はてなキーワード: 中庸とは
正しい意見や行動というのは既存の勢力や団体などと利害関係が反することがある。
必ずしも正しい意見を押し通そうとするのは、その場に限ってはまったくの最良手かもしれないが、
長期的に見た場合悪手に転ずる可能性もある。
中庸で無難な手というのはまったく正しいとか合理的だとはいいにくいかもしれないが、
長期的に環境が変動した際にも遊びがある分、柔軟性を持って対処することができる。
民主主義のよいところは「大きく間違わないところ」だ。
もっとも日本はその大きく間違わない民主主義からも、正しいと信念をもって意見や行動がとれてるとも程遠いような気もする。
惰性と慣習に従い、これは正しくないんじゃないかと思いつつもやめられない。
ただのしがらみか蔦殺しだ。
多数決も正常に機能していない。
これはなんだろう。
余談なんだけど、ツタゴロシっていう単語なかったっけ?
蔓や蔦が樹木にまきついて枯らしたり家の外壁とかに這って壁をダメにするっていう意味。
じいちゃんばあちゃんから聞いたことや本でよんだこともあるんだけど、ぐぐっても蔓殺しも蔦殺しもでてこなかった。
ツル、絞める、殺すとかで調べるとろくでもないものばっかりしかでてこない><
何ごとも中庸かつスマートにこなすものの、自分は何か物足りないと思っている。
熱く真面目なタイプだが、長い物には巻かれやすい。マジョリティが正義。
人と違ったことをやらないと気がすまない。独自性溢れるスペシャリスト気質。
中途半端に高級志向が強く、ブランド物が好き。何よりムードを大切にする。
いつもカリカリしていて、頑固で融通が利かない。太く長くを地で行くタイプ。
基本的には物事にこだわるほうではないが、一転して儲になることもある。
ノリのいい変態紳士。自虐精神が旺盛で、ついキモい行動をとってしまう。
明るい性格だが、人との距離を測るのが苦手で、ときにはウザがられてしまう。
質実剛健。一見して地味だが、付き合っていくうちにその本性が表れていく。
おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、
いよいよ喧嘩はできなくなる。
こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重要なことでも、相手に譲るべきだ。
こちらに十分理があると思われる場合でも、小さいことなら、譲ったほうがいい。
犬に道を譲ったほうが賢明だ。
たとえ犬を殺したとて、噛まれた傷は治らない。
【千葉】69歳男性、犬の散歩中に男に殴られ死亡 男は自転車で逃走
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
小事省事
韓信が若い頃、町で無頼の青年に辱められ相手の股をくぐったが、のちに大をなしたという故事。大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないというたとえ。
どうして「手を出された」って言葉が選ばれたのか、少しは考えた?
完全なレイプではなくこちらにも隙があったが、自分にはセックスするつもりなんて全くなかった、くらいの状況なんじゃないかと私は感じたけど。
グレーの状況なら手を出してもいいというのが下半身優先の男性の主張で、ただの友人なのにセックスをしかけるのはいかがなものかと思うのが潔癖な女性の主張で、どちらでもない中庸な人々もいて、どれが正しいとは結論づけにくいけれども、私は、合意の確認が無いセックスは私の尊厳を無視した自己中な行為だと思う。ホモでもヘテロでも「友人」には手を出されたくない。
Done is better than perfect.Zuckerberg
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト
[biz]決心する前に完全に見通しをつけようと決心する者は決心できない
君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し
中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
反対に、圧勝することしか考えないものは、しばしば、陥し穴にはまってしまうことになる。
[biz]中ぐらいの勝利で満足する者は、常に勝者でありつづけるだろう。
完全主義は敗北主義
8割主義
Amazon.co.jp: 「超」勉強法 (講談社文庫): 野口 悠紀雄: 本
基本三原則: 1.面白いことを勉強する 2.全体から理解する 3 8割までやる
国語は対象文章の字数を把握する
記憶のためには中味を長く
と随分勝手にこちらの内心を読んでいるようなので、こちらもお返しを。「何も信じていない」自分の心の空しさを「何かを信じている」人を嘲笑うことで得ようと思っても余計むなしくならないかい?
