2024-09-12

『きみの色』合わなかった人向け酷評

山田尚子監督作品面白いと思ったことないが、視聴前に賛否の評を眺めてて、明らかに否の意見より賛の意見のほうが熱量説得力も強かったので、これならいけるかなと思ったがやっぱり合わなかった。

今作は「言葉に出来ない」ことに向き合った話らしい。実際、セリフが全部無音だったとしても話や気持ちの伝わる作りになっている。そこは素直に良かったと思うし、そういった作品を作るためのスタッフを呼べるような若い監督アニメ界にいるのは喜ばしいと思う。

からこそさあ、台詞説明的すぎるのなんとかして。

もちろん直接的な説明は避けてるのよ。でもこういう場面でこういう会話がされるという事はこういうことを抱えていてみたいな、教科書的に連想できる表現台詞が多いんだよ。

例えば退学女と祖母食卓、二人の学校に対する想いのすれ違いが描かれてるが、わかり易く描きすぎ。このシーン無くても、退学した事実、それを伝えてないこと、祖母と仲が悪い訳じゃないことは表現できている。しかも悩みの種類自体が話の根幹に関わらないのだから、省略できるはずだ。家の背景や、台詞になってない言葉で既に理解できることを、会話まで入れて分かりやす説明しちゃったら、その後の芝居が伝わるのは当前というか、ネタバレされた状態で見てる感じになる。

かい所だが、捨てられてたソファを見てラッキーとか入れなくていいし、通り過ぎた後に戻るシーンと協会搬入するシーンを繋げれば充分だ。ライブ後の中庭バレエ踊るのは名シーンだけど、見えたとか言うな。それは絵で見せろ。

あと日常描写なすぎな。トツ子が友達とだべってる所は殆どないし、彼女の見える世界や、それをどう音楽に落とすかの思索に終始している。音楽サクセスする話ならいいけど、そうではないのだろう?もっと何でもない日常を描いて、その中から浮かび上がる感情を見守るコンセプトだと認識していたのだが違うのか?

退学女も言えずに溜め込むタイプなら、もっと音楽バイト以外での独りで考えるシーンがあったほうがいい。折角綺麗な舞台を作ろうという意気込みがあるのだから彼女学校に行くふりをして家からバイト先の移動を撮って、その足取りと世界の綺麗さに悩みが現れるのではないだろうか?

リズと青い鳥』もそうだが、肝心の感情芝居とそれが芽生える過程をどんだけ丁寧に扱っても、野暮で説明的な作中作ぶっ込むのは台無しだ。動物動画赤ちゃん言葉アフレコ入れるテレビとやってること変わらないぞ。

アニメ恣意的面白さと、リアルの深みを融合させたいのなら、高畑勲という偉大な先人がいるので、彼を見習って最低限有名なフランス文学(フローベールプルーストスタンダール等)とか読んだ方がいいんじゃないか。心理とその層表に現れるものと、取り巻く環境外圧のせめぎあいは、既に百年以上前作家がやってるし。

一番キショいのが、この作品を丁寧と絶賛してる奴ら。駄作が作られるのはどうでもいいし、どんどんチャレンジして欲しいけど、見る目ない人が持ち上げてたら今の芥川賞みたいな内輪ノリしかなんねえだろ。

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