2021-05-19

不登校だった

中2のとき学校に行くのをやめた。

派手ないじめはなかったけどほんのり自分を取り巻く空気が変で、とにかくしんどくて、当時は学校自体が無理だった。

アラフォーの今となっては再言語化も難しいけど、多分自分の持つ発達障害も原因の一つだった(その頃は知らなかった)。

空気が変、というのも自分けが感じていたコミュ障の居心地の悪さだったかも知れない。

行かなくなった当初は親ともかなり揉めたし、ギクシャクしたし、泣かせもしたし自分も泣いた。

自分場合、成績は悪くなかった。どちらかと言うと上位に入るほうだった。国語が得意でトップ争いするくらいだった。

それもあって、親との話し合いで「自分気持ちや考えを伝える」ということが比較的でき、悶着は半年くらいで収まった。

学校距離ができ、時間が経って、今では「普通高校生活やってみたい」と笑い話にできる。

一番の後悔は、学校に行かなくなってから勉強から離れてしまたことだ。

正直な話、日常生活において中学校以上で習ったことを使う機会はそれほどない。

ただ、知っているのと知らないのでは生活の質に雲泥の差がある。知らない人は「雲」のほうの質も知らない。

日常問題が起こったとき解決方法選択肢を多く出せるのは大抵の場合より「知っている」人のほうだ。もちろん例外はある。

人間工業製品ではないので個体差が大きく、学校という場が合わない人もいる。いじめがあったり現場での問題も多い。

から学校に行かないという手段自体否定されるべきじゃないと思う。

ただ、勉強はしたほうがいい。

学校でやるようなことだけはやれという意味ではなく、「あらゆることから学ぶ意識を持ってほしい」という意味で。

もちろん教科書的な勉強も、未来選択肢の維持のためにしたほうがいい。

でもそれよりもやってほしいのは世の中を学ぶことだ。

この世にはどんな問題があるのか、その解決には何が必要なのか、そのためにはどんなことを知って実践すればいいのか。

勉強をしたくないのはモチベーションがないからだ。

自分が将来したいことがあるとして、例えそれが一見勉強」とは関わりのないことでも、絶対に先々必要になる。

学ばなくてもある程度はできるかも知れないけど、質のいい結果を出そうと思ったら勉強は不可欠になる。

薄っぺらい表面上のアウトプット簡単に飽きられるし、代替できるものからだ。

誰かが「勉強なんて役に立たない」と言ったところでその人が人生責任を持ってくれるわけじゃない。

特に若い頃は、甘言に惑わされやすい。自分もそうだった。楽なほうに流れる言い訳を常に探していた。

そしていい年になった今、時間無駄遣いをしたことを猛烈に後悔している。

勉強なんていつからでもできる、それはそうだし自分も今勉強中だ。

それでも、若いとき無限とも思える時間と行動力未来への無根拠希望があれば、もっとずっとたくさんのことを

学べたはずだと思う。

しかもそのころ、親は元気だった。そう、歳を取ると親が弱ってくる。それを助ける手段も、選択肢は多いほうがいい。

闇雲に勉強だけしろとは絶対言わない。

家庭環境により理想的生活が難しい人もいる。

でもできる限りの不登校生が、自分楽しいことと勉強を両方やって、生活リズムを適度に保ち、そこそこ運動して、

山本を読んで、映画を観て、気の合う友だちを作ったり色んな経験をして、健康に過ごしてほしいと思う。

知識経験武器と防具になる。

この世は厳しいことが多いから、装備品は強いほうがいい。

自分の心身の健康を最優先にしたら、あとは勝つためじゃなく、何かに負けても立ち上がるために装備を整えていってほしい。

その装備はいつか、自分だけじゃなく誰かを救うこともあるから

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