ここまでの書き込みで、君の文章に漂う、"オレは正しく世界と向き合ってます"と言いたげな言い切りの怪しさは一つも拭えないんだけど、他を攻撃する前に我が身を振り返って欲しい。一体君の言う「世界と直接対峙」するとかって、何? たとえば合理的で科学的で論理的であればそれは「世界と直接対峙」しているのかい? それは単に合理的で科学的で論理的に解決のつく世界に自分を閉じこめて他を見ないようにしてるだけじゃん。それで君は幸せになるのかもしれないが、君の周囲の人はそれで幸せになっているかな?
オレは、次のレスで君が「オレの信じてる宗教は世界一」って言い始めても、ああなるほどなあとしか思わないね。それくらい君の発言からはカルト臭がする。君は、君の信じるものの放つ強烈な腐臭に余りにも無頓着だ。
話題に上ることもなく、嫌われることもなく。
その在りようのまま「幅」と呼ばれたその男は、
たぶん要領だけは抜群に良かった。
傍から見ると、彼は何も為していないようにすら見えた。
みんなから慕われたり、畏れられたりするには
「最善であること」はむしろ有害で、「次善」を目指さないといけない。
「幅」がもう少し要領が悪かったのなら。もう少し口汚かったなら。
あるいはその幅が、机をはみ出して教室の通路をふさぐぐらいに大きかったなら。
幅は幅としてでなく、太った同級生の一人として、みんなの記憶に残ったのかもしれない。
同窓会に「幅」は来なかった。
恐らくは来なかったのだと思う。話題にも上らなかったから、確認のしようもないけれど。
どんなに調子よくても一回は死にたいと思う。
死にたいというより逃げたい。今生きているここから逃げたい。
けれど逃げても宛てがないから死にたい。
調子がいいから絶望スパイラルに陥らずに「まあ生きられるうちは生きようか」って結論で終わることができるんだけど。
プラスの感情で頭がいっぱいになる時間がない。熱く語れるほどの趣味とか、誰かと愛し合うことの幸福感とか、そういうのが現実に一切ない。
マイナスの感情で頭がいっぱいになることは、薬のおかげで、少なくすることができた。
でもマイナスが減った分プラスが増えることもなく、ただ中庸の、虚無に近いなんとなくの時間が増えただけだった。
なにかをやり残している気持ちもない。親より先に死ぬことへの罪悪感もだんだん消えて来た。それが運命ならしかたがないと思う。
休日出勤せざるを得ないほどやるべき仕事は十分に与えられているし、普通に暮らせる程度にはお給料ももらってるから、生きられるうちは生きるんだけど。
けど、死にたいなあ。ずっと死ぬまでこのまま、もしくはあとは下り坂だけなんだもの。頂点に近いうちに死にたいと思うのは正直な感情だと思うんだよね。
これ、乗り越えないといけないのかなあ。こういうこと考えないで済むようになるにはどうしたらいいんだろう。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい
いかに多くの人のためになることでも、新たに大事業を提唱するのは、提唱者にとって大変な危険をともなわずにはすまない。
ある人物が、賢明で思慮に富む人物であることを実証する材料の一つは、
たとえ言葉だけであっても他者を脅迫したり侮辱したりしないことであると言ってよい。
なぜならこの二つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。
脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、 相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、
あなたを破滅させようと決意するにちがいない。
古代ローマ人は、このことを熟知していた。彼らは、
この二つの誤りを犯すことほど
相手の胸中に憎悪の念をかき立てることはないとわかっていたのである。
タキトゥスも書いている。
「どぎつい冗談とは、それが真実からかけ離れている場合はなおさらのこと、
とげとげしい後味を残さないではすまないものである」と。
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
人付き合いは「性悪説」を軸にしたほうがうまくいく
分別よりも愚行の方がとかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。
―「ドン・キホーテ」―
君子の交わりは淡きこと水の如(ごと)し、
小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如(ごと)し。
君子は和して同ぜず小人は同じて和せず
光クラブ事件
「人間の性は、本来、傲慢、卑劣、邪悪、矛盾であるが故に、私は人間を根本的に信用しない」
山崎晃嗣(あきつぐ)のモットー
他人をあてにしてはならない。
それは期待するほうがまちがっている。
あらさがしをして得意がる。
あらを見つけるのはたやすいが、
よい点とその内的必然性を知るのはむずかしいからである。
できはじめの教養はきまってあらさがしをはじめるが、
できあがった教養はどんなものの中にも積極的なものを見る。
ねたみ・批判にあったときの名言
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、
その贈り物はだれのものになるのか」
男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」
「そうか」ブッダは言った。
「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。
自分のためにとっておきなさい!」
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、
自分自身の4分の3を喪失してしまう。
