために本当に移民の受け入れを考えているらしい。このままでは1半世紀しないうちに日本人は消滅すると予測している学者も居る。

しかし、再び現実恋愛へ戻っていった男性も、擬似恋愛を楽しんでいる男性も、それぞれに幸せなようだった。

だが、、、これは本当に人類進歩なのだろうか? はたして、テクノロジーは本当に我々を幸福にしたのだろうか? 科学技術進歩によって、最後に生み出されたものが「自由意志による断種」「幸福に包まれた自死」でしかなかったとしたら、数千年に及ぶ人類歴史は一体何だったのだろうか? 今後の人類未来を考えるにつけ、私は絶望的な気分になる。

2007-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20070109073629

ウェブで長文書いて議論してるのを見ると  改行Ver.

いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。

はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。

どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。

知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォード日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。

ちなみにアメリカ訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。

損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり松下幸之助中内功ビックリな制度。

ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。

この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。

といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。

そんなことされたら困るよねー。

原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。

ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生商社出身)もやったことあるって言ってたよ。

んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。

2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。

世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。

しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールタイプな僕は思ってしまうわけですけども。

A4一枚分以上は紙で読みたい。

こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。

そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。

これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。

あ、ごめん妄想入った。

文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。

それこそ昨年末K-1みたいな。

お前2時間でいいじゃんみたいな。

ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。

ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。

まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。

そんな目で見ないでお願い。

それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生紫式部か。

終風日記極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。

挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。

切ないなぁ、ああ切ない。

大島弓子ばりに切ないよ。

伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。

大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。

昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。

あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。

なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。

しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。

非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。

あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。

PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。

しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。

皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。

ってかこれって物象化じゃないのか。

マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。

ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。

中二病といいたければ言うがいいさ。

でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。

さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。

どうせスルーされるんだろうなぁ。

ウェブで長文書いて議論してるのを見ると

いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォード日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。ちなみにアメリカ訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり松下幸之助中内功ビックリな制度。ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。そんなことされたら困るよねー。原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生商社出身)もやったことあるって言ってたよ。んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehackだってw)とか宗教儀式明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールタイプな僕は思ってしまうわけですけども。A4一枚分以上は紙で読みたい。こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。あ、ごめん妄想入った。文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。それこそ昨年末K-1みたいな。お前2時間でいいじゃんみたいな。ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。そんな目で見ないでお願い。それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生紫式部か。終風日記極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。切ないなぁ、ああ切ない。大島弓子ばりに切ないよ。伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。ってかこれって物象化じゃないのか。マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。中二病といいたければ言うがいいさ。でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。どうせスルーされるんだろうなぁ。

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