2023-06-14

コロナが憎い

コロナが始まった頃が丁度2年制の専門学校の1年生が終わる時期だった。

何となくすぐに終わるだろう、終わってくれと考えていて、まさかあんなに大ごとになると思わなかった。

  

田舎から出てきていたけど、3月緊急事態宣言が出るか出ないかの時に、

親に「早く帰ってこい、東京から出られなくなるぞ」と言われ、急いで帰省

1か月にはいかないぐらいの実家での生活は、

オンライン授業を受けながら、履歴書を書きまくってオンライン会社説明会を受ける日々だった。

それでも、この緊急事態宣言が終わったら、また東京に戻っていつも通りの生活が始まって、

と考えていた。

  

親は不謹慎だけど「またこんなにのんびりとアンタと過ごせるなんて思ってなかった」と笑っていた。

あの比較的落ち着いた生活の中でその瞬間が一番心に残っている。

結局、緊急事態宣言けが終わって、コロナと過ごす異常な生活けが残った。

就活実家では終わらなくて、東京でも続いた。

東京の方が会社も近いから、すぐ終わるだろうと考えていたのに、

コロナ禍でほとんどの企業採用人数を少なくしたり、採用自体をなくしてしまった。

コロナ禍前は、基本さえ覚えていれば、どこの会社だって入れる!みたいな業種だったのに。

  

バイトも、短縮営業とかビル方針だとかで、全然入れなくなってしまった。

学校も結局週2とか3だけ学校に行っての実習で、他はオンライン授業。

最初はみんな真面目に家で受けていたのに途中から

外で遊びながら受ける人、寝ている人、ゲームをしている人など段々とおかしくなっていった。

  

私もきっとおかしくなっていた。

ずっと家にこもって就活と実習の事だけ考えていた。

それ以外の時はゲームをして気を紛らわしていた。

そうでもしないと不安で仕方がなかったから。

ただご飯を食べるだけの生活から、段々と貯金が減っていった。

私は、「ここまで貯金が減ったら死ぬか」と思いながら、かろうじて生きていた。

  

結局、就活は何一つ実らずに卒業を迎えた。

あの時の同級生の4分の3は、

卒業式の時点でまだ就活が終わっていないか、別業種に妥協して就職したのどっちかだったと思う。

気まずくて、誰も就職先の話をできなかった。

卒業式で泣いていた友達は別業種に妥協して就職したが、

「まだ試用期間なのにもう辞めたい」と泣いていた。

私はほんの少しの貯金と、バイト先1つでこれから生きて行かなくてはいけなくなった。

  

バイト面接はしんどかった。

バイト就活も行いたいから、素直に「行きたい業種で仕事が見つかれば辞めます!」なんて言ったら、

部落とされた。正直に言ったつもりだったのに。

そもそもお金が欲しいだけで永久に働くつもりなんて毛頭なかったと、家で一人悪態をついた。

結局、全然違う遊園地で働く事になった。面白いことにもう一つのバイト先も遊園地だったので、

遊園地の二足の草鞋とかいう相当やべーやつになっていた。

  

親に「就職先見つからないなら帰っておいで」と優しい言葉をかけられたり、

「そんなに貯金なかったの!?」とあきれられたりもしていた。

それでも、どうしても地元には帰りたくなくて、こっちで就職したくて、頑張っていた。

  

その頃はもうずっと将来の不安希死念慮で、仕事以外の時間はずっとゲームをしていた。

ありえないぐらいの時間ずっとゲームをして気を紛らわしていた。

仕事が決まれば生きていける、ここまで貯金がたまれば生きていける。

それ以外は死ぬしかない。もうなんかずっと背水の陣って感じで生きていて本当に辛かった。

行政に頼るとかそんなもの思いつかないぐらいに思い詰めていた。

コロナさえなければ、コロナさえなければ」

ともはやありふれた言葉を毎晩考えていた。

  

結局貯金計算したら、「この月で就職できなかったら死ぬしかない」と思い詰めていた時に、就職が決まった。

本当にギリギリだった。だから私は今も生きることができている。

  

多分もっと高校生活全部潰れた、とか酷い人もいると思うし、政府が悪い~とか言う人もいると思うけど、

もう世界全部がおかしかったから仕方ないじゃんね?と私は思ってる。

  

でも私はあの生活で、価値観破壊された。

金銭面の枯渇を味わった。就職した同級生嫉妬なんてしたくなかった。

今はある程度安定した生活を手に入れたけど、死ぬか生きるかみたいな価値観は消えない。

私は、あの時死ななかっただけで、これから追い詰められるようなことがあったら簡単に死を選んでしまいそうだ。

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