話題に上ることもなく、嫌われることもなく。
その在りようのまま「幅」と呼ばれたその男は、
たぶん要領だけは抜群に良かった。
傍から見ると、彼は何も為していないようにすら見えた。
みんなから慕われたり、畏れられたりするには
「最善であること」はむしろ有害で、「次善」を目指さないといけない。
「幅」がもう少し要領が悪かったのなら。もう少し口汚かったなら。
あるいはその幅が、机をはみ出して教室の通路をふさぐぐらいに大きかったなら。
幅は幅としてでなく、太った同級生の一人として、みんなの記憶に残ったのかもしれない。
同窓会に「幅」は来なかった。
恐らくは来なかったのだと思う。話題にも上らなかったから、確認のしようもないけれど。
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