かけがえのない人間になるためには、
常に他人と違っていなければならない。
ココ・ シャネル
自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。
しても悪口をいわれ、
しなくても悪口を言われる。
どちらにしても批判を逃れることはできない。
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。
私は他人に何も期待しません。ですから人の行動が、私の願いに反することはありません。
スワミ・スリ・ユクテスワル
人の時間には限りがある。
アップルコンピュータ社 スティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO)
「僕は全く誰にも期待しない。だから幸せなのさ。」
アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein、1879年3月14日 - 1955年4月18日)
全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないこと
粉屋と息子とロバ
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
多数決をとってみたところで、
それが正しさの保証とはならない。
民衆ほど軽薄で首尾一貫とはほど遠いものはないとは、ティトウス・リヴィウスの評価であるが、他の多くの歴史家も、これと同じことを書いている。
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
隣人の語ること、
行うこと、
考えることを
気にかけないものは、
どれだけ多くの利益を受けることだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070225143758
化学っていっても無機だとか有機だとか生物だとかいろいろあるのでみんなそれぞれ違うかもしれない。
わたしは応用化学なんでどっちつかずなんで、中庸な意見ということで答えるよ。
> 化学の徒は、自らの研究と人生や哲学との関連についてどの程度意識しているのだろう
「なにか新しいもの」をつくってその評価は世にまかせる。
そういう世界だと思う。スタイルは比較的数学者に近いのではないかな。
ただ、それがもしかしたら目に見える形で世の中の役に立つかもしれないという希望はあるよね。
理学であれば30年先に、工学であれば10年先に実用化されたらいいな、でも、その間にまったく別の方法とかで実現されたら無駄になっちゃうかなとか希望と絶望を思い描きながら研究を進めていくんだ。
研究が終わってから何年もしないと評価にお目にかかれないしそれが失敗かもしれない。悲しい宿命なんだ。
そんなのを見聞きして、わたしはいやになってしまったけど。
これは化学者に限らないかもしれないけど、研究職は短い人生のなかで主題はいくつももてないよね。
その主題にすえた研究の中で画期的な成果が出せるのは偶然の助けも要る。
もしかしたらぽっとでの若造に出し抜かれるかもしれない。
成果が出せれば一部から名声は得るかもしれないが生活が裕福になるわけではない。
でもあるケミストは自分の研究以外に頭はつかわないんだ。自分の人生なんか考えないんだ。
そこにモチベーションや欲望は抱かないんだ。
パズルを夢中になって解いていたら日が暮れる。
とき終わるころには人生も暮れる。
パズルを解くのから醒めて周りをみてしまう人は化学者にはなれないんだ。
わたしが進学前に夢見ていたのはバカみたいだけどマッドサイエンティストだよ。
あんなことやこんなこと、誰もやったことが無いことをしたかったんだ。
飼いならされないと研究もできない。
先に金持ちにならないとダメなんだと気がついたよ。
3兆円あったら私設ラボつくるんだ。
<object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=8,0,0,0" width="320" height="205" id="flvplayer" align="middle"> <param name="allowScriptAccess" value="sameDomain" /> <param name="movie" value="http://g.hatena.ne.jp/tools/flvplayer.swf" /> <param name="quality" value="high" /> <param name="bgcolor" value="#ffffff" /> <param name="FlashVars" value="moviePath=http://www.youtube.com/watch?v=zyGeMH0Pe1g" /> <embed src="http://g.hatena.ne.jp/tools/flvplayer.swf" FlashVars="moviePath=http://www.youtube.com/watch?v=zyGeMH0Pe1g" quality="high" bgcolor="#ffffff" width="320" height="205" name="flvplayer" align="middle" allowScriptAccess="sameDomain" type="application/x-shockwave-flash" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" /> </object>
YouTUBEもホリエモン(Livedoor)も、グレーゾーンだからこそ注目されるのであり、グレーゾーンだからこそ、そこから善悪2分法的な議論が噴出